あらすじ
最愛の娘を殺した母親は、私かもしれない。虐待事件の補充裁判員になった里沙子は、子どもを殺した母親をめぐる証言にふれるうち、いつしか彼女の境遇に自らを重ねていく。社会を震撼させた虐待事件と〈家族〉であることの光と闇に迫る心理サスペンス。
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説明できない息苦しさのリアルな描写に圧倒されて、読了後の疲労感に包まれています。笑
角田さんの作品は読むたびにこの気持ちになるって分かってるんですが、やめられない中毒性があるんですよね…。
補欠裁判員に選ばれた一児の母・里沙子は、子供を溺死させてしまった被告の環境に自身を重ねていくようになる。義母や夫から暴力や決定的な言葉の攻撃があったわけではないし、言葉にして説明しようとすると軽い不満や何なら被害妄想に捉えられかねない些細な出来事の数々。でも、相手の放った「そんなつもりではなかったかもしれない」一言や行動が、息苦しさや罪悪感と共に静かに本人の中にだけ、澱のようにたまっていく。
被告に共感を覚え、ボタンを一つ掛け違えれば、彼女は自分だったのではないかという里沙子の恐怖と不安に、まるで里沙子は私なんじゃないかと思うほど感情移入するとともに、無意識の悪意について深く考える作品でした。
とりあえず、電車の中やお店で子供をあやすお母さんに出会ったら絶対優しくしよう。
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Posted by ブクログ
小さな子供を持つ専業主婦の里沙子が、乳幼児殺害事件の裁判員裁判に関わっていくことから始まる物語。
裁判員裁判を身近に感じることがなかったので、詳細な記述に私も参加しているような感覚になった。
同時に母親であれば体験したことがあるだろう感情を、今まさに体験していたり、距離を持って振り返って眺めていたり、複雑な感情が入り混じる様子がとても丁寧に描かれている。
そして、水穂という娘を殺めて裁判に立っている女性の裁判員裁判が進むのと同じようにに、里沙子は大きく揺らされながら、自分自身をゆっくり振り返っていく。
不器用で少し頑固、人との距離がやや長めの里沙子だが、その感情や思考、言動がどのようにして生じてきたのか、人の成り立ちを改めて考えさせられた。
今まで経験したことのない私以外の存在だけれども、私の一部のような感情を抱かせる初めての子育てを通して生まれる仄暗い感情に、母親がいかに動揺するか。細やかに描かれており、却って救われる思いにもなった。
Posted by ブクログ
『きみはおかしいと言われ続け、そのことの意味については考えず、そこで感じた違和感をただ面倒なだけだと片づけて物事に関わることを放棄した。
おろかで常識のない小さな人間だと、ただ一方的に決めつけられてきたわけではない。私もまた進んでそんな人間になりきってきたのではないか?』
終盤で理沙子が自分に問いかけるこの言葉に身が詰まる思いでした。
子育て中の母親だけではなく、誰しもが、状況は違えど「型にはまっていなければならない」そうでなければ「私は間違っている」という法則を信じ込められるような状況に置かれることってあるのではないでしょうか?
