あらすじ
人生の変わる場所──。
カウンセリングが、いま社会へとひらかれる。臨床心理学の歴史に打ち立てられた、新たな金字塔。
■精神分析、ユング心理学、認知行動療法、家族療法、人間性心理学──
バラバラに乱立する心理学を俯瞰し、メタな原論が示される。
■身体を動かす、世界を動かす、からだを動かす、視点を動かす、心を揺らす──
カウンセリングは聞くだけじゃない。アクティブに5つの介入がなされる。
■いかに生き延びるか、いかに生きるか──
カウンセリングには二つのゴールがある。生活を守ることと、人生をちゃんと生きること。
「カウンセリングとは、近代の根源的なさみしさのなかで、人が可能な限り、正直に、率直に、ほんとうの話をすることを試み続ける場所である。」──「5章 カウンセリングとは何だったのか──終わりながら考える」より
【目次】
まえがき ふしぎの国のカウンセリング
第1章 カウンセリングとは何か──心に突き当たる
第2章 謎解きとしてのカウンセリング──不幸を解析する
第3章 作戦会議としてのカウンセリング──現実を動かす
第4章 冒険としてのカウンセリング──心を揺らす
第5章 カウンセリングとは何だったのか──終わりながら考える
あとがき 運命と勇気、そして聞いてもらうこと
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
カウンセリングとは何か、の全体像を、特定の学派の具体に入りすぎず、(素人から見れば)抽象的にぼやかしすぎずに記述した本。非常に読みやすく、事例も多いためシーンをイメージしながら読むことができた。
人は小さく死に続けること、人と人はどこまでいっても別個体であることによる根源的な寂しさに傷つきながら人生を乗り越えていかなければならないこと。ふと自分の人生への向き合い方を振り返らされるような本だった。
Posted by ブクログ
自身がカウンセリングに通っているので、非常に興味を惹かれて手に取った。
昔行ってみたが「中断」した時の自分とカウンセラーの噛み合わなさを振り返ったり、今通っているカウンセリングでは、あーあれはカウンセリング全体のこの部分なのかと合点がいったりと気付きをたくさん得られた。
また、専門家でない人にも分かりやすく書かれていた点もよかった。
おそらく読者の中にはカウンセリングに直接関わったことのない人も多くいるであろうが、これは世界や社会の地続きにいる自分と心の話であり、全ての人が多少なりとも心当たりのある話しなのではないかと思う。
誰もが突き当たる心の問題について専門的見地から、一般の人にも分かるように書かれた本書は多くの人に、生きづらい現代の中で脅かされがちな「生存」と「実存」がいかに軽んじられるべきでなく、また解決可能な問題であるかを示してくれると感じた。
自分自身だけでなく、身近な人が心の問題に突き当たった時も、この本を道標に理解を示せるようになりたい。
Posted by ブクログ
ページTurnerで名著と紹介され、旅行先の代官山T-SITEで平積みになって売られていた。
これは買わねばなるまいと思い購入。
①カウンセリングについて自分なりの考えが整理できた
②自己・心・世界モデルは臨床でも使える
③作戦会議・冒険という分類。
臨床でも大いに活用できる内容であった。
Posted by ブクログ
専門書であり、詳しく1から10まで書いてあるのに、カウンセリングを専門としてやってる人も、私のようにただ興味を持って読む人もとても読みやすい。それは筆者の文章にユーモアと愛が溢れているからではないかと感じる作品です。
カウンセリングはただ問題を解決するだけではない。その人が生きやすい人生を見つける手助けでもあります。
専門家としてどうアプローチしていくのか、その視点が見れた事がとてもよくて、普段人から相談されたり、問題に直面した時にその視点を持っているともっと広く対応していけると思いました。
Posted by ブクログ
