あらすじ
『サピエンス全史』を超える衝撃――
知の巨人、6年ぶりの書き下ろし超大作
「ネクサス」(NEXUS)とは?
――「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などの意
石器時代からシリコン時代まで、
「組織」(ネットワーク)が力をもたらす
私たち「賢いヒト」(ホモ・サピエンス)は、10万年に及ぶ発明や発見や偉業を経て、途方もない力を身につけた。
それにもかかわらず、生態系の崩壊や世界戦争など、存亡にかかわる数々の危機に直面している。
*
サピエンスが真に賢いのなら、なぜこれほど自滅的なことをするのか?
その答えは、制御しきれないほどの力を生み出す、大規模な協力のネットワーク――「情報ネットワーク」――の歴史にある。
*
印刷術やマスメディアは文明に何をもたらしたのか?
そして、まったく新しい情報テクノロジーであるAIは、何を変えるのか?――
石器時代からシリコン時代まで、『サピエンス全史』の著者が、人類の歴史をいま再び新たに語りなおす!
情報により発展を遂げた人類は、情報により没落する宿命なのか。本書のAI論は、混迷する世界で民主主義を守るための羅針盤になるだろう。
――斎藤幸平氏(経済思想家・『人新世の「資本論」』著者)
その深い洞察は、私たちが著書『PLURALITY』で提唱する多元的な共創の原理とも響き合い、進化するデジタル時代で人々を導く羅針盤となる。
――オードリー・タン氏(台湾・初代デジタル発展相)
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格調高い文章で、それでいてわかりやすく、実に読み応えのある本。
前半は情報が人類の歴史にもたらした功罪を、歴史と共に追いかけている。
物語、おそらく英語では「ナラティブ」を人類がもったことで、さらにそれを
書き残し、さらには印刷、さらにはラジオで広めることができるようになったことで
その発信者は強大な力を持つようになる。聖書、教会がいい例だ。
それが時には人類の発展に寄与し、時にはナチス、魔女狩り、スターリンの恐怖政治
のように罪のない人を貶めることに利用される。
情報の力はかくも恐ろしい、、というのが「上」。
こういう歴史を見れば、今のアメリカで、ロシアウクライナで、日本で起こっている
出来事も、根っこが同じであることが分かる。
トランプ、プーチンといったいかれた政治家の言動が、様々な手段で国民に、世界に
発信され、それを受けて指示するものは彼らの力となる。そうでないものは拒否し、
分断が生まれる。
…その意味ではロシア国民、イスラエル国民は歪んだ情報を受け取っているのか?
ウクライナの被害、ガザの虐殺を知っていたら支持できるはずがないだろうに、、
日本とて、次元は違うが「日本人ファースト」がどういう文脈で人々の心を捉えて
いるのか、、
情報、物語の怖さだ。
さてこの本のタイトルのNEXUS。ネクサス。馴染みがありそうで意味不明な言葉。
絆、結合、つながりなどの意味があるそうだ。
情報はつながりがあって初めて成り立つもの。
そういうことかな?ウルトラマンネクサス、ってのもいたな。
下巻はAIに話が及ぶらしい。楽しみだ。
プロローグ
情報の素朴な見方
グーグルvs.ゲーテ
情報を武器化する
今後の道筋
第I部 人間のネットワーク
第1章 情報とは何か?
真実とは何か?
情報が果たす役割
人間の歴史における情報
第2章 物語――無限のつながり
共同主観的現実
物語の力
高貴な嘘
永続的なジレンマ
第3章 文書――紙というトラの一嚙み
貸付契約を殺す
文書検索と官僚制
官僚制と真実の探求
地下世界
生物学のドラマ
法律家どもを皆殺しにしよう
聖なる文書
第4章 誤り――不可謬という幻想
人間の介在を排除する
不可謬のテクノロジー
ヘブライ語聖書の編纂
制度の逆襲
分裂した聖書
エコーチェンバー
印刷と科学と魔女
魔女狩り産業
無知の発見
自己修正メカニズム
DSMと聖書
出版か死か
自己修正の限界
第5章 決定――民主主義と全体主義の概史
多数派による独裁制?
