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女が読書と言えば小説しか読まなかったり、文系が多いのは人から切り離されるのが嫌だからだよ。正直、花とかも男の方が好きな人多いし、男性が女性に花をプレゼントするのは男側の自己満説が濃厚だと思う。日本の華道も初めは男しかやってなかったし。女の承認欲求とかも虫からとかじゃなく人から承認されたいと思うのも女が人間関係とか人に強い興味があるからだし。
「まず話のとっかかりとして、僕と養老さんの幼い頃の話からはじめましょうか。 僕は関西の人間と思われているようですが、じつは昭和三年東京で生まれました。しばらく前まで大田区の区役所のあったあたりのようです。三島由紀夫は生まれたときの記憶を持っていたという話ですが、僕はとてもそんな天才ではありませんから、この頃の記憶はほとんどありません。断片的なイメージはありますが、それもあとで人から聞いた話が混ざっていますので、自分の記憶としては定かではないのです。ただかすかに覚えているのは、久が原のマッチ箱のような小さな家に住んでいたということくらいです。 東京を離れて大阪に移ったのは五歳のときです。父親が勤めていた外資系の会社をクビになったので、友達から借金して大阪で、自分で会社をはじめたのです。父親は京都大学の物理出身でしたから、そのときのコネを頼ったということもあると思います。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「中学は北野中学というところへ行きました。中学時代の僕は、マセていましたけれど、とても弱虫でした。これは母の影響です。母は文学少女がそのまま大人になったような人で、当時流行った文学書が本棚いっぱいに並べられていました。でも、あまり系統的ではありませんでした。夏目漱石、坪内逍遙、国木田独歩、シェイクスピアと一通りありましたが、全集がそろっているわけではなく、ポツポツと数冊ほどあるという感じ。つまり母の好みです。 だから僕はその中から気に入った本を読んでいったわけですが、漱石もはじめに読んだのは『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』ではなく『坑夫』や『草枕』。『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』は、うちにはなかったのです。 おまけに母は大の宝塚ファン。小学校時代は、母に連れられてよく劇場に通いました。そのうちに宝塚の生徒がうちに遊びに来るようになりました。こんな環境だとマセないほうがおかしい。 弱虫のほうは筋金入りです。時代が時代ですから、教練といって一種の軍国教育があったのですが、手榴弾を投げれば手前へポトリ、俵上げはうしろにドサッという具合で、もうクラスのお荷物です。かけっこでも、僕のうしろに人がいたためしがありません。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「僕は、昭和二十四年に、母の意志でカトリックの中学校に入学しました。それが厳しい学校で、ちょうど当時の世相とまったく逆の教育をしていたところでした。一種の軍隊教育でした。校長がドイツ人の神父で、先生たちもドイツ人でしたから、かなり異色だったと思います。 始業のベルが鳴ったら、その場で「きをつけ」です。ボールを持っていたら足元に置いて「きをつけ」。そしてベルが鳴り終わったら、駆け足で校舎の前まで走っていって、起立状態で整列、建物に入ったら沈黙、椅子に座ったら先生が入ってくるのを瞑目で待ってる。それで二時間目が終わったら全校生徒が庭へ出てきて、全クラスの授業が終わるまで、夏でも冬でも上半身裸で行進です。全校生徒が出てきたら、今度は体操。これが普通に行われていました。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「 僕の学生生活を振り返って一言で言うなら、他の学生と比べて、大人になるのが遅れたということになるでしょうか。そのまま遅れて、いまになっても人より十年くらいは遅れているのかなという気がしています。 なぜかと言えば、僕の中学・高校は完全に隔離されていたからです。男子校ですし、神父さん、つまり先生も全部男、女の人は購買部のおばさん一人しかいないというのが有名な話で、いまだに卒業生はみんなそのことを言うぐらいです。その代わりと言ってはなんですが、ありとあらゆる国の人がいたので、外国人にはすっかり慣れることができました。そういう意味では、特殊な環境だったと思います。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「ただ、僕の環境において、もう一つ輪をかけて特殊だったのは、学校環境と家庭環境が百八十度違った、つまり二重の生活を送っていたということです。ですから、自分のなかで、あっちとこっちとをまとめるまでが大変でした。 