理沙子のように裁判を通して自分と自分を取り巻く環境と向き合い、ほんの少しではあるけれど、自分の道を拓いていければよいのかもしれません。初めての育児、子供と二人っきりで社会からなんとなく孤立してしまい、何がわからなくて何を知っているのかさえ自分でもわからなくなる。虐待や育児だけではなく、様々なテーマが織り込まれている作品だと思いました。
内容はとても重くて暗く、時に切ないですがたくさんの人に読んでいただきたいと思いました。
Posted by ブクログ
被告人の水穂に感情移入する里沙子に感情移入してしまう私。育児したことないのにとても共感してしまいました。描写が上手くて本の世界がリアルに思い浮かぶ。角田光代の本を以前に読んだ時もそうだったけど、わからないのに「わかるわかる」って気にさせてきます。
さて、本書の主人公である里沙子は、裁判員裁判の裁判員に選ばれてしまう。補欠だけど。その刑事事件は母親が娘をお風呂に落として溺死させてしまうというもの。育児ノイローゼによる責任能力の有無や、夫や義母などの関係者の供述を聞く中で、里沙子は被告人の女にどうしても自分を重ねてしまう。
育児している人にも読んでほしいし、していない人にも読んでほしいです。どうやっても「伝わらないもの」が存在し、それによって追い込まれる人がいることがわかります。
それにしても「結婚すれば」「子供ができれば」「引っ越せば」相手が変わるだろう、という幻想。この幻想いろんなところで100万回くらい聞いたことある気がするけど、人は環境が変わったくらいで変わらないものですね。
「きみはおかしい」穏やかに妻を攻撃する夫。嫌いなら離婚すればいいのにそれをしないのはなぜか。そういう愛し方しか知らないから。
夫は裁判員という役目を通して自分の知らない世界に出ていく妻に、自分の不甲斐なさを改めて感じ不安になる。そしてそんな夫の攻撃に、決めることも考えることも放棄してきたことに気づく里沙子。溜飲が下がるラストでした。
Posted by ブクログ
妊娠出産産後のわけのわからない不安定な心情。
多かれ少なかれきっと感じたことのある恐怖。
よっぽど恵まれた環境にいた人以外は、
理解できると思う。
自分の時はどうだったかを思い出しながら、苦しくなりながらも先を読まずにはいられなかった。
子供がある程度大きくなるまでは、その気持ちはずっと続くものだと思い込み絶望したことを思い出した。
Posted by ブクログ
2歳(3歳近かったかな)の子供を育てている専業主婦の里沙子に、裁判員制度の裁判官の仕事が来ます。
その被告人が、8ヶ月の赤ちゃんをお風呂に落としてしまった母親で、裁判が続くと同時に、里沙子がその被告人に同調していってしまいます。
里沙子の気持ちが痛いほど分かり、途中でしんどくなりました。(特に、子供が絡んでくるあたりは、本当にそういう時あるよね。という感じになり)
あーちゃん(主人公の娘)は、自分に何かあっても、ママだけは私の事をまっさきに考えてくれる。という母と子の信頼関係ができているから、あーちゃんはママにたいしてだけワガママになるんだよって、慰めてくれる人はおらんのかーい!(と、思いながら読みました)
Posted by ブクログ
凄く面白かった。
やはり角田さんの本は文章も読みやすく内容も飽きさせず、心の奥にぐぐっと入り込んで離さないものだった。
里沙子が水穂と自分を同化させたように子供のいない私でさえ読み進むつれどんどん彼女たちと自分を同化させ、自分の中の目を伏せていた様々な傷を見せつけられらようで苦しくさえなった。
人にはそれぞれの生きてきた世界があり、異なった価値観があり、物事の捉え方、使う言葉も様々で、何かを本当に理解し合うなんで無理で、誤解し合い、曲解し合い、傷つけ傷つけられながら人と関わるしかなくてしんどい。
育児に苦労した女性には抉られるような話です。誰にも理解してもらえないと思っていた夫の悪意も描かれてあり、自分の過去の生活を覗かれたのかとさえ感じました。そして、なんとなく感じていたけれど、この小説で初めて義母と夫の他者が立ち入れない関係をきちんと言葉で理解出来てスッキリしました。
読んでいて楽しいというのとは違うけれど、自分の中にしっかりと残る小説には違いありません。
Posted by ブクログ
