あらすじ
〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版した。
世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か。20世紀を代表する作品を、ここに新たにお贈りする。
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Posted by ブクログ
恥ずかしながら読むまで小説だと思っていた。
強制収容所で過ごした心理学者の体験記。
非常に酷い辛い状況で目を背けたくなるが、本書の主題はそこではなく、苦しい状況の中で人間はどう変化するのか?どう在ることができるのか?という人間性に迫る点だった。
数多あるノンフィクションの中で、ここまで「人間を人間たらしめること」という生きる本質に迫るものは中々ないのではないかという気がする。
ノンフィクションやルポルタージュはある事件や組織の取材を通して一つのテーマに光を当てるものが多い。しかし、ここまで人間の本質の真ん中を「実体験」として描く作品となったのは、やはり極限状態の中で独自の眼差しを持ち続けた著者のなせた技なのだろう。
映画の「ラーゲリより愛を込めて」も観たくなった。
Posted by ブクログ
昔の記憶。極限下での人間の倫理観というか自由がリアル
・自分の1切れのパンを、それでも病人に与える人間がいる
・酷いことをされたということが、あなたが他人に対して酷いことをして良い理由にはならない
Posted by ブクログ
自分が評価をすること自体おこがましいと感じますが、★5とすることで最大限の敬意を表したいと思います。
これが人間ができる所業なのかと(読後にはフランクル氏の言葉に納得させられました)、理不尽という言葉ではとても片付けられない惨状に、苦しくなり涙が止まらなくなることもありながら、それでも向き合いたいと、自分が何を得られるのか?という思いで読みすすめました。
読後数日経ちますが、まだ言葉にすることのできない感情が多いです
自分の知っている言葉で表すことで、そこで止まってしまうような気もするからです
非人道的な扱いをうける中の極限状態でも仲間を想う心に深く感動し、高潔な魂や人間の可能性に感銘をうけると同時に、もし自分がこのような状況に置かれた時、はたして他者を思いやる気持ちをなくさずにいられるだろうか?と、ましてや生きることを諦めずにいられるだろうか?と自問自答を繰り返しています
ですが、ごく僅かであれどのような状況に置かれても自らと他者の尊厳を守り抜き生き抜いた人がいるのだということが、フランクル氏が伝えてくれているように事実であり証明であり、希望であること、そして最後までその選択は誰にも奪えない、自分で選択できるのだということを忘れたくないです
愛する人を想い、希望を抱き自らを奮い立たせ生き抜いた後に待ち受けているものは幸福である、と信じたいですが現実はそうではないということが痛いほど伝わってきます
解放後、フランクル氏自身はどのような心理的変化を辿り人生を歩まれたのでしょうか
今後も、その都度感じる気持ちがどう変わるのか、自分の何が変わるのか、何度も読み返していきたいです
Posted by ブクログ
・P109「精神の自由」「運命ー賜物」
極限的な生存環境下では、感情がすり減り、精神が減退し、原始的な「生き延びる」という欲求しか残されない。では人間の魂は結局、偶発的に与えられた環境条件や制約に依るしかないのか。
筆者は必ずしもそうではないと言う。被収容者の中にも思いやりを持ち続けた者がいた。この経験を挙げながら、人間はそれぞれ、このような状況下でも自らの尊厳を守るかどうか、決断を下せるのだと説く。
収容所で人間の内なる自由を手放さず、振る舞いや苦しみや死によって示した人々は、ドストエフスキーの言う「苦悩に値する」人間として生きた結果、その生に意義を与えた。
「まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ」「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかと言う一点にかかっている」「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ」筆者はそう唱える。被収容者の苦しみに満ち、未来のない絶望の中での生活における生にも、確かに意味はあるのだ。
・P129「生きる意味を問う」
クリスマスまでには家に帰れるかもしれない、という希望を打ち砕かれ、打ちひしがれた被収容者たちが大量死してしまう。このことに現れるように、生きる目的を見出せず、何も期待が持てなくなってしまった人間は、あらゆる励ましや慰めを拒絶し、文字通り崩落してしまう。
そんな彼らに対し、どのように応えたら良いのか。