父親がいないということも一因になっているような気がします。こんな僕にとって、世の中に適応するのは、非常に難しかったのです。それに加えて、僕の母がちょっと変わっていて、本当に自分の生き方を通した個人主義の、社会というのがそもそも頭になかったような人でした。社会的概念や一般的な常識、そして、そもそも世の中というものが存在するということを、相当年をとってから、だんだんと知ったのではないかと思われるような人でした。そのような環境で育てられてますから、皆目世の中というのがわからないわけです。しかし、その分僕には、「世の中」という意識が人より多分にあったような気がしています。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「森さんのお話をうかがっていて考えたのですが、自分が何者であるかということを社会的に早く認知させようという動きが、どんどん進んだときにどうなるかというと、非常に答えは簡単です。「士農工商」なのです。あの制度のように、生まれたときから自分の身分、つまり自分が何者であるかが決まっていれば、何も問題はありません。ですから、いまの時代は、どんどんあの制度に戻っているような気がしてなりません。自分が何者であるか説明が要らないというのは、実に楽な社会ですから、若い人が安定を求めるのは、その心理だと思うのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「これも僕の旧制高校時代の話です。養老さんの頃でもまだそうだったと思いますが、学部を越えての仲間というのがけっこう多かったように思います。これは、大学に行っても同じことです。理系とか文系とかいうことは関係なく、交流が活発でした。理系文化と文系文化がクロスしないのはよくないということは、かなり昔から言われており、とくに情報科学などは、クロスしなければいけない典型的な分野です。 ところが、いまの学生は「僕は理系ですから」「僕は文系ですから」というタイプが増えているようです。たとえば僕らの時代の医学部は、かなり文系的な考え方をする人間が多くいました。ですから、作家などの文化人をかなり輩出しました。それは、医者という存在が、人間との社交や文化の核になるなど、人間を扱う商売であり、社交業であったからです。それがいつのまにか、専門家志向のようなものが強まってきているような気がしてしかたありません。 どうしてクロスするのがいいのかというと、その理由は単純明快です。クロスしている人のほうがおもしろいのです。たとえば、心理学者の河合隼雄さんは数学出身です。それから精神科医の中井久夫さんは、最初は法学部でした。文系から理系へ、あるいは理系から文系へと変わった人というのは、わりあいおもしろい考えをしている人が多いのです。『「超」整理法』がベストセラーとなった野口悠紀雄さんも現在の専門は経済ですが、工学部出身です。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「いま、医学部は完全に理系になってしまいました。それは現在の入試と直接関わってくるのですが、数学、物理ができないと、絶対に医学部には入れないからです。教える側から言うと、数学、物理ができる人が入ってくると、実践よりも理論が先行してしまう傾向があり、解剖などを教えるときにたいへん困るのですが……。 クロスすることがなくなった、というのは、僕も実感としてあります。 こういうことを言うと、ますます変わり者だと思われるでしょうが、僕は子どものときから、なぜか知りませんが専門家が嫌いでした。僕は昆虫が好きで、子どもの頃から昆虫採集をしていますが、この世界には専門家がたくさんいます。お互いにテリトリーを守って、「俺のところには口出すな。その代わりお前のところには口出ししない」という暗黙の了解があるのです。それが、子ども心にもわかりましたし、そういう世界はあまり純粋ではないと思いました。 純粋ではないというとおかしいかもしれませんが、要するに僕が好き嫌いでやっているそばで、それとは関係なしに出来上がっている原理であることが気に入らなかったのだと思います。僕が虫を専門にせず、医学の世界に入ったのもそのためです。そういうことがあるので、専門家がどうも嫌いなのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「実は僕は、医学部に行きたかったわけではありませんでした。それなのに結局医者の道を選んだのは、母の言葉に多少影響を受けたのでしょう。 母が常日頃から言っていたのは、要するに手に職をつけなさいということでした。戦争なり、その他のことなり、やはりひどい経験をしたことのある人は、みなそう思っているのではないでしょうか。 ハンス・セリエという有名な医学者は、父親がオーストリアの貴族でしたが、カナダに移住しました。第一次大戦で領地から何から全部なくなってしまったからです。そのとき、父親は息子に「お前が墓に持っていけるものだけが財産だよ」と常々言っていたそうです。