あらすじ
口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。噂はぜんぶデマだった。一方で大災害が町を破壊し、疫病が流行し、今も戦争が起き続けている。何でもいいから何かを信じないと、今日をやり過ごすことが出来ないよ――。飛馬と不三子、縁もゆかりもなかった二人の昭和平成コロナ禍を描き、「信じる」ことの意味を問いかける傑作長篇。
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Posted by ブクログ
林真理子氏が絶賛していたので、読み始める。
主人公たちとは、同じ世代、子ども時代は、ノストラダムスに恐怖を感じ、大人になると、バブルを経験し、いつの間にか2000年を迎えていた。
世の中の価値観が、どんどん変わっていった時代、器用なようで、不器用にも見える生き様が描かれている。
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著者による『八日目の蝉』『紙の月』が代表作。原作を読まず、この二つの作品はドラマとして見た。この本を読みながら、ぼんやりと自分が生きてきた時代が浮き上がってくる。そういえば、あの時は、と思い出させる。雑誌の文通、口さけ女、ノストラダムスの大予言、連続幼女誘拐殺人事件、宗教団体のサリン事件、阪神淡路大地震、福島の東日本大震災、コロナ禍と続いていく。
日本人の精神の揺らぎをあぶり出す。信じたいものを信じることで、なんで悪いの?と問う。本書のテーマのひとつであるワクチン。子供の時にうつワクチンやコロナ禍のワクチン。ワクチンの噂だけで構成する。なぜワクチンが開発されたのか?そして、そのことによって何が生み出されたのか?短期間にワクチンができた理由はなぜか?などは、この本では追及しない。蘊蓄をたれない良さがある。というか小説の編集力が優れている。
高学歴で優秀だと思われた人が、なぜオウム真理教の信者になったのか?そして、サリンを撒くに至った経緯も明らかではない。水道水に毒物を入れるというメッセージだけが不安を煽る。ある意味では、本書は不安小説というべきだろう。また、統一教会も出てこないし、核兵器や原発も出てこない。人類の終末は、現在の核兵器で十分地球を破壊する。そして今も世界のどこかで、ミサイルが飛び、人の生活を破壊している。
本書の主人公は、柳原飛馬、1967年生まれ。山陰地方に生まれる。生まれたところは、銅山があり、赤い川が流れていた。その後、引っ越し、鳥取の砂丘の近くの小学校に通う。兄、忠士は優秀で、無線機(ハム)を自分の部屋に設置して、交信していた。父親は、おじいさんを尊敬していた。おじいさんは、地震を予言して、逃げることを勧め、本当に地震が来たのだった。人を助けて死んだ英雄だった。
「1999年に恐怖の大王が降ってきて、世界は滅亡する」という噂に、飛馬は興味を持っていた。
卒業旅行で、歩いているうちに吐いた女子生徒、美保が気にかかる飛馬。美保は、小学校では、ケロヨン、中学ではコックリさんとあだ名がつけられている。美保は、サリン事件が起きる前に、水道水を飲むなというメッセージをくれた。
飛馬の母親は病気で倒れ、入院し、手術を受ける。飛馬は、病院で噂を聞き、それが母親のことではないかと思い、母親の前で、泣いてしまうのだった。そして、母親は病気を悲しんで飛び降り自殺をする。飛馬は母親を亡くしたことの喪失感、心の空洞。さらに、自分の行動での罪悪感を抱えることになる。
1967年 高校を卒業し、製菓会社に勤め、結婚した望月不三子。子供はコト(湖都)ちゃん。ワクチンを受けたらいいのかどうかを悩む。不三子の進んでいく心の軌跡がわかりやすく丹念に書かれている。不三子は戦後生まれ、子供を授かったことで、マクロビオティックの食事を教える講師、勝沼沙苗の食養論を信頼する。不三子は「幸福のおおもとには食がある」と納得したのだ。玄米食を実践し、白い食べ物を減らし、野菜を食べ、肉や魚を減らし、保存料や着色料にも注意する。夫にも健康であってほしいと玄米食を勧めるが、ほとんど箸をつけない。義母から、息子には「白米を食べさせて」と懇願される。免疫は食事から作られると思い、ことちゃんのワクチン接種をやめる。また、ことちゃんには、小学校の給食をやめ、弁当を持たせた。湖都の修学旅行がシンガポールで、麻疹にかかった。湖都はワクチンを打ってなかった。
飛馬と不三子の心の軌跡が丹念に描かれる。