多数派vs.真実
ポピュリズムによる攻撃
社会の民主度を測る
石器時代の民主社会
カエサルを大統領に!
マスメディアがマスデモクラシーを可能にする
二〇世紀――大衆民主主義のみならず大衆全体主義も
全体主義の概史
スパルタと秦
全体主義の三つ組
完全なる統制
クラーク狩り
ソ連という一つの幸せな大家族
党と教会
情報はどのように流れるか
完璧な人はいない
テクノロジーの振り子
原註
索引
Posted by ブクログ
いつもながらとても話が長いが、最高に面白いし勉強になる。
情報とは何か?情報の本質、情報の歴史、情報テクノロジー、そして、行動主体となりうるAIの登場。
手に負えない力を手にした人間はAIに支配されてしまうのかどうか。
サピエンスの時代からAIが登場するまでの情報の流れが具体的に細かく、書かれています。
Posted by ブクログ
面白いけど、真面目に読んで、
考え出すと怖いデス。
とっても知識の豊富な方なので、
何かを説明する前に、○○がキーワードなので、まず、こちらの○○の説明をします的に、どんどん、話が、横にそれていって、いや、それが大事だから、説明してるんだけど。でも、その例が、私には、面白かった。歴史に詳しい人なら、くどく感じるかもしれないですね。
今、chatGPTにハマって遊んでいるのですが、その先のあるもの、そこに隠れているもの、なんだか、怖くなってきました。
私たちは、このさき、未来、生成AIに操られていくかも?
Posted by ブクログ
情報や技術の進化について考えさせられました。そしてそれを使う側の人間。
人はとても愚かな行為を繰り返し、その礎の上を生きているのだけど…上巻は使う側の人間のことを問うているように感じました。
情報の伝え方や解釈による残酷さも感じました。
下巻では、その上に立つかもしれないエイリアンインテリジェンスと対比していくのかと思う。
Posted by ブクログ
あまりにもおもしろく、そしてあまりにもおそろしい——。
本書は「情報」についての人類史を、上下巻にわたって深く考察している。
上巻では主にこれまでの歴史を、下巻ではこれからのAIについての考察が述べられている。
読み進めるうちに、手塚治虫の『火の鳥 未来編』が強く脳裏をよぎった。
AIがこれから加速度的に進歩していくことで、人類が制御できないおそろしい未来を想像せずにはいられなかった。
現在、国家の分断や陰謀論など、情報の氾濫により、私たちはAIのアルゴリズムによって何が正しく、何が間違っているのかの判断すら難しくなってきている。
この状況がさらに進むことで、個人のあらゆるデータを掌握する国家や地域こそが、これからの覇権を握ることになるのだろう。
著書には「シリコンのカーテン」とも表現されていたが、今後はデータ規制がますます強化され、国や地域によっては、より厳しい情報統制が行われる可能性もある。
非常に興味深い内容ではあったが、それでもなぜか明るい未来を思い描くことができなかった。
この10年こそが、人類の未来のキーポイントになると強く感じた。
私たちは、もっと互いに協力し、助け合う社会を築いていかなければならない。
争っている場合ではないのだ。
Posted by ブクログ
自分の手に余る力を生み出すのは我々の種に特有の大勢で協力する方法に由来。神話、宗教など物語のたぐあは、既存の生物学的絆を拡張する手段。偽りの記憶を語り続けると、いずれ人は正真正銘の記憶として受け入れる。大量の人間の間に秩序を生み出す最も効率的な方法は、真実ではなく物語。情報ネットワークは「真実の探究」と「秩序の維持」の双方に効く。官僚制は「整理」、整理の引き出しに押し込める事で真実を反映していない。官僚制は真実を犠牲にするが秩序のためでもある。神話と官僚制は、秩序を維持するのに不可欠な一方、秩序のために真実を犠牲にする。宗教、全体主義の「不可謬性」。聖典は可謬の人間の制度や機関を迂回するテクノロジー。でも、聖典のキュレーションの段階で教会権力強化へ。教会には自己修正メカニズムがない。独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集権型の情報ネットワーク。民主制は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワーク。