あらすじ
〈わたしたちは、おそらくこれまでのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
「言語を絶する感動」と評され、人間の偉大と悲惨をあますところなく描いた本書は、日本をはじめ世界的なロングセラーとして600万を超える読者に読みつがれ、現在にいたっている。原著の初版は1947年、日本語版の初版は1956年。その後著者は、1977年に新たに手を加えた改訂版を出版した。
世代を超えて読みつがれたいとの願いから生まれたこの新版は、原著1977年版にもとづき、新しく翻訳したものである。
私とは、私たちの住む社会とは、歴史とは、そして人間とは何か。20世紀を代表する作品を、ここに新たにお贈りする。
感情タグBEST3
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数え切れないほどの夢の中で願いつづけた、まさにそのとおりだ……しかし、ドアを開けてくれるはずの人は開けてくれない。その人は、もう二度とドアを開けない……。
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正直なんかいも読み直したい本ではない。
けど、人生において必ず立ち寄りたい本。
後ほどメモ↓
クリスマスとよちむのようなエピソード
過去の思い出と未来への希望が今を生きるモチベーションになる話
死神の話
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今更というか今だから読んでみる。心ある人はこの本のことはとっくに読んで知っているはずと思いながら。
ヒトラーと言う男について、
ユダヤ人を憎んで迫害した残酷な出来事について。
人間の命を軽々と奪ったガス室というものを作り人間の尊厳を踏みにじり、争いで無数の無辜の命が散っていったことについて。
戦争というものの本質がいかに曖昧なものか、知っている人は知りすぎるほど詳しく知っている。
だが、私のように知らない者や忘れた者もいる。戦争に加担した人間は、時代が変わればまた日常に返る。一方、一人一人の命がどのように失われたか、戦争が終われば、もう戦士、兵士、巻き込まれた市民という名前に代わってしまう。
親であった、子であったという個人の歴史まで、次第に風化し死を悼む心も歴史に埋もれる。
自然の中でも人間は死んでいく動物である。そうであってもほとんどは自己の死には怯え苦しみ、肉親の死には狂わんばかりに嘆き苦しむけれど、戦争の死は、思えば自己犠牲の死だ。平静になってやっと人間に戻っても、どこに怒りを向ければいいのか、おとなしく受け入れるほかはない。
この本は、自ら被収容者として、拘束され、劣悪な環境に投げ込まれ、いつも死と生の別れ道が目前にあって、どちらの道を歩くかを他人に分別された記録である。
異動、移動の命令が出るたびにどちらの道を歩くことになるか不安に震えている。
横にもなれない狭い土間で立ったまま眠り、朝早くから、厳しい規律の中を労働に出て行く。
過酷な収容所での体験談である。
しかしそれは人間とは、生きる瀬戸際でもいかに卑怯で汚く自分を守ろうとしたかという面を持つ。
またある人は他人には慈悲深く、自分は平然として運命を受け入れる強さを示したかという面も持つ。
この本のいたるところに書かれている言葉に中には、極力ひかえてはいるが悲惨な光景の描写もある、靴がなく歩くのがやっとの人に、列を乱すなと嵩にかかって暴力を振るう、ひとつの小さなパンで一日ツルハシを振るう。そんな中を生きながらえる希望は、ひとつには家族への愛であり、家族の肉体がどうなっていようと愛する思いは生きる支えになる。
いつかなにも感じなくなって、本能のままに息をしていて死ぬことだけがあり、全てのことにも無関心になってしまう。様々な形で人間でなくなる。
医学者である筆者は、人がまだ生き続ける意志をなくさないことに努力を傾け、介抱をし、会話をした。
だが、言葉を交わしたのはやはり強い人たちだろう、中にはお互いに助け合った温かい胸を打つ話もある、だがそれも、たとえば強い信仰がある人の祈りであり、凡人はちょっとした僥倖に守られていた時間であった、希望は小さくなっていくにせよ、自由な心をどこかに隠して見守り続けていた人たちだけだった。
開放されたあとに見聞きする収容体験や、動物にも劣る数減らしの死や、そこまでにいたる肉体的な痛みなど、うけた心の葛藤がどれほどのものか。
驕りや、過信や間違った自信が、支配するものとされるものを選択し、それに従わなくてはならなかった群衆の、劣るものとして処刑された600万人とも言われる人たち。