筆者は、生きる意味についての問いを百八十度転換し、「わたしたちが生きることからなにを期待するか」ではなく、むしろ「生きることがわたしたちからなにを期待しているか」が問題だ、と言う。
つまり、生きることはわたしたちそれぞれに個別具体的な要請を突きつける。わたしたちはこの課題に対し、行動や態度を通じ、毎度異なる「答え」を提示し続けなければいけない。運命とも呼べるこの要請が苦しみの形をしているなら、人はこれを責務として向き合い、自分は苦しみに満ちた運命として存在しているのだと引き受けなければならない。
→
上記の章で語られる内容がこの本の真髄なのではないかと思う。強制収容所という恐怖と暴力に満ちた異常な空間で精神を保ち、人間の内なる自由を侵されないためには、その状況そのものを「生きる上での要請=運命」が与えた自分だけの責務として捉え、それを引き受けることが生きる意味なのだと捉え直す必要があった。
現代日本で、戦禍から遠く離れた暮らしを送る私が、この内容を完全に理解できたとは思わない。けれど、たとえば新卒何年目かの配属先の部署で、膨大な仕事と抑圧的な組織のもと心身を擦り減らしていた時期を思い返すと、当時この本に出会えていたら、自分が置かれている状況を「ただ耐えるもの」ではなく「何らかの態度を選び取ることを求められている局面」と捉え直すことができたのかもしれない。それとも、適応障害の診断をもらって逃げるように異動してしまったこともまた、当時の私に突きつけられていた要請に対する一つの答えだったのだろうか。少なくともあの頃の私には、それ以外の答えを提示する余力がなかった。その限界を画した上でしか引き受けられない運命もあったということなのだろうか。
「生きる意味を問う」の章にある「誰もその人の身代わりとなって苦しみをとことん苦しむことはできない」という言葉の意味を、長い生涯をかけて考え続けたいと思う。
ただ少なくとも今は、苦しみから逃げなかったかどうかではなく、苦しみを前に自分がどのような態度を選んだか、あるいは選びとれなかったかという事実そのものが、その人にしか引き受けられない生の一部なのだと考えている。
Posted by ブクログ
今もっている全てのものは、最も簡単に、不条理に、奪われる可能性が常にある。そして、どのようや状況のもとであっても、人間であるかどうかは、自分自身が決めることである。
生きる意味とは、こちらから探すものではなく、こちらが問いかけられているものである。
人間として生きることを、いつのときも諦めることなく、生きていきたいと強く感じさせられた。
Posted by ブクログ
一年に一回は読んだ方がいいというくらい、人間の限界の有様が書かれていて、平和ボケしている私たち日本人にはより自分の生活を必死に生きなければ、と思い震わせられる作品。気が滅入る内容だが、向き合わなければならない過去だと思う。
Posted by ブクログ
愛は人が人として到達できる究極にして最高のものである。
長く苦しい生活を乗り越えた人々が自由を手に入れた時、待ち受けていた現実が思い描いていたものでなかった時の失望。
生きることの意味とは。
Posted by ブクログ
感想書いていいのかも分からない。書かせてもらいますが。
美術の先生に勧められたので読みました。
何回聞いても強制収容所の話は壮絶。
自分的に1番刺さったのは,収容所から帰ってきた自分を出迎えてくれる人がいなかったところ。
解放されたからはい幸せですってわけじゃないんだって感じ。
暖かい布団で寝られることに感謝
Posted by ブクログ
やっとこの作品と向き合う気持ちが出来たので、ゆっくりと読ませていただいた。
ユダヤ人収容所での苛烈極まる日々を描いた作品。
1.ユーモアは自分を失わない為の魂武器である。
ほんの数秒間でも周囲から距離を取り状況に打ちひしがれないために人間という存在に備わっているなにか。
震災の後、お笑いを届けに行く芸人さんの苦悩に寄り添える言葉だと思う
2.強制収容所に人間を入れて全てを奪う事が出来るがたった一つ与えられた環境で、いかに振る舞うかという人間としての最後の自由だけは奪えない。
全てを数字で管理され徹底的に自己を奪われたなか、本当のアイデンティティとは何かを見出した一文。頭が下がる思い。
3.生きるとは生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々その要請を充す義務を引き受ける事。
今まで何の為に生きているのか?という思いを自問自答した事はあったが、極論生きるという行為が義務のあとにあるという発想(語弊は多々ありますが)とことんまで思考を諦めない結果の答えなのかと思うと涙しかないです。
そんな人としての尊厳も失われて、いつまで続くかわからない死と隣り合わせの日々に向き合う中で、人間の本当の素晴らしさは何なのかを知る事が出来る作品でした。
読んで良かった、ありがとうございます!
