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セキガハラ
歴史なのに予測不能の新“戦国”体験──!本当の戦国は集団戦だけど、こっちはタイマン!武将=超能力者が夢の対決を繰り広げる! -
Songs of CRAZY FIVE
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 SMAP解散騒動からはや8ヶ月。スマスマでの謝罪会見で「一応」のケリはつけましたが、ファンは今でも様々な思いを持って過ごしています。いつの時代も私たちとともにあったSMAP。SMAPの楽曲に元気や勇気をもらった人もたくさんいるでしょう。本書は、楽曲を通じてSMAPの素晴らしさを伝えるものです。編集部で厳選した99曲の解説やエピソードを、歌詞とともに紹介しています。 -
インテリジェンス関ヶ原
「天下分け目の戦い」の定説、新説を徹底考察! 本郷戦国史の決定版 ●徳川家康は合戦前から天下人だった? ●“エリート官僚”石田三成の勘違い ●西軍最大の裏切り者は小早川秀秋なのか? わずか半日で決着がついた、日本史上稀な決戦「関ヶ原の戦い」。 実は合戦以前に繰り広げられた外交戦、情報戦こそが天下を動かす上で大きな意味を持っていた。 天下分け目の戦いにおける「失敗の本質」を人気教授が徹底考察。 勝負は決戦前についていた ・「朝鮮出兵の恨み」だけが石田三成襲撃事件の原因か? ・家康は、秀吉子飼いの古参家臣を「婚姻外交」で取り込んだ ・前田利長は加賀征伐の発端「家康暗殺計画」に関与したのか? ・「無血」という政治的な解決は、結果的に高くつく ・家康は“プリンス”宇喜多秀家と小早川秀秋の弱みにつけ込んだ ・ケチな家康が、決戦前に伊達政宗や細川忠興へ大盤振る舞い ・宇喜多家、前田家、上杉家の中枢に居座ったスパイ「本多政重」 ・安国寺恵瓊は家康を討つために毛利輝元を担いだ? ・「東西二分」を狙った三成vs「豊臣家の屈服」を目指した家康 目次 第一話 天下人の死 第二話 秀吉政権の光と影 第三話 亀裂 第四話 利家vs家康 第五話 三成失脚 第六話 「加賀征伐」の謎 第七話 プリンスたちへの工作 第八話 「無血」というコスト 第九話 会津征伐へ 第十話 三成のクーデター 第十一話 内府ちがいの条々 第十二話 三成の「東西二分の計」 第十三話 家康、逆襲体制を整える 第十四話 本気の西軍、消極的な西軍 第十六話 九月十五日 第十七話 敗者たちの運命 第十八話 東北の「関ヶ原」 第十九話 九州の「関ヶ原」 第二十話 「論功行賞」の論理 最終話 新しい天下のかたち -
ドタバタ関ヶ原
日本史上最大の戦いとして知らぬ者のない「関ヶ原の戦い」。東軍・徳川家康が、石田三成を中心とする西軍を圧倒的勢いで撃破、江戸幕府樹立を確実にしたものとして、小説や映画・ドラマなどでもおなじみの決戦だ。しかし、伝えられているイメージやエピソードとは裏腹に、史実として見る「関ヶ原」からは、戦いを前に焦りまくる家康や、思うようにならない軍略に不満ばかり述べ立てる三成の姿が浮かび上がってくる。その他の諸将にしても、裏切りあり、内応あり、様子見ありの、勝負の行方はどちらへ転んでもおかしくない戦いでもあったのだ。「れきしクン」としてテレビでもおなじみの著者が、天下分け目の決戦の舞台裏で繰り広げられた武将たちの右往左往ぶりを、軽妙なタッチで描く歴史読み物! -
真田武士心得
井原戦国三部作、新シリーズ連続刊行! 【2カ月連続刊行!】【「井原戦国三部作」新シリーズ、堂々の開幕!】 真田昌幸の家臣だった鈴木主水は、名胡桃城事件の責任を取って立ったまま切腹して果てた。その正妻・志野も夫の後を追って殉死。遺児である鈴木小太郎には、真田家家臣団から厳しい目が向けられていた。 真田信幸に仕えることとなった主人公・鈴木小太郎(のちの鈴木右近)は、父母の無念を晴らすべく、怨敵・中山九兵衛を追う。恩義ある真田信幸夫妻への忠誠と両親の仇討ち、二つの本懐を全うしようとした右近が貫いた「純情」とは――。 「三河雑兵心得」「北近江合戦心得」シリーズに続く「井原忠政戦国三部作」となる「真田武士心得」シリーズが堂々の開幕! 叔父の裏切りで全てを失った鈴木右近。心に誓ったのはただ一つ、両親の無念を晴らすための復讐だった。孤児となった彼を拾い、その成長を温かく見守る主君・真田信幸夫妻。主への忠義と仇討の狭間で、ひとりの若者が己の信義を貫くため、野太刀を振るう。激動の戦国時代を駆け抜ける男の、熱き魂の成長物語が今、幕を開ける! 鈴木右近、主君のためなら命も惜しくはない。 ただ、親の仇を討つまでは――。 -
異戦関ヶ原
足軽から天下人まで昇りつめた太閤・豊臣秀吉は、嫡子・秀頼の治世を安泰にさせるべく、石田三成に大領を与え、徳川家康を牽制させる布石を打った。家康の野望と秀吉の深謀を覚った三成は謹んで拝領し、100万石の大大名となる。慶長3年8月、秀吉は家康を抑える「切り札」を三成に託し、永眠する。秀吉の死を契機に、大名たちと姻戚関係を結び専横を始める家康。三成は、家康打倒を掲げ、兵を挙げる。100万石の威力が、家康を予想外の布陣に追い込み、未曾有の合戦絵図を関ヶ原の地に出現させた! -
シン・関ヶ原