強権指導者は自己修正メカニズムを徐々に攻撃する。民主制とは多数派原理ではなく万人の自由と平等を意味する。ポピュリズムは、人民はあらゆる権限の唯一の正当な源泉であると主張し、自分だけがその人民を代表していると断言する。民主主義は政治の領域の権限が人民に属するが、他の領域における権限が別のものに由来することを否定しない。情報テクノロジーの発達のおかげで、広範な民主主義と全体主義体制が実現可能に。全体主義は自己修正メカニズムを徹底的に否定し、重複した監視メカニズムで秩序維持。宗教は保守的だが、全体主義は社会を急激に変えるという約束を軸にする。民主制は中央だけではなく、多くの独立した経路を情報が流れるのを促し、多数の独立したノードが自ら情報を処理して決定を下す。他方、全体主義は全ての情報が中枢を通過することを望み、独立した機関が独自の決定を下すことを嫌う。全体主義政権は秩序を維持するために、現代の情報テクノロジーを使って情報の流れを中央集権化したり、真実を押さえ込んだりする。
Posted by ブクログ
歴史を情報と言う観点から見つめ直し、今後のAIの発展の影響について予想する著者得意の壮大な議論。これはその前半。
面白かった点:
・社会は、物語の共有によって成立する。
・文書は、物語の影響力を強化するが、良い方向とは限らない。中世の魔女狩は、魔女を非難する本の出版がきっかけとなった。
・情報の伝達速度と伝達距離の向上が、国家単位での民主主義と全体主義の双方を可能にした。
・近年の歴史では、民主主義が勝利したが、それは必然ではない。
Posted by ブクログ
序盤はハラリの主張を再確認する内容で、『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』を読んでいない読者にも、ハラリの思考を理解しやすい構成になっている。定常運転のような出だしだ。だが、上巻の終盤に突如現れる「エイリアン・インテリジェンス」というパワーワード!ここで一気に空気が変わる。恐らく下巻にかけて、ハラリの論説は一段と加速していくに違いない。
正直、上巻の大半は既知の言説の再構成に思えていた。人類史・宗教・情報社会論など、ハラリらしい俯瞰的な視座は健在だが、新鮮味は抑えられている。終盤で提示されるこの「予感」 ——
それは恐らく助走としての発言
・AIは分析し、意思決定する知能を持つ
・AIは単なるツールではなく、行為主体である
・AIは新たな考えを生成しうる
・AIは生命進化の道筋そのものを変えかねない
この四つの点から察するに、本書はAI脅威論への挑戦、あるいはその超克を目指す試みになるのだろう。
ハラリは「イデオロギーの争いとは、異なる情報ネットワークの衝突である」と述べ、人間社会を“神話”と“官僚制”という二つの情報処理装置として捉える。神話が意味を与え、官僚制が秩序を維持する。しかし両者は常に緊張関係にあり、その摩擦に対して社会の修正メカニズムが必要だ。
だが、その“隙間”にAI=エイリアンインテリジェンスが入り込む余地がある。何故なら、彼らは人間より小さな誤謬しか起こさず、より迅速に修正できるから。結果、より“神話に近く完璧な官僚制を担う存在”として人類の信頼を獲得しうる。神話が心を奪うように、AIが人間の信仰に介在していく。
下巻は、この不吉な予感をさらに現実的な恐怖へと転化させるのか。それとも、希望の光を見せるのか。—— 下巻へ
Posted by ブクログ
民主主義と全体主義がこれまで情報面からどう体制を維持してきたか、が主にアメリカとソ連の例から説明される。下巻で直近のAIの状況を踏まえて、中国も含めた考察になると良いな。
Posted by ブクログ
前半は概念的な解説が続き、ところどころ短い事例が紹介されているが、それでも理解が難しい箇所があり、『サピエンス全史』と比べて、正直読むのに苦労した。ただし78ページの模式図を何度か見返すことで、筆者の主張が少しずつ分かってくる。情報のもたらす「真実」と「秩序」、さらにそこから生み出される「知恵」と「力」の因果関係は、魔女狩り、ヒトラー、スターリンの事例を紹介する中で徐々に頭に入ってきた。特に後半は読むスピードが上がり、引き込まれていった。