セリエは自伝にそう書いています。僕より上の年代で、そういう時代を通った人は、国を問わずみなそういう感覚をもっていると思います。その経験があるかないかで、かなり違うと思います。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「実は僕は、医学部に行きたかったわけではありませんでした。それなのに結局医者の道を選んだのは、母の言葉に多少影響を受けたのでしょう。 母が常日頃から言っていたのは、要するに手に職をつけなさいということでした。戦争なり、その他のことなり、やはりひどい経験をしたことのある人は、みなそう思っているのではないでしょうか。 ハンス・セリエという有名な医学者は、父親がオーストリアの貴族でしたが、カナダに移住しました。第一次大戦で領地から何から全部なくなってしまったからです。そのとき、父親は息子に「お前が墓に持っていけるものだけが財産だよ」と常々言っていたそうです。セリエは自伝にそう書いています。僕より上の年代で、そういう時代を通った人は、国を問わずみなそういう感覚をもっていると思います。その経験があるかないかで、かなり違うと思います。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「こんな話を聞くと、本当に人間のかなりの部分は運だということを実感します。「自然選択説」というのは、実はこういうことなのでしょう。結局は、生き残ったやつが勝ちなのです。そして誰が生き残るかわかりませんから、できるだけいろんな人間を用意しておくのでしょう。 日本人にはその感覚があまりないようですが、アングロ・サクソンは徹底的にそう思っているようです。アメリカを例にとってみても、ホームレスが一千万人以上、その一方で大金持ちもいる。非常にきつい社会のように見えますが、うまくいくやつがうまくいったんだという論理をわかっているのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「いまの時代は、経済も含めて、やはり変動期だといえるでしょう。抽象的に言ってしまえば、変動期には大多数は困るものなのです。ところが、そんな中でもうまいことをやる才覚のある少数派が必ずいるもので、彼らが次の時代の希望になるのです。 それなのに、いまの時代は妬みや僻みが原因となって、少数派をつぶしているような気がします。そういう僻みや妬みはここらで終わりにしたほうがいいのではないでしょうか。僕らは新たな時代を築く「はみ出し者」を育てなければならないのですから。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「ですから、たとえばイギリス人の貴族だったら、貴族英語を喋り、一方でスポーツをやるなど、文武両道を実践しています。文武両道とは何かというと、つまり、首から上と首から下なんです。それは意識と無意識なのですが、それが明治で相当ラジカルに壊れたと思うのです。 ところがそのとき、一つ見逃していたことがあると思います。明治の人は、すべてを政治制度、社会制度として把握して、それを支える文化に気がつかなかった。それで型崩れしてしまったのです。そうして、日本を支えていた体の型がなくなる時代になった。「そこに、軍に全部が引っ張られる要因があった」という唐木さんの言い方を、僕流に解釈すると、その無意識の表現に気がついたのが、実は三島由紀夫だと思うのです。しかし三島は、首から上と下を調和させることができず、最後は生首になってしまいましたが。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「 僕は先程、自分がエリートと呼ばれていたと言いましたが、たしかに僕は、育ちからしてエリートだったと思います。それは京大に行ったとか、東大に行ったとか、そんな問題ではなく、もちろん家がどうだとかいう問題でもありません。僕流の「エリート」の定義は、自分で責任をとることです。つまり、教科書でいうならば、自分で選んだ本を自分で読むことです。自分で好きなことをしたら、自分で責任をとるというのがエリートの条件であり、旧制高校というのは、その意味ではたしかにエリートだったと思います。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「オウム事件などが、心の時代ゆえのものだと言われることに関しては、べつに論理的に考えなくてもいいことを、一生懸命論理的に考えているというイメージがあります。もっと簡単に、本質的な部分で考えることはたくさんあるような気がしています。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「カネというのは回っているものだから、僕のところに溜まっているのなら、その分だけ誰かが困っているはずだと思ってしまうのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「ここが、東京と違うところです。