あらすじ
炒米粉、魯肉飯、冬瓜茶……あなたとなら何十杯でも――。
結婚から逃げる日本人作家・千鶴子と、お仕着せの許婚をもつ台湾人通訳・千鶴。
ふたりは底知れぬ食欲と“秘めた傷”をお供に、昭和十三年、台湾縦貫鉄道の旅に出る。
「私はこの作品を過去の物語ではなく、現在こそ必要な物語として読んだ。
そして、ラストの仕掛けの巧妙さ。ああ、うまい。ただ甘いだけではない、苦みと切なさを伴う、極上の味わいだ。」
古内一絵さん大満足
1938年、五月の台湾。
作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。
現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴とともに、
台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。
しかし、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子は焦燥感を募らせる。
国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差―――
あらゆる壁に阻まれ、傷つきながら、ふたりの旅はどこへ行く。
感情タグBEST3
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日本統治下の台湾を舞台に、日本人作家と台湾人通訳の女性二人が鉄道で旅をする物語。
台湾各地の料理が次々に登場するグルメ小説であり、鉄道小説であり、女性二人の友情、あるいは友情だけでは言い切れない感情を描いた物語でもある。しかし読み進めるうちに、その背後にある「統治する側」と「統治される側」の埋めがたい距離が見えてくる。
同じ列車に乗り、同じ景色を眺め、同じものを食べることで二人の距離は近づいていく。それでも二人がまったく同じ場所に立つことはできない。
いくつもの読み方が重なり合う、重層的な歴史創作小説。台湾料理を楽しみながら読み始め、最後には植民地支配とは何だったのかを考えさせられた。
Posted by ブクログ
魅力的な台湾飯の数々
いますぐにでもこの本持って台湾に行って片っ端から
台湾飯を食べてみたい
台湾の地元料理の小説ではなく
二人の女性の物語
歴史と鉄道も絡みあうストーリー
ああ、そういう話でしょって単純に考えた自分は傲慢だ
自分の中の世界でしか物事を見ることができてなかった
そんな単純な話じゃないんだよこの小説は
相手の立場に立って考えることの難しさを再認識
頭ではわかっていてもその人の立場にたつなんてすぐにはできない
時間かけても上っ面だけ
心にがつんとくる衝撃や本音を心えぐられながらも知ることで
やっとその人の考え方や立場を知ることができるのだろう
言わないとわからない
国が違えば立場もちがうのなんて当たり前なのに
頭で考えてるだけだからそりゃ理解できない
百合小説っていうんですね
Posted by ブクログ
昨年台湾に行った時に、楊双子さんの「四維街一号に暮らす五人」を読み、大変面白かったので帰国後こちらも購入。
前半は台湾の食べ物が次から次へと。
この時代に女性が一人で台湾に1年も滞在することができたのかなぁという疑問を抱きつつ読んでいたら、モデルがいたのですね。その件はあとがきに書いてあります。
楽しく読み進めていたけれど、徐々に雲行きが怪しくなり、千鶴との関係がうまくまわらなくなってくる。私は千鶴子と同じくのんきになんでかなーと思いつつ読んでいたけれど、美島とのくだりでガツンとくらいました。
そんなの立場を変えてみれば考えるまでもないことなのにね。
北海道の北の北出身の私は、台湾を日本、日本をソ連に置き換えて、想像してみました。北海道にロシア人がたくさん住み、各地にたまねぎ屋根の正教会がある光景を。それをロシアの旅人が、ロシアのおかげでこんなすてきな教会ができたと言っているところを。
北海道にいらないよね。私たちの宗教じゃないもの。
傲慢になっていないか、常に自分の言動を自分でチェックしなければと気付かされました。
Posted by ブクログ
主人公のふたりを通して、支配する側とされる側の不平等、当たり前と思うことの怖さについて考えさせられた。作者が日本人ではないと分かっていながらも、日本人が書いているように感じられ、不思議な気持ちになった。作中のあとがきでなるほどと思わされ、最後の最後まで楽しめた一冊。
美味しそうな物がたくさん登場するのも魅力的で、台湾に行きたくなった。
Posted by ブクログ
千鶴子と千鶴の関係性を拡大解釈すると、友好的な台湾との関係について、日本側から観ている台湾と、台湾側から観た日本とでは、微妙なズレがある事にも気付かされた。
日本は50年もの間、植民地として台湾を占領していたという事を忘れてはいけないし、日本が建築した建物や水路などが現在まで活躍して使用されてる事を、台湾の方達はどのように感じているのか?日本人の技術の誇りのように感じがちだけど、それは傲慢かも、と感じさせられた。
千鶴が最後に涙を浮かべて向き合うシーンで千鶴の心情に感情移入して号泣。
理解し合うことは難しいけど、それでも友達でいることの尊さを感じた。
また、素直に心を開いて話す事の一方的な過ちは、普段してないかな?と省みたりもした。
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人間の空腹感を刺激するような、官能的な食べ物の描写が印象的。
台湾に行ったことはないが、目の前に情景が浮かぶようだった。
青山千鶴が王千鶴を大切に思い、言葉を尽くせば尽くすほど、心が離れていく。
青山千鶴と同じように、自分も追いつめられる気持ちになりながら読み進めた。
原作の良さもあるが、三浦さんの翻訳によって、より作品が魅力的なものになっている。それだけ丁寧で、台湾へのリスペクトが感じられる文章だった。
Posted by ブクログ
台湾料理が食べたくなること、間違いなし!