読み進める中で、ある程度の世界史の知識は必須であり、時々ウィキペディアでおさらいした。情報ネットワークが無かったことにより、前近代において民主主義が機能しなかった理由、大規模帝国が維持できなくなる理由など、情報ネットワークの発達とその正しい使い方、或いは歪んだ使い方が生み出した「結果」を知らされた。
昨今の不安定な国際情勢においても、我々一市民が情報ネットワークを使いこなす結果次第で、未来がどうなるのか、考えさせられる。下巻も近いうちに読みたい。
Posted by ブクログ
「サピエンス全史」のユヴァル・ノア・ハラリ氏の新作。今回のテーマは情報のNEXUS(結合)。
氏は人類史の発展を「情報」の取扱いとネットワークの進化と説く。それらを「客観的現実」「主観的現実」に加えて、「共同主観的現実」という新たな概念を導入する。前々作では「物語」を主眼に論理展開していたが、本作上巻では「文書」の観点で人類史を捉える。
情報→真実→知恵OR力というI/Oに対して、「文書」化がもたらした情報→秩序という枠組みの功罪。自己修正メカニズムを持つか否かが情報ネットワークとしてポイントとなる。人類史の例示として聖書の正典化や中世の魔女狩り、旧ソ連の全体主義を取り上げて分析する。
「サピエンス全史」のダイナミズムはやや鳴りを潜め、内容的には中世から近代にかけての人間の負の部分に焦点をあてた「不可謬の秩序」に関する歴史書的意味合いなので、ハラル氏ファンの好みは分かれるかもしれない。
Posted by ブクログ
Audibleでながら聞き。社会や技術の変化によって、情報の価値と収集・統制、自己修正力も変化してきたことが語られる。
ものすごく目新しいわけではないが、このテーマで人類史を広くカバーして説明しようという試みは面白い。
Audibleだと理解が大雑把になるので、そのうち本も読もうと思う。
Posted by ブクログ
サピエンス全史が面白かったので。こちらも重いですが面白い。
ハード書籍で目次と参考文献が50ページ弱と、持った感じよりは薄い⋯はずが。1日1時間の平日のみ読書で、2週間かかりました。下巻も頑張る。
Posted by ブクログ
上巻の最後の方でこれからAIについての話をすると予告していた。それまでは、ユダヤ教の歴史とキリスト教への変遷が異常に詳しかった。さらにソ連のスターリンによる全体主義の話も詳しかったが、これはいずれかの本で書かれたことであった。中国の秦についても少しは書かれていたが、広く浅くであった。日本の学生にとっては世界史を勉強しているような気分にさせられる本であろう。
Posted by ブクログ
とりあえず上巻終わったー、
やっぱり言葉遣いがむずかしい。けど面白い!
上巻は歴史メインかな、宗教、全体主義あたりの話のボリュームが多くて印象に残りますね。
Posted by ブクログ
人類を他の動物と分けたもの、それは「虚構を語る力」だった――ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』に続き「情報」という視点から私たちの歴史を読み解く。農耕、貨幣、宗教、国家、科学、デジタル。情報は時に支配を強め時に自由をもたらした。情報革命が進む現代、私たちは前例のない選択を迫られている。誰がどのような意図で何を伝えるのか。それを見極める知性と倫理が未来の鍵を握る。
Posted by ブクログ
情報はあればあるほど良いものではなく、繋がりが大切、真実の伝搬と秩序の維持が大切とのこと。不可謬性、自己修正メカニズム、AIとの競合、大事なのは物語、自己修正の限界等哲学的で難しいところもあるが凄い良書だと思った。
Posted by ブクログ
自己修正メカニズム
→聖典、カトリック教会、ソ連のような全体主義体制にはない
→科学、民主主義にはある
世の中の体制には神話と官僚制が内在されている。神話は統治のために共同幻想を生み出す。官僚制は、秩序維持のために真実を犠牲にして、尺度の中に入れ込む。
ソ連は共産主義という神話、共産党や中央政府といった官僚制を両方持っていた(それも近代の情報テクノロジーにより秦朝の頃より強力な形で)。
しかし、アメリカなど民主主義国家に比べて自己修正メカニズムが脆弱だったため(マスコミや裁判所が無力化されている、全ての情報が中央集権的)、失敗してもそれを反省して修正する能力が低かった。それが20世紀における全体主義体制の敗北に繋がった。
では、21世紀はどうなるか?
