あらすじ
人生の変わる場所──。
カウンセリングが、いま社会へとひらかれる。臨床心理学の歴史に打ち立てられた、新たな金字塔。
■精神分析、ユング心理学、認知行動療法、家族療法、人間性心理学──
バラバラに乱立する心理学を俯瞰し、メタな原論が示される。
■身体を動かす、世界を動かす、からだを動かす、視点を動かす、心を揺らす──
カウンセリングは聞くだけじゃない。アクティブに5つの介入がなされる。
■いかに生き延びるか、いかに生きるか──
カウンセリングには二つのゴールがある。生活を守ることと、人生をちゃんと生きること。
「カウンセリングとは、近代の根源的なさみしさのなかで、人が可能な限り、正直に、率直に、ほんとうの話をすることを試み続ける場所である。」──「5章 カウンセリングとは何だったのか──終わりながら考える」より
【目次】
まえがき ふしぎの国のカウンセリング
第1章 カウンセリングとは何か──心に突き当たる
第2章 謎解きとしてのカウンセリング──不幸を解析する
第3章 作戦会議としてのカウンセリング──現実を動かす
第4章 冒険としてのカウンセリング──心を揺らす
第5章 カウンセリングとは何だったのか──終わりながら考える
あとがき 運命と勇気、そして聞いてもらうこと
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Posted by ブクログ
いい本だった。
新書の割に厚くて物怖じしていたけれど、読んで良かった。
カウンセリングとは何か?
それは生活を回復するための科学的営みでもあり、人生のある時期を過去にするための文学的営みでもある。
カウンセリングとは、近代の根源的なさみしさの中で、人が可能な限り、正直に、率直に、ほんとうの話をすることを試み続ける場所である。
---以下要約---
・カウンセリングとは何か?という問いそのものを扱う本。技法やマニュアルではなく、カウンセリングを支える思想・姿勢・歴史・臨床経験を立体的に描く。
・カウンセリングは「生活を回復するための科学」と「人生を過去にするための文学」の両面を持つ。
-科学的側面:症状、行動、認知、環境要因を理解し、現実的に生活を立て直す実践。
-文学的側面:語り直し・意味づけ・物語化を通じて、苦しい時期を「過去の章」へと位置づける営み。
・「語ること」そのものが治療の核心。
-ぐちゃぐちゃした感情、未整理の経験、言葉にしづらい葛藤を、あるがままに話し、聴いてもらうことが変化を生む。
-近代の人間は「誰にも真実を語れない孤独」=根源的なさみしさを抱える。それに対抗する場がカウンセリング。
・カウンセラーは「専門家としての謙虚さ」を持つ存在。
-人を“治す”のではなく、語りが生まれる条件を整え、クライエントが自分の生活を取り戻すのを支える。
-過度に指示したり、助言を押しつけたりすることはせず、語りを開くための介入を最小限に行う。
・「正直に率直にほんとうの話をする」ための枠組みを守る職業。
-守秘義務、時間枠、役割の境界などの規律は、自由に語るための“檻”のような安全装置。
-自由な語りは、無秩序ではなく、枠組みがあることで生まれる。
・変化とは「新しい意味が生まれること」。
-出来事そのものは変わらないが、語り直しによって位置づけが変わり、本人の“現在”が変わる。
-痛みが消えるのではなく、「その痛みを抱えても生きられる構造」が変わる。
・カウンセリングは“直線的な改善”ではなく“揺れ戻りを含んだ過程”。
-相談は、行きつ戻りつ、沈黙や混乱も含む長いプロセス。
-その「揺れ」が、語りの深まりにつながり、やがて変化の閾値を越えていく。
・技法や学派よりも「関係」が本質。
-認知行動療法でも精神分析でも、人と人がその場で生じさせる“関係”が変化をもたらす共通要因。
-「相手に対して真摯であろうとする姿勢」こそ技法に優先する。
・カウンセリングは「ひとりの生活が壊れないように支える公共的な装置」。
-心理的支援は個人のためでありつつ、同時に社会を維持するための仕組みでもある。
-近代社会の孤立・断片化に対する“社会的な補助線”。
