【感想・ネタバレ】考察する若者たちのレビュー

あらすじ

なぜ映画を観たあとすぐに考察動画を見たくなるのか? 映画やドラマ、漫画の解釈を解説する考察記事・動画が流行している。昭和・平成の時代はエンタメ作品が「批評」されたが、令和のいまは解釈の“正解”を当てにいく「考察」が人気だ。その変化の背景には、若者を中心に、ただ作品を楽しむだけではなく、考察して“答え”を得ることで「報われたい」という思考がある。30万部超『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』著者が令和日本の深層を読み解く! 「平成」と「令和」で何が変わったのか? ●「批評」から「考察」へ 正解のない解釈→作者の意図を当てるゲーム ●「萌え」から「推し」へ 好きという欲求→応援したい理想 ●「やりがい」から「成長」へ 充実しているという感情→安定のための手段 ●「ググる」から「ジピる」へ 複数の選択肢から選ぶ→AIが提示する唯一の解 ■目次 まえがき――若者が考察動画を検索する理由 第1章:批評から考察へ――『あなたの番です』『変な家』『君たちはどう生きるか』 第2章:萌えから推しへ――『【推しの子】』『アイドル』『絶対アイドル辞めないで』 第3章:ループものから転生ものへ――『転生したらスライムだった件』『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』 第4章:自己啓発から陰謀論へ――堀江貴文『多動力』、ひろゆき『1%の努力』 第5章:やりがいから成長へ――『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』『働きマン』 第6章:メディアからプラットフォームへ――『スマホ脳』『一般意志2.0』 第7章:ヒエラルキーから界隈へ――『スキップとローファー』『違国日記』 第8章:ググるからジピるへ――ChatGPT、『NEXUS』『わたしを離さないで』 第9章:自分らしさから生きづらさへ――『世界に一つだけの花』、『世界99』、MBTI 終章:最適化に抗う――そして『スキップとローファー』『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』 あとがき――やりたいことや自分だけの感想を見つけるコツ 参考文献――「考察の時代」を理解するための本

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

毎回思うのだけど、三宅香帆ちゃんの新書は分かりやすく、読みやすく、そして何より面白い。
今回は、若者たちの心理について、こういう解釈があるのかーと感動してしまった。
「転生もの」と「タイムリープもの」、「ホリエモン的思考」と「ひろゆき的思考」など、読者が親和性のある例えを対比させて読み解いてくれる。
特に、プラットフォームや漫画「スキップとローファー」で取り上げている、「界隈」という捉え方には目から鱗状態。
改めて「スキップとローファー」を読み直したいと思った。

一括りにするのもどうかと思うが、昭和生まれの私からすると、自分が選ぶものに正解を求める生き方はしてこなかったなと思う。常に迷走していたし、報われた感も特になく、その時好きなものを好きに楽しんでいた感がある。
仕事上で起こりうる困難さも、最適解かどうか分からないが、先輩たちに相談しつつも悩んで考えてぶつかって怒られて…みたいに、ある意味振り回っていた気がする。報われた回数と報われないそれとでは、おそらく後者が多かったのではないか。
ただ、それはそれで充実していたし、職場内の連帯感というものがあった。

ただ、時代の流れとともに、私たちを取り巻く環境も、人の価値観も変わってきたのだなと思う。
果たして、人の価値観の変容が先だったのか、アルゴリズムに沿って最適解を提示してくれるプラットフォームの台頭が先だったのか。

