内田樹のレビュー一覧
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内田先生の漫画愛、特に、少女漫画と井上雄彦へのリスペクトが、筆に勢いを与えている評論集。
週刊誌でハイペースに描き続ける
→画力がどんどん上がる
→作品上のキャラクターが今までに見せたことのない表情や動きを見せる
→作者自身が予想もしなかった作品ができる
そうやって、作品が作者のレベルを引き上げる。
そんな風に考えると、井上雄彦マンガがエンドレスのレベルアップをしている理由が理解できる。
そして、マンガのイノベーションが日本でしか起こらないこと、漫画がアメコミの国ではなくここ日本で特異な発展を遂げた理由が、本家養老先生によって解説される。
日本語脳、それ即ち、マンガ脳なんだな。
基本的にブログのザッピングなので、公平性とか客観性を求めるような論説ではありません。私見と割り切って、面白いこと言う人たちだなあ、という姿勢で読む方が、知性を活性化できます。 -
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属国というのはもちろんアメリカの属国である。
尊皇攘夷ならぬ,尊米攘夷化する日本の現状を,二人が鋭く語っている。
日本を大切にするはずの右翼が,我が日本の国土を放射能で汚染し,住めないようにした原発の再稼働に賛成したり,日本のあちこちにある米軍基地に賛成したりしている。これを持って右翼というのならば,右翼とは,我が祖国日本を,大企業やアメリカに売り渡すことを主張している団体ではないか。そんな気もしてくる。
アレックス・カーさんが,「日本人は自分たちは伝統と自然を愛する民族だと言っているけれど,本当はまったく愛していないですよね,それは街並みを見ればわかる」という趣旨のことを書いておられますが,そのとおりだと認めざるを得ません。(本書271ペ)
上の白井の言葉のあとで展開される「神社本庁と自民党の癒着」の話は,まさに,今話題になっている「旧統一教会と自民党との深い癒着」と似ている。
神社本庁が,日本古来の神々を大切にしているとは到底思えないもん。跡継ぎ争いで生々しい血を流しながら地位に昇ったある大王(まだ天皇とは言っていない)が作らせた「日本書紀」「古事記」による似非神々を大切にすることが,我が祖国日本を大切にすることとは違うんだけどなあ…。このわたしを立たせてくれている土地は,日本という国ができる前からあったわけだしね。わたしたちのまわりには,自然の力があってそれこそ畏敬の念を持って感謝すべきものだし,人間の振る舞いを反省すべきものでしょう。そこに鳥居が立っているとかどうとかは,どうでもいいことのハズなんだけど,どうも明治政府以来の尊皇攘夷が払拭できていないんでしょうね。それがそのまま尊米攘夷となっているのでは,呆れてものもいえない!(By Kiyoshiro)
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以前、立ち止まって交通整理することが必要ではないか、+はわかりやすいけど-が評価されにくくて敬遠されるというようなブログを書いていたので非常に興味深い題材でした。
いろんな人が寄稿しているので中には読みにくいものがあったり、何を言ってるのか、何が言いたいのかがよくわからない人もいたけど、いろんな考え方があって面白く、中でも青木さんや想田監督、平川さんなどは近い考えで興味を持ちました。
障害とは、健常とは、健全とは?頭が悪い、コミュ障、ノンデリ、自我の喪失、倫理観の欠落などと障害の差は?ふだん考えていたことが青木さんによって明文化されていました。
常日頃、「誰が」という点に注目が置かれ、その中身に対しては二の次三の次だと感じることがあったが、政党名の威力がわかる調査結果はわかっていたとしてもやはり衝撃だった。
私はよく岩田さんに共感することがあるんだけど、冷淡な人だと思われがちだというのを見て、自分も「冷めてるね」って言われたことを思い出した。笑
ここでもうんざりするどころか、そうだよね~って思いながら読んでいましたよ…。
アジカンのゴッチまで寄稿している幅広さにびっくり。
みんながすべきことを人に求めるんじゃなくて、1人1人がわからないなりに自分にできることを考えるのが大事だと思います。
先に目指す方向性があって、そのために何をするかって話であるので、ゴッチの考え方にもとても共感しました。
終わり方や書き方の形式も独特で面白かったw -
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本書の文庫版の初版発行は2007年であるが、単行本としての発行は2003年なので、おおよそ20年前のことだ。内田樹のデビュー作「ためらいの倫理学」は2001年の発行なので、本書は、内田樹の初期の作品である。
