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一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。
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Posted by ブクログ
旧制高校の学生達は難しい本を読んで自らの人格を高めようとした。旧制高校生はエリートだから末は国の中枢を担う存在でもあった。この時代は本を読んで教養をつけることがエリート学生に必須だった。 しかし戦争で日本は大敗して、旧制高校が廃止になったあたりから少しずつ変わっていく。別に本を読むだけが人格を高める...続きを読むことではないよねと考えるようになる。それが新制高校卒業した人達。 私個人の意見としては本は読みたい人だけ読めばいいと思う。私は好きだから本を読んでいるだけ。教養つけたいとかビジネスに役立てようとか全く考えていない。
本書は三宅香帆が、推している本なので、読んでみた。とにかく、米津玄師が、「べらぼうに面白い」と2020年に雑誌『SWITCH』に掲載された小特集で言ったことで、話題になった本なのだ。 竹内洋は京都大学の先生だった。私より上の世代である。教養がなぜ必要なのか?ということと、教養主義は、教養と密接...続きを読むに関連しながら、異なる概念だ。そして、教養主義が没落しているという指摘は、時代によって教養主義も変遷する。 本書は、「教養」という言葉に対する一般的な説教じみたイメージを超えた、社会史としての興味深い分析を展開している。従って、単なる主観的な意見や感情に訴えるものではなく、歴史的および社会学的な視点から、「教養」という概念がどのように成立し、誰によって担われてきたのか、またなぜその価値や存在意義が衰退していったのかを詳細に解明している。具体的には、旧制高校時代のエリート学生文化、マルクス主義の台頭、さらには大学の大衆化に伴う教養主義の消退に至るまでを、時系列に沿って描くのではなく、多角的な視点から体系的に解説しいる。 本書は、石原慎太郎、岩波茂雄、ビートたけしを教養主義の視点から分析していることで、彼らの時代における役割が明らかになる。また、教養主義が、「役にたつこと」の重視する風潮から没落し、結局、公務員試験などに残存する遺物にもなりかけているという、絶滅する寸前なのだ。 教養とは、個人が社会と関わる過程で経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得することによって身につける、ものの見方や考え方、価値観の総体を指す。単に知識を蓄積するだけでなく、それらを統合し、批判的に思考する力や倫理観、感性、主体的に行動する力など、人格的側面も含むものである。 教養主義とは、近代日本において、特定の読書や経験を通じて教養を身につけることを規範とし、それを人格形成や社会的エリートとしての地位確立のための通過儀礼とみなす文化や思想を指す。ドイツの「ビルドゥング(教養)」の理念に強く影響を受けており、内面的な修養を重視した。多くの場合、旧制高校や帝国大学といった限定されたエリート層の学生文化の中から生まれ、特定の読書リストや外国語の学習などを通じて、知性や人格を序列化する側面を持っていた。 本書によれば、日本における教養主義は、時代とともに変化を続けてきた。 明治・大正期には、西洋の近代思想や文学を取り入れ、自律した個人としての「人格」形成が重視された。夏目漱石や阿部次郎などがその代表である。 昭和初期には、マルクス主義の台頭に伴い、教養主義とマルクス主義が対立しつつも、相互影響を及ぼす「マルクス主義的教養主義」が形成された。そして、1936(昭和11)年に、『思想犯保護観察法』が制定され、『治安維持法』によってマルクス主義が思想的に排除された時代があった。 戦後においては、旧制高校の廃止とともに一時衰退したが、新制大学においてマルクス主義を引き継ぎながら再び復活した。しかし、大学進学率の上昇と大学の大衆化が進むにつれ、エリートとしての特権的な地位は失われ、教養主義は次第にその規範としての力を弱めていった。そして、1970年代頃まで続いた大学の規範文化としての教養主義も、社会の複雑化や価値観の多様化にさらされた。 専門分化と実利主義の台頭が始まる。大学が専門知識を身につけて職業に役立てる場へと変化した。これにより、人格形成という漠然とした目的よりも、専門分野での成果や社会的成功が重視されるようになった。大衆が豊かになり、多様なエンターテインメントが普及する中で、「俗」を軽蔑する教養主義の価値観は時代の流れに合わなった。 本書で、教養主義に登場する人物の評価がおもしろい。石原慎太郎は戦後の教養主義に対する強烈なアンチテーゼ(対立概念)を体現した人物として高く評価されている。 まず、石原慎太郎の若者文化における寵児として登場する。