あらすじ
あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校をしてくれる兄、書道教室の先生でお腹には赤ちゃんがいる母、憧れの同級生のり君。純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き、独自の世界を示した、第26回太宰治賞、第24回三島由紀夫賞受賞の異才のデビュー作。書き下ろし短編「チズさん」を収録。
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Posted by ブクログ
衝撃の作家にまた出会ってしまった。
『こちらあみ子』の周りの環境から弾かれた存在の生きづらさ。個人的な問題だけでなく、周りへの影響力まで切り込んで描いてる作品である。
この浮遊感、ファンタジーを読んでるような掴めなさがあるけどまた同時に寂しさとやるせなさを現実感を帯びて胸に迫る。
不思議な作品である。言葉では言い表せないけど中毒性がある。
『ピクニック』は、ホラーである。何が怖いってルミたちの顔と本心が見えない。話が進むにつれて、こちら側の異常さが際立ってきて恐ろしくなる。何もかも気づいているのに、分かった上で掌で転がして面白おかしく享受してしまおうという冷淡さ。同時並行の晴れやかな日常。人間の業の深さが炙り出される。
『チズさん』は一番設定が現実離れ。めちゃ短い作品。
自分の世界とは隔離された日常性の薄気味悪さがなぜか感じる。逃避しても幸せにはなれない絶望が余韻で染みる。
形容し難い作品です。でも癖になります。
癖といえばちくま文庫版の町田康の解説。いまいち何が言いたいのか分からない文体が好き。合わせておすすめ。
Posted by ブクログ
一通りそれぞれの作品を読んでから自分なりに考えてみた後解説を読んだ
「一途に愛する者は、この世に居場所がない人間でなければならない」「逸脱せよ」
悩んで悩んでどんどん引きずりこまれそうな感じがした
あみ子の「なんで誰も教えてくれんかったんじゃろう」「教えてほしい」があまりにも純粋でぐさっときつつ、周りの人が距離を置いたことにもどこかで共感してる気がしてうーん
このどうしていいか分からん気持ちをずっと忘れないように、ずっと考えないとダメな気がした
ピクニックやチズさんも読みながらずっと心が落ち着かない
もう一回読む
Posted by ブクログ
映画があまりにも衝撃的だったので、原作も読んでみようと思いました。
あみ子は発達障害の女の子です。自分が興味を持ったことからは目が離せなくなるのですが、逆に興味のないことは記憶にも残りません。そして、人の気持ちを推し量ることが極端に苦手なので、どうしても人間関係でトラブルを起こします。この物語の中では、大好きな男の子、そして母親との間に修復不可能な溝ができてしまいます。
先日読んだ『僕たちの青春はちょっとだけ特別』は特別支援学校のお話でした。あみ子もきちんと自分に合った支援を受けていたら……と思ってしまいます。
物語の中で唯一、あみ子に普通に接してくる男の子(あみ子の中では“坊主頭”としてしか認識がない(^_^;))がいるのですが、彼は、あみ子がちゃんと勉強していたら高校に行けたはずだと言います。
そして誰もが、あみ子はどうせ分からないのだから……とあみ子に本当のことを伝えません。私は伝えるべきだったと思います。特に父親はきちんと伝えるべきだったのではないか、分からなくても何度も何度も伝えるべきだったのではないかなと。
映画でも原作でも、あみ子が坊主頭に「私のどんなところが気持ち悪いのか教えてほしい」と頼む場面……もう本当に苦しくなる。大沢一菜ちゃんの演技が実に秀逸で頭から離れません。
みんな私には秘密にする、と不満に思っていたあみ子も坊主頭が言うところの秘密の意味は違うと分かっている。分からないと決めつけずに伝えるべきなんだ、と私は思う。
『応答せよ。応答せよ。こちらあみ子』
私には応えを求めているあみ子の物語だと思えました。
Posted by ブクログ