あとがきに内田樹は、「自分が立てた原理原則から抜け出すのは、他人がおしつける原理原則から抜け出すよりもずっと難しい。人間というのは自分がいったん口にした言葉を死守しようとする本能的な傾向があるからである。だから、前言撤回を恐れてはならない」と書いている。
要するに、「私の言うことは経時的に変化しますよ」ということを言っているのである。私はデビュー以来の内田樹のファンであるが、そんなに言うことがくるくると変わっているとは思えない。注意深く読めば、おそらく主張が変わっていたりもすることがあるのであろうが、それは読んでいてほとんど気にならない。ただ、内田樹のように「私の言うことは変わるかもしれませんよ」というのはフェアで好ましい言説だとも思う。 -
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内田樹と姜尚中の対談本。お二人の対談本、私は読むのは初めてであるが、これが3冊目のものらしい。
対談の内容も面白いのだが、あとがきで、内田樹が書いていることが本当に面白かったので紹介したい。
【引用】
■何よりもありがたいのは、僕がこの領域では素人だということは読者のみなさんはつとにご存じですから、「政治についてウチダの話は眉に唾つけて聴かねばならない」というルールが周知されていることです。
■政治に関する領域では、僕の発言の真実含有量は35%くらいです。残り50%は「思いつき」で、「思い違い」が15%くらいです。
【引用終わり】
内田樹は政治を含む世相に関して一家言を持っている思想家くらいに考えられているのではないかと思うが、もともとはフランス文学が専門で数年前までは、実際にその分野で大学教授をやられていた方である。
内田樹の発言は切れ味するどく、また、読むのが楽しくなるような論理構成と話の流れを持っているので、ついつい、本書で言えば内田樹は、政治の分野の知見が深い専門家と思ってしまったりするが、ご本人が「そんなことはないですよ」とおっしゃっているわけである。
それでも、姜尚中のような実際の政治学の専門家に対して思いつきを言ってみることは誰かの(というか、読者である我々の)知的好奇心を刺激するので、このような対談をやっているのだと思う。実際、そのような(頭の回転が早く、物事の本質を見抜く力を持っているがその分野では素人である者が、その分野の玄人に思いつきを投げかけ専門家の考えを聞いてみるような)構成の本書を私はとても面白く読んだ。
内容については、アメリカ・中国・米中関係について考え、今のような米中が対立するような状況の中で、日本はどのようにあるべきか、的な話を2人でしているもの。これも、タイムリーな話題で、ここでは詳しく触れないが、コンテンツ自体も面白いものであった。 -
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一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対する挑戦というか。
個人的には反日思想の展示など不愉快だし、する必要はないと思うが、一方で表現に規制がかかる危うさには怖さを感じる。こうした規制を許せば今後、反日的なものでなくとも、政府や権力者が、言論や表現に制約をかけられる世界になっていくわけだから。
アートの世界だけでなく、科学技術なども国の意向に沿わなければ補助金がなくなり、活動できなくなってしまう模様だ。それは果たして国民にとって健全な、豊かなことなのだろうか。賛否両論のものに対して全員が自由に発言できる世界、何事にも反対意見を出して議論できる社会、多面的に物事を考えられる世の中、そうしたものを守らなければ。などと思いました。 -
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るんちゃんとの関係をこれまでは父親サイドからのみ眺めてた。るんちゃんからはどう見えているのかいつも非常に興味があったのだ。えへへ。
プロローグ(内田樹)
のっけから「家族の間に秘密があるなんて当たり前だろう」と至極当たり前の言挙げがされ、「骨肉相食む泥仕合」に陥っているのは例外なく「遠慮のない間柄」だと喝破されています。この人の機嫌の良さと幸福は「親しき仲にも礼儀あり」というよそよそしさから導かれている。
自分の父親との関係、娘との関係を他人事のように語る内田先生にすでに涙腺のゆるむにしもりです。
8 「パブリックドメイン」はおすすめ(内田樹)
「ことさら同意や共感をしてしてみせる必要のない友人関係」について語られます。まったく賛同します。「共感できないけど一緒にいて楽しい」ってわたしにはよくあるのだけど、高い確率で相手は楽しくない思いをしてるんじゃないかという疑念がにしもりにはあります。その辺が悩みといえば悩みですかね。たまに学生時代の知人と話すと、こういう疑念なしに好きなことを話せるのでとても気が楽です。
9. 自分の姿を照らす「敵」(内田るん)
自分の愛する人がすべてこの世からいなくなってからが、私の本当の人生ではないか」とのるんちゃんの述懐は、わたしが感じている通りのものです。その人が安心していられる道、その人がイヤがらない生き方をどうしても選んでしまうのが、人間の弱さであり、良き資質なのではないでしょうか。
