【感想・ネタバレ】夜と霧 新版のレビュー

あらすじ

〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉

「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版した。
世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か。20世紀を代表する作品を、ここに新たにお贈りする。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

本作は映画のように強制収容所で何が行われたとか、そういった残酷な描写が細かく書かれているわけではない。(とはいっても書かれている内容だけでも悲惨な事は怖いほど分かる)

心理学者が自分も含め、強制収容所に入れられた被収容者の、人間としての、心理の移り変わりを収容された時から解放まで順を追って描いている。
多くの人がどんな心理状態で、その心理状態になった人はどんな行動を取るのか。収容所で死を選ぶ人とそうでない人の違い。
私には難しいので簡単な言葉でしか説明が出来ないけど何度も読むべき人間の本質が書かれた、まさしく名著だと思う。

0
2026年01月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

歴史書であり、心理学書であるのでしょうか。

"ユダヤ人""ヒトラー""アウシュビッツ強制収容所"
なんとなく知っているぐらいの感覚の人は絶対に読むべき。

どんな仕打ちを受けたのか
それは簡単に説明することはできないし、してはいけないと思うので割愛。
ぜひ作品を読むなり、歴史を勉強するなりして知ってほしい。

収容所では全ての人は番号で整理され、呼ばれる。
人格や、性別、肩書き、個人が培ってきた功績なんて一切関係なくなるし
誰もが同じ、ただのユダヤ人。
それ以上でもそれ以下でもない。
労働させられ、生活を極限まで絞られて、暴力で支配される。
終わりの見えないそんな生活が続き、人々は心身共に疲弊して、死んでいく。
本当に死んでいく。

そんな過酷すぎる環境下でも
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」
そう考えられる作者や、強く生き延びるユダヤの人々の信念が
怖いくらいに強くて、驚かされることばかり。

「試練は乗り越えられる人に、神様が与えるんだよ。」
とはよく言うけれど、それの最たるものというか。


どんな環境にあっても
考えることをやめてはいけないんだなと思った。
自分が生きている意味を考えて
答えを見つけ出そうともがく人、見つけられた人は
決して自分の人生をおりることはできない。

楽しい思い出、辛い思い出、頑張って得た知識や力
全て、その人本人が生きている過程で得た物。
それは誰にも奪うことができない。

だから今
自分の今までの時間に自信をもつこと
これからのために学ぶこと、考えることを大切にしていこうと思えた。

0
2026年01月28日

Posted by ブクログ

著者は、アウシュビッシュ収容所のの悲惨さをあえてユダヤ人という言葉を使わずに普遍的にすることで、また心理学という観点で書くことで、より人間の残酷さと精神状態について深く知ることができました。
誤解を恐れずにまとめると、収容所を生き延びることができたのは、未来を見ていた人であるということである。

0
2026年01月28日

Posted by ブクログ

まず、収容所の恐ろしさに戦慄した。
そんな狭い地獄では度重なる小さな絶望こそが、
彼らをより大きく苦しめたのだろう。

序盤でドストエフスキーの
「人間はなにごとにも慣れる存在だ」という言葉が
引用されており、そんな過酷な状態にも
慣れてしまえる人間の強靭さを、
私は途方もなく残酷だと感じた。
それは彼らの身を守ったのかもしれないが。

そんな苦しい日々の中で、苦悩を守り、
苦しみ尽くすこと。
生きることから与えられる意味ではなく、
「生きることが自分に何を期待しているのか」
を考えること。
未来に自身のかけがえのなさを見出すこと。
果たして自分にはそれが極限状態で出来るだろうか。
否、出来ない。我が身のかわいさゆえ、
早々に考えることを放棄し、生きることから、
苦しみ続けることから降りてしまうだろう。

「逆境でこそ人間は成長する」という言葉は、
このようなことが出来る人間にのみ
適応されるものなのかもしれない。
人間としての尊厳をすべて踏みにじられても、
人間としての最後の自由は奪えない。
過去は、精神は、すでに存在しているものだからだ。
この言葉には大きく励まされた。

