ビジネス・実用の高評価レビュー
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今回は知ってたつもりで間違えて覚えていた言葉がいくつかあって、勉強になりました。
例えば「銀ブラ」。
銀座をぶらぶら散歩することがもともとの意味だと思っていましたが、銀座でブラジルコーヒーを飲むことで、発祥は銀座の「カフェーパウリスタ」だそう。同店で銀ブラ証明書にスタンプ10個溜めると、コーヒー1杯無料ですって。芥川龍之介も通ったらしいです。
「丼勘定」は、店先に置いた丼に小銭を入れて、お釣りなどのやり取りをしていることだとばかり思っていましたが、職人の腹掛けに付けた物入れのことを「丼」というのですって。知らなかった。
表紙の写真は「長い物には巻かれろ」。
てっきりぐるぐる巻きにまかれるイメージでしたが、実際にやってみたら、それでは10年修行した像使いが一瞬しか持たないそうで、写真のように鼻に腰を下ろす形で巻かれたのではないかと結論になったようです。
由来を知るって、楽しいよね。 -
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何かの目標を達成するにはどうすれば良いかという悩みを解決するために本書を手に取った。自分ができている習慣やあきらめた習慣はその人の人間性ではなく、しっかりとした仕組みの上でそうなっている。そうであれば、その仕組みをよく理解することで、今後自分が望ましい習慣を身に着け、なりたい自分になれる。その方法について具体的に書いてあり、とても有意義な内容であった。習慣を身に着けるためには「はっきりさせる」「魅力的にする」「易しくする」「満足するものにする」の4つの原理があることや、人は物事に期待しているときがやっている最中よりも脳に報酬を得ていることなど、自分の人生の見方が新たな視点で捉えることができるものが多かった。ここまで読んで、興味がわいた方は是非本書を読んで、その本質を味わい尽くしてほしい。
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大切なことをたくさん教えてくれる本
全430ページ超、、読むのに時間はかかったけど笑
読んで良かったと思える言葉と愛をたくさんもらえた一冊
わたしの人生観を作ってくれた人が似たことを言っていて、まさに私の生き方になっているこの言葉、ずっと大切にしたい
p364-人生とは、自分自身についての思い込みを転換するプロセスである。
このパラダイム転換がどんなスピードで進んでいくかは予測できない。一夜にして転換してしまう人もいれば、少しずつ積み上げるように進んでいく人もいる。
逆に、さんざんロープにしがみつくことが大切な学びにつながるときだってある -
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コスミックムック
最新版 道の駅完全ガイドブック2026-27
出版社:コスミック出版
圧巻、全国の道の駅を網羅した図鑑
関東・関西版を購入したが、それ以外のエリアもやはり気になるので、全国版を購入しました
先の2つの冊子とも、エリアの切り方がちょっと異なっていました。
・全国9エリアに分けて、その冒頭には、地域図に道の駅をプロット
・各道の駅の情報は
番号、ふりがな、名称、道の駅のHP/QRコード、エリア名、住所、電話番号
特長、概要、営業時間、売店、レストラン情報、休情報
情報コード、売店、産直市場、乳幼児設備、無線LAN、切符、スタンプ
温泉情報、電話番号、営業時間、休み
駐車場台数 大型台数、乗用車台数
隣接国道、県道情報 等
ここはほぼほぼ同じでした
目次
巻頭特集 福島・群馬の「日本一の駅」&「新駅」を徹底リサーチ
いわき・ら・ら・ミュウ
ならは
川場田園プラザ
前橋赤城
新しい道の駅4駅を全紹介!
石川 福島県
ゆとりえせとや 静岡県
きなりの郷 奈良県
ウェルネスあらね 熊本県
道の駅ってどんなところ?
[エリア別]全国1231駅のデータを収録!
北海道 128駅
東北 181駅
関東・甲信 206駅
北陸 84駅
中部 119駅
近畿 159駅
中国 108駅
四国 91駅
九州・沖縄 155駅
文中にある、編集部おすすめ情報
・新規道の駅、おすすめメニューは?