東京の人は、「俺たちは行列に並んでいるのに、あいつらは昔からのコネで裏口から入って買うとは何事か」と言って怒ります。それに対して京都の人の考え方は、「それはいままでやってきたんだからしょうがないでしょう」ということです。 いまでも、東京の下町のほうでは、ある程度は昔からの文化が残っていて、魚屋さんが担いでやってきて、贔屓の家にいいものをとっておいてくれたりするでしょう。東京でも京都でも、付き合いがあることによって、いいものが安く買えるというのは、買い物では当然だと思います。買い物の原理で、並んで順番を待ってカネさえ出せば、誰でも買えるのがいいというイデオロギーと、気持ちよくいいものを買うためには、それなりのキャリアが要るというイデオロギーとあると思うのです。これは、二つの原理があるということで、どちらが良い、悪いという問題ではありません。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「関東文化というのは、「侍文化」だと思います。対して、大阪、関西の文化は「町人文化」だと考えます。身分制度のなかでも、兵と農には共通点があります。昔はとくにそうだったのでしょうが、土地を囲って、太陽の恵みでモノを育て、それを守るというのが兵・農です。そのような風潮は、先程の住専問題の背景にある土地問題にも通じるものがあります。それに対して、町人は違います。町人――職人を含めて――の基本は物売りです。自分でつくったものや細工物を売るわけです。その場合、人が出入りしなかったら商売になりませんから、人を歓迎します。それも、買う人だけだったらダメで、野次馬がいるから店が繁盛するので、どちらかというと開放的です。人が出入りするのが家という関西、そして自分のテリトリーを守るのが家という関東、という違いがあるように思うのです。鎌倉武士以来、東国の文化の根本はそういう侍文化で、上方のほうはやはり町人文化です。つまり東京対関西は、侍対町人という感じを僕は持っています。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「都市文化というのは、本来商工業者がつくりだすはずのものだったのですが、日本はちょっとそれからずれている感じがします。東京がとくにそうで、人工的につくられた、しかも侍がつくった町で、それが世界の大都会になってしまったから、奇妙なところなんです。 僕は最近になって、やはり日本は広いのだということをつくづく実感します。関東はとにかく、田舎の貧乏と大都会が同居してるところだと思います。僕の地元の鎌倉でタクシーに乗ると、「うちの田舎じゃ年寄りが卒中になったら、飯は食わせないんだよ」と運転手がいうのです。『 山節考』という話がありましたが、あれが関東を象徴していると思います。ある年まで生きたら、もう自分の歯をかいてでも、 山に行って捨ててもらうのです。自分の生産量が衰えてきたから、食いぶちを一人減らすのです。そのくらいカツカツ、ギリギリで生きていたというのが、関東です。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「関東と関西、その中でも僕や森さんが関わっていた東京と京都に限定していえば、やはり文化、歴史の違いは大きいと思います。関東というのは江戸にいきなり街をつくりました。のちの北海道のようなつくり方だと思います。七割が男性で、女性は後からかき集めてきた人工的な社会です。そしてその周りは、極端な、徹底的な田舎です。関西に比べたら貧乏で、歴史もなければ文化もない。そこに江戸という町をつくっても、それだけのことですから、京都の文化とはかなり差があることはたしかでしょう。 それからは、森さんのおっしゃるとおりの侍文化で、明治以降は薩長文化が入ってという感じですから、硬いですね。一言でいえば不器用と言えるでしょう。貧乏は徹底的に貧乏で、救いようがないくらいです。 都市文化というのは、本来商工業者がつくりだすはずのものだったのですが、日本はちょっとそれからずれている感じがします。東京がとくにそうで、人工的につくられた、しかも侍がつくった町で、それが世界の大都会になってしまったから、奇妙なところなんです。 僕は最近になって、やはり日本は広いのだということをつくづく実感します。関東はとにかく、田舎の貧乏と大都会が同居してるところだと思います。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「おもしろい話があって、以前、霊長類研究所の連中と、チンパンジーはヒトに、なかでもヨーロッパ人によく似てるという話をしていました。それならニホンザルは日本人に似ているのかという話になりまして、霊長類研究所で調べているニホンザルの話題になりました。そこには、ときどき群れからはぐれるサルがいて、そういうサルはまず女子どもに手を出して、それに頼って、それからだんだん最後には、はぐれザルのくせにボスになるやつまで出てくるというのです。