いかに自分の視点が狭かったかハッとした。演技が上手かとか表情がどうとか、目に見えるところにばっか集中しちゃってたな。
角田さんはもっと視野が広く、作品がどんなメッセージを持ってどんな役割を果たしているか、構図や背景について書いてる。もともとそういうところに感動してハマっていたのを忘れてた。まさに今見てるドラマ、俳優陣の演技が気に入らなくて惰性で見てたけど、メッセージを考えたらとても素敵な作品だったので、視野の広さを与えてくれてまた新しい視点で捉えられた。
韓国に詳しい方のドラマ評論だと詳しく時代背景を教えてくれる感じだけど、角田さんのは作家ならではの視点というか、物語が担う少し違意味での解説という気がする。キーとなる言葉や核心をつく言葉、そしてメタファー比喩への理解が鋭い。
見ているドラマに対して、作家ならではの視点が鋭いので首肯して共感しながらももう一度見返したくなってうずうずする。本当に頭の良い方だ……
章の文頭に
『今回は、映画「○○」とドラマ「▲▲」について触れています。ネタバレになる部分もあるかもしれませんので、これから見ようと思っているかたは、どうぞ読まないでください。』
と書いてくれてる。ネタバレ厳禁な韓ドラならではの配慮でとても面白かった。
────────────────
・ 韓国映画的な「復讐」で見る側がすかっとする、この復讐がなされてよかったと思うためには、悪者が、ただの悪者ではだめで、非人間的、悪魔的なまでに極悪でないといけない。
・全体的に悪人だけれど、ほかの場ではいい面も持っている、とか、完全に悪人だけれど、この人がそうなったのには理由がある、なんて生やさしいことは、復讐される側には許されない。見る側が同情できる余地をあたえてはならないのだ。
・ (グローリーの話)ドラマの回数が進むに従って、むしろヨンジンを見るのがたのしみになってくる。視聴者に罪悪感を抱かせず、容赦ないドンウンの復讐に疑問を持たせず、胸のすく思いをしながらも何か考えさせてくれるのは、このヨンジンの悪者っぷりのおかげなのだ。
・こんな重要で深刻なできごとを、映画をとおして知るなんて、と呆れる人もいるのかもしれないけれど、私はそのことに感銘を受ける。政治の場で何が起きたのかだけでなく、市井の人々にいったい何が起きたのか、(略)それを伝えるのは研究や学問だけではない、どんな手法でも伝えられるはずで、いや、映画やドラマという方法をとったほうが、もっと広い層に伝えていくことができるはずだという、作り手の念を感じるのである。
・ところで、このドラマには日本人もよく登場する。日本人俳優かと思うと日本語に
はまったく縁のない韓国の俳優たちが多い。
しかしながらこれはちょっとめずらしいパターンだと個人的には思う。(略)日本人役の俳優は、たいていの場合、日本語がぎこちない。(略)本当はもっとうまく話せるのに、あえて日本人を「演じている」ふうに発語しているのではないか?(略)まさに、「あえて」のぎこちない日本語なのではないか。自分たちの言葉ではない言語、押しつけられた言葉としての日本語を、これらの作品のなかでは用いているのではないか。このぎこちない日本語こそ、そうした表現手段のひとつなのではないか。
・やっぱり韓国ドラマは感情を表出させるほうが自然なのにたいし、日本のドラマでは感情の流出は、激しくなればなるほど嘘くさくなるからだと思う。それはそのまま、国民性であるような気もする。
・二十代なら二十代の、五十代なら五十代の「今まで見たなかでいちばんのドラマ」がある。(略)しかしそのような質問を、韓国ドラマについてはできない。あまりに個人的な、個人的というよりもっと深い、個人の核の部分に触れるような質問に思えてしまうのだ。(略)勧めてくれた人たちの、何時間いっしょに飲んで話してもけっして触れられない部分を、垣間見たような錯覚を抱く。