とにかく、これでもかというほど台湾料理が出てくる。台湾料理は全然食べたことがないので味や見た目は想像するしかないのだけど、めちゃくちゃそそられる。
行ったことないけど、最初から最後まで千鶴子たちと台湾を旅している気分になれる物語。
侵略する側とされる側の友情もテーマの一つ。
立場が真逆でも友だちになれるのか。
『独りよがりな善意ほど、はた迷惑なものはない』
強い言葉、でも本質をついている。
台湾人作家が日本人作家の視点から書いているのが興味深い。こうも日本人の身勝手さを生々しく書けるものなのか。日本人ですら気づかない日本人らしさ。
逆に日本人ではないから、日本人の盲点を描くことができたのかもしれないな。
主人公の青山千鶴子が実在するような感覚になるのも面白い。
著者の作品を読むのは初めてだったけど、もっと読んでみたい。
Posted by ブクログ
日本統治下の台湾に講演旅行に招かれた日本人女性作家と、台湾人通訳の女性との交流を描いた作品。
とにかく、台湾の美味しそうな食べものがでてくるでてくる!ページをめくる度にこの食べものはどんな味なんだろうと想像が膨らみます。
うっかり戦時下なのにグルメ小説?と騙されそうになるのですが、一方で統治する側とされる側の微妙な関係もしっかり描かれているのが凄い。
日本人として、自分を振り返る機会として、読んで良かったと感じました。
Posted by ブクログ
1938年、日本統治下の台湾。日本人作家の青山千鶴子と、台湾人通訳の王千鶴が鉄道で各地を巡る。
失われてしまった台湾の美しい風景、おいしそうな料理、そして二人の友情。そんな楽しい旅行記なのかな?と思って読み始めたら、それだけではなかった。
統治する側と、統治される側。千鶴子は、植民地に対する帝国の偏見も、女性に対する男性の偏見も批判してきたつもりだった。だからこそ、自分はわかっている側だと思っていたのだろう。
けれど、ふとした言葉からこぼれ落ちる、自分でも気づいていない傲慢さや偏見。人と話していて、何気ない一言から、この人は本当はこう思っていたんだと気づく瞬間がある。あの感じが、読んでいて胸に刺さった。
「この世界で独りよがりな善意ほど、はた迷惑なものはございません。」この言葉は通訳の千鶴の言葉ではないけれども、当時の台湾の人々の思いを代弁しているかのようで、とても印象に残る。
千鶴子はやがて、自分が台湾の本来の姿を記録したつもりで書いたものも結局は内地から来た旅行者として上っ面を眺め、書き散らした「台湾漫遊録」にすぎなかったのではないかと思い至る。
でも、そんな彼女をひどい人だと簡単に切り捨てる気にもなれない。1938年の日本人だったら、私だって同じようなことを言っていたかもしれない。
美しい景色と美食にわくわくしながら読んでいると、途中でトゲが刺さってくるようなお話。
あとがきまでしっかり楽しめる作品なので、あまり前提知識を持たず、読み進めるのが良いと思います。他の作品も読みたい!
Posted by ブクログ
「この世界で、独りよがりな善意ほど、はた迷惑なものはございません」という言葉を美島から直接聞くことになる程に盲目的である自分に気づけなかったことへの千鶴子の思索に耽るさまがとても印象的だった。
そこから、千鶴子が偏見をわかった気になっていても自分も偏見を持っている側であることに気づく瞬間は痛く共感した。
また、「対等」についても考えさせられた。
立場上、上の者は下の者のことを考えなくとも快適に過ごすことができるが、下の者は上の者のことを考えなければ過ごしづらいといった支配と従属の関係性が一要素として自然に描かれていたように思う。そうした上下関係が前提にあるからこそ、友達かどうか問う千鶴子の傲慢さが強調されていたように感じた。
相手を親切心から気遣っていても、その相手が望まないことを押し付けるようなことをすればエゴになりかねない。善意であろうと、まずは相手の意思を聞いて尊重することが大切であると感じる。
美食を巡る台湾の旅が楽しかった。
Posted by ブクログ
本屋さんでパッと見た瞬間にその界隈で玄人の私にはわかりました。これは”百合”だと。これは読まねば!そんな使命感を抱き、最初の数ページをパラパラめくって読んでみたのですが、なんか最初から昭和初期の新聞っぽい一面が。……何言ってるのかさっぱりわからん。これはちょっとまだ私には早いかもわからんね。うんうん。楽しみは後に取っておいてやろう。そっ閉じ。
というわけで、だいぶ前から気になってたし手元には置いていたものの、ちゃんと読むまで時間が掛かってしまいました。でも最初に抱いた危惧はまったくの杞憂でしたね。なんなら読めない漢字とかあっても文脈でなんとなく理解できるもんよ。これは他の翻訳本にも言えることだね。
さて、物語はとある人気女性作家が講演会及び旅行記執筆のために、台湾で長期滞在するところから始まります。その過程で通訳を務める現地人女性と知り合い、台湾各地でご当地グルメを楽しみながら交友を深めるというお話。
これだけ聞くとすごくのんきな物語に思えますけど、実際にそうです。私も読んでいて「こいつら食べものの話しかしてねえな」と感じていたくらいです。
