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幼い頃、毎年家族ぐるみでサマーキャンプをすごしていた7人。その思い出は輝かしい夏の大切な記憶だ。しかしキャンプは、ある年から突然中止になった。時は経ち、別々の人生を歩んでいた7人の中で一人が「あの集まり」の謎を探り始める。――このキャンプは何だったのか、なぜ突然なくなったのか。そして7人が再び会って衝撃の「真実」を知ったとき、彼らが選んださらなる道は――。すべての命に祝福を捧げる物語。
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Posted by ブクログ
あなたには、『今もことあるごとに思い出』す幼い頃の記憶があるでしょうか? 幼い頃の記憶は、一般的に三歳から四歳頃のものが一番古いと言われています。私にも幾つかその時代かな?と思われる記憶が残っています。しかし、必ずしもその記憶が正しいとは限りません。『あれはどこだったの』と、具体的なイメージを説明...続きを読むしても、『そんなところにいってない』と親からあっさりと否定されてしまうこともあるかもしれません。写真や動画が残っているならまだしも、それらしいものが残っていなければ何が本当だったかはもはや知る術がありません。 では、それらは本当になかったことなのでしょうか?あなたの記憶の中にハッキリ残る光景はあなたの妄想にすぎなかったのでしょうか? さてここに、『五歳から十歳までの夏』に関する記憶を『今もことあるごとに思い出している』と語る二十九歳の女性が主人公の一人となる物語があります。そんな記憶が正しかったことが描かれていくこの作品。そんな記憶の裏側にまさかの真実が隠されていたことが語られていくこの作品。そしてそれは、それぞれの「ひそやかな花園」を思う七人の子どもたちの過去と今を見る物語です。 『五歳から十歳までの夏を』『今まで幾度も思い返してきたし、今もことあるごとに思い出している』というのは牧原紗有美(まきはら さゆみ)。『あれはどこだったのか、あの子たちはだれだったのか。私はなぜ、そこに参加していたのか。背の高い木々に囲まれた一本道。刈り揃えられた芝生敷きの庭、部屋のいくつもあるウッドハウス、年齢の近い子どもたち』と記憶を辿る紗有美は、『確実に知っているはず』の母親に『あれはどこだったの』と訊いてみるも『そんなところにいってない』と言われてしまいます。『毎年旅行には連れていったけど、同じところに連れていったことなんてない』という母親の言葉の通り、『それらしい』写真は一枚も残っていません。しかし、『ジュリーと呼ばれていた年かさの女の子』、『いつもくっついている男の子と女の子…女の子はノンちゃん、男の子はケン…』と記憶に残る名前を思う紗有美…。 場面は変わり、『一九八五年』、『サマーキャンプに』『はじめて参加したのは、三歳の夏だった』と、自身の持つ『ほとんど最初の記憶』を辿るのは香田紀子(こうだ のりこ)。『どこにいくの?』と『乗りこんだ自動車の後部座席で』訊く紀子に『キャンプの、と、隣に座る母が答え』ます。『お庭でお肉やお野菜を焼いたり、みんなで歌をうたったり、ゲームをしたりして遊ぶの。ノンちゃん、お友だちたくさんできるわよ』と言う母親。やがて、『コンビニエンスストアも肉屋も本屋もない』という中に、『緑の芝生に、木を組み立てたような茶色い家。庭では数人の子どもたちが遊んでいた』という目的地に到着した三人。『その日は見知らぬ人に次々と会わされ、名前と年齢を言わなければならなかった』という紀子は結局、『母親の脚にまとわりつ』きます。そんな紀子は抱き上げられ、『食堂に連れて』行かれると、『お絵描きをしている子どもの隣に座らせ』られます。『ケントくん、だったよね。いっしょに遊んでくれる?』と言う母親に、ひとつうなずく男の子。『これは宇宙船…』と『自分の描いた絵』を説明する男の子は『「描く?」と言って、画用紙を一枚紀子の前に置』きます。『男の子のクレパスで絵を描きはじめた』紀子は、『ちらちらと台所をうかが』うと、『立ち働く女たち』の中に『紀子のまったく知らない顔で笑い転げ』る母親の姿を見つけました。 