・最終的にクライエントが得るのは“自分の人生を語れる力”。
-それは「過去を過去にする力」。
-カウンセリングは“問題を消す”のではなく“人生を進める力を回復させる営み”。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ良かった。
本書は、カウンセリングというものを体系的に整理し、原論を導き出そうというもの。
専門知識が土台にありながらも、社会側(ユーザー側)における位置づけとして整理することで、素人にも読みやすい読み物となっている。
また、架空のユーザーが登場し、実際のカウンセリングの様子をエピソード仕立てで要所要所に配置されていることで、感情移入しやすく、惹きこまれる。
かといってただの小説や物語になっているのではなく、理論も語られていて、読者を引き込む物語と理路整然と整理された論文調のバランスが素晴らしいと感じた。
本人も語られているが、まさに東畑先生の集大成でありその達成感を感じた。
レベル感は全く異なるが、自身が大学院で研究論文を書いた時の感覚に近いのかなと勝手に考えていた。
Posted by ブクログ
本書を読んで、もっとも衝撃的だったこと。
「人生の脚本は反復される。」
それが面接室で、カウンセラーとの間に「転移」するということ。
たしかにと、思ったこと。
「人は自分の物語が聞かれて初めて、人の物語と共存することができる。」
「古い物語を終わらせないと、人生の次の段階に進めない。」
面接室で展開されるカウンセリングはドラマチックで、形を変えて誰にでも起きうることで、読み進めるのがスリリングでさえあった。
カウンセラーは誠実な人だけれど、全知全能の神ではないし、完璧でもない。また、その必要もない。その意味で、家族と身近な大切な人たちに対して素人にもできることはあると思った。家族の役割、責任も本書からひしひしと感じた。
人は人に話を聞いてもらうことでしか、癒されないし、自分の心を整理できない。誰とでもとは言わない。少数でも、誰かにきちんと自分のことを語り、近しい人の話をちゃんと聞きながら、健やかに生きることがいかに大切かを本書から学んだ。
スリリングで、学びが多く、人生を支えてくれる本。物語りとしても、啓蒙書としても、解説書としてもとても面白い稀有な良書だった。私の人生における繰り返される脚本とは、なんだろう。私は今、なんの物語を終わらせる必要があるんだろう。読後世界との向き合い方が大きく変化する。そんなすごい本だった。
東畑開人さん、そして河合隼雄さんの未読の本も読みたい。
Posted by ブクログ
難しい内容もありますが、大部分は、筆者に語りかけられているような感じで、すっと頭に入ってきます。
後半は一気読み。自分自身の物語を頭の片隅で考えながら読みました。
Posted by ブクログ
新書としては分厚いがカウンセリングのやりとりが書かれているためであり読みやすい
少し胡散臭いカウンセリングが具体的に詳細に解き明かされる
人生の脚本は反復される。
転移とは人生の脚本がカウンセラーとの間で再演されることである。
このようなことが起こるのは人は人との関係をだいたい同じ型でしか築けないからだろうか。
こどもを持つか迷っていた女性のカウンセリング
仕事で休まらない若い男性のカウンセリング
この展開が圧倒的
整理しながら読み直したい
たまたま斎藤学を扱った本を読んだのもタイムリー
Posted by ブクログ
「話をするだけ」という印象のあるカウンセリング。それだけでどうして精神が変わっていくのか。そんなブラックボックスにも思える不思議な営みを懇切丁寧に解説した一本。人生の「脚本」をやり直すのに伴走をし、「こころ」を揺らしていく営み。私自身はカウンセリングは単発でしか行ったことがないが、冒険としてのカウンセリングの章はとてもぐっときたし、自分の今まではどうだったか、そんなことを振り返ることもできる本なのではないか。まさに例の女性とよく似た年齢の今、読めてよかった一冊だった。
Posted by ブクログ