平和が続いている、
人はいつ生き方を間違うのだろう。その間違いは庶民に見えるのだろうか。
こうしたレポートや犠牲者の声を様々な形で読みながら、600万人と言う人数が、私一人という数の積み重ねで、死んだ私も生き残った私も、ともに渦中にあった一人であって、今生きているか過去に死んだのかだけの違いしかない。
受難は自分であって欲しくない、常に人間でいたいというような望みは、大量殺戮兵器の前では無力である。
心の中に生き方を見つけるか、大部分の力の無いものの力を改めて見直すか。それができるか。
胸の中になくなった人たちの無念の未来、生き残った人たちの禍根と、後に戦犯と言われようとも、熱にうかされ自分を見失った人たちの現在がただ残る。
人は心も体も弱くなってきている。知識だけが人を支えるのだろうか。収容所の人たちを見れば違うように思う。
私は子供のころにこの本を読んで、身近ないい言葉として書き出した文章がある。
だが家族を持ち、私の環境も変わった。
再読して、勇気がない自分が、人間の尊厳まで捨てなくてはならない、そんな未来が来ないことを願った。
右か左かよりも、自分も他人も、国を隔てても考えなくはいけない時が近いように思う。それが読書によって、深い学問・知識につながることが、自分を探す中で自分と人を救う知恵だと思った。
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人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。
恵まれた環境だろうと劣悪な環境だろうと、善いやつと悪いやつがいる。これを分けるのは個人の振る舞いによる選択のみ。
自分はどちらの人間になっているのか振り返りたくなったときに読んでいる。
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たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうという、人間として最後の自由だけは奪えない
人間の内面は外的な運命より強靭なのだということを証明してあまりある
自分がどうありたいかを考えて行動にする
それが生きる意味なのかもしれない。
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アウシュビッツに強制送還された心理学者である著者自身の身に起きた出来事、それによる心情の変化を記された一冊。
極限の状態に晒された収容者たちが、不条理な状況下で、何を思い、生を過ごしたか。
適切な表現かはわからないが、そこから生まれる「生への懐疑」からは、多く学ばされることがあった。
特に印象に残った言葉は
「苦しむことは何かをなしとげること」
苦しみの感情を持っていることすら、それは希望を持てている裏返し、つまり尊いことなのだと。苦しみの感情を放棄した時、すなわちそれは生きている意味を失い、生から離脱する。
「あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない」
収容者たちは、持ち物も、全ての体毛も、名前すらも全て奪われる。番号として、ただ労力として存在する。しかし、全てを奪われ番号となった収容者の過去の光は奪うことはできない。その過去と通ずる仕事や、人間に対して責任を自覚していた者たちだけが、存在することの苦しみに耐えた。
今日という1日を、自分の思う通りに
生きられる毎日がどれほど素晴らしいものか。
苦しみの感情を、何の抵抗もなく
受け入れられている状況がどれほど尊いものなのか。
当たり前が当たり前に享受できなかった方達の歴史の上に、これほど自由な毎日を生きられている今がある。自由ゆえの不自由?バカか。
日常への感謝と将来への期待、希望への喜びを噛み締め、全力で生を全うしたい。
Posted by ブクログ
本作は映画のように強制収容所で何が行われたとか、そういった残酷な描写が細かく書かれているわけではない。(とはいっても書かれている内容だけでも悲惨な事は怖いほど分かる)
心理学者が自分も含め、強制収容所に入れられた被収容者の、人間としての、心理の移り変わりを収容された時から解放まで順を追って描いている。
多くの人がどんな心理状態で、その心理状態になった人はどんな行動を取るのか。収容所で死を選ぶ人とそうでない人の違い。
私には難しいので簡単な言葉でしか説明が出来ないけど何度も読むべき人間の本質が書かれた、まさしく名著だと思う。
Posted by ブクログ
歴史書であり、心理学書であるのでしょうか。
