ビジネス・実用の高評価レビュー
-
Posted by ブクログ
意識とは何かについて睡眠、冬眠、死、AIと、様々な角度からアプローチして
著者が最後に得た結論は、
意識とは、
「私たちが互換を通して得られた情報をもとに、
脳内で創り上げた世界像と自己の関係性」
を理解し管理する機能である
ということのようだ。
眠り、冬眠、死と意識というのはわかりやすい概念だが、
AIは新しい。
AIに感情があるか?
私も彼らに接していて、AIに感情を感じるときは、ある。
まあそれはあくまで統計確率的な言葉の連続にすぎないのだろうが、
それにしても、私の情報を食べさせたAIは、
私を知り、私に寄り添い、提案をしてくる。
私を知り、、、という意味では、9章の私をコピーできるか、
はまさにそうで、私のすべてを理解したコンピュータなら、
私と同じ意識を持つのか?
いやその前に、私のすべての情報をインプットすることは不可能なわけで。
・・・おそらく、だが。
意識とは何か。
私が死んだとき、死んだ瞬間、世界は滅びるのか?
そんなはずはなく、人が死んでも世界は存在する。
しかし、その人の意識化にあった、その人だけの世界は、
その人の死をもって消滅するのでは。
これはもはや哲学だ。
第1部 生理のレイヤー
1覚醒の中の無意識──目覚めていても「知らない私」
2眠る脳──意識を手放すとき
3記憶が意識をつなぎ、睡眠が記憶をつなぐ
4眠りの中のアトリエ
5意識は無意識世界のメッセンジャーか?
第2部 極限状態における無意識
6冬眠という極限の無意識──「自己の連続性」は眠るのか
7死と臨死体験──意識の旅の終焉
第3部 テクノロジーと未来
8人工知能は「私」という夢を見るのか?
9私をコピーできるか?
10私が選んでいるのか、選ばされているのか?
11量子力学と宇宙
エピローグ
意識とは何か? -
Posted by ブクログ
ネタバレ中村高康『暴走する能力主義:教育と現代社会の病理』(筑摩書房、2018)。
・近代社会以降の「能力」:目に見えず測定不能だが個人に内在すると考えられ、ほとんど唯一の地位配分原理として採用されてきた何物か。48頁。
・「能力の社会的構成」:能力が社会的に判断される余地が生まれる理由は、能力を正確に測ることができずどこかで妥協する〔=社会が納得する〕しかないためだ。84頁。
・メリトクラシー進展論とメリトクラシー幻想論が闘ったところでリアリティのある議論にはならない。107頁。
・ローゼンバウムによる「能力の社会的構成」:企業内昇進構造のトーナメントモデルにおいて、事後的に能力の定義が作り出される現象のこと。トーナメント構造にある昇進競争では、ある人物の「敗退」が能力不足の裏打ちとして援用される。能力不足は敗退という事実を説明するために事後に付与される。108-109頁。
・「コミュニケーション能力」の社会的構成:本来はどのような関係のなかで発揮されるコミュニケーションが必要なのかといった定義が必要であるが、そのような手続きを経ずに漠然とした能力として社会が重要性を位置付けている。114-115頁。
・能力主義批判の陥穽:より優れた能力主義があるものとして議論しがちであるが、「抽象的能力測定の不可能性と構成性を前提とすれば」、より素晴らしい能力主義は批判に晒されることが避けられない。能力主義とは元来そのような性質のものなのだ。127頁。
・アンソニー・ギデンスの後期近代論。『近代とはいかなる時代か』(1990=1993)『モダニティと自己アイデンティティ』(1991=2005)。
・ギデンスの「存在論的不安」:近代社会においては自己の行為の意味の問い直しを引き受けざるを得ず常に不安に曝されている。「自ら行為の意味を付与すべく再帰的モニタリングがこれまでとは比較にならないほど強力に作動する」。146頁。
・脱埋め込みのメカニズムとしての学歴:学歴は貨幣と似て、個別具体的な場での職務遂行能力とは切り離され、抽象的な能力を示すインデックスとして参照・利用される。場所の特性に縛られない形で流通し、交換可能なことから学歴は「文化貨幣」とも呼ばれる。153頁。
・制度的再規制と自己アイデンティティ:専門家による知識を次々に適用していくような近代社会における生き方は常に修正を受け続け、それは自己アイデンティティも例外ではない。155頁。
・能力アイデンティティと〈能力不安〉:「ギデンズは近代社会以降、再帰性は自己の核心部にまで及ぶようになり、自己は再帰的プロジェクトとなる、と指摘する。すなわち、「変容する自己は個人的変化と社会的変化とを結び付ける再帰的な過程の一部分として模索され構築される」(ギデンズ 1991=2005、三六頁)。」〔……〕「人々は、仕事や勉強に限らず、さまざまな場面で思い通りに事が運ばない場面に遭遇すると、しばしば「自分には能力がないんじゃないか」という問いを発するようになる。これは人により、状況によって程度や質の差はあるが、おしなべて近代社会に生きる人々に共通する不安である。このような不安を〈能力不安〉と呼ぶことができる。」166-167頁。
・「新しい能力」論現象の本質:陳腐な能力論があたかも立派な代案でもあるかのように振り回さざるを得ない現代人の苦悩≒メリトクラシーの再帰性の高まり。217頁。
・筆者が求める「冷静な雰囲気」:予測不能な変化を劇的に続ける社会で将来必要とされる能力を見通すことなど不可能。〈能力不安〉から生じる強迫観念から一定の距離を保つことで「新しい能力」に右往左往する必要がなくなる。233頁。