内田樹のレビュー一覧
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初内田樹だけど面白かった
大学生もっと早くに読めば良かったなあ
学びは学びたいと思うものにしか現れない。
よくわかる気がする
よく分からん難しい教科書に、あれこれ考えて無理やり解釈つけてわかった気になって、先生にボコボコにされてあーそういうことかってなることよくある。
謎があって、誤解の余地があるから人は想像するようになってるって、あーいいなって思う
突っ込み所のないパッケージトークつまんないしね。
逆に誤解するようにできてるから、人には想像力があるんだろう。
突っ込み所が適度にあるよう会話って、考える前に自然にそこに突っ込んでて、突っ込まれた方もあーそれはこうだからって自然に展開して、
考えてないから確かに第三者が操ってるような、会話がうまくドライブしていく感覚になる
そういう会話ができたときはすげー気持ちいい
会話のゾーンなんじゃね??
好きな人と喋ってるとうまくんできんのはなんでなんですかね。知って欲しい欲とか知りたい欲とかが勝って変なただの思い出とかをポーンと言っちゃうからなのかね
わかりたいんだよなあ。わかりきったらつまらんくなるのよなあ。人間めんどくせえなあ
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Posted by ブクログ
久しぶりに、スッキリできる書籍に出会った。
もやが急に晴れたとは、まさにこのこと。
いつものことだけれど、村上作品の解説本の類に手を伸ばしてしまう。
私にとって、作品そのものは意味がわからないのに面白いはじめての作家であり、ずっと好きだという気持ちがやまない。
ハルキストとしての初めの一歩を娘が村上春樹に興味を持ったことで、反芻している。好きだと自覚してからは、本当にずっと好きだと思っていたけど、自覚してからだって、好きの内容は意外と様変わりしてきたと思い至る。
で、読みなくなった。他人が語る村上春樹を。
内田樹は共感材料が多い、語り口が楽しいし、多分、この人のことを人として好きだ。内容、言葉遣いを通して、私が見ている人柄をとても素敵だと思っている。わかる!そうありたい!と思っている延長にいる人。延長というのは、分かるし、共感できるけれど、学びが多いという意味だ。
村上春樹ことはじめのころ、私が何者か、理解できないミュージシャンやお酒なんかがよく出てきて、煩わしさを感じていた。今は以前ほど露骨ではないのか、私が慣れたのか、実は私の知識が増えたのか、わからないけど、そう思うことはなくなった。そのあたりの内田樹の解説からして、唸りっぱなし。それらの役割と私の距離感を理解する。ふーんから、はじまり、期せずして、面白いと私が感じる根本的な理由が掴めたような気がしているのだ。
村上春樹が文壇でよく言われない直接的な理由はなんとなく知っていたつもりだし、ハルキストってそれさえも勲章みたいに思っているから、掘り下げて考えてこなかった。文壇から否定されているメカニズムには、ほーっと思ったし、それが文学そのものに繋がるところでちょっと熱くなる自分を感じた。
読書が好きだし、物語が好きだ。私が学生だった時代、小説は下らないという価値観が残っていたし、私にも物語が好きなんて女子供の言うことぞという感覚もあった。文芸論も、文化論も好きだがけれど、考えると、これは自分が小説・物語を好む理由が欲しかったからと説明できるかもしれない。文学とは何か!その価値とは何なのか!突き詰めて、学んでもよかったなと今では思う。きちんと、今でも好きだから。
それでも、もっぱら日本の小説ですが、読書が趣味ですと卑下して言ってしまう。自分の面白さと文学的価値は基準が違うし、文学的価値がない読書は堂々と胸を張れないように思ってきた。
私は小説をこよなく愛しているので、小説以外で震えることは本当に少ないのだけれど、小説そのものではなく、ましてや、具体的な小説について解説している箇所でもないのに、心が震えた部分がある。
家族とは欠落と不在を持って、意識される集団であるということ。ひいては、人間とは、失うものに価値を求め、美しさを説くものという内田氏の持論。恐ろしい、祖母と父の死に面した時、また、それから新しい家族を持った時、私が考えた幸せも悲しみも亡き祖母と父を想う気持ちだった。娘を育てている今、振り返るとこも、常に祖母も父も健在だった日のことで、それは、幸せと共にハルキストに成長していく、私の人生そのものだった。家族になのか、春樹になのか、自分になのか、さらにないまぜなのか、そこに強力に感傷的になる自分がいて、少し混乱したりもした。 -