息するのを忘れるほど夢中で読んだ。それだけあみ子は力を持っていた。あみ子はおそらく発達障害だけれど、作者が「発達障害という設定でかいたつもりはない」と述べていたことを知り、私はあみ子のことが理解できないからって、「発達障害の子」と、自分の理解できる範疇の型にはめ込んでいたのだと気付かされた。作者はただ純粋に、「あみ子」という1人の人間を描いたのだ。あみ子の助けを求める声が、トランシーバーを通して、離れたところにいる兄に届いたシーンが心に残った。
Posted by ブクログ
これがデビュー作ですか、、。
とても素晴らしい作品だった。
こちらあみ子は主人公が陽、ピクニックは主人公が隠。
世の中はバランスで成り立っており、悪意なき悪が最大の悪だという事を描いた作品だと感じた。
あみ子は愚直な少女ゆえの作品だけど、ピクニックは悪意の塊の様な物語。
ピクニックというタイトル通り、究極の虐め、此処に極まりって感じ。
それを作者が執筆により悪意を善意にすり替えている。
自分達を満たすだけ、楽しんだからサクッと切るラスト。スケッチを取り出す事を制止した事。
女性の直感は怖い。
そりゃ、男の浮気もバレるな、と。
Posted by ブクログ
芥川賞作家の今村夏子さんのデビュー作
『こちらあみ子』
私の人生で忘れられない一冊になりました
この本に出会えてよかった
あみ子は少し風変わりな女の子
場の空気が読めなかったり、
相手の気持ちに気付かず行動して傷つけてしまったり、
あみ子を取り巻く人たちが
良心と拒絶の葛藤に追い詰められていく様子も
すごく生々しくて胸が苦しくなった
あみ子自身にも悪気がないのでそれがまた切ない
私も子供の頃、あみ子ほどではないけれど
不器用で、人間関係に悩んでいた
うまく会話に入っていけなかったり
空気を読んでその場にふさわしい反応ができなかったり
みんなが当たり前のようにできていることが
できなくて、生きづらさを感じていた
でも今にして思えば、
子供なのにすごく頑張ってたな
この本を読んでそう思えることができて
あの頃の自分を抱きしめてあげたくなった
痛みを知って、優しさを知って
人の心は育っていくのだと感じた
Posted by ブクログ
少なくともあみ子自身はきっと幸せで楽しく生きているんだ、と思える事が救い。
『ピクニック』も良かった。ロマンチックなお話かと思いきや、徐々におかしな点に気づき、最後にはいたたまれない気持ちになる。
ルミたちが"みんなで仲良く協力して七瀬を気にかける優しい人たち"だったからこそ、最後の気持ちの良いピクニックの描写が不気味で気持ち悪い。
Posted by ブクログ
▪️ピクニック
読み進めるにつれて、ページをめくる速度が遅くなっていく体験をした。
序盤は「人生に何かコンプレックスを抱えた結果、自己顕示欲が強くなったイタい女の話」かと思ってテンポよくページをめくっていたが、七瀬の周りにいるルミたちの行動に違和感を感じ始めたところから、次第に登場人物たちの感情が読めない怖さを感じ始め、後半は誰かが横からちょんと触れたらすぐに崩れてしまうくらいのギリギリのバランスで成立しているジェンガを見ているような息の詰まる思いがした。
「むらさきのスカートの女」を読んだ際に強く感じたが、今村夏子さんは淡々と進んでいく日常の中に違和感を潜ませるのがとても上手く、気づくと手のひらで口を覆い鼻で深く息を吸いながら違和感の正体を必死に解き明かそうとしている自分に気付かされる。
物語終盤の、ルミたちが七瀬さんの完璧な予定年表を作り短い拍手で締めくくったくだりで、とうとう善意の殻にヒビが入り中から悪意が垂れていったように感じ、同時に「いき過ぎた」行動が持つ面白さに笑っている自分もいた。
Posted by ブクログ
あみ子、それをやったら取り返しのつかない事になるよ!って引き止めたいのに、止められない虚しさと焦燥感が常にあった。
社会で暗黙の了解とされている事がわからないあみ子は、家でも学校でも煙たがられて、大好きなのり君にも気持ち悪がられる。
そんな可哀相なあみ子の「お涙頂戴ストーリー」かというと全くそんな事は無い。
あみ子は自分のやりたい事をやりたくて、誰かを喜ばせたくて、ただ真っ直ぐに生きているだけだから、周りの人達もあみ子を正せない。
そもそも正すってなんだ?
