【感想・ネタバレ】下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たちのレビュー

あらすじ

なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。だれもが目を背けたいこの事実を、真っ向から受け止めて、鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか? 「格差」の正体とは何か? 目からウロコの教育論、ついに文庫化。「勉強って何に役立つの?」とはもう言わせない。(講談社文庫)

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Posted by ブクログ

すでにこの時代にこう言われていて、今やそれが加速して行っている気がする。AIが出てきた今、どうなってっちゃうんだろうなぁ

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2025年05月08日

Posted by ブクログ

等価交換をしようとする子どもたち、それは無時間的であり、消費であることだ。消費をすることの危険性を述べていた國分功一郎先生の述べていることも通ずるが、勉強をして、学習過程が終わるまで学習する意味がわからないという、絶対的時間性の学習というものに、消費的な思考を介入させることは大きな矛盾である

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2024年06月27日

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当座の報酬の期待値の低さ・不確定性に対し、経済合理性の下、消費者マインドで「こんなん何になるんだよ」と突っぱねちゃうのがニートと不登校、つまり労働や学びの拒否の始まり。

その曖昧さや不確定性に対して「きっとなにかになるはず」と、気長かつ楽観的・期待的に身を投じて、労苦を負って行くこと。そして自己の不確定な変化という性質を認め、受け入れ、期待し、勘定に入れた上で学びに向かうこと。それらの勇気ある殊勝な態度が知性。

また「自身の存立」時点で社会や周囲の人間から受けてきた恩義、つまりは贈与に負い目を認められ、その反対給付義務意識に駆られて積極的に労働という(返報)贈与を社会に行っていくこと。それこそ伝統的人間らしさ・文化人類学的知見に合致する労働者マインドであり、労働の倫理・哲学・美学である。

※ただこの倫理に関しては(薄給なだけならともかく)ハラスメントや長時間労働強制、肉体的・心理的安全性侵害が横行するような、日本に跋扈するブラック職場では成立しないと思うけど(2005年の本だししゃーなし?)。

含蓄が多い本だと感じました。
勇気と忍耐のある、道徳的な内発的動機づけに強く意志付けられた人間になりてぇ。

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2024年02月12日

Posted by ブクログ

学ぶことができるという環境を放棄している日本の子どもたち。納得のいく内容でした。
生産と消費がかけ離れ、生産することへの尊敬と感謝が失われている日本社会。たくさん消費することが良いライフスタイルであることのように報じられるメディア。日本はどうなっていくのでしょう。

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2023年10月29日

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面白かった。
本人も書いておられるように「ずいぶん力んで書いている」力作であります。
消費者として全てを同時性の中で生き、世の中を等価交換で見る体質。
こういったことが学びを馬鹿にし、労働を無意味なものと見る価値観に結びつくと見る。
解明していく際の気押される程の勢いある文章に引き込まれて行く。

学校内の状況は改善はされてきているのだろうか。
ニートの数は減少しているのだろうか。
外からは見えない隠れた部分。実態を知る術が無いが、良くなってきていることを望む。

対談部分は文庫化に際して削っても良かった気がする。何か著者にもしがらみがあるのかも知れないが…

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2023年09月29日

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今まで読んだ中でベスト・オブ・ベスト。
ウチダイズムの原理というか、ベースを知れた=社会の構造。
如何にして社会的上層と下層の差が生まれているのかそしてその原因は何なのかを考えさせられる書籍である。個人主義がいかに恐ろしい思想であるか。
そしてすべて個々人に降りかかるという、良い意味でも悪い意味でも
勉強を放棄してもそれは将来の自分が連帯保証人として存在する。

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2023年08月20日

Posted by ブクログ

まさに現代教育の核心をついている。過去のフォーマットにしがみついている場合ではない。評価で釣って、子供に勉強をさせる手法は限界だ。そもそも学問とはそういうものではない。損得勘定でしか人間が動かなくなる。生徒は消費者目線で学校にやってくる。まさに、この通りで、変えることは困難であり、どう折り合いをつけていくのか。