0
2025年11月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

批評とは、世界の見え方の個別性を愛する行為
批評が生み出すのは問い

後悔するとしても自分の欲望や感動を探して、自分なりの解釈を、批評を、探したほうがいい。

ぐさってなった

0
2025年11月30日

Posted by ブクログ

令和の若者がコンテンツに対して、ただ楽しんだりあれこれと批評に触れるより、考察動画を見たがるのはそのコンテンツを確実に履修したという「成果」が欲しいから。アイドルをただいいなぁと思ったりただ好きなだけではなく、そのアイドルの動画の再生回数を大台に乗せるよう衆目喚起しながらサブスクランキングでトップをとらせたり、ドームのステージに立たせるまで応援する「推し活」をするのは、自分が応援したことの「成果」が欲しいから。フィクションにおいてタイムループものが転生ものに変化しているのは、自分が自分のまま今度こそは成功するようトライ&エラーするのではなく、自分が他の物にガチャされることで確実に成功する、要するに「成功する努力だけしたい=成功しないなら努力はしたくない」という「成果」が欲しいから。というように1章から3章まで、批評→考察、萌え→推し、タイムループ→転生と、令和の若者は平成に比べて確実な報酬を期待してますよ、だってタイパやコスパを重視しますよね、という解説が続く。ふむふむ。で、4章で、ゼロからキャリアアップし周りがどうあれ自分が頭一つ抜け出すという自己啓発ではなく、陰謀にいち早く気づきマイナスからゼロに戻す、自分だけは騙されないという陰謀論に嵌るのは、成功したい=失敗したくない、という話になり、あれ?何の話だっけと少し違和感を覚える。5章でやりがいよりも出世などの成長を求めるという話で「成果」の話に戻ったかと思うと、6章で令和では若者が情報を与えられているものは不特定多数に発信するメディアではなく、おすすめを提供するプラットホームであるという話になる。そして今世界ではこういうのが流行ですよ、というランキングではなく、あなた(とあなたと似た人)へのおすすめがそれぞれに与えられるフラットな情報社会ですよという話になり、どうやら令和の若者がなぜ報酬を求める感性を持つのか、それを育んだ(ネット)環境の特性の話なのかと思う。7章でネット環境を離れ、実生活においての環境も、あなたとあなたの似た人のかたまり「界隈」が「階級」にとってかわってきているという話になる。8章ではさまざまな解答が羅列しその中から自分好みの解答を見つける検索ではなく、一発の解答を導きだすAI解答を好む、という、またきちっとした成果が欲しいという話になる。9章で「自分好み」よりも「最適解」を目指す、自分らしさ=生きづらさという話になり、ようやく著者の企みに気付く。著者の『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』に書かれていた批評工学の一つ「著者が言おうとしていることを避けていることを発見する」に倣うならば、著者は令和の若者は「主体的な行為をしない」「自分を見失っている」と、本当は言いたいのだろう。批評から考察、萌えから推し、タイムループから転生、自己啓発から陰謀論、やりがいより成長、メディアからプラットホーム、階級から界隈、検索からAI解答、自分らしさより最適解…すべて能動から受け身、「没主体」というテーマで話がつながる。そして最終章ではっきり「自分の欲望がわからなくなること」へ警鐘を促しているのだ。正確には若者へ直接警鐘を促さず、「過剰に最適化し続け、自分の欲望がわからなくなっている」若者に個別の感情を持つことの意義を伝えるべきだ、と若者ではない読者に著者自身も含め警鐘を促しているのである。まさか『考察する若者たち』というタイトルからこんな話が出てくるとは思わなかった。だったら帯の惹句にある”なぜ令和の若者は「正解」を欲しがるのか?”というタイトルでよかったような気もする(そのほうが新書のタイトルっぽいし)。若者がどうしてこうなったのか、本書ではそれ以上は踏み込まないが、おそらく根底にあるのはSNSによる長時間の衆人環視による疲弊で「自分が訳がわからない状況」にあるのだろう。『映画を早送りで観る人たち』で描かれていた話題についていくためにタイパを重視することにつながるものだ。

長文ついでに著者の提言に従い、自分の欲望がわからないという若者がいたら彼ら彼女らに一言。欲望は生きる気力であり、他者が与えられないものだ。もうすぐ寿命が尽きるとして、「孫に一目会うまでは死ねない」「最後にもう一度鰻を食べたい」というような欲望を他人が持たせてはあげられない。自前から湧き上がるようにしなければならない。その欲望の消失とは実はかなり生命の危機なのだと思う。

0
2025年12月01日

Posted by ブクログ

アルゴリズムの時代に批評の視点を持たせようとする叫びの本だ。

新書なのにカタルシスがあるという初めての体験をした。読みながら終章で書かれる内容は分かってはいたが、あまりの熱量に思わず感動してしまった。やっぱり流石だ。

しかし、皮肉にもこの本を手に取らない人たちにこそ必要な内容だ。果たして、彼女の叫びは届くのか?

いや、だからこそ本書を読んだ僕たち批評家はこういった内容を発信していくべきなんだ。でもうまく話せるだろうか。批評できるだろうか?お任せください!僕たちには『「好き」を言語化する技術』や『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』で話し方や読み方を学んでるじゃないか!

ということでこれらは3部作と言えるのではないか!うーむ三宅香帆さん抜け目ない。しかしこれはどうなんだ。正解をつかみにいってる気がする。これは考察に…なっちゃうのか?

0
2025年11月30日

Posted by ブクログ

三宅香帆さんの最新作。いつも思うが紹介されてるマンガ読みたくなってしまいます。今回は何回も登場するFACTとスキップとローファー。
平成から令和にかけての変化を著者がくわしく考察!してます。確かに自分自身も答えを求めにはしってるなと感じました。

0
2025年11月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

やりたいことはすぐに達成できない。
これを三宅香帆に言い切ってもらったという点で、まず読んでよかったと思う。正解を求めがちな若者の1人として、この一言に安心している時点で報われたいフェーズから抜け出せているとは言えないが、「正解を探すな」という正解を心に刻むだけでもモチベーションが違ってくる。
そしてこの本を手に取ったすべての人にとって、〈考察とどう付き合っていくべきか〉は他人事ではないんじゃないか。考察にどっぷりハマっている自覚がある受け手はもちろん、作り手にとってもこれから作品を展開する上で、どのプラットフォームで、どんな意図をこめて、何を描くのかという判断に関わってくると思う。
修論を書く上で、一貫した主張よりも色々なところに問いのフックがある方がむしろいい、修士はそれが許されている、的なことをある教授が言っていたのを思い出した。ドンピシャな正解を求めて深く潜るより浅く広く問いを探すことも意識したい。

以下、内容のメモ

考察:作者が提示する謎を解くこと
批評:作者も把握していない謎を解くこと
考察には正解があるが、批評には正解もゴールもない(=報われないと思われる)。また批評は個人の意見であり、考察を好む人はそれよりも作者の正解が気になっている。

・努力したくない<報われる努力をしたい
・横並びの成長欲求
→これがマウントにつながっている?