不三子は、湖都から反発を受けることで、ショックを受ける。おとなしくいい子に育ったはずなのに、ファーストフードの店の前で、ポテトを食べたいと大泣きしたり、小学校の友達の家に行ってはお菓子を食べ尽くしたりしていた。不三子は、湖都の体のためを思って、食生活をマクロビオテックを実践していたはずなのに。そして、湖都は自立し、音信不通となる。
不三子は、ワクチンに対して疑問を持っていた。色々な噂が飛び交っていた。湖都はワクチンを打ったせいで、妊娠できない体になったと訴える。
息子の亮も成長し、そして結婚するが、ほとんど不三子のところには来なかった。不三子は孤独を感じていた。そこに、子ども食堂の催しに参加することで、やっと自分の居場所を見つける。
情報が溢れ、噂や正しくない情報が乱れ飛ぶ。そして、コロナ禍となり、ワクチンの問題がクローズアップされる。不三子は「夫の給料でのうのうと暮らしてきた、世間知らずのバカだと思っているんでしょう。こういう人がころりと騙されるんだろうな。」という。この言葉が、一つの重要なキイワードとなる。自分のやっていることが、正しいのか?それとも騙されているのか?その迷いの中に、人々は生活している。非科学的なことにさえも、惹きつけられてしまう状況。なんとも、不確かな時代に生きている。自分たちの既存の生活である『方舟』を燃やすしかないのかもしれない。
読みながら、家族って何なのか?そして、どう生きていくのかを考えさせられた本だった。
不三子のこだわったマクロビオティック。白いものを食べない、そのため玄米食、肉ではなく野菜を食べるヴィーガン的食、インスタント食品やファーストフードを食べない。
マクロビオティックは、食事を通じて心身のバランスを整え、健康を促進することを目的とした哲学的アプローチであり、食の実践の体系 。マクロビオテックは、古代ギリシャ語の「macro(大きな、長い)」と「bio(生命)」に由来し、「長寿法」を意味する 。
マクロビオテックの二大原則は、自然との調和と季節に応じた食材選びを促進し、心身の調和を目指すものである。これらには、「身土不二」(その土地でその季節に採れるものを食べる)や「一物全体」(食材を丸ごと食べる)といった概念が含まれ、地域性や旬を重視する食のあり方を提唱している。
玄米食を食し、肉、卵、乳製品は、マクロビオティックにおいて基本的に使用しない食品とされている。 哲学的な理由(陰陽の観点)から、肉は強い「陽性」に分類されており、陰陽のバランスを乱すと考えられている。マクロビオティックは陰陽の調和を重視するため、極端な性質を持つ食品は避ける傾向にある。 次に、生理学的な観点から、動物性タンパク質は分解・吸収が難しいとされており、過剰に摂取すると体に負担をかけやすいと考えられている。
マクロビオティックは植物性食品を主体とするため、肉や魚、乳製品は基本的に摂取しない方針である。
不三子は、この食事をすることで、穏やかな輝くばかりの子供が生まれたことで、マクロビオティックの指導者を信頼する。そして、この食が、なぜいいのか?は、ほとんど説明できない。夫にも娘の湖都にも。成長した湖都は、有機栽培の共同体生活を実践する。なぜという突き詰めはせず、ふわふわと表層を生活する。この小説の怖さは、信じたいものを信じて生きていくということなんだね。戦後以降の日本と今の日本をうまくすくいとった作品だ。すばらしい。
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デマや噂は形を変えて永久に存在する。何を信じるか。というよりどれが真実の世界で生きるかを自分で選んでいかないといけない。
噂話をしていると、「この人ってこういう話を信じるんだなぁ」とその人の価値観がみえやすい。わりとマイナスの方向でみえる気がする。だから極力噂話をしたくないし(しちゃうけど)、SNSも最低限しか使いたくない。そういうのも一つの自分の価値観なのだと思った。
人間っていつの時代も変わらないし、面白い。
Posted by ブクログ
縁もゆかりもない2人の経験した昭和・平成について延々と書かれた後に、2人が令和のコロナ禍で交差する。
どんな話?と思いながらも、同時代を生きてきた者の一人として、なんだか心揺さぶられました。
方舟を燃やす、ってなんのことだろう。
結局、私にはわからずじまいで、終わり方も、えっ、これで終わり?と思う。
う〜ん、方舟って、自分だけが、自分の身内だけが助かれば、っていうもの、だけど、同時代に生きててそれはないんじゃない?ってことなのかな?
