ビジネス・実用の高評価レビュー
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Posted by ブクログ
仕事やプライベートで、もっと上手に時間を使うヒントがあればと思い手に取った一冊。時間の使い方だけでなく、これからの生き方を考えるきっかけにもなった。
印象に残ったのは、仕事も休みも自分のために使い、自分軸で行動するという考え方。人からどう見られるかを気にせず、自分のやりたいことに時間を使う。その姿勢が、自分の時間をつくるうえで大切なのだと思った。
予定が空いていると埋めたくなる感覚や、頼まれていないことまで先回りしてやることを美徳と考えがちなところは、自分にも当てはまる。どれだけ効率よく仕事をしても、空いた時間をまた予定で埋めてしまえば、ゆとりは生まれない。頼まれていないことを何でも引き受けない、子どものことも代わりにやりすぎない、という考え方も参考になった。
仕事は「終わったら帰る」のではなく、終業時間を決めて、時間になったら切り上げる。つい「これが終わったら」と仕事を続けてしまう自分には、特に意識したいところだ。残った仕事は翌朝に回し、時間内に終わらないと分かっている仕事には安易に手をつけない。そんな線引きも必要だと感じた。
また、時間をつくるための「断る技術」も学びになった。曖昧に返事を保留したり、回りくどく断ったりせず、感謝を伝えて、機嫌よく、あっさり断る。いい人に見られたい気持ちから引き受けてしまいがちな自分にとって、心に留めておきたい考え方だった。
そして、この本を読んで一番大切だと感じたのは、時間に追われてイライラするのではなく、機嫌よく生きること。自分がやりたいことを大切にし、自分の時間を持つ。自分が機嫌よくいられれば、周りにも良い影響が広がっていく。
時間の使い方を学ぶつもりで読み始めたが、これからどんなふうに生きたいかまで考えさせられた。今後、身につけていきたい生き方に出会えた一冊。 -
Posted by ブクログ
心の師、髙坂勝さんによる最新著作。
本書でも述べられているように、かつて髙坂さんが経営していたバーは退職者量産バーだったらしいが、自分も髙坂勝さんの著作や生き方に大きな影響を受けて人生を狂わされた(笑)人間のひとりである。
2026年に出版された本だけあって、髙坂さんによるAIへの言及も本書にはある。
コロナ禍からの復帰でまたローカルから一極(または大都市への多極)集中に回帰するのか・・・、と思っていたところに生成AIの誕生により、本格的にホワイトカラー消滅が叫ばれる社会になった。ますます半農半Xの必要性が増してきている。ましてや今後は気候変動の深刻化も大きな原因となり、世界中で資源の奪い合いなどによる紛争が多発していく世の中になれば、ようやく時代が髙坂さんに追いついてきたと言えるのではないか。
自分もなんやかんや生成AIを積極的に活用しながら、ホワイトカラーの仕事(自分の場合はソフトウェアエンジニア)をなくすことに貢献している。
自分の今の業務内容は、数年後には完全に消え去ると思いながら、自分の生来のものぐさからかずっとサボり気味ではあったが、食料の自給・エネルギーの自給の勉強をそろそろ本格化しなければと思う所存である。
水道代は地方こそ高騰しそうなものだと思っていたが、そうか、井戸を掘るのか。
相変わらず色々とインスピレーションを起こしてくれる方である。 -
Posted by ブクログ
自分が属する保険業界への課題感として、保険を提供する者と保険を購買する者の情報と知識の非対称性があると思う。利潤は非対称性をレバレッジしなければ上がらないものではあるが、公共性の高い商材である保険商品を販売/流通する本業界において、その非対称性はどの程度正当化されるべきか?最近の悩みである。
ここ数年、ビッグモーター問題やカルテル問題など、保険を提供する側の腐敗が顕在化した。知識と情報を持ち、消費者からの信頼を付託していたはずの保険の提供者が実は不正に手を染めていたということは、業界全体の信頼を損なうものであると思う。金融庁はこうした問題から、規制の変更を進めているが、とあるリスクマネージャーの方もお話されていたが、規制が緩和されても保険を購買する側に知識と情報がなかれば仏作って魂入れずである。さらに言えば、規制は消費者を守るが、規制の遵守にかかるコストは結果として消費者に転嫁される。