でもその合間に「あら^~」と読者に思わせる部分もちょこちょこあって、我々紳士の心を手放さない配慮も行き届いてますね。
しかし、後半になると、宗主国側にいる主人公と植民地側の通訳のメンタリティの違いによるすれ違いが浮き彫りになり、別離を余儀なくされてしまう。私自身もこの軋轢の原因に気づかなかったので、自然と上から目線で見てしまっていたことにハッとさせられた。普段からフラットな目線を心がけてはいるものの、結局独りよがりで偏ったものだったんだなと反省。
私としては、思い描く理想の結末とはならなかったけど現実を考えれば妥当な着地点だったとは思っています。
異国人同士がお互いを理解し合い、友情を育むことって本当に難しい。同じ国の人間でだって簡単なことではないんだから。他者を慮る行為が必ずしも相手のことを考えた結果ではないのかもしれないというのを一度立ち止まって考えてみたいと思います。
Posted by ブクログ
『台湾漫遊鉄道のふたり』は、太平洋戦争前、日本が植民地として統治していた頃の台湾を舞台にした作品です。
内容は、招待を受けて台湾にやってきた日本人の女性作家「青山 千鶴子」と、彼女を案内する台湾人の女性通訳「王 千鶴」という一字違いの名前の女性2人が、台湾各地を鉄道で旅するという物語です。
この登場人物の2人の名前が似ているのは、ややこしいですが、これには小説として深い意味があると思われ、考えられるその理由は最後に述べたいと思います。
内容に戻りますが、日本からやってきた千寿子は、もともと食べることの大好きで、一方、通訳の千鶴は、台湾料理の知識も豊富、料理を作らせても天才的で、2人の旅は台湾グルメの旅となり、小説の中ではたくさんの台湾料理が紹介されます。
小説は第1章から第12章まで、全部で12の章からなっていますが、それぞれの章にはまるでコース料理のメニューのように、小説に出てくる料理の名前が付けられているほどです。
鉄道の旅で巡る台湾各地の風景や、数々の台湾料理の紹介と、旅する2人のテンポの良い会話が心地良くて、初めのうちは小説のタイトルそのままに、女性2人の台湾鉄道グルメ旅の小説かと思ってしまいましたが、
実はこの小説の本当のテーマは別にあって、
・日本の台湾に対する植民地政策、
・男性から女性への抑圧、
(日本人男性から台湾人女性への抑圧)
・植民地化される側の思い、
・植民地化によって生じる偏見や差別、
が描かれていて、
2人で旅をする中で、日本人の千鶴子はそんな社会状況を批判しつつ、ときには日本人による偏見や差別から台湾人の千鶴を守るような行動に出たりしますが、一方の千鶴は仕事には忠実で表面的には親しく接してくれるものの、「能面を被っているよう」と千鶴子が表現するほど、千鶴はなかなか心の内を明かしてくれません。
千鶴子は千鶴に友達のような親近感を抱いているのに、複雑な感情のすれ違いが埋まらないまま旅行は続きます。
ある日ついに千鶴子は、千鶴になぜ心を開いてくれないのかと尋ねますが、「その理由に気づかないことがあなたの盲点です」と言われてしまいます。そしてついに、千鶴は千鶴子の通訳としての仕事を辞退してしまいます。
思い悩んだ千鶴子は、日本人でありながら台湾の事情に詳しい台湾総督府の職員で、接待役として2人の様子を見ていた男性に、千鶴がなぜそのような態度で接してくるのか尋ねます。
すると、「先生(小説家の千鶴子のこと)は日本の政策を批判するけれど、自分の好きなものに対しては日本の功績だと称賛する。それが正しいか正しくないかではなく、個人的に好きか嫌いかで考えているにすぎない。この世界で、独りよがりな善意ほど、はた迷惑なものはございません」と言われて、千鶴子は言葉を失ってしまいます。
「独りよがりな善意ほど、はた迷惑なことはない」
この言葉は、世間の偏見や差別を批判しながら、自分の心に潜む傲慢や偏見に気づいていなかったことに初めて気づかされた、真正面から胸を突かれるような言葉でした。
千寿子が日本に帰る日が近づいてきますが、千鶴子と千鶴の関係は果たしてどうなるのか。お互いに深く傷ついたまま、2人の溝は埋まらないまま、千鶴子は帰国の途につくのか、あるいは残りの僅かな日数で和解できるのか。結果は小説の最後に描かれています。
さて、この登場人物である2人の女性が、あえて似た名前で設定されている理由ですが、
一方は「日本人で支配する側」、もう一方は「台湾人で支配される側」という立場の違いがあり、名前が一字違いで似てはいても、それとは正反対に、2人の間には大きな心理的な壁や社会的立場の距離があることを、あえて似た名前にして、「対等であるはずなのに、植民地支配によって対等になれない」という関係を象徴して描いているのだと思いました。
読み終えて、さすが、英語に翻訳された優れた文学作品とその翻訳者を称える世界的に最も権威ある文学賞、2026年の「国際ブッカー賞」を受賞しただけの価値がある一冊だと思いました。
Posted by ブクログ
なんだか生きている小説、命が吹き込まれていると言ったらいいのか、とにかく素晴らしい作品に出会えたと思える一冊だった。美食と2人の女性の話と気軽に読めると思って手にとったが、深く考えさせられる作りになっていてすっかりもっていかれた。