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2023年02月26日

Posted by ブクログ

めちゃめちゃ面白かった。

幼年期から経済主体として成長している。

この視点から現代の問題、例えばクレームする親や教育に反抗する子供などを説明していた。

これがすごく新鮮で、25の自分にも当てはまるところが多分にあった。

懐古的に昭和時代の大きな家族ぐるみの付き合いを失ってしまったことを嘆いている。
一家の大黒柱が働けない家族を含めて支えていた時代を。

こんな友人や家族を築けたらいいなと思う。

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2022年11月14日

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当時勧めてくれた友達に、「読んだよ!なんか、哲学者なのに読みやすい語り口だね、堅くないし」と言ったら「わたしは内田樹の本のことはあるある本だと思ってるから」と返ってきたのを覚えてる

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2022年08月31日

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本書では、子どもが授業を真面目に聞かないこと、勉強をしないこと、すぐに転職する若者が増えていること、ニート問題など、人によっては近頃の若者はけしからんと根性論で片付けてしまいそうなテーマが扱われている。
しかし、実はこれらの背景には共通しているものがあり、それが消費者マインドだということがわかりやすく説明されていて、なるほどと大変感心した。
現代社会において、消費者マインドは、重要かつ不可欠な思考であるというイメージがあったので、教育などの場に持ち込まれることで弊害にもなり得るというのは新たな学びだった。

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2022年06月25日

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私は両親に、姉妹で私立の中高大と通わせてもらい、毎年のように夏は家族旅行に連れて行ってもらったりしていた。だが私自身は2人の子供達を公立でも大学までやることができるかも不安な財政状態で、家族旅行にもほとんど行けない。子供達はびっくりするくらい家庭学習をしない。なぜだろうと考えていたことに、ひとつの解答を得た気持ちだ。2007年に出版されていたとのことで現在の状況を鑑みても、非常に先見の明があったと思う。当時はまだ子供もいなかったし、読んでも同じように感じたかはわからないけど、もっと早くに読んでいたら、今が違ったのかなと思った。

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2021年08月19日

Posted by ブクログ

学ばない子どもたちの一人として、ストンと胸に落ちるという訳ではないがかなり納得させられる論だった。学びは何の役にたつの?という質問に対して、"答えることのできない問いには答えなくてよいのです"という考えはかなり納得のいくものがあった。自己責任論の危険さの話もかなり良かった。

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2021年01月27日

Posted by ブクログ

なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか?

社会全体が豊かになったからというのは漠然として誰にでも思いつく原因なんだが、ここで著者はさらに踏み込んで、子供たちが「消費主体」として自己形成を完了させてしまったからと、読み解く。と、これだけ書いただけでは、何のこっちゃ?となるかもしれないが、詳しくは読んでもらうしかない。

義務教育の義務は親にとっての「義務」であって、子供にとっては「権利」であったはずなのに、子供が勝手に「義務」と読み違えてしまっている。

などなど、目からウロコがたくさんありました。

(2010/5/1)

2021/6/22 再読

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2021年08月03日

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ー このゲームのルールは「先に文句を言ったもの勝ち」ですから、このゲームで幼児期から鍛えられてきた子どもは、どんな場合でも、誰よりもはやく「被害者」のポジションを先取する能力に長けてゆきます。人間、生きている限り、さまざまな不快なできごとに遭遇しますが、そのすべてにおいて、「私は不快に耐えている人間」であり、あなたは「私を不快にさせている人間である」という被害加害のスキームを瞬間的に作り上げようとする。

いきなりだが、本書が取り上げる「下流」とは、こうした象徴的な性質のことであり、自己防衛的とも言えるが、高潔さがなく卑怯な戦略志向。さらに、群れて集団で誰かを加害者ポジションに追い込み“共通の敵“を作り上げ結託する。