私たちが知っている「関ヶ原の戦い」とは、江戸時代に各地で編纂されたさまざまな史料を、明治になってから帝国陸軍参謀本部が集約し、再構築したものである。 そして、これをもとに「国民的作家」司馬遼太郎が創作した長編歴史小説『関ヶ原』によって、日本人の「関ヶ原像」が決定づけられ、いまもなお、多くの人々を魅了しつづけている。 しかし近年、インターネットやSNSの普及にともない、大学などに属さない在野の歴史研究家によって新たな一次史料が次々に発掘され、それらについての情報交換が盛んになったことで、従来の「歴史」が次々に書き換えられるようになってきた。なかでも関ヶ原の戦いは、ほぼすべての「通説」が否定されるという「異常」ともいえる状況を呈している。もはやこの戦いにおいては、教科書に書かれていることさえ幻想にすぎないのだ。 本書は、現在の関ヶ原合戦研究におけるトップランナーである著者が、1600(慶長5)年9月15日に美濃の関ヶ原で起こった戦闘の経緯について、当時、徳川家康をはじめとする諸将の間でかわされた170通余りの書状を読み解くことで、新説を提起するものである。この新説は、従来の通説のようにドラマティックな展開をともなうものではない。「司馬関ヶ原」が脳裏深くに焼きついている人は、少なからず抵抗をおぼえるかもしれない。 しかし、だからといって私たちは、この新しい「関ヶ原」を拒むことはできない。日本の中世の終焉も、江戸幕府の成立と近世の幕開けも、この「関ヶ原」を受け入れずに考えることは、もうできないのだ。 【本書が提唱する、おもな新説】 関ヶ原の戦いは「天下分け目の決戦」ではなかった! 徳川家康はすでに天下人だった! 石田三成は西軍の首謀者ではなかった! 小早川秀秋は合戦中に裏切っていない! 東西両軍は開戦前に和睦していた! 両軍の合計は3万ほどだった! 【これらもすべてフィクションだった!】 秀吉死後の豊臣政権を運営したのは「五大老五奉行」 石田三成と直江兼続による徳川家康挟撃の謀議 福島正則が徳川家康に忠義を誓った「小山評定」 もともと低かった毛利輝元の戦闘意欲 関ヶ原に結集したのは両軍合計15万 家康が小早川秀秋の離反を催促した「問い鉄砲」 秀秋の裏切りによって壊滅した大谷吉継勢・・・・・・… 「新しい関ヶ原」が、この一冊から始まる! -
徳川家康 関ケ原の合戦
[書籍版巻頭・巻末資料は電子版では未掲載です]徳川家康は、人質だった今川氏から独立して、織田信長と同盟を結び、力をつけた。豊臣秀吉の死後、関ケ原の合戦に勝ち、天下の実験をにぎって、江戸幕府を開いた。まんがで楽しく学べる一冊。 -
IT・ベンチャー企業の組織作りは豊臣政権崩壊に学べ。関ヶ原の石田三成の敗北、徳川家康の勝利から、企業組織を考える。
ベンチャー企業がある程度成長すると、創業メンバーが企業から離れていく光景をよく見かけます。なぜ、苦労を分かち合った仲間同士が違う道を選ぶのでしょうか?創業メンバーは、お互いを高く評価し信頼しあう強い絆で結ばれていたはずです。実はこれと同じような構造は豊臣政権の崩壊にも見ることができます。豊臣政権の崩壊を考察することによりベンチャー企業の組織作りに活かすことができます。戦国時代が好きで、新規事業やベンチャー企業に関わる方は、本書をとても楽しんでいただけます。また同時に新しい角度で組織作りを考えるきっかけになるはずです。是非、ご活用ください。 まえがき IT・ベンチャー企業がヒット商品を出し、企業として歩み始めると、初期のメンバーが袂を分かつことが多く見られる。代表的なものはマイクロソフトやアップルである。 寝食を共にし、苦労を分かち合った者たちが、さらに大きな飛躍を果たそうという時に、なぜ分かれてしまうのだろうか。 理由は様々あるだろうが、日本史を振り返ると、天下統一を果たした豊臣秀吉の政権末期に、よく似た事象が起きている。 豊臣家の大名たちが反目しあい、天下簒奪を狙う徳川家康に付け込まれ、関ヶ原の戦いにつながった。関ヶ原は豊臣家臣団の大名同士の戦いである。 -
家康様、明日は関ケ原でPRイベントです ストーリーで日本を変えた広報の天才たち
日本の歴史は広報・PRを学ぶ最高の教材! 語り継がれる「ストーリー」が持つエネルギーをビジネスに生かす 不祥事やトラブルを乗り切る「ストーリーテリング」の力 歴史を題材に広報テクニックを学ぶという斬新なアプローチで話題となった『もし幕末に広報がいたら 「大政奉還」のプレスリリース書いてみた』から約3年。世界的ソフトウエア企業の日本法人で執行役員を務める現役広報パーソンが再び筆を執った! 今度のテーマは「ストーリーテリング」。 情報洪水の今日、企業が発信するニュースや広告が次々と世にあふれ、あっという間に忘れ去れてしまいます。そんな時代にあって、人々の心に残り、共感を得て行動を促すような情報も存在します。これこそが「ストーリー」で、著者は「単なる『お話』ではなく、世の中を変える、他人の行動を変えるという意図を持って語られる物語で、かつ拡散力があり、自己増殖能力を持った物語」と定義づけます。 本書ではわくわくするような歴史の物語を題材に、現代のビジネスにおける「ストーリーテリング=物語を紡ぐ」の技法を探り、ストーリーテリングが持つ莫大なエネルギーをビジネスに生かす方法を示します。採用したエピソードは誰もが知るなじみ深いものばかり。まさに本書の根幹を成す、語り継がれてきた優良な「ストーリー」が教材です。それを生み出し、人々に紡がせることに成功した「広報の天才」こそ、現在の日本を築き上げてきた歴史に名を残した人物たちに他なりません。本書で広報やPRに対する新しい視座を獲得し、ストーリーテリングを武器に効果的な情報発信にお役立てください。 -
