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★再読
岡本太郎
(おかもと たろう)芸術家。一九一一年生まれ。二九年に渡仏し、三〇年代のパリで抽象芸術やシュルレアリスム運動に参加。パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。四〇年帰国。戦後日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。五一年に縄文土器と遭遇し、翌年「縄文土器論」を発表。七〇年大阪万博で『太陽の塔』を制作し、国民的存在になる。九六年没。いまも若い世代に大きな影響を与え続けている。『今日の芸術』(光文社)、『強く生きる言葉』(イースト・プレス)、『自分の中に毒を持て』(青春出版社)ほか著書多数
解説
平野 暁臣
(ひらの あきおみ、1959年2月18日 - )は、東京都出身の空間メディアプロデューサー。株式会社現代芸術研究所 代表取締役、岡本太郎記念館館長、ジャズレーベルファウンダー、音楽プロデューサー、日本イベント業務管理士協会名誉会長、サイバー大学元客員教授(イベントプロデュース論)。岡本太郎のパートナーだった岡本敏子の甥。敏子の後任で「岡本太郎記念館」2代目館長。多くの関連著作を刊行している。
「 大学とは本来、学問を人生目的にするひと、あるいはサイエンスなどの特殊技能を身につけるために行くところだ。そうじゃないなら、自分が必要と思う期間だけ、必要な大学に行けばいい。 一般教養だけのためなら、高校を充実させればいいんだ。「大学卒業」なんて資格は認定しない方がいい。 フリーで勉強したいひとはだれでも行ける大学──たとえばパリ大学などは、医科や理工系など特殊な部門をのぞいて、文系はだれでも聴講できる。資格をとるのは大変だけど、だれでも学問を身につけられる。 日本にも聴講生の制度はあるだろうが、卒業して就職するだけの大学では行ってみたいという気持ちにはなれない。これからは、むしろ聴講生のほうを拡大し、勉強したい者はだれでも籍を置くことができるような形式を政府は考えるべきだ。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「アルタミラ、ラスコーなどの洞窟の壁には、いまなお彼らの残した芸術を見ることができる。その鮮やかさに現代人は驚嘆する。たしかにすばらしい。 だがぼくは、その巧みさには驚かない。それよりも、線や形のうしろにある、それを描きつくったひとたちの生き方を感じとり、その戦慄にみちた冒険、たくましさ、激しさに、より強烈な芸術的感動を覚えるんだ。 以来、何十万年のあいだ、ずいぶん無理を重ね、苦労のしどおし。しかも今日また、猛然とそれに耐え、「登らない」ことを決意する人間がいる。多数の猿どもに対して、ノーと叫ぶ。 なるほど孤独なその叫びは、最後の最後まで負い目に見えるだろう。しかしたった一枚のノーの切札が、すべての堕落した猿どもをひっくるめてポジティブに逆転させ、時代をおし進めていくんだ。 じつはどんな猿根性にも、心の奥深くかすかに人間の初源的「ノー!」が、ストイックな思い出としてひそんでいる。だからアヴァンギャルドは孤独であっても力なんだ。 猿どもの抵抗をこえて、一見不可解に見える切札を、ますます容赦なく、強烈にぶっつける。そうしなければダメなんだよ。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「この陰気で、まことにサッパリしない人格形成、現代日本的道徳・習慣は、ながい鎖国と封建制の結果であるということはだれもが知っている。徳川初期のころまでは、日本の男はもっとはるかに男性的だった。俗に「槍一筋の功名」で、武士はもちろん、百姓の子までが一国一城の主、もしかしたら天下取りにもなれる時代。町人でも実力によって堂々と己れを主張できた。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「だから、なんといっても彼らはヤクザであるに過ぎず、正常な社会から外れた日陰者、アウトローだ。ほんとうに堂々と社会を動かす男性的男性の、明朗な重みはない。権力と卑俗なモラルに対する反抗としての、その場かぎりの英雄主義だ。どんなに華やかに装っていても、実りのない花は、けっきょくは空虚だ。 今日なお映画や大衆小説などでヤクザものは人気がある。古い封建制度は崩れたが、それに代わってさらに強固な官僚主義がのさばっているからだ。スポイルされた状態に対する民衆の不満、息苦しさが、あいも変わらぬヤクザ憧憬になって現れる。 時代遅れのチョンマゲ男、アナクロニズムのモラルはやりきれないが、こうした官僚主義がつづくかぎり、残念ながら、その裏側にある歪んだ英雄主義もつづいていくだろう。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「絵画だってそうだ。絵画は十九世紀のヨーロッパで芸術になったのであって、それまでは芸術なんていう意識はなかった。日本では明治末期から芸術の範疇に入ったけれど、それまでは絵を描く者は「絵師」であり「画工」だった。