最終章では、解放後の心情が綴られている。
私はこの章に強い感銘を受けた。
自分が体験した苦痛を帳消しに出来るほどの幸福が
手に入るわけではないこと。
自分に起こった理不尽への怒りを向ける相手が、
不特定多数になってしまうこと。

私の苦悩は彼らに比べればあまりに小さなものだが、
この感覚に苛まれたことは何度もあるし、
今でもそれに絶望する瞬間が訪れる。
「苦悩や犠牲を癒すのは幸せではない」
この言葉を、私は金輪際忘れることが出来ないだろう。

では、何が癒すのか、という話ではない。
ただ、それが享受される幸せではない
ということだけは確かなのだと思う。
私も、はやくそこに辿り着きたい。

多くの学びのある一冊だった。
人類の課題図書。

0
2026年01月27日

Posted by ブクログ

読んでいて終始辛かった。こんなにも非人道的なことが実際に起こってたのかと悲しくなる。
過酷な環境下でも心を強く持っていけたことはとても素晴らしいことだと思う。
全人類必読の書。

0
2026年01月24日

Posted by ブクログ

恥ずかしながら読むまで小説だと思っていた。
強制収容所で過ごした心理学者の体験記。

非常に酷い辛い状況で目を背けたくなるが、本書の主題はそこではなく、苦しい状況の中で人間はどう変化するのか?どう在ることができるのか?という人間性に迫る点だった。

数多あるノンフィクションの中で、ここまで「人間を人間たらしめること」という生きる本質に迫るものは中々ないのではないかという気がする。
ノンフィクションやルポルタージュはある事件や組織の取材を通して一つのテーマに光を当てるものが多い。しかし、ここまで人間の本質の真ん中を「実体験」として描く作品となったのは、やはり極限状態の中で独自の眼差しを持ち続けた著者のなせた技なのだろう。

映画の「ラーゲリより愛を込めて」も観たくなった。

0
2026年01月12日

Posted by ブクログ

昔の記憶。極限下での人間の倫理観というか自由がリアル
・自分の1切れのパンを、それでも病人に与える人間がいる
・酷いことをされたということが、あなたが他人に対して酷いことをして良い理由にはならない

0
2026年01月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分が評価をすること自体おこがましいと感じますが、★5とすることで最大限の敬意を表したいと思います。


これが人間ができる所業なのかと(読後にはフランクル氏の言葉に納得させられました)、理不尽という言葉ではとても片付けられない惨状に、苦しくなり涙が止まらなくなることもありながら、それでも向き合いたいと、自分が何を得られるのか?という思いで読みすすめました。

読後数日経ちますが、まだ言葉にすることのできない感情が多いです
自分の知っている言葉で表すことで、そこで止まってしまうような気もするからです

非人道的な扱いをうける中の極限状態でも仲間を想う心に深く感動し、高潔な魂や人間の可能性に感銘をうけると同時に、もし自分がこのような状況に置かれた時、はたして他者を思いやる気持ちをなくさずにいられるだろうか?と、ましてや生きることを諦めずにいられるだろうか?と自問自答を繰り返しています
ですが、ごく僅かであれどのような状況に置かれても自らと他者の尊厳を守り抜き生き抜いた人がいるのだということが、フランクル氏が伝えてくれているように事実であり証明であり、希望であること、そして最後までその選択は誰にも奪えない、自分で選択できるのだということを忘れたくないです
愛する人を想い、希望を抱き自らを奮い立たせ生き抜いた後に待ち受けているものは幸福である、と信じたいですが現実はそうではないということが痛いほど伝わってきます
解放後、フランクル氏自身はどのような心理的変化を辿り人生を歩まれたのでしょうか