18. 「人間は壊れ易い」のを知っていた戦争世代(内田樹)
この中で、5歳の内田樹さんが、保育園で何人かがいたずらをした場に居合わせて、先生から叱られ残されて反省を強要される話があります。「反省したら帰っていいです」と言われて他の子たちは「反省します」と言ったのに、内田樹さんだけ「反省することがありません」と答えて、みんなが「お前がさっさと謝ってしまえばはやく済んだのに、お前のせいで長引いた」と恨めしげな目をした、という話です。これを内田さんは「ぼくの病的傾向」だと書いてらっしゃいますが、わたしにもこの「病的傾向」があって、目先の利益(さっさと謝ってはやく帰る)ことより筋を通すほうを優先しないと気持ちが落ち着きません。内田さんは、このこと(自分が「周りとは考え方も、生き方も全然違う」子どもであること)はそんなにつらくなかったと語っていて、その理由を「変であることに対して許容度がゆるい時代だったから」だと書かれています。これはわたしもよくわかります。昔は変な人がいっぱいいましたし、今みたいにみんなが真面目で素直なわけではありませんでした。わたし自身がこの「病的傾向」をしんどいなと思い始めたのはこの10年くらいのもので、それ以前はなんとも思っていませんでした。たぶんこの10年くらいは世の中がみんな真面目で素直な人ばかりになったからだと思います。
もう一つ、アメリカのことが書かれています。
あの国には「予防」という発想があまりない。ことが起こる前に起こらないよう配慮をすることに高い価値を賦与しない。なぜならそれでは「何も起こらない」から。以心伝心に頼れない分、なんでも言葉にしてみる、まず言ってみてそれに対する反応を見て対処する。
ははは、にしもりはアメリカ人だわ、きっと。
続けて、アメリカの人は基本「孤立」、自分のことは自分で決める。内田さんがここで、「アメリカの人も結構きついなぁと思っているんじゃないかと想像します」と書かれているけど、実際30年ほど前にはじめてラダックに行った時、そこで長期滞在していたアメリカ人がそういうことを言ってたのを覚えています。
22. スパイが語る「嘘の告白」、冬の北京、仕上がりのいい「物語」
あははは。やっぱりそうやったんや。→ぼくの冷淡さというのは「にこやかで、礼儀正しく、でも人の話をぜんぜん聞いていない」という形態をとります。←対談なんかでそんな感じになってること頻繁にあるよね、この人。
続いてスパイが拷問にかけられた時に自白する「第二層の告白」(真実のみから構成されている物語であるにもかかわらず、いくつか重大な言い落としがあるせいで、必ずしも「ほんとうのこと」ではない。)について、僕たちが自分について語ることというのは、そういうものではないか、と。内田さんは、それでいいんじゃないか、それってなんだかやりがいのあることだよね?と問いかけてきます。いやホントそうだと思う。
内田さんは賢い人だから、そのことを「実害がなくていい」と言います。ほんとうのことを言うと相手が傷ついたり自分が傷ついたりするから。
ははぁ、そうなんだ〜。
「それについてうまく語ることができない」ということはある。「思い出す」ということは、「それについて語る言葉が見つかる」ことであり、「それについて語る言葉を見つけた」ことであると内田さんは語る。なるほど。
エピローグーー思い出のおばあちゃん(内田るん)
亡くなった日の思い出は心を打つ。るんちゃん大人だね。
そして、るんちゃんも書いているように、内田樹さんがほとんど語らなかったこの昌子さんのこと、語らなかったということは語れなかった、語りたくなかったのでしょうから、ちょっと知りたくなりますね。
我が家とはだいぶ違った形の親子関係だな。ちょっとうやらましかったりするよ笑笑。 -
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内田樹(1950年~)氏は、東大文学部卒、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了、東京都立大学人文学部助手、神戸女学院大学文学部助教授等を経て、神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学人文学部客員教授。専門はフランス現代思想。武道家でもあり、合気道凱風館館長、合気道七段、居合道三段、杖道三段。現代思想、身体論ほか、幅広いジャンルでの著書多数。
本書は、「日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる」ことを説いた、いわゆる内田版・日本文化論で、2010年の新書大賞を受賞した。
私の理解をラフにまとめると以下である。