・転生やループは、上手くいかなかった人生を途中で投げ出す、という形の現実逃避に見えた。現実にリセットはないので。その上で、三宅さんが言うように転生はスタート地点から変えるガチャのリセマラみたいなもの。ループはあくまで同じ状況で身体や能力を鍛えていく。

・ショート動画に潜む「報われた感」「何か得た感」という罠
→でも、無限に見れてしまう動画に対して罪悪感を過度に抱く必要はない。そこまで見れるって好きじゃないと無理だよ、という最後のおまけに個人的に救われた。

・令和のヒットコンテンツとは、プラットフォームにおいて人々の欲望が数値として認められたものによってのみ流行するのではないか? p136
→大多数にとっての正解、単一化したコンテンツが増え、おすすめされ続ける
→自分が何が好きか、嫌いか、自分の感情がわからなくなっていく

クリス・ベイル『ソーシャルメディア・プリズム』
SNSでさまざまなバージョンの自己を呈示し、他人がどう思うかを伺い、それに応じてアイデンティティを手直ししている
→界隈が乱立し、その境界を超えた冒険は難しい
・1人1人に最適化されていなかったマスメディアではみんなのスタートが生まれていたが、プラットフォームでは界隈の最適化が進むあまり皆の知るスターは生まれにくい
→界隈を超えて冒険することはエンターテイメントになり得る p148

界隈=フラット
親子=ヒエラルキー
→スキローのナオちゃんや異国日記の槙生のような擬似親って、この間に入るのでは?
血のつながりが薄くなったことで実親より距離は生まれるが、血のつながりによって情は(ある意味都合よく)残る的な。

・Googleによって開けてきたグローバル社会が、AIによってローカルに閉じていく可能性
→AIvs人間について考えがちだけど、AIによって人間vs人間、国vs国が加速することも十分あると思った。目から鱗。

・作家性はもはや重視されなくなっている?
ex)TikToker けんご@小説紹介

・批評とは世界の見え方の固有性を愛する行為。そして自分で問いを作り出すこと。作者の仕掛けた問いを解くのではなく、作者が気づいていない問いを見つけること。そういう意味で、最適化の対極にある。

0
2025年11月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

久しぶりの一気読み本。
正解に近づくまでの過程を面白がれる自分も、最短ルートで報われたいと思ってしまう自分もいるからちょうど狭間の世代なんだろうなと感じた。
自分に最適化された情報に辿り着けるスピードが今後も上り、発信も飽和していく。
そんな中で自分が触れたいなと思うのは人の考えや心の動きの見える「批評」だなと思えた。今後も三宅さんの活躍楽しみにしています。

0
2025年11月27日

Posted by ブクログ

うんうんそうだよなあ、報われたいよなあ、でも自分の感想も大事にしたいよなあ、と、25歳の私は共感しながら読むことができました。

三宅先生の作品は本当に読みやすくて説得力があって、どこが勇気付けられるところもある。
そして文章が簡潔でわかりやすい!

膨大なインプット量(書籍はもちろん、映像作品や漫画にも造詣が深い)に裏づけられる明快な論理と主張がとても心地よい。

0
2025年11月26日

Posted by ブクログ

現代のエンタメにおける考察ブームをさまざまな作品の批評を通して論じている。Z世代の効率的に正解を求める姿勢がエンタメ、推し活、労働観などさまざまな側面に通底しているというのは、私自身もその一員として納得した。アルゴリズムのレコメンドする正解を超えた先にある偶然性のある可能性に出会うためには、書を持って旅に出ることである。

0
2025年11月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

これまで著者の作品を読んできて思ったことは、強い共感や納得が中心であった。
「こうすれば良いのか」という方法論であったり、それに伴う分析であったり、
それらの著作を通して感じていたことは「定義化」の巧みさであった。

著者はとにかく定義化に長けている。
AとBという要素がどのように繋がるのか、また現在のトレンドとの合致点はどこにあるのか、といったものなど。確かに著者は間違えなく「文芸評論家」であり、しかしただの評論家にとどまらず、彼女は自身の批評を思想に落とし込み、またそれを現代の社会問題に適用させる力を持ち合わせているのである。

さて本作「考察する若者たち」は、いわゆるZ世代と呼ばれる人々は社会からどのような影響を与えられているのか、あるいは与えているのか。
彼らの根底にある思想とは何か、という点が記述されている。