『水穂という見知らぬ女性がそのとき両手で抱いていた赤ん坊の重さ、なまあたたかさ、やわらかさが、里沙子の両手に記憶したもののように広がる。まるで自分が泣き止まない赤ん坊を抱いてそこに立っていたかのように。そうして赤ん坊の重みが、両手からふっと消える。視界には、開いた十本の指』… 浴槽に落ちていく幼児。殺人の現場を生々しく実感する主人公・里沙子。
我が国で裁判員制度が導入されて10年を超える年月が経ち、裁判員として参加した人の数は約10万人にも達したという現在。このレビューを読んでくださっている方の中にはすでに経験済みという方もいらっしゃるかもしれません。『個人的には、始まると聞いた時から、できればやりたくないと思っていた』という角田さん。『裁判員が経験を話しにくい雰囲気がある。何とかならないかと思う』という角田さんが描いたこの作品。『過度に感情移入することによって、周りにいる人間の言葉も全部意味が変わると思った』という角田さんの言葉通り、裁判員として選ばれた専業主婦が、被告人に深く感情移入し、そこに自らを投影していく、自らを重ね合わせていく、そして自ら深く入り込んでいく姿に迫っていくこの作品。主人公・里沙子の狂おしく身悶えるような内面の葛藤が全編に渡って描かれていきます。
『図書コーナーにいる文香を見る。このところよく会う萌ちゃんと絵本を開いてくすくす笑っている』という光景を萌ちゃんのお母さんと見る主人公の山咲里沙子。『二時半を過ぎて男の子を連れて二人の母親が帰り』、里沙子も文香を連れて自宅へと帰ります。『結婚したのは、四年前、二十九歳のとき』という里沙子は『二歳年上の山咲陽一郎』と交際一年で結婚しました。『妊娠したら産休をとって、その後また働くのだろうと漠然と思っていた』里沙子ですが『新潟に住む両親と折り合いが悪かった』ということもあり退職を選びます。『寝返りの瞬間。はいはいから立っちができたとき』という初めての事ごとを目にして『やっぱりそばにいてよかった』と喜ぶ里沙子。そんなある日、『ポストに自分の名宛ての手紙を見つけた』里沙子。『裁判所からの郵便物だった』というその手紙には『六週間後に行われる刑事裁判の裁判員候補者に選ばれたので裁判所にくるように』と書かれていました。『裁判がどんなものかも知らない。それに事件になんてかかわりたくない』と思う里沙子。『八月二日から十日間』、その間、『文香はどうするのだ。断ろう。断れないはずがない』と考える里沙子。帰宅した夫・陽一郎に『断ろうと思って電話してみたんだけど』と相談します。『辞退をしたいと伝えたのだが、それは不可能』、『あくまでも今の段階では五十人から百人くらいの「候補者」』にすぎない』といわれたことを話します。『候補がそんなにいるなら、まずだいじょうぶだろう』という陽一郎。そして、八月二日、公判を前に裁判所で説明を聞く里沙子は、『戦慄に近い驚きを覚え』ます。『乳幼児の虐待死事件だった』というその裁判。『私は被告の女性と立場が似ている』、『きっと公正な判断なんてできない』、『この事件に私は選ばれない』、そう考える中、『里沙子は名を呼ばれ、立ち上が』ります。そして、補充裁判員に選ばれた里沙子が十日間の裁判に立ち会っていく中での様々な葛藤が描かれていきます。
2009年に導入された裁判員裁判の舞台を描いていくこの作品では、『法律なんて何も知らない。裁判がどんなものかも知らない。それに事件になんてかかわりたくない』という里沙子が補充裁判員に選出され、十日間の裁判に関わっていく姿が描かれていきます。この作品が週刊誌で連載されていた2011年頃には、まだこの新しい制度が導入されたばかりであり、人々の関心も今よりもかなり高かった一方で、まだまだ選出された人も少ない時代です。そんな中で『法律に詳しい人も、社会でばりばり働いている人も、知識経験の豊富な人も大勢いる』、自分が選ばれるはずがないと考えていた里沙子。専業主婦として家に閉じこもりがちなこともあってその不安は日に日に増していきました。そんな不安を和らげるように『専門知識ではないんです、社会経験で判断できることなので、心配しないでください』という説明を最初に受ける里沙子。実際に作品で描かれる『評議』の場面でも、専門用語はほとんど登場せず、様々な年齢、様々な立ち位置の人々が、自らの経験を踏まえて自由に意見を述べ合う場面が描かれていきます。そんな中で、性別、年代の共通点、そして育児中でもある里沙子は『私は被告の女性と立場が似ている』ということを強く意識します。『八カ月と二歳十カ月』とどちらも育児の真っ只中で専業主婦であるという共通点を持つ二人。考えれば考えるほどに『きっと公正な判断なんてできないだろう』と思い悩む里沙子。そんな里沙子の不安は現実のものとなっていきます。