再度場面は変わり、『一九八六年』、『夏になると別荘にいく。はじめていったのはいつか、そのときどう思ったかは、もう覚えていない』と『八歳の夏には』『当然のこと』になっていたイベントのことを思うのは船渡樹里(ふなわたり じゅり)。『最初は父親もいっしょだった』ものの、『いつからか父親は別荘にはいかず留守番をするようになり、母と二人で出かけるようになった』樹里。『「ここがいちばん好き」と、別荘で会うたび』『二歳年下』で『今年小学生になった』紗有美が『保育園には友だちがいなかったらしいことを』『知っている』樹里は、『自分は紗有美とは違う』と思います。『学校には大勢友だちがいる』樹里は『別荘で過ごす数日を』『紗有美の「好き」』とは違う意味で好きだと思います。『自分たちの到着前に必ずいる、弾や弾の両親、前後してやってくる紀子や賢人、その親たちは、親戚なのだと思っていた』樹里は、『私、ここに住みたいな』と、『毎年言うことを紗有美』が言う中に、『たしかにここで暮らしたいかも』とちらりと思います。『母親がこんなふうにいつも笑い転げていてくれるのなら』と思う樹里。そんな『樹里の父親が家を出ていったのは、その年』のことでした。『別荘から帰ると、日曜日なのに家に父の姿はな』く、『それきり、父親が三人で暮らしていた家に帰ってくることは』ありませんでした。 『夏の別荘』での日々をそれぞれに思う登場人物たちが、大人になり、あの日々の意味を探究していく物語が描かれていきます。 “幼い頃、毎年家族ぐるみでサマーキャンプをすごしていた7人。その思い出は輝かしい夏の大切な記憶だ。しかしキャンプは、ある年から突然中止になった。時は経ち、別々の人生を歩んでいた7人の中で一人が「あの集まり」の謎を探り始める。ー このキャンプは何だったのか、なぜ突然なくなったのか。そして7人が再び会って衝撃の「真実」を知ったとき、彼らが選んださらなる道は ー”と内容紹介にうたわれるこの作品。”私の父はだれなのか”と、意味深に記された本の帯の言葉にまず目が囚われます。 そんなこの作品はレビューの難易度が極めて高い作品だと感じます。それは、この作品の中心に流れるテーマにダイレクトに触れるかどうかでレビューの内容が別物になってしまうからです。この作品は四つの章から構成されており、そこには、時代を特定する表記がなされています。まずは、時代表現も楽しめるその構成から入っていくことにしましょう。時代を表す表現が顔を出す〈第一章〉を見てみたいと思います。 ●〈第一章〉で取り上げられる年 一九八五年、一九八六年、一九八七年、一九八八年、一九八九年、一九九〇年 一九九二年 → 『佳奈が好きなのは光GENJIだしリカはチェッカーズ。曲や歌詞が好きというより、歌っている人を好きなのだ』 → 『尾崎豊が死んだことにショックを受ける人はきっといないのではないか』 一九九五年 → 『今年になってから急に増えた新興宗教関係のニュース』、『三月の半ばに、地下鉄に毒薬がまかれる事件が起き』 一九九七年 一九九九年 → 『恐怖の大王は降りてこないまま、核戦争も起きないまま、夏が終わった』 はい、一九八五年から一九九九年という十五年には、その時代を知る方には思わずニンマリしてしまう表現が幾つか顔を出します。一方で、そこに描かれていくのは、『夏の別荘』、『サマーキャンプ』という言葉で表される通り、七人の子どもたちが、両親(もしくはいずれか一方)と、『キャンプ』をする様子が描かれていきます。そんな『キャンプ』が行われる場所はこんな風に描写されます。牧原紗有美の目から見たその場です。 『連れていかれたのは大きな家だった。絵本に出てくるような木でできた家。くまの家族がシチュウを煮ているような家。そこには、年のそう変わらない子どもたちと、その親たちがいた』。 次は船渡樹里の目から見たその場です。 『毎年夏の数日を過ごす、壁も床も木の大きな家は、自分の別荘なのだと樹里は思っていた…自分たちの到着前に必ずいる、弾や弾の両親、前後してやってくる紀子や賢人、その親たちは、親戚なのだと思っていた』。 