その上で感じたことは、「息苦しさ」である。

著者は若者が持ち合わせている「答え」を求める欲望、
あるいは「報われたい」という感情、などを指摘し、それに基づきながら、
「批評」から「考察」、「萌え」から「推し」、「ループ」から「転生」、
そして「自己啓発」から「陰謀」など平成から令和へのトレンドの移り変わりに照らし合わしている。

私は仮にもこうした変化が事実なのであれば、大変に息苦しいと思う。
そして若者はなんという矛盾を抱え、そして絶望に触れ、それでも前に進むんだろうか、と思う。仮にも若者が本当にこのような思考のもとでトレンド変化にも起因しているのであれば、それはなんて「病み切った社会」なんだと思う。

そこに希望などあるのだろうか。
私が辛く感じたのは、それこそ、この著作こそが若者やトレンドの「答え」として与えられたように感じたからではないだろうか。
そしてわずかながらも、自分自身がこうした要素を持ち合わせていると感じたからだろう。


私は「答え」がある社会を心から嫌悪している。

私は「批評」が大好きでたまらない。作者が持つ答えには確かにその著作における本質が存在している分、影響や関心が高まることは理解できる。

しかし、我々読者自身が持ち合わせる感想や推測にも同様に非常に大きな価値がある、に決まっている。というか、そうでなければなぜ読むのか、可能性に溢れているから、だから面白いのではなかろうか。あなたがこれまで触れてきたコンテンツにその作品が加わり、あなたしか経験していない、そんな感想を生み出すことができるのはあなた自身であるから、だから面白い上に価値があるのだ。

「自己啓発」から「陰謀」へ、あるいは「ループ」から「転生」へ は心が痛くてしょうがない。
努力はしたいけれども、報われないステージであるがために努力しようとは思わない。あるいは努力が発揮される場に行きたい、もしくはその真実に気づき、正しい努力をしたい、とかそう言ったことだろうか。

例えば人生に「答え」がないのと等しく、「答え」なんてものがそもそも存在し得ない要素はありふれていると思う。「答え」がなくとも、「答え」に見せかけた占いのようなものが、我々に一つのヒントを与えているというようなことはよくわかる。

ただし、我々の人生というものは、それこそもう少し感性的な要素であり、
何でもかんでも理性的に、一つの答えが存在する、あるいは答えや理想が一つ存在していて、それに近づけなければ、そうでなければなんら意味を持たないとか。

そんな構造を持ちつつある社会で、誰が生きたいと思うのか。
そんなものの行き着く先は、絶望以外に何があるのか。
何が多様性なのか、あるいは何が個人主義なのか。

これはそれらの動きに対する反動なのか、と呼べるほどに全体主義的だと思わざるを得ない。しかしこれは全体主義ではない。個人主義を装った全体主義であるからこそ、あまりにタチが悪い。


「ヒエラルキー」から「界隈」へ。あるいは自らさまざまな「キャラ」を持ち合わせることが生きる上での最適化であるという指摘がある。

なんと苦しいことか、社会や組織、あるいは我々が口に出さないながらも、
まるで演劇のような、作り込まれた、もしくは一定の想定できる枠を用意しており、
それぞれのグループごとに「キャラ」が割り振られ、そこに自分はどの立場に行けば良いかを考え、「キャラ」を演じる。

しかし、悲しきかな。これはあまりにもよくわかる。我々の世代は暗黙のうちにこうした組織を形成し、「キャラ」を生成する。
なぜなら、それが「楽」であり、とりわけ衝突も起きず、それが楽しめる手段でもあり、何よりあまりにも枠から外れていると、もはや共感もできないからである。

「界隈」の超越は物語になる。指摘はごもっともと思う、それこそが面白いと思う。
しかし自らの「界隈」を大事にしなくては、流浪人のように居場所を失い、
それは「界隈」へ属することへの難易度を上げる。そうした苦しさも存在する。


さて、なぜ我々は最適化するのか、あるいは答えを求めるのか。
元メジャーリーガのイチロー氏は、あるインタビューで最短で上手くなる可能性はあるか?という問いに対してこう答えている。

「失敗をしないで、まったくミスなくそこにたどり着いたとしても深みは出ない。
単純に野球選手としていい物になる可能性は、僕はないと思います。
単純に野球選手としての作品が良い物になる可能性があったとしても、やっぱり遠回りする事って大事ですよ。
無駄な事って結局無駄じゃないっていう言葉が大好き。今やってる事が無駄だと思ってやってるわけじゃないですよ。無駄に僕は飛びついているわけじゃないですけど、後から思うと無駄だったという事はすごく大事なこと。
だから合理的な考え方ってすごく嫌いなんです。
遠回りすることが一番近道だと信じて今もやっています。」

一方でメジャーリーガーのダルビッシュ氏はこう語る。
「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」

2人は間違えなく日本を代表する野球選手である。
しかし彼らの思想は合致するところもあれば、相違点も感じる。
少なくとも、令和世代の我々はダルビッシュ氏の指摘するような考えを持ちあわせ、考えることで「答え」を選び抜かなくては行けないと思い込んでいるような気がする。
しかし、本質はやってみなくてはわからんということでもあり、
また同時にそれはやらなくても、違うとわかるという道は通るな、というような消去法的指摘であり、これは正解をひとつだけ選びぬけといったメッセージ性ではないようにも思える。