Posted by ブクログ
これからも繰り返し読みたい本
素晴らしい名著
人間とは何か、人間とは最後まで自分で決定できる
優しさや思いやりを選択できる人間になりたい
自分の人生を歩んでく中で
改めて読み返してみたいと思う
Posted by ブクログ
「どんな状況、環境においても人の心だけは、犯せないこと。人間は常に決定する(できる)存在であること」「なぜ生きるかを知っている者は、どこように生きることにも耐える」「愛は人が人として到達できる究極にして最高なもの」
→愛する人(モノ)を想い、終わりや未来を描き、主体的に行動すること。極限状態を経験した著者から学んだ原則。7つの習慣ともあいます。
-生きることにおいて、苦しみや死でさえ、生きる意味として受け入れる。-
→著者のような極限状態を経験してない私にはまだ理解できないけども、人生を通して上記境地に辿り着きたい。
本書は私の人生におけるバイブルです。
Posted by ブクログ
年末年始休暇のため、ずっと読もうと思っていたこの本を手に取った。
思っていたよりも読みやすい文体だったのと、内容が凄惨で一気に読み進めてしまった。
最初のほうで、ずるい人ほど生き残る、と書かれていた一方で、後半は希望を持った人が生き残る、と書いてあったので、その整合性がまだ理解出来ていない。
生きる意味を問うのではなく、生きる意味を問われているのでそれを行動で答える、というのは確かに世界のあらゆる書籍の中でも名著と評されるにしかるべきものだなと思った。
アウシュビッツそれ自体についても人類の大いなる大罪だと思うので
別の機会にまた考えたいのだけど、
自分の今の日常への示唆という観点では、
「今日もめんどくさいな」「生きてるの嫌だな」と思ってしまうような瞬間がままあるので、自分なりの希望を持ちたいと思った。
希望は人それぞれで、その人にしかない唯一のものである、というようなことが書いてあったのも印象に残った。
世の中でよく言われるような、愛や家族は私にはしっくりこないので。
ネガティブな性格なのだけど、もっと希望をもって生きてみようかと思った。
Posted by ブクログ
アウシュヴィッツ強制収容所から生き延びた、 ユダヤ人の男性医師の話。
収容中の地獄の生活について、飢えや寒さ、痛み、苦しみのリアルが伝わってきて、読み進める辛さがあった。
歴史の教科書の1ページでしか無かった出来事に現実感をもたせ、改めて人類最大の罪について深く考えさせられる名著。特に若い層に読んで欲しいと感じた。
Posted by ブクログ
精神科医であるヴィクトール・フランクルが、ナチス強制収容所での生活を冷静に記録し、収容所の人々が何に希望を見出し生き抜こうとしたかを克明に記した本。
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どのような外的環境にあっても、自分が自分である為に(内的環境を統一する為に)は唯一性が大切であり、その唯一性は何かに対する責任感から生じるそう。収容所で極限状態を経験している筆者の言葉は深く印象に残った。
(唯一性:自分にしかできない仕事がある、自分にしか守れない大切な家族がいるなど)
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ただ、唯一性を他者に対する責任として持つ時には、他者が「生きている」ことを前提として考えてしまうという大きなリスクを孕んでいると思った。
愛する家族への責任感で生き延びたものの、家族は皆収容所で死んでいた時、一気に自分の存在価値が分からなくなってしまうと思う。
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フランクルによると、他者の生死に関わらず責務を全うする姿勢が必要だそう。それには一朝一夕では身につかない強靭な精神力が求められるし、ここまで崇高な思考に到達するのは通常の生活だとなかなか難しい気がする。
ジェノサイドなど想像を絶する経験によって初めて、彼の言葉が理想論ではなく現実味を帯びるんだろうな。どこまで行っても私は傍観者で終わってしまうんだなと痛感した。
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全体として重い内容なのに読後感が良いのが不思議。
人は死という終わりがあるからこそ、何か目的を持って生きたいと願い、行動するのだと改めて思った。
あと、宗教が存在する意義を改めて感じるきっかけともなった。頼るものがあることは内的環境を統一する上ですごく大切だわ。
Posted by ブクログ
強制収容所での経験を心理学の立場から解明しようと書かれた本。元被収容者の特異で心理学的に見てまったく新しい人生観への理解を助けることが眼目だという。