鉄道旅行、美食、百合をキーワードにした少女たちの物語。
日本の植民地化にある台湾を舞台に、日本人の女流作家千鶴子と台湾人の千鶴が関係を深めていきます。
台湾の美食、美しい景観はもちろんですが、二人の関係が最も美しいです。支配者、被支配者の関係であるのにもかかわらず、対等だと無神経な発言を繰り返す千鶴子と、柔らかな笑顔の下に頑固で冷ややかな心を隠す千鶴の対照が面白かったです。友達以上の関係性が特別で切なく思いました。
小説内小説では日本も台湾も変わらず封建的な社会で女性の権利が抑圧されていますが、小説内後書き(後世)では女性の社会進出が進んでいることが表現されていて印象的でした。
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日本人女性小説家と、本島人の女性通訳が台湾で出会い惹かれていくお話
この本に描かれている台湾を
ただ「台湾っていいところだな」で消費してはいけない気がした
今では当たり前のように語られる
「台湾は親日」という言葉
そこには日本への好意もあるけれど
それを日本人の口から語るのはどこか傲慢さがある
日本と台湾の間に何があったのかを知るなら
台湾を訪れるとき自分が日本人であることに無自覚であってはいけないと思う
自意識過剰なのかもしれない
気にしすぎなのかもしれない
でもそれでもいい
人と人を繋ぐのは気遣いなのだから
文字を通して時を経た愛情が現代まで届いていることがどうしようもなく尊かった
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日本統治時代(それも日中戦争がすでに始まってかなりひっ迫した状況)の台湾が舞台の歴史百合小説。歴史百合小説!?と思ったが、作者本人が自称しているのでむしろ堂々と掲記させてもらう。これはお腹の空く歴史百合小説である。
作品の舞台は前述の通り日本統治時代の台湾。結婚から逃げる小説家・青山千鶴子が出版社の勧めで台湾に一年ほど滞在することになり、その通訳を務めることになった女性・王千鶴と交流する様を食を題材にして描いていく。奔放ながら良心的で闊達、かつ何よりも「お腹に妖怪が住んでいる」大食らいの千鶴子と、冷静で本心を見せない、そして知識と教養の幅が広すぎて慄くほどの才媛である千鶴の二人のコントラストが鮮やか。二人の小気味よい会話と、(主に千鶴子の)気持ちいいぐらいの食べっぷりで台湾各地の食が食べつくされていくのを楽しむことができる。
ここまで書いた情報だけだとさぞや楽しいグルメ小説と思われるだろう。それは間違いではない。本作は間違いなく台湾美食紀行小説として一級品だし、綿密な資料に基づいた往時の台湾の風俗をがっつり楽しむことができる。
だが、本作が何よりも描いているのは「台湾の歴史そのもの」だ。「日本の植民地とされた」台湾が当時どういう状況にあったか、そして「植民地であった」というのはどういうことか。それをあまりにも残酷に、克明に、私たちの前に突きつけるのである。
正直なところ私は本作を読み始めた時主人公の千鶴子にイラついていた。余りにも無神経で無自覚に傲慢だからだ。『日本が台湾を征服している』ということの加害性、それがもたらした罪過にあまりにも無配慮で、読んでいて怒りを抑えられなくなったのである。
千鶴子は『良い人』だ。内地人への差別意識はなく、千鶴とは屈託なく「友達になりましょう」と語る。出自が特殊なため内地で差別にあった千鶴を守るため「私の連れに何か御用ですか」と堂々と立ち向かい、本島人だからと千鶴がまるで小間使いかの如き扱いを受けそうになったときは「私の正当な通訳者に対してどうして無礼な扱いをするんですか?」と真っ向から反発しその扱いを止めさせる。
観光客向けのいかにもな高級料理には眼もくれず、内地の人間は忌避しがちな現地の郷土料理も積極的に口にし、台湾各地に出向いてはその風土に目を向ける。
顔も知らぬ男の元に嫁ぐことが決まっている千鶴を慮り、「いつかあなたを守る盾になるから」と和服を贈り、自分にあまりにも尽くしてくれる千鶴に報いようと色々な配慮や便宜を行う。
千鶴子は善良だ。当時の内地人としてはかなり平等精神にあふれた人であろう。心根も真っすぐでてらいがない。明るい性格でありながらその実結構な苦労人でもあるが、それをわざとらしくひけらかすこともない。『良い人』と言っていいだろう。事実作中で千鶴もその明るさに惹かれ、徐々に心を開いていっている。
だけど、『だからこそ』むごい。彼女は悪意なしに「植民地である台湾」の立場を考えない言動をする。日本から植え付けられた桜ーー本来の台湾にはないはずの花を見て「美しい桜に罪はない」と恣意的に免罪し、爾来台湾では作られていなかったちくわの製造についての話を聞いて無邪気に「台湾は日本によって磨かれて玉となった」と語る。日本の南進政策を批判しそこに組することを良しとしない立場を取りながら、「不均衡な権力勾配の中で押し付けられ余儀なくされた変容を賛美する」のである。