最適化する理由、全体主義が与えるような「キャラ」を纏う理由、
社会学者フロムは著作『自由からの逃亡』において、消極的自由と積極的自由について指摘しています。
そう令和のZ世代はまさにこの「消極的自由」なのであって、「積極的自由」への希望を失う環境が失われているのではないか、ということである。


我々はようは、このような点から見れば大きな転換点に巻き込まれている、というわけである。しかし、絶対に希望は捨てては行けない。そして「答え」を導かせようとする社会など、面白みが何もないのだ。そんな全体主義のような、AIとの差別化を図れという時代になぜ均一化させたがるのか。それはそれはなんの武器にもならず、むしろ比較が生まれやすくなり、絶望が生まれる社会だ。

私は「無駄」や「余白」にこそ意味があると信じている。
「無駄がない」なんて面白くないのだ、無駄にこそ光があり希望がある。
少し違うかもしれないが、それはリサイクルショップのようなもので、あるいは古着屋のようなもので、掘り出し物を探すのは皆好きであろう。

全員が同じスーツを着ている社会など何も面白くはない、ここにおける服装の正解はスーツですと答えを出され、そしてスーツを着ていく。それは確かに楽だ。

しかし、我々は同時に掘り出し物を探す楽しさを知っている、これを忘れてはならない。だからこそもっと「無駄」を愛そう。自分を愛そう。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

タイパ・コスパ正義の時代に、三宅香帆さんらしい切り口の問いを立ててくれた1冊です。

あらゆる問題に正解ならそこに個性はない(それこそAIでいい)。人それぞれ間違いがあるから、強み弱みが生まれて個性が生まれるのだと思います。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

休みの日に趣味とかをする時、ついそれが自分のためになるのかとか将来何に役に立つのかを考えてしまう。
でもそんなことは考える必要はなく、ただ楽しいからでいい。
本を読んでわざわざ感想を書かなくなっていい。なんか分からないけどタメになったなでもいいと思う。

自分はこれまで他者発信の生き方をしてきた。親や先生、上司から褒められたりするために勉強や仕事を頑張ってきた。でもその生き方にも限界が来た。
そこから、自分がしたいと思うことをするだけという自分発信の生き方に変わった。

自分は25歳だが学生時代にSNSが登場した。
SNSは、現実(上には上がいること)を簡単に知れるようになった。
それゆえに子供が夢を持ちづらい。努力しても無意味、報われないと感じやすくなる。だから推しなど自分以外のものに自分を投影する。
目に見える結果が欲しくなる。
でも自分はやりがいが大事だと思う。
目に見えない曖昧なものに価値を感じる。

結果とか目に見えるものを求めるのは若者だけではないと思う。自分は旧帝大出身だが、職場で上の世代から「なんでその大学出たのにここで働いているの?」とよく聞かれる。
別にいい就職先に入るために勉強したわけではない。
やってて楽しかったから勉強していただけ。

自分らしさと生きづらさは同等。
でもその生きづらさは明日には簡単にひっくり返る。
なら、自分らしさを優先して自分のしたいことをすれば良い。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

考察と批評の違いに興味を持って読み始めた。
本書は、考察を「正解があるもの」、批評を「正解がないもの」と定義する。その上で、前者は「語り手の個性が必要ない」が、後者には「個性が必要」とする。ではなぜ「考察」が今これほど流行しているのか、に対する著者の批評が面白かった。
プラットフォーム社会において、AIが提示するパーソナライズ化されたコンテンツを消費するうちに、「自分は何が好きで何が嫌い」といった個性や固有性が曖昧になっていく。その結果、語り手の個性を必要としない考察へと関心が偏る。不確実な批評よりも、正解に到達できる可能性のある考察の方が「意味がある」「報われ感がある」と感じられるからだ。
最近読んだ『庭の話』が、プラットフォーム社会からいかに離れるかを論じていたのに対し、本書は、プラットフォーム社会を受け入れつつも、そこから離脱するマインドを皆に持たせるよう、扇動的に書かれている。
最終章は、まさに著者の個性が見える批評だった。表面的には「考察も悪くないが、批評もおもしろい」という穏やかな主張だが、読んでいると「批評にこそ引き戻したい」という著者の強い語りが前面に出ていて印象深かった。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

自分ももう若者とは呼べない世代になっていくのだろうけれど、常に「最適解」を探しているという点において、時代の流れに飲まれているなあと感じた。
自分の好きなこと、やりたいことが前面に出せる時代になるといいなと漠然と思う。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ


若者は「正解」を欲しがっている。考察動画が流行るのはただ享楽としてコンテンツを見るだけでは満足しない。何か自分の中で「答え・正解」を持って帰ろうとしているから。アイドルの「推し」もそう。応援に「報い」(アイドルが達成したい理想の状態を達成するのと)がないといけない。

この本で学んだことは前述した部分がメインだが、特に腑に落ちた学びは二つ。
一つは「成長」について。
二つは「自分らしさと多様性」について。
成長欲求が増えている若者たちが増えているという部分の解釈について。ポジティブである反面、昔の「成長欲求」とは僅かに違う。「努力量=成果」ではない世の中への「不安」が根源となっていること。つまり、採用においては不安を消すベネフィットの提示が必要。成長欲があるにも大きく分けると二つある。「不安ベース」「欲望ベース」採用では分けてコミュニーケーションをとる前提があるが、後者を引いた方がおそらく組織としてのスケールは大きいのでは?