<石田三成と関ヶ原合戦>西軍惨敗の原因となる三成の四大誤算
なぜ石田三成は大垣城を捨ててまで関ヶ原で野戦に挑んだのかなど、関ヶ原合戦の西軍にまつわる四つの謎について徹底解説。三成が企図していた驚くべき戦略と、西軍敗北の原因が見えてくる。 -
<石田三成と関ヶ原合戦>対照的だった朋友 増田長盛と大谷吉継
石田三成の挙兵に際し、対照的な行動をとった三成の朋友、増田長盛と大谷吉継を紹介! 家康弾劾状の発起人に名を連ねる一方で、家康方と内通していた長盛、友のため病をおして参戦した吉継。三成と共に豊臣政権を支えた二人が道を違えた理由とは? -
<石田三成と関ヶ原合戦>反三成の急先鋒! 加藤清正と福島正則
石田三成ら文吏派と、加藤清正、福島正則ら武功派――豊臣政権の両輪として活躍した彼らは、朝鮮出兵を境に対立。その憎悪は激しく燃え上がり、武功派による三成襲撃事件へと発展してしまう…。政権崩壊を招いた確執の原因を検証する! -
<石田三成と関ヶ原合戦>豊家護持の同志 小西行長と宇喜多秀家
石田三成と志を一つに、豊臣政権の存続に尽力した、小西行長と宇喜多秀家を紹介! 非武士の身分から大身の大名にまで出世した行長、秀吉の養子として厚い寵愛を受けた秀家――豊臣家からの恩顧に報いんと、家康に抵抗した男たちの生き様とは? -
<石田三成と関ヶ原合戦>三成の蹶起は義挙なのか?
日本戦史上最大の野戦、関ヶ原合戦を誘引した石田三成の蹶起を徹底分析! 「専横極まる徳川家康への対抗」「豊臣家の護持」など、義挙として語られがちな三成の行動に、正当性はあったのか? 当時の政治状況を精査し、歴史の真実をあぶり出す! -
<石田三成と戦国時代>激震!関ヶ原合戦 五大老編
豊臣秀吉、前田利家の死後、徳川家康の専横が顕著になるにつれ、五大老は分裂状態に陥った。家康との対決を決意した石田三成は、分裂状態を逆手に取り毛利・宇喜多らを反家康勢力に取り込んでいくが…。関ヶ原合戦に臨む五大老たちの思惑と野望とは? -
<石田三成と戦国時代>激震!関ヶ原合戦 五奉行編
行政手腕に優れ、豊臣政権の中枢を担った五奉行。その中でも秀吉が最も寵愛したのが石田三成である。秀吉の死後も豊臣家に忠誠を誓う三成であったが、他の四人の心は揺れ動いていた…。やがて迎えた関ヶ原合戦、五奉行たちが下した決断とは? -
大いなる謎 関ヶ原合戦
慶長五(1600)年九月十五日、日本国内における史上最大の戦闘、関ヶ原合戦が行われた。動員された兵士数は実に15万人超、全国各地の大名が真っ二つに分かれ、まさに天下分け目の決戦となったこの戦いだが、豊臣政権崩壊の原因から戦後処理に至るまで、合戦の前後も含めて考えると多くの謎が残されたままである。なぜ家康は朝鮮に渡海しないですんだのか、なぜ家康暗殺計画は未遂におわったのか、なぜ上杉・直江は西に向かう家康の背後を突かなかったのか、なぜ秀吉の縁戚である小早川秀秋は裏切ったのか、なぜ敵中突破を図った島津家が本領を安堵されたのか……。本書は通説では語られていない関ヶ原合戦の謎あれこれを新進気鋭の歴史作家が徹底分析。本戦前の家康の虚虚実実の駆け引きの真相から、本戦前後の局地戦にまつわる謎、さらには戦後処理の真相まで新史料をもとに謎を大胆に解き明かす。「関ヶ原合戦」の常識を覆す一冊。 -
大坂の陣までの軌跡 「関ヶ原の敗戦武将のその後」「方広寺大仏殿再建地鎮祭」「“大御所”家康と秀頼が初会見」
関ヶ原合戦で西軍側についた武将に、厳しい処分が下ったときから、大坂の陣勃発は必然であったのかもしれない。豊臣秀頼のカリスマ性を恐れる家康は、大坂方の弱体化を謀って、莫大な数の寺社の造営や修復を奨励した。大坂の陣へといたる長き行程をたどる。 -
大谷吉継の終わらない関ケ原
慶長五年(一六〇〇)九月十五日、関ケ原の戦い――。東軍へ寝返った小早川秀秋の大軍を、大谷吉継は幾度も押し返したが力及ばず、無念のうちに切腹した。しかし、まばゆい光の中で目を覚ますと、目の前にはデウスの姿があった。「大谷刑部少輔吉継、この戦をやり直してみるか」三年前に戻った吉継は、再び関ケ原を戦うことに――。果たして、吉継は小早川の裏切りを防ぎ、盟友・石田三成を勝たせることができるのか!? 失敗しては繰り返し時を遡ることで、見えてきた真実とは! 『実は、拙者は。』で2024年啓文堂書店時代小説大賞、『一遍踊って死んでみな』でSNS推し本大賞2025発掘賞部門を受賞した著者による、タイムループ×歴史小説。文庫書き下ろし。 -
近世日本国民史 徳川家康(一) 家康時代 関原役
秀吉の死後利家また去るや、天下は群羊一虎、家康の存分となる。三成、反対派に追われ佐和山城に屏居、時節到来を俟つ。景勝会津へ帰国。三成、兼続、恵瓊ら黙契神会、奥州不穏。家康東征中における上方事変を予期、悠悠として景勝征討の途につく。時勢正に醗酵、三成ら挙兵、家康の罪状を天下に表白。家康三万余の兵を率いて西上。慶長四年九月十五日、東西両軍十四、五万の兵関ヶ原を中心として屹然として相対峙、激戦の火蓋を切る。(講談社学術文庫)※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。 -
逆撃 関ヶ原合戦
目覚めると軍場だった! 関ヶ原合戦間近の西軍陣内に飛ばされた作家・御厨は、副大将宇喜多秀家の軍師となり、西軍必勝の作戦を立案する。なるか、逆転!? 戦国軍略シミュレーション。 -