本質的に必要な業界改革は、やはり、保険の購買側へ知識や情報が伝播され、非対称性が馴らされていくことにがまずは必要になるだろう。
そこで、宗教改革である。
私は中世ヨーロッパ史を専攻していたが、保険と宗教には共通点が多いと常々感じている。いずれも、告白(告知)を通じて、共同体(リスク共同体)に帰属し、将来における不安から解放される。キリスト教では、真理とされる聖典は、教えの伝播者である教会が解釈し、ラテン語のわからない民衆に伝える。民衆は教会によって解釈された教義を聴き、教会を信頼し、入信する。保険であれば、聖典は保険数理である。保険数理を踏まえて開発された保険商品を保険会社/保険代理店が販売する。保険数理までは厳密にはわからない消費者は、提供者を信頼し、保険に加入する。
宗教改革は教会の腐敗を契機とし、教義は翻訳され、人々へ伝えられる。
保険業界も近年の腐敗が明らかになったことを契機に、保険の知識や情報は翻訳されていくであろう。
しかし、フスの先駆性は言わずもがなだが、同時にフスの時代になく、ルターの時代にあった活版印刷という技術の重要性にも気づかされる。
現在における活版印刷にあたるものは何なのか?現代における技術と言えば、一丁目一番地はAIだろう。重い「問い」を前に、AIを勉強しようと重い腰を上げる。
以下引用。
●私は、ルターでもカルヴァンでもなく、ヤン・フスとフス派の宗教改革が、近代への扉を開いたと考えています。ヤン・フスとフス派の宗教改革を契機に、社会と教会が一体化し、宗教(キリスト教) が中心にあった時代から、民族、国家が主権を持つナショナリズムの時代へ、近世から近代へと移り変わったのだ、と。
●ルターは、1522年にドイツ語訳新約聖書をつくりました。すでに、グーテンベルクが考案した活版技術があったおかげで(1440年頃には完成したと考えられています) ルターの新約聖書は広まりましたが、もしフスの時代にこの技術があれば、全ヨーロッパにフスの思想が衝撃を与えたことでしょう。
●カトリック教会は、聖書に適した聖なる言語を定めていました。ヘブライ語、ギリシア語、ラテン語、教会スラヴ語です。この四言語以外で聖書を書いてはいけないとされていたのです。
●いまある既存の教会がおかしいのではないかという問題意識から、ウィクリフもフスもスタートしました。ウィクリフは、聖なる四言語の聖書では、聖職者でない一般民衆は読めないからと、聖書の英訳作業に着手します。完成前にウィクリフは亡くなってしまい、弟子たちが遂行するのですが、このウィクリフの考え方にフスは共鳴し、聖書のチェコ語訳を行ったのです。
●ボヘミアの宗教改革の中心には、常に民衆がいます。当時の教会は、疎外(貨幣、制度など、人間がつくったものが逆に人間を支配する力として現れること) された状態であることを、フスは厳しく批判したのです。(中略)ルターの宗教改革は、支配者層である諸侯間で国教会制度を生み出すという、言わば上からの改革であり、カルヴァンの宗教改革は、政治経済の特権を有した市民層が中心でした。フスが主張した平等や自由、そして聖書のチェコ語訳に見られる世俗語の優位性という徹底した意識は、近代を先取りしています。
●フスはコンスタンツ公会議に召喚されたが、神聖ローマ皇帝ジギスムントの発行した通行許可証を携行していたにもかかわらず逮捕され、法廷に立たされた。彼は自説の撤回を拒否したために異端の罪を受け、翌年7月焚刑に処せられ、その灰はライン川にまかれた。 公会議の処置に激怒したフス派教徒が、やがて皇帝、教会を敵に反乱を起こす(フス派戦争)。フスはのちにチェコ人の民族的英雄、守護神的な存在になり、とくに 19 世紀のオーストリアに対する民族運動の時代にはチェコ人の精神的支柱となった -
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ネタバレ大学の時の先輩が是非読むべきとオススメしてくれた本。
20年前くらいに読んだけれど再読してみました。
書いてある内容はどれも人生の指針になることばかりで稲盛氏は本当に人格者だと思います。
やはり仏教をしっかり学ばれてご本人も得度されているとのことですので
正しい真理のもとで長いこと経営し、日々努力されていたんだなと感じます。