『あの人がまさか、と、何かの事件が起きたとき知り合いはみんな言う』。何か事件が起きると『あんなやさしい人がまさか』というインタビュー映像が必ずといっていいほど流れるものです。この作品の被告である安藤水穂もそれは同じこと。そして、被告人席に座るそんな水穂の心中に隠された育児の苦悩を証言により知っていく里沙子。『うまく寝かしつけられない、あやせない、体重が増えない等、子育ての自信のなさ』というようなものは、子育てにはつきものとも言えるある意味で一般的な悩みです。それもあって、『そんなの、少し待てばすぐ終わったのに。赤ちゃんのころなんて一瞬なのに。あなたのなかにはおかあさんのもとが入っていなかったの?』と一歩引いた立ち位置で捉えていた里沙子。しかし、被告、被告の夫、そして被告の母親などの証言を聞いていく中で里沙子の内面に変化が生まれていきます。それは『どうして忘れていたんだろう?どうして忘れられたんだろう?』という里沙子自身も同じように苦しんだ過去の記憶でした。『数珠つなぎ的に思い出された』というそれらの苦い記憶。『考えまいとするのに、気がつけば、里沙子は文香が八カ月だったころを思い出している』と、水穂にどんどん自らを投影し、重ね合わせて、そしてその思いに入り込んでいく里沙子。そんな里沙子は『忘れていたのではない、忘れていたのではなくて封印したのだ』と過去に自らが犯した過ちを思い出していきます。それによってどんどん自らを追い込み、自らを追い詰めていく里沙子。ついには『そもそも、私は、文香を愛しているのだろうか』と思い詰める里沙子。そんな里沙子は、『私はあの女性を裁いていたのではない、この数日、ずっと自分自身を裁こうとしていたのだ』とその苦しみの理由に思い至ります。
この作品では、最初から最後まで、里沙子の視点から物語が描かれていきます。そのために読者はもがき苦しむ里沙子の内面をずっと見続け、共有することになります。もっと気楽にやろうよ、もっと肩の力を抜こうよ、そんな風に声をかけてあげたくなる思いに苛まれる読者。でもそれは叶わないことであり、最後まで、そんな里沙子の心の叫びを、耐えられないほどの閉塞感の中で共有し続けることを求められます。そんな角田さんの圧倒的な心理描写を単行本420ページ(文庫500ページ)に渡って体感するこの作品。読者にはそれを受け止めるだけの覚悟が求められる、それがこの作品の一番の魅力であり、逆にある種の近寄り難さだと思いました。
『乳幼児の虐待死事件』を裁く裁判員の姿を描いたこの作品では、そのそれぞれが抱える問題を、被告に自身を投影してしまう主人公・里沙子の内面を通して見事に描き出していました。それは、育児中の母親の孤独であり、圧倒的な閉塞感であり、そして周囲からの目に見えない圧力でもありました。様々なものに一人で向き合い、一人で耐える日々を送る育児中の母親の孤独を描いたこの作品。『乳幼児の虐待』という問題の微妙さ、そして裁判員制度の重さ含め、様々な問題提起を感じさせてくれた、とても重く、とても印象深い作品でした。
Posted by ブクログ
⭐️5つで良いのかどうか…
裁判員制度について考えるきっかけをもらった、と言うことと、事件内容はさておき、登場人物の心理描写が共感できないものの、詳細で揺れ動く感情表現が素晴らしく、恐怖すら感じた、と言うことで5つ。
乳幼児を自宅の風呂場で水の中に落として死亡させてしまう、という虐待事件の判決に関わる。
なんとも重い内容で読み進めるのが辛い。
ただ、被告人と境遇の類似で、主人公の女性が裁判員補佐として関わり、自分と重ねて考えてしまう、女性にありがちなところ、次第に夫や義母にまで猜疑心を抱き、公判なのか、現実なのか区別がつかなくなっていく心理に静かな恐怖を感じる。
読むのが辛いかもしれないが、一読の価値はとても高いと思う!