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白井聡「武器としての資本論」が面白かったのでこちらも。永続敗戦論で書かれていた対米追従”永続敗戦レジーム”の話を縦軸に、日本の様々な問題に触れていく構成。
先日見た「三島由紀夫vs東大全共闘」で、両者は右翼と左翼で水と油かと思いきや実は共通の敵(嘘だらけの日本)がいたという展開があったが、ここでも、本来的に今の”愛国”は本当にそうなのか?という話が見られた。
あと、老害を生み出さないための昔の知恵として、昔はある程度の社会的地位に達した人は50歳くらいになると何か旦那芸を習ったものという話が面白かった。謡をやったり浄瑠璃をやったり俳句をひねったり参禅したり、元気の良い人は武芸をやったり。こういうお稽古事の1番いいところは初心者はとにかくシステマティックに師匠に叱られること。それなりの年齢になってある程度社会的立場に達するともう上の人から叱られるということがなくなる。これは知性にとっても感受性にとってもいいことではなく、人間は定期的に叱られて自分の「ダメさ」を自覚することが必要だ...みたいな話は納得すると同時に新たなことをはじめたいなと思うようになった。
かなり全面的に日本がダメダメなので暗い気持ちにもなるが、農業の話には少し希望が見えた。というのも、日本では国土の制約から大規模化ができず、降雨量も多く、素人の帰農を歓待する自治体さえあるため素人でも農業に参入できるという点において、これはアメリカでもフランスでもありえない日本だけの特徴なのではないか?という話。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ内田樹の等身大の姿が垣間見える貴重な本だと思う。それもまた、みんながとりあえず信用することができるだけの情報を出しているだけだと内田樹は釘を刺してはいるけれど。それでも今までの内田樹が発する言葉から窺い知れる姿とはずいぶん違う像を見ることができた。
るんちゃんの洞察力もさすが。この人の言葉選びと視点は希有のものだと思うので、そのうち本を書くだろうな。
それにしても、内田樹が30代後半の娘をまるで10代の子どものように娘に語りかけるのは最後まで違和感ありました。どうなんでしょう、これ。
とはいえ、愉快に自由に過ごして欲しいという親心は共感できたし、カッコつけずに話そうという姿勢はやはり内田樹だなと思ったので、読書としては面白かったです。 -
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発刊から数年経ち、時事としてはちょっと古い話題ではあるものの内容に関しては全く遜色ないばかりか、今の政治や世事の状況を鑑みつつ読めば発見や自分では思いもつかない見識が満載です。
私には目からウロコの見識がたくさんありました。
先生の、「未来に対する仮説を立てて検分する」という世の中に対するあり方は私たちに、もっと広く物事を見よ、考えよ、本当のありかを見極め嘘や誤魔化しを見抜けよ、と訴えているかのようと感じました。
たとえ仮説が外れたとしてもそれは問題ではなくて、そういう風に物事を関心を持ってみる姿勢がなくてはならないという啓発だと。
流されてばかりではあかんですね。何が出来る出来ないの前にきちんと考えて判断するアタマをまず自分で作らなくては。
今のような空気感の世の中では「正常性バイアス」を解除できるかどうかというのも大変大切なことですね。
これから読んでもためになること満載な一冊です。 -
Posted by ブクログ
中高生にとって必読の書であるのはもちろん、私たち大人も読んでおくべき1冊。
以下、印象に残ったフレーズを。
「この世に『最低の学校』というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは『よきもの』は何も生まれません。これは断言できます。」(p10:内田樹)