カウンセリングについて凄くよく分かる。こんな本は初めて読んだ。カウンセリングが素人ができるようなものではない事もよく分かって、知ったかぶりをしなくて済んだのも大きい。是非多くの若い人に読んでもらい、カウンセラーになってもらいたい。大袈裟ではなく、非常に重要な仕事だと思う。
Posted by ブクログ
会社の人が休職し自分の心やメンバーの心を理解するヒントになるかと手に取った
読み進めるとどちらかというと自分の心を振り返ることが多く、また冒険のカウンセリングは面白そうだった
心の進み方やカウンセリングの大きな流れを理解した
心の動き方についてもう少し知りたいと感じた
Posted by ブクログ
大満足な内容で、しっかりと分かりやすい文章で進めてくれている。カウンセリングについて、ここまで分かりやすく共通性を見出してかける人はこの人だけしかいない。
カウンセリングの教科書みたいなものやな
Posted by ブクログ
カウンセリングとは何か?臨床心理士、公認心理師の著者がまとめた本。
作戦会議としてのカウンセリングと冒険としてのカウンセリングがあり、前者は非常に理解しやすいが、後者はとても奥が深い。
後者のカウンセリングはとても変化が大きく、カウンセラーの方の負担が大きい大変なものに感じた。
今までモヤッとしていたカウンセラーの中身を少し識ることが出来、とても良かったと。
Posted by ブクログ
カウンセリングという閉ざされた空間で何が起きているのか。
カウンセリングには二種類ある。
ご飯を食べて寝て生活する、生存のための変化。
生活はできている上で、どう生きるか、実存のための変化。
生きながら「小さく死ぬ」を繰り返す。
終わらせてまた新しくはじめていく。
そうした生活が自分の力でうまくできないときに、カウンセラーに聞いてもらう。
ただ話を聞いてもらうということが、なぜだか心を落ち着かせる。
とてもわかりやすく"カウンセリングとは何か"を言語化してくれていて、おもしろかったです。カウンセリングを受けたことはないですが、受けた気になった読後感でした。
Posted by ブクログ
外から見ると分かりにくいカウンセリングをわかりやすく説明した一気読みできる鈍器新書。カウンセイリングを作戦会議と冒険と分けて、認知行動療法的なカウンセリングと精神分析的カウンセリングに分けて解説。その成り立ちや歴史、現代に至る問題点など、公平な意味での社会的な視点も入れて解説しておりバランスが取れている。自分後もっと若い時にこのような本があれば、苦労しなくて済んだのにと思う書であった。
Posted by ブクログ
対話やカウンセリング、きくことや物語ること、それによって生じる「変化」が人間にとって無くてはならない過程であること、そしてそれが軽視され続けている現代社会を生きる身として、足元を照らす灯台になってくれるような本。
不安定で不可視である「心」という概念を数値化し、それを偏重しすぎている傾向がみられる近年の心理学に対して、学生時代から不信感を抱いていた自分にとっては希望の書ともいえる。科学的な心と文学的な心、分かりやすい心と分かりにくい心、そのバランスを現代だからこそ学問として取り戻していってほしいと切に願う。
Posted by ブクログ
この本を読むとカウンセリングの解像度が上がる。カウンセリングは人の心を読むような魔法ではなく、信頼関係の上に成り立つ対話である。自分も実存的カウンセリングを受け、手解きを受けながら心の内面と対峙してみたいと思った。
Posted by ブクログ
「話を聞いてもらうこと。長い長い話を、複雑で矛盾に満ちた話を聞いてもらうこと。そのようにして聞いてくれる人が安心して居てくれたこと。これこそが重要なことなのでしょう。
ついてきてくれるなら行きましょう。
これが勇気の正体です。」(P.436)
カウンセリングを受けてみたいと思ったし、自分も人の話を聞きたいと思った。
Posted by ブクログ
カウンセラーという仕事は、人の心に寄り添う一方で、とてもハードな職業だと感じた。
暴言を浴びたり、話が噛み合わない人と向き合うなど、精神的な負担が大きい。