・新規道の駅、おすすめおみやげは?
・注目道の駅のおすすめスイーツは?
・記念きっぷ&スタンプ
・野菜の詰め放題に大行列!!
・温浴施設でやすらぎのひととき!
ISBN:9784774775975
雑誌コード:6382297
判型:A4
ページ数:248ページ
定価:1045円(本体)
2026年08月12日発行 -
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大日本帝国憲法起草者の一人伊藤博文が憲法の解説書を残してくれていたのは非常にありがたい。本書はその『憲法義解』の現代語訳と訳者の解説で成り立っている。大日本帝国憲法は日本国憲法と比べ国民の権利が制限されている非民主的な憲法と一般的に思われて、学校教育でもそのように教わるが、そうではなかった。正直私達の今の生活は、大日本帝国憲法施行時代と何も変わらない。基本的人権も言論の自由も信教の自由も所有権の保障も不当に逮捕されない権利も居住と移転の自由も、議会制度も裁判制度も国家予算も税制も全部大日本帝国憲法時代に確立され保障されていた。それは大日本帝国憲法3条と4条で統治権に歯止めがかけられていた天皇によって保障された。
・誤解1
大日本帝国憲法の誤解1と言えば「第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」。これが、ほらみろ統治だって、天皇絶対主義だ、と言われる。これはそういうことではなく「統治ス」は日本独自の統治方法である「知らす」を意味している。知らすというのは天皇が国民がどういう生活をしているのか、また国民の心を知るということで、そこに天皇個人の私利私欲はない。天皇の統治は私的なものではなく、全ての国民の利益のためになされる公共的なものだ、という意味である。この第一条こそが政体がどれだけ変わろうと不変だった国民と天皇の関係を要約したものであり、これこそ訳者の相澤理氏の言う通り、天皇は専制君主ではなかったという日本の伝統、日本人の精神に根差して作られた憲法と言える。起草者の一人井上毅は「しらす」を採用すべきと主張したが、伊藤博文は漢文の統治にしたというただそれだけのことだった。この大日本帝国憲法第一条は天皇絶対主義とか天皇主権を定めたものではない。ましてや国土国民を天皇の私物として占領し支配する、という統治形態の意味ではない。あれはちゃんと計算されてできあがったものだ。ただ日本国憲法の第一条はそうではないのかというと、それは違って、天皇が日本の象徴であるのは別に昭和から始まったわけではない、それで日本国憲法の第一条も日本の歴史を踏まえているといえる。
・誤解2
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
これも誤解が非常に多い。まるで天皇が一神教のゴッドみたいな地位にされているように思われる。憲法で天皇を神様にしてたんですよ!とこうだ。神聖不可侵とは神という意味ではなく「尊厳や名誉を汚してはならない」という意味で、それを法的に説明すると君主である天皇は法的に責任を問われない、という意味になる。法的に責任を問われないということは「政治的な実権を有しない」ということを意味する。国政は各国務大臣が担当し、その全責任を負う、天皇はその埒外にいるのでいつまでも汚れのないままでいられる。平たく言えば次の第4条と合わせて立憲君主制のあり方を明記したものといえる。大日本帝国憲法には天皇大権が色々明記されているが、現実には全部3条と4条で制限が加えられている。よって明治天皇・大正天皇・昭和天皇は専制君主のように振舞うことはなかった。神聖とは聖なる神という意味ではないし、同様の条文は当時の欧州の君主制国家に存在していた。
・誤解3
第二十二条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