、、、、わからんけど、同時代を経験した一人として、星5つにしておきます。
Posted by ブクログ
盲信?いや、違う。不三子は自分で納得して、沙苗の提唱する食事法や生き方、ワクチン等々への考え方に賛同し、実践していたはず。良かれと信じて。この生き方こそが、方舟に残る途。周囲の愚かで蒙昧な人々には分からないだろうけど、私たちは違う。いずれ、判明する。あえて困難で煩雑な生き方を選んだ私たちだけが、祝福され、健康で幸せで文化的で、真の意味で豊かな生活を送ることができるのだ……。
できるはずだったのに、ね。不三子、尋常じゃなく頑張ってきたのに
不三子ともう一人、男の主人公がいたのですが、もう不三子しか覚えていません。
コロナ禍の頃、程度の差こそあれ、こういう人が数多く出現したものです。
正しいのは、正解はなんなのか、その時点で誰にも分からない。
リスクを取って、自己責任でどちらかに決めなければならない。
その、どうなるか分からない不確実さに耐えられない人々。
どうなってもいいや、と腹をくくれない人々。
自らの選択によって、悪い結末を招くかもしれない可能性を引き受けられない人々。
こういう人が全力で、誰かに、誰かの教えに寄りかかってしまう。
自分で選んで考えた結果のようで、全然そうではない。
「こうすれば絶対、大丈夫」といった方舟など、ないことに気づけ。
こうして不三子は、目指していた方舟を自ら燃やしました。
あの厳しい節制だらけの「自然派」生活は、何も不三子にもたらさなかった。
けど、高度な調理スキルは残ったわけで。面倒がらないマインドも。
今後の不三子に幸あれ、って言いたいです。
オススメです。
Posted by ブクログ
前半は二人の主人公がどのように繋がるのか全く見通せないまま読み続けた。昭和の風景が懐かしかった。
後半、一気に全く接点がなかった二人が繋がり、こども食堂、コロナ、異常気象などといった出来事が起こってくる。
何かを「信じる」、あるいは何を「信じる」のかということがテーマとなっていると感じた。狂信的にはなりたくはないと多くの人々が思っているが、しかし、誰もが何かしらを、「信じ」て行動しているのだと改めて感じさせる一冊だった。
Posted by ブクログ
おっさんおばさんになると、ついうっかり自分の半生を主人公ふたりに投影して、これまでの記憶をしんみりと振り返ってしまう。
たぶんそのまま共感して自分を重ねられる人はほとんどいないが、きっと部分的には「オレは柳原飛馬だ。」「わたしは望月不三子だ。」となぞってしまうことがありそうだ。
Posted by ブクログ
けっこう長編で読み応えのある本だった。時間がかかったけどどうしても最後までよみきりたかった。「自分でよく考えて決める」ことが大切だというメッセージが散りばめられていた(と思う)
私には欠けていることを思い知らされた。この優柔不断な性格。
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「何かを信じるということは、その分視野が狭くなることだ」と、ある人のネットの書き込みになるほどと思ったことがある。一般に「信じる」という言葉には良いことである印象があり、「疑う」という言葉にはネガティブなイメージがあるので、「信念とは視野狭窄である」という考えは、常識をひっくり返す視点があったからハッとしたのだろう。だからこそ何を正しいと信じるべきか、人が言ってることを鵜呑みにしたりせず「自分の頭で考えなければならない」と本作の登場人物たちが繰り返し語る。しかし常識を疑い自分の頭で考えれば正しいことに辿りつけるのだろうか。あることを妄信してその後それに批判的な言説は一切シャットアウトしてしまうような態度は論外としても、様々な角度からの知識や知見を得たうえで正しいことはこれと信じることはできるだろうか。