インターネット、SNS、AIといった最先端の情報テクノロジーが新たな可能性を提示する中で、20世紀同様に民主主義体制が全体主義体制を打ち負かすのだろうか?
Posted by ブクログ
情報がいかに社会をつくり、支配し、壊すか
歴史を振り返ると、バカらしいことを命かけてやっている。
現代の「魔女狩り」は何だろ。
文春砲的な袋叩きも「魔女狩り」の一種かな。
スターリンの死に様が、哀れ。
倒れてもスルーされる最期って、かわいそうに。
スターリンのお母さん、どんな子育てしたんだろう。自分が母親になると、いろんな人のお母さんがどんな子育てしていたのか気になって仕方がない。
お母さんもスターリンが悪名高い人物になるなんて、思いもしなかっただろうな。
人間は、真実よりも、物語や幻に振り回されて生きているね。
お金だって、真実は、ただの紙やからね。日本通貨は、日本人に共通の幻想を浸透させた結果、大事にされるようになった紙。
世界からすると、信用高めの紙?
下巻は、
AIとネットは便利だけど、放っておいたらマジで危ないよ。ちゃんと賢く管理して生きていこう!
って感じかな。
難しそうやけど、読んでみよう。
Posted by ブクログ
あらゆる物は間違える可能性があるという可謬性の立場を取り、自己修正メカニズムを仕組みに取り入れた科学技術と、全体主義のイデオロギーや宗教の聖書のように、間違いはないという立場、誤りは訂正する事がない不可謬性システムとの違い、メリット、デメリットについて説明がベースとなっている。
基本的には、前者を推進すべきであるが、社会秩序や効率化という観点からは全てを可謬性システムに委ねるのは、そこからでてくる課題の多さ、難易度が上がっているのも、各国の政治からもその一端が見える気がした。日本の政治もそうでしょうか。
欧米の歴史やベース知識が少ない事もあり、本を読み進め、理解するのに時間が掛かりましたが、結構考えさせされる本でした。下巻へと進みたいです。
Posted by ブクログ
情報の歴史的役割:人・物事を結びつける、社会的なNEXUS(絆・中心的)
→情報は現実を表示していない時もある
→正否よりも、どう上手く人々を結びつけるか、
どのようなネットワークを新たに作り出すかが重要であることが多い。
人間の情報ネットワークの誤りへの対処
・聖典
→人の誤りを防ぐために聖典として書物で情報から人の介在を排除
→解釈の違い ex.安息日に労働してはならない
→紙を引きちぎるのは労働だと判断を下された
→正統派のユダヤ教徒は安息日用にトイレットペーパーを
予め引きちぎって重ねて準備する
→解釈のずれを修正した新しい聖典を編纂
→外部環境は常に変化するため、新たな解釈の違い、
聖典の再編纂が繰り返される。
・科学の機関
→経験的証拠に基づいて情報のキュレーションを行う
→人・機関自体も誤りは避けられないことを前提とし、自己懐疑に報いる。
※社会秩序の維持は他の機関に任せていため自己修正メカニズムを持てた
Posted by ブクログ
上巻は本題に入る前の歴史を述べていく。
情報は必ずしも現実を表さない
フェイクはリアルよりわかりやすくできるため、リアルより広まりやすい
などなど、聖書、魔女狩り、スターリンやヒトラーの全体主義などを例に語られる。
印刷術、ラジオ、テレビなどから進んでいく。そして、コンピュータ、AIがいかに今までの技術と異なるかが、下巻に続いていく。
印象的なのは 不可謬であることの 課題、怖さなどを聖書や全体主義に見ていて、冷戦でアメリカや民主主義陣営が良かったことに可謬、つまり訂正可能性、課題を自己訂正しつづけられたからとしていること。
訂正可能性の哲学にもつながる面白い見方だった。
Posted by ブクログ
著者の本はこれまでも読んできたが、新たな視点を与えられることが多く、今作も期待しつつ読み始め。