逆転大名 関ヶ原からの復活
天下分け目となった関ケ原合戦。東軍が勝利し、西軍の大名のほとんどが所領を没収された。そうした失領大名のなかで、のちに大名として復活をとげた男たちが実在する。ただの牢人に落ちた人間が、再び大名に成り上がる、すなわち「逆転大名」となる。なにゆえ彼らは、“奇跡”を生みだし得たのか? すべてを失ってもまた登ってくる人間とは、いったいどのような人たちなのか? -
黒田官兵衛、一世一代の大博打「九州の関ヶ原」徳川家康との虚々実々
慶長5年(1600)関ヶ原の戦い。豊前中津にいた黒田官兵衛は、自身の夢に向かって大博打を打つべく、九州平定を開始した。密かに臨んだ天下取り。しかし、徳川家康の眼は、その魂胆をも見抜いていた。家康と官兵衛、腹の探り合いのエピソード。 -
経済で謎を解く 関ヶ原の戦い
●なぜ家康は三成に挙兵する隙を与えたのか?●なぜ家康はギリギリまで動かなかったのか?●なぜ三成が西軍を率いることになったのか?●なぜ三成は秀吉恩顧の大名から嫌われ、外様大名から慕われたのか?●なぜ真田は徳川の大軍を足止めできたのか? ──これらの謎も、経済で見ていくとスッキリ解ける! 「関ヶ原」を取り巻く点と点が一本の線になる痛快!歴史読本 -
慶長武士事情関ヶ原以降の浪人問題
天下分け目の合戦、関ヶ原。全国規模で争われたこの合戦で、改易となった大名は88人、減封処分も含めれば、石高の合計は632万石余に上った。その結果、実に10万人以上という浪人を生み出した。慶長年間、最大の案件、浪人問題にせまる。 -
決戦! どうぶつ関ヶ原
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 天下分け目の戦いといわれる「関ヶ原合戦」。慶長5年9月15日(1600年10月21日)、徳川家康が率いる東軍7万5000と石田三成が率いる西軍8万2000が、激突した。 国を二分した大合戦の一日を、作者コマヤスカンが、戦国武将をタヌキやサル、ゴリラなど、どうぶつたちに模し、史実にもとづきながら描く。どうぶつ武将たちのユーモアがいっぱいちりばめられた描写と、形勢が一目でわかる鳥瞰図で、複雑な戦いの模様を、ページをめくりながら面白く理解できる傑作! 関ヶ原合戦を知らない人でも、動物の運動会を見るように楽しめ、気がつけば深く楽しむことが出来るます。同時に、歴史ツウも思わず笑ってしまう仕掛け満載です。 --あらすじ-- 慶長5年9月15日(1600年10月21日)。徳川タヌキ家康率いる東軍と石田サル三成率いる西軍が、岐阜県・関ヶ原に集結した。戦場たちこめた霧がうっすらと晴れたころ、開戦の合図とともに、宇喜多ホーホー秀家、島ゴリラ左近と黒田カラス長政や福島イノシシ正則が激突。両軍一歩も譲らない攻防がくり広げられます。 戦いを左右する、小早川カエル秀秋はどちらの軍につくのか? 毛利ライオン秀元は山を下りるのか? 戦いのゆくえはいかに……。 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。 -
誤解だらけの「関ヶ原合戦」 徳川家康「天下獲り」の真実
慶長五年(一六〇〇)九月十五日、天下分け目の戦いとして、後世に知られ、家康率いる東軍が勝利を得た関ヶ原合戦。日本史上、あまりにも有名なこの合戦の経緯や様相は、小説やドラマで何度となく描かれてきた。しかしながら、それらの劇的なストーリーが、実際に真実に基づくものかどうかは、今もって論争が繰り広げられている。文庫化に際し、ここ数年の「関ヶ原合戦」に関わる最新研究もふまえ、アップデートされた本書が、その真相に迫る。豊臣秀吉没後、歴史は大きく動き出す。五大老のひとり、徳川家康は、いかにして天下獲りの道を歩んだのか。西軍を率いた石田三成、西軍総大将になった毛利輝元、上杉景勝と直江兼続……。相対する東軍の家康に従う井伊直政、本多忠勝ら譜代の家臣、そして福島正則、細川忠興、黒田長政……。さらに、真田家、小早川秀秋らは、どう動いたのか。「東西挟撃策」「小山評定」「石田三成訴訟事件」「直江状」……合戦前後の動静を、良質な一次史料を重視し、丹念に見つめ直し、検証することで、見えてきたのは、決戦前日に東西両軍の勝敗は決まっていたということだった――。 ●目次構成 ●プロローグ 徳川幕藩体制の端緒となった「関ヶ原合戦」の論点 ●第一章 豊臣政権の変質 ●第二章 上杉景勝の覚悟 ●第三章 決起した西軍 ●第四章 輝元、吉継、三成の選択 ●第五章 関ヶ原前夜の攻防 ●第六章 決戦関ヶ原 ●第七章 「関ヶ原合戦」の戦後処理 ●エピローグ 徳川家康「関ヶ原体制」の創出 *本書は、2019年9月にPHP研究所から刊行された『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか』を改題のうえ、加筆・修正したものです。 -
<島津一族と戦国時代>豪胆なる撤退戦 関ヶ原合戦「島津の退き口」
関ヶ原合戦において、思いがけず西軍に参加することになった島津義弘。その上、手勢は一六〇〇という寡兵であった。戦の軍配が東軍に決しつつある中、義弘は薩摩への撤退を決断する。東軍の猛将たちの追撃を振り切ることができるのか? 伝説の退き口を活写! -
<島津と戦国時代>関ヶ原から島津勢はいかに脱出したのか?