この傾向が加速する。悪いのは環境であり、他者でありルールであり親、政治、教師であると。ネットで見つけた正当化バイアスを鎧として纏い、炎上する火事場を野次馬になって楽しむ。その戦略では、必ず自らを安全圏におき肯定することができるから。

… だが、学ばない。

ー 彼らは「お前がこれから提供する教育サービスにオレらはまったく期待していないからね」ということを全身を挙げて意思表示している。これはバザールで「さあ、これから値切るぞ」と構えている買い手の構えとまったく同じです。先ほども言いましたように、バザールでの買い手の最初の構えは、その商品に対していかに購入意欲がないかを演劇的に表現してみせることです。そうやれば、相手から譲歩を引き出せるということを賢い買い手は知っています。それと同じことを生徒たちもやっている。聴きたくもない授業を我慢して聴いてやるんだから、こちらが支払う「不快という対価」は限りなくゼロに近いからそのつもりでね、と教師に宣言しているわけですね。

予定調和や護られた壁の内側、競争なき同質性からは新たな世界が広がらない。文句ばかり言って駄々を捏ねている受け身な態度はまるで赤ちゃんのようだ。そこから立ち上がり、脱下流志向を目指さねば。そんな啓蒙書である。

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2025年12月04日

Posted by ブクログ

「分からないことがあっても気にならない」
・分からないとこがあっても気にならない。若い人ほど分からないものをそのままにする傾向が増している。分からないものを分からないままに維持して、それによって知性を活性化させるという人間的な機能が低下しているような印象を受ける。例えば分からない言葉を調べずにそのままにするなど。そういった人々は世界の意味が分からず穴だらけで世界を見ているのではないかという不安を覚える。分からないことにストレスを感じない。


「等価交換が染み付いている」
・現代は子供も消費者として始まっており等価交換が染み付いている。昔の子供は労働者として家事手伝いから始めて家族に役に立つことを証明することが先だった。手伝いをして感謝され認められ、徐々に与えられる手伝いを増やして家庭内で社会的な承認を得ていく。今は子供にできる家事がない上に、子供は余計な仕事を増やすので何もしないことが求められている。加えて早い段階からお金をもらう。お金を使うと個人の能力関係なく大人と対等に消費活動が出来る。お金を使うことで、家事手伝いで社会的な承認を得る前に、社会経験を獲得してしまう。ここで現代の子供は経済合理性の概念を正しい考え方と捉えるようになる。

・勉強や仕事を始める前に当人が理解出来る範囲で有用か無用か判断してからじゃないと始められない。なのでこの授業は何の役に立つのかなどと聞いたりする。そこで有用だと理解出来なければ、それが不快や苦労に見合わないから、等価交換とは言えず不合理と考えられるので、やらないという判断になる。ただし勉強はそれを学ぶまで何の役に立つか分からないものなので、勉強する前に有用かを判断することはそもそも出来ない。

・学びからの逃走/労働からの逃走に関して経済合理性(等価交換の原則)の観点からは突き崩すことは出来ない。何故なら学びは学ぶまで有用か判断できないから。また労働は組織利益のために必ず労働者が損するように出来ているから。もしくは労働に対してより難しい仕事という報酬を与えるので経済合理性の観点からは不合理。

「自分が時間的に変化することを想定してない」
・自分自身を時間の流れの中に置いて、自分自身の変化を勘定に入れてモノを考える知性が必要。自分自身も時間の中で変化するということを勘定に入れることが出来ない思考を無知という。学びからの逃走/労働からの逃走とは己の無知に固着する欲望のこと。


「三方一両損という交渉術」
・3人全員が損をすることで丸く納める。2者のどちらが正しいのかを決めるのではなく、角を取り丸く納めて、仲の良い関係を築くことを目的にしている。誰も利益を出さないので、正しいソリューションではなく、全員にとって同程度に正しくないソリューションに持っていく。こういう落とし所の見出し方もある。正しさが全てではない。