今後も、その都度感じる気持ちがどう変わるのか、自分の何が変わるのか、何度も読み返していきたいです

0
2026年01月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

・P109「精神の自由」「運命ー賜物」

極限的な生存環境下では、感情がすり減り、精神が減退し、原始的な「生き延びる」という欲求しか残されない。では人間の魂は結局、偶発的に与えられた環境条件や制約に依るしかないのか。
筆者は必ずしもそうではないと言う。被収容者の中にも思いやりを持ち続けた者がいた。この経験を挙げながら、人間はそれぞれ、このような状況下でも自らの尊厳を守るかどうか、決断を下せるのだと説く。
収容所で人間の内なる自由を手放さず、振る舞いや苦しみや死によって示した人々は、ドストエフスキーの言う「苦悩に値する」人間として生きた結果、その生に意義を与えた。
「まっとうに苦しむことは、それだけでもう精神的になにごとかをなしとげることだ」「生きることを意味あるものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかと言う一点にかかっている」「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ」筆者はそう唱える。被収容者の苦しみに満ち、未来のない絶望の中での生活における生にも、確かに意味はあるのだ。

・P129「生きる意味を問う」

クリスマスまでには家に帰れるかもしれない、という希望を打ち砕かれ、打ちひしがれた被収容者たちが大量死してしまう。このことに現れるように、生きる目的を見出せず、何も期待が持てなくなってしまった人間は、あらゆる励ましや慰めを拒絶し、文字通り崩落してしまう。
そんな彼らに対し、どのように応えたら良いのか。
筆者は、生きる意味についての問いを百八十度転換し、「わたしたちが生きることからなにを期待するか」ではなく、むしろ「生きることがわたしたちからなにを期待しているか」が問題だ、と言う。
つまり、生きることはわたしたちそれぞれに個別具体的な要請を突きつける。わたしたちはこの課題に対し、行動や態度を通じ、毎度異なる「答え」を提示し続けなければいけない。運命とも呼べるこの要請が苦しみの形をしているなら、人はこれを責務として向き合い、自分は苦しみに満ちた運命として存在しているのだと引き受けなければならない。



上記の章で語られる内容がこの本の真髄なのではないかと思う。強制収容所という恐怖と暴力に満ちた異常な空間で精神を保ち、人間の内なる自由を侵されないためには、その状況そのものを「生きる上での要請=運命」が与えた自分だけの責務として捉え、それを引き受けることが生きる意味なのだと捉え直す必要があった。
現代日本で、戦禍から遠く離れた暮らしを送る私が、この内容を完全に理解できたとは思わない。けれど、たとえば新卒何年目かの配属先の部署で、膨大な仕事と抑圧的な組織のもと心身を擦り減らしていた時期を思い返すと、当時この本に出会えていたら、自分が置かれている状況を「ただ耐えるもの」ではなく「何らかの態度を選び取ることを求められている局面」と捉え直すことができたのかもしれない。それとも、適応障害の診断をもらって逃げるように異動してしまったこともまた、当時の私に突きつけられていた要請に対する一つの答えだったのだろうか。少なくともあの頃の私には、それ以外の答えを提示する余力がなかった。その限界を画した上でしか引き受けられない運命もあったということなのだろうか。

「生きる意味を問う」の章にある「誰もその人の身代わりとなって苦しみをとことん苦しむことはできない」という言葉の意味を、長い生涯をかけて考え続けたいと思う。
ただ少なくとも今は、苦しみから逃げなかったかどうかではなく、苦しみを前に自分がどのような態度を選んだか、あるいは選びとれなかったかという事実そのものが、その人にしか引き受けられない生の一部なのだと考えている。

0
2026年01月11日

Posted by ブクログ

今もっている全てのものは、最も簡単に、不条理に、奪われる可能性が常にある。そして、どのようや状況のもとであっても、人間であるかどうかは、自分自身が決めることである。

生きる意味とは、こちらから探すものではなく、こちらが問いかけられているものである。

人間として生きることを、いつのときも諦めることなく、生きていきたいと強く感じさせられた。

0
2026年01月09日

Posted by ブクログ

一年に一回は読んだ方がいいというくらい、人間の限界の有様が書かれていて、平和ボケしている私たち日本人にはより自分の生活を必死に生きなければ、と思い震わせられる作品。気が滅入る内容だが、向き合わなければならない過去だと思う。