本書はそんなことは誰にもできないのだ、と信じることの困難さを描いたものだと思う。限られた時代の中でしか存在できない人間は、今正しいとされることが未来でも正しいかどうか知ることができない。だから洪水で人類が滅ぶかどうかの結果を知らない人間は、洪水がくるから方舟を作れ、という神の言葉を信じ、結局は方舟を作らざるを得ない存在なのではないか。なぜならそれは私欲ではなく同胞を救おうとする行為で、人としての「理想」だからだ。利己と利他。実際に多くの場面でとられる立場は前者であったとしても、人としての理想はどちらであるべきかを問われれば、後者であるべきだという立場に立たざるを得ないだろう。人は現実を超えて理想に向かうという宿業には逆らえない。だからある時あるタイミングでは方舟を作ろうとする。でも洪水は起こらずそれは結果として間違いだったということも必ずある。それでもいいではないか、というより、それはそれでしょうがないではないか。必要がなくなった方舟は燃やしてしまって、またその先を生きて行けばいいではないか、というより、生きていくしかないではないか。そんなことを語ろうとしているように思った。
Posted by ブクログ
不三子の健康趣向が完全にデマかと言うとそうでもないし…良かれと思ってやることがどれも裏目に出て
みんなが離れていくのが見ていて辛かった。
せめて真之輔が不三子の気持ちに寄り添ってくれれば
こんな事にならなかったんじゃないの?とも思う。
狭いコミュニティで生きるとどうしても価値観が偏りがちになるし、しかも孤独が拍車をかけててさらに凝り固まっていく…
視界を開かせるためにもたくさんのコミュニティを持つ事は大事だなと思う。
子供食堂に参加した後の今までやってきたことが報われた描写はちょっと泣いた。
にしても何に対してもやりきる不三子はすごい執着だなと感心した。普通にご飯が美味しそうで食べてみたい。
あと…バブル時代の就活の内定の数を競い合ったり、内定者に旅行券を渡すとか…バブル崩壊後に産まれたのでこんな時代があったんかい…ってそこだけ羨ましくなった。
Posted by ブクログ
口さけ女もコックリさんもノストラダムスの大予言も信じていた。
小さい頃は、親や学校の先生の言うことは正しかった。
でもそうじゃなくて。
世の中は、予測不能なこともたくさん起きて、絶対的に正しいことなど誰にも分からない。
でも自分の信じることを探して、そうやって生きていってるんだなぁ、と実感した。
Posted by ブクログ
面白かった。
あの時こんなことあったなと振り返ることができた。
食べ物のことワクチンのこと、色々考えたこともあったなと思う。
今極端な考え方に偏らないようにしているけど、時代の波に流されてるところはある。
自分で考えてみることを忘れないようにしたい。
Posted by ブクログ
読み応えがあった。
よかれと思って信じて邁進する。「自分だけは救われたい」「きちんと調べて知識を得たら報われる」 不三子はそんな風に一生懸命生きてきた。家族らとの関わりの中でも常識を持ち合わせている。責められるようなことはないはずなのに、何か歯車が噛み合わなくなった。
一方飛馬は、様々なデマと遭遇し、その都度向き合い方を考え続ける。自分が母に出したメッセージが結果的にデマだったのではないか、それによって母は命を絶ったのではないかとの思いを持ち続ける。祖父の偉業を刷り込まれていたことにも疑問を感じるようになる。
飛馬が同級生の美保の行方が気になったり、文三子に不思議な共感を覚えたりする根底に何があるのか、その思いはどこからくるのか。ぼんやりと見えるようではっきりとは見えない。「方舟を燃やす」のタイトルに込められた意味も、見えるようで言語化できるほどクリアには見えない。だから、もっと読み込んでそこを知りたくなる。