"ユダヤ人""ヒトラー""アウシュビッツ強制収容所"
なんとなく知っているぐらいの感覚の人は絶対に読むべき。
どんな仕打ちを受けたのか
それは簡単に説明することはできないし、してはいけないと思うので割愛。
ぜひ作品を読むなり、歴史を勉強するなりして知ってほしい。
収容所では全ての人は番号で整理され、呼ばれる。
人格や、性別、肩書き、個人が培ってきた功績なんて一切関係なくなるし
誰もが同じ、ただのユダヤ人。
それ以上でもそれ以下でもない。
労働させられ、生活を極限まで絞られて、暴力で支配される。
終わりの見えないそんな生活が続き、人々は心身共に疲弊して、死んでいく。
本当に死んでいく。
そんな過酷すぎる環境下でも
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」
そう考えられる作者や、強く生き延びるユダヤの人々の信念が
怖いくらいに強くて、驚かされることばかり。
「試練は乗り越えられる人に、神様が与えるんだよ。」
とはよく言うけれど、それの最たるものというか。
どんな環境にあっても
考えることをやめてはいけないんだなと思った。
自分が生きている意味を考えて
答えを見つけ出そうともがく人、見つけられた人は
決して自分の人生をおりることはできない。
楽しい思い出、辛い思い出、頑張って得た知識や力
全て、その人本人が生きている過程で得た物。
それは誰にも奪うことができない。
だから今
自分の今までの時間に自信をもつこと
これからのために学ぶこと、考えることを大切にしていこうと思えた。
Posted by ブクログ
著者は、アウシュビッシュ収容所のの悲惨さをあえてユダヤ人という言葉を使わずに普遍的にすることで、また心理学という観点で書くことで、より人間の残酷さと精神状態について深く知ることができました。
誤解を恐れずにまとめると、収容所を生き延びることができたのは、未来を見ていた人であるということである。
Posted by ブクログ
まず、収容所の恐ろしさに戦慄した。
そんな狭い地獄では度重なる小さな絶望こそが、
彼らをより大きく苦しめたのだろう。
序盤でドストエフスキーの
「人間はなにごとにも慣れる存在だ」という言葉が
引用されており、そんな過酷な状態にも
慣れてしまえる人間の強靭さを、
私は途方もなく残酷だと感じた。
それは彼らの身を守ったのかもしれないが。
そんな苦しい日々の中で、苦悩を守り、
苦しみ尽くすこと。
生きることから与えられる意味ではなく、
「生きることが自分に何を期待しているのか」
を考えること。
未来に自身のかけがえのなさを見出すこと。
果たして自分にはそれが極限状態で出来るだろうか。
否、出来ない。我が身のかわいさゆえ、
早々に考えることを放棄し、生きることから、
苦しみ続けることから降りてしまうだろう。
「逆境でこそ人間は成長する」という言葉は、
このようなことが出来る人間にのみ
適応されるものなのかもしれない。
人間としての尊厳をすべて踏みにじられても、
人間としての最後の自由は奪えない。
過去は、精神は、すでに存在しているものだからだ。
この言葉には大きく励まされた。
最終章では、解放後の心情が綴られている。
私はこの章に強い感銘を受けた。
自分が体験した苦痛を帳消しに出来るほどの幸福が
手に入るわけではないこと。
自分に起こった理不尽への怒りを向ける相手が、
不特定多数になってしまうこと。
私の苦悩は彼らに比べればあまりに小さなものだが、
この感覚に苛まれたことは何度もあるし、
今でもそれに絶望する瞬間が訪れる。
「苦悩や犠牲を癒すのは幸せではない」
この言葉を、私は金輪際忘れることが出来ないだろう。
では、何が癒すのか、という話ではない。
ただ、それが享受される幸せではない
ということだけは確かなのだと思う。
私も、はやくそこに辿り着きたい。
多くの学びのある一冊だった。
人類の課題図書。
Posted by ブクログ
読んでいて終始辛かった。こんなにも非人道的なことが実際に起こってたのかと悲しくなる。
過酷な環境下でも心を強く持っていけたことはとても素晴らしいことだと思う。
全人類必読の書。
Posted by ブクログ
恥ずかしながら読むまで小説だと思っていた。
強制収容所で過ごした心理学者の体験記。
非常に酷い辛い状況で目を背けたくなるが、本書の主題はそこではなく、苦しい状況の中で人間はどう変化するのか?どう在ることができるのか?という人間性に迫る点だった。
数多あるノンフィクションの中で、ここまで「人間を人間たらしめること」という生きる本質に迫るものは中々ないのではないかという気がする。