関ヶ原の合戦。ついに西軍は総崩れとなった。島津義弘は前進退却戦を決意する。これが「島津退き口」と呼ばれる退却戦の始まりだったのだが、そのルートについては、分かっていない部分も多い。関ヶ原から薩摩へ。島津軍苦難の脱出行をたどる二編を収録。 -
<島津と戦国時代>関ヶ原 島津勢傍観説は本当か?
「島津退き口」。関ヶ原の合戦に名高い島津勢の戦いだが、関ヶ原の戦いの最中において、島津勢は何もしなかったという説が根強くある。それは本当のことなのだろうか?島津側の史料を検討するなかで浮かび上がってくる、巷説とは違う事実とは一体何か。 -
新視点で読み解く! 関ケ原合戦と大坂の陣
小山評定はなかった? 徳川家康は豊臣家を潰したかったのか? 豊臣秀頼は本当に凡愚だったのか? 最新研究から見た、二大合戦の“新常識”とは――。関ケ原合戦と大坂の陣は、乱世を終わらせたという点で極めて重要な戦いだ。しかし研究の進展によって、その捉え方は大きく塗り替えられつつある。本書は、関ケ原合戦と大坂の陣を語るうえで、新たな視点をもたらしてくれる15の論考を収録。二大合戦における“新常識”を知ることができる一冊。 【内容】第I部 関ケ原合戦 ●小山評定と問い鉄砲はなかったのか? 関ケ原をめぐる論点:笠谷和比古 ●家康を「天下人」へと押し上げた5つのターニングポイント:黒田基樹 ●石田三成、毛利輝元……西軍を主導した男たちの思惑:光成準治 ●一貫した東軍ではなかった? 加藤清正と鍋島直茂の真意:光成準治 ●決戦地の「地形」を読み解く! 勝敗を分けたものとは:谷口研語 ●徳川軍団は何をしていたか……「天下分け目」の舞台裏:橋場日月 ●「北政所」と「淀殿」の敵対説は事実なのか:福田千鶴 ●伊賀者、甲賀者……「必要不可欠」とされた忍びの任務とは:山田雄司 ●東軍勝利の陰で……戦いを左右した語られざる要因:小和田哲男 第II部 大坂の陣 ●徳川家康は本当に豊臣家を潰したかったのか:笠谷和比古 ●開戦への導火線となった決別……茶々と片桐且元の苦悩:黒田基樹 ●豊臣秀頼は凡愚だったのか? 家康に対峙した青年の真実:福田千鶴 ●意外な武将が大坂方にいた! 裏事情があって戦いに臨んだ男たち:橋場日月 ●世界史からの随想――キリシタン武士が全滅、日本人らしさはかくして守られた:荒山徹 ●小堀遠州の書状が語る「大坂幕府構想」:跡部信 -
壬申の乱と関ヶ原の戦い――なぜ同じ場所で戦われたのか
古代最大の内戦・壬申の乱、室町幕府を確立させた中世の戦闘・青野ヶ原の戦い、近世最大の会戦・関ヶ原の戦い。三つの戦いはいずれも同じ地(不破=青野ヶ原=関ヶ原)で行なわれた。なぜ、この地だったのか? そして、その結果が歴史を大きく動かしたのはなぜなのか? この謎解きに、中世政治史を専門とする著者が挑む。歴史の醍醐味を味わえる、スリリングな1冊。 -
[図解]関ヶ原合戦までの90日
関ヶ原の合戦というと、慶長5年(1600)9月15日の決戦が多くの書籍をはじめ、ドラマや映画になっている。しかし、この戦いの勝敗は当日の決戦で決まったのではない。むしろ、それ以前の東西両陣営の知略戦で既に決していたのである。本書はこうした視点から、決戦の90日前にまでさかのぼり、時間の経過を追いながら東西両軍の駆け引き、前哨戦を詳細にたどったものである。たとえば50日前には、東北の伊達政宗が突如西軍方を襲った「白石城の戦い」が、35日前には、加賀前田の大勢力を大谷吉継が知略で翻弄した「浅井畷の合戦」が、20日前には、西軍の関ヶ原進出を伊勢の小大名たちが足止めした「安濃津城の合戦」などが起こっている。これらが決戦に向けての「伏線」となった。本書は決戦当日の経過はもちろん、合戦後に勃発した戦いや論功行賞までフォローしており、一大合戦の全貌がまるでドラマを観るように面白く理解できる。 -
関ヶ原合戦・あの人の「その後」
天下分け目の関ヶ原――日本を二分した空前絶後の大合戦には数多の武将が関与した。しかし、激戦を生き延びた者たちの「その後」は実に千差万別である。いち早く東軍参加を表明したにもかかわらず、戦後、家康に疎まれて没落した福島正則。一方、西軍に加担したために所領を失い浪人の身となりながらも、その後の努力で信頼を回復し、大名に返り咲いた立花宗茂。はたまた、天下取りの野心を捨て去ったかのごとく、グルメ三昧に走って生き残った伊達政宗などもいる。本書では、論功行賞に授かった者、減封・改易に処せられた者はもちろん、寝返り組や各地の緒戦で奮闘した者、東西で袂を分けた親子、さらには舞台裏で戦乱の渦に巻きこまれた女性たちまで、気になる「あの人」の合戦後の人生を紹介する。それぞれの人物が歩んだのは、易き道か、それとも茨の道か? 山あり谷あり大逆転あり……、波瀾万丈の知られざる「ドラマ」に迫る! -
<関ヶ原合戦>合戦前夜! 豊臣政権崩壊と上杉攻め