◆日本人は、歴史的に自らを中華思想コスモロジーの中の「辺境」と位置付けてきたため、ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」があり、それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのかという、その距離の意識に基づいて思考と行動を決めるというメンタリティが染みついている。従って、「日本文化」とは、制度や文物そのものにあるのではなく、制度や文物が新しい別のそれらに取って代わられるときの「変化の仕方」にあると言える。それ故、日本人のふるまいの基本パターンは、「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める」態度に成らざるを得ないし、日本とはどのような国であるべきか、というような問いに対しては思考停止に陥る。
◆上記の「起源からの遅れ」という構造特性は、悪く出ると「虎の威を借る狐」(狐は、自分の言葉で語る意見を持てない)になるが、良く出ると「学びの効率の良さ」を生む。「学び」の基本は、学ぶことの理由やメリットを予め問うことなく、まず学ぶことであるが、日本人は、その構造特性ゆえに、そうした問いを一時的に留保して学ぶことができ、最高の効率で学ぶ技術を身に付けている。それは、武道・茶道・華道などの「道」を究めるためにも、宗教的成熟を果たすためにも有効性を発揮した。
◆また、日本の宗教や武道では、その構造特性に内包される時間的な受け身の姿勢(私たちは常に、「呼びかける者」ではなく「呼びかけられる者」として存在する)を克服するため、「機」という概念を生み出した。「機」とは、時間の先後、どちらが先手でどちらが後手か、どちらが能動者でどちらが受動者か、のような二項対立を消してしまうもので、これにより、「学ぶが、遅れない」「受け入れるが、後手に回らない」というような、「時間意識の再編」を形式的に実現した。(この、「機」について書かれた部分は少々難解である)
◆日本語は、もともとは音声しかなかったものを、大陸から入ってきた漢字と漢字から発明されたひらがな・カタカナで表記するようになったが、その際、外来の文字を「真名」(=正統な文字)、土着の音声言語を表記した文字を「仮名」(=暫定の文字)と呼んだ。この二項対立的な発想は、漢語とやまとことば、文語と口語、建前と本音、男性語と女性語など、あらゆる言語的な層において見られるが、これは、外来の概念を「正嫡」として歓待し、土着の概念を「庶子」として冷遇するというふるまいから生じた、辺境語的構造である。
そして、著者は、このような日本の国民的特性が「いい」ものか「悪い」ものかという発想自体に意味はなく、まずは、日本人がそうした特性を持っていることを認識することが大事なのだ、として結んでいる。
私はこれまで、本書の冒頭で引用されている梅棹忠夫『文明の生態史観』ほか、いくつかの日本人論・日本文化論などを読んできたが、それでもなお、著者が「新味があろうとなかろうと、繰り返し確認しておくことが必要な命題」という本テーマは、興味を惹くし(それ自体が「辺境人」的性向なのだそうだが。。。)、面白いものであった。
まずは認識すること、そして次には、それを活かすため、或いは補うために、どのような言動をするべきなのかを、自ら考える必要があるのだろう。
(2022年7月了) -
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内田樹のいつもの本と同じく、内田樹が色んな雑誌やブログ等に書いたことを、集め、必要に応じて書き換え、再編集したもの。2021年11月発行。
「民主主義」「政治」「憲法」「教育」の4章だてになっている。
内田先生の怒りが伝わってくるのが、「教育」の章だ。
内田樹は神戸女学院大学を既に退官している。知らなかったが、退官の時期は、定年よりも5年早い。そのあたりのことを、内田樹は「私は選択定年制で大学を5年早く辞めたが、最大の理由は会議と書類書きが受忍限度を超えたからである。(中略)60歳になって、人生のカウントダウンが始まったのに、まだやり残した仕事がたくさんある。(中略)会議と書類書きで自分の時間をこれ以上費やすことに耐えられなかった。」と書いている。
文科省の大学に対しての政策方針により、日本の大学のパフォーマンスは下がる一方であると同時に、現場で教員が何も生み出さない書類仕事に膨大な労力を割いているのが実情だそうである。そのあたりの経緯を、本書で内田樹は分かりやすく詳細に述べている。
バブル崩壊以降、日本の経済は停滞しており反転のきざしはない。それでも、最近は、ノーベル賞を受賞する方が多く、日本の大学を中心とした科学技術は相当なレベルにあるのだろうと勝手に思っていたが、今やそんなことはないということだ。ノーベル賞は長いと数十年前の研究成果に対しての顕彰なので、最近の一国の科学技術レベルを示しているわけではない。
経済の停滞を反転させる、一国の生産性をあげるためには、教育、特に高等教育のレベルの引き上げが必須だと思うが、そこが下がる一方ということであれば、先行きにあまり期待は持てないということだ。現場の教育者は、もっと内田樹のように声をあげれば良いのに、と思う。 -