台湾の人たちが一度でも故郷の景色が変わる事を望んだだろうか。近代化したいなどと言っただろうか。日本からの支配という歪な権力構造の中で、町並みは日本式に帰られ、本土の人間が第一を関する学校に通い、言語を強制され、伝統的な衣服を着るだけで顔を顰められ…。これらの変化はまだいいのかもしれない。そこには簒奪された悲しみをはっきりと誰でも感じ取ることができる。
だが征服者側があっさりと宣うのである。「日本の支配に寄り台湾は近代化した。前より『良くなった』」と。食料供給の増加、交通網の整備、インフラの発達……確かに「よかった」のだろう。一方的に押し付けられ、変化を余儀なくされ、アイデンティティを簒奪されたとしても、「恩恵を受けたのだから感謝しろ」というわけだ。『良くなった』からいいのか。『近代化』したから罪が消えるのか。ましてそれらを征服者の側が、何の悪意もなく口にするのか。余りにも傲慢ではないか。千鶴子の行動は、彼女自身が忌避する帝国の南進政策と同じだけの傲慢がにじみ出てしまっている。
ある種彼女が千鶴に贈った和服すらそうなのだ。「和服は千鶴を守る盾になる」というが、「どうして和服が権威と成りえるのか」という状況を考えるとあまりにもむごい。「征服者の権威」を身にまとうことで自己の身を守れるということだろう。虎の威を借る狐……ではないが、「征服者の権力におもねり庇護を得なければいけない被征服者」としての悲哀を身にまとうのと同じだ。お前は慈悲を乞い施しを受ける側の人間である、とする権力勾配に由来する歪な関係性が、善意の贈り物にすら含意されてしまっている。
イライラした、と言っておいてアレだが、私は千鶴子を責めることはできない。仮に私が当時の日本人だったとしてこの「征服者の無自覚な傲慢」に気づけるか?と言われたら無理だからだ。
現代日本に生きていて植民地という概念を知っており、その産み出した罪過を学ぶ教育の機会に恵まれたからこそ、俯瞰した視点で千鶴子を見た時のその行動の無神経さにようやく気付けたのである。ポストコロニアル思想なんて言葉すらない時代、何ならまだ「植民地=非道な行いである」という意識すらないだろう。
その状況でむしろ千鶴や美島の態度から自己の振る舞いを振り返し、自らの加害性に気づけた千鶴子は素晴らしく聡い。私だったら絶対に「台湾人は薄情」とかいうカスみたいな感想だけ持って帰って日本に帰ってると思うから。自分の悪い所を見つめてしっかり改められる人間がどれだけいるだろうか、と私はこの作品を読みながらしみじみと感じた。
この作品が現代日本に出版された意義を強く感じる。現在、一般的な日本人の台湾に対するイメージは何か。「美食」「親日」「南国」……まあ大体そんなところか。
特に「親日」の部分。「台湾は日本の植民地支配に思う所はあれど、日本の功績を正当に評価して親日でいてくれている。だから私も台湾が好き」的な言説はかなりの頻度で目にする。
だが、本当にその認識だけでいいのか。「植民地時代の日本の功績を正当に評価して」云々だの、植民地支配してた側が無邪気に宣っていていいものではない。
だいたい台湾の人たちの内心が本当にそれだけで済むのだろうか。中国からは統一の圧力を強く感じ、地理的にもそれ以外の諸国との協力関係を結びにくい中で、台湾の人たちは自国の独立を守るために必死で抗っている。小国の生存戦略としての国際協調や外交を選んでいる台湾の人たちの態度は、決して「日本の免罪」を意味するものではない。
「昔の帝国日本がやったことだから関係ない」じゃない。日本に住み日本の住人であることをアイデンティティとして掲げるのであれば、その日本の起こした罪も平等に向き合う義務があるだろう。かつて日本が台湾にしてしまった行いと向き合い、そして今後も彼らと親交を深めたいと思えばこそ、私たちはその歴史についても真正面から学ばなければならないと思う。
本作は「歴史百合小説」である。千鶴子と千鶴の関係性は尊い素晴らしい「百合」であった。彼女たちは時代と立場が違えばそれこそ添い遂げることができたかもしれない。だが、単なる愛だけでは埋められない差というものはある。というより、「どんなに愛や情を持っていたとしても、征服・被征服という関係性はそこに影響せざるを得ない」のである。どんな人間にも生まれがある。どんな人間にも故郷となる土地があり、その土地の歴史があり、背負うアイデンティティがある。絶対に埋められない分断や分かち合えない差というものは厳然として存在し、それ自体が悲劇の温床になることも事実だ。
だが、「それでも」あなたと関わりたい。「その上で」あなたと交流したい。大事なのはその姿勢ではないのか。「立場が違うから分かり合えない」で何もかも遮断するのではなく、「分かり合えない、乗り越えられない差を抱えて、その上で関係を築く」ことが重要なのではないか。作中の千鶴と千鶴子が添い遂げられずとも互いに抱いた愛情が真実であったように、超えられない谷を正しく見つめながらもどうか仲良くしたいと思うことこそが大事なのではないか。グローバル化が叫ばれ事実として世界中が繋がるようになった昨今で、立場も事情も宗教も何もかも違う人々が繋がっていくために必要なのは、「差を理解しながら交流する」この姿勢なのではないか、ということを強く感じた。