二つ目の「自分らしさと多様性」
本を読む前までは現代は以前よりも多様化していると思っていた。発信もしやすくなっていると。おそらくこれは合っているようで完全に正しいわけではない。「生きにくさ」も同時に生まれている。レコメンドアルゴリズムにより界隈を精度高くカテゴライズできるようになっているだけの話だ。(こんな感じのコンテンツにいいねをしているということはこんな感じの動画すきやろ?)
結局界隈の中にもなんとなくの「最適解」はある。自分をフルで開示することへの問題は解決しているようでしていないのだ。「最適解はこれだ」と迎合する若者は増え続けている。これは結局正解が欲しい若者のわざわざ「不正解かもしれない」リスクのある行動を取りたくない行動に現れているのだ。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

「報われ消費」という言葉を使い、現代の消費行動を分析している本。
若者たち〜としているが、今となっては社会全体もこの原理に基づいて消費している気がした。なぜなら気軽に触れられる娯楽が多く、現代人はとにかく時間がない!
時間がないなら報われる確率が高いもので取捨選択していく。そして元を辿れば、それはアルゴリズムの中から選択された選択肢の中から優先的に選んでいる。
読みやすく分析されているので、そういう視点で見たことなかったな〜と面白く読めて楽しかった。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読後真っ先に思ったのは「怖っ」と言う感想。
何故なら、本書の批評の通りであれば、現代人はAI等にレコメンドされたもの"だけ"で構成されてるのでは?と思ったからだ。
スキップとローファーを例に取って、志摩くんが自分のキャラに沿ってるか?を自問自答した場面も、(読んだ事ないから背景は知らんけど)ある意味ではインターネットや空気感にレコメンドされた自分とのズレ、違和感に気付いた結果、焦っている。
つまり、パーソナルは失われているのだ。

ここまで技術革新するまで、本やTVによって流行は生まれそれを皆んなが追う形だったものだった。
そこから界隈と言う村が出来て界隈ごとの溝はどんどん深くなっていく世の中になっている。
それはそれでそれぞれの文化や幅が広がっていて良いはず。

一方でエコーチェンバー的に、自分の手の届く範囲からは出ようとしない、つまり化学反応的な、スキップとローファーで言うみつみ的な機能が失われつつある?と思ったのだ。

キツい感じに解釈すると、自分の好きな範囲で心地良くいるだけ、を正とするのか?みたいな印象。

もうちょっと一歩踏み出してみよう、冒険してみよう、みたいな時代じゃなく、ただ漂っていても行先はカーナビの様に正解らしきものに辿り着く時代になった、という事なのかな?と。

自分で泳ぐのではなく、漂ってれば良さげな所に辿り着く様に仕組まれていて、心から在りたい自分みたいな、死語かもしれないが「自分探し」的な事は時代遅れになったって事だよなぁ、と。

昔に言われていた没個性がより進むのか?と。
0→1を創り出す人と、漂うだけの人で、それこそいろんな意味の格差が広がるのでは?と危惧せざるを得ない、気付きを与えてくれた本だった。
つまり多分、、自分がレコメンドで構成されてるわ、と言うゾッとした部分が冒頭の感想なのだと理解した。そして斬新でとても面白かった。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

三宅さんの著作いくつも読んでいるけども、一見全く別の現象に見える物事に類似性を見出して1つの結論に収斂させているところが凄い それが今回は、報われたい である

三宅さんの本はいつも無自覚だった感覚に名前をつけてくれて、それにスッキリできることも醍醐味の1つ カタルシスを感じるに近いのかな?

0
2025年11月24日

購入済み

時流を追える

最近の考察ブームの流れを追えるのが良い。
最近TVやyoutubeで作者をよく見てるので考え方が為になった。

#タメになる

0
2025年12月05日

Posted by ブクログ

やはり三宅香帆は面白い。多角的な視点から「報われたい若者たち」を見事に分析している。タイトルに関しても、あえて読者に馴染み深い「考察」というワードを入れてくるあたり、抜かりないなと思わされた。

0
2025年11月30日

Posted by ブクログ

最適化することに意味があるんじゃ無い。固有性に意味があるんだ。
どっちも大事だとは思う。最適化するのも面白いし楽しい。でもそればかりだと虚しさがある、固有性を大事にしたい。
それってあなたの感想ですよね、ってものをもっと大事にしないと。正解じゃなくていい、自分がどう思うか、面白いのか、好きか、嫌いか、、、大事にしていこう。