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平成元年は1989年、「ベルリンの壁」の撤去が始まった年であり、その後の東西ドイツ統一、ソ連を含めた東側陣営の崩壊、東西冷戦の終結へと向かっていく最初の年であった。また、この年の12月29日には、日経平均株価が38,915円の最高値をつけ、バブル経済の絶頂を迎えている。この年が絶頂であったということは、平成の時代を通じて、日本の経済は停滞あるいは衰退を続けていったということだ。
平成が終わったのは、平成31年、2019年のことだ。昭和が終わり平成が始まったのは、昭和天皇のご崩御によったわけであるが、平成が終わり、令和が始まったのは、平成天皇・明仁天皇が自ら退位の意思を示されたからであった。
平成の30年間というのは、どういう時代だったのか、ということを、内田樹をはじめとする論客たち、白井聡・平田オリザ・鷲田清一・ブレイディみかこ、といった人たちが論じた文章を集めたものが本書である。
内田樹が最初に書いていますが、平成が始まる時にはソ連が崩壊する等とは全く考えていなかったし、その後、プーチンが登場して、再度、強権的な国家に逆戻りする等ということは思いもよらなかった。また、日本の経済の強さが、ここまであっけなく崩壊してしまうとは全く思っていなかったし、それが30年間も現在進行形で続くとは、全く考えていなかった。
読んでみての感想は、ことほどさように、未来を予測することは難しいということである。日本の未来に対しては、今のところ暗い予測しかないが、もしかしたら、それがはずれるかもしれない、という超ネガティブな期待を感じた。 -
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世の中的に“識者”と呼ばれる人たちによる、『人口減少問題』に関する提言・分析。
私でも聞いたことがある様な人たちのオムニバスです。首肯できる内容もあれば、“あれ?”と頭を傾けざるを得ないもの、何を言っているのかわからないものw、いろんな事が書かれています。
人口減少のとらえ方が、それぞれ異なっているので、この本を通して共通するテーマなり提言というものはありません。その意味では、多数の意見を知ることが出来るという事が、この本の特徴でしょうか。
色んな意見を読んでみて、自分なりに人口減少問題について考えてみるというのが、この本の楽しみ方なのかもしれません。 -
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2022/05/12
個人的にモヤモヤしてたことがそうか…って腑に落ちたりした。対談だから読みやすい。
読んでよかったー。
・「常識は原理にならない」っていう文章が特にそうかぁと思ったしすごくよかった
p.138 『規制力はあるけど攻撃力は小さいし、権力的になれない。これは人間を動かすときに非常に
有効な手段なんですね。言いたいことは言えるけれど、相手の立場もちゃんと確保してある。
常識的な人間というのは、だからすごくいいんですよ。人を徹底批判することがないし、罵倒したり愚弄したりすることもない。だって、そんなの「常識的じゃない」から。「そんなに人を責めるなんて、非常識じゃないか」と言えば常識人は絶対黙りますから。
春日 たしかに、わたしが思者と話していても、結局のところ、常識なんだからうまくやりなよ、という話にいくわけですもんね。ただ、常識というのを「思考停止」だとか、「長い物には巻かれろ」的ないい加減な発想だというふうに取りたがりますから、そうじゃないんだということをいかに伝えるかという問題なんですね。
内田 あらゆるものが原理主義になる可能性がある中で、唯一常識だけが原理主義にならないということが常識の強みなんです。マルクス主義にしても、フェミニズムにしても、キリスト教にしても、間違えると原理主義になってしまう。でも、常識だけはならない。「常識の名において断罪する」ということができないんですから。「何かの名において人を断罪する」というのは常識的に考えていかがなものか……というふうに考えちゃうのが常識人なんですから。』
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内田氏のレヴィナス翻訳の話、好きなんだよね。難解で何言ってるかわかんないのに、自分がこれを理解しなければならないということはわかった。翻訳したものの、やっぱり何を言っているかわかんなくて、2年くらい放っておいたら、出版社から「あれどうなりました?」と言われて出してきた。そのとき読んでみたら、2年前よりもわかる。難しいことを理解しようと思ったら、自分自身が経験を積んで成熟しなければならない、っていう話だ。武道論といいつつ、武道でないようでいて、でもつながっているんだろうな。武道とは、成熟の道であるというように考えると、なんとなく察することができる気がする。