0
2026年01月04日

Posted by ブクログ

愛は人が人として到達できる究極にして最高のものである。

長く苦しい生活を乗り越えた人々が自由を手に入れた時、待ち受けていた現実が思い描いていたものでなかった時の失望。

生きることの意味とは。

0
2026年01月03日

Posted by ブクログ

感想書いていいのかも分からない。書かせてもらいますが。
美術の先生に勧められたので読みました。
何回聞いても強制収容所の話は壮絶。
自分的に1番刺さったのは,収容所から帰ってきた自分を出迎えてくれる人がいなかったところ。
解放されたからはい幸せですってわけじゃないんだって感じ。
暖かい布団で寝られることに感謝

0
2026年01月03日

Posted by ブクログ

やっとこの作品と向き合う気持ちが出来たので、ゆっくりと読ませていただいた。
ユダヤ人収容所での苛烈極まる日々を描いた作品。
1.ユーモアは自分を失わない為の魂武器である。
ほんの数秒間でも周囲から距離を取り状況に打ちひしがれないために人間という存在に備わっているなにか。
  震災の後、お笑いを届けに行く芸人さんの苦悩に寄り添える言葉だと思う

2.強制収容所に人間を入れて全てを奪う事が出来るがたった一つ与えられた環境で、いかに振る舞うかという人間としての最後の自由だけは奪えない。
   全てを数字で管理され徹底的に自己を奪われたなか、本当のアイデンティティとは何かを見出した一文。頭が下がる思い。


3.生きるとは生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々その要請を充す義務を引き受ける事。
    今まで何の為に生きているのか?という思いを自問自答した事はあったが、極論生きるという行為が義務のあとにあるという発想(語弊は多々ありますが)とことんまで思考を諦めない結果の答えなのかと思うと涙しかないです。


そんな人としての尊厳も失われて、いつまで続くかわからない死と隣り合わせの日々に向き合う中で、人間の本当の素晴らしさは何なのかを知る事が出来る作品でした。
読んで良かった、ありがとうございます!

0
2026年01月02日

Posted by ブクログ

これからも繰り返し読みたい本、素晴らしい名著。
人間とは何か、極限状態でも人間とは最後まで自分で決定できるという貴重な体験談をもとにした話。

優しさや思いやりを選択できる人間になりたい。
改めて強く思うことが出来るようになった。
自分の人生を歩んでく中で、改めて読み返してみたい。

0
2025年12月31日

Posted by ブクログ

人生の中でまた何度も読みかえしたい。
感動した文節は何箇所かあったけれどもここで理解した気になってはいけない気がする。

0
2025年12月30日

Posted by ブクログ

「どんな状況、環境においても人の心だけは、犯せないこと。人間は常に決定する(できる)存在であること」「なぜ生きるかを知っている者は、どこように生きることにも耐える」「愛は人が人として到達できる究極にして最高なもの」
→愛する人(モノ)を想い、終わりや未来を描き、主体的に行動すること。極限状態を経験した著者から学んだ原則。7つの習慣ともあいます。

-生きることにおいて、苦しみや死でさえ、生きる意味として受け入れる。-
→著者のような極限状態を経験してない私にはまだ理解できないけども、人生を通して上記境地に辿り着きたい。

本書は私の人生におけるバイブルです。

0
2025年12月30日

Posted by ブクログ

年末年始休暇のため、ずっと読もうと思っていたこの本を手に取った。
思っていたよりも読みやすい文体だったのと、内容が凄惨で一気に読み進めてしまった。

最初のほうで、ずるい人ほど生き残る、と書かれていた一方で、後半は希望を持った人が生き残る、と書いてあったので、その整合性がまだ理解出来ていない。

きる意味を問うのではなく、生きる意味を問われているのでそれを行動で答える、というのは確かに世界のあらゆる書籍の中でも名著と評されるにしかるべきものだなと思った。

アウシュビッツそれ自体についても人類の大いなる大罪だと思うので
別の機会にまた考えたいのだけど、
自分の今の日常への示唆という観点では、
「今日もめんどくさいな」「生きてるの嫌だな」と思ってしまうような瞬間がままあるので、自分なりの希望を持ちたいと思った。

希望は人それぞれで、その人にしかない唯一のものである、というようなことが書いてあったのも印象に残った。
世の中でよく言われるような、愛や家族は私にはしっくりこないので。