「疑うというのは『排除する』とか『無視する』ということとは違います。『頭から信じる』でもなく、『頭から信じない』でもなく、信憑性をとりあえず『かっこに入れて』、ひとつひとつの言葉を吟味するということです。そうすればおそらくみなさんは『なんとなく、身にしみ入る言葉』と『なんとなく、違和感がする言葉』を識別できるはずです。それくらいの判断力は生物である限りは備わっています。」(p14:内田樹)
「『わかった』というのはあまりいいことじゃないんです。人間同士では、『わかると、コミュニケーションが終わる』ということになっている。」(p38:内田樹)
「物理を専門にしておられて、科学についてすばらしい本を何冊も書いておられる山本義隆さんは、何のために勉強するのですかと尋ねられて『自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです』と答えられました。これは、勉強だけでなく、科学という言葉にも、ぴったりとあてはまります。」(P184:仲野徹) -
Posted by ブクログ
本の帯には、著者の破天荒な半生のトピックが
キャッチコピーよろしく書かれている。
いじめが原因で小学校を登校拒否
受験勉強が嫌で日比谷高校中退
親の小言が聞きたくなくて家出
大検取って東大に入るも大学院3浪
8年間に32大学の教員試験に不合格
男として全否定された離婚、
仕事より家事を優先して父子家庭12年
本書はまもなく古稀を迎える内田 樹 版「私の履歴書」。 大学の教員職を得るまで、かなりの苦労をしたとは耳にしていたが、採用になった神戸女学院が33校目だったとは…。それに輪をかけて驚いたのは高校中退し、大検経由の東大合格⁈
数奇な半生記でありながら、本書には運命的な出会いとかついてない人生を劇変させた出来事といった類いの感動モノの登場はなく、生い立ちから順に恬淡と進む。
その恬淡ぶりを「巷に溢れる劇的半世紀自叙伝」に対する天邪鬼の性格ゆえかと思っていたが、そうではなかった。「僕は『人生の分岐点』がまるでない人間」と坦懐。誰しもが時折思う「あのとき『あっちの道』に行っていたら、随分と人生が変わっていただろうなあ…」というアレがなかったと。
著者の「人生の分岐点」を差配したのは『なんとなく』という指針。著者曰く 生来「計画性のない人間ゆえに『人生を通じてこれだけは実現したい!』という目標を持ったことがなく、むしろ常にあるのは『なんとなく』で引き受けた仕事がきっかけになり、予測もしなかった繋がりや潜在的な資質を発見できた。
この「なんとなく」には強い指南力、「強い引き」があることを発見する。「なんとなく」には義務感・恐怖心・功名心が関与する余地はない。そこにあるのは「なんとなくなんだけど、これをやりたい」という一心。
そもそも『やりたい』という気持ちは、自分のすごく深いところに根ざしている衝動であり欲望。ゆえに、たやすく言語化できるはずがない。
ただこの言語化できないことが厄介でもある。他者に「やりたいを理由」をきちんと述べなきゃいけない風潮が社会にあり、明確性とエビデンスを求められるからだ。
とにかく重要なのは「『なんとなく』やりたいこと」を実行する『勇気』。これがないと一歩前に踏み出せない。スティーブ・ジョブズも語った『心と直感に従う勇気』については我が半生に不足を感じなかったと語る。
高校中退、大検を経て受験浪人、大学院3浪、大学教員採用32連敗…、これだけみれば十分な劣等生。縁のなかった関西で教鞭を取りながら父子家庭で娘を育て上げた後、一気に怒涛の活躍へ。謂わば「V字回復」に転じ、神戸・住吉に長年修業を積んでいる、合気道道場兼自宅<凱風館>を設け、旺盛に執筆に精励する毎日。遅咲きの「もの言う知識人」は齢七十にして、ますます意気軒高。
著者の半生を総覧し、『価値観』が凡人とは明らかに違うという一言に尽きる。著者の親が小学生時代の息子を見て「樹が嫌と言い出したら一歩も引かない」の見立て通り、「三つ子の魂百まで…」を地で行く遅咲き70年の歩み。
凡人とは、「自身の『心と直感』を本当に信じていいの?と不安に思い、『普通』という極めて曖昧な物差しを常に当てている人のこと」なんですね。読後感はああ、僕は典型的な凡人であることを再認識した一冊。 -
Posted by ブクログ
・情報を評価するときに最優先の基準は「その情報を得ることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか」ということです。
この本の主題には直接関係ありませんが、私は、第一講「キャリアは他人のためのもの」が好きです。
