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★再読
リラ・キャボット・ペリー
芥川龍之介とか中島敦とかは文章量少ないけど重い気がする
アレキサンドル・デュマが芸術性がない大衆小説家ってほんと分かる。モンテ・クリスト伯とか長いから躊躇するけど、読んでみると意外と軽くて面白いんだよね。文章量が多いから重いとは限らないと思う。
中野 京子
(なかの きょうこ、生年不詳)は、日本の作家[1]、ドイツ文学者[2]、西洋文化史家、翻訳家[3]。北海道生まれ[4]。1979年、早稲田大学大学院修士課程修了[5][6]。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する[7][8]。早稲田大学講師[9][10]。『怖い絵』シリーズの刊行10周年を記念して2017年に開催された「怖い絵」展では、特別監修を務めた[11][12][13]。2021年9月に開催された「怖いクラシックコンサート」(東京文化会館)での解説[14]、2022年3月公演の舞台「怖い絵」の監修[15][16]、同年7月上映の「星と怖い神話 怖い絵×プラネタリウム」の監修・解説を担当した[17][18]。
「 貧困家庭に生まれたルソーは、五年の兵役を務めた後に下級役人となり、日曜画家を始めた。一度も正規の美術教育は受けていない。五十歳前に退職し、自己認識としてはプロの画家になったが、ほとんど売れなかったから年金生活者という方が正確だろう。評価したのはピカソ(さすが!)などごくわずかで、常に嘲笑の的だった。階級の低い画家に対する、批評家たちの侮りもあっただろうが、今となっては、ルソーの飛びぬけた空想力や個性的な表現に時代が追いつけなかったというだけだ。 美術史においてルソーは「素朴派」に分類されている。一生懸命描いた童画風ではあり、全て自己流、テーマ性にも乏しく、子どもが描いたような作品のイメージから、ルソー自身も素朴な人柄と思われている。 だが実際には単なる無邪気なお人好しというわけでもなかった。十九歳の時に窃盗罪で捕まったこともあるし、六十五歳(本作を描いた二年後)で手形詐欺事件に連座し、執行猶予付き懲役刑と罰金を言い渡されている。主犯ではなかったが、手に入れた金は使っていたからだ。 しかも熱帯を舞台にした数々の自作について、軍隊時代に中米へ行った時の記憶だと語っていたが、実際には一度もフランス本国を離れたことはなく、パリの動物園や植物園でのスケッチをもとにしたのがわかっている。蛇使いも、当時パリに来ていたサーカスで観たのを参考にしたらしい。 素朴な絵を描く複雑な人物、ルソー。彼が描いた蛇使いは横笛でどんなメロディーを奏でていたのだろう。内耳しか持たない蛇にメロディーはわからず、全身で音の振動を感知するだけということを、ルソーは知っていたのだろうか。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「こうした大きな鳥に比べ、一般に小さな鳥の鳴き声のほうが人間の耳に心地よい。それにはちゃんと理由があり、スズメ目の鳥は喉の鳴管が複雑な上、その器官の両側面も自在に動かせるので、鍛え抜かれたオペラ歌手さながら、多彩でメロディアスな美声を出すことができるという。 ベートーヴェンの第六交響曲『田園』は、クラリネットがカッコーを、フルートがナイチンゲールを、オーボエがウズラの鳴き声を再現している。ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲『四季』の第一番「春」にも、小鳥たちのさえずりを模したうっとりするような調べが流れる。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「幸いにも普通の人間は、陽気一辺倒の音楽を聴き続ければ飽きるし、哀愁一筋の音楽を聴き続けても飽きる。これまでどおり、喜びと悲しみの間を行き来して生きるのが健やかさの秘訣のようだ。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「「音楽は霊魂を高めるような働きをする、と人はいいますが、それはノンセンスです。でたらめです!」「人は音楽の力に釣られて、じっさい自分の感じないことを感じ、自分の理解しないことを理解し、自分の出来ないことも出来るような気がするのです」」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「絵画においては、楽器は一般に美徳より悪徳を象徴することが多い。耳の快楽、即ち感覚的悦びに奉仕するツールだからだ。性に関しては禁欲的だったトルストイの考え(実際は別)に近い。 イタリア・ヴェネチア派を代表する巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ( 1490頃 ~ 1576)は、そうは考えていなかったようだ。