今村夏子の一覧
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ユーザーレビュー
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不思議な新しい感じ。
人間の嫌ーな部分がひしひしと垣間見れる
しかし、嫌な気はしない。展開が不思議、なかなか起こり得ないものなので、どうなるんだろうと読み進めあっという間。
他の作品も読んでみたい。
Posted by ブクログ
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この気持ち悪さが今村夏子
といえるほど今村節だった
純文学だいすき!星の子も積んでるしこちらあみ子も読みたいのでまだまだ楽しめそう
Posted by ブクログ
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すごいよ…。すごいを通り越してもはや怖い。こんな作品を書くことのできる感性と理性(両方)をもった大人が存在するのかという驚き。手持ちの数少ない「衝撃」という言葉をこの作品に使いたい。
端的に言えば、三人称表現を使って内面の豊かな感覚世界にアクセスすることによって、絶望的なまでに鮮明なディスコミュニ
...続きを読むケーションの様相を浮かび上がらせる、ということをやっているように思う。
元来子供にとっては自分の感覚こそが世界であり、それは非言語的な世界だ。成長する、大人になるというのは、自分が世界の中心ではなく社会を構成する一員であることを理解し、他者とコミュニケーションを取るために言語を獲得する過程である。そんなコミュニケーションに晒される前の非言語の世界に言葉でもってアクセスしようとするのが小説である。言葉によって、言葉の及ばない領域、言葉と言葉の隙間にある感覚的な何かをつらまえる。そしてそのつらまえた何かを、あえて言語秩序の世界には引きずり出さない。『こちらあみ子』もそこを目指していることに変わりはないはずだが、何はともあれそれが三人称表現という、極めて社会的で言語秩序側の視点から行われているのが衝撃である。語り手はあみ子ではない。三人称の語り手はあみ子の感覚世界に極限まで寄り添おうとする。でも、どこまでいっても二つの視点が一致することはない。私たち読者は、あみ子を理解できない。私たち読者は、いったい何を読まされているのだろうか。「『こちらあみ子』を読む」というディスコミュニケーション。
『ピクニック』は、一定の領域において言語秩序が成立していることと、コミュニケーションが成立していることの「無関係さ」を描いているように思う。こちらでは、三人称表現を用いることによって、徹底的に「外部」のみが描かれている。
初めて今村夏子の小説を読んで、言葉の持つ暗い深淵を覗いてしまったような気持ちがする。足がすくんだ。
Posted by ブクログ
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面白かった。芥川賞とる作品ってどこか欠落している人物がいたり、人間関係が不穏なこと多い気がする。少しずつ歪みを感じさせる書き方が上手いなぁ。
エッセイも良かった。
Posted by ブクログ
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「コンビニ人間」と同じゾクゾクソワソワ感。
「むらさきのスカートの女」と「黄色いカーディガンの女」が対面したシーン、衝撃よりも孤独というか、歪んだ世界を作った主犯を見つけてしまいなんとなく寂しさが込み上げて来ました。
他人との距離感が近くなったから、一方的な関心を寄せて、気づいた頃には自分の歪み
...続きを読むを正当化してしまい相手を困惑させてしまうなんて話はよく聞きますが、それと似ているなぁと…。
また、最後の方に今村さんのエッセイを読んで、内向的な性格を持っているようで、恐れながら親近感を持ちました。同じような生きづらさではないけど、なんとなく似た感覚を持った人がいると知って、背中を押されたような気がしました。
一気に世界観に引き込まれます。
せっかくの休日を無駄にしたくない…
けど疲労でうごけない…
というような日におすすめです。
ふわっとストレス発散になります…!
Posted by ブクログ
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