ネガティブな性格なのだけど、もっと希望をもって生きてみようかと思った。

0
2025年12月29日

Posted by ブクログ


強制収容所での経験を心理学の立場から解明しようと書かれた本。元被収容者の特異で心理学的に見てまったく新しい人生観への理解を助けることが眼目だという。


被収容者の心の反応は三段階、つまり収容される段階、まさに収容所生活そのものの段階、そして出所ないし開放の段階に分類されるが、第一段階は収容ショックが自身の体験と共に語られる。恩赦妄想、つまり助かるのではないかと言う幻想は見ぐるみをはがされ鞭で打たれる中で潰えていく一方で裸の体以外に失うものはないという、やけくそのユーモアが込み上げる。

収容ショックにある者にとって、出口のない死の危険と隣り合わせの状況におけるさまざまな"選別"は自殺の手間を省いてくれるものでしかなかった。


収容されて数日で被収容者は第二段階、感動の消失(アパシー)へ移行する。「感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。」毎日殴られることにたいしても、何も感じなくさせる。理由もなく殴られる。殴られながら嘲られる。最悪の栄養状態で精神的にも追い詰められる、最悪の状況。

しかしこの「ほかにありようが"ない"」としか思えない環境に対し、どうふるまうかという、精神の自由を見失わなかった人がいたという。


人間としての、最後の、内なる自由。

「収容所の日々、いや時々刻々は、内心の決断を迫る状況また状況の連続だった。人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件に素ばれるたんなるモノとなりはて、「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだと誘惑する環境の力の前にひざまずいて堕落に甘んじるか、あるいは拒否するか、という決断だ。」

私はきっと無理だ。でもこれを読んで無理だ、とは言えない気もする。「わたしがわたしの苦悩に値しない人間になる」ことが耐え難いと感じる。それはこの本の力だと思う。


「強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。」

「わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。」

これらの言葉はとりわけ光彩を放っている。


第三段階は収容者を解放された被収容者の心理だが、あいかわらず権力や暴力といった枠組にとらわれた心的態度、つまり「そういう人びとは、今や解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだと履き違えるのだ」。後書きでも触れられていたが、ここはイスラエルの建国、そしてパレスチナのナクバが思い出され、やるせなかった。


最後に、分断が進む今の時代に、自分自身戒めとなる言葉を引用しておきたい。

「こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。」

0
2025年12月27日

A

購入済み

「苦しむことはなにかをなしとげること」
はたして自分がその境遇になったときに
そのように境地に達することはできるのだろうか。
解放されずに殺されてしまった人々は、どう思うだろうか。
結論を出せるような問題ではないが
自分にはない視点を得られた。

0
2024年04月10日

購入済み

興味深い

あらすじと名言を聞いただけで読みたいと感じ、購入しました。固い表現ばかりに見えますが内容がとても興味深く、何周も読みたいと思いました。

#切ない #深い #タメになる

0
2023年12月01日

購入済み

名著

著者の実際の体験から得られた言葉には計り知れないほどの説得力があった。凄惨な場面についての表現も多く含むため読むのが辛くなることもあるが、読了して多くのことが学べたと思う。現代に生きるすべての人に読んでほしい一冊。

#感動する #深い #タメになる

0
2022年05月31日

購入済み

人生に悩む人は読むべし

前半は、悲惨、無残、過酷、残酷、どんな形容詞でも足りないほどの強制収容所の実態が、抑えたトーンで描かれたルポルタージュです。

後半は、そんな環境下で作者が見いだした、生きるとはどういうことか、生きることの価値は何なのか、ということが、圧倒的な説得力で伝えられています。
人生で辛いことがあって、何のために私は生きているんだろう、とか、私はどう生きればいいんだろう、とか、悩んでいる人(私がそうでした)に、ひとつの回答を提示してくれます。

旧版は読んだことありませんが、新版は読みやすく、訳も問題ありません。

一点だけ。タイトルは、新訳の訳者は、旧訳への敬意をこめて、元のタイトルを残した、と述べていますが、若干違和感を感じました。前半の収容所ルポにはフィットするタイトルですが、後半の人生論にはちょっとそぐわない気がします。新しいタイトルをつけても良かった気がしますが、あまりに有名なタイトルなので、そのまま残したのでしょう。