ノンフィクションやルポルタージュはある事件や組織の取材を通して一つのテーマに光を当てるものが多い。しかし、ここまで人間の本質の真ん中を「実体験」として描く作品となったのは、やはり極限状態の中で独自の眼差しを持ち続けた著者のなせた技なのだろう。
映画の「ラーゲリより愛を込めて」も観たくなった。
Posted by ブクログ
昔の記憶。極限下での人間の倫理観というか自由がリアル
・自分の1切れのパンを、それでも病人に与える人間がいる
・酷いことをされたということが、あなたが他人に対して酷いことをして良い理由にはならない
Posted by ブクログ
自分が評価をすること自体おこがましいと感じますが、★5とすることで最大限の敬意を表したいと思います。
これが人間ができる所業なのかと(読後にはフランクル氏の言葉に納得させられました)、理不尽という言葉ではとても片付けられない惨状に、苦しくなり涙が止まらなくなることもありながら、それでも向き合いたいと、自分が何を得られるのか?という思いで読みすすめました。
読後数日経ちますが、まだ言葉にすることのできない感情が多いです
自分の知っている言葉で表すことで、そこで止まってしまうような気もするからです
非人道的な扱いをうける中の極限状態でも仲間を想う心に深く感動し、高潔な魂や人間の可能性に感銘をうけると同時に、もし自分がこのような状況に置かれた時、はたして他者を思いやる気持ちをなくさずにいられるだろうか?と、ましてや生きることを諦めずにいられるだろうか?と自問自答を繰り返しています
ですが、ごく僅かであれどのような状況に置かれても自らと他者の尊厳を守り抜き生き抜いた人がいるのだということが、フランクル氏が伝えてくれているように事実であり証明であり、希望であること、そして最後までその選択は誰にも奪えない、自分で選択できるのだということを忘れたくないです
愛する人を想い、希望を抱き自らを奮い立たせ生き抜いた後に待ち受けているものは幸福である、と信じたいですが現実はそうではないということが痛いほど伝わってきます
解放後、フランクル氏自身はどのような心理的変化を辿り人生を歩まれたのでしょうか
今後も、その都度感じる気持ちがどう変わるのか、自分の何が変わるのか、何度も読み返していきたいです
Posted by ブクログ
これからも繰り返し読みたい本、素晴らしい名著。
人間とは何か、極限状態でも人間とは最後まで自分で決定できるという貴重な体験談をもとにした話。
優しさや思いやりを選択できる人間になりたい。
改めて強く思うことが出来るようになった。
自分の人生を歩んでく中で、改めて読み返してみたい。
Posted by ブクログ
強制収容所での経験を心理学の立場から解明しようと書かれた本。元被収容者の特異で心理学的に見てまったく新しい人生観への理解を助けることが眼目だという。
被収容者の心の反応は三段階、つまり収容される段階、まさに収容所生活そのものの段階、そして出所ないし開放の段階に分類されるが、第一段階は収容ショックが自身の体験と共に語られる。恩赦妄想、つまり助かるのではないかと言う幻想は見ぐるみをはがされ鞭で打たれる中で潰えていく一方で裸の体以外に失うものはないという、やけくそのユーモアが込み上げる。
収容ショックにある者にとって、出口のない死の危険と隣り合わせの状況におけるさまざまな"選別"は自殺の手間を省いてくれるものでしかなかった。
収容されて数日で被収容者は第二段階、感動の消失(アパシー)へ移行する。「感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。」毎日殴られることにたいしても、何も感じなくさせる。理由もなく殴られる。殴られながら嘲られる。最悪の栄養状態で精神的にも追い詰められる、最悪の状況。
しかしこの「ほかにありようが"ない"」としか思えない環境に対し、どうふるまうかという、精神の自由を見失わなかった人がいたという。
人間としての、最後の、内なる自由。
「収容所の日々、いや時々刻々は、内心の決断を迫る状況また状況の連続だった。人間の独自性、つまり精神の自由などいつでも奪えるのだと威嚇し、自由も尊厳も放棄して外的な条件に素ばれるたんなるモノとなりはて、「典型的な」被収容者へと焼き直されたほうが身のためだと誘惑する環境の力の前にひざまずいて堕落に甘んじるか、あるいは拒否するか、という決断だ。」
私はきっと無理だ。でもこれを読んで無理だ、とは言えない気もする。「わたしがわたしの苦悩に値しない人間になる」ことが耐え難いと感じる。それはこの本の力だと思う。