訳者あとがきにも書いているが「真の国際交流とは何か」…本作が書きたかったのはこれではないのか、と読み終わってから思う。勿論本作は往時台湾の姿を克明に写した小説であり、「日本統治時代とはなんだったのか」を台湾人自身が問い直すための作品であることは疑いはない。だが、本作はそれに加えて「差を抱えてそれでも関わる事」の意義を問い直すだけの力がある小説だと感じる。日本、台湾、その二国において読まれることに意味がある以上に、世界中どこにでも通じる普遍的なテーマを持った作品であると、私は本作に対して強く感じた。
Posted by ブクログ
一気に読んだ。胸が痛い。
千鶴子の、友人になりたいと願った相手を自分の至らなさのために傷つけてしまったというところに感情移入してしまって、洋子のあとがきのエピソードでずっと後悔していたし千鶴のことを気にかけていたとわかってすごく悲しくなってしまった。
千鶴子が千鶴と友人になりたいという気持ちは本気だったんだろうけど、植民地支配される側の意識や感情について無頓着すぎて眉を顰めてしまった。でも内地良家出身のお嬢さんが持つ感覚としてはこんなものだったのかもしれない。千鶴子が己のみで気づくのは難しいことだったのかも。
そもそもお嬢様な千鶴子は人の好意に甘えたり人を使うことに躊躇いがない。上の立場に立つことに慣れていて、そういうところも私から見るとモヤモヤした。もちろん何かをやってもらったら全力で感謝を表す人柄はただ厚かましいだけでない、素直な善性を感じられて千鶴や他の人も絆されたのだとわかる。
10年ほど前に台北市内を旅行した際、地下鉄のホームにて日本語で話しかけてくれた年配の台湾人女性がいた。不慣れそうな日本人旅行者の私に親しみを持って優しく声をかけてくださった。彼女のおかげで私は台湾は親日的で優しい人がいる良い所だと思ったし今日までその良いイメージは保たれている。でも今思うのは楽観的すぎる捉え方だったかもしれないということ。彼女が親切にしてくれて私に旅行を楽しんでと言ってくれたことは間違いない。しかしその背景にある歴史にもっと誠実な態度で向き合うべきタイミングだったのではないかと思い返している。今からでも遅くないと良いのだが。
Posted by ブクログ
何よりも出てくる台湾の食べ物が美味しそうで、それをダイエットとか関係なしに食べまくるのがうらやましく、そこに惹きつけられた。台湾行って食べたい。私の実力ではどれくらいのもの見つけて食べられるかわからないが。
百合小説というのは全く馴染みがないが、なんかドキドキしてくるように書かれているのでドキドキした。
そして何よりも植民地の人と宗主国の人との関係。友情は成り立つのか。恋愛は成り立つのか。上下の関係にならないでいることはやはり難しい。男女の恋愛なら、いくつかの小説が思い浮かぶし、それが同性同士でも同じとは思うものの、同性であるからこそ、上下であって欲しくない。これって同性同士を特別視してるってことになるのか。
葉山博子「南洋標本館」を少し思い出しながら読んだ。日本人の作家と台湾の作家が台湾の植民地時代を描くのは気持ち的に違うだろうと思う。どちらも30代くらいの作家が描いているというのがとてもいいなあと思う。
小説を読むとその時代にタイムスリップでき、登場人物と一緒に考え、感じることができる。特に日本人にとっては忘れてはいけない歴史だし、それなのに過去を知らなさすぎると思うので、小説を読んで知り、考えたい。
Posted by ブクログ
掘り起こされた未出のこの台湾旅行記は、当時の日本の領地で出会った日本人と内地人の美しくも脆い記憶であり、未来への約束、そして時を超えて子から成し遂げられた友情の手紙である。
なんて言おうかと思ったら"あとがき"で設定は全て嘘だと。元からその設定を知っていたら⭐️4はつけていたと思いますが、ここまで読んで「嘘だよ!」と言われたら、自分の純粋な心を慰めるために反発してしまうこの行為は、心の弱さと懐の狭さからでしょうか、、?
一部ではこの歴史小説風フィクションで読者を騙すスタイルが、確立された新たなジャンルだとの声があるそうですが、ミステリーとは違うこの騙し方はあんまり気持ちが良くないと思ってしまった。
何れにせよ、台湾特に台中をメインに、当時の日本と台湾の情勢を美しくもギクシャクとした友情で描きながら、鉄道を通してローカルな食べ物を詳細に描くこの作品の細かさは素晴らしいと思います。相当なリサーチを必要としたと思います、拍手です。
このリサーチ量と旅の記録的な描き方はとことん事実と思わせてくれます(チクショー)。
結局ですが完全に騙されたわけですし、子を通して何度もの歴史の転換を経て出版された(フィクション)この旅行記の設定は、物語として良いものであったと思います。
ただ神聖な"あとがき"を汚された感は拭えません。笑
色んな方の意見を後で見てみようと思います。
追記
楊双子さん42歳らしいです。
出版時は30代、この若さだと作品設定の時代とは被っていない人生を送られているはずなので、一層このリサーチ力・量には脱帽です。やっぱりフィクションなの悔しいけど、凄いですわ。⭐️4に変えます!