それぞれの視点からの印象ですが、共通して言えることは、 ・毎夏に大きな家=別荘で過ごすイベントがあった ・普段関わりのない子どもたちと、その親たちが集まった 実は、〈第一章〉の前には二十九歳になった牧原紗有美が『五歳から十歳までの夏』を思い出す〈プロローグ〉が置かれています。ハッキリと記憶があるにも関わらず、母親はそれを否定するという不可解な状況にあることが描かれた後に物語は〈第一章〉へと進んでいきます。読者はこの時点で、紗有美の記憶が正しく、『サマーキャンプ』がどんなものであったかを知ることになります。そんな〈第一章〉では、子どもたちがこの集まりがなんなのかについて疑問を抱いていく様子が描かれています。 『毎年、夏休みの数日をともに過ごす家族たちは、どんな関係であるのか。ここに集まる家族の共通点はなんなのか』。 これは、間違いなく読者の誰もが抱く思いです。 『私たちはいとこでもないし、同級生でもない。どうして毎年ここに集まってるのか』 子どもたちはそんな疑問を口にします。そして、その共通点を探っていきます。 ・『おんなじ病院で生まれたのかも』 → 『でも年齢がばらばら』 ・『みんなが赤ちゃんのころ、おんなじ町に住んでたとか』 → う〜ん さまざまな可能性を言い合っていく中に、子どもたちは一つの共通点に思い至ります。 『どうしてみんなひとりっ子ばかりなのだろう』。 しかし、そんな子どもたちの集まる『サマーキャンプ』は、わずか五年で終了してしまいます。 『昭和が平成に変わったその夏のキャンプが、最後のキャンプだった。それ以来、夏にあの山荘にいくことは二度となかった』。 上記した通り〈第一章〉はそこに描かれる十五年のうち十年の時代が描かれています。しかし、『サマーキャンプ』が開かれたのは一九八五年から一九八九年の五回のみであることがわかります。突如終わりを迎えた『サマーキャンプ』。そして、年月が経過し、大人への階段を上がっていく中にその後の子どもたちの様子が描かれていくのが〈第一章〉の後半です。 そんな物語は〈第二章〉がはじまると、二〇〇八年へと、一気に十年も時代が進みます。そこにはすっかり大人になった子どもたちの姿が描かれていきますが、物語はここから、あの日々はなんだったのかとかつての子どもたちが訝しみだす本筋部分へと入っていくのです。ここまでの展開、物語全体としては序章に過ぎませんが、間違いなく面白いです。角田光代さんの王道の筆致に魅せられる間違いなく第一級の物語展開です。まだお読みになられていない方にはこの段までの展開だけでも是非おすすめしたい作品です。しかし、ここまででレビューを終えてしまうのはあまりに中途半端です。やはり、あのことに触れないわけにはいきません。 ということで、ネタバレは嫌だとおっしゃる方はこのレビューをお読みになるのはここまでとされてください。もちろん、この先、完全なネタバレをするつもりもありませんが”ある言葉”にだけは触れざるを得ないのです。 ★ 注意: ネタバレは絶対に嫌!という方はここまでとされてください ★ ★★ 再警告: ネタバレは絶対に嫌!という方はここまでとされてください ★★ ★★★ 警報発令: ネタバレは絶対に嫌!という方はここまでとされてください ★★★ はい、それこそが、本の帯に”私の父はだれなのか”と匂わされていることとも関係する、『サマーキャンプ』に集まる面々の共通項です。 ・『あそこにいた母親たちは全員、人工授精で子どもを産んでいる』 ・『夫の精子ではない精子で、人工授精をして子を得た母親たちなんだよ』 〈第二章〉で語られるまさかの共通項によって物語は一気に重さを増していきます。大人になり、かつて子どもだった七人は次々に再会の機会を得る中に、この事実を知っていきます。そうです。この作品は『夫の精子ではない精子で、人工授精をして』生まれた子どもたちの思いと、父親のことを考える思いの行末を描いていく物語なのです。 レビューにおけるネタバレというものはつくづく難しいと思います。〈第一章〉までに留めておく限りはこのレビューはネタバレとは言えないでしょう。