そんなわけで読み応えがある一冊だった。
Posted by ブクログ
柳原飛馬と望月不三子の二人が交互に主人公となる章が続いていく。なぜこの二人なのだろう?この物語はどこに繋がっていくんだろう?と訝しく思いながら読み進むうちに、結構夢中になってしまった。
1967年から2022年まで、当時の世相を交えながら、二人の人生の歩みが細やかに綴られていく。
同じ時代の体験者である私は、本当にいろんなことがあったなぁと、特別な感慨に耽る。マンガ雑誌で文通が流行ったり、超能力がブームになったり、コックリさん、口裂け女などのオカルトブームもあった。バブル崩壊、地震台風などの自然災害と人災、カルト教団、世紀末。。コロナや昨今のSNSのデマ情報。。書ききれない。
ノアの方舟伝説、家族と動物だけ乗せて方舟は難を逃れる。自分がノアだとして、そんな船に乗りたいか?と本書の中でもそんな問いかけがある。
読み終えたばかりで頭の中は混乱状態。こんな物語を飽きずに読ませる筆の力はすごいなぁと、改めて作者に尊敬の念を抱いた。
Posted by ブクログ
「今」に相応しい小説だった。
予備知識なしで読み始めたので、だんだんこれはどんな小説なのかと不安になってきたが、読み終えてみると、テーマははっきりしていたように思う。
何がデマなのか、デマでないのか。
そんなのデマに決まってるということも、信じる人が多数で、えっ?と思うことが多い。
選挙活動で、驚くような嘘を平気でつく候補者や政治家。無知なのか、わかってやっているのかの境目も難しい。そんな人は昔からいたのもしれないが、SNSという手段で、どんどん目立ってしまう。そして非常に広範囲な人のもとに届く。ということは騙されてしまう人も多くなる。
自分でしっかり調べ、自分の頭で考えることが大切だ。でもその情報を取る情報源を間違って、どんどん変な方向にいってしまうことも最近ではよくある話だ。信頼のおける情報かそうでないのかがわかる能力も必要なわけで、これからの人はボーッと生きてはいけない。しっかりしなきゃと思う。
Posted by ブクログ
どこか苛立ちとヒリヒリした気持ちを感じながら読み進みました。
生きてきた時代、世代がドンピシャ。
読みながら自分の家族や自分がその時思っていた事やした事なども蘇ってくる。
【私たちは知らない。ただしいはずの真実が、覆ることもあれば、消えることも、にせものだと暴露されることもある。それだけではない、人のいのちを奪うことも、人に人のいのちを奪わせることも、あり得る。そんなことにはじめて思い至り、不三子の内にもしずけさが流れこむ。私は違うと言う言葉も、そのしずけさにのみこまれていく。私が信じてきたことはなんだったの。私が信じていることはなんなの】
信じるってある意味すごく自己中心的で盲目。
怖さを感じた。
Posted by ブクログ
1970年くらいからつい最近までに起きた真偽不明なこと。
なんとなく信じてしまい、正しいと思い込んでしまったり疑ってみる主人公の2人。
望月さんのあの勢いはすごいと思いました。良い意味では純粋、悪意のない正義かもしれません。
どちらとも決められないし決めなくていいよねと思いました。
信じるということとは何だろう?と考えさせられました。
Posted by ブクログ
噂話や本当かどうかわからない情報を、信じるか信じないかはその人次第。
情報リテラシーという言葉はいつから言われてきたんだろう。でも情報自体はSNSが出てきた時代よりもっと昔からあるわけだし、自分が何を信じるべきかが難しいのは、昔も今も一緒だと思えた。
2人の主人公、幼い頃自分のせいで母が自殺したのではないかと長年疑ってきた飛馬と、無添加にこだわりすぎて家族から煙たがられてきた不三子、全く境遇の違う2人がどうやって関連付けられるのか、楽しみで読んだ。