Posted by ブクログ
日々流れる虐待のニュースを見て、「我が子になぜそんなことができるんだろう…」という浅はかな感想しか持てなかった自分を恥じた。自分が産んだ小さな命を前にして、はなから粗末に扱ってやろうと思う親などほとんどいないのだ。自分だって、我が子に手をあげることがあるかもしれない。それがたまたま死に至らしめるような行為となるかもしれない。そんな風に現実味を帯びて感じさせてくるところに、この小説の恐ろしさがあった。
視点人物である里沙子は、裁判員に選ばれる。しかも、自分と同じ女児を持つ母親の、幼児虐待事件。母親と折り合いが悪く親に頼らず育児をしている、仕事をやめて専業主婦をしているなど、容疑者と自分の間には共通点が多い。次第に彼女は自分を映し出す鏡となり、今までかかわることを放棄していたものと向き合っていく。
彼女がこれまでの人生で続けてきた「逃げ」には、自分にも身に覚えがありすぎる。母の喜ぶ言葉を発する癖は、30すぎた今でも消えない。窮屈さの原因を突き止めるのが怖いから。考えないのが楽だったから。
Posted by ブクログ
母親による虐待死事件を巡る裁判員裁判。
被告人の母親と、裁判員(補充)として選ばれた母親の違いなんてほとんどない。
一歩間違えれば、自分が逆の立場になっていたかもしれない。それは子育てを一身に引き受けている母親の大半がそうじゃないだろうか。
母乳神話、成長線に沿った成長、離乳食のペース、排泄の処理、予防接種、乳児湿疹、突発性発疹、夜泣きや卒乳、発達障害の不安…医療従事者でもない、助産師でもない、保健師でもない素人の女性達が、子供を産んだ瞬間に「母親」となる。育児書やネットで調べても理想の子育てしか書いていないし、周囲に相談しても現実的に助けになるわけでもない。他の赤ちゃんとの発達の違いに打ちのめされ、小さな小さな赤ちゃんの命の重圧に押し潰されそうになる。夫や両親達は良かれと思って言うが、心無い一言に苛立ち、突き落とされる。
きっと誰しも少なからず経験していて、その苛立ちが「虐待」まで度を越してしまう事を本当に恐れている。
泣き止まない赤ちゃんの泣き声に、何も考えられなくなるのに「近所から虐待と思われたらどうしよう」なんて恐怖心がいつもある。
読んでいて、凄く共感できて、息苦しくなる話だった。
被告人と環境は違うが、私だっていつだって紙一重だと改めて思わされて、とにかく怖かった。
貧乏より、多忙より、孤独が1番子育てなんてできない。協力よりも本当は理解を求めているんだから。
Posted by ブクログ
現実の捉え方は人により異なり、その人の主観が強く作用する。乳幼児虐待死についての裁判員裁判を通して、それがリアリティを持って描かれている作品。
どの被告やその親族、陪審員どの視点も理解できる一方で、少数派の意見は通りずらい?と陪審員裁判の課題のようなものも感じた。
Posted by ブクログ
角田さんは好きで何冊も読んでます。
内容を知った上で読んだけど
読み終わった今、すごく気分が悪い。
自分自身の子育ての辛かったアレコレを思い出すんですよね…
りさこが水穂にそうだったように…
興味深く読めましたが、辛い気持ちになりました。
角田さん流石です………
Posted by ブクログ
裁判員制度に子育て問題を持ち込む事で、えげつない深層心理が読者にも突きつけられる。少子化対策に関わる人こそ、データでも資料でもなく小説を読んでみた方がいい。
Posted by ブクログ
「母親と息子の、彼ら自身も全く気がついていない“連帯”のあり様」には笑った。あるある。