被収容者の心の反応は三段階、つまり収容される段階、まさに収容所生活そのものの段階、そして出所ないし開放の段階に分類されるが、第一段階は収容ショックが自身の体験と共に語られる。恩赦妄想、つまり助かるのではないかと言う幻想は見ぐるみをはがされ鞭で打たれる中で潰えていく一方で裸の体以外に失うものはないという、やけくそのユーモアが込み上げる。
収容ショックにある者にとって、出口のない死の危険と隣り合わせの状況におけるさまざまな"選別"は自殺の手間を省いてくれるものでしかなかった。
引用されていたゴットホルト・エフライム・レッシングの言葉。
『特定のことに直面しても分別を失わない者は、そもそも失うべき分別をもっていないのだ』
収容されて数日で被収容者は第二段階、感動の消失(アパシー)へ移行する。「感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。」毎日殴られることにたいしても、何も感じなくさせる。理由もなく殴られる。殴られながら嘲られる。感情が鈍磨していた者でもときには憤怒する。最悪の栄養状態で精神的にも追い詰められた最悪の状況。しかしこの「ほかにありようが"ない"」としか思えない環境に対し、どうふるまうかという、精神の自由を見失わなかった人がいたという。
人間としての、最後の、内なる自由。
「収容所の日々、いや時々刻々は、内心の決断を迫る状況また状況の連続だった。人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件に素ばれるたんなるモノとなりはて、「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだと誘惑する環境の力の前にひざまずいて堕落に甘んじるか、あるいは拒否するか、という決断だ。」
私はきっと無理だ。でもこれを読んで無理だ、とは言えない気もする。「わたしがわたしの苦悩に値しない人間になる」ことが耐え難いと感じる。それはこの本の力だと思う。
「強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。」
「わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。」
これらの言葉はとりわけ光彩を放っている。
第三段階は収容者を解放された被収容者の心理だが、あいかわらず権力や暴力といった枠組にとらわれた心的態度、つまり「そういう人びとは、今や解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだと履き違えるのだ」。後書きでも触れられていたが、ここはイスラエルの建国、そしてパレスチナのナクバが思い出され、やるせなかった。
最後に、分断が進む今の時代に、自分自身戒めとなる言葉を引用しておきたい。
「こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。」
Posted by ブクログ
精神科医である著者が、アウシュヴィッツを含む4つの強制収容所での体験に基づき、極限状態における人間の心の動きを冷静かつ温かい眼差しで観察した、心の解剖図のような名著。
壮絶すぎて辛い……。いつかまた読み返すべきだが、足がすくむ。
蹂躙され続けた個人の主体性を取り戻すための「魂の叫び」として実存主義が受容された歴史的背景には感嘆した。だが同時に、この背景を無視して、平時の現代に安易に実存主義を一般化してしまうのは、一種の「暴力」ではないかとも感じた。未来を奪われた「暫定的存在」たちが、いかにして幻影に逃げ込まずに立っていられたかという血を吐くような記録が、100%の資本主義・生産性至上主義による自己責任論にやすやすと接続されてしまう危うさを、強く危惧せざるをえない。
虚弱な私からすれば、著者の人生は「蝋と芯の両方が太く長い蝋燭」のようだ。彼は92歳まで生きた「体力おばけ」であり、その崇高な振る舞いは、ある種の強者の論理による構造主義的な限界を超えた特異点に見えてしまう。
しかし、著者自身も「そんなことができるのは、ごく限られた人びとだった」と認めているように、彼は遺伝や環境という「構造」の圧倒的な重力を知りながら、それでもなお、あえて抗おうとしたのではないか。その抗い、その祈りに似た態度に、素直に「かっこいい」と思わされた。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」(ニーチェ)
Posted by ブクログ
間違いなく名著だと思いました。ずっと自分のなかでは読書のラスボス的な存在でしたが、ようやく人生に一息つき、今この時期に読むことができてよかったです。もっと分厚くて重く暗い読むのが辛いような本だと思っていたのですが、そうではなく(本当に分厚くないちょっとした一冊です)、著者の目的はそこではなく、人間とは何かを語りかけるような本でした。それこそ名著と言われるような作品にありがちな、難解な言葉遣いはなく、ところどころ声に出して読みながら、書いてある言葉を噛み締めながら、読みました。