そういう要領のいいサルを見ていると、日本の社会とよく似ているなあと妙に感心して笑ってしまいました。そういう意味でいうと、ニホンザルの社会も日本人の社会もたいして変わりがないのかもしれません。 それはともかく、たしかにチンパンジーと人間はよく似ているようです。遺伝子だけ見せたら、人類学者でも間違えるぐらいよく似てるし、おそらくチンパンジーと人間の混血もけっして無理なことではないだろうということでした。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「一種の科学信仰で、科学がこれだけ進んだので、たいがいのことは説明できるようになったと思われているようですが、それはまったくの誤解です。 それが前提になってる典型的な質問は、「脳はどこまでわかりましたか」という質問です。そういう質問が出てくるということは、どこまでわかったか説明できるという前提に基づいています。しかし、いくら調べたって「どこまでわかったか」などわかるわけはないのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「そういう点では、この頃「理系人間」「文系人間」という言い方は、メダルの裏表みたいな気もしています。たしかに僕にしても、養老さんにしても理系でしょう。やはり「これはこうなっているから、ゆえにこうなる」というシステムで理解するのは好きなのです。それがおもしろいという気持ちはたしかにある。しかしそれでも、科学はおもしろいけれども、そんなに全部がわかるはずはないという思いも持っている。僕が思うに、理系人間にはこの感覚が欠落しているのではないか。だから、文系の人間は理系を別世界みたいに思うのではないでしょうか。 理系が専門化しすぎていることも、それに拍車をかけているようです。僕は人には二つのタイプがあるように思います。自分の土俵を守ってそこでやりたがるタイプと、できるだけ土俵の外でいろいろなことをしたがるタイプです。僕はどちらかというと、外のほうが得ではないかという気がしています。 僕は子どもの頃、いちおう数学少年でした。数学の先生は授業を誘導したくて、僕を当てたりします。まあ僕もなるべく付き合ってあげるほうでしたが、ときどきひょんなことを言うクセがありますから、答えがまったくあさってのほうへ行ってしまうこともありました。そうすると、先生は期待があった分だけものすごくガッカリするわけです。 ところが、僕の得意分野外である歴史や国語などで、はずみでちょっといいことを言うと先生はとても喜んでくれる。僕は子ども心に、「他人に期待されるところでやるのは効率が悪くて損ではないか」と思いました。あまり期待されないところでは、ダメでもともと、うまくいけば喜ぶから、効率がいいのはかえって外のほうだということを、その頃から肌で感じていたような気がします。だから、なぜ確実性を求めて、権威を求めて、絶対の正しい答えを求めて、自分の土俵を守りたがるのか、僕には理解できないのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「昔の人にしても、意識されてる部分と無意識の部分との比率は、もし仮に比率があるとすれば、いまと同じだったはずです。科学の発達が意識されている部分を増やしているわけではないのです。 しかし、意識中心主義は依然として強いようです。とくに組織の中の人はそういう傾向が強いように思います。組織の中というのは、意識化されなければダメですから。とくに機能化すればするほどそうなります。結局、機能というものは、ああすればこうなる、こうすればああなる、という具合に完全に意識化していくことにほかなりません。組織の中の人間は、全部そういうふうに意識化しないと、もう不安でしかたなくなってしまっているようです。 僕が、科学はダメだと言うのも、基本的にそこが原因なのです。先程、僕は大学時代の研究テーマにむずかしい題材を与えられたことをお話ししましたが、それをいじめられているととらえる感覚では、つまり答えが出なければやらないという感覚では、ものを考える気などなくなってくるでしょう。解けるか解けないかわからない問題を考える気もなくなってきます。 森さんがおっしゃるように、理系の専門主義も問題です。少しでもそこからはみ出すのが怖いのでしょう。その不安はよくわかります。そこから先に行ったらどうなってしまうだろうという漠然とした不安……。だからこそ、確実性を求め、権威を求め、絶対の正しい答えを求めるのでしょう。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「また日教組関係の会合でその話が話題になったことがあります。そのとき、中学校のベテランの先生がおもしろいことを言いました。「中学生で変なことをいうのはつねに優等生です」というのです。これは理屈に合わないでしょう。先生についていけないから劣等生なのであり、変なことを考えているのは劣等生のはずです。