著者が長年続けている合気道修業の目的は「あらゆる敵をたおす」ことではない。「自分自身の弱さのもたらす災い」を最小化し、他者と共生・同化する技術を磨く訓練の体系である。道場での稽古を「楽屋」とし、生業の場を「舞台」とする。新たな学びを阻止する無知や弱さを「居着き」と捉え、これを解除し、守るべき私を廃棄する。すると修業は自分を、予想もしなかった場所へ連れていく――。修業とは、強さとは…正面から問う。
Posted by ブクログ 2021年04月05日
合気道を素人なりに齧っていると繰り返し聞かされる言葉に、「合気道の最強の技はなんですか?」との問いに塩田剛三先生が答えたという「自分を殺しにきた相手と友達になることさ」というのがあります。
合気道にも流派がありますが、著者の「武道家が目指す『天下無敵』とは、誰にでも勝つということではなく、、だれと...続きを読む
Posted by ブクログ 2017年09月22日
修行論は、内田樹さんの本で過去に実本で購入したんだけど処分してしまっていた。久しぶりにタイトル見て懐かしいな、と思いダウンロードして読み直したけど、相も変わらずの内田節満載で非常に面白かった。4つの文章を1つの本にまとめているので、ご本人曰く「幕の内弁当」の様な本とは書いてあるけど、どの文章も修行と...続きを読む
Posted by ブクログ 2014年08月19日
「修行」じゃなく「修業」。
『稽古は、競ったり、争ったり、恐れたり、悲しんだりすることを免れて、ただ自分の資質の開発という一事に集中することが許された、特権的な時間である。道場はそれを提供するための場である。』(P115)
『「いるべき時に、いるべきところにいて、なすべきことをなす」ことができる能力...続きを読む
Posted by ブクログ 2013年10月30日
武田鉄矢氏のラジオでの紹介で知り読み始めました。
当たり前に日常を生きていたら絶対にぶつからない世界。「何かが違う」違和感を持ち続けている人達へのメッセージ。勝ち負けで一喜一憂する事よりも深いことでしょう。名人伝の別のバージョン、あるいは解説書ともとれます。
キマイラの頁では大相撲をの取組を想像しま...続きを読む
Posted by ブクログ 2022年11月10日
哲学を論じたりしていると同時に合気道の稽古を40年も続けているとは尊敬に値します。継続とは力なりで私も長く稽古を続けられるものを身につけたかったと思います。
さて、内田先生が合気道を始めたきっかけは自身の弱さを自覚していたから。身体的に虚弱であるために普通は強くなりたいと考えるのですが、先生の場合、...続きを読む
Posted by ブクログ 2021年08月08日
手軽に読めるエッセイだけど噛めば噛むほど味がでる書物(あとがき)なのが、内田先生らしい良書です。
この方、物凄く頭の良い方だと思うので、権威ばって難しく書こうとすればいくらでもできるのでしょうけど、どうやら無知蒙昧なバカな子供(私も含め)を啓蒙することをご自身の天職とお考えのようです。本書のテーマの...続きを読む
Posted by ブクログ 2019年02月08日
文化放送の武田鉄矢今朝の三枚おろしで、取り上げられていたのがきっかけで読んでみた。期待した程に良くなかったけれども、次の引用箇所がとても良い。p203「そもそも原理的に言えば、「無駄な稽古」というのはないのである。いくらやっても上達しないというのは、ある意味で得がたい経験である。「なぜ、これほど稽古...続きを読む
Posted by ブクログ 2020年07月15日
けれども、兵法者の仕事を妨害するものがいる。それを「反−兵法者」と呼ぶことにする。「勝負を争い、強弱に拘る」ことをつねとする人間のことである。
彼は、キマイラ的身体というようなもののあることを知らないし、その機能も有用性も知らない。反−兵法者は自我に固執する。自分ひとりの五感や価値判断に居着き、自分...続きを読む
Posted by ブクログ 2016年01月03日
内田樹著「修行論」
「修行」について書かれた内容ですが、武道のような身体的なことだけでなく、内田先生らしい思想的な面も多く書かれています。
●努力と成果の相関
「努力と成果の相関」を信じて修行すると、人間の身体をシンプルなメカニズムとしてとらえてしまう。
そして「強化」ということを優先的に考える...続きを読む