芸術が官能的で何が悪い、と言わんばかりに、数々のエロティックな作品を量産した。そしてそれは、ヨーロッパ中の王侯貴族の求めでもあった。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「スイス人画家アーノルド・ベックリン( 1827 ~ 1901)は、ヨーロッパ中を転々と移り住みながら絵を描いた。今では象徴主義絵画の代表者の一人とされるが、イタリアで描いた『死の島』が好評を博すまでは、さほど売れない貧乏画家だった。 その『死の島』の八年前、四十五歳の時にドイツで制作した『ヴァイオリンを弾く死神との自画像』は、初めてミュンヘン美術館に展示されて注目された作品だ。ほぼ同じころ、パリではモネの『印象―日の出』も発表され、こちらはさんざんな悪評だったのは周知のとおり。いずれにせよこれ以降、印象派の画家たちもベックリンも――方向性は全く異なりはしたが――徐々に名声を高めてゆく。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「画中のベックリンは仕事中にもかかわらず、黒いサテン地で縁取りした同色の上着の下に高衿の白シャツという、エレガントな服装に身を固めている。左手にパレット、右手に絵筆。絵筆の先にはブルーの絵の具が付いている。 彼の視線は目の前のキャンバス、ないしモデルに注がれているが、ふと耳元に響く音色に気づき、少し不自然な形で首を傾けたところだ。ただしヴァイオリンを弾く骸骨の姿は、彼には見えていない。見えていないが、忍び寄る死は意識させられたに違いない。なぜなら死神とともにある人物像は、「メメント・モリ( =死を忘れるな)」という伝統的主題であり、本作もまさにそれだからだ。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「どんな芸術家でも、自分が生み出した作品が時空を超えて生き残るかどうかを気にするものだ。生きている間だけもてはやされ、死後あっという間に忘れられた芸術家は数えきれないが、自分はそうはなりたくない、墓に入っても歌い続けたい、と。 作家のエピソードを最後に一つ。『三銃士』などを書いた作家アレクサンドル・デュマ(大デュマ)は生前、批評家たちから芸術性の欠片もない単なる大衆小説作家と見下され、多作であることを「デュマ工場」とからかわれていた。晩年、気が弱くなり、自分が死んだら作品は完全に忘れ去られるだろうと落ち込んでいると、息子の小デュマ(『椿姫』の作者)が、「お父さん、これでも読んで元気を出してください」と一冊の本を渡した。 読み終わったデュマは、「すばらしい、こんな面白い本をいったい誰が書いたんだ?」と聞いた。もちろん息子の答えはこうだ――「お父さん、あなたですよ」。 批評家が何を言おうとも、デュマの小説が今なお世界中で愛読されていることは事実だ。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「三味線が愛好されたのは、扱いやすさと弾きやすさはもちろん、派手な甲高い音と地味な渋い音の両方を出せて艶っぽいところにある。歌舞伎や遊女屋に無くてはならぬ楽器であり、素人でも男女問わず習い事の上位にくるほどで、どの町にも必ず三味線の師匠がいると言われた。そして師匠の中の相当数が盲人だった。「風が吹けば桶屋が儲かる」という江戸のことわざはここから生まれており、風が吹いて砂埃が舞えば盲人が増える、盲人が増えれば三味線が売れる、三味線が売れれば猫が減る、猫が減ればネズミが増える、ネズミが増えれば桶が齧られて使い物にならない、だから桶屋が儲かる――という論法だ。 目が見えないという大きなハンディキャップを負いながら、江戸や大坂などの大都市に定住し、三味線を教えて生計を立てられたのは歌も演奏も秀でていたからだが、運もあったに違いない。もし僻地の極貧の生まれだったら、按摩か瞽女になる他なかっただろうから。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「作曲家は当初自分で羽根ペンを使って一本一本長い線を引いていたが、そのうちフォーク状の線引き用筆記具が生まれて楽になり、その後はグーテンベルクの活版印刷の普及によって五線紙が売り出され、線引きの手間が完全にはぶけるようになった。 そこで大バッハのエピソード。 ある時、バッハは合唱隊のひとりと一触即発になり、その男から顔を殴られかけて咄嗟に小型ナイフで応戦した。ただしそのナイフは武器として携帯していたわけではない。当時は五線譜の紙が分厚かったため、倹約家の彼は書き直しの際に小型ナイフで紙の表面を削り、いわば消しゴム代わりにしていた。たまたまこの時持っていたので相手に見せて威嚇した、ということらしい。五線譜のおかげで殴られずに済んだという次第。 他方、バッハより一世紀ほど前のイタリア人画家カラヴァッジョ(本名ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ、 1571 ~ 1610)は、「たまたま」ではなく、外出の際は「常時」――騎士でもないのに――帯剣していた。