Posted by ブクログ
この本に自分がレビューを残すべきなのか、みたいな気持ちにさせられる。私が変に言葉にしたり、おすすめとして共有したりするべき本ではないような。未熟な語彙でこの体験記を美単風に消化しちゃうのが怖い。
ただ訳者あとがきでタイトルの夜と霧、というのが暗闇に紛れて霧のように消えたという意味だと書いてあって命や未来がそんな簡単に消えてたまるかと思った。秀逸なタイトル、原作は違うらしいから翻訳者さんってすごい。
読んでもあんまり分かんなかったのは、苦しむに値する人間ってなに?ってこと。しかも割といい意味で使われてて不思議だった。これ書き終わったら調べてみよ。
あとで戻ってくるとき用に書くと人間には選択肢があり、内面と外の戦いなのだみたいなことだったと思う。Psychologyでちょっと習ったな。
Posted by ブクログ
また読む。環境によって人が規定されるのではとちょうど自由意志に対して疑心暗鬼になっていたので、極限状態の強制収容所でも内面が豊かな人はなんとか型にあてはまらず人としての利他と夢を忘れない人々がいた事を知れてよかった。
また、自分の記憶や解釈及び過去に存するいとしい人を保持し続けることで愛に対しての理解を得た描写が記憶に残っている。神格化とも言えるのかもしれないが、自分の頭の中にいる愛おしい人は素晴らしいもの!だ!
「苦しむことはなにかをなしとげること」
はたして自分がその境遇になったときに
そのように境地に達することはできるのだろうか。
解放されずに殺されてしまった人々は、どう思うだろうか。
結論を出せるような問題ではないが
自分にはない視点を得られた。
興味深い
あらすじと名言を聞いただけで読みたいと感じ、購入しました。固い表現ばかりに見えますが内容がとても興味深く、何周も読みたいと思いました。
名著
著者の実際の体験から得られた言葉には計り知れないほどの説得力があった。凄惨な場面についての表現も多く含むため読むのが辛くなることもあるが、読了して多くのことが学べたと思う。現代に生きるすべての人に読んでほしい一冊。
Posted by ブクログ
第二次世界大戦 においてナチスドイツ が行った最大の戦争犯罪であるユダヤ人の虐殺について、収容所に収容された精神科医の記録であり名著です。素晴らしい言葉が多い本書において、「自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。」という言葉に涙しました。博士が 収容所でどんな苦しみでも人を愛せると気付かせた最愛の妻は、アウシュビッツですでに亡くなっていたのです 。
人生に悩む人は読むべし
前半は、悲惨、無残、過酷、残酷、どんな形容詞でも足りないほどの強制収容所の実態が、抑えたトーンで描かれたルポルタージュです。
後半は、そんな環境下で作者が見いだした、生きるとはどういうことか、生きることの価値は何なのか、ということが、圧倒的な説得力で伝えられています。
人生で辛いことがあって、何のために私は生きているんだろう、とか、私はどう生きればいいんだろう、とか、悩んでいる人(私がそうでした)に、ひとつの回答を提示してくれます。
旧版は読んだことありませんが、新版は読みやすく、訳も問題ありません。
一点だけ。タイトルは、新訳の訳者は、旧訳への敬意をこめて、元のタイトルを残した、と述べていますが、若干違和感を感じました。前半の収容所ルポにはフィットするタイトルですが、後半の人生論にはちょっとそぐわない気がします。新しいタイトルをつけても良かった気がしますが、あまりに有名なタイトルなので、そのまま残したのでしょう。
Posted by ブクログ
アウシュビッツの映画を観てきたので、
意外性は少なかったが心理を分析されている内容なので面白い。
特に目標を持っている間の勇気と希望がある間は肉体の免疫性の状態も優れ、かたや目標が失敗した場合は免疫性の急速低下が起こる点が印象的。
生きる目的を見出せず、生きるなき実を失い、生きていても何もならないと考え、自分が存在する意味をなくすと共にがんばり抜く意味も見失う、、、
ークリスマスに家に帰れるという話を多くが信じていたが帰れず、クリスマスを過ぎて次々と亡くなるー
これは仕事にも通ずることだと感じた。
「目標を持たない仕事」は免疫力が低下し活力を保つ事ができず、鬱病となる。と。
他には、妻が生きている生きていないに関係なく妻を妄想し語りかける、極限の状態でいかに愛が支えとなるのかを知る事ができた。
解放された時に被収容者は歓喜に満ち溢れたと想定していたが「感情を忘れており嬉しいと言う感情がわからなかった」のは驚愕した。
