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Posted by ブクログ
「そうでない人」を排除して、社会的に良いことなど、あるのだろうか
最近、日本も日本人もおかしくなってきている。
この、「おかしさ」を言語化することにおいて、内田氏は相当長けていると思う。
毎ページ「そうだよな」という箇所が、たくさんある。
最近の少なくない日本人が、なんでもかんでも、
他人をバッシングするようなメンタリティーになっている。
日本社会の通念上で支配的な倫理観や道徳感に照らし合わせて、
個人や集団、組織の「間違い」を見つけて、徹底的に批判するようになっている。
まるで、それが、自分の義務みたいに思っている人も多くなっているんじゃないだろうか。
個人的には、非常に気味が悪い現象だと思う。
その現象の背景にあるのが、完全なる人を求めて、
宗教用語を使えば、逆説的に個人救済を求めているような感じを受ける。
もちろん、この現象の背後には、今の日本のかなり絶望的な状況にある。
改めて言うわけでもなく、もう日本は豊かではありません。
貧困率も20年前と比べて高くなり、
経済成長は、この20年でほとんどしていない。
また世帯所得も94年から25%ほど減少している。
また人口減少に直面し、日本の社会システムの抜本的な改革や変更が求められているが、
現状「変化」できない構造になっている。
そのため、多くの人が不安になり、個人の安定と救済を求めるのは、
非常に理にかなっていると思うが、現状、手軽な個人の救済はないと思う。
おそらく、無意識的に完全なる誰かを求めて、そうではない人を、
排除する意識が起こっているように思う。
この意味で、今の日本の社会状況は、非常に危険な状況だと思う。
「そうでない人」は、ほぼ日本人の全てに当てはまる。他人のミスや欠点を、最大限努力して見つけ出すことが、エトス(行動様式)となっている。
この行為は、まったく社会的寄与しないし、
そして、生産性もない。
「そうでない人」を排除して、社会的に良いことなど、あるのだろうか?
ただ、この傾向は、おそらくこれからも続いていくに違いない。
Posted by ブクログ
『階層の二極化と反知性主義の関連は、指摘する人があまりいませんけれど、これは車の両輪のような現象だと思います』 ー『第七講 弟子という生き方』
例えば郊外の森に囲まれた一軒家に暮らすことにどれだけの価値を見出だせるか。自己充足的な生活が可能で、自然豊かな環境が整っているとして。
その問いに応えようとすると、どれだけ個人主義を標榜しようとも、人は究極的には社会的生物であるということを思い知る。なに不自由なく暮らせるとしても、人は他人との遣り取りを求めるもの。例えば最近読んだ「極北」の主人公が、閉ざされてはいるが安定している現状から不確かな未来へ向けて行動することを選択しても違和感なく追うことできるのもその証であったのだと気付く。結局、内田樹先生が「当たり前」のこととしている感覚の拠り所はその辺りに根元があるように思う。
共同体というもの対する相性は、個人的には余り良くない。そもそも、全体主義的匂いのしそうな考えには鳥肌が立つ。でも、弟子という生き方には共感が湧く。自分自身のこれまでを振り返ってみて、自分のしてきた努力はというものは結局のところ尊敬する人の見渡している高みにへ近づきたいという単純な動機に裏付けられたものであったなとの想いもある。
なるほどなぁ、とまたしても眼から鱗が落ちるような感慨に捕らわれる。内田樹先生の指摘は相変わらず説得力がある。一見正しそうに見えるものの真の構図はこれこれこういうことなんですよ、と、またしても自分が如何に目明きの癖に何も見えていなかったかを思い知る。
そして全体主義を忌避して敢えて取った行動が、反って全体主義を助長しかねないということを指摘され、ぐうとなる。これからは精々ゴミを拾う人になろうと思う。
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