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2025年08月18日

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P151~の「雪かき仕事」の内容にハッとさせられる。経済的な合理性だけを求めていると、こういう視点に立てない。
消費行動は本質的に無時間的な行為という一節にしびれた。
コスパやタイパという言葉があらわすように、本書が出版された当時よりも更にその傾向は強まっている気がする。
学びという概念について改めて考えさせられた。

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2025年03月10日

Posted by ブクログ

自分も含めてですが、コスパよく結果がでることや収入が得れるというのが一般的な時代になっています。そんな時だからこそ本書で述べられている
教育という本質的な部分は忘れてはならないと感じました。親と子で学ぶ。なぜ勉強するか?そこは問わずに楽しいよね?学ぶって出来るってという変化をしっかりとみてあげること。子どもも含めて感謝をする。人間として大事な教育という土台をもう一回作り直して現行にも活かせる一冊だと感じました。

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2024年02月04日

Posted by ブクログ

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
こういった子供の問いに、大人として最適なふるまいとは『絶句』してそのような問いは「ありえない」と斥けることだと著者は主張しています。

なぜなら、その答えを教師から引き出すという体験によって、子どもがあるゆることにおいて自分に有益そうならやるし、気に入らなければやらないという採否の基準を身体化した『等価交換する子ども』になってしまうからだと言います。

それは子どもたちが「家で労働する」という体験から自己形成をする機会がなくなり、その代わり早い時期から消費活動への参加を促されていることに原因があるとのことで、その説明は納得するところもあるのですが、平和で豊かな生活を送る日本の子どもが、勉強の意義を考えることがそんなに悪なのでしょうか?とも考えてしまいます。私もなんとなく考えたことあったと思うし。

そんな質問に教師として「答えがない問いに答える必要はない」と斥けるのは、「つべこべ言わずにやれ」という昭和の感覚をよっぽど引きずっているのではとも思ってしまいます。
「君は歴史で習った、戦時中の子どもの話を聞いてどう思った?これがその質問の答えになると思うから、一度自分で考えて、あとで先生に教えて」
みたいな子どもに気付きや考える力をサポートするのが最適なのでは。

ちょっと自分と意見が違うけど、子供をとりまく教育、家庭の構造がわかって面白かったし、色々考えるきっかけになりました。また読みたいです。
ちなみにこのあと『ドラゴン桜2』を読むと、なかなか味わい深くなります。「考えるな!動け!」

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2024年01月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本書は、筆者の娘の中学校での学級崩壊の様子から、話が始まります。

学ぶという行為をなぜ子供たちはやめ、あまつさえ努力してまで学ぶ・働くことから遠ざかるのか、という疑問です。

その原因を端的に言えば、幼年期からの消費者としての商取引の蔓延、と解しました。

・・・
筆者は労働と消費の二項を導入します。

かつては子どもは労働に従事させられた。それは家庭内の小さな手伝いであったり、兄弟の面倒などの家族のサポートであったりした。その結果、家庭内がよりうまく回ったり、時に小遣いがもらえることがあったりもしたと。その労働の世界では搾取されるのが当然の世界で、子どもはその世界で自らの社会化を始めた(その搾取された労働のおかげで家庭であったり社会であったりがうまく回り、再配分が行われるということのよう)。

対して、現在の子供たちは労働の世界に馴れ初める前から、消費者としてマーケットに参入していると。ここでは原則は等価交換・無時間性です。

つまり交換は受領するサービスとその対価は等価であり、かつ瞬時に交換されなくてはならない。もちろんマーケットメーカーですから、値段に納得がいかなければ交換しないし、交換するならば今すぐそのサービスやバリューが提供しなければ納得しません。値切ったり交渉があったりするかもしれません。

・・・
ところが、教育というものが、そうした消費という概念におそよ馴染まない世界であることから、教育という世界と消費者たる学生との間で齟齬をきたすことになります。

まずもって教育とは時間がかかる。今日受けた授業で、生徒が成長を明日にでも実感できるものではありません。また教育がそもそも功利のみで語られるものばかりでもありません。しかも教育を受けたとて、それで将来の成功が保証されるわけでもありません。