解放された後にも心理的な苦悩が待ち受けてるのが悲しいな、、、
Posted by ブクログ
生きる力とは精神と運なのかもしれない。
人間が体験する世界だとは信じ難い内容に、自身の体験談と比較して感想を述べることが憚られる。
私の人生にそれほどの苦悩があるのだろうか。
Posted by ブクログ
耐え難い苦痛の中で愛する存在を強く思う
あくまでフラットな視点で描かれていて余計な感傷がない
迫る言葉ばかりだけどまだ消化しきれない。想像すらできない
なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える
Posted by ブクログ
世界的名著が、最新に新訳されたということで、ついに読んでみた。
なんとなく事前に想像はすれど、読んでみると本当に想像を絶するような事実体験が見えてくる。
そして、客観的にも思える冷静な状況分析や精神分析がされていることが、よけいに苦しさを想像させる。
メンタルスキルの話題できいたことのある、「どんなに悪い状況にあっても、どう反応するかは自分で決められる」は、このフランクリンの言葉から来ていたのだと知る。これは、とんでもなく重くて大切な言葉だ。
日常に起こる多少の理不尽なんて、フランクリンが体験してきたことに比べたら糸くずのようなものだ。
事実は変えられなくても、何を感じてどう行動するかは自分で決められる。人間は、本当にすごいのだ。
ずっと心にとめておきたい、大切なことを教えてくれた本でした。読んで良かった。
Posted by ブクログ
4.0
私たちが生きることから何を期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何を期待しているか。
生きるとは、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、刻々の要請を充たす義務を引き受けることに他ならない。
なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える
永遠のロングセラーの意味が分かった。大切に本棚に置いておきたい一冊。
Posted by ブクログ
「自分がどうあるか?」が人間の尊厳であるという結論。このフランクルの意見は、フロイトとの比較で腑に落ちた。
フロイト医学では、人間の欲を「仕事」と「愛」に昇華することで、健康的に生きられるとした。
認められたい、やりたいことしたい、愛されたい、といった負の方向にも行きかねないエネルギーが、人間には満ち溢れてる。
これを社会の枠にハメて、「仕事」と「愛」に注ぎ込むことで、欲が満たされて健康になる。つまり、全力で仕事して、全力で愛せ、と。
これは、「価値と評価」が交換される世界でのみ通用する考え方である。
一方で、フランクルは強制収容所という、「価値と評価」が交換されるといった通常の世界とは程遠い、全てが奪われた世界に身を置いた。
そんな極限な状態でも、横暴な人間、親切な人間とそれぞれ行動が分かれた。つまり、人が「どうあるか」というのは、最後に残された人間の尊厳であると。
現代人に当てはめると、思ったより評価されない、自分なりに価値が出せてないからと言って、腐るんじゃなくて、
どんな状況でも恥ずかしくない姿で「あり続ける」ことができるのだ。
Posted by ブクログ
生きることが私たちに何を期待するのか 強制収容所での実体験をつづった作品。過酷な収容所生活を通して醸成された、心理学者である筆者の生きることへの考え方に感化させられる。
Posted by ブクログ
収容所を経験した心理学者が
心理学者として語っています
収容所っていくつもあったんですね
収容所でのこと、収容所を出てからのことが
書かれていましたがいまいち頭に入って
こなかったのでもう一度読まないとダメかも・・・
また機会をみて読みたいと思います
Posted by ブクログ
ナチスの収容所の映像はテレビや学校の授業で、見ていたのでそこまで驚きはなかった。
私が暮らしている環境とかけ離れすぎていて、これが現実にあった話だと本気で理解出来ていない私がいる。
ただ、私の今いる環境が恵まれていること、この本を私に届けてくれたことに感謝することしかできない。
心理学者という目線で話をすることに新鮮さを感じた。結局究極に追い詰められても精神論、というか
「愛」「希望」「勇気」が人間にどれほどの力を与えるのか、改めてわかった気がする。
そして私たちが生きる意味は普遍的な言葉では言い表せないけれど、目の前の苦しみに向き合って、乗り越えることの積み重ねなんだと思うと、苦しみも悪じゃないよね、と思えた。苦労の大小は違うかもしれないけれど、物事に誠実に、真摯に向き合っていくことが、魂を磨くことなんだなと思った。