今作もとても良かった。前作はえらてんさんとえもてんさんの事例からエキスを吸い取るか、という感じだったが、今作は前回にもまして事例がもりもり!エッセンス満載でとてもわかりやすく、かつ読みやすかった!
p.34 要は「人情に甘えられるだけ甘え、むき出しの競争を避けることで曖昧にやっていける」のが、自店
...続きを読む舗を営むしょぼい企業の強みだと言うことです。古臭いやり方だと侮ってはいけません。自然な心情に働きかけて人を動かすテクニックは「なっち」と呼ばれ、行動経済学の最先端分野になっています。あなたも自店舗を構えて科学的にも実証された「古き良き義理人情」を味方にしましょう。
p.35 世の中の商売には2種類しかありません。カレーを得るか、シャンパンを得るか。このいずれかです。世の中の商売の基本形は、カレーならカレーと言う、決まった商品(サービスの場合もあります)を作って供給するものです。スーパーに行けば一定の価格で一定の商品が売っていますし、ちょっと頑固なラーメン屋も、売っているのは店主の心意気ではなくメニューに並んだ一定の商品です。これを便宜的に「カレー的」商売と呼びます。一方、ホストクラブが客にシャンパンを入れさせてグラスのタワーに注ぐのは、シャンパンそのものにではなくホストの魅力にお金を払ってもらうための仕組みです。 大道芸人が集める投げ銭、あるいはYouTubeが再生回数を稼いでいる広告収入なども、基本的には同じです。これを便宜的に「シャンパン的」商売と呼びます。つまり、商売とは大まかに「商品を作り提供する」ものか「芸をする」ものに分かれていると言うことです。カレー的商売とシャンパン的商売の間には、両者の中間的な商売があり、また同じ商売でもスタイルが違えば、どちらより認知するかも変わると考えてください。例えば「教師」であれば、学校法人や地方自治体に勤め、所定の課程を履修させることを使命とする人は比較的カレー的でしょうし、予備校で 引く手数多の人気講師は、カリスマ性を発揮して受講生を集めると言う意味で、よりシャンパン的です。私がここで何を申し上げたいかと言うと、「多くの人々が興味を抱きがちな抱きがちなシャンパン的商売は経済のメインストリームではなく、成功への道は狭く厳しい」と言うことです。確かに芸事は、刺激や潤い、慰めを求める人々の欲望に訴えますから、とにかく目立ちます。でも、芸で食べ物はつくれませんし、ビルを建てられるわけでもない。経済の根幹を支えるのはいつの時代もカレー的商売であり、そこで生み出された余剰出回る、おまけのような存在がシャンパン的商売なのです。
p.97 運や素質といった人知の及ばない要因は別として、失敗した人たちが努力不足だったかと言えば、それは明らかに違います。総合格闘家のジョシュ・バーネットは以前「結果が出ていないときに、ただひたすらがむしゃらに努力を続けてしまい、どこか悪いのかうまく分析できない」と指摘したことがありますが、努力や我慢といった美徳はポイントを間違えれば、帰ったらなるのです帰って落とし穴になるのです。
p.109 「事前予測で避けられる失敗はなるべく避けてなるべく確実にしょぼい企業軌道に乗せたい」とあなたが考えるなら、経営者として何より力を注ぐべきポイントは、「誰がやっても、短期間で最低限のアウトプットが出せる仕組みづくり」です。間違っても「磨き上げた職人芸を手取り足取り教えこむ」方向に努力してはならないことを肝に銘じましょう。
p.115 あなたが責任者である限り、あなたの意見で全て決められるのですから、基本的には秘密を作らず、手伝ってくれる人には何でもオープンにして構いません。ただし、1つだけ例外があります。「材料をいくらで仕入れているか」を、店の経営権がない人には決して教えてはいけません。手伝ってくれる人に仕入れ値を明かすと言う事は、店番で丸わかりになる売り上げとの差し引きで粗利が計算できることを意味します。家賃や光熱水道費、消耗品といった経費も、そうそう隠すわけにはいかないでしょうから、結果的に経営者であるあなたの取り分が、一生懸命店番を頑張って手伝ってくれている人の報酬より多いことが、はっきりわかってしまいます。経営者としてリスクを取っていることに理解があれば、これは当然のこととして納得できるはずですが、現実はそううまくいきません。「自分だけいい思いをして」とモチベーションを下げられてしまうか、「ノーハウを掴んだらさっさと辞めて、よそで同じことをしよう」と逃げられてしまうか、そこまで行かなくても休憩時におごるジュースにあまり感謝されなくなるか。いずれにしても良い事はありません。借り入れをしないしょぼい企業では融資先もそういないので、店の収益構造を全部明かして良いのは「この人となら一緒に経営できる」と確信した仲間だけです。逆に言えば、仕入れ値を教えてもいいと思える相手には、早めにあなたの右腕になってもらうべきでしょう。
p.162 コンピューターにイノベーションを起こして時価総額世界一になったアップルは半世紀前のシリコンバレーで、犯罪スレスレの電話は唯が結掃除を売って一儲けした連中が立ち上げた会社…(ウォルター・アイザックソン(井口耕二訳)『スティーブ・ジョブズ1』 (講談社、2011年)などを参照
p.178 電話タダ掛け装置の売人を経て起業家になってから実に40年後、iPhoneで電話の概念を変えたスティーブ・ジョブズは、「未来を見据えて経験を積むことは不可能で、経験を振り返って点と点を結ぶことしかことしかできないから、いずれ点と点が何らかの形で結びつくことを信じろ」と述べていますが、試行錯誤の中から、生活の資本家と言うコンセプトに形を変えてきた難民社長は、さながら「しょぼい企業会のジョブズ」だったと言えるでしょう。
p.184 ただ、問題は値付けと会計です。以上からわかる人にはわかると思いますが、難民社長流の店舗経営とは基本的に「仕入れ費用と諸経費・税金、スタッフの給与払い終えた後、まだ残りがあれば自身の懐にも入る過去(が、不足する生活費はバイトで補う)」と言う営みです。これは「意気軒昂な起業家が、本業を軌道に乗せるまで手堅い下請けで食いつなぐ」状態に近く、常時収入を安定させるために私が提唱した、しょぼい企業とギグワーカーを掛け持ちする「ハイブリット型」とは考え方が全く異なります。
p.196 「お金に媒介された関係だけじゃない、顔なじみ同士の有機的なつながりは、やっぱり柔軟で強いと思う。いくら『対面で集まりにくくなった』と言っても、それは何百何千人規模の話。僕はこれからもファミレスの4人席に知り合いの知り合いを呼び出して、曖昧な仲間を引きずり込んでいくと思う(笑)」
まるで家族の概念を緩やかに拡張するように共助のコミュニティーを広げてきた久木田さん。もしかすると彼は、独自の手腕で事業を成長させているのでいるだけでなく、一旦夢半ばで終ったー社会運動の目的も達成しつつあるのかもしれません。