あらすじ
「SNSによる炎上」とよく言われるが、これは矛盾した言葉だ。なぜならSNSは本来“井の中の蛙”を作るサービスだからだ。閉じた世界で自分の触れたい情報にだけ触れて時間を過ごすサービスがSNSなので、むしろ喧嘩を回避する方向に機能する。だとしたら「SNS規制」は限定的な効果しかない。しかし現実に炎上は起きている。その理由は? それはX(エックス)などの「拡散系サービス」をSNSに含めているためである。
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Posted by ブクログ
タイトルと装丁は、やばい雰囲気がする気がするのですが、中身はそれから感じた印象よりだいぶまともな感じがしました。
今のXの地獄の状況をうまく言語化していて洞察力の高さに感心しました。
規制が必要なのは子どもではなく大人ではないかというのが、自分の頭に毛頭なかった考えで驚きましたが、著者の持論を読み進めるほど説得力が増していき、とても納得できました。
この本で初めて見る小難しい単語が体感ほかの本より多かったです。
サイバーカスケード、跳梁跋扈、典籍、指弾者、昔日、蟄居、汲々、後顧の憂い、ヘゲモニー、ページェント、ハクティビズム、警世、愚行権、指呼の間辺り知らなくて調べました。
著者はオタクなのでしょうか。
P186のスイカのくだりはエヴァンゲリオンの加持さんを思い出しました。
そしてP216のS字結腸はびっくりしました。医療用語ではS状結腸というらしいので、S字というと、創作を見てるのですかね…?
Posted by ブクログ
今年は宇野常寛さんの『庭の話』からインターネット、特にSNSについて色々な本を読んだり考えてきた。だが、この本の言うとおり、そもそもXはSNSではなく拡散性サービス。LINEやDiscordのような同好会のようなものがSNS。一方Xは世界に拡散され、自分とは違う世界が絶対に入ってくる。
受け入れられないものを見た人から分断が起きて波及していく。サイレントマジョリティがいいねを押すだけでもその意見に価値がつく。
「みんな違ってみんないい」ははたして正しいのか?結局自分が変わるより、好き同士で集まった宗教・正義で他人を叩くほうが楽なのではないか?個人の自由の先ってどうなるんだろう。
もう1つ考えたのは最近SNS批判が顕著ですが、逆にいいことはなかったのかということです。私は精神を病んでからインターネットを通じていろんな人と会話をしたり、読書会やイベントを主催したりしました。身近ではいないような波長の合う人にも出会えました。その経験から、孤独感から救われた人もいるのではとも考えてしまいます。
そこで定義の「XはSNSではない」がしっくりきます。SNS批判で槍玉に上がるのは大抵Xだからです。クローズドないじめだとLINEも上がりますが、それは学校の教室や村社会の流れなので、最近の話題に限った話ではないと思います。上記のエピソードは、教室のような縛られた・閉じられた人間関係ではなく、Xのような開かれすぎたものでもない。これらの間に生きやすい人間関係のヒントがあると思います。結局『庭の話』に戻ってきますね。
Posted by ブクログ
まずはsnsとXは違うというもの。
フィルターバブルのかかる仲間うちの集まりと、誰でも参加できる拡散系のXは違うもの。ふむふむ。確かにその通りだ。Xをみてると嫌でもあらゆる投稿が飛び込んでくる。(7割はフェイク、誇大表現、何が問題?など)
そんなXをはじめとする拡散系こそ問題であり、他人の足をひっぱり愉悦に浸る大人こそが止める必要があると。しかし、筆者の結論は利権を追うプラットフォーム企業が是正する可能性はなく、分断は過激になっていくと。最後にショートカットを分断し、自分だけのコクーンに閉じこもるという解決策を提示するが、直近の解決策はないのかもしれない。自由には責任がついてまわるはずなのだが、それを破壊してしまった。
さらに便利さは代償を必要としている。