0
2017年02月27日

Posted by ブクログ

ヴィクトール・フランクルによる不朽の名著「夜と霧」の新版を読みました。単なる悲劇の告発でなく、精神科医という知性の持ち主が、自ら実験台となって「人間は極限状態においてどう変化するのか」を解き明かしたドキュメントでした。

現代社会のストレスや行き詰まりを感じる中で、この本を手に取る人は少なくありません。世間の多くの読者が求めているのは、過酷な状況でも失われない「希望」の種です。

本書の核心は「人生から何を期待するかではなく、人生から何を期待されているかが重要である」という逆転の発想にあります。私たちが人生の意味を問うのではなく、人生の側から常に問われており、それに答えていく責任がある。この哲学は、安易な励ましを凌駕する圧倒的な説得力を持っています。

著者の文章からは、痛ましい状況にありながら周囲を冷静に観察する「聡明さ」が伝わってきます。彼が培ってきた精神科医としての専門性をフル活用した結果でしょう。

自分の持てる能力を最適解として機能させること。この「分析する」という知的な行為そのものが、精神を崩壊から守る強力な防御策(態度の価値)となった事実は、私たちにプロフェッショナルとしての生き様を提示してくれます。

新版は非常に平易で、現代の読者にもすらすらと読み進められる良さがあります。しかし、文字で追う分にはスムーズでも、それを映像として脳内に再生した瞬間に広がる世界は、想像を絶するむごたらしさです。

特に心に残ったのは、収容所を出たあとの人々がすぐには喜びを感じられなかったという描写です。これは「ノミの法則(学習性無力感)」を彷彿とさせます。閉じ込められ、感性を抑圧し続けた状況からは、すぐには戻れない。

世界は自分の五感で感じたもので占められています。だからこそ、解放後に必要だったのは、食べる幸せや周りに人がいる幸せを一つずつ感じ、五感を広げていくことだったのでしょう。

「環境は選べなくても、その環境に対する態度は選べる」
これがフランクルの提唱するロゴセラピーです。

現代においても、国や組織という外圧に抗えない場面は存在します。その中で個人にできることは、自分を信じて自らの特性を知ることです。仕事は人生の一部であって、すべてではありません。時間は切り売りして対価を得るものと割り切り、人生のポートフォリオを多様な観点で構築していく。