主人公の、だんなさんやお義母さんの一挙一動を勘ぐり、疑心暗鬼になってゆき、どんどん健全な精神を蝕まれていく様は、とてもしんどい。本当に、読んでいてしんどい話だった。身近すぎて身につまされる。ずいぶん昔に叔母が言ってた「角田光代さんの小説はもう最近しんどくって…」は、こういうことか、と。
Posted by ブクログ
うーん、怖かった〜
なんかこう他人事とは思えない感じが。
子育て中って、ほんと周りから責められているような気になるもの。
子どもは理不尽だし、言葉も通じないし、
母親自身が自分を押し殺していればいるだけ、
我慢を溜め込んでいればいるだけ、
子どもは泣き喚くという。
そして自分は我慢しているからこそ、
そんな子どもにイラつくという。
自分が我慢してたんだ怒りを溜めていたんだと
気づくことがまず最初の一歩だと思う。
それに気づいた主人公はこれからどんな道を歩んでいくのかな。
Posted by ブクログ
子育てって大変なんだと思う。女性は子供を産んだら母になれるのではなく、子供の成長と共に母としても成長していくのであって、その過程で戸惑い、悩み、時に苛立ち、どうしようもなくなる時ってあるのだと思う。そういう時に周囲に助けを求めることが出来る環境があるか、周囲に助けを求めることは恥ずかしいことではないんだよと支えてあげられることは本当に大切。裁判員に選ばれることの精神的負担に関してもこの本で感じた。
Posted by ブクログ
Audibleにて。
毎日の様に起こっている幼児虐待事件。犯人の顔をニュースで見て、酷い、可哀想、そんなことするなら産まなきゃ良かったのに、と思うのは簡単な事だけど、実際その背景に起こってたすべてを知ることは無理だと思った。
裁判員裁判のことも、実際どういう事をしているのか知れて良かった。
Posted by ブクログ
ずっともちろんお名前は知っていたけれど読んだことがなかった作家さん。
子供がいない(泣き声が嫌い、ぐずられたりしたら絶対イライラする)ので、子供がいる女性とは異なる感想を持つかもしれない。
主人公に結構イライラしてしまった。
というか登場人物みんなイライラしたかも・・・でも、人間のきれいではない感情の表現がとてもリアルで、ドキッとします。
物語はとても面白く、眠いのに夜まで読んでしまうほどだったけれど、描写が細かすぎてなかなか話が進まないのと何度も同じ話(回想)が多かったりで少しもどかしさを感じました。
そして益々子供ほしくなくなってしまった・・・
Posted by ブクログ
何とも、ひりひりするというか、もやもやするというか。自分の経験も掘り起こされる感覚がして、落ち着かない気持ちで、最後まで読んだ。
どこにでもいる夫婦、家族のことが描かれているようなのに、居心地の悪い思いがした。
補充裁判員として、殺人事件の審理に関わる里沙の心情が、痛いほど伝わってきた。
Posted by ブクログ
世の中にはまだまだ自分の知らないことが有るのだなと、本を読むたび思わされるけれどこの本もまたそうだった。
裁判員裁判。補欠裁判員になり乳幼児虐待死に向き合うことになる一児の母里沙子。
被告人に自分を重ね合わせ、自分の家族との現在と過去を振り返り、今の自分の精神状態が普通で無いことに気づき、自分と向き合っていく。
里沙子夫婦が最後どうなったかでは無く、里沙子自身の心がどう決着したかで話が終わるところもまた良かった。
角田さんの作品は八日目の蝉以来だった。
自分はどうか?自分の家族は?