豊臣政権の崩壊、家康による上杉攻め――天下分け目の関ヶ原合戦直前、決戦の勝敗を左右した二つの事件を検証! 政権崩壊の決定打、石田三成の失脚の原因とは? 上杉攻めのきっかけとなった直江状の真偽、戦局にも影響を及ぼした真田父子裏切りの理由とは? -
<関ヶ原合戦>決戦場に残る三つの謎
徳川家康はなぜ息子・秀忠の軍勢を待たずに開戦に踏み切ったのか?桃配山の布陣の実態は?剛勇毛利秀元が選んだ、島津以外の、もう一つの「退き口」とは?遂に開戦した関ヶ原の戦い。定説に疑問を呈しながら、決戦場に残った三つの謎を読み解く。 -
<関ヶ原合戦>結束を欠いた連合 西軍武将列伝
天下分け目の関ヶ原合戦において、石田三成率いる西軍に参じた武将たちを紹介! 友情に殉じた大谷吉継、豊家護持を誓う宇喜多秀家、主家存続のため家康に内通した吉川広家、はからずも西軍に参じた島津義弘――関ヶ原に武将たちの思惑が交錯する! -
<関ヶ原合戦>死中に活あり! 東西武神列伝
天下分け目の関ヶ原、東西両軍合わせて二〇万もの将兵が干戈を交えた血戦に、命を賭けて臨んだ歴戦の勇士たちを紹介! 可児才蔵、後藤又兵衛、島左近ら豪傑たちは戦場という死地に何を見出したのか? 戦うために生まれてきた男たちの生き様に刮目せよ! -
<関ヶ原合戦>生に固執した五人の男
天下分け目の関ヶ原合戦において、本戦からは距離を置き、あくまで生に固執した増田長盛、長束正家、前田玄以、片桐且元、毛利輝元。豊臣政権下、それぞれ要職にあった五将は、なぜ傍観を決めたのか? 当時の状況から、五人それぞれの胸中を推察する! -
<関ヶ原合戦>迫る決戦 戦略・戦術上の謎
家康が小山評定後すぐに西へ向かわなかったのは?関ヶ原の戦いの前哨戦、岐阜城はなぜ、わずか二日で陥落したのか?小早川秀秋の松尾山占拠と寝返りは?定説に疑問を呈しながら、間近に迫った関ヶ原の決戦を前に繰り広げられた諸将の戦術・戦略の謎を読み解く。 -
「関ヶ原合戦」の不都合な真実
日本史において“最も著名な戦い”である関ヶ原合戦――。豊臣家から徳川家に天下人が移行し、江戸開府への道が開かれた頂上決戦だ。この天下分け目の戦いで、「徳川家康は勝つべくして勝ち、石田三成は負けるべくして負けた」と語られるのが定番だが、果たして真実だろうか? 実は、関ヶ原合戦ほど、江戸時代に創られた“後世の脚色”が現代にまで流布している戦いはない。三成たち西軍諸将は、家康の掌で動いていたのではなく、本当は家康こそが、三成の掌で動かされていたのだ。本書は、大誤算だった家康の小山評定、領土拡大に野心満々の毛利家、消滅の危機だった上杉討伐軍、開戦と同時に西軍を裏切った小早川秀秋、家康が江戸から1ヵ月近く動けなかった窮状の理由など、予定調和のストーリーに隠されていた「不都合な真実」を明らかにする。天下をめぐる、逆転に次ぐ大逆転――。家康は“賊軍の将”に転落し、絶体絶命だった!? -
関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実
三成と上杉の「挟撃策」、午前中は押し気味だった西軍、迷う小早川秀秋……。通説の「関ヶ原」は完全に覆った! 豊臣秀吉の死後、天下を狙う徳川家康。一方、豊臣政権を守ろうとする石田三成は、上杉家の直江兼続とともに家康を東西から挟撃する策を練る。さらに関ヶ原で西軍は、後年、ドイツのメッケルに「西軍勝利」と言わしめたほど見事な布陣をし、東軍と互角以上に戦いながらも、小早川秀秋の裏切りで敗れた……。小説やテレビドラマ、映画等でおなじみのこれらの逸話は、後世に編纂された二次史料から生まれたフィクションであった。では、同時代の一次史料から関ヶ原合戦を眺めたとき、何が見えてくるのか。最新の研究を踏まえて、従来の関ヶ原のイメージを完全に覆す書。 -
関ケ原コンティニュー 分冊版
豊臣秀吉亡き後、虎視眈々と天下をうかがう徳川家康の東軍と秀吉の懐刀・石田三成率いる西軍が関ケ原で激突した。世にいう「関ケ原の戦い」である。その決戦前夜、三成の本陣に招集された諸将(小西行長・大谷刑部・島左近・島津豊久ら)が結束のために行長が持参した葡萄酒で乾杯し、西軍勝利を誓う。戦いは西軍有利に進んだものの、相次ぐ味方の東軍への寝返りで西軍の主力部隊がことごとく壊滅。わずか半日で三成の西軍は敗走する。一方、島津豊久は伯父の義弘を薩摩に逃がすべく自らが囮となり、東軍の鉄砲隊の前に力尽きるが…… -
関ヶ原 島津退き口 - 義弘と家康―知られざる秘史 -