複数の専門性を持ち、どこでも生きていける柔軟性を大切にすること。それこそが、能動的な裁量を行使できる現代的な幸せの形ではないでしょうか。

タイトル「夜と霧」のドイツ語の原題は「それでも人生にイエスと言う」です。肉体や環境がどれほど拘束されても、内面の自由までは奪われません。

明日を生きても変わらない苦痛が続くかもしれない恐怖の中で、いかにして自分の価値観を守り抜くか。

本書は、現代を生き抜くための「心の処方箋」であり、人類の遺産かもしれません。

0
2026年01月20日

Posted by ブクログ

強制収容所映画をよく見るので前半は想像しやすく聞いたことある話も多く、衝撃などはあまりなかったが後半に連れて心理学者である筆者の1歩引いた見方に引き込まれた。

0
2026年01月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読む必要がある本だと以前から認識していたが、今回ようやく読むことができた。
分量自体は多くなく、案外すぐ読み終えることができたが、なかなかどのような本だったかを説明することが難しい。作者の強制収容所における体験談という意味ではドキュメンタリー的でありながら、作者は精神科医であるため、被収容者の極限の精神状態を精神的に分析する学術的側面もある。また、当然自らが一被収容者として体験したことであるから、私小説的でもある。そして、この本では、このような極限状況に置かれた人間がどのように生きるべきかという観点も論じられており、多分に哲学的でもある。
この本が今でも読み続けられているのは、おそらく最後の哲学的な側面によるところが多いように思う。強制収容所という、どのような視点からも擁護できない、いわば歴史の闇の部分に対峙しながら、それでもなおそれを批判するというよりも、そのような環境においてもどのように人間として生きていくべきか、特に人間の精神の自由を確保することの重要性に目が向けられている。個人的には、強制収容所という絶対悪を前にしてなお個人の尊厳を説く作者の超越性に驚くほかないが(自分であれば無理だと思う。)、強制収容所という人の尊厳が破壊され、死が現実のものとして近くにあり、終わりの見えない地獄にあってこそ、その人間の真価が問われるのかもしれない。「人間とは人間は何かを常に決定する存在だ」という作者の言葉には、ハッとさせられた。
また、作者はユダヤ人であるにもかかわらず、ユダヤ教や神という概念が作中ほとんど出てこなかったことを不思議に思っていたが(ユダヤ人であれば、おそらくバビロン虜囚と今の自らを重ねたのではないかと思う。)、訳者のコメントによれば、敢えて個人的な属性や宗教観を示さずに、より一般に妥当する作品とすることを狙ったのではないかということであった(ただ、強制収容所でなお個人の精神的自由を問題にする作者の態度には、宗教的な側面を強く感じることは否定できない。)。確かに、作者は、被収容者=善、収容者=悪という単純な二項対立の構造を徹底的に避けている。収容者の中にも、(もちろんほとんどがサディスティックな存在であるものの)被収容者にパンを恵んだり、自費で被収容者のために医薬品を購入していた者がいたことが語られる。その一方で、被収容者の中には、その他の被収容者を監視・統率するために一定の権力が与えられていた者がおり、その悪辣さ・醜悪さは頻繁に指摘される。現在のイスラエルの状況を見れば、ユダヤ人を単なる被害者として書かなかった作者の試みは残念ながら正しかったと思う。多数の強固な社会システムが重層的に存在する中において、人としてどのように自由な精神を確保できるのかというのは、現代でもなお解決していない問題である。

0
2026年01月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

アウシュビッツの映画を観てきたので、
意外性は少なかったが心理を分析されている内容なので面白い。

特に目標を持っている間の勇気と希望がある間は肉体の免疫性の状態も優れ、かたや目標が失敗した場合は免疫性の急速低下が起こる点が印象的。
生きる目的を見出せず、生きるなき実を失い、生きていても何もならないと考え、自分が存在する意味をなくすと共にがんばり抜く意味も見失う、、、
ークリスマスに家に帰れるという話を多くが信じていたが帰れず、クリスマスを過ぎて次々と亡くなるー

これは仕事にも通ずることだと感じた。
「目標を持たない仕事」は免疫力が低下し活力を保つ事ができず、鬱病となる。と。

他には、妻が生きている生きていないに関係なく妻を妄想し語りかける、極限の状態でいかに愛が支えとなるのかを知る事ができた。

解放された時に被収容者は歓喜に満ち溢れたと想定していたが「感情を忘れており嬉しいと言う感情がわからなかった」のは驚愕した。

解放された後にも心理的な苦悩が待ち受けてるのが悲しいな、、、

0
2026年01月05日

Posted by ブクログ

生きる力とは精神と運なのかもしれない。
人間が体験する世界だとは信じ難い内容に、自身の体験談と比較して感想を述べることが憚られる。
私の人生にそれほどの苦悩があるのだろうか。

0
2026年01月03日

Posted by ブクログ

耐え難い苦痛の中で愛する存在を強く思う

あくまでフラットな視点で描かれていて余計な感傷がない

迫る言葉ばかりだけどまだ消化しきれない。想像すらできない

なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える

0
2025年12月31日

Posted by ブクログ

世界的名著が、最新に新訳されたということで、ついに読んでみた。

なんとなく事前に想像はすれど、読んでみると本当に想像を絶するような事実体験が見えてくる。
そして、客観的にも思える冷静な状況分析や精神分析がされていることが、よけいに苦しさを想像させる。

メンタルスキルの話題できいたことのある、「どんなに悪い状況にあっても、どう反応するかは自分で決められる」は、このフランクリンの言葉から来ていたのだと知る。これは、とんでもなく重くて大切な言葉だ。

日常に起こる多少の理不尽なんて、フランクリンが体験してきたことに比べたら糸くずのようなものだ。
事実は変えられなくても、何を感じてどう行動するかは自分で決められる。人間は、本当にすごいのだ。