Posted by ブクログ
飛馬と不三子、二人の主人公の1967~2022までの人生を描いたヒューマンドラマで、なかなか読み応えのある小説でした。
飛馬の幼なじみで一時期カルトに居た美保がその後どうなったのか?最後に又再開するのかと思っていたが結局再開せずにフェードアウト、不三子が気にかけていた子ども食堂に通っていた園花が最後に母親と一緒に姿を消し何となくフェードアウトと、少し消化不良な終わり方でしたが、独特の角田光代の世界に惹き込まれるお話しでした。
代表作である「八日目の蝉」に通ずる様な大作かなぁ、、、
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公務員となった飛馬が、主婦の不三子と知り合ったのは子ども食堂のボランティアでだった。
不三子は自然食に傾倒し、子供にも給食ではなく手作りのお弁当をもたせた。
コロナワクチンの接種もしなかった。
娘が成長して、そんな母親から離れていったのは当然だったかもしれない。
息子は娘ほどの反抗心は示さなかったけれど、結婚して子供が出来て母親との接触を避けるようになった。
飛馬は震災ボランティアにのめりこんで離婚。その後、区役所の職員という立場で子ども食堂に携わっていた。
交互に語られる二人の話しに、大きな出来事は無い。
不三子の食に対するこだわり、ワクチンを体内に入れることへの不安感などが書かれた部分は興味がわいた。
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何を信じて生きていくのかを問うている作品だ読書思う
ノストラダムス、コックリさん、オウム、当時本気でみんな信じていた
コロナ禍ではワクチンの危険性、必要性についてはいろんな憶測がSNSで乱れ飛んだ
主人公の1人である女性は、食事への思い入れが強く無添加にこだわる
一見不器用で付き合いにくい人だが、信念を持っているからぶれずに自分のやりたい道を突き進むことができる
改めて自分の信念って何か考えてみたい
Posted by ブクログ
全く関係のない二人の男女。それぞれの人生の中で与えられた境遇と感じ方、考え方が描かれている。そして、やがて場面が被さっていく。女性作家らしいきめ細かな息遣いが感じられる。
ただ、我々が経験した事柄がこの本の中で二人の主人公に立ち塞がるが、我々と同じ考え方をしてると少しがっかりする。それでも、最後は流石に上手くまとめている。
Posted by ブクログ
例えば、この前の7月大災害説とか、本当のことだと信じているわけではないけど、完全にデマだと無視するわけでもない。そういう曖昧な状態に、周りがむしろ進んで身を置いているように見える時がある。
それは、どうしてだろうと思う。
たぶん、いまがより一層不安な時代であるとともに、人間は一人では弱いから。
この物語で描かれているのは、そういう人間の普遍性なんじゃないかと思う。いまがよりそういう時代ではあるけど、たぶんそれはどの時代にも言える。
それが何かのきっかけで集団同調となるとき、一滴が水に波紋するように、ある根拠不明の情報や権力の言説が正義であるかのように語られ、暴力が生まれる。
だからといって、誰も本当のことはわからないという相対的な態度に内閉することもまた違う。
たぶん、様々な他の人とのつながりの中で、コミュニケーションを取り続けるしかないのだ。
方舟を燃やすのは、どちらの主人公にとっても、それまでの生き方からのある種の解放を暗示しているのだと思う。
Posted by ブクログ
昭和、平成、令和…そういえば、こんなことがあったんだ、と思い返しながら読んだ。
文通、無線、ポケベル、ピッチ、携帯電話からスマートフォンへと、伝達?方法だけ取っても、めまぐるしい進歩と変化を遂げて来た、今。