0
2025年11月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

三宅さんの出演されているYouTubeを拝見して、本を手に取りました。話されていた内容をさらに深掘り、さまざまな情報に触れられました。これも報われポイントを刺激された結果なのかなと。
自分自身もすぐに正解を求めてしまうようになったと感じる今日この頃なので、それを悪いとも思わないけど、ただ体験を楽しんだり、物事に悩む過程で揺らぎながら日々過ごすことも大切なのかなと思いました。

0
2025年11月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

めちゃめちゃ面白かった!
正解を求める、意味を求める考え方(報われ思考)をする人が増えている。アルゴリズムの影響で自分らしさの価値が失われてきている。という内容。
私は若くないけど、いつのまにか報われ思考が染み付いているなぁと。友人の独創的な感想とかを聞いたり、インターネットで人の感想を読むのは好きなのに、自分らしさの価値は低くなっていたとも思った。
三宅さんの『話が面白い人は…』も読んだので、この本の鑑賞ノートのフォーマットをつかいながら、自分がどう思ったか?を深掘りして、鑑賞をもっと楽しんでいこうと思った!

0
2025年11月25日

Posted by ブクログ

イスカリオテのユダが銀貨30枚でイエスを敵に"売った"事件(イン「新約聖書」)。
「すべてを捨てて、自分の十字架を負って私に従いなさい」というイエス先生の無茶振りに「ついていきます!」と決意を固くした12人のうちの一人だったはずの彼は、なぜキリストを裏切ったのか。

諸説あるようなのだが、どうも彼はイエスが「自分のイメージしていた理想のメシアではなかった」ことに失望していたらしいという話があって。

魂をかけて愛し信頼したはずの"推し"が、私の望んだ"正しいメシア"ではなかった!という絶望は、救世主信仰を強く持っていた彼には耐えかねるものだったのかもしれない。
愛して、従っても、報われない。選んだ道は"正解"ではなかった、と思った時。彼はイエスを見限ったのかもしれない。

******

楽しみにしていた三宅さんの新刊だ。
タイトルからは、これまでにもありがちだった"イマドキの若者論"をイメージするかもしれないが、ちょっと待ってほしい。
あの三宅さんの時代、社会、文化批評である。ディープでないわけがない。
現代の「考察」文化とかつての「批評」文化を対比させ、「推し」と「萌え」を対比させ、…といった具合に前著「はなおも」で紹介していた"読み方"の技法が本書ではいかんなく駆使されている。間違いを回避していち早く"正解"を手にし、"正解"側にいることに安堵し、「報われた」気持ちになれるーそんな「報われ」欲求の根っこにある社会の側の背景について、多様な作品(小説、漫画、ドラマなだ)を引きながらそれこそ「考察」していく。スリリングで楽しい。

三宅さんのバランス感覚を感じるのは「だから○○文化はけしからん」とか「△△の正しい鑑賞作法は…」とはならないところだ。「それもひとつのやり方であり、正解など実はない」のだと、軽やかに示される。われわれを老害化から救ってくれるのはこういう言説だと思いますよ。

どの章も読みごたえ抜群だが、特に「アイドルと"推し"文化」についての一章が好き。ドルヲタの筆者が他の章以上にオタクテンションで書き綴った(であろう)数々の文章が読める。ご本人の口調と声で自動的に脳内再生されるよ。

締めくくりは筆者らしく「報われるかどうかはわからないけど、正解のある"考察"以外の読み方だってきっと楽しいよ!」という誘いの言葉が綴られている。
願わくば本書が"イマドキの若者論"を期待する年代の人たちではなく、もうひとつのターゲットたる若者世代、「最速で正解を手にして報われたい」人たちにも届きますように。

******

「報われたい」思いの強さが人の行動に大きく影響するなんてのは、人間がこの世に誕生して以来きっとずっと持ち続けている習性だろう。
"推し"に失望して師を売ってしまったユダだって、きっと「このままでは自分は報われない」と思っていたんだろう。

でも、人には間違えることや間違いから学ぶ力もあって、それでこそ"正解"に囚われない自分のことば、生きている自分を育てていけるんだと思う。
みんなと同じ"正解"を求めるあまり、人類補完計画みたいになっちゃったら勿体ないよね。

ま、私も最近では各種"考察"記事や動画を楽しんだりしているんですけどね。みんな深いよね。

追記:なので、未読の方は「話が面白い人は何をどう読んでいるのか(通称はなおも)」もセットで読むといいと思う。「国宝」の記憶が新しいうちに、ぜひ。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

現代の若者がなぜ考察を行うのかということをベースに若者の考えや行動の源泉となる「報われ」をベースに議論が進む書籍
プラットフォームが一般化することによる受信者の個別性に関する議論は少し気になる点があったが全体的に面白く読むことができた

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

これまでの三宅さんの著作の中でも一二を争う気合いを感じた。
社会のプラットホーム化、正解を求める(求めてしまう)姿勢、だれかが(とりあえずの)正解を教えてくれるものを求めてしまう、統一の正解がなくなって界隈のなんとなくの規範が力を持つ時代。価値観の多様化といわれて久しい現代だけれども、完全な多様化のなかでは人は安心できないのだなあ
だからこそ、全体の雰囲気や自分のキャラに抗ってでも、やってみたいことができたら、たとえなんとなくでもやってみたらいい。

来年の目標!
キャラにないことを1個やってみる!