このような教育の本質は、消費者として等価交換を考える学生のメンタリティとは合致しないことになります。

・・・
ここで、等価交換という消費の原則に、「不機嫌」という貨幣が導入されます。

交換される財とサービスは等価でなくてはならない。

では学校では何が交換されるか。そう、授業というサービスです。学生にとって意味を見出せない授業とは自分が交換している時間に大いに見合わない。そこで交換を等価にするために支払われるのが「不機嫌」です。

「不機嫌」という通貨。なんだそれ? ほら、振り返ってみてください。昭和世代の「父親」が歯を食いしばって宮仕えをし、給金を家庭へと持ち帰ってきた様子を。いやな仕事もお金の代償とばかりに、家出は不機嫌顔で録に家族と話もせず寝てしまう。子どもたちは、親のこの態度を学習したと。

授業という意味を見出せない(無時間的に価値ありげなものも提供してくれない)ものに対して時間を(強制的に)交換させられている。でもこれは子どもたちとって等価ではない。この交換を等価にするべ、生徒たちは「努力して」授業を妨害している、と。

つまり学級崩壊は、生徒の等価交換の実現であると言えます。

・・・
しかも、「自分らしさ」「内発的動機」「自己決定」などを称揚する潮流が事態を悪化させたとしています。

例えば「自己決定」。これは、自分が価値を置くものを自ら選択・決定するってことですね。逆に言えば、他人や世間がこれをやりなさいって言っても、強制されないわけです。パターナリズムの否定です。
生徒の立場で「自己決定」を言われると、授業や教育とは、生徒が意味を見出すもので、先生が一方的に授与するものではない、ということになります。意にそぐわない授業を聞くことは「自分らしく」ない。

塾で習う方がコスパ・タイパよくね? てか歴史なんか勉強して意味なくね?俺達将来を生きるんだし。 暗記とか時間の無駄だし。ネットで検索でオッケーじゃね?…すべて等価交換を念頭に置いた自己実現・自己決定であります。

・・・
さて、この「自己決定」ですが、その決断の正しさを担保するのは何でしょうか。

もちろん、将来の自分です。でも将来の自分が正しくなかったとき、どうなるでしょうか。もちろん、将来の自分が毀損します。

しかし学ばない子、働かない子は、安全網を破棄していることが多いと言います。

基礎教育を得ていない(「俺的に授業はイけてなかった」「人からやらされることは嫌い」)、労働経験が少ない(「チョー面倒なことをやらされるんだったら、収入なしの方がマシ」(無労働と定収入の等価交換・自己実現))、などです。

もちろん、勉強なんて何の意味があるか分からないことも多いです。そして何に役に立つのかも分かりません。また、そうした努力が必ずしも実を結ぶとも限りません。

しかし、生きる力がない・生きられないというリスクをヘッジするという観点から言うと、たとえ努力が実を結ぶと信じなくても、こうした努力・勉学を続けることこそがリスクヘッジとなるのです。

そして「内発的動機」を重視しまくり「自己決定」した人がこうしたリスクヘッジをできず、ニートになり得る、と結論づけているように見えます。

・・・
ということで内田さんの著作でした。

問題は複合的であり、一概に原因を特定したり、断定できるものではないかもしれません。内田氏もニートの統計が少なく、状況について断言しかねる旨、仰っています。

なお、こうしたニート達については、特効薬もなく、労働や勉学にも価値があるということを少しずつ理解してもらう、彼らを受け入れるような共同体を回復させる、等々を簡便に仰っていました。このあたりは宮台真司氏の考えに似ているかもしれません。

とうことで、本作、日本の教育事情、日本現代文化、社会学、思想系に興味がある方には興味深く読んでいただける作品かと思います。

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2023年06月29日

Posted by ブクログ

学ばない働かないを自己選択する若者たちの気質を読みといた一冊。示唆に富んでいて非常に興味深い。

背景として、日本社会が集団主義の護送船団社会から個人主義の自己責任社会に移行したこと、子どもであっても経済合理性(コスパ・タイパ)を判断軸にしていることがありそうだ。