また、"真のあとがき"にて言及されている主人公2人のモデルについてのお話も非常に面白いです。
諸々含めてこの1冊をまとめ上げたのは素晴らしい功績です。
楊双子さんはこの小説は台湾でいう女同志小説ではなく百合小説と発言しているそうです、この部分のニュアンスの違いや、中国台湾では女同志小説が進んでいると言うことも知れました。台湾文学はまだ日本にない部分で進んだ文学かもしれません。これからも読んでみようと思います。
Posted by ブクログ
面白かったなぁ。青山千鶴子、器の大きな女性、サザエさんのイメージが沸いた。「美食×鉄道×百合」
とあとがきに書かれていたが、まさにそのとおり。あとがきも凝っていて面白かった。⋯残念だったのが100ページほどで一度読むことを止めざるを得なかったことだ。次は始めから最後まで一気に読みたい。
Posted by ブクログ
1938年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。
現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴とともに、台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。
しかし、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子は焦燥感を募らせるー。すごく良い本に出会えました!女2人の珍道中かと思いきや、出てくる食べ物がどれも美味しそう。対等であろうと思う気持ちがすでにエゴなのかも。いろいろ考えさせられるなぁ。
Posted by ブクログ
楊双子さんの経歴を見て、このお二人(あえてお二人と書かせていただきます)でないと書けない本だと思いました。
読んで良かったけれど、読んだ事を後悔はしないけれど、でも読んでいてとても胸が痛かったです。
Posted by ブクログ
著者あとがきまで読み、「だまされた!」と思った作品。ストーリーが面白いのはもちろんだけど、本の作りも面白い。
一向に心を開かない千鶴ちゃんにもどかしさを感じながらも、民族の輪を超えて近づく青山さんに同情した。
時折、出てくる民族の差(違い)が痛い。
小説だってことを忘れさせてくれるほど、世界観に入り込める作品でした。
人生初の外国(かつアジア)文学でした。
Posted by ブクログ
前半は、主人公・千鶴子のズケズケとした物言いや振る舞いに強い違和感があり、なかなか読み進めることができなかった。
しかし、ふたりの関係に決定的な亀裂が入って以降は一気に引き込まれ、夢中で読み進めた。
物語を通して見えてきたのは、ふたりの関係が本質的には対等ではあり得ないという構造である。
それにもかかわらず、千鶴子の開けっぴろげで率直な性格、そして後半に見せる反省と真っ直ぐな気持ちによって、一瞬ではあっても確かな絆が生まれたことが印象に残った。
前半の読みにくさは、単なる性格の問題ではなく、支配階級に属する者としての無意識の傲慢さが滲んでいたためだと、読み終えてから納得できた。
また、この作品は登場人物だけでなく、自分自身の認識にも揺さぶりをかけてきた。
白色テロの時代との対比などから、日本統治時代について「まだ秩序があった」という一面的な理解に寄りかかっていた自分に気づかされ、その裏で台湾の文化や歴史が踏みにじられていた現実に対して、強い悲しさと苦さを覚えた。
登場人物については、千鶴子のような無遠慮で開かれた態度には苦手意識を持ちつつも、その自由さにはどこか羨ましさも感じる。一方で、王千鶴のように感情を仮面の下に押し込めて生きる在り方は、合理的で賢い選択である反面、あまりにも悲しく過酷に思える。
自分自身もまた、繊細さと鈍感さを併せ持ち、無自覚に踏み込みながら後から気づいて反省するタイプであると感じている。その意味で、この物語は他人事ではなく、自分の在り方への戒めとしても強く響いた。
本作は、無意識の偏見や傲慢さへの警鐘であると同時に、それでもなお人と人との間に一瞬の真実の関係が生まれ得るという希望も描いている。
戒めの書であり、希望の書である。
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国際ブッカー賞受賞。国際ブッカー賞が何かも知らず…勝手なイメージで表紙や挿絵が賞を取ったのかな?位な気持ちで手に取った本。元はイギリスのブッカー社がスポンサーの文学賞で英語翻訳が評価されたらしい。
台湾も食べ物も好きなので紀行と友情を交えた爽やかな物語になるかなと思っていたが…
植民地、家、性差なども 関係性や真逆な性格もあり、なかなか。。。
食べ物の名前や読み方が難しくなかなかすっと入ってこなかったのと、何度も千鶴子の友達になろうと口頭で確認したり、それに対して千鶴の頑なに態度が硬化するやり取りに読んでいて疲れてしまった。。。
モキュメンタリーの手法も表紙に著者と訳者の記載があるので最初から分かってしまってたし…。挿絵で千鶴子が描いた取材メモとかお料理の絵なんかがあればもっと面白かったかも。
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日本統治下の台湾を舞台に、二重三重の虚構の上に成り立つ現代に書かれた翻訳百合小説。
でありながら、見かけはエンタメで観光と食にほとんどのページを費やし、なおかつ、良い人だけど自分の見たいものだけを、見たいように見る、という視点もあり、一筋縄でいかないという複雑なものでした。
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良い本なんだろうけど、私はそこまでではなく、食べ物の記述もしっかり読んだ方がいいんだろうけど分からなすぎて読み飛ばしてしまったのが原因か。その視点知ってる、というのもある気がするのだが、やっぱり読み方が浅いんだろうなぁ。
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お腹が空く小説だった。
ただ、作中に出てくる地名や食べ物の読み仮名が一回しか振られないから(読み方なんていちいち覚えてられないし)、モヤモヤしながら目だけ滑っていった。
無意識のうちにこちらとそちらを分けてる物言いをしてるって気づかされてる時は、読んでいて苦しくなったのと、自分も気をつけようと思った。
作者のあとがきみたいなところは感動したのに騙されて、なんだったの笑
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第二次大戦前夜、台湾に招かれた女流作家と秘書の台湾人少女が台湾縦貫鉄道に乗って講演先の各地で地元グルメを食べまくる話…と思いきや、日中戦争開始後に強化された皇民化政策にアイデンティティを奪われる台湾人、と、日本人の間に存在する溝(溝と感じていたのは主に台湾の方だと思う)などが描かれている。
読み進めるうち、主人公の青山千鶴子さんは表紙の絵とは違う感じがして、自分の脳内で別の人に作り変えて読んでいたのだが、読後、作者の楊双子さんをネットで拝見したところ、余りにも脳内の青山千鶴子さんとそっくりだったので驚いた。
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ポットキャスト<翻訳文学試食会>で取り上げられた本。
「まえがき」は、作家の青山千鶴子が昭和13年に台湾を旅行した記録『台湾漫遊記』出版に寄せている。
昭和13年(1938年)、作家の青山千鶴子は映画化成功のため、日本統治下の台湾に講演
旅行に招かれる。
女の役割は家庭を守り子供を産むこととされる世の中で、青山千鶴子は「女にしては」見上げる大女、妖怪のような大食漢、物事をはっきり言って、好き嫌いもはっきりしている。
「国家総力戦」だの「南進政策」だの「帝国宣揚」だの「台湾への皇民化政策」は愚行!ましてや男性権力社会なんかに絶対に従わない!