今作は「民主主義と情報テクノロジー」がテーマと理解。民主主義の成立・発展には情報テクノロジーが欠かせないが、これが逆に民主主義を阻むことにもなり得、情報テクノロジーが凄まじい勢いで進化している今や、このバランスを取るのが非常に難しく、大きな危険を孕んでいる、というのが概要かな。
海外のみならず、日本でも危険な傾向を肌身で感じている昨今、非常にタイムリーな内容だった。下巻も期待。
Posted by ブクログ
人類史に興味を持ち始めたので、読んでみたいと思い、Audibleで聴読。
情報に焦点は当たっているが、歴史的な政治背景や宗教的な考え方、民族など幅広い観点からの話に圧倒された。その情報量だけで頭いっぱいという感じ。結局、何か答えは得られたかで言うと、まだ無い。AIによってもたらされる人類への影響は下巻で説明という感じで終わってしまったので、下巻のほうが気になる。AIによって人類が滅ぼされる可能性は10%くらいというのが印象に残った。
Posted by ブクログ
考える力で言えば世界有数のハラリ氏の本なので自分なりに丁寧に読み進めたけど案の定割と難解だった。
それにしてもスターリン時代の旧ソ連は酷いな。あそこまで酷いとは思わなかった。
Posted by ブクログ
したがって、私たちが力を濫用するのは、各自の心理のせいではない。なにしろ人間は、傲慢さや強欲や残虐さだけでなく、愛や思いやり、謙虚さ、喜びもまた持ちうるのだから。最悪の部類の人間は、たしかに強欲と残虐性に支配され、力の濫用へと導かれる。だが、人間社会はなぜ、よりによって最悪の者たちに権力を託したりするのか? たとえば、一九三三年のドイツ人のほとんどは、 精神病質者ではなかった。それなのに、なぜ彼らはヒトラーに票を投じたのか?
自分の手に余る力を呼び出す傾向は、個人の心理ではなく、私たちの種に特有の、大勢で協力する方法に由来する。人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を獲得するものの、そうしたネットワークは、その構築の仕方のせいで力を無分別に使いやすくなってしまっているというのが、本書の核心を成す主張だ。というわけで、私たちの問題はネットワークの問題なのだ。 さらに具体的に言えば、それは情報の問題ということになる。情報はネットワークの一体性を保つ、 いわば接着剤だ。だが、サピエンスは、神や魔法をかけた簪、AI、その他じつに多くのものについての虚構や空想や集団妄想を生み出して広めることによって、何万年にもわたって大規模なネットワークを構築し、維持してきた。一人ひとりの人間はたいてい自分や世界についての真実を知ることに関心があるのに対して、大規模なネットワークは虚構や空想に頼ってメンバーを束ね、秩序を生み出す。たとえばナチズムやスターリン主義も、そのようにして誕生した。両者は並外れて強力なネットワークであり、並外れて妄想的な思想によってまとまっていた。ジョージ・オーウェルの有名な言葉にあるとおり、無知は力なり、なのだ(「一九八四年」)。
ここで強調しておくべきだが、情報とは物事の表示であるという素朴な見方を退けたからといって、 真実という概念を退けなければならないわけではないし、情報は武器であるというポピュリストの見方を受け容れなくてはならないわけでもない。情報はつねに人や物事を結びつけるものの、科学の書物から政治の演説まで、一部の種類の情報は、現実の特定の面を正確に表すことで人々を結びつけようと努める。だが、それには特別な努力が求められる。そして、ほとんどの情報は、そのような努力を伴わない。だから、より効果的な情報テクノロジーを創り出せば、必ず世の中をより忠実に理解できるようになると考える、素朴な見方は間違っている。真実をもっと重視するために、さらなる措置を取らないかぎり、情報の量と速度を増しても、比較的稀で費用のかかる忠実な説明は、それよりもはるかにありふれていて安価な種類の情報に圧倒されてしまう可能性が高い。