「強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。」
「わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。」
これらの言葉はとりわけ光彩を放っている。
第三段階は収容者を解放された被収容者の心理だが、あいかわらず権力や暴力といった枠組にとらわれた心的態度、つまり「そういう人びとは、今や解放された者として、今度は自分が力と自由を意のままに、とことんためらいもなく行使していいのだと履き違えるのだ」。後書きでも触れられていたが、ここはイスラエルの建国、そしてパレスチナのナクバが思い出され、やるせなかった。
最後に、分断が進む今の時代に、自分自身戒めとなる言葉を引用しておきたい。
「こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。」
「苦しむことはなにかをなしとげること」
はたして自分がその境遇になったときに
そのように境地に達することはできるのだろうか。
解放されずに殺されてしまった人々は、どう思うだろうか。
結論を出せるような問題ではないが
自分にはない視点を得られた。
興味深い
あらすじと名言を聞いただけで読みたいと感じ、購入しました。固い表現ばかりに見えますが内容がとても興味深く、何周も読みたいと思いました。
名著
著者の実際の体験から得られた言葉には計り知れないほどの説得力があった。凄惨な場面についての表現も多く含むため読むのが辛くなることもあるが、読了して多くのことが学べたと思う。現代に生きるすべての人に読んでほしい一冊。
人生に悩む人は読むべし
前半は、悲惨、無残、過酷、残酷、どんな形容詞でも足りないほどの強制収容所の実態が、抑えたトーンで描かれたルポルタージュです。
後半は、そんな環境下で作者が見いだした、生きるとはどういうことか、生きることの価値は何なのか、ということが、圧倒的な説得力で伝えられています。
人生で辛いことがあって、何のために私は生きているんだろう、とか、私はどう生きればいいんだろう、とか、悩んでいる人(私がそうでした)に、ひとつの回答を提示してくれます。
旧版は読んだことありませんが、新版は読みやすく、訳も問題ありません。
一点だけ。タイトルは、新訳の訳者は、旧訳への敬意をこめて、元のタイトルを残した、と述べていますが、若干違和感を感じました。前半の収容所ルポにはフィットするタイトルですが、後半の人生論にはちょっとそぐわない気がします。新しいタイトルをつけても良かった気がしますが、あまりに有名なタイトルなので、そのまま残したのでしょう。
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収容所の話で、読む前の印象は重そう、暗そうだったけど、書いてる人がすごくポジティブに思えて、書き口もさらさらしてて、意外とサッと読めたし、読後もあっさりしてた。生き方について書いてあった。人生に問われる生き方。自分より過酷な人たちが向き合いながら生きていたことが書いてあった。実践は難しいかなと今は正直思うけど、頭の片隅に残るようなインパクトがあった。
Posted by ブクログ
極限状態における人間の心理を精神科医(心理学者?)かつ当事者の立場から説明している。ただそれは、人間はこんなに残酷にもなれるとか、異常な環境では異常になるのが正常、と諦めて終わるものではなく、その状況においてさえ、人間らしくあることを選択することもできた、という話につながっていった。
私は、うわあ、厳しいと思ってしまった。どんな苦悩も、言い訳にしてはならず、苦悩こそ生きる意味なのだと。厳しいから聞かなかったことにする、無視する、ましてや「意地悪や」と非難したいわけではなく、今の私はこれを厳しいなあと感じたということを覚えておきたいから書いておく。
未来のことを考え、自分を待っているものを考えることができれば、どんな生をも意味あるものと捉えてどのようにでも生きていけるという。それはわかる。ただそれを比較的すんなりとできるかどうかは、その苦悩状態に陥る前の生き方がどういうものであったかに、かかっているのではないかな。本書の、解放後の心理状態について述べた箇所でも、未熟な人の場合、自分がこれまで受けた苦労と引換に多少の横暴は許されると思ってしまう人の例を挙げ、こういうケースを正しい方向に導くのはかなり難しいと言われていた。
極限状態になってしまうと、個々人の人間性が容赦なくむき出しになるよという話で、その人間性とは、常日頃、いつでも、今も、私そのものが体現しているもので、そこに平時も有事もない。だからこれは、特殊な状況の体験記ではあるが、普遍的な話でもあった、とも感じる。