日本国憲法は基本的人権が侵すことのできない永久の権利として認められていたが、大日本帝国憲法は居住や移転の自由といった基本的人権が制限されていたと言われるらしい。これはひどい。確かに日本国憲法11条に基本的人権が保障されているけど、しかし次の12条に(22条も)、この権利は濫用してはならず「公共の福祉に反しない限り」で認めると釘を刺されているではないか。実際現在の私達の社会でも具体的な諸々の法律で既に基本的人権は制限されていて、法律ノ範囲内ニ於テ成り立っているのは戦前と同じである。いくら自分が住みたい土地だからって他人の土地を占拠して勝手に家を建ててはい引っ越しましたなんて今でも認められるわけがない。大日本帝国憲法の法律ノ範囲内ニ於テという文言は、日本国憲法の公共の福祉に反しないように先手を打って諸々の法律で制限を加えられている状態と何も違いはなく、これをことさら非民主的な憲法だったと批判するのは不正確だろう。
大日本帝国憲法下の社会と現行憲法下の社会に違いはなく、今私達が有している権利や義務も、議会制度も裁判制度も予算制度も税制も大日本帝国憲法で初めて定められた。日本人の現代的な生活は全て大日本帝国憲法施行から始まったことは疑いがない。これについて殊更戦前と戦後で分断を強調するのはどういう意図からだろう。分断というなら江戸時代の社会と大日本帝国憲法下の社会の分断の方が大きい。相澤氏の言う通り、非民主的の出来損ない憲法などではなく、世界一優れた憲法だったというのは首肯できる。これは自慢とかではなく、日本はある意味優位な立場にいたというだけである。それは憲法制定に対しては後出しジャンケンができた。既に欧州各国の優れた憲法があったので、それをそれぞれ吟味して、長所と短所を分析し、長所を取り入れかつそこに日本の伝統をも織り込むというかなり自由自在な立場にあった。『憲法義解』にはたびたび欧州の法律や議会の話が出てくるが、伊藤らはよく研究していた。28条の信教の自由についての解説など、今でこそ聞く価値のあるものだと思う。何を信じようがその人の自由だが(信教の自由)、それを外部に向かって礼拝したり布教したりするならば、人々に迷惑がかからないように法律で制限を加えますよ、国が特定の宗教をえこひいきするのも禁止ですよ、ということ。要するに公共の福祉に反しないよう制限を加えるということで、これも日本国憲法下の社会状況と全く同じ。信教の自由と宗教の自由の違いを伊藤は理解していた。彼らは邪な心で君主剣が強くなるように陰謀を働いていたのではなく、真摯な気持ちで国民の自由が保障され、議会政治が軌道が乗るように願い憲法を起草した。
ほぼ完璧な大日本帝国憲法にもいくつか欠陥があった。それは相澤氏も指摘してる通り、内閣制度の規定が憲法になかったこと。これは建前であった君主大権を主張した井上毅に伊藤博文が妥協したためと言われている。内閣に強い権限を持たせたくなかった。しかし昭和になると、自分らは天皇に直属する大臣だから内閣総理大臣の指図に従う必要はない、という理屈を軍部の国務大臣が持ち出した。つまり軍のことに政府が口出しできなくなってしまった。リーダーは建前上は天皇になってるだけで実際は不在だった。明治の元勲が存命中なら彼らが実質的なリーダーだったのでそれでも問題はなかったけど、彼らが皆世を去っていくと問題が浮き彫りになってしまった。
問題点のもう一つは、訳者の言う通り、条文が簡潔すぎてあらぬ誤解を生んでしまったこと。特に第一条は井上毅の草案「日本帝国は万世一系の天皇の治す所なり」でよかったと思う。これならいらぬ誤解を与えることはなかった。 -
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脳科学の中でも更に分野が細分化されており、各分野の研究者が、正に研究中のことを解説してくれる本。
また、この本は、「脳について多くのことが未解明であること」を理解させてくれる本でもある。
既にほかの本で知っていた知識もあるが、これだけのトピックがまとめてあるのは価値がある。
特に興味を持ったのは嗅内細胞についてである。
これまで読んだ本の中では、嗅内細胞がそこまで重要視されていなかったと思うが、記憶形成に関してかなり重要な役割を果たしているようである。
脳と脳を繋ぐBMI(Brain Machine Interface)や、人工冬眠についての研究も夢がある話だ。 -