職人を意味する「工」の上に「大」を書けば大工になり、「石」を書けば石工になる。それとおなじだ。 ところが、ただの絵師であり画工だった者に、とつぜん「芸術家」っていう肩書きが与えられた。このタイトルを与えられた途端、「オレは芸術家なんだ」っていう意識をもつようになり、深刻な目つきでひとを見たり、深刻な格好で世の中を見たりするようになった。だがそんな奴にかぎって、中身は少しも深刻じゃない。いわゆる「芸術」と称されているものは、およそ芸術じゃないんだよ。 ぼくは十八歳でパリに行き、二十代をパリで過ごした。ダダイズムをやっていた連中ともずいぶんつきあった。ダダイズムとは、第一次世界大戦のころにスイスあたりを中心に起こった芸術運動で、それまでの価値観をひっくり返そうとしたんだが、その中心にいた詩人トリスタン・ツァラや美術家ハンス・アルプなんかとね。 芸術家の街といわれるモンパルナスへ行っても、ダダイストのアルプなんてのは、紺の服に黒っぽいネクタイを締めてじつに平凡、どこの勤め人かわからないような恰好をしていた。どう見たってお役人か会社員だった。 それに比べて、ボヘミアンネクタイを締め、つばの広い帽子をかぶってパイプを燻らせているような、いかにも芸術家ぶっている奴らもいた。でも、そういう連中の作品を見ると、三匹の子猫やバラの花みたいな、じつに幼稚なものを描いている。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「 バカな芸術家が多いんだよ。そういうポジションを取りたがるのは、ヘンな芸術家意識をもっているからだ。 芸術家だ、絵描きだ、音楽家だ、なんて主張するような奴は、みんな商品をプロダクトしているだけだ。商品をつくった段階で、だれかに買ってもらおう、換金しようと努力する。いわゆる商人、経済人などより、もっと卑しい存在に落ち込んでいるのが、芸術家と称する怪しげな連中だ。そんな奴らのスタイルや恰好に引っ掛かっちゃダメだ。 そもそも芸術と言ったって、絵を描く必要もなければ、唄を歌う必要もない。 ただひたすら人間的に生きる。それがほんとうの芸術だよ。 だから「政治、経済、芸術」の三権分立が必要なんだ。ほんとうは「政治、経済、人間」と言いたいところだけど、そう言うと誤解が生じるから「芸術」と言っている。 人間即芸術。芸術即人間。 もっとも強烈に生きる人間が芸術だ。このモメントがいま見失われている。 絵も描かないし、唄も歌わないけれど、オレは芸術家だ。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「ノーマルな社会がある。その日常性、社会的基準や常識に対して、まるっきり正反対な、渾沌的なもの、根源的な、生命の奥にある神秘みたいなものを突きつけて、ノーマルでない非常事態をつくりあげる。そして日常生活の惰性に埋没し、失われた人間の根本的感動を呼び覚まし、生命の充実感、生きがいを集団自体に与える。 それが芸術家の役割だと思う。この意味で、芸術家は今日の呪術師、シャーマンだ。 合理主義、科学主義の時代になって、人工衛星が飛び、ますます足もとが空虚になっていく時代にこそ、かえって呪術師たる芸術家の役割は深くて重大なものになってくる。それはすなわち、現存する社会に対して、激しく〝ノー!〟というカードを投げつけることだ。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「 たとえば読書にしても、ただ本を読むだけでは読書とはいえない。それでは本の上に目を走らせているだけだ。ほんとうの読書とは、内容を批判し、自分の考えや対処のしかたをあきらかにするものでなければならない。 書物にふれることによって、人間的な変貌、あるいは世界観の確立という、自分にとっての新しい世界をつくりあげること。それを前提にしなければ意味がないし、読書したことにもならない。 絵画を観る場合でも、ただ「きれいね」とか「愉しいわね」という単なる受身の観賞では、やはり生活の全体は満たされない。自分もあんなふうに描きたいと思ったとしても、「描けたらいいわね」で止ってしまえば、充実した鑑賞にはならない。ほんとうは描きたいのに描かずに済ませてしまったら、あとになんとなく味気ない気分がのこる。 そういうことが積もり積もると、だんだん生活自体が消極的で空虚なものになっていく。しかもたいていの場合、その空虚さに自分自身で気づかない。 もし少しでも「あたしもあんなふうに描けたらいいわね」と思ったら、描いてみるべきだ。絵というものは、たとえ鑑賞するときでも、たんに味わうだけでなく自分が描いているという積極的な気構えでぶつかると、それによって創造的な、もっと生活的な幅と意味をもってくるものなんだ。 絵を観ていて、「よくわからないけど、好き」というひとがいる。 わからないけれど好きという言い方は、とりわけ絵画や音楽でよく聞く台詞だが、こんな無意味なことはない。 「いい」「好き」と言ったとき、その作品はまさにそう感じた〝そのひとのため〟に存在しているのであって、作品の意味は「いい」と思ったその分量だけ、たしかにそこにある。それ以外の「わからない」分を心配する必要なんかないんだよ。