ずっと心にとめておきたい、大切なことを教えてくれた本でした。読んで良かった。

0
2025年12月29日

Posted by ブクログ

「自分がどうあるか?」が人間の尊厳であるという結論。このフランクルの意見は、フロイトとの比較で腑に落ちた。

フロイト医学では、人間の欲を「仕事」と「愛」に昇華することで、健康的に生きられるとした。

認められたい、やりたいことしたい、愛されたい、といった負の方向にも行きかねないエネルギーが、人間には満ち溢れてる。

これを社会の枠にハメて、「仕事」と「愛」に注ぎ込むことで、欲が満たされて健康になる。つまり、全力で仕事して、全力で愛せ、と。

これは、「価値と評価」が交換される世界でのみ通用する考え方である。

一方で、フランクルは強制収容所という、「価値と評価」が交換されるといった通常の世界とは程遠い、全てが奪われた世界に身を置いた。

そんな極限な状態でも、横暴な人間、親切な人間とそれぞれ行動が分かれた。つまり、人が「どうあるか」というのは、最後に残された人間の尊厳であると。

現代人に当てはめると、思ったより評価されない、自分なりに価値が出せてないからと言って、腐るんじゃなくて、

どんな状況でも恥ずかしくない姿で「あり続ける」ことができるのだ。

0
2025年12月21日

Posted by ブクログ

2026.7

一文字一文字じっくり読むのが難しかった
それは言葉遣いからくるものかもしれないし
重いテーマからくるものかもしれないけど
本自体はとても客観的な視点のように感じた
私はこのような状況下で
精神を保つことができるのだろうか

最後の旧訳者と新訳者の文章が
とても心に残っている

===

P61 何人もの思想家がその生の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰をづうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
P71 ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。
P77 ショーペンハウアーが言う否定的な意味での幸せ
P110 人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。

P168 一九四八年の「イスラエル建国」と同時に勃発した第一次中東戦争から三十年足らずの間に、この地は四度も戦火に見舞われたのだ。戦争とカウントされなくても、流血の応酬はひきもきらず、難民はおびただしく流出しつづけた。パレスティナは、世界でもっとも人間の血を吸いこんだ土地になった。そのような同時代史かフランクルの目にどのように映ったかは、この本の読者なら想像に難くない。さらにあいにくなことに、十七カ国語に訳された『夜と霧』は、アンネ・フランクの「日記』とならんで、作者たちの思いとは別にひとり歩きし、世界の人びとにたいしてイスラエル建国神話をイデオロギーないし心情の面から支えていた、という事情を、フランクルは複雑な思いで見ていたのではないだろうか。

P169 このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧」を踏襲した。これは、一九四一年の総統令にナチス自身がつけた通称で、占領地の反ドイツと目された政治家や活動家を連行せよ、という命令だった。彼らの多くは行方不明になった。まさに、夜と霧に消えたのだ。しかし、フランクルの思いとはうらはらに、夜と霧はいまだ過去のものではない。相変わらず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい。夜と霧が私たちの身辺にたちこめることは拒否できるのだということを、忘れないでいたい。その一助となることを心から願い、先人への尊敬をこめて、本書を世に送る。

0
2026年02月01日

Posted by ブクログ

人間とはなにものか。
アウシュビッツ強制収容所での実体験を元に、
心理学者だった筆者による記録。

「言語を絶する感動」と評されていると言う本書。
感動と言うよりは、あまりにも過酷な環境に置かれた人々がどのように感じ、振る舞い、死んでいき、そして生き残ってきたのか、その事実にただただ打ちのめされた。

ラスト近くの、被収容者を前に語る筆者の言葉に、静かに心が震えるのを感じた。

0
2026年01月18日

Posted by ブクログ

収容所を経験した心理学者が
心理学者として語っています
収容所っていくつもあったんですね
収容所でのこと、収容所を出てからのことが
書かれていましたがいまいち頭に入って
こなかったのでもう一度読まないとダメかも・・・
また機会をみて読みたいと思います

0
2026年01月03日

「学術・語学」ランキング