西軍が敗走するなか、島津義弘率いるわずかな軍勢は故国をめざし、敵中突破を敢行する。 それはまさに決死の軍事行動、世に名高い、“島津の退き口”である。 残された兵士の手記をはじめ、数多の史料をひもとき、世界史でも前代未聞の前進退却戦の全貌を描く。 なぜ、かくも少数の将兵のみで関ヶ原に参戦していたのかという疑問、義弘と家康の、じつは密接な関係、退き口を彩った人物などに触れる。 日本戦史上、奇跡的な脱出行、“島津の退き口”の全貌に迫る決定版。 後世の日本人に伝えたい戦国リアルドキュメント。 ※本書は、2013年11月に刊行された『関ヶ原 島津退き口』(学研M文庫)を大幅に加筆修正したものです。 【目次】 はじめに 『旧記雑録』の世界 第一章 関ヶ原前夜の島津氏 第二章 義弘はなぜ西軍に加わったのか 第三章 島津勢は二番備えだった 第四章 退き口決行──前代未聞の前進退却戦 第五章 島津勢の退き口ルートを探る 第六章 亀寿奪還から帰国へ 第七章 退き口を彩る人物列伝 おわりに 退き口の総決算と義弘のその後 補論 家康と島津氏の意外に深い関係 【著者プロフィール】 桐野作人(きりの・さくじん) 1954年鹿児島県生まれ。歴史作家、武蔵野大学政治経済研究所客員研究員。 歴史関係の出版社編集長を経て独立。 戦国・織豊期や幕末維新期を中心に執筆・講演活動を行う。 主な著書に、『織田信長―戦国最強の軍事カリスマ』(KADOKAWA)、『本能寺の変の首謀者はだれか』(吉川弘文館)、『真説 関ヶ原合戦』(学研プラス)、『島津義久』(PHP研究所)、『さつま人国誌 戦国・近世編』(南日本新聞社)など。 -
関ヶ原で待ってるわ
第一回「ラノベ作家になろう大賞」入賞作品がついに書籍化。戦国ゲームを舞台にと美少女たちとの恋のバトルがいざ、はじまる!! 高校生の島大介にはもう一つの顔があった。 VRMMO(仮想現実大規模多人数オンラインゲーム)「戦国リターンズIF」で勇猛な武将にして軍師の「島左近(しまさこん)」として名を馳せていた。 ある時、戦いで勝利を収めた後に、「石田美鳴(いしだみなり)」と名乗る女の子に「関ヶ原の戦いで勝ちたいので家来になって欲しいと頼まれる。実際に会った美鳴は清楚な美少女。戦いで勝利したら「自分を1日だけ自由にしていい」という条件につられ大介は家来になることを承諾する。 ところで---------なぜ、美鳴は左近を仲間に引き入れたのか? 実は、関ヶ原の戦いは美鳴にとって一ゲームの勝ち負けを遥かに超えるミッションがあった。 そのミッションとは一体!? 第一回「ラノベ作家になろう大賞」入賞作品が書籍化。戦国ゲームと美少女たちとの恋のバトルがいざ、はじまる!! 九重 七六八(ココノエナロヤ): 愛知県在住。本作にてデビュー。 シコルスキー:イラストレーター。 -
関ヶ原の戦い 人物大事典
※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 敵か、味方か? 全国各地で繰り広げられた「関ケ原の戦い」人物事典登場! 人気ゲーム「戦国無双」シリーズのコーエーテクモゲームス全面協力による 「天下分け目の一大決戦」に挑んだ武将人物大百科! 岐阜関ケ原古戦場記念館館長にして数々の大河ドラマの時代考証を手掛ける 戦国史研究の第一人者・小和田哲男静岡大学名誉教授、監修! イントロダクション 関ヶ原への道のり 〇豊臣秀吉の死、直江状、会津征伐、三成挙兵 第一部 関ヶ原本戦 〇関ヶ原本戦 人物ファイル ・東軍 徳川家康 井伊直政、福島正則、浅野幸長、黒田長政、後藤又兵衛、細川忠興、藤堂高虎、山内一豊、本多忠勝ほか67名 ・西軍 石田三成 島左近、大谷吉継、小西行長、宇喜多秀家、安国寺恵瓊、毛利勝永、島津義弘、長宗我部盛親、小早川秀秋ほか50名 第二部 東日本編 〇東北戦線 人物ファイル ・東軍 最上義光、伊達政宗、片倉景綱ほか31名 ・西軍 上杉景勝、直江兼続、前田慶次ほか28名 〇関東戦線 人物ファイル ・東軍 結城秀康、小松姫ほか22名 ・西軍 佐竹義宣、佐竹義重ほか6名 〇信濃戦線 人物ファイル ・東軍 徳川秀忠、本多正信、榊原康政、真田信之ほか37名 ・西軍 真田昌幸、真田信繁ほか6名 〇北越戦線 人物ファイル ・東軍 堀直政ほか17名 ・西軍 丹羽長重ほか7名 〇東海戦線 人物ファイル ・東軍 水野勝成、津軽為信ほか22名 ・西軍 九鬼嘉隆ほか25名 第三部 西日本編 〇近畿戦線 人物ファイル ・東軍 細川幽斎、細川ガラシャほか16名 ・西軍 豊臣秀頼、淀殿、毛利輝元、片桐且元、立花宗茂ほか41名 〇中国四国戦線 人物ファイル ・東軍 木下延俊ほか4名 ・西軍 村上武吉ほか9名 〇九州戦線 人物ファイル ・東軍 黒田官兵衛孝高、母里友信、加藤清正ほか15名 ・西軍 鍋島直茂、島津義久ほか23名 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。 -
<戦国時代>関ヶ原決戦後の三つの謎