しかし中学校の先生は、表現能力とも関連があるのかもしれないが、優等生が変なことを言いだすのはゆとりがあるからだと言います。劣等生は、「あいつ、あんなアホなこと言うて」と言われるのがいやで、優等生のふりをして黙って分かったふりをするのだそうです。 いま大学でも二十代ぐらいの若者は、講演者に合わせてやろうとする傾向があるようです。「あいつはいつも研究会で変な質問する。変な子やから、今度助教授にするのやめようか」となることを恐れているのでしょうが、本当はそんなことになることはまずありません。逆に「あいつ、ときどき不思議なこというから、あれ入れとくとおもろいで」となるのですが、みんなが優等生の真似するのでかわいそうになります。 湯川さんが「私は日本を代表する学者やから、アホなこと言うたらあかん」と思ったり、「僕はクラスを代表する優等生やから、先生の喜ぶ質問しよう」などと思ったらつまらないので、本当は劣等生や若者が湯川さんのようにいろいろなことが言えるようにならないといけないと思います。ブレイクスルーは、案外こんなところにあるような気がします。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「そういうことを考えてみても、先程申し上げたように、首から上と首から下は違う文化になっていることがわかります。そして日本では、首から下の訓練を長年やってきたのです。それが修行であり、いわゆる「道」で、その結果として出来上がったのが「型」です。それを僕は身体表現だと言いました。身体表現と対になっているのが、言語表現です。昔はこの二つがうまくかみ合っていました。侍はそれを文武両道と言いました。ところが、しだいに日本人は身体表現のほうを切り捨ててしまったので、それと対になっているはずの言語だけがその分ボワーッと広がってしまいました。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「いまの若い人が大変だなと思うのは、身体表現というものをいかにつくり直すかという問題に直面せざるをえなくなってしまったことです。その証拠に、以前子どもたちに大人気だった『ドラゴンボール』などのマンガはみんな主人公が修行して強くなるという内容です。つまり、もう一度身体表現をつくり直しているわけです。そう考えると、スポーツもの、根性ものと言われているマンガなどは、実は精神義というよりも、むしろ本来の需要は身体表現の再構築にあったのではないでしょうか。 だから若い人がオウムのヨーガにスーッと入っていってしまうのも、わかるような気がします。身体表現、つまり無意識の部分を獲得したいという、言ってみれば当然の欲求があったのです。しかし、僕はいつも言うのですが、安易にそれをやろうとすると首が飛んでしまいます。三島由紀夫が割腹自殺をしたときに、それがわかりました。三島は言語表現から入って、歌舞伎を通り、いわゆる日本の伝統というものに傾倒していった。そして最後に本当に首が飛んでしまったのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「三島由紀夫が割腹自殺をしたときに、それがわかりました。三島は言語表現から入って、歌舞伎を通り、いわゆる日本の伝統というものに傾倒していった。そして最後に本当に首が飛んでしまったのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「三島のお父さんは、三島のことを「あいつは詐欺師だ」と言ったことがありますが、詐欺というのは一人ではできないのです。騙す詐欺師と騙されるほうの共同作業です。戦争もそうでした。だから戦後になって軍部に騙されたとかなんとかと言いますが、それは軍部が一方的に悪いわけではなく、共同作業という側面もたしかにあったと思います。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「宗教にしても、ずいぶん前から同じようなことを感じていますが、みんな暗黙のうちに唯一客観的な現実があるということを前提にしている。誰もそのことを疑っていない。そしてそれが因果の鎖できっちりつながっていると思っている。しかし、なぜ自分が女房と一緒になったかなど、論理的に説明できるわけがないのです。 こんなことを言うと、また不謹慎だとお叱りを受けそうですが、科学は世のため、人のためのもの、科学者とは真理を探究する求道者である、という考えに凝り固まらずに、もっとラクにやっていけばいいと思うのです。科学者にかぎらず、われわれ一般の人間も同様です。あまりに論理的思考に行き過ぎること、つまり無意識を無視してしまう態度を、もう一度見直してみることが必要なのではないでしょうか。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「しかしアジアといっても案外広い。アジアでわかるような気がするのは、日本を除けばタイ、カンボジア、ベトナム、ブータン、スリランカ、インドネシアといった地域です。