分厚い新書。441ページ。
カウンセリングを説明するのに、なんでこんなにページが必要なのか、、
と疑問に思いながらページを開く。
最初の100ページくらいはついていくのがやっと。
著者が実際にカウンセリングした4人の事例が紹介され、一気に惹きこまれた。
もちろん、プライバシーの問題があろうから、その者の会話ではないだろうが、
カウンセラーと患者の緊迫した会話。
これはすごい。迫力、というか、リアル、というか、真に迫る、というか。
人の心の弱さが垣間見える。
それにどうカウンセラーが相対するか。
これは参った。
次、どうなるんだ。
下手なドラマよりも、推理小説よりも面白い。
ななめ読みもできない。時間がかかった。
リアルな会話だけではない。
その会話に潜むカウンセリングの意味を、
著者が説明のため言葉をかみ砕いてわかりやすく説明してくれくれる。
謎解き、冒険、文学的変化、科学的変化。
カウンセリングを終える難しさ。。。
終わり、で思った。
終わり、は難しい。自立して終われれば最高。
しかし、中断、もありうる。クライアントが拒否してしまうのだ。
カウンセリングの先生が合わない、ということもあろうし、
患者にキャパがないこともあろう。
カウンセリングにセカンドオピニオンってあるのかな。
何せ、ある意味自分の心をさらけ出すのがカウンセリング、、、
そのくせ、時間が来ればお金を受け取り領収書を書き、、、ビジネスの面も。
難しいよな、、
会社の設置したカウンセリングを使い、勉強になったこともあるが、、
カウンセリングの深さを少しは理解することができた気がする。
興味深い!
まえがき ふしぎの国のカウンセリング
第1章 カウンセリングとは何か──心に突き当たる
第2章 謎解きとしてのカウンセリング──不幸を解析する
第3章 作戦会議としてのカウンセリング──現実を動かす
第4章 冒険としてのカウンセリング──心を揺らす
第5章 カウンセリングとは何だったのか──終わりながら考える
あとがき 運命と勇気、そして聞いてもらうこと
Posted by ブクログ
かなり長かったけど
途中から加速し最後は一気に、という
小説であればよくあるパターン
感想に替えていくつか引用を
『話すことは離すことでもある。過去を物語るのは起きた出来事を現在から引きはがし、過去に置いていくためです。
…
カウンセラーの手助けを借りながら、破局を生き延びる。すると、人生のある時期が終わっていたことに気づく。古い物語がかつてのものになっている。昔から続いていたものが過去形になる。』(P419)
『一人ひとりの心は決して文学を手放さないし、遠くには聞こえないような小さな声で物語を語り続けることをやめません。
…
物語のない人に、僕は出会ったことがない。』(P420)
『勇気はふしぎです。どこからやってきたのか、なぜ今出てきたのか、全然わからない。』(P434)
『聞いてもらうことが、勇気を生み出す。』(P436)
Posted by ブクログ
“変化の土台には理解がある。理解によってのみでは人は変わらないけど、人が変化するためには理解は欠かせない。理解によって、他者とつながること、そして自分とつながることが可能になるからです。”(p.158)
Posted by ブクログ
カウンセリングとは何か?なぜ学問的対立を繰り返してきたのかが、とても整理されていてユーザー側目線でわかりやすく語られた本。
生活をたてなおす作戦としてのカウンセリングと、行き詰まった人生をなんとかする冒険のカウンセリング、この2つの整理が、実例も踏まえて説明されており、理解が深まった。
専門家が関わる非常時のカウンセリングが語られているが、日常時でも非常の手前のすれすれなところまではいくことはあると思う。そういう心の動きをユーザー側として投影しながら読むことができる。
Posted by ブクログ
いい本だった。
新書の割に厚くて物怖じしていたけれど、読んで良かった。
カウンセリングとは何か?