むろん喧嘩用である。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「「線のフィレンツェ、色のヴェネチア」と言われたように、空のすがすがしい青さはもちろん、人々の衣装が実に目も綾なアラベスクだ。ほぼ黒一色の僧服の修道僧たちの目に、さぞや眩しく映ったに違いない。その上に音楽だ。なんといっても本作で一番目立っているのは楽士たちなのだから。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「 その様子をグスタフ・クリムト( 1862 ~ 1918)が、『ピアノを弾くシューベルト』で夢幻的に描いている。ただしリアルタイムだったホーゼマン作品とは異なり、この絵はシューベルト生誕百年を記念して描かれた。一度も会ったことのないシューベルトを、クリムトは肖像画などをもとにロマンティックな靄の中に再現しようとしている。ずんぐりむっくりで風采のあがらなかったシューベルトなので、「リスト・マニア」のような女性たちが存在しようもなく、逆にだからこそ純粋に彼の音楽だけに集中できたのかもしれない。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「リストの端整な顔立ち、スリムな体形、繊細で長い指、「ピアノの魔術師」の異名をとる超絶技巧の演奏テクニック……女性たちが陶酔したのは無理もなく、行く先々に今で言う「おっかけ」が群がった。「リスト・マニア」と呼ばれた彼女たちの中には演奏中に失神する者もいたというから、プレスリーやビートルズに対するファンの熱狂とあまり変わらなかったようだ。 二十八歳のリストを、ドイツの風刺画家テオドール・ホーゼマン( 1807 ~ 1875)がイラストにしている。タイトルは『コンサート会場にて』。 長髪のリストは整った横顔を見せ、長い両腕をしなやかに動かす。右手を鍵盤の上で走らせながら、左手を上げ、画面右の女性に微笑みを送っているようだ。彼女は今にも舞台に上がり込む勢いでリースを振り、生花がピアノの上を舞い散っている。父親か、ひょっとすると夫が、それ以上の行為を止めようと必死に彼女を押し留めている。実際、リストは二十三歳の時に人妻とスイスへ逃避行したことがあった。自分にもチャンスがあるかもしれないと期待するファンもいたのだろう。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「カストラートの「天使の歌声」は、だがたちまち人の心を摑み、教会よりもっと儲かるオペラの分野へ進出してゆく。もちろんカストラートが演じるのは、声は高音でも女性役ではない。ギリシャ神話の神や英雄、また歴史上の人物たちだったから、女性ソプラノ歌手とかぶることもない。私生活では子供を作ることができないので結婚は教会に許されなかったが、セックスは可能だから人気カストラートの女性関係は派手だった。 貧しさに喘ぐ庶民の親が少し歌の上手な我が子を一か八かでカストラートにする例がほとんどだった中、ファリネッリは珍しく下級貴族の出身だった。父親が急死し、家が貧窮したため、やむなく十二歳で去勢されたという。処置には薬剤が使われたらしい(カストラートの詳細は拙著『怖い絵/死と乙女篇』〈角川文庫〉参照)。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「だが彼らの誰も、その目で実際に日本を見た者はいない。遠いということもあろうが、ゴッホ以外は本気で訪日したいと願う者はいなかった。エキゾティックなイメージの中の日本で十分――それが本音だったのだろう。 そんな中、印象派のうちただ一人、当時の日本に三年も滞在し、日本の風物や日本人の姿を描いた画家がいた。アメリカ女性リラ・キャボット・ペリー( 1848 ~ 1933)だ。同じアメリカ印象派の女性画家メアリー・カサットほど知名度は高くないが、カサット同様、アメリカに広く印象派を伝えた一人である。 ボストンのエリート階級出身のリラ・キャボットは二十六歳でハーバード大学講師ペリーと結婚、三人の娘をもうけた。ちなみに夫のペリーは黒船で日本を開国させたペリー提督の甥の息子にあたるので、日本とは縁があったのだろう。一八九八年、彼は慶應義塾大学の英文学教授として、家族ともども東京に招聘された。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著
「敬虔なプロテスタント国オランダは奢侈を戒め、若い娘であっても黒っぽい服が主流だった。その代わり、内側は派手めで、ちらりと覗かせるのが、いわば「粋」とされた。ヴァージナルの彼女は、黒いスカートをかなりたくしあげ、下のもう一枚の赤いスカートを堂々と見せている。情熱の色だ。」
—『名画で読む「音楽の秘密」』中野京子著