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この本の感想を書くのは非常に難しい。
生きる意味を本気で考えさせられる。
アウシュビッツ強制収容所の極限状態でも生きる意志を貫けること。
どんな状況であれ生きる意味を自ら見出すこと。
言葉にすると簡単だが、これは死よりも難しい。
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戦争映画はいくつも見たけれど、文字で表されるとより詳細に伝わってくる苦しみがあって、読み進めるのがしんどくなった。想像を絶する環境でも精神を保った方法については今でも活かせるなと思った
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人は極限状態になるとどのようになるのかが書かれている本。あまりにも想像ができないので、共感したり、感情移入したりしながら読む本ではない。
今の所1番印象に残っているのは、
「ほんのひとにぎりではあるにせよ、内面的に深まる人々もいた。もともと精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人々が、その感じやすさとはうらはらに、収容所生活という困難な外的状況に苦しみながらも、精神にそれほどダメージを受けないことがままあったのだ」
という部分。
繊細な被収容者のほうがよく耐えたという事実は自分の直感とはズレる。よく人を心技体といった三つの構成要素に分けることがあり、アスリートでもどの部分が1番重要かは賛否が分かれている。
この本を読んで、心の強さ、充実さは時に、ほかの二つを凌駕するのかも知れないと思った。
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経験した人の言葉の重みはすごい。
言い回しが難しく、内容を全ては理解できませんでしたが、それでもグッと来るものがたくさんありました。
何回も読みたいと思いました。
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ヴィクトール・フランクルによる不朽の名著「夜と霧」の新版を読みました。単なる悲劇の告発でなく、精神科医という知性の持ち主が、自ら実験台となって「人間は極限状態においてどう変化するのか」を解き明かしたドキュメントでした。
現代社会のストレスや行き詰まりを感じる中で、この本を手に取る人は少なくありません。世間の多くの読者が求めているのは、過酷な状況でも失われない「希望」の種です。
本書の核心は「人生から何を期待するかではなく、人生から何を期待されているかが重要である」という逆転の発想にあります。私たちが人生の意味を問うのではなく、人生の側から常に問われており、それに答えていく責任がある。この哲学は、安易な励ましを凌駕する圧倒的な説得力を持っています。
著者の文章からは、痛ましい状況にありながら周囲を冷静に観察する「聡明さ」が伝わってきます。彼が培ってきた精神科医としての専門性をフル活用した結果でしょう。
自分の持てる能力を最適解として機能させること。この「分析する」という知的な行為そのものが、精神を崩壊から守る強力な防御策(態度の価値)となった事実は、私たちにプロフェッショナルとしての生き様を提示してくれます。
新版は非常に平易で、現代の読者にもすらすらと読み進められる良さがあります。しかし、文字で追う分にはスムーズでも、それを映像として脳内に再生した瞬間に広がる世界は、想像を絶するむごたらしさです。
特に心に残ったのは、収容所を出たあとの人々がすぐには喜びを感じられなかったという描写です。これは「ノミの法則(学習性無力感)」を彷彿とさせます。閉じ込められ、感性を抑圧し続けた状況からは、すぐには戻れない。
世界は自分の五感で感じたもので占められています。だからこそ、解放後に必要だったのは、食べる幸せや周りに人がいる幸せを一つずつ感じ、五感を広げていくことだったのでしょう。
「環境は選べなくても、その環境に対する態度は選べる」
これがフランクルの提唱するロゴセラピーです。
現代においても、国や組織という外圧に抗えない場面は存在します。その中で個人にできることは、自分を信じて自らの特性を知ることです。仕事は人生の一部であって、すべてではありません。時間は切り売りして対価を得るものと割り切り、人生のポートフォリオを多様な観点で構築していく。
複数の専門性を持ち、どこでも生きていける柔軟性を大切にすること。それこそが、能動的な裁量を行使できる現代的な幸せの形ではないでしょうか。