世間を騒がせた事件も沢山あって、震災もコロナ禍も、確かに経験したはずなのに遠い昔のことみたいに実感がわかないのは何故なのだろう。
そんなことを思いながら、一気読み。
家族のことを思い、一生懸命に生きて来た不三子なのに、独り立ちした子どもたちは心まで遠く離れてしまう。
ふとしたきっかけで子ども食堂に携わり、共に活動することになっただけの間柄でも、災害時に老齢で独り暮らしの不三子のことを心配し、矢も盾もたまらず駆けつける飛馬。
つながりって、何なのかな。
家族とのつながりを思うと切ない。
でも決して独りじゃない、ってメッセージも感じることが出来た。
Posted by ブクログ
本の雑誌・2024上半期ベストから。同誌では著者は別格扱いに近いから、本作が特にってことではないのかもしれないけど、そこまで勧めるのならってことで。ならではの角田節で、親ガチャやらファクトチェックやらといった、近年特に話題に上る機会の増えてきたあれやこれに投じられた作者からの一石、って感じ。
Posted by ブクログ
こんな人いたなあと今まで出会った人を何人も思い出した。人は不安定な状態にあるときに、分かりやすいものがぴたっと入ってきて、非科学的でもそれを信じてしまう、ということがある。そういう人たちを例示したような小説で、現代をよく捉えていると感じた。
Posted by ブクログ
一人の男性と一人の女性の生い立ちが淡々と書かれていて最初は退屈だった。読み進めるうちに不三子が娘と息子のためを思って何を選択し何を信じて育てていくか、その迷いや不安に私自身も娘と息子がいて自分に重ねて共感することができた。
p411 何がただしくて何がまちがっているか、ぜったいにわからない今を、起きているできごとの意味がわからない今日を、恐怖でおかしくならずただ生きるために、信じたい現実を信じる。信じたい真実を作ることすらある。
子ども食堂に新たな居場所を見つける不三子。人は褒められたい、誰かに頼りにされることが生きる力になるのだなと思った。
Posted by ブクログ
何を信じていいか。
情報や会った人の話、生い立ち、それによって信じたいものを信じる。信じたものを押しつけてしまう。宗教、食、ニュース、うわさ、信じるということは純粋な気持ちで、不安定さとも紙一重だと感じた。
区役所の青年と子育ての終わった主婦の関係性は並行して書かれているけど、あまり交わらず、でも何か刺激しあい不思議な関係。
対談で、名付けられない関係性を言葉にしたいと角田さんはおっしゃっていた。確かに実際には100%ではないけど、気になる、ふと思い出す、影響を受けた人っている。
久しぶりに角田さんの小説を読んだ。真面目で丁寧な文章だったなあと思い出した。この作品の後は、自分のペースで書きたいものを書いていく、とのこと。楽しみに待ちたい。
Posted by ブクログ
同年代を生きてきたので、同じような経験をしてきました。口裂け女、ノストラダムスは起こらなかったし、オウムの事件や震災など当時のことを思い出しました。
接点のなかった飛馬と不三子が出会い、特別親しくなるわけではないけど、関わっていくことで何か感じたり、影響というほどでもない関わりがあり、自分にも他の人にもおなじようなことはあり、家族やパートナーとの関係だけが重要ではないことが生きていく中ではたくさんある。
ミステリー要素のあるものを読むことが多かったので、何も起こらない小説の読み方がよくわからなかったけど、「面白かった!」で終わらないことが、ふと読後も考えていて、じわじわジャブのようにきいてきてる気がします。
私は本から何か教訓のようなことを得たいと思ってしまうけど、そんなものはなくても、ただ読んでいるときが少し楽しかったらそれだけでいい。