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

考察ドラマとか動画が知らないうちに増えている…
着眼点が面白い
「進撃の巨人」とか連載のたびに考察盛り上がったけど、あれ別に正解を当てたいとかではなかったと思う
だって連載の次の回で、読者に出してない情報をつっこむだけで、それまでの考察をナーフできるから… 
あれが伏線だ、あれが怪しい、わいのわいのネット上でけんけんがくがくするのが楽しかったのでしょう

私も謎を秘めたコンテンツについて考えるのは好きですがそれは「考察」ではない 
なぜなら一つの正解にたどりつける要素を運営さんは全部お出しないからです
〇〇かなあ~という予想、解釈にとどまってしまう
それでも楽しいからそれでいいです

あとアルゴリズムさんもあんまり好きじゃない
SNSも配信サイトも、フォロワーさんのポストだけ流してくれればいいのに、男女の分断とか不快なニュースとかざまあ系動画ばかり流してくる 
何を根拠におすすめしてくるのか?
不快なだけです 
そんなものに踊らされる人そんなにいるだろうか

最近ではいやけがさしてSNSからは距離を置いている
その分本が読めるのは良い傾向です

好きなコンテンツについて考えるのは「考察」なんていうたいそうなものではない
いろいろな可能性を楽しめる「解釈の幅」といったもの伏線とか謎を散りばめたコンテンツ自体は大好きです

0
2025年11月30日

Posted by ブクログ

スピーディーに最適化するため、正解を求めてしまう、、という記載にどきりとした。最近は仕事で作文するときも安易にcopilotを活用する。最適化されてなくても、自分の感情や好きなことを大切にしようと思った。最近本屋が好きなのは、アルゴリズムによってオートでおすすめが出てくるプラットフォームに味気なくなってきたのかな、と思った。

0
2025年11月30日

Posted by ブクログ

考察する若者たち

考察=解だと仮定すれば
答えが知りたいのは、今も昔も変わらない気がする。
もし違うとすれば、インターネットにハックされている事により社会コミュニティが格段に広がりタテマエが無くなった本音と見栄の拡散ばら撒きによる村八分感の増大が関係しているのではないだろうか。

「他人と違くなりたくない。」ベネディクトの菊と刀による〈恥の文化〉の表れ、いわゆる日本的な右へ倣え。

これは著者が書いている下記も広く捉えればあてはまる気がする。

考察は正解がある。
評論は正解がない。

正解があるなら知りたいし、そことズレたくない。ただ、世界中で成功しているSNSのプラットフォームを考えると、私の思う正解を求める理由は日本における特殊な一面に過ぎないのかもしれない。

メディアからプラットフォームへの章
インターネットによるハックはそれこそ、資本主義を勝ち抜いてきたプラットフォーマーにより興味の幅を狭められ、見える世界を自分の気持ち良い世界に閉じ込め、広告を流す為に画面に貼り付けておく最良の手段になっていると気づく。それが昭和ではCM、今はネット広告なのだろう。しかもいまでは広告から購買まで誘導がクリック1つだ。(しかもここで決めなくても、また時間をおいてススメてくる!)

本書で危惧するのはアルゴリズムにより最適化される最大公約数の帰結が受信者の個性を奪うこと。

いつの時代もそれの繰り返し、時間の奪い合いともいえる。

「報われポイント」の意義ついて全編を通じて考えさせられる。

カッコイイなぁ、いわく、
「界隈をこえて、冒険することは  
エンターテイメントになりうる。」

文芸評論家であり作家である著者の矜持にも見える。

最適化に抗う。以降にわかりやすく解をのせてくれているのが、流行敏感な三宅さんらしい締め方だ。

終盤に向かい批評愛がビンビン伝わってきて、読み終えたとき、三宅さんに触れられた気がしてなんか幸せになった笑

芸術は作者の手をはなれて自由に読み手の心の中を駆け巡る。評論の楽しさ、評論を詠む楽しさはここにあるのか。

0
2025年11月28日

Posted by ブクログ

今の若者についてわかりました。アルゴリズムについてわかりました。ふわっと思っていたことを言語化してくれました。

0
2025年11月24日

Posted by ブクログ

正解を欲しがるあまり考察する。便利になりすぎた社会の流れからか。

萌えから推しへ
瞬間の好きから継続的な好きへ、
やりがいから成長を求める若者の増加
ググるからジビるへ

いずれにしても個人で考えて終わるではなく
みんなの正解的なものを欲しがる。


しかし三宅さんはそれがいい悪いではなく
自分の意思をしっかり保つこと、考えを持つ
大切さを述べていた。

0
2025年11月24日

「社会・政治」ランキング