天下分け目の決戦となった関ヶ原の戦いで東軍に惨敗した西軍。その後、「三成の過ぎたるもの」と謳われた佐和山城と島左近はどうなったのか? また小早川秀秋の寝返りに大きな影響を与えたといわれる未亡人・北政所が決戦後にとった不審な行動の目的とは? -
装甲空母「関ヶ原」
もはや日米開戦は不可避。苦悩の色を濃くする連合艦隊首脳部の前に、吉凶の判断のつかぬ連絡が入った。横須賀沖に、謎の航空母艦が突如現われたという。飛行甲板に日の丸を背負ったその艦は、装甲空母『関ヶ原』と名乗り、対爆撃防御としてアングルド・デッキ(飛行甲板)を装甲化した本格派攻撃型航空母艦だった。昭和16年、日本海軍技術陣には発想すら不可能な超空母であり、第7の空母として帝国海軍に編入された。この艦を建造したのは、沖縄にある民間造船企業の『那覇ドック』。その社長・轟木真之介の思惑は何処にあるのか、そして謎に包まれた行動…。機動部隊の一員として勇躍太平洋に赴いた装甲空母『関ヶ原』は反復攻撃を敢行、真珠湾全域を焼き焦がす。そして今、怒りに燃えたハルゼィ提督の『エンタープライズ』を旗艦とする米艦隊とハワイ沖において、日米空母艦隊が正面激突する。 -
「その後」が凄かった!関ヶ原敗将復活への道
日本の勢力地図を大きく変えた西暦1600年の「関ヶ原の戦い」。 徳川家に敵対した大名は100家近くに及ぶ。 敗者へは主に「改易」という厳しい処分が待っていた。 だが、己の才覚と努力、そして運でもって、 再び大名の座に返り咲いた者がいた! 豊臣秀吉から疑いをかけられ所領を削減され続け、 関ヶ原合戦時、浅井畷で私怨により徳川方の前田家と戦い、改易。 しかしその後、奇跡の10万石に復活した丹羽長重。 豊臣秀吉の特別な計らいで大友家から独立して大名に取り立てられるも、 関ヶ原合戦時、西軍が負けるとわかっていながら味方をし、改易。 しかしその後、旧領である筑後・柳川の大名に復活した立花宗茂。 一部の関ヶ原敗戦大名は、なぜ再び大名に復活できたのか? そこには敗者ならではの矜持、そして生き残るための器量と処世、 そして運をつかむ能力があったのである! 現代人も時代が違うとはいえ、挫折や左遷など憂き目にあうことも多い。 また昨日の勝者も、明日には敗者になる可能性すらありうる。 逆境にあっても、なお信を貫き、強く生き抜く術は、 戦国時代の「敗者」から学べることが多いであろう。 本書は大河ドラマ時代考証で有名な著書による、 現代人にも通じる異色の歴史教養本。 ◎豊臣家への恩から敵対し改易となるも旧領の柳川の大名に復活した「立花宗茂」 ◎前田家との確執で失領するも秀忠との縁で返り咲いた「丹羽長重」 ◎復活への執念が強く十数年間の運動が奏功した「岩城貞隆」 ◎福島正則との「コネ力」を活かして復活した「来島康親」 etc. -
賊軍の将・家康 関ヶ原の知られざる真実
天下人は歴史を都合よく書き換える! 様々な史料から浮かび上がる“関ヶ原”の知られざる真実とは? “天下分け目の関ヶ原”。 東軍総帥・家康が、周到な準備のもと勝つべくして勝ったという予定調和のストーリーで描かれるが、それは必ずしも事実ではない。後日、徳川政権によって創作されたものだ。 この戦における“官軍”は西軍であり、それまで豊臣内閣筆頭として官軍を率いていたはずの家康は“賊軍の将”に転落、絶体絶命の窮地に追い込まれる。 必死の巻き返しにより起死回生の逆転勝利を収めることで「勝てば官軍」となったにすぎないのだ。 そもそも西軍の総帥は石田三成ではない。あくまでも家康対毛利輝元という豊臣家五大老同士の戦いであり、家康に戦いを仕掛けた西軍の謀主は、三成ではなく、輝元だった。 いわば五大老という五大(老)派閥による“天下人・秀吉”の後継を争う総裁選であり、家康よりも所属議員数で劣っていた輝元は、他派閥との連合によって五大老筆頭の家康を蹴落とし、次期総裁の座に就こうと目論んだ。 そのため、総裁(秀吉)派閥の事務局長ともいうべき三成を味方に引き入れたが、総裁派閥に属する福島正則たち豊臣家諸将のみならず、毛利家本体も家康側の切り崩しにあう。そして関ヶ原の戦いの前日、輝元は戦わずして家康に屈服する。翌日、何も知らない三成は、敗者となって賊軍の将に転落したのだ。 本書は、定評ある歴史研究家が、合戦当日までの諸将の思惑を丹念に拾いながら、輝元の野心が家康一強の政治体制誕生への道筋を早めた複雑怪奇な過程を追い、関ヶ原の戦いの知られざる実像を描き出す歴史ノンフィクションである。 -
戦いまでの経緯と勝因敗因分析「関ヶ原の戦い」
「軍下手」の石田三成が、強者である徳川家康に挑んだ、関ヶ原の合戦は、本当に無謀な戦いだったのだろうか。調略・計略に長けた三成のもとに、なぜ8万を超える軍勢が集まったのか。関ヶ原までの経緯と合戦模様、そして三成の悲劇を丹念に描きだす。
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