なんで自分は正しい側に立ってるんだ?
社会なんて「正しい」「間違ってる」で分けられるものじゃないのに。
でもさ、あみ子の周りの人達の辛さもわかってしまうんだよ。
なんでわからないの?
なんでそんな事するの?
なんで?なんで?
って、思えば思うほど苦しくて、理解するのを諦めて突き放すのは罪悪感があって、もしかして自分が悪いの?って混乱して、私ばっかりボロボロになってるって被害者意識にまた傷ついて。
あみ子に幸せに生きて欲しいって思うのと同じだけ、あみ子が自分の近くにいませんようにって思ってしまっている自分に気付いて、ほんとに自分が嫌になる。
私と一緒に過ごせば、あみ子も幸せになれるのになぁって思えたらどんなに良いだろう。
それはそれで傲慢か...。
「こちらあみ子」に応答できるようになりたいな。
自分にはこんな最悪な部分もあるんだって事を忘れないように、この小説を大切にしていきたい。
Posted by ブクログ
あみ子は発達障害の子の話。お兄ちゃんがヤンキーになってもトランシーバーで聞き取って助けてくれるのが良かった。みんなでも少しずつ家族が壊れていく…お母さんの流産を、弟のお墓と言っちゃう辛さ……
2編目のピクニック、言われるまでイジメの話と気付かなかったのが悔しい…坂本裕二さんも花束みたいな恋をしたでこれを読んで何とも思わない人てさとな付き合いたくないとセリフ入れてるとのこと、これが一番印象的だった
3編目はヘルパーはおばあちゃんを大事にしなさそうな家族を見切って一緒に逃げ出したのかな?
小説とは
小説とは、読者に気づきを与えきっかけを作るツールなのだなと改めて気付かされた。
ただただ、現実。
誰も悪くないけれどそれが現実で痛い。
あみ子なりに感じ傷つき、忘れ、喜び、悲しみ。彼女の事は誰が1番理解をしてくれてだんだろう、と想像した。各々の関わりの深さと関係性。
家族ってそれでも家族。生きる上で色々な問題が起こるし、あなただったらどう解決する?と聞かれているような気もした。もし、自分が登場人物の母だったら、同級生だったらと想像した。
私自身、あみ子の幻聴と決めつけていて面くらい、
ただの読者としてもあみ子を信じていなかった事に気付かされた。
天晴。
Posted by ブクログ
⬛︎こちらあみ子
映画を観てから小説を読みました。
他の方の感想でも見かけた通り、ほとんどのセリフがそのまま映画に採用されていて読みながら想像しやすかった。あみ子は明言されていないが多くの方がそう思うようにいわゆる発達障害なのだろう。
まだ発達障害というものが浸透していないのか周りからはやっかまれたり無視されたり鼻つまみ者のあみ子。常に感じたままに自由に振る舞っている。その純粋さ故に引き起こしたことによって家族がバラバラになった。純粋さって尊いものであるというイメージがあるけどそれは純粋さに社会性や相手への気遣いがプラスでついているから。純粋って実は恐ろしさすら感じるものなのかもしれない。私には小さな子供がいますがたまに純粋さからくる残酷なセリフはたまにあります…。
今作最初あらすじをみて『あみ子は少し風変わりな女の子〜純粋なあみ子の行動が周囲の人々を否応なしに変えていく過程〜』とあったので風変わりな女の子が活躍ほっこりハートフルストーリー⭐︎って思って映画から観たのでズガーンッと裏切られました。(良い意味で)
観た後も読んだ後もしばらく頭でぐるぐる思考が巡ります。スルメ小説、ぜひ。
⬛︎ピクニック
???精神を患ってる人の日記を読んでいるような気分。七瀬さんはイタイ過激ファンというかいわゆる嘘松なの??周りの人も脳内で生み出したイマジナリーフレンズ??新人も?と終始『?』が浮かぶ不思議な話。なんか嫌だな気持ち悪いなって気持ちになるお話でした。
⬛︎チズさん
いやチズさんと一緒にいる人だれやー!引き継ぎって書いてあったしホームヘルパー?とも思ったけど家族が来た時隠れてるし認知症っぽいチズさんを利用して暮らすならずもの的な…?それを何代かかわるがわるしてるってことなのかなと思ったり。