それは生活を回復するための科学的営みでもあり、人生のある時期を過去にするための文学的営みでもある。
カウンセリングとは、近代の根源的なさみしさの中で、人が可能な限り、正直に、率直に、ほんとうの話をすることを試み続ける場所である。
---以下要約---
・カウンセリングとは何か?という問いそのものを扱う本。技法やマニュアルではなく、カウンセリングを支える思想・姿勢・歴史・臨床経験を立体的に描く。
・カウンセリングは「生活を回復するための科学」と「人生を過去にするための文学」の両面を持つ。
-科学的側面:症状、行動、認知、環境要因を理解し、現実的に生活を立て直す実践。
-文学的側面:語り直し・意味づけ・物語化を通じて、苦しい時期を「過去の章」へと位置づける営み。
・「語ること」そのものが治療の核心。
-ぐちゃぐちゃした感情、未整理の経験、言葉にしづらい葛藤を、あるがままに話し、聴いてもらうことが変化を生む。
-近代の人間は「誰にも真実を語れない孤独」=根源的なさみしさを抱える。それに対抗する場がカウンセリング。
・カウンセラーは「専門家としての謙虚さ」を持つ存在。
-人を“治す”のではなく、語りが生まれる条件を整え、クライエントが自分の生活を取り戻すのを支える。
-過度に指示したり、助言を押しつけたりすることはせず、語りを開くための介入を最小限に行う。
・「正直に率直にほんとうの話をする」ための枠組みを守る職業。
-守秘義務、時間枠、役割の境界などの規律は、自由に語るための“檻”のような安全装置。
-自由な語りは、無秩序ではなく、枠組みがあることで生まれる。
・変化とは「新しい意味が生まれること」。
-出来事そのものは変わらないが、語り直しによって位置づけが変わり、本人の“現在”が変わる。
-痛みが消えるのではなく、「その痛みを抱えても生きられる構造」が変わる。
・カウンセリングは“直線的な改善”ではなく“揺れ戻りを含んだ過程”。
-相談は、行きつ戻りつ、沈黙や混乱も含む長いプロセス。
-その「揺れ」が、語りの深まりにつながり、やがて変化の閾値を越えていく。
・技法や学派よりも「関係」が本質。
-認知行動療法でも精神分析でも、人と人がその場で生じさせる“関係”が変化をもたらす共通要因。
-「相手に対して真摯であろうとする姿勢」こそ技法に優先する。
・カウンセリングは「ひとりの生活が壊れないように支える公共的な装置」。
-心理的支援は個人のためでありつつ、同時に社会を維持するための仕組みでもある。
-近代社会の孤立・断片化に対する“社会的な補助線”。
・最終的にクライエントが得るのは“自分の人生を語れる力”。
-それは「過去を過去にする力」。
-カウンセリングは“問題を消す”のではなく“人生を進める力を回復させる営み”。
Posted by ブクログ
めちゃくちゃ良かった。
本書は、カウンセリングというものを体系的に整理し、原論を導き出そうというもの。
専門知識が土台にありながらも、社会側(ユーザー側)における位置づけとして整理することで、素人にも読みやすい読み物となっている。
また、架空のユーザーが登場し、実際のカウンセリングの様子をエピソード仕立てで要所要所に配置されていることで、感情移入しやすく、惹きこまれる。
かといってただの小説や物語になっているのではなく、理論も語られていて、読者を引き込む物語と理路整然と整理された論文調のバランスが素晴らしいと感じた。
本人も語られているが、まさに東畑先生の集大成でありその達成感を感じた。
レベル感は全く異なるが、自身が大学院で研究論文を書いた時の感覚に近いのかなと勝手に考えていた。
Posted by ブクログ
カウンセリングとは、人が人に話をすること。
日常行われていることだが、これが成立しなくなり、エスカレートすると、それは「心の非常時」であり、専門家が必要になる。
と筆者は言っているのだが、そこには連続性があると言っていいのだろうか。