本当に考えさせられた。
Posted by ブクログ
1.この本を選んだ理由
新井見枝香さんの本にでてきたので。
2.あらすじ
2歳の子どもがいる主婦が裁判員制度に選ばれ、同じように幼い子どもを持つ主婦が子どもを殺してしまった事件に関わっていく。
わずか10日間程度の裁判の中で、被告の女性と、自分を重ね合わせていく主婦の里沙子。裁判の中で自分の過去も思い出して、自分も被告と同じ道に進んでしまっているような感覚になっていく。
裁判を通じて、自分を、家族のことを深く考えていく。
3.感想
まず、全く自分とは無縁の話だったので、そういう人間の感想になっています。
ストーリーとしては面白かった。次はどうなっていくんだろうという感じを持ったまま、どんどん話が進んでいく。だけど、気持ちいい感じではなく、イライラする感じが強かったです。
こういう人がいるのはわかるし、多くの虐待事件が起きたり、離婚する家庭が多かったりするので、ありうる話なんでろうとは思います。
にしても、こんな人ばっかり揃うのかよ!と、思ってしまいました。こんな人間どうしで結婚するなよ!とも思ってしまう。もう、読んでてイライラしてきてしまうレベルでした。
もうほんと、登場人物のレベルが低い。陽一郎なんか出されたものを食べるだけで、風呂を追い焚きするボタンも自分で押さない。昭和かよ…!!なんでも、自分でやろうよ。食べたら食器ぐらい洗えよ。という感じで、イライラしてしまうのでした。
私も子育てしてきた人間なので、子育ては予定をたてるとイライラするのはよくわかりますが、それにしても里沙子のレベルは低すぎ。旦那にも怯えすぎ。旦那も義理の母も変なやつでした。男の子二人の母親なんてサバサバして男っぽい人が多いだろうに…。
やっぱり専業主婦になった段階で、イーブンな関係は維持しずらいから、これからの夫婦は、共働きであるべきだなとつくづく思いました。
里沙子も、水穂も、なんで、そこまで人が自分をどう思ってるかに囚われるんだろう。まぁ、でも、承認欲求みたいなもんで、人にどう思われるかを考えてしまうのは、現実的に多いのかな。
4.心に残ったこと
子どもを殺してしまった人間と、自分が重なってしまうなんて、よっぽどだ。
5.登場人物
山咲里沙子
文香 娘
陽一郎 夫
山咲祐二 弟
母
父
芳賀六実 はがむつみ
安藤水穂
安藤寿士
穂高真琴 寿士の昔の恋人
安田則子 水穂の母
Posted by ブクログ
主人公に感情移入した方が小説は楽しめるし、味わうことができると思っているが、この本では心が疲れすぎるので少し客観的に読むことを意識したかも。自分がもし、子供を産んでまもない主婦だったら読むのが辛くなったかもしれない。それくらい心理描写がリアルだった。
物語が進むにつれて、水穂にどんどん自分を重ねていく里沙子の主観が主に語られるので、読んでいる自分も水穂と里沙子が曖昧になっていった。
こんなに1人の心理描写を描けるのが信じられないくらい精密で現実味がありすぎた。
自分と性格やフィーリングの違う人物についてここまで深く描ける気がしないので、作者の経験や人格も少し入っているように感じた。これは勘違いの可能性も勿論ある。
角田光代の本をもっと読みたくなったので読む。
☆をひとつ減らしたのは単純に自分の好みはもっとあっさり読める本だから。
Posted by ブクログ
裁判員に選ばれてしまった幼い子を育てている母親と、乳児の虐待死で起訴されている母親のお話。可愛いはずの我が子に異常に苛立ち、無視してしまったり罰を与えようとする心理が、まるで自分の話のようで心が苦しくなる。子育てをして初めてわかった子どもを育てるということ、決して他人事ではない虐待の事件、悪意のない他人のひと言でどんどん追い詰められていく過労の母親。どんなに頑張ったとしても子育てはひとりでは出来ない。
Posted by ブクログ