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彼女の本はすべて読んでいるので、最初の3分の1くらいは既読感あり。でも共感しつつ面白く読む。
5光熱費ほぼゼロで生きる、あたりから新しく聞くお話。夏の暑さの中にもいろいろある、日陰に入れば涼しい、風がすごく大事。そういう気づきに共感。「昨日は夕方から風が出て少し涼しかったね」と言っても常に冷房状態の人にはわからない。そういう気づきはクーラーを使わないわたしたちも経験済み。
ポイントの話。「ポイントのことを忘れて不用意に別の店で買ってしまい、後から「しまった!損した!」と延々考えて暗い一日を過ごしたり。(略)自由なはずの人生がポイントで不自由に…まさしくポイントの奴隷である。」
P220 「お金ってなんだろね?」と、ずっと我が物顔でイバっていたお金にふと尋ねる。するとお金は急にモジモジして顔を赤くするのである。
これは私にとってはとてもとても大きな事態だった。何しろ会社を辞めて給料がもらえぬ身。お金という数字だけで見れば、私の価値は明らかに減ってしまった。でもその数字が、そもそも意味のないものだとしたら? 私の価値は私が決めれば良いのである。お金が稼げないからと、惨めに思ったり、誰かを羨んだり、下を向いたりする必要なんて全然ないのだ。
そしてわたしが感心したのは、「買わない生活」から連想される、安いものを手に入れる節約生活とは一線を画す彼女の思想。あげる、もらう、ということに取り組み始めること。
人にものをあげていると、あちらからもらうという循環が起こる。
プラを使わない取り組みも共感。豆腐を豆腐屋にタッパー持参で行く(タッパーはプラじゃんという突っ込みが頭に浮かんだけれども…)、米用の大きな紙袋持参で米を買う。これは一つの工夫。やった感あると思う。23区内だからこそできることとも思うけど。
「10エコライフという貴族生活」は共感の嵐だった!
P325 私は地味に日常の買い物をしているだけに見えて、実は人知れず世の中にカクメイの小さな種を蒔いているのである。私は小さな革命家、一人チェ・ゲバラなのだ。ま、妄想ではある。でもそう妄想するだけで、日常のどうということもない行為が俄然「意味あること」に思えてくる。
ってことで、チェーン店のカフェではレジでトレーにのせられたプラ入りおしぼりをにっこり返却、仕事先で出されたペットボトルには手をつけず…と、今も地道に革命続行中。すると確かに、カフェの店員さんはいつの間にかプラおしぼりを私のトレーにのせなくなり、あるラジオ番組では私の行動をきっかけにペットボトルをやめ紙ボトルの水を使うようになった。波紋は着実に広がっているのだ!
消耗品をほぼ購入しないのはわたしもそうなのだ。
歯磨き粉はたまに使うくらいだし、シャンプーリンスは使わない。食器用洗剤もトイレ用洗剤もボディーソープもお風呂用洗剤もいらない(掃除は水、セスキ、重曹、クエン酸で十分すぎる)。コーヒーフィルターの紙も不要(さらしの布を使う)。ペーパータオルもラップもいらない(さらしなど使用)。掃除機は使わないので(棕櫚箒を愛用)そのごみ袋もいらないし、普通のごみ袋もほぼ使わない。生ごみはほぼコンポストに行くので。
買うのは石けんとトイレットペーパーくらいか。
P395 カフェでは、モーニングのワッフルを手が汚れぬようコーヒーフィルターに包んで出してくれるのだが、これもそのまま捨てるのが忍びなくなり、持ち帰ってウエスと同様に鼻をかんだり拭き掃除に使ったりしている。こんなことまでしているのは地球上に私一人という気もするが、もはや何であれ「一つの用途」しか果たさずにものを捨ててしまうことそのものに耐えられないのである。
これを読んだ時「一人じゃないです!ここにもいます!!」と叫びそうになった。わたしもやってるよ。限界まで着てヨレヨレになった下着をハサミで切ってウエスに。そうやってもうひと働きしてもらう。
「世の中に「ゴミ」なんてないのだ。役に立たないものをゴミと認定しているのは自分自身である。ボンクラなのはゴミではなく、役に立つ場所を発見できない自分自身なのだ。」素晴らしい!!