心というものを一括りにした乱暴な議論なのではないのだろうか。あるいは「正常」な部分と「異常」な部分。あるいは「普遍」と「特異」。その他にも分類、分析は様々な形がありそう。
これには、理論的には答えられない。臨床的、実際のカウンセリングに基づいて答えてくれるらしい…
読み進めるもんですね。
「自己」を「ままならないもの」と整理。
「世界」=「外部」と「自己」の間に「心」を規定している。相当納得。
仏道では、心を「ままならないもの」と規定し、それをじっと見つめて、心の赴くままに様々なことに執着することを手放すことで、平和を取り戻すことを目指すと理解している。その方法論が仏道というもの。
「心」の捉え方に少し近いものを感じる。しかし、そこへのアプローチとしては、色々あり得るということに感銘を受ける。
読み進める中で強く感じるのは、筆者の温かさ。
「一人じゃない」「共に立ち向かう」「勇気が出るのは、見守られているとき」
筆者の過ごしてきた時代を背景とした自身の体感みたいなことも、この本の論の進め方に反映されている。
同じような時代を生きる自分に照らし合わせて、筆者の考えが身近に感じられた。
Posted by ブクログ
本書を読んで、もっとも衝撃的だったこと。
「人生の脚本は反復される。」
それが面接室で、カウンセラーとの間に「転移」するということ。
たしかにと、思ったこと。
「人は自分の物語が聞かれて初めて、人の物語と共存することができる。」
「古い物語を終わらせないと、人生の次の段階に進めない。」
面接室で展開されるカウンセリングはドラマチックで、形を変えて誰にでも起きうることで、読み進めるのがスリリングでさえあった。
カウンセラーは誠実な人だけれど、全知全能の神ではないし、完璧でもない。また、その必要もない。その意味で、家族と身近な大切な人たちに対して素人にもできることはあると思った。家族の役割、責任も本書からひしひしと感じた。
人は人に話を聞いてもらうことでしか、癒されないし、自分の心を整理できない。誰とでもとは言わない。少数でも、誰かにきちんと自分のことを語り、近しい人の話をちゃんと聞きながら、健やかに生きることがいかに大切かを本書から学んだ。
スリリングで、学びが多く、人生を支えてくれる本。物語りとしても、啓蒙書としても、解説書としてもとても面白い稀有な良書だった。私の人生における繰り返される脚本とは、なんだろう。私は今、なんの物語を終わらせる必要があるんだろう。読後世界との向き合い方が大きく変化する。そんなすごい本だった。
東畑開人さん、そして河合隼雄さんの未読の本も読みたい。
Posted by ブクログ
難しい内容もありますが、大部分は、筆者に語りかけられているような感じで、すっと頭に入ってきます。
後半は一気読み。自分自身の物語を頭の片隅で考えながら読みました。
Posted by ブクログ
新書としては分厚いがカウンセリングのやりとりが書かれているためであり読みやすい
少し胡散臭いカウンセリングが具体的に詳細に解き明かされる
人生の脚本は反復される。
転移とは人生の脚本がカウンセラーとの間で再演されることである。
このようなことが起こるのは人は人との関係をだいたい同じ型でしか築けないからだろうか。
こどもを持つか迷っていた女性のカウンセリング
仕事で休まらない若い男性のカウンセリング
この展開が圧倒的
整理しながら読み直したい
たまたま斎藤学を扱った本を読んだのもタイムリー
Posted by ブクログ
「話をするだけ」という印象のあるカウンセリング。それだけでどうして精神が変わっていくのか。そんなブラックボックスにも思える不思議な営みを懇切丁寧に解説した一本。人生の「脚本」をやり直すのに伴走をし、「こころ」を揺らしていく営み。私自身はカウンセリングは単発でしか行ったことがないが、冒険としてのカウンセリングの章はとてもぐっときたし、自分の今まではどうだったか、そんなことを振り返ることもできる本なのではないか。まさに例の女性とよく似た年齢の今、読めてよかった一冊だった。