したがって、石器時代からシリコン時代までの情報の歴史を眺めてみると、接続性は着実に上がっているものの、それに伴って真実性と知恵が増す様子は見られない。素朴な見方が信じていることとは裏腹に、サピエンスが世界を征服したのは、情報を現実の正確な地図に変える才能があるからではなかった。成功の秘訣はむしろ、情報を利用して大勢の人を結びつける才能があるからだ。不幸にも、 この能力は嘘や誤りや空想を信じることと分かち難く結びついている場合が多い。だからこれまで、 ナチスドイツやソ連のような、テクノロジーが発達した社会でさえ、妄想的な考えを抱きがちだったのであり、そうした妄想によって、必ずしも弱体化しなかったのだ。それどころか、人種や階級といったものについての、ナチスのイデオロギーやスターリン主義のイデオロギーのような集団妄想は現に、何千万もの人々に足並みを揃えていっしょに進ませる上で役に立った。
物語が語られるようになる前からあった二つの次元の現実は、客観的現実と主観的現実だ。客観的現実は、石や山や小惑星といったもの――私たちがそれらを認識しているかどうかに無関係に存在するもの――から成る。たとえば、地球に向かって突進してくる小惑星は、誰一人それがそこにあるのを知らなかったとしてさえ、存在している。それに加えて主観的現実というものもある。痛みや快感や愛などで、「そこ」にはないが、「ここ」、つまり自分の中にある。主観的なものは、それらについての私たちの自覚の中に存在する。「感じられない痛み」などというのは言葉の矛盾だ。
だが物語のうちには、第三の次元の現実である、共同主観的現実を創り出せるものもある。痛みのような主観的なものは、一人の人間の心の中に存在するのに対して、法律や神、国民、企業、通貨といった共同主観的なものは、大勢の人の心を結ぶネクサスの部分に存在する。より具体的に言えば、 それらは人々が互いに語る物語の中に存在する。共同主観的なものについて人間が交換する情報は、 その情報交換の前にすでに存在していたものは何一つ表していない。むしろ、情報の交換がそれらのものを創り出すのだ。
上層部の人間なら知っているのに、核物理学者がいつも気づくとはかぎらないことがある。それは、 宇宙についての真実を語るのが、大勢の人間の間に秩序を生み出す最も効率的な方法には程遠いということだ。E=m²、すなわちエネルギーは質量と光速の二乗の積に等しいというのは正しいし、宇宙で起こることの多くをこの式で説明できるが、E=m2であるのを知っていても、政治的な意見の相違はたいてい解消できないし、人々を奮い立たせて共通の大義のために犠牲を払わせることもできない。人間のネットワークを維持するのは、虚構の物語、特に、神や貨幣や国民といった共同主観的なものについての物語の場合が多い。人々を団結させることに関しては、もともと虚構には真実よりも有利な点が二つある。第一に、虚構は好きなだけ単純にできるのに対して、真実はもっと複雑になりがちだ。なぜなら、真実が表しているはずの現実が複雑だからだ。国民についての真実を例に取ろう。自分が所属している国民という集団が、自分たちの集合的想像の中にしか存在しない共同主観的存在であることを理解するのは難しい。政治家が演説で、国民とは共同主観的存在であるなどと言うのを、 私たちが耳にすることはめったにない。自分の属する国民は神に選ばれた人々であり、創造主によって何か特別な使命を託されていると信じるほうが、はるかに易しい。この単純な物語は、イスラエルからイランまで、そしてアメリカからロシアまで、無数の国の政治家によって繰り返し語られてきた。