タイトル「夜と霧」のドイツ語の原題は「それでも人生にイエスと言う」です。肉体や環境がどれほど拘束されても、内面の自由までは奪われません。
明日を生きても変わらない苦痛が続くかもしれない恐怖の中で、いかにして自分の価値観を守り抜くか。
本書は、現代を生き抜くための「心の処方箋」であり、人類の遺産かもしれません。
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強制収容所映画をよく見るので前半は想像しやすく聞いたことある話も多く、衝撃などはあまりなかったが後半に連れて心理学者である筆者の1歩引いた見方に引き込まれた。
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読む必要がある本だと以前から認識していたが、今回ようやく読むことができた。
分量自体は多くなく、案外すぐ読み終えることができたが、なかなかどのような本だったかを説明することが難しい。作者の強制収容所における体験談という意味ではドキュメンタリー的でありながら、作者は精神科医であるため、被収容者の極限の精神状態を精神的に分析する学術的側面もある。また、当然自らが一被収容者として体験したことであるから、私小説的でもある。そして、この本では、このような極限状況に置かれた人間がどのように生きるべきかという観点も論じられており、多分に哲学的でもある。
この本が今でも読み続けられているのは、おそらく最後の哲学的な側面によるところが多いように思う。強制収容所という、どのような視点からも擁護できない、いわば歴史の闇の部分に対峙しながら、それでもなおそれを批判するというよりも、そのような環境においてもどのように人間として生きていくべきか、特に人間の精神の自由を確保することの重要性に目が向けられている。個人的には、強制収容所という絶対悪を前にしてなお個人の尊厳を説く作者の超越性に驚くほかないが(自分であれば無理だと思う。)、強制収容所という人の尊厳が破壊され、死が現実のものとして近くにあり、終わりの見えない地獄にあってこそ、その人間の真価が問われるのかもしれない。「人間とは人間は何かを常に決定する存在だ」という作者の言葉には、ハッとさせられた。
また、作者はユダヤ人であるにもかかわらず、ユダヤ教や神という概念が作中ほとんど出てこなかったことを不思議に思っていたが(ユダヤ人であれば、おそらくバビロン虜囚と今の自らを重ねたのではないかと思う。)、訳者のコメントによれば、敢えて個人的な属性や宗教観を示さずに、より一般に妥当する作品とすることを狙ったのではないかということであった(ただ、強制収容所でなお個人の精神的自由を問題にする作者の態度には、宗教的な側面を強く感じることは否定できない。)。確かに、作者は、被収容者=善、収容者=悪という単純な二項対立の構造を徹底的に避けている。収容者の中にも、(もちろんほとんどがサディスティックな存在であるものの)被収容者にパンを恵んだり、自費で被収容者のために医薬品を購入していた者がいたことが語られる。その一方で、被収容者の中には、その他の被収容者を監視・統率するために一定の権力が与えられていた者がおり、その悪辣さ・醜悪さは頻繁に指摘される。現在のイスラエルの状況を見れば、ユダヤ人を単なる被害者として書かなかった作者の試みは残念ながら正しかったと思う。多数の強固な社会システムが重層的に存在する中において、人としてどのように自由な精神を確保できるのかというのは、現代でもなお解決していない問題である。
Posted by ブクログ
「クリスマスと新年のあいだの週にかつてないほどの大量の死者を出した。医師の見解によると、労働条件・食糧事情・気候の変化・新たに広まった伝染性疾患 いずれからも説明がつかない。原因は多くの被収容者がクリスマスには家に帰れるというありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる」
Posted by ブクログ
ロングセラー、ベストセラー、
時代を超えて読まれる名作。。。。。
そんなラベルを持つ作品なので、
一度は読んでおいた方がいいだろうということで。
歴史はよく知らない。
なんとなく程度。
アウシュビッツ収容所に監獄されることになった
心理学者が
劣悪な環境と非現実的な現実と向き合うことで掘り下げた
生きるということの本質が描かれる。
実際はもっと凄惨だったんだろう。
だいぶまろやかに表現されているんじゃないかと推測できる。
「環境」の力の強さを描きつつ、かつそれでも