Posted by ブクログ
カウンセリングについて凄くよく分かる。こんな本は初めて読んだ。カウンセリングが素人ができるようなものではない事もよく分かって、知ったかぶりをしなくて済んだのも大きい。是非多くの若い人に読んでもらい、カウンセラーになってもらいたい。大袈裟ではなく、非常に重要な仕事だと思う。
Posted by ブクログ
冒頭のルソーの告白を読み、自分自身と当てはめていました。また、文体の「も」が私にとっては効果的で、ひきこまれました。
個人的な文学の大切さ。
人と人とが話をし続ける。
正直に打ち明けることを続ける。
ことを意識しようと思いました。
再読をして、理解を深めたいと思います。
Posted by ブクログ
面白かった。何しろエピグラフが(ルソーを除き)自分の好きな作品の引用ばかりなのだから。本書の意図とはズレて勝手に自分に引き寄せるとまさに自分は文学作品を使って心を揺らして来たのかなと思わされたり。とはいえ、冒険としてのカウンセリング、めちゃめちゃ興味が湧いた。
Posted by ブクログ
この本とは関係ないけれど、浜崎洋介さんの言葉が思い出される。
生まれてきた時のままでは生きられないことを、2歳か3歳でしてはいけないことを通して知る。
そしてそれまで一つだった自分が、外的な自分と内的な自分という2つに社会という線で分断される。
現代はこの線がギザギザ過ぎて正気を保つだけでも大変なのだと感じる。
カウンセリングというのは見失ってしまった内的なものを引っ張り出してまた動かすという行為に近いのでは。
Posted by ブクログ
勉強しようと思い手にとった1冊だが、読んでみると面白かった。
「カウンセリングとは何か。」
1冊の本でまとめるには壮大なテーマで、そもそも言語化できるものなのか…?と疑問に思った。
いち一般人としては、なんとなく話を聞いてくれるところ。いち医師としては、時間をかけて患者さんの柔らかいところに触れるところ。そんな漠然としたイメージでしかない。
そのため、専門職の方がどのように捉えて、どのように言語化しているのかわくわくする気持ちを持ちながら読み進めた。
ユーザーの状況に応じて変化するのはもちろんのことではあるが、さまざまな介入で日常生活を立て直して「いかに生き延びるか」に焦点をあてるカウンセリング(その過程では元に戻るのではなく変化もしていく)と、日常生活は送ることができている上で「いかに生きるか」に焦点を当てていくカウンセリング、という2種類があるという考え方を学んだ。
もちろん話をただ聞くだけではなくて、アセスメントをして、ラポール形成して、その関わりの中で対応していくのは専門的に学んだ上で取り組む必要があるのも感じた。作戦会議として、冒険として、カウンセリングがあると考えると、頭が整理されるように感じる。ユーザーにとって地続きだけど、新しい物語を始める手助けをするもの。そういったんは自分の中で結論を出したが、まだ解釈しきれていないので、もう少し読み返して反復して自分の中に落とし込みたいと思う。
また、少し驚いたのは転移の考え方である。医師にとって転移(特に恋愛を伴う陽性転移など)はネガティブな文脈で語られることが多いように感じるため、転移をあえてテーマにして物語に進展をもたらそうという考え方が新鮮だった。これからの医療者としての自分にも何かもたらしてくれそうな一冊だった。
Posted by ブクログ
「過去と他人は変えられない、未来と自分は変えられる」みたいな名言を聞いたことある。でも、人は他人に支えられることで生きる勇気を貰え、苦しい過去の物語に終わりを告げ、自立し、本当の自分の人生を生き延びることができる。人はひとりでは生きてはいけないんだなと思った。
Posted by ブクログ