文明的にみればアジアの中心は、中国とインドであり、いまあげた国々はその周辺領域です。そして日本も、どちらかと言えば周辺領域に属しているのではないかという気がするのです。どうしてこんなことを言うかというと、日本がアジアのリーダーシップをとるべきかという議論がありますが、僕はそれはやめたほうがいいのではないかと思っているからです。 行ってみればすぐにわかります。タイやインドネシアには比較的なじみやすいですが、やはり中国社会は日本人にとってかなり異質なところです。中国に行くことは簡単ですが、そこで中国社会に溶け込んで暮らしていくことは、日本人にはかなり厳しいような気がします。それに、日本はせいぜい周辺領域と肩並べているくらいだと思ったほうが、僕はいいと思う。そう思っていれば無理することもないですし、力が入ることもありません。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「僕は、結局、それらは風俗にしかなりえなかったのではないかという印象を持っています。西洋では、マルクス主義は、ある種キリスト教の起爆剤のような形で働きました。要するに根が同じものなのです。保守の親父と全共闘の息子が同じ型を持っているがゆえに喧嘩していたのと同じように、両方が同じ議論を持っているといえます。いわばキリスト教マルクス教会とでも言えばいいでしょうか。だからキリスト教の根づいていない日本では、マルクス主義も根づくわけがありません。 日本はいま西洋先進国の一員のような顔をしていますが、そういう意味からいうと、西洋とはまったく異質の文化を持った国だといえるでしょう。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「日本は特殊な文化を持った国だと言われましたが、僕が日本の文化として強く感じるのは「場の文化」です。たとえば、僕はこのような対談や座談会がわりあい好きです。もちろん、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもあります。しかし総じて、外国人の対談や座談会よりも、日本人の対談や座談会のほうがずっとおもしろい。なぜおもしろいかというと、相性の加減で、いつもなら言わないことを言ったりしているからだと思います。 これが、たとえばフランス人であれば、エゴやアイデンティティがはっきりしていますから、いつも言っているのと同じことを、またしっかりと伝えるでしょう。それはそれで大切なことなのでしょうが、読んだり聞いたりしているほうは、全然おもしろくない。意外な発見や刺激がまったくないのです。 場の文化とは、簡単に言えば、連歌連句の伝統です。連歌や連句というものは、ご存じのとおり一人がつくるものではなく、一人のつけた上の句に別の人間が下の句をつけるというものです。つまりオリジナリティは個人が出すものでなく、その「場」が出すものだという考え方です。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「日本は特殊な文化を持った国だと言われましたが、僕が日本の文化として強く感じるのは「場の文化」です。たとえば、僕はこのような対談や座談会がわりあい好きです。もちろん、うまくいくときもあれば、うまくいかないときもあります。しかし総じて、外国人の対談や座談会よりも、日本人の対談や座談会のほうがずっとおもしろい。なぜおもしろいかというと、相性の加減で、いつもなら言わないことを言ったりしているからだと思います。 これが、たとえばフランス人であれば、エゴやアイデンティティがはっきりしていますから、いつも言っているのと同じことを、またしっかりと伝えるでしょう。それはそれで大切なことなのでしょうが、読んだり聞いたりしているほうは、全然おもしろくない。意外な発見や刺激がまったくないのです。 場の文化とは、簡単に言えば、連歌連句の伝統です。連歌や連句というものは、ご存じのとおり一人がつくるものではなく、一人のつけた上の句に別の人間が下の句をつけるというものです。つまりオリジナリティは個人が出すものでなく、その「場」が出すものだという考え方です。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「おもしろいのは夏目漱石の『坊っちゃん』です。『坊っちゃん』の中で漱石自身がモデルになったのは誰か。「坊っちゃん」ではありません。僕は絶対に「赤シャツ」だと思います。帝大出身で、謡をうなったり、俳句をひねったり、変な理屈をこねたりするのは、漱石そのものではありませんか。 だいたい、本当に漱石が坊っちゃんみたいに、竹を割ったような江戸っ子だったら、ロンドンで神経衰弱になどなるはずがありません。神経衰弱になるというのは、東京のややこしさを知っていて、理屈っぽく屈折した男だからです。江戸っ子が「竹を割ったような性格」というのは嘘もいいところ、まったくの神話だと僕は思っています。 東京の文士というと、思いつくのは漱石、芥川、小山内薫あたりですが、どう考えてもいわゆる江戸っ子神話に合わないではないですか。