乳児を風呂に沈め殺害した母親の裁判員裁判の話。
里沙子の夫の陽一郎のモラハラぶりにイライラしてしまう。娘の文香のわざとかと思うようなイヤイヤ期、里沙子の心中が手に取るように分かり胸がざらつく。
水穂に自らを重ね、今の自分の状況が普通ではないと最後は気付く里沙子に安心した。良い方に進んでいけるといいけれど…。
実際にされた事は言葉で表すと『そんなことで?』と思われる事ばかりだけれど、積み重なって見下されて自信がなくなって。でもどれほど言葉を重ねても伝わらないもどかしさが痛いほど伝わった。
陽一郎は里沙子を愛してるのかな?私にはマウントを取って快感を覚えているようにしか感じないけれど。
とても重く苦しい話で、あまり勧めたいとは思わないので✩3にしたけれど、このなんとも言えない違和感を文章にして伝えてくるのが流石角田光代だな、と思った。
Posted by ブクログ
主人公の里沙子にすごくイライラさせられる小説だった。被告人の水穂に自分を重ね合わせるのは勝手だけど、ずっと他人に判断軸を任せていることに気づいてなくて終始イライラした。
仕事を辞めたり、母乳にこだわったり。旦那に言われたからとか義母に言われて…っていう他人きっかけの考え方が多すぎる。旦那のご飯の用意などお世話を甲斐甲斐しくやってるから、旦那が何もしなくなるのに。そこに違和感を感じないなら、全部自分がやりたいことだからって思わないとと思った。
ただ、私が結婚も子育てもしてないからそう感じるのだろう。立場が違うから共感しなかった。
Posted by ブクログ
3歳の女の子を持つ母親の里沙子は、乳幼児の虐待死事件の裁判員に選ばれる。自分は良い母親なのか、自分は本当に娘を愛してるのか。夫はなぜ自分のことをわかってくれないのか。裁判を通して、彼女は自分を見つめ続けていく。
Posted by ブクログ
裁判員制度に選ばれた専業主婦の里沙子。
3歳の娘を義理の両親に預け、法廷に通う10日間の物語。
事件の内容は幼い我が子を浴槽に落として殺害した事件。
嫌々ながらも裁判員補助として通い始めるが、どんどん事件に引っ張られ、容疑者に自分を重ね合わせていく姿が読んでいてとても息苦しく、たびたび怖さから鳥肌が立ちそうになる。
裁判員制度に参加する前と後で、自分の夫への見方が全く違うものになってしまったところは本当に怖い。
・母乳育児に苦しみ、半ば囚われるものの終わってみたらめちゃめちゃどうでもよかったことに気づく
・育児がうまくいかなかったり子供の発育に心配なことがあると周りにうまく相談できなかったり見栄をはってしまったりして余計に1人落ち込む
・優しい言葉でも暗に貶められることを言われていたことに気がつく
・自分がとても頭が悪い人に思え、怖くて意見が言えなくなったり自分の発言に自信がなくなる
とか、あーわかる!と思うことも多々。
里沙子にとって嫌な思い出の数々がどんどん芋蔓式に思い出されていくところはとてもしんどかった。
Posted by ブクログ
子育てに追われる日々の中で里沙子に送られてきたのは、裁判員の候補者になったというお知らせだった。
子どもを虐待死させたという女の裁判を通して、なんとなく居心地の悪さをおぼえる夫とのやり取りや子育てのストレスと向き合うことになり、これは自分のことではないと思いつつもつい自分と重ねて自分が裁かれているかのような気持ちで裁判の行方を見守る里沙子が最後に下す判断とは。
かつてモラハラされていた日々を思い出してしまった。
この世には、相手を貶めることでしか自己肯定感を上げることができないひとたちがいて、そんなものに付き合わされた日には心がどんどん死んでいく。
そういうのって目に見えた暴力じゃないから本当に厄介で、それこそ正論を振りかざしたりするから下手すると周りからもおかしいのはこっちだってことになりかねない。
みんなもっと自分を大切にね。