第二に、真実はしばしば不快で不穏であり、それをもっと快く気分の良いものにしようとしたら、 もう真実ではなくなってしまう。それに対して、虚構はいくらでも融通が利く。どの国民の歴史にも人々が認めたり思い出したりしたくない暗い出来事があるものだ。イスラエルの占領下にあるパレスティナの一般市民にどれだけ悲惨な思いをさせているかを、イスラエルの政治家が選挙演説で詳しく語ったら、票が集まりそうにない。逆に、不愉快な事実を無視し、ユダヤ人の過去における栄光の時に焦点を当て、必要に応じていつでも遠慮なく粉飾を行なって国民神話を築き上げる政治家は、圧勝して政権に就くだろう。これはイスラエルだけの話ではなく、あらゆる国に当てはまる。イタリア人やインド人のなかに、自分たち国民についてのありのままの真実を聞きたがる人がどれだけいるだうか? いっさい妥協することなく真実を堅持するのは、科学の進歩にとっては不可欠だし、精神的な慣行としても見上げたものだが、勝利をもたらす選挙戦略ではない。
情報はどのように流れるか
というわけで、近代後期の新しい情報テクノロジーが大規模な民主主義体制と大規模な全体主義体制の両方の台頭につながったことがわかった。だが、これら二つの体制が情報テクノロジーをどのように使ったかには、きわめて重要な違いがあった。すでに指摘したように、民主制は中央を通ってだけではなく、多くの独立した経路を通って情報が流れるのも促し、多数の独立したノードが自ら情報を処理して決定を下すことを許す。情報は、大臣のオフィスをまったく経由することなく、民間の企業や報道機関、地方自治体、スポーツ協会、慈善団体、家庭、個人の間で自由に流れる。
一方、全体主義はすべての情報が中枢を通過することを望み、独立した機関が独自の決定を下すことを嫌う。たしかに全体主義には、政権と党と秘密警察という三つ組の機関がある。だが、これら三つを併存させるのは、中央に楯突きかねないような独立した権力が登場するのを防ぐためにほかならない。政権の役人と党員と秘密警察の濃報員が絶えず監視し合っていれば、中央に逆らうのははなはだしく危険になる。
対照的な種類の情報ネットワークである民主主義体制と全体主義体制には、それぞれ長所と短所がある。中央集中型の全体主義ネットワークにとって最大の強みは、極端なまでに秩序立っていることであり、そのおかげで素早く決定を下して情け容赦なくそれを実行に移せる。戦争や感染症の流行のような緊急事態のときには特に、中央集中型のネットワークは分散型のネットワークよりもはるかに迅速で踏み込んだ措置が取れる。
だが、極度に中央集中型の情報ネットワークは、いくつかの重大な短所も抱えている。公式の経路を通してしか情報がどこへも流れることを許さないので、その経路が遮断されたら、情報の代替の伝達手段がまったく見つからない。そして、公式の経路はしばしば遮断される。
他の多くの活動分野でも、同じような傾向が見られた。たとえば、ソ連の工業は一九三○年代に数多くの事故に見舞われた。大部分は、モスクワにいるソ連の幹部たちのせいだった。彼らは実現がほぼ不可能な工業化の目標を立て、その目標に到達できなければ叛逆と見なした。野心的な目標を達成しようと努めるために、安全対策や品質管理検査が行なわれなくなり、慎重に事を運ぶように助言した専門家は、懲戒されたり射殺されたりすることが多かった。その結果、次々に労働災害が起こり不良品の山が築かれ、労力が浪費された。モスクワの政権は責任の転嫁を図り、これはソ連の事業を頓挫させようと意気込む妨害活動家やテロリストによる、トロッキー主義・帝国主義者の世界的な陰謀のせいだと決めつけた。幹部たちは、工業化のベースを落として、さまざまな安全基準を採用したりはせず、いっそう厳しい粛清を行ない、さらに多くの人を射殺した。