それでも、心を大切にするために書かれた本には、大きな意味があると思った。
「心はつらい」という言葉が印象に残った。
心のせいではないことまで心のせいにしてしまうという指摘に、深くうなずいた。
心は頭と体の間で折り合いをつける“中間管理職”のような存在なのだと思った。
また、「自分がどうなるのが良いのかわかること自体が回復なのかもしれない」という言葉もあり、この本を通じて、自分自身が静かにカウンセリングを受けているような気持ちになった。
Posted by ブクログ
一時期河合隼雄にはまって、誇張でなく50冊ぐらいは読んだと思うけど、それでもまだカウンセリングというものの実態はよくわからなくて、なんか魔法のように心を解き明かして生きやすくしてくれるものという憧れのような思いが醸成されていた。
その後東畑さんの『居るのはつらいよ』を読んで、なんだろうな、ケアとセラピーのちがいみたいなものに目をひらかれ、さらにいくつかの著作を読むにつれて少しずつ、「魔法のカウンセリング」というイメージが変容してきて、本書でおぼろげながら全体像がつかめた気がする。
とくに、アセスメントと転移について、具体例をまじえながらていねいに書いてくれたのがすごくよかった。「転移」は、言葉としては理解していながら、曖昧模糊とした概念のままだったけど、そういうことなのね、と。
それから「終わり」について具体的に記してくれたのも、たいへんよかった。「毎回の終わりは「自立」としても体験される」「カウンセリングには根源的なさみしさがあることであり、それは孤立として体験されることもあれば、自立として体験されることもある」「これはすべての人間関係に備わる普遍的な苦しみです。大事な人でもあるが、結局他人でもあること。親友にせよ、パートナーにせよ、家族にせよ、つながっているようで切れているところも必ずある」
……そのさみしさをユーザーとカウンセラーとでしっかりと見据えながら終えていくということが、自立につながっていく。最後はたしかに文学的で、なにか胸をゆさぶられるような感動があった。
Posted by ブクログ
僕はカウンセリングを受けてはないけど、心の鎧は分厚いんだろなと自覚した。
それは1人では脱げそうにないこともわかったし、脱げなくてもいいやとも思ってる。
でも自分を変えるためには他人があって、鎧を緩ませスライムを引き出してくれるような支えになる人が必ずいるとも。
結婚相手探さないとな(*_*)
カウンセリングとは変化すること。カウンセラーはそれを手伝い、ユーザーは変化していくし、カウンセラーもまた変化していく。(新しい発見)
変化とは過去までの鎧を脱ぎ捨て、これから新しい自分として生きていくことなのだ。
それには苦しみ「破局」が必ず伴う。
それを受け入れながら解説をするカウンセラー。
尊い仕事だと思いました。
カウンセリングの経過の一部を語ってくれるところで、東畑さんがめちゃくちゃに言われていた場面。
そこで、「ああ、僕が無能だからか」とか著者自身の気分気持ちの変化も書かれていて(あたりまえだけど)そんなこともあるんだなと思った。
Posted by ブクログ
【印象に残ったポイント】
☀︎孤立しているとき、心は現実を見失うが、他者がそばにいるときには、心には現実を見つめる力が戻ってくる。
☀︎人と人とが素直に打ち明け合い話し合うことが、個人的な文学=自分らしく実存することを可能にする。
☀︎[ついてきてくれるなら行きましょう]聞いてくれる他者が安定して居るとき、人は自分の過去を俯瞰して振り返り、古い物語を捨て、勇気を出して変化する。こうして個人的な物語を作っていく。
心の強さと弱さ、不思議を感じるとともに、人は究極的には孤独である一方で、それぞれが自立して自分の物語をつくっていくためこそ他者の存在が不可欠であり、誰かがいることで自分が変化する勇気がわくという結論が面白いかつ希望を感じさせるものだった。変化するのは自分自身だけど、その後押しをするのは安心して聞いてくれる他者。人を見つめる視線が温かい本であり、自分も誰かの支えになりたいと思える。
一方自分の心が鎧を被っていないかどうかという視点を持つようにしたいと思った。