教育のジレンマとして、ある程度修了しないとその効果を実感できないところがあり、即時的な効果を求めづらい。
「なんの役に立つの?なんのために学ぶの?」の質問はここから来ている。

学校教育を経済合理性で考えた場合、じっと座って授業を聴く苦役および時間を差し出すことで、教師から教育サービスを受けるモデルと考えられるが、現在の社会は学歴が将来の雇用や収入を保証しない。
周りが勉強しないなら、全体の没落により偏差値は下がらない。
結果として、学力の二極化が起こる。
高偏差値層の医歯薬系の人気も、高校生が投資回収の早さを理解しているからだろう。

労働についても、労働は本質的に等価交換ではない。利潤を得るためには賃金以上の働きが必要。その点が理解されていない。労働による承認は賃金や周囲からの評価だが、賃金は労働対価以下であり、承認は送れてやってくる。

即時的な効果を得られないことに対して、結果が不利だと分かっていても低い自己決定をする流れがありそうだ。

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2023年05月03日

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p.31意味がわからないことにストレスを感じない
→生まれた時からデジタルな仕組み分からないものだらけ

p.57教室は不快と教育サービスの等価交換の場
→ 消費者の立場で社会参画するからクレーム(自己利益を少しでも増やす合理的判断)。
→売買は無時間モデル。教育は学んだ後でないと価値が分からないものであるのに。

・世の中がビジネル思考になった。
・師をもつことが師である条件。オビワン。

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2022年11月09日

Posted by ブクログ

●著書は人生上がりの学者かとちょっと偏見があったが、この本は良かった。
●なぜ最近の学生が学ばないのか、すっきり解説してくれている。腑に落ちた。同じくニートが働かないのも然り。
●たしかに、なぜ勉強しないといけないのかなどの質問にはまともに取り合う必要はないはず。
●ニートの解決策はほぼないという身の蓋も無い結論だが、その通りではないか。今後我々が税金で補うしか術がないのは悔しいが…

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2022年02月06日

Posted by ブクログ

分かりやすくて非常に面白い。なるほどね、と頷きながらあっという間に読んでしまった。
君たちはどう生きるかを読んだ直後だったのだけれど、消費主体として自己確立をする子どもの話は両者に指摘されていて興味深い。
経済的合理性だけを目指す教育や社会、どうなんでしょう?

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2022年01月29日

Posted by ブクログ

自由な生き方を自分自身で選んでるようで、実は選ばされているという視点が、今までの私にはなく新しい視点だった。

格差が広がる過程がよくわかる本。

格差が広がる。社会が助け合いを忘れギスギスする、自己責任を強く問われ弱者がどんどん追い詰められていく、一部の上流階級以外みんな弱者になっていく。じゃあそれをどう解決していくか、ということがあまり書かれていないが、著者的には自分で考えろってことなんだろうな。
でもどうしようもなくね?って思ってしまう。それも短絡的なのかな。
家族の絆や地域の絆を程よく保つみたいな取り組みはNPO法人でチラチラ行なっているのをみるから、そこに期待。
そして、私自身も、人との関わりがとっても億劫だけど、少しずつでも無理のない範囲で増やせていけたらなと思う。
自分の住む地域が、そして日本全体が、また総中流社会になれたらなと思う。

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2022年01月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

封建制を否定し、地縁共同体を霧散させた近代日本の歪みを解決してくれるのは封建的要素かもしれないのかと考える。それはまた封建制の問題を浮かび上がらせるだけなのだけれど、良い中間は多分ない。
そういえば、外山滋比古といい内田樹といい、自分の子供時代の教えは良かったとよく言う。人の話は丸呑みせずに考えることも必要だけど、訳もわからず受け取って、後でこういうことだったのか。と気が付くには、現代の生き方は早すぎるかもしれない。

