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口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。噂はぜんぶデマだった。一方で大災害が町を破壊し、疫病が流行し、今も戦争が起き続けている。何でもいいから何かを信じないと、今日をやり過ごすことが出来ないよ――。飛馬と不三子、縁もゆかりもなかった二人の昭和平成コロナ禍を描き、「信じる」ことの意味を問いかける傑作長篇。
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Posted by ブクログ
林真理子氏が絶賛していたので、読み始める。 主人公たちとは、同じ世代、子ども時代は、ノストラダムスに恐怖を感じ、大人になると、バブルを経験し、いつの間にか2000年を迎えていた。 世の中の価値観が、どんどん変わっていった時代、器用なようで、不器用にも見える生き様が描かれている。
著者による『八日目の蝉』『紙の月』が代表作。原作を読まず、この二つの作品はドラマとして見た。この本を読みながら、ぼんやりと自分が生きてきた時代が浮き上がってくる。そういえば、あの時は、と思い出させる。雑誌の文通、口さけ女、ノストラダムスの大予言、連続幼女誘拐殺人事件、宗教団体のサリン事件、阪神淡路...続きを読む大地震、福島の東日本大震災、コロナ禍と続いていく。 日本人の精神の揺らぎをあぶり出す。信じたいものを信じることで、なんで悪いの?と問う。本書のテーマのひとつであるワクチン。子供の時にうつワクチンやコロナ禍のワクチン。ワクチンの噂だけで構成する。なぜワクチンが開発されたのか?そして、そのことによって何が生み出されたのか?短期間にワクチンができた理由はなぜか?などは、この本では追及しない。蘊蓄をたれない良さがある。というか小説の編集力が優れている。 高学歴で優秀だと思われた人が、なぜオウム真理教の信者になったのか?そして、サリンを撒くに至った経緯も明らかではない。水道水に毒物を入れるというメッセージだけが不安を煽る。ある意味では、本書は不安小説というべきだろう。また、統一教会も出てこないし、核兵器や原発も出てこない。人類の終末は、現在の核兵器で十分地球を破壊する。そして今も世界のどこかで、ミサイルが飛び、人の生活を破壊している。 本書の主人公は、柳原飛馬、1967年生まれ。山陰地方に生まれる。生まれたところは、銅山があり、赤い川が流れていた。その後、引っ越し、鳥取の砂丘の近くの小学校に通う。兄、忠士は優秀で、無線機(ハム)を自分の部屋に設置して、交信していた。父親は、おじいさんを尊敬していた。おじいさんは、地震を予言して、逃げることを勧め、本当に地震が来たのだった。人を助けて死んだ英雄だった。 「1999年に恐怖の大王が降ってきて、世界は滅亡する」という噂に、飛馬は興味を持っていた。 卒業旅行で、歩いているうちに吐いた女子生徒、美保が気にかかる飛馬。美保は、小学校では、ケロヨン、中学ではコックリさんとあだ名がつけられている。美保は、サリン事件が起きる前に、水道水を飲むなというメッセージをくれた。 飛馬の母親は病気で倒れ、入院し、手術を受ける。飛馬は、病院で噂を聞き、それが母親のことではないかと思い、母親の前で、泣いてしまうのだった。そして、母親は病気を悲しんで飛び降り自殺をする。飛馬は母親を亡くしたことの喪失感、心の空洞。さらに、自分の行動での罪悪感を抱えることになる。 1967年 高校を卒業し、製菓会社に勤め、結婚した望月不三子。子供はコト(湖都)ちゃん。ワクチンを受けたらいいのかどうかを悩む。不三子の進んでいく心の軌跡がわかりやすく丹念に書かれている。不三子は戦後生まれ、子供を授かったことで、マクロビオティックの食事を教える講師、勝沼沙苗の食養論を信頼する。不三子は「幸福のおおもとには食がある」と納得したのだ。玄米食を実践し、白い食べ物を減らし、野菜を食べ、肉や魚を減らし、保存料や着色料にも注意する。夫にも健康であってほしいと玄米食を勧めるが、ほとんど箸をつけない。義母から、息子には「白米を食べさせて」と懇願される。免疫は食事から作られると思い、ことちゃんのワクチン接種をやめる。また、ことちゃんには、小学校の給食をやめ、弁当を持たせた。