戦後、旧制高等学校出身者が象徴していた「古めかしい」教養主義が次第に権威を失う中で、石原は『太陽の季節』(1955年)を通じて、従来の価値観を打ち砕き、新しい若者像を提示した。これは、既存の教養主義が軽蔑した「俗な欲望」や「肉体の欲望」「生々しい現実」肯定し、古い価値観を相対化して、その支配力から解放する力を持ったと評価される。そのエネルギーを文学のテーマとした。これにより、没落しつつあった教養主義の権威を決定的に揺るがした人物として位置づけられる。 竹内洋は、石原慎太郎が古い教養主義を超えることができなかったという。「俗」からの脱却に関して、彼は既存の教養主義を破壊したように見えたものの、作品には依然として教養主義的な価値観、特に「エリート意識」や「権力への志向」が色濃く残っていた。彼は、真に俗人になりきることができず、むしろ教養主義的なエリート意識の裏返しとして行動していたと考えられる。そして反知性主義との親和性である。石原の活動は、古い教養主義への批判から、次第に知的権威全般を否定する「反知性主義」的側面を強めていったが、これはあくまで教養主義の超克ではなく、その反作用として生まれたものであり、新たな知的創造や文化の創出には至らなかった。 石原慎太郎の父親の潔は、旧制中学校中退で、山下汽船には、店童という丁稚身分で入社。母親は神戸市第2高等女学校を卒業。ただ、石原慎太郎が物心がついた時点で、父親は小樽出張所主任管理職であり、戦後は山下汽船の子会社の常務まで登り詰めていた。成り上がりホワイトカラーとなっていた。上昇ブルジョア層だった。著者の表現も、昭和的価値観で述べられているのが面白い。 教養主義の旗振り役になった岩波茂雄は、1881(明治14)年、長野県諏訪郡中洲村の農家の長男に生まれた。岩波茂雄は、東京府立第1中学校を中退し、国粋主義を掲げた独特の校風を持つ日本中学校に編入する。そして一高に入る。そこで付き合った人が豊富で、阿部次郎や夏目漱石となる。 古本屋岩波書店を1909年に開業し、そして夏目漱石の『こころ』を1914年、自費出版することで、出版業をスタートさせ、『硝子戸の中』『道草』『明暗』を出版して地位を固めた。1915年に『認識論』を皮切りに全12冊の哲学業書を刊行し、「哲学書の岩波書店」というブランドを確立。『善の研究』『出家とその弟子』『古都巡礼』が発刊された。そして1938年に岩波新書が刊行された。そのことで、岩波書店は教養主義の文化エージェントとして確立した。それが文化史観を確立し、文化財としての価値を生み出した。 竹内洋は、永井荷風の教養は、西洋の文学や哲学に深く傾倒しつつも、日本の伝統的な遊里文化や江戸の風俗に対しても愛着を持っていた。荷風の教養は、「俗世間から距離を置き、自らの美意識や趣味を徹底的に磨き上げる、個人的で耽美主義的な態度」である。荷風は明治以降の近代化や欧米化を批判し、江戸の伝統や風俗、遊里文化に美を見出した。荷風は、世間一般の価値観や社会規範に縛られることを嫌い、自らの「好き」を追求する「好事家」としての生き方を貫いた。社会の規範やエリートとしての地位を確立するためのものではなく、むしろ社会から距離を置き、自らの美意識を追求するためのものであった。これは、当時の教養主義が目指した「人格の完成」とは異なり、個人的かつ耽美的な教養観といえる。 竹内洋は、ビートたけしを、従来の教養主義的な知識人とは異なる、新たなタイプの知的存在として評価している。たけしは、エリートとは対極に位置する「不良」や「庶民」の視点から、既存の権威や教養主義的な価値観を徹底的に笑いものとした。たけしの笑いは、教養主義が前提としていた「高尚な文化」や「人格形成」といった価値を相対化し、大衆に対して「本を読んで社会のことを考えても意味がない」といったムードをもたらした。著者は、たけしこそが、戦後日本のキャンパスから教養主義を駆逐した動きを最終的に完成させた人物であると論じている。 竹内洋の面白い分析は、団塊の世代が大学生になることで、本を読まなくなったということだ。竹内は戦後の大学進学率の急激な上昇が、旧制高校時代に存在した教養主義的な学生文化を崩壊させたと指摘している。大学生が、漫画を読むことが日常となり、『世界』『中央公論』を読まなくなり、『少年マガジン』『少年ジャンプ』が愛読書になり、教養主義らしきかけらとしての『朝日ジャーナル』があった。大学生の増加に伴い、従来「読書」が担っていたエリート文化の役割が失われつつあり、多様な価値観の中で読書はもはや「必須の行為」ではなくなったことが、学生の読書離れの主要な要因の一つであると指摘している。 この本の世代と近い存在である私は、この本の難解さに驚きつつ、話題の取り上げ方のうまさと先進性に驚くのだ。そして、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という時代となるのだ。
面白かった。 説教臭い本だと思ってたけど全く違う 前半部分は昔の人物が多かったり、自分が生まれる前の話で中々入り込めない部分もあったが、そこで前提をインプットしてると中盤以降、一気に伏線回収的に面白くなる。 教養主義没落の必然性は説得力があって腑に落ちたし、適宜引用される文献も自説を補強するだけ...続きを読むでなく、毎度新たな視点が提示されるようで非常に興味深く読むことができた。