お金持ちとはお金をたくさん持っている人ではなく、お金を使わない暮らしができる人のことなのだという発見も面白い。確かに2億必要だという人には1億では足りなくてお金持ちとは言えないからね。 -
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購入から3年近く本棚を温めてくれていた。なかなか手が伸びなかった理由はいくつかあって、タイトルが堅そうなこと、文庫とはいえ分厚いこと、勇気を出して開いても序文がなんか違う感じだったこと、が原因だったように思う。
それでも読もうと思ったのは、青山ブックセンターの360人選書で挙げられていたから。積読されていた3年間においてもことあるごとにオススメされていたが、ついに読むべきタイミングというのがきたのであろう。
そして素晴らしすぎる本でした。
「暇」であるとか「退屈」であるとかを考察するために必要とされることの多いこと多いこと。
本著の中盤までは、狩猟採集から農耕へのシフト、消費と浪費、個性、有閑階級などから考察が進められており、その全てが有益でありました。
これだけ多くのことに触れていきながら、わたしが一度も挫折することなく読み進められたのは、知的好奇心を満たしてくれるような構成、著者の言葉を借りるなら「学びの方法」を感じさせてくれるような内容なのだからだと思います。
現在の社会の多くが文化産業という名の「消費者」の時間をどれだけ簒奪できるか競争に終始している状況で、「暇と退屈の倫理学」が未だかつてなく必要とされている気がします。わたしが数年越しに手に取ったのも、心のどこかでそんなことを感じていたのかもしれません。
万人におすすめできるすばらしい本です。 -
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思想史家、仲正昌樹による日本の「現代思想」史。
大きな物語であるマルクス主義の隆盛と凋落、代替としての現代思想の受容と、流行から退潮までが丹念に著述されている。
まず、内容の前に、著者の思想に対する興味深い視点が幾つも見受けられた。一つに、著者の思想や知識人に対する考え方である。著者は思想は社会を分析するための道具としての有用性は認めているものの、それ単独で社会の見取り図を示せるものではないとする。故に、思想や知識人の役割は、常識に対する捻った懐疑の眼差しを向けるヒントを提示することにあるとしている。
また、著者の思想家や思想に対する距離感も特徴的である。思想史の著述は、著者の問題意識に即したものになりがちなので、特定の思想への没入が見られるものであるが、この本からそれはあまり感じられなかった。著者のスタンスとして、思想への過度な信頼を排した良識的な相対化の態度が窺える。
内容に関しては、著者は、日本における現代思想が長期に渡る思想の最先端足り得なかった理由を、近代知としてのマルクス主義のありように求めている。日本では、産業革命期にマルクス主義に対する合意や受容が起きなかった。これは西洋におけるマルクス主義の勃興とは異なっている。マルクス主義が想定した実社会と日本戦後社会がそもそもズレていたため、最初から理念と現実の差が甚だしいものであったという。
マルクス主義が近代特有の課題克服という性質を帯びていたことの無理解から、代替としての現代思想の到来時にも、その本質が十分に含味されないまま中途半端な受容となってしまったとしている。
私の現代思想に対する印象は「オシャレなフランスの新しい思想」というフワッとした流行のように捉えていたが、戦後知識人の中にも私と同レベルで現代思想を受け入れてしまった者が少なくなかったと言うことだろう。日本は古代より外来の思想を導入して、日本に順応させる傾向にあるが、こと現代思想に関しては不十分のうちに終わったといえよう。
最後に、著者は現代思想を一言で表せば、「自律し思考する主体」である近代人の思考を妨げる外部の存在とは何か?という問いであるとする。ところが、千葉雅也や国分功一郎といった流行の思想家の思索からはそういった痕跡が窺えず、現代思想の思考方式は継承されていないとしている。近代の克服として表れた現代思想の思考法の復権が訪れる日は来るのか、今後の思想潮流も楽しみである。