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「 古い芸術形式は歯牙にかけず、そのころパリで台頭した抽象芸術運動に加わり、やがて理論的な抽象主義をのり越えて、新具象主義を唱えた。シュルレアリスムの克服もまた、とうぜんぼくのプログラムだった。 それでもなお、芸術に対する不信と虚無感をどうしても消し去ることはできなかった。それは逃れることのできない、ぽっかりあいた口のように、ますますぼくの前に立ちはだかった。 ついにぼくは芸術自体、美を追究するという営み自体を振り捨てることを決意した。 それまでのぼくは芸術だけを生きがいにしていたし、それひとすじに、馬車馬のように突き進んでいた。そうすることで世の中にお目見得するという、いわば芸術家二世のグロテスクな段取りだ。 それをふり捨てるのは、自分自身、そして世の中に対して、己れを根こそぎ否定することに等しかった。でも、もはやどうにもならなかったんだ。 こうして〝芸術否定〟〝非芸術〟がぼくの当面の課題になった。 じつはそれこそが近代芸術の宿命でありプログラムのひとつなのだが、当時はまったくわからなかった。あとで振り返って、はじめてそれに気づいたんだ。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「 そのとき、はっきりわかった。どうしようもない虚無感の意味を読みとったんだ。 オレはここでは生活していない。 お互いに知的な友情や理解はもち得ても、ほんとうにドメスティックな日常生活において、ぼくはやはり外国人であり、つまりここでは実在者ではなかった。 どんなに心を燃やし、己れを他と対決させようとしても、それは抽象に過ぎない。 実践の社会的場、みなと同質に苦しみ、共通の運命に慄く、そういう素朴な生活人としての連帯感は、とどのつまり実感として互いにもち得ない。むしろ彼らは、ぼくよりも、知的生活とはまったく無縁な町の肉屋のオヤジやパン屋のカミサンたちとの方が、現実的に近くつながっている。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
「ぼくが象徴的に権威と対立しつづけ、あたかもぼく以前には芸術がなかったかのように言い放つのは、このような日本的地盤、風土からはなにものも生れないからだ。 象徴的な立場をとることによって、新しい世代の旗印となり、そのもりあがり、炸裂に点火する。 絵画制作、生活との闘いのあいまをぬって、日本の現実にメスを突きつけ、しかも過去にさかのぼって「日本の伝統」をとりあげたのもその意図からだった。 いままでの大人たちのように、日本という文化の後進性を限界として意識し、そこにくすぶってしまうんじゃなく、現実に正面から対決すると同時に、世界的、超近代的課題を展開する。 それを明朗な実感として、ぼくは若い世代にぶつけたいんだ。」
—『自分の中に孤独を抱け』岡本 太郎著
ぼくは十八の年から十余年間をパリに暮らした。その間、たまに手紙を書く以外は、いっさい日本語の読み書きをしなかった。そのころは自分が文章で闘うなんて考えたこともなかったし、そんなことができるとも思っていなかった。 ところが、言わなければならないことばかりなのに、周囲にはまったく発言がない。時代に対応する新しい芸術の問題を、一般はもちろんインテリもまったく知らないようだった。だからシャニムニ書いた。書かざるを得なかったんだ。 現代芸術の本質的な流れ、課題など、躍起になって論じても嘲笑された。「アヴァンギャルドなんて、そんなもの、戦前の話だよ」という調子でね。そういうなかで実作を突きつけ、論争し、説得しようとした。 芸術・文化運動の手榴弾としてギリギリの気持ちで文章を叩きつけた。 画文集『アヴァンギャルド』をはじめ、その時代の古い原稿には、そういう抵抗感と苛立たしさが満ちている。生硬だが、それだけにいっそうその時代のド真中で歯ぎしりしている自分の姿がよみがえってくる。 なぜあんなに性急に、戦闘的に食ってかかっているのか、いま考えるとひとり相撲だったような気もするが、あのときにはそれが必要だったんだ。じっくり説き伏せるとか内容の説明などはむしろ邪魔で、叫ぶこと、ショックを与えることだけを考えていた。 絵描きが文章を書くことは、職能上はあきらかにマイナスだ。欧米でもそうだよ。 画壇は世界的に古色を帯びている。黙ってこの道一筋、絵だけ描いているほうが大事にされる。随筆程度ならともかく、評論家の縄張りを犯すようなことをやりだしたらおしまいだ。時間をとられるうえに、すべてを敵にまわすことになる。 それを承知で、ぼくは書かずにいられなかった。 「ピカソへの挑戦」「ピカソをのり越えている」とか、「芸術はうまくあってはいけない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない、それが芸術の三原則だ」などと人々の気にさわることを言い、価値転換を試みた。 「岡本太郎」を主張しすぎるという点でも嫌われた。論旨に賛成のひとの多くも、それゆえに敬遠した。 この国ではみなたいへん誠実に「だれかがやらなければいけない」とは言う。