石原慎太郎についての論、全共闘論面白かった。 都市-農村、西欧-日本の落差こそが教養主義の動力となる。大衆化による教養主義のクライマックス。
2003年刊行。職場(大学)で日常的にAIとつながっている時代の教育について語り合い、再読しようと。 教養主義とは、「歴史、哲学、文学などの人文系の書籍の読書を中心とした人格主義」であり、「西欧文化志向を精髄」とし、「本堂を旧制高校とすれば、帝大文学部は、その奥の院ともいうべき場」だった。 「読...続きを読む書を中心に人間形成を考えた昔の学生は、いってみれば漢字の「教養」に生きたが、一般常識や一般経験を人間形成の道筋としているいまの学生は、ライトな教養であるがゆえに、片仮名の「キョウヨウ」に生きていることになる(p239)」 いまの学生はライトな教養さえも必要としない「kyouyou」の時代に生きているのではないか? 「あらためていまの学生の「教養」コンセプトを考えなければならない(p238)」 まさにこのことが再読しようと思った動機だった。 #ひぐの本棚
米津玄師がこの本について、べらぼうに面白いと言っていたというのを知り読んでみた。 読むのに時間がかかったが、大正時代から続いた教養主義がどのように変わってきて、没落したかが大体分かった。学生運動をしていた時代とその思想などがよく分かっていなかったが、少しその流れが理解できたかなと思う。 現代は昔と...続きを読む違ってインターネット・youtube・漫画その他、人格形成のために情報を得るための種類が多くなったが、それでも書籍を読むことが知識や教養を得るためには一番大切なんだろうなと私は思う。
教養主義は没落すべくして没落している。古典的な教養主義の場として、一番そぐわないのは今の大学だろう。これは悲観すべきことではなく、大学も文化装置としての役割を変えているということではないだろうか。社会課題の解決、学生の自己成長と自己実現の場という新しい役割を獲得しつつあるように思う。
大学や教養主義がエリィトのものだった頃についての本 今そういうの学びたかったら岩波と中央新書でよくねえかと突っ込みながら読んでたらそれもちゃんと書かれていた 明治大正の頃から昭和まではエリィトのものだったのだなぁとなんか新鮮な気持ち
旧制高校時代の学生文化から始まる教養主義の君臨と、80年代頃の没落まで。 教養主義とは読書で人格を磨くという考え方だが、昨今の消費社会では、タイパコスパのように実用性の高いものの方が重視されている。
米津玄師が、最近読んで面白かった本として本書を取り上げていたので、読んでみた。 文芸書や人文書が好きなので、「教養主義」という言葉には、くすぐられる感覚がある。 「P40 ここで教養主義というのは哲学・歴史・文学など人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度である。東京帝大講師ラファエル・ケーベ...続きを読むル(Raphael Koeber 一八四八一一九二三)の影響を受けた漱石門下の阿部次郎(一八八三―一九五九) や和辻哲郎 (一八八九一一九六○)などが教養主義文化の伝達者となった。『三太郎の日記』や『善の研究』が刊行されることによって、旧制高等学校を主な舞台に、教養主義は大正教養主義として定着する」。 旧制高校のエリート主義が前提で、階級格差が明確で格差があるのが当たり前であった時代の人格形成の唯一の手段であった読書。もちろん、師弟関係はとても重要で、文字だけの教養ではなかった。 このエリート主義の時代的背景を細かく記載していて、「没落」の様子はあまり語られず、章は進んでいくが、「終章 アンティ・クライマックス」で、教養主義の没落が急展開していく。作者の懐古感情ややや強引さも感じられるが、時代相としては納得させられる。 教師としての学生を見る目が登場するが、これは1990年代の話であって、それをそのまま受け取れる訳ではない。2020年代、「サラリーマン」と呼ばれていた人々が相対的に少なくなり、非正規雇用が増えていく中にあっては、起業を目指すため真面目に実践的教養を身につけるよう格闘している姿も思い浮かぶ。 旧制高校の学生が上流階級上昇のため、「教養主義」を身につけたのだとしたら、現代の人は哲学・歴史・文学とは違う項目で自己実現を目指しているのではないか。成功するために人と違った教養を身につけて差異化していくのは、大正時代の教養主義と変わらないのではないか。「サラリーマン化」して、教養主義が没落していったのなら、脱サラリーマン化している現代社会は再び「教養主義」の洗練を受けているのではないだろうか。 読む価値は、大いにある本だと思う。 米津玄師がどう面白いと感じたのか興味をひかれる。
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