おそらく宗教的な表現にアレルギーを持つ人に対する配慮だと思いますが、
因果応報、利他の精神、転生輪廻などの仏教的な話をあまり宗教的な表現とならないように
わかりやすく論理立てて説明してくれています。
私自身は宗教心もあるのでスッと入ってきましたし、正しい宗教の根本は一緒だよなと納得しながら読むことが出来ました。
最後に一番印象に残った箇所を挙げておきますが
通信事業に乗り出すことを決断する際に世の中のためという思いだけでなく、
名誉心などの私心は無いかをしばらく点検してから決断したというところです。
大きな決断をする際にはこういった観点は忘れないようにしたいなと思いました。
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Posted by ブクログ
ネタバレ「人生には偶然という要素は一切ありません。」
善い思いを抱き努力した結果、不幸になることはありえない。成功とは努力の結果である。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、普段は忙しいからとか、仕方がないと言い訳をして逃げていることが不幸の原因で、そこから逃げずに努力した人が成功して幸せになる。
今日は疲れてるから、たまにはいいだろうと逃げたら、その分の報いは必ず自分に返ってくる。
世の中は、生まれ持ったものや職種や性別などで複雑な要因によって、個人を超越した運命に翻弄されているようにも見えるけど、実際にはどんな環境であっても、正しく努力している人は幸せな人生を送り、努力をしない人は不幸せな人生を送る。 -
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ネタバレかなり期待通りで良かった
ここからは自分のためのメモ
AIを使っても心には響かない 言語の奥深さ aiには背景描写まではわからない 勉強は徒歩登山AIはロープウェイ登山
草原に牛がいる時 英語なら牛が1匹なのか複数いるのかに注目、日本語は牛という動物に注目
(牛が"いる"物ならある) フランス語なら文法的性(男性名詞、女性名詞)に注目
可視的文化と不可視的文化(翻訳を通すと理解できなくなってしまう文化側面)
男の子の赤ちゃん(男の子という性質を持った赤ちゃん)、a baby boy(赤ちゃんという性質を持った男の子)→話すためのものの捉え方
日本語は過程、英語は結果
友情物と非常物、抱くと抱える
学校の英語教育に対して使えるかどうかは問われていない→古典や音楽だって使えるかどうかは問わない
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Posted by ブクログ
個人個人の正しさで溢れかえってしまったSNSはもはや地獄だし、現実社会でも力を持った大国が正義という拳で殴り合っている。私たちの生活のいたるところに「正しさ」で殴り合う状況が見られる。
このバラバラになってしまった世界でどう生きるかをローティの哲学を梃子に論じているのが本書である。息苦しい公的空間としてのバザールと危険をはらむ私的空間としてのクラブの例えは秀逸だし、バラバラを乗り越えるためには答えを導くことを目的とする議論や対話ではなく、何気ない会話が必要だというのも納得感がある。正義を纏った言葉は鋭利で人を傷つける。それは安易に公的空間ですべきではない。対立したり意見が異なったりする人とも会話を続けたほうが共に生きてる感があって攻撃性は弱まる気もする。ローティの哲学は今の時代にしっくりくる。
ただひとつ課題もあるように思う。それはローティの哲学自体が西洋世界の知識基盤をベースに組み立てられていることだ。会話は1人では成り立たない。相手が西洋世界の知識基盤を持たず、むしろ嫌悪してる場合、そもそも会話は成り立たない。自国の歴史が世界の中心であると考えてる人や信じている神こそすべてと思っている人、そもそも知識基盤が脆弱な人などの前でローティの哲学は無力で、西洋社会対その他の社会の対立解消の手段にはならなそうにも思う。
話のわからない人や国との付き合い方の解決策にはならないかもしれないが、それでも共通の社会規範やアイデンティティを有するまとまりのなかで同他社と生きるかは学ぶべき点が多い。イマココがクラブなのかバザールなのかは常に意識したい。