人間としての生きる力の強さを論じる筆力。
そして、「運命」を受け入れる姿勢
苦しみと共に生きる覚悟を感じたし、
それは環境によるものではなく、
日常に潜んでいるそれぞれが抱える苦しみと生きる覚悟を持てというメッセージだと感じた。
何より後半
監獄から解放された後の日常の方が寒気がするくらい怖かった。悍ましいとはこのことか。お前はどうなんだと突きつけられている気がして、背筋が凍った。
文章としてはかなり読みづらい、というか、ひとつひとつの文章が濃すぎて、何度も反芻し咀嚼しながら、理解していった感じ。まだ自分の未熟さを、この作品を通して感じずにはいられなかった。
一方で、戦争や虐殺などの、歴史的事実を、
現代において知る必要はあるのかとは疑問に思う。
昔の人は馬鹿なことをしたもんだ、くらいでいいのではないか?その時代の人たちに深く感情移入などはする必要はないのではないかとは思う。わざわざ苦しい思いの中に自分をダイブさせなくても、吉方だけを向いていけばいいような気もするけれど。
読んで良かったとは思うけど、また読みたいとは思わない。
Posted by ブクログ
2026.7
一文字一文字じっくり読むのが難しかった
それは言葉遣いからくるものかもしれないし
重いテーマからくるものかもしれないけど
本自体はとても客観的な視点のように感じた
私はこのような状況下で
精神を保つことができるのだろうか
最後の旧訳者と新訳者の文章が
とても心に残っている
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P61 何人もの思想家がその生の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたいあげた真実が、生まれてはじめて骨身にしみたのだ。愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今わたしは、人間が詩や思想や信仰をづうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
P71 ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況に打ちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ。
P77 ショーペンハウアーが言う否定的な意味での幸せ
P110 人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。
P168 一九四八年の「イスラエル建国」と同時に勃発した第一次中東戦争から三十年足らずの間に、この地は四度も戦火に見舞われたのだ。戦争とカウントされなくても、流血の応酬はひきもきらず、難民はおびただしく流出しつづけた。パレスティナは、世界でもっとも人間の血を吸いこんだ土地になった。そのような同時代史かフランクルの目にどのように映ったかは、この本の読者なら想像に難くない。さらにあいにくなことに、十七カ国語に訳された『夜と霧』は、アンネ・フランクの「日記』とならんで、作者たちの思いとは別にひとり歩きし、世界の人びとにたいしてイスラエル建国神話をイデオロギーないし心情の面から支えていた、という事情を、フランクルは複雑な思いで見ていたのではないだろうか。
P169 このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧」を踏襲した。これは、一九四一年の総統令にナチス自身がつけた通称で、占領地の反ドイツと目された政治家や活動家を連行せよ、という命令だった。彼らの多くは行方不明になった。まさに、夜と霧に消えたのだ。しかし、フランクルの思いとはうらはらに、夜と霧はいまだ過去のものではない。相変わらず情報操作という「アメリカの夜」(人工的な夜を指す映画用語)が私たちの目をくらませようとしている今、私たちは目覚めていたい。夜と霧が私たちの身辺にたちこめることは拒否できるのだということを、忘れないでいたい。その一助となることを心から願い、先人への尊敬をこめて、本書を世に送る。
Posted by ブクログ
人間とはなにものか。
アウシュビッツ強制収容所での実体験を元に、
心理学者だった筆者による記録。
「言語を絶する感動」と評されていると言う本書。
感動と言うよりは、あまりにも過酷な環境に置かれた人々がどのように感じ、振る舞い、死んでいき、そして生き残ってきたのか、その事実にただただ打ちのめされた。
ラスト近くの、被収容者を前に語る筆者の言葉に、静かに心が震えるのを感じた。