Posted by ブクログ
◯『こちらあみ子』
私のそばにあみ子がいたら、初めに〝発達障害〟というメガネをかけてこの子を見てしまうかもしれない。
そう思って関わり方を考えてしまうと思う。
でも、まず、あみ子は私と同じ人間だ。
人間には感情がある。個性があり、その特性は同じ障害でも同じ人でも一貫していないこともあるのではないか。
そういう部分を理解することが必要だと思った。
あみ子は自分の人生を正直に精一杯生きている。
兄も義母も父も、あみ子の近くにいる人は家族としてすごく感情を揺さぶられて暮らしているのがわかる。
だから自分を壊す、壊れる、一歩引いたような冷めた感じになったのだろう。
そして、あみ子はゆっくりだけど成長している。
「なんで誰も教えてくれんかったんじゃろう。」というあみ子の思いが切ない。
でもあみ子の理解できることにもムラがある。
そんな中で周りの大人や友だちはどう関わったらよかったのだろう。
坊主頭に真剣が伝わった時、あみ子は…
やさしくしたいと強く思った。強く思うと悲しくなった。そして言葉は見つからなかった。あみ子は何も言えなかった。
…とても繊細な感情だ。
その人がどんな人かなんて、一言で言えない。
◯『ピクニック』
テンポよく読んでいたけど、一度読んだだけでは後半読み取れなかった。少し時間をおいてまた読んでみたら何か感じるかな…
Posted by ブクログ
理解が難しいから、読み終わったら必ず解説をネットで探してしまう
理解出来ると、こういう事が書かれていたのか、確かに!と感じる
真っ直ぐではない人を捉えて書くのがとても上手な人だなぁ
Posted by ブクログ
『こちらあみ子』・・・読み終わったあとは、なんと心がキュッとするタイトルなのだろう。
三遍に共通するのは、現実社会から逸脱して生きている人を描いていること。周囲からは困った人と捉えられてしまうかもしれないけれど、見方によってはすごく純粋な世界に生きている人。どれもはっきりとした結末でなく、過程を味わう作品だと思う。
Posted by ブクログ
映画「花束みたいな恋をした」で、主人公ふたりが絶賛する今村夏子さん。映画はすきなのに、この本を読んだことがなくて、ずっとひっかかっていた。
まずはピクニックから読む。
なるほど。映画に出てくる台詞の重みが、かなり変わってきた。この話を読んで何も思わない人、も、きっと世の中にいると思う。自分は今までもこれからも、分かる人でありたい。
そしてこちらあみ子は、なんの前情報もなく電車で移動中に読んでしまい、もったいなかった。部屋で読んでたら、きっと号泣案件。また時間置いて読みなおそう。
Posted by ブクログ
大人になり方って誰が教えるの?
そういう疑問、既視感あって他人事には出来なかった
誰にも教えられてないくせに、周りは勝手に大人になって、別に悪いことしてないもんね!
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純粋は、白くて美しいが、それは必ずしも善ではない。
真っ白は、汚してしまいそうで近寄り難い、あるいは白々しくて汚したくなる。白は白であるために、それ以外の色と混ざり合うことは出来ないし、混ざり合わないからこそ白い。
そうして、あまりに白い存在は、周囲の白を奪って、周囲をどんどん黒くしてしまう。
ほどよい黒さや染みは、その人の隙となって周囲に安心を与える。大人になるにつれて、少しずつ自分が黒く汚れていくように思えて悲しくなるが、純粋さを失っていくことは、社会で生きるため、人と付き合うためには、必ずしも悪では無いのだと思った。
Posted by ブクログ
普通の中に、ちょっと普通から外れた人物たちが中心にいる。そんな短編集。そして彼女らは普通からは逸れながらも、愛すべき人たちとして描かれる。でもそれだけでなくて、彼女らの対になるような人物も登場し、私たちが思うまいと蓋をしている黒い感情を投げつけてくる。
私たちは「こちらあみ子」と呼びかける声に、応えることができるだろうか?