【印象に残ったポイント】
☀︎孤立しているとき、心は現実を見失うが、他者がそばにいるときには、心には現実を見つめる力が戻ってくる。
☀︎人と人とが素直に打ち明け合い話し合うことが、個人的な文学=自分らしく実存することを可能にする。
☀︎[ついてきてくれるなら行きましょう]聞いてくれる他者が安定して居るとき、人は自分の過去を俯瞰して振り返り、古い物語を捨て、勇気を出して変化する。こうして個人的な物語を作っていく。
心の強さと弱さ、不思議を感じるとともに、人は究極的には孤独である一方で、それぞれが自立して自分の物語をつくっていくためこそ他者の存在が不可欠であり、誰かがいることで自分が変化する勇気がわくという結論が面白いかつ希望を感じさせるものだった。変化するのは自分自身だけど、その後押しをするのは安心して聞いてくれる他者。人を見つめる視線が温かい本であり、自分も誰かの支えになりたいと思える。
一方自分の心が鎧を被っていないかどうかという視点を持つようにしたいと思った。
Posted by ブクログ
著者の実体験をベースに、カウンセリング手法を説明していく。思ったより踏み込んで、カウンセリングそのものを説明してくれている。
自己ー心ー世界モデルは、心というものの理解が新たになった。無自覚に変化し続ける心と絶え間なく揺れ動いていく世界、その調整弁として心がある。そう捉えたのは初めてだったが、すごくしっくりきた。
それにしても普段見ることのないカウンセリングの現場は壮絶。特にクライアントが過去の体験を投影していくシーンは迫力がすごい…日々お疲れ様です…
Posted by ブクログ
◆ 説明モデルとは : 解明・説明・提案がセットになったもの
◆アセスメント=謎解きこそがカウンセリングのコア
◆ カウンセリングというのは基本的には時間を味方につけるための営みです。即座に物事を解決するのにはあまり向いておらず(頑張るときもありますが)、時間の力を使って、心や状況が少しずつ変化していくことを後押しする仕事です。
◆初回カウンセリング
(1)問題歴ー過去を遡る
(2)モチベーションー未来とつながる
(3)リソースー現在を確認する
経済的リソース、社会的リソース、心理的リソース
◆破局度の評価
(1)火急性/不急性
(2)外部性/内部性
(3)現在性/歴史性
◆カウンセリングの締め
「二つのプラン」「リスク」「お金と時間」
◆カウンセリングの二つのゴール
・生存 : 困難な状況の中で、生き延びること
→ 作戦会議としてのカウンセリング
→カウンセラー : 伴走する冷静な第三者
→目標 : コーピング、気づき
・実存 : その人独自の生き方のこと
→冒険としてのカウンセリング
◆ 冒険としてのカウンセリングー「心を揺らす」
①鎧を緩めること
高頻度で、そして長期で会う。
②スライムを生き直すこと
ユーザーはカウンセリングのプロセスで、愛や憎しみ、嫉妬や依存をカウンセラーに向けることになり、スライムの心を生き直していきます。=「転移」
◆ 冒険のきっかけとなるユーザーの主訴
①慢性的な症状
②親密な関係の不全
③ 自分への違和感
◆ 冒険の週性-カウンセラーのアセスメント
①生活の安定
②古傷
③死と麻痺
◆終わりを考える
契約している動画サービスのサブスクをやめるか続けるか。髪形を変えるか、いやそもそも長く通ってきた美容室自体を変えるか否か。今の部屋にはすっかり飽きてしまったし、引っ越すか。最近調子がいいから、飲んでいる薬をやめてみようか。いい加減夜更かし生活を改めようか。
毎日の生活には無限に小さな終わりが潜んでいます。それらが発動されることで、生活は少しずつ変化していきます。あるいは、発動されないことで、生活は以前と同じように維持され、ときに停滞します。
さらに、次のような人生における終わりもまた、カウンセリングの終わり問題と重なります。