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2021年06月05日

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ある意味ホラーです。生まれついての消費者は、バザールの商人と同じ,儲かるか損するかが価値基準で有り、その行動原理は、幼き時より深く精神を支配していると師範はときます。

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2021年04月14日

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学ぶ意味、働く意味を考えることは重要じゃない。そんなのは学ぶ、働くうちに見つけるもの、或いは見つからなくても良いもので、学ぶ、働くというのは当たり前のこと。という理解は強引かな?
内田さんは子供のうちに労働主体として生きることを経験するべきと言っている。そうかもね。自分が生きている社会は誰かの労働の上に成り立つもので、生きているだけで恩恵を受けている。働かずに生きていくというのは難しいこと。

私が物心ついた時、労働というものは自分以外の他人が担うもので、その対価に自分の何かを差し出すという考えはなかった。親が子どもに「寝床と食事は与えるからその分働け」なんて言ったら虐待扱いされますもんね、今なら。でも昔は子どもも働き手とみなされてたんですよね。食べていくためには子どもも働く必要があった。そうしないと家族が生きていけなかった。

何のために働くのか、とか考えることもなかったんでしょう。働かなきゃ生きていけないから。
今は働かないでも生きていける人がいる。衣食住やそれに相当する金銭を他人が与えてくれれば。子どもが生きていくのに必要なものを、子どもの労働なしに親が与えることもできる。余裕があるんでしょうね、昔に比べたら。

働きたくない人が働かないで生きていけるようにはならないのかな?今は他人を養う余裕がある人がいるわけで、その余裕を機械に労働させたり仕事を効率化させることで大きくしていけばいいのではと思うんだけど。
でも賃金が安いから共働きじゃないと子育て、生活が厳しい人も増えてる。これから余裕はむしろ小さくなっていくのかな。

労働からの解放というのは実現されないかなぁ。星新一さんの世界みたいだけれど。働かないでも生きていける社会になったら、どれくらいの人が働いてどれくらいの人が働かなくなるんだろう。いっぺん見てみたい。
政府から半年分くらいの生活費が全国民に与えられて、その期間働く必要はないと宣告されたら。物が買えなくなるしサービスも提供されなくなる。電気も水も使えなくなるかもしれない。働く人がいないから。水が使えなくなったら死ぬから、水道局に出向いて仕事を教えてもらって実践するかもなぁ。水道局の人に教えてもらう対価には何を差し出したらいいだろう。めんどくさいからって拒否されたらそれまでだしな。

食べ物は?スーパーに出向いていっても営業してなかったら、無理矢理こじ開けて盗むかもしれない。警察だって働いていないかもしれないし。そうなったら法律が機能しないから誰かに危害を加えられる可能性もあるね。なんか殺伐としてきたな。

やっぱり労働がある世界の方がいいか。働く人が大勢いるからこそ毎日食べる物があってインフラがあって安全に眠れる家があるんだし。
でも1日2時間週2日労働くらいに短縮されないかな、なんて理想はまだ持ってます。皆がもうちょっと楽できたらいいのにね。

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2021年02月16日

Posted by ブクログ

学びとは時間的なもの。学び始める時にはそれがなんなのかわからない。学ぶにつれてその価値や意味がわかる。時間的流れの中にいて自分自身の変化を受け止めていく。
生徒が消費者として教育を受けているのはひしと実感できた。

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2024年12月13日

Posted by ブクログ

経済原理が行き渡りすぎた結果、教育が「等価交換」サービスと誤認される、という考察は頷ける。
「統計的に言うと」と言及される個所がいくつかあるのだけれども、そこに出典が明記されていれば、そちらも辿って読むことができるのだが、その点惜しいと感じる。

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2021年04月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

対価を支払う価値があるのかを確認する作業から学ばなくなり、働いたら負け、との理論が成立する。

リスクヘッジがキーワード

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2020年12月25日

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