湖都の修学旅行がシンガポールで、麻疹にかかった。湖都はワクチンを打ってなかった。 飛馬と不三子の心の軌跡が丹念に描かれる。 不三子は、湖都から反発を受けることで、ショックを受ける。おとなしくいい子に育ったはずなのに、ファーストフードの店の前で、ポテトを食べたいと大泣きしたり、小学校の友達の家に行ってはお菓子を食べ尽くしたりしていた。不三子は、湖都の体のためを思って、食生活をマクロビオテックを実践していたはずなのに。そして、湖都は自立し、音信不通となる。 不三子は、ワクチンに対して疑問を持っていた。色々な噂が飛び交っていた。湖都はワクチンを打ったせいで、妊娠できない体になったと訴える。 息子の亮も成長し、そして結婚するが、ほとんど不三子のところには来なかった。不三子は孤独を感じていた。そこに、子ども食堂の催しに参加することで、やっと自分の居場所を見つける。 情報が溢れ、噂や正しくない情報が乱れ飛ぶ。そして、コロナ禍となり、ワクチンの問題がクローズアップされる。不三子は「夫の給料でのうのうと暮らしてきた、世間知らずのバカだと思っているんでしょう。こういう人がころりと騙されるんだろうな。」という。この言葉が、一つの重要なキイワードとなる。自分のやっていることが、正しいのか?それとも騙されているのか?その迷いの中に、人々は生活している。非科学的なことにさえも、惹きつけられてしまう状況。なんとも、不確かな時代に生きている。自分たちの既存の生活である『方舟』を燃やすしかないのかもしれない。 読みながら、家族って何なのか?そして、どう生きていくのかを考えさせられた本だった。 不三子のこだわったマクロビオティック。白いものを食べない、そのため玄米食、肉ではなく野菜を食べるヴィーガン的食、インスタント食品やファーストフードを食べない。 マクロビオティックは、食事を通じて心身のバランスを整え、健康を促進することを目的とした哲学的アプローチであり、食の実践の体系 。マクロビオテックは、古代ギリシャ語の「macro(大きな、長い)」と「bio(生命)」に由来し、「長寿法」を意味する 。 マクロビオテックの二大原則は、自然との調和と季節に応じた食材選びを促進し、心身の調和を目指すものである。これらには、「身土不二」(その土地でその季節に採れるものを食べる)や「一物全体」(食材を丸ごと食べる)といった概念が含まれ、地域性や旬を重視する食のあり方を提唱している。 玄米食を食し、肉、卵、乳製品は、マクロビオティックにおいて基本的に使用しない食品とされている。 哲学的な理由(陰陽の観点)から、肉は強い「陽性」に分類されており、陰陽のバランスを乱すと考えられている。マクロビオティックは陰陽の調和を重視するため、極端な性質を持つ食品は避ける傾向にある。 次に、生理学的な観点から、動物性タンパク質は分解・吸収が難しいとされており、過剰に摂取すると体に負担をかけやすいと考えられている。 マクロビオティックは植物性食品を主体とするため、肉や魚、乳製品は基本的に摂取しない方針である。 不三子は、この食事をすることで、穏やかな輝くばかりの子供が生まれたことで、マクロビオティックの指導者を信頼する。そして、この食が、なぜいいのか?は、ほとんど説明できない。夫にも娘の湖都にも。成長した湖都は、有機栽培の共同体生活を実践する。なぜという突き詰めはせず、ふわふわと表層を生活する。この小説の怖さは、信じたいものを信じて生きていくということなんだね。戦後以降の日本と今の日本をうまくすくいとった作品だ。すばらしい。
デマや噂は形を変えて永久に存在する。何を信じるか。というよりどれが真実の世界で生きるかを自分で選んでいかないといけない。 噂話をしていると、「この人ってこういう話を信じるんだなぁ」とその人の価値観がみえやすい。わりとマイナスの方向でみえる気がする。だから極力噂話をしたくないし(しちゃうけど)、SNS...続きを読むも最低限しか使いたくない。そういうのも一つの自分の価値観なのだと思った。 人間っていつの時代も変わらないし、面白い。
前半は二人の主人公がどのように繋がるのか全く見通せないまま読み続けた。昭和の風景が懐かしかった。 後半、一気に全く接点がなかった二人が繋がり、こども食堂、コロナ、異常気象などといった出来事が起こってくる。 何かを「信じる」、あるいは何を「信じる」のかということがテーマとなっていると感じた。狂信的には...続きを読むなりたくはないと多くの人々が思っているが、しかし、誰もが何かしらを、「信じ」て行動しているのだと改めて感じさせる一冊だった。