もちろん、『サマーキャンプ』があり、五年で終焉したことに触れること自体ネタバレとおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、それではレビューなどそもそも書けませんし、残念ながら私の感覚とは相入れません。しかし、そんな私も『人工授精』のことに触れるかどうかにはかなり躊躇しました。しかし、選書をする側に立った場合はどうでしょうか?〈第一章〉の内容だけで終えてこの作品に触手が動く人がいるでしょうか?それまでモノクロに見えていたレビューに、今ここに、『人工授精』のことを簡単に触れただけで、物語は一気に色がついた感があります。これは面白そう、この瞬間に”+ 本棚に登録”ボタンを押される方もいらっしゃると思います。私は、レビューを書く際に一番大切にしているのは、この拙いレビューでも、それを読むことで一人でも多くの方に読みたい!と思っていただくことです。そのためにも、レビューはネタバレすれすれを狙っています。ただし、その視点からもこの作品は線引きがとても難しい作品だと思いました。それだけ『人工授精』という四文字の意味合いは大きいわけです。とは言え、このことを知ったとしてもこの作品を読む魅力は全く損なわれません。そこに大人になった子どもたちが何を考え、どんな行動を起こしていくのかという展開こそがこの作品の本質だと思うからです。そして、それこそが角田光代さんの小説の面白さだとも思います。 では、そんな物語で子どもたちとして登場する七人をご紹介しておきましょう。 ● 七人の子どもたち(本名と子どもの頃の呼び名) ・牧原紗有美 → サーちゃん ・香田紀子 → ノンちゃん ・松澤賢人 → ケン ・船渡樹里 → ジュリー ・早坂弾 → 弾 ・木ノ内波留 → ハル ・久米雄一郎 → ユウ それぞれの詳細について触れることはやめておきたいと思いますが、物語は、上記した通り、〈第一章〉において、これら七人の子どもたちが一九八五年から一九八九年の五年間に渡って、毎夏、別荘で開かれていた『サマーキャンプ』に参加していた時代の様子がまず描かれます。そして、〈第二章〉以降、大人になった彼ら順次再会していくなかで、さまざまな形で『サマーキャンプ』の真相を理解していきます。そんな彼らの再会は二〇〇八年、二〇〇九年という、かつての出来事から二十年ぶりのことになります。そんな再会に至る温度差はそれぞれ異なります。 『あの天国のような時間がなければ、生きていられなかったかもしれない』。 そんな風にあの時代を大切に思う人物がいる一方で、 『子どものころの、たかだか数年、しかも夏の数日顔を合わせただけの、よく知らない人なのだ。手を取り合って喜ぶほどではないし、面影をさがすほど幼い○○の顔を覚えているわけでもない』。 なんともクールにかつての仲間たちを見る人物もいます。しかし、それぞれの中には解決できない思いがあったのも事実です。 『あの集まりがなんであったのか、なぜ急に、しかもかなり作為的に、だれとも連絡がつかなくなったのか』。 物語は、そんな先に『夫の精子ではない精子で、人工授精をして』生まれた子どもたちが抱える、重い、あまりに重い現実に向き合っていきます。親子とはなんなのか、家族とはなんなのか、そして、生命とはなんなのか、物語は七人それぞれの境遇を絶妙にバランスしながら奥深さをどんどん増していきます。そして、そんな物語が至る結末には、こんな重い物語の結末とは思えないほどの清々しさを感じる物語が描かれていました。 『あれはどこだったのか。あの子たちはだれだったのか。私はなぜ、そこに参加していたのか』。 そんな漠然とした思いを抱えながら大人の今を生きる七人が描かれたこの作品。そこには、幼い頃に『サマーキャンプ』で毎夏を過ごした七人の子どもたちの物語が描かれていました。大人になった彼らの変わりっぷり、変わらなさぶりを思うこの作品。〈第二章〉で明かされるまさかの重量級のテーマに慄くこの作品。 超重量級のテーマを重くなりすぎずに鮮やかに描き切る角田光代さんの上手さに酔う他ない、素晴らしい作品でした。
感性、得意不得意が異なる同世代の、1歩を踏み出す物語。幸せとは何か、不安とどう向き合うか。 ちょうど30代の自分には、刺さる内容だった。 また悩んだら、読み返したい。
どっち?