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「基本的に医者という職業は、「人と人」との付き合いです。やはり人が好きでなければつとまらない仕事です。だから僕は臨床医ではなく、死体と付き合う解剖学教室を選んだわけです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「しかし思うのですが、どうして男の子には昆虫マニアが比較的多いのに、女の子にはほとんどいないのでしょう。ある意味ではアクセサリーの宝石を集めるのと同じ感覚だと思うのですが、なぜか虫をいやがる女の子は多い。やはり女の子は人間と切れているのがいやなのでしょうか。おままごとではないですが、人間の生活がモデルになっているものにしか興味が持てないということなのでしょうか。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
女が読書と言えば小説しか読まなかったり、文系が多いのは人から切り離されるのが嫌だからだよ。正直、花とかも男の方が好きな人多いし、男性が女性に花をプレゼントするのは男側の自己満説が濃厚だと思う。日本の華道も初めは男しかやってなかったし。女の承認欲求とかも虫からとかじゃなく人から承認されたいと思うのも女が人間関係とか人に強い興味があるからだし。
「それによく考えてみると、「自殺」というものの定義は案外むずかしいのではないでしょうか。たとえば事故ですまされている未必の故意などが、ずいぶんあるような気がします。つまりそれに気づいているか気づいていないのかはわかりませんが、自分で事故の確率が高くなるようにしむけているのです。 僕の義理の兄は、危ないからといって絶対に飛行機には乗りません。ところが僕はいたるところを飛行機で飛び回っています。それだけでも危険度はずいぶん違う。そうするとある意味では、僕のほうが兄よりも自殺傾向が強いのかもしれません。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「いじめによる自殺でも、相手との関係を絶つために殺すことを選んだとすると、いじめっ子を殺すより自分を殺すほうがラクだったとは言えないでしょうか。 軍隊でも上官にいじめられて自殺する人間がいました。僕としては、兵隊なんだから自分を殺すよりせめて相手を殺せばいいじゃないかと思うのですが、そう思う人間はあまりいじめられないのだそうです。戦地へ行けばどんなことがあるかわかりませんから、上官も怖いので、間違っても上に反乱を起こしそうもない人間を選んでいじめるといいます。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「僕は、殺すのも殺されるのも嫌だから、自分にも他人にもできるだけ距離感を持ったほうがいいと思っています。親でも他人と思え、です。 僕が教授と仲が悪くなったとき、友人が「教授が心配してたで。森君、自殺せんやろなって言うてたで」と言うので「なに言うてんねん。俺が自殺するくらいやったら、あの教授殺すがな」と答えたことがあります。もちろん、そんなつもりはありませんでしたが、そのとき僕は「自分も他人だと思ったほうが安全だ」と思いました。自分と自分自身との間に距離感があれば、わりと助かりやすいのではないか。自分との間に距離感がないから自殺に走ってしまうのではないか。そんなイメージを持ったのです。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「しかし「学校は行かねばならないものだ」というのはもう常識化してしまって、家族全員、学校全体の意識下へ入ってしまっている。意識下に入ってしまっているから、「学校なんか行かなくてもいいんだ」という発想も出てきません。問題はよけい悪い方向へと転がっていくわけです。 どうやってそのシステムから逃げるか。その一つの方法は、学校を徹底的に機能化することです。つまり学校を試験を受けてそれを通りさえすればいいということにしてしまうのです。共同体ではなく、機能のみがあるところ、いわば予備校のような存在です。 塾や予備校でいじめが問題になっていないのは、そこがただ勉強するところという機能に集中しているからです。反対に大学などは機能化していませんから、偏差値至上主義になり、護送船団方式になり、みんなで同じことをするのがいいことだという前提を温存してしまっています。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著
「結局、人間のつくったものを頭から信奉するようなことは避け、とにかく自分の頭で考えていくしかないのだと思います。そこに自己責任も生まれてきますし、神戸のおばあちゃんがたくましく生きているように、人間本来の自信というものも生まれてくるのではないでしょうか。」
—『寄り道して考える (PHP文庫)』養老 孟司, 森 毅著