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知的障害と発達障害を持つあみ子を淡々と描くヒューマンドラマ。
* * * * *
心理描写についてはあみ子についてだけ最小限あるけれど、他の人物のものは描かれていません。そして事実として起きていることのみ、感情を交えずに書き留めていくというスタイルです。
そのサラッとしたタッチで描き出すあみ子の日々が、読んでいて実に痛々しく感じられます。
身に災難が降りかかっても悲壮感のかけらも感じさせないあみ子。あみ子にはまったく他意はなく、ただ心のままに生きている。なのに家族の精神は壊れていき、やがて家庭崩壊へと至ります。
今村夏子さん独特の淡々とした力みのない文章が却って、怖さや不気味さを含む奇妙な緊迫感を感じさせる、そんな作品でした。
Posted by ブクログ
心がざらっとする。
こちらあみ子:
誰も悪くない、誰のせいにもできないから、狂ってしまう。
母親もお兄さんも優しくて、あみ子とちゃんと接しようと思ったから狂うしかなかったんだろう。
父親の関わり方が一番冷たいが一番上手い。
あみ子がいなければと思ってしまう自責の念を読者にも味わわせるのすごい。
ピクニック:
あの状況がよくあることを知っている。自分が当事者であればきっと何食わぬ顔でその場にいる、でも客観的な立場になった際、醜くて気持ち悪くなる。よくある状況なのに当たり前に享受してた自分が嫌になる。ざらりとする。
Posted by ブクログ
映画「花束みたいな恋をした」をみて、今村夏子のピクニックがやたら出てきたので、そのくらいの年代の子が読む本なのかと読んでみました。
あみ子はけっこう読んでて辛かった、、エピソードには灰色なきぶんになりました。あみ子が明るいのが救い?なのか?
ピクニックはこれも切ない。信じたいけど、そんな話ないよねとフィクションでもないんだ、、と思った。軽いのでふわっと暗雲をかんじた。
Posted by ブクログ
表紙の白い角の生えた動物の名前解りますか?
この動物は麒麟です。しかも子供の麒麟!
麒麟といえば、「十二国記」の麒麟が一番に頭に浮かんだのだけど、中国では伝説の聖獣で平和、慈悲、恵み、幸福の象徴とされているようです。
なぜ麒麟? あくまでも私見ですが、聖なる故に穢れを嫌う、あみ子は純粋無垢な心の持ち主だから麒麟かなと?
一番印象に残ったのは、やはりトランシーバーかな。
このトランシーバーで、生まれてくる弟(本当は妹)と遊びたかったのと、家族と心を通わせたかったのでないでしょうか。
おそらく弟の誕生を一番楽しみにしていたのはあみ子で、2個あったトランシーバーが1個なくなったのは、あみ子の孤独を現しているように感じます。
110Pの「応答せよ。応答せよ。こちらあみ子。応答せよ。」当然応答はない。あみ子の孤独感、誰にも理解して貰えない気持ちを想像するとやりきれない気持ちになった。
ベランダからの霊の音、兄のバイクの爆音、兄が投げた鳥の巣とバラバラに散った3個の卵、あみ子の前歯が抜けた空洞、至るところにあみ子の気持ちが込められている。
のり君の書いた習字の「金鳳花」、この花も冒頭でさきちゃんにあげた毒草だ。花言葉は「子供らしさ」心が小学生で止まってしまったあみ子のようにも思えた。
ラストもあみ子を「あみちゃん」と呼んでいたのも誰が呼んでいたのか今一つハッキリしない。
読み手に答えを委ねるようで、とても奥の深い物語に思えた。
なぜ父と母はあみ子を然るべき学校に通わせなかったのだろうか?そうすれば、あみ子の人生も変わっていたはず!子供の頃に受けた心の傷は一生ついて回る。残念でならない。
今でもあみ子はトランシーバーを手に誰かの応答を待っているのだろうか。