サマーキャンプに集まる親子。どんな関係性なのか子どもたちは知らないが、実世界とは違う安心感のようなものを感じていた。ある年を最後にサマーキャンプは行われなくなった。なんの手がかりもないまま、ストーリーは展開し、読者も子どもたちと同じように、理由を求めてどんどん読み進める。ミステリーのようなおもしろさ...続きを読むがあった。テーマは重いし、何が正義なのか分からなくなり、気味悪さすら感じてしまう。父親、母親のそれぞれの立場や考え方の違いがある。どっちが?ではなく、どっちもなんだなと思う。
#深い #ドロドロ #ダーク
いつも思うけれど。 角田さんの文章、小説は奥が深い。 本当に人がどう考え、どう生きているか、ひしひしと伝わってくる。 このキャンプに集まった彼らはどうだろう。 たのしいキャンプだった。子供たちも、親たちも。 そうだろうか。 そこからドラマが始まる。苦悩が始まる。 でも、かれらは本当に一生懸命生き...続きを読むている。 美しいと思うけれど。 これは彼らのカルマなのですね。 多くの人の小説を読んで、そしてそのあとがきを読み進めると、角田さんのお人柄も垣間見えます(本書にはあとがきはありませんでした)。世話好き、お酒好き、たばこ好き。世話好き、というところ、そうかもな~、と。 あとがきって、なにげに楽しい。です。 ーーー 位置No.2633 私はね、すごくたのしいとか、すごくうれしいってことは、点だと思ってるの。そしてしあわせというのは線。ずーっとたのしいこと続きということはあり得ない。だからずーっとしあわせというのもあり得ないと思ってる。ただ、一瞬でも、一日でも、あるいはもっと漠然とでも、ああたのしかったって思えることがあったら、私はとりあえずしあわせだって。 位置No.3576 「さっききみは、焼鳥といっしょに食べるものだと言った。おれはお通しだと思ってた。どっちも微妙に違った。でも、どっちも間違ってない。 ↑ これ、なにげに大事なひとこま。 位置No.4044 お礼を言いたい。会ったことのないあなた、私の世界を創ってくれて、ありがとう。おとうさんって、もう二度と呼びません。呼ばなくても、もうだいじょうぶだから。
子どもがいたとしても、いなかったとしても、ただ、生きなきゃならない自分の人生がある、ってだけ 今、この落胆さえも手に入っていなかったのだ。そう、落胆すら、手に入らなかったのだ、話そうとしなければ。向き合おうとしなければ。 ひとは、扉を開いて一歩を踏みだしさえすれば、いつでも、何度でも、あらたな世界を...続きを読む獲得できる。
いつもなら先に解説を読むのをうっかり忘れて読み終わった 途中途中でなに?何で?とぐいぐい読み進めた 結果、知らずに読んで良かった〜と思わせてくれた作品
2025/6/3 再読。 角田光代さんの作品は、個人的になぜか読後の印象が薄いものが多くタイトルを見返しても内容が思い出せなかったりする。この作品もそうだったけれど数年ぶりに読み返してみたら内容が蘇ってきた。 子どもの頃のサマーキャンプを大人になって思い返す。ある年突然なくなってしまったあれはなん...続きを読むだったんだろう?毎年夏の数日間だけを一緒に過ごす7組の家族、自分たちはどういう関係性だったのだろう? サマーキャンプの真相が明らかになるにつれてテーマは思いがけない方向へ向かう。他の方も書いているようにミステリーを装った社会への問題提起という感じ。 7人の視点で物語が展開するので混乱はする。初読だと登場人物を整理しながら読まないと難しいと思う。 紗有美を見ていて、まあグズグズしていてはよくないよなーと思うなど。
角田光代さんの作品が好きで手にとりました。 年に一回行われるサマーキャンプで仲良くなる子供達。ある年から突然行われなくなる。 その後の子供達の人生。キャンプの裏に隠されていた秘密。 ミステリー小説ではないけれども、子供達が抱く謎が解明されていく話の流れに一気読みしてしまいました。 家族とは、...続きを読む人生とは自分に置き換えて読めて大満足でした。
こういうテーマの内容だとは知らずに読んだけれど、最近同じテーマの小説を読んでいて、何か引き寄せではないが、こういうことについてもっと深く考えたり知りたい気持ちになっている。 ミステリーではないのに 先が気になって、一気に読んでしまった。さすが角田光代さん、安定感があって 引き込まれた。
感想を書くにはまだ考察が足りないから後で書きたい。 一旦読み終わった。 7人主人公がいて把握が大変だった。とくに弾がよくわからん。一気に読みきったほうがいい本かも。
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