おっさんおばさんになると、ついうっかり自分の半生を主人公ふたりに投影して、これまでの記憶をしんみりと振り返ってしまう。 たぶんそのまま共感して自分を重ねられる人はほとんどいないが、きっと部分的には「オレは柳原飛馬だ。」「わたしは望月不三子だ。」となぞってしまうことがありそうだ。
けっこう長編で読み応えのある本だった。時間がかかったけどどうしても最後までよみきりたかった。「自分でよく考えて決める」ことが大切だというメッセージが散りばめられていた(と思う) 私には欠けていることを思い知らされた。この優柔不断な性格。
「何かを信じるということは、その分視野が狭くなることだ」と、ある人のネットの書き込みになるほどと思ったことがある。一般に「信じる」という言葉には良いことである印象があり、「疑う」という言葉にはネガティブなイメージがあるので、「信念とは視野狭窄である」という考えは、常識をひっくり返す視点があったからハ...続きを読むッとしたのだろう。だからこそ何を正しいと信じるべきか、人が言ってることを鵜呑みにしたりせず「自分の頭で考えなければならない」と本作の登場人物たちが繰り返し語る。しかし常識を疑い自分の頭で考えれば正しいことに辿りつけるのだろうか。あることを妄信してその後それに批判的な言説は一切シャットアウトしてしまうような態度は論外としても、様々な角度からの知識や知見を得たうえで正しいことはこれと信じることはできるだろうか。本書はそんなことは誰にもできないのだ、と信じることの困難さを描いたものだと思う。限られた時代の中でしか存在できない人間は、今正しいとされることが未来でも正しいかどうか知ることができない。だから洪水で人類が滅ぶかどうかの結果を知らない人間は、洪水がくるから方舟を作れ、という神の言葉を信じ、結局は方舟を作らざるを得ない存在なのではないか。なぜならそれは私欲ではなく同胞を救おうとする行為で、人としての「理想」だからだ。利己と利他。実際に多くの場面でとられる立場は前者であったとしても、人としての理想はどちらであるべきかを問われれば、後者であるべきだという立場に立たざるを得ないだろう。人は現実を超えて理想に向かうという宿業には逆らえない。だからある時あるタイミングでは方舟を作ろうとする。でも洪水は起こらずそれは結果として間違いだったということも必ずある。それでもいいではないか、というより、それはそれでしょうがないではないか。必要がなくなった方舟は燃やしてしまって、またその先を生きて行けばいいではないか、というより、生きていくしかないではないか。そんなことを語ろうとしているように思った。
不三子の健康趣向が完全にデマかと言うとそうでもないし…良かれと思ってやることがどれも裏目に出て みんなが離れていくのが見ていて辛かった。 せめて真之輔が不三子の気持ちに寄り添ってくれれば こんな事にならなかったんじゃないの?とも思う。 狭いコミュニティで生きるとどうしても価値観が偏りがちになるし、...続きを読むしかも孤独が拍車をかけててさらに凝り固まっていく… 視界を開かせるためにもたくさんのコミュニティを持つ事は大事だなと思う。 子供食堂に参加した後の今までやってきたことが報われた描写はちょっと泣いた。 にしても何に対してもやりきる不三子はすごい執着だなと感心した。普通にご飯が美味しそうで食べてみたい。 あと…バブル時代の就活の内定の数を競い合ったり、内定者に旅行券を渡すとか…バブル崩壊後に産まれたのでこんな時代があったんかい…ってそこだけ羨ましくなった。
口さけ女もコックリさんもノストラダムスの大予言も信じていた。 小さい頃は、親や学校の先生の言うことは正しかった。 でもそうじゃなくて。 世の中は、予測不能なこともたくさん起きて、絶対的に正しいことなど誰にも分からない。 でも自分の信じることを探して、そうやって生きていってるんだなぁ、と実感した。
最初からどんどん引き込まれて読んだ。辿り着くところも、なるほど、と。特に子供時代の話がやっぱりおもしろい。
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