台湾旅行だって、内地(統治国である日本本土)観光客向けのお仕着せじゃだめ!本島(台湾島)の人と同じものを食べて、同じ景色を見て、現地の人が参拝する神社に行かなければ、生きるための旅って言えないじゃない!
そんな青山千鶴子のために、新しい通訳として王千鶴が現れた。
王千鶴は、日本語は完璧、博識で、特に台湾の歴史・民族集落の分布・食べ物、地方ごとの言語・宗教…まあとにかくすべてを知り、料理もうまく、品位があり、気遣いも完璧…、…、…以下思いつく褒め言葉すべて並べといてください。
更に王千鶴はその気になれば「お腹に妖怪を飼っている」と言われる青山千鶴子にも負けないくらいの大食漢にもなれる。
青山千鶴子は俄然張り切った!「二人で台湾を食べつくしましょう!そして私達、雇い人と雇われた上下関係ではなく、対等な友達になりましょう!」
青山千鶴子の台湾滞在を満喫した。しかし王千鶴はどうも「仮面」を被っているようだ。完璧な笑顔、優しさ、自分を褒める言葉。でも自分に対して拒絶も承諾もしないような一線引いた態度。友達にはなってくれない。
青山千鶴子はますます王千鶴の不思議さに惹かれてゆくのだった。
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物語の作りがなかなか凝っています。
本当の作者は台湾の双子作家「楊双子」で(妹さんは若くして死去…)、この本の初版が台湾では2020年、日本では2024年という現代の作家です。
つまり、日本人作家青山千鶴子が昭和29年に書いたということになっている「まえがき」も、青山千鶴子の一人称による昭和13年の旅行も、すべて創作です。
現代の台湾作家が80年近く前の日本人女性の一人称小説を書いたわけで、たしかに(翻訳の問題かもしれませんが)昭和13年にしては現代の人の語りで私には合わない…。そもそも本文一行目が「待って。これはなんということ?」なんですけど、現代SNSじゃあるまいし初対面の小説の人物にいきなり「待って」とか言われたって知らないよ、あなたが誰かも知らないのに。一行目から読む意欲が落ちたよ(・・;)。
さらに青山千鶴子の描き方もなあ。彼女は昭和13年にしては自立した変わり者女性扱いです。しかし一見傍若無人な性格の裏には、厳しい幼少期を乗り越えたこと、本音と建前はきっちり分けられて礼儀正しいこと、人情に厚く人を理解したい!優しくしたい!という気持ちも見えます。
でもね、本文の青山千鶴子の一人称口調が、慌てた時に「あややや」だの、言い返せなくて「うぐぐぐ」だの、これって日本現代の漫画とかアニメでのお約束表現ですよね。おそらく表面的には「まえがき」のようにちゃんとした文章を書き、でも本音では「ぁいぃぃぃぃぃ」というあけっぴろげさな女性ですよ、という書き分けなのかもしれないけど、すみませんが小説で書かれると目に引っかかって内容に集中できない(-_-;)
さらに読んでいて気になったのは、青山千鶴子のいう「自由!」は他人に迷惑をかけるものであったり、「女性の権利!」といいつつ自分以外の女性には「女の立場」を求めているし、「対等!」とは自分に合わせろということ。終盤ではそのような彼女の思い上がりを思いっきり指摘されるんだけど、やられた側である台湾の女性作家が、やった側である日本人女性の一人称で書いているため、読んでいても千鶴子の思い上がりが透けて見えて、小説として分かり易すぎるんだろうなあ。
確かに面と向かって指摘されて、一歩進もうと思う青山千鶴子はのタフさはすごいし、私のようにインドア出不精でそもそもスタートラインに立ってさえいない私が言えることではないんですけどね…。
さて。
小説内では、台湾の風土とか歴史とかが語られ語られていくので、台湾ってどんなところなのか、日本統治によって何を失ったのか、それでも持ち続けた矜持もあります。主人公青山千鶴子が旅行好きの大食漢のため、特に食べ物描写の多い多い多い・笑
小説では、植民地になるということは文化を根こそぎにされるということであり、当治国である日本人が「平等!」といいながらも「自分たちが台湾のレベルを上げた!」という思い上がりが現れます。小説という形だからこそだなあ。
無意識の差別だとか上から目線の優しさ、相手のことを考えない関係って、いつでも誰でも持っているものだと示された。
そして個人的にはお互いを思っても、やっぱり時代や立場によってどうしても平等な友達にはなれないという現実も。
でもお互いを思う今の気持ちは本物だよ、ということも示されます。しかしその表現として「百合小説」的な表現を使っているので、私には萌えたいのが訴えたいのか何なんだよと思って集中できなかった(^_^;)