どこまでされたら友人関係は終わるべきなのか、どのようにして恋人と別れたらいいのか、いつが離婚のタイミングなのか、本当に退職に踏み切るのか、学校をやめてしまっていいのか、家を出るべきか、縁を切るべきか、寿命が尽きようとしている親に会いに行くべきか。
そしてなにより、自分自身の命の終わりをどう考えるか……。
◆ ユーザーはどのようなときに「終わりたい」と思うのか
①解決、たとえば「落ち着いたので、終わりたい」
②事情、たとえば「通えなくなるので、終わりたい」
③不満、たとえば「役に立ってないので、終わりたい」
④不安、たとえば「これ以上は不安なので、終わりたい」
⑤自然、たとえば「なんとなく、終わりたい」
◆終わりを決める
ユーザーが終わりたい以上は、カウンセラーがどれだけ続けた方がよいと思っても、終わるほかありません。ユーザーの終わる権利は絶対的に尊重される必要がある。これが揺らぐと、カウンセリングはただでさえ依存が生まれやすい関係性なので、容易に支配的な関係になってしまいます。
Posted by ブクログ
カウンセリングとは何かを一般の人にも理解しやすいように架空事例も含めて説明している。人は自分語りをすることで、自分を見つめ直し物事に対処する自分なりの法則や解決法や立ち向かう勇気を見つけていくのではないかと感じた。
小川洋子さんの一文を引用していて、416頁にあるこの一文は生きる本質を説明しているように感じて心に響いた。カウンセリングとは自分の物語を生きやすい形に変化させていく作業であるのかもしれない。
Posted by ブクログ
前半はとても興味深ぬサクサク読めました。後半は、私の読解力の無さだと思いますが、重複感が否めませんでした。新たな展開を感じることができませんでした。
Posted by ブクログ
色々なところで出てくるカウンセリングとは何かがよくわからなかったので、何度か名前を聞いた著者の本を読んでみた。
結論から言えば、カウンセラーとは都会の孤独な人の相談相手であり、前近代では不要だったもの。以前は親兄弟や親戚、または友人が相談相手となり、生活の改善や精神の安定を図ってきたのだろう。
共同体が破壊され、個人が尊重、孤立する近代で、一人で人生に迷う人達が頼るもの、それが宗教であり、カウンセラーだと思う。
自分としてはできれば一生関係したくはない。
この本で出てきた二つの具体例のうち、出勤が困難となっていた青年のケースはまだカウンセリングの有効性は理解できる。
とはいえ、青年が障壁と思っていた会社も親も善意の人であり、一歩進んでいれば暖かく迎えてくれた。
彼に頼れる友人や恋人がいれば解決していたと思う。
理解し難いのは二つ目のキャリアウーマンのケースだ。彼女は会社でそれなりに出世しており、家庭を支えている公務員の夫と、自分なりに彼女を愛している母親がいた。
子供を持った方がいいかという相談にカウンセラーは8年をかけてカウンセリングを行う。
その結果は不倫をして夫を捨て家庭を破壊、不倫相手も失う。母親とは絶縁。
荒涼とした世界に45歳の彼女を一人佇ませて、カウンセリングは成功したと著者は誇る。
確かに彼女は精神的に不安定ではあったが、これが成功なのか?
自分探しをして何も得られなかった人と同じではないか?
世俗的には、円満な家庭を作り、親との関係を修復するのが目指すべきゴールと考えるが、彼女が得たものは会社での出世のみ。
そしてそれは彼女が本当に望んでいたものではなかったように思われる。
この本では彼女は精神的に吹っ切れたようであり、それを著者は成功と見ているようだが、20年先の彼女はこれで良かったと思っているかとても疑問だ。
これがカウンセリングならば、前近代の相談相手であった地縁血縁の年長者やお坊さんなどに相談していた方がよほど良かった結果になったと思う。
カウンセリングに心を変えるなどという大きな期待をせずに、せいぜい愚痴を吐き出す場ぐらいにした方が、いい人生を送るためにはいいのではないかというのが感想である。