Posted by ブクログ
著者の実体験をベースに、カウンセリング手法を説明していく。思ったより踏み込んで、カウンセリングそのものを説明してくれている。
自己ー心ー世界モデルは、心というものの理解が新たになった。無自覚に変化し続ける心と絶え間なく揺れ動いていく世界、その調整弁として心がある。そう捉えたのは初めてだったが、すごくしっくりきた。
それにしても普段見ることのないカウンセリングの現場は壮絶。特にクライアントが過去の体験を投影していくシーンは迫力がすごい…日々お疲れ様です…
Posted by ブクログ
◆ 説明モデルとは : 解明・説明・提案がセットになったもの
◆アセスメント=謎解きこそがカウンセリングのコア
◆ カウンセリングというのは基本的には時間を味方につけるための営みです。即座に物事を解決するのにはあまり向いておらず(頑張るときもありますが)、時間の力を使って、心や状況が少しずつ変化していくことを後押しする仕事です。
◆初回カウンセリング
(1)問題歴ー過去を遡る
(2)モチベーションー未来とつながる
(3)リソースー現在を確認する
経済的リソース、社会的リソース、心理的リソース
◆破局度の評価
(1)火急性/不急性
(2)外部性/内部性
(3)現在性/歴史性
◆カウンセリングの締め
「二つのプラン」「リスク」「お金と時間」
◆カウンセリングの二つのゴール
・生存 : 困難な状況の中で、生き延びること
→ 作戦会議としてのカウンセリング
→カウンセラー : 伴走する冷静な第三者
→目標 : コーピング、気づき
・実存 : その人独自の生き方のこと
→冒険としてのカウンセリング
◆ 冒険としてのカウンセリングー「心を揺らす」
①鎧を緩めること
高頻度で、そして長期で会う。
②スライムを生き直すこと
ユーザーはカウンセリングのプロセスで、愛や憎しみ、嫉妬や依存をカウンセラーに向けることになり、スライムの心を生き直していきます。=「転移」
◆ 冒険のきっかけとなるユーザーの主訴
①慢性的な症状
②親密な関係の不全
③ 自分への違和感
◆ 冒険の週性-カウンセラーのアセスメント
①生活の安定
②古傷
③死と麻痺
◆終わりを考える
契約している動画サービスのサブスクをやめるか続けるか。髪形を変えるか、いやそもそも長く通ってきた美容室自体を変えるか否か。今の部屋にはすっかり飽きてしまったし、引っ越すか。最近調子がいいから、飲んでいる薬をやめてみようか。いい加減夜更かし生活を改めようか。
毎日の生活には無限に小さな終わりが潜んでいます。それらが発動されることで、生活は少しずつ変化していきます。あるいは、発動されないことで、生活は以前と同じように維持され、ときに停滞します。
さらに、次のような人生における終わりもまた、カウンセリングの終わり問題と重なります。
どこまでされたら友人関係は終わるべきなのか、どのようにして恋人と別れたらいいのか、いつが離婚のタイミングなのか、本当に退職に踏み切るのか、学校をやめてしまっていいのか、家を出るべきか、縁を切るべきか、寿命が尽きようとしている親に会いに行くべきか。
そしてなにより、自分自身の命の終わりをどう考えるか……。
◆ ユーザーはどのようなときに「終わりたい」と思うのか
①解決、たとえば「落ち着いたので、終わりたい」
②事情、たとえば「通えなくなるので、終わりたい」
③不満、たとえば「役に立ってないので、終わりたい」
④不安、たとえば「これ以上は不安なので、終わりたい」
⑤自然、たとえば「なんとなく、終わりたい」
◆終わりを決める
ユーザーが終わりたい以上は、カウンセラーがどれだけ続けた方がよいと思っても、終わるほかありません。ユーザーの終わる権利は絶対的に尊重される必要がある。これが揺らぐと、カウンセリングはただでさえ依存が生まれやすい関係性なので、容易に支配的な関係になってしまいます。
Posted by ブクログ
カウンセリングとは何かを一般の人にも理解しやすいように架空事例も含めて説明している。人は自分語りをすることで、自分を見つめ直し物事に対処する自分なりの法則や解決法や立ち向かう勇気を見つけていくのではないかと感じた。