Posted by ブクログ
ぶっ飛んでいる。
西加奈子作品のような味がする。
ただ、エンタメというより文学よりの西加奈子。
あみ子も「ピクニック」の七瀬さんも私は全く受け入れられない。
「ピクニック」は「花束みたいなこいをした」でフューチャーされていたのだが、全く刺さらなかった。うーむ。
今村夏子、印象深い作品を書くが苦手かも知れない。
星は3つ。3.2とか。
Posted by ブクログ
あみ子ゾッとする。彼女からの視点で物事が進んでいくから、何が異常かわかっていないのがリアル。むしろ周りの反応をそのまま書き出しているから、本人はなぜそういう反応をするのか純粋に疑問で、その反応から自分の言動の異常さに気づけないのもある意味純粋というかまっすぐなのだなぁと思った。少しだけ窓際のトットちゃんの姿が思い浮かんだけど、それよりも結構やってることがえぐい。今村さんの作品はこれで3作目だけど、闇の部分の描写がすごく上手で、心に刺さるような共感があるのも、人間らしさを曝け出してるみたいで良い。
Posted by ブクログ
今村夏子さんの作品は「星の子」に続き2冊目。
惹き込まれる展開で夢中で読んだが、あまりにも救いがなく辛くなってしまった。
兄妹が養子だったことには驚いたが、流産時の落ち込み方やあみ子への態度など今までの行動が頷けた。この辺りの伏線は見事だった。
あみ子は発達障害?アスペルガー?知的障害?何やら色々問題を抱えていて、生きにくい人そのもの。あみ子に関わるとみんな不幸になっていき悲しい。綺麗事を抜きにすると、実際社会でこういった人と関わるのは難しいよな〜と再認識させられた。
Posted by ブクログ
3つの話はどれもスッキリする話ではなかった。
こちらあみ子
正直巻末の解説にはまったく共感できなかった。
あみ子になりたくなる?
ならない。冷たいと思われるかもしれないが関わりたくもない。
一途、純粋と言えば聞こえはいいがこれは暴力であると感じた。
反抗を許さない暴力、悪意のない暴力、当事者はやりきれない。
Posted by ブクログ
数年前、むらさきのスカートで受賞時に今村夏子の名前をはじめて知った。
その後もとくに読む機会がなかったが、アニメトットちゃんとの比較に本作の名が登場して、あちらが親ガチャならこれは子ガチャとの評に、しばし迷ったが(なんせ私はけっこう当事者)、手に取った。
表題作あみ子。
まあ、これが現実に近い結果だろうな、という感想。
確かに子ガチャではあるが、親に力があれば、はっきりいえば経済力や文化資本があれば、こういう結末にはならないだろうなという点では親ガチャでもある。
兄の行く末は辛いね。
坊主頭の少年がわずかに爽やかな読後感を差し入れてくれた。
家族の会話がなかなかに辛いが、母は継母であるという一点にいろいろな感情が湧いた。
彼女が、わざわざあみ子をさん付けで呼び、敬語で話していたのは、実母ゆえに、子供が世界をガチャガチャに掻き回して破壊する現実がつらすぎて、子供と精神的な距離をとるためにそうしているのか、発達凹凸児の実母あるあるだなーーーと思っていたので。おうおう。
言いたくないが、たぶん、現実はもっとハードだよ。
2作目、ピクニックもまたしんどい。
花束〜という映画に、これに言及したセリフがあるらしいが全然見ていないのでよくわからない。
まあこういうことだろうな、と思いつつ。世間は厳しい。
ここに出たお昼の長寿番組って笑っていいとも、のことだよね。
それすらなんだか懐かしいね。
3作目の書き下ろし短編も先の2作を足して2で割ったような読後感。
どれも埃っぽくて、でもぬるぬるしてて重い。泥だらけだ。
村田沙耶香と近いものを感じたし、似た題材にも関わらず「円卓」をカラッと明るく書いた西加奈子との相違を思った。