小川洋子さんの一文を引用していて、416頁にあるこの一文は生きる本質を説明しているように感じて心に響いた。カウンセリングとは自分の物語を生きやすい形に変化させていく作業であるのかもしれない。
Posted by ブクログ
カウンセリングでは何が行われている、というよりは何が起こっているのか、というものに近い。カウンセリング中にカウンセラーを巻き込む形で表出されるユーザーの過去の傷つきを、どう感じメタ的に捉え伝えていき、ユーザーが向き合えるように見守っていくのか。なんと難しい問いの世界かと。自分の鎧の中に無意識に隠してきた傷ついたドロドロは他者を通してでないと見つけられないというのはなんとなく分かる。
社会の大きな物語に個人の小さな物語が犠牲にならない社会でありたい
Posted by ブクログ
アダルトチルドレンに興味があるので、自然とその視点で読んでしまった。抑圧とそれに対する怒り。生活を整えて、今までの自分を揺るがして、新たな安定を目指す。良いカウンセラーを見つける方法があれば良いのに。
Posted by ブクログ
カウンセリングって言われても実際どういうものから分からなかったので読みました。
心の不調はからだに現れ、からだの回復が心の回復につながる、と。
Posted by ブクログ
子供の頃から抱えている苦しみに去年から向き合うようになり、その中でうまくいったこと、うまくいかなかったことがあり、今後どう取り組もうかと考えていた時期にこの本に出会えました。
カウンセリングにはどのような種類があるのか、カウンセリングを受けていくと何が起こるのか、カウンセラーさんは何をしてくれるのかなど、とても分かりやすく書かれています。
こちらの本のおかげで、今後どのようなカウンセリングを受ければいいのか、カウンセリングが進むと自分に何が起こるのかが整理できました。
Posted by ブクログ
色々なところで出てくるカウンセリングとは何かがよくわからなかったので、何度か名前を聞いた著者の本を読んでみた。
結論から言えば、カウンセラーとは都会の孤独な人の相談相手であり、前近代では不要だったもの。以前は親兄弟や親戚、または友人が相談相手となり、生活の改善や精神の安定を図ってきたのだろう。
共同体が破壊され、個人が尊重、孤立する近代で、一人で人生に迷う人達が頼るもの、それが宗教であり、カウンセラーだと思う。
自分としてはできれば一生関係したくはない。
この本で出てきた二つの具体例のうち、出勤が困難となっていた青年のケースはまだカウンセリングの有効性は理解できる。
とはいえ、青年が障壁と思っていた会社も親も善意の人であり、一歩進んでいれば暖かく迎えてくれた。
彼に頼れる友人や恋人がいれば解決していたと思う。
理解し難いのは二つ目のキャリアウーマンのケースだ。彼女は会社でそれなりに出世しており、家庭を支えている公務員の夫と、自分なりに彼女を愛している母親がいた。
子供を持った方がいいかという相談にカウンセラーは8年をかけてカウンセリングを行う。
その結果は不倫をして夫を捨て家庭を破壊、不倫相手も失う。母親とは絶縁。
荒涼とした世界に45歳の彼女を一人佇ませて、カウンセリングは成功したと著者は誇る。
確かに彼女は精神的に不安定ではあったが、これが成功なのか?
自分探しをして何も得られなかった人と同じではないか?
世俗的には、円満な家庭を作り、親との関係を修復するのが目指すべきゴールと考えるが、彼女が得たものは会社での出世のみ。
そしてそれは彼女が本当に望んでいたものではなかったように思われる。
この本では彼女は精神的に吹っ切れたようであり、それを著者は成功と見ているようだが、20年先の彼女はこれで良かったと思っているかとても疑問だ。
これがカウンセリングならば、前近代の相談相手であった地縁血縁の年長者やお坊さんなどに相談していた方がよほど良かった結果になったと思う。
カウンセリングに心を変えるなどという大きな期待をせずに、せいぜい愚痴を吐き出す場ぐらいにした方が、いい人生を送るためにはいいのではないかというのが感想である。