《人間がその才能を開花させるのは、「他人のため」に働くときだからです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。とにかく「これ、やってください」と懇願されて、他にやってくれそうな人がいないという状態で、「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以ては代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。》
第六講「読者はどこにいるのか」も私にとって興味深い内容です。
《電子書籍が読者に提供するメリットの最大のものは 「紙ベースの出版ビジネスでは利益が出ない本」を再び リーズナブルな状態に甦らせたことです。「読者が読みたかったけど、読むことが難しかった本」への アクセシビリティを飛躍的に高めたえたことです。
つまり、電子書籍の登場により、紙ベースの出版ビジネスが おびやかされることを危惧するよりも、紙ベースでは利益が 出ない本に注目が集まることによって、出版に繋がるなど、ポジティブな展開を促進するように動くべきだ。》
これからは編集者がネタを探すのではなく、電子媒体で 読む読者が、ネタを探してくれる時代になる。
2010年6月中旬に書いたという「あとがき」の中で”好んで「腐りやすい」イシューを扱うというのは、たぶん僕の悪癖の一つなのでしょう。
さて、今回のメディア論の賞味期限はどこまで保つのでしょうか。”と仰っていた内田樹先生でしたが、2018年7月中旬の時点では、”メディアが集中的に論じる論件については、僕たちも選択的に詳しい。
けれども、メディアが扱わないトピックについてはほとんど何も知らない。”という状態は、ネットというメディアのシェア拡大をスマフォの普及が加速させたために、ある意味予言通りになっているような… -
Posted by ブクログ
死者とか敗者、忘れされれようとしている者、なかったことにされている者への想いを持つことが、今、自分が生きるために必要なのだ、と言われた気がした。
読んでいて、気持ちが軽くなった。気持ちが軽くなったことで、俺は自分を死者、敗者の側に置いていたのだと気づいた。
誰かから、負けや死を宣告されていたわけでもない。自分で自分をそういうふうに勘定していたのだな、と。
今の社会情勢がそういう気持ちを喚起していたのかもしれないし、ひょっとしたら誰でもそういう気持ちをもつものなのかもしれない。だからこそ、死者をおもうことは、自分をおもうこと、救うことになるのかもしれないな。
多くの友、同志を失うことによって、リーダーとしての卓越性をもつに至ったという西郷隆盛について、ちょっと読んでみたくなった。 -
Posted by ブクログ
僕は内田樹という知性を信頼している。
膨大な知識・鋭い感性・身体性に裏打ちされた独自の視点を持ちつつ、さらに自分より若い世代や異なる分野の専門家に対してオープンマインドな姿勢を保ち続けている人だからだ。
自分はもうすぐ40歳を迎える人間(内田樹氏から見ればまだまだ若造)だが、既に自分より遥かに若い人たちの感性やスピードについていけず、徐々の頭が徐々に柔軟性を失いつつように感じ始めている。
そういう自分の老化のようなものを自覚し始めた今だからこそ、内田樹氏の開放性というか、しなやかさに尊敬の念を禁じ得ない。
本書「しょぼい生活革命」は、そんな敬愛する内田樹氏が、自身の娘よりも若い30歳の青年(えらいてんちょう氏)と真正面から向かい合い、経済、政治、教育などについて、自分の感覚を頼りに率直に意見を語り合う本だ。
えらいてんちょう氏については、本書を通じて初めて知ることになったわけだが、内田樹氏が対談相手に選んだだけのことはある。
彼は単に若さに由来する溢れるエネルギーを頼りに影響力を拡大している若者とは一線を画す人物だと感じた。
えらいてんちょう氏の行動の一つ一つが、単なる衝動から来るものとは明らかに違う。
自らの経験と思索を元にした思想に裏付けされているように感じる。
こういう若者の行動は、状況が少し悪化し追い風が向かい風に変わったとしても、まわりの注目が落ち着き大多数の人に忘れられてしまったとしても、静かに着実に継続される。強靭な植物の根のように、地中に深く広く張り巡らされていく。
そして、まわりの人たちがふと思い出し、その人に再度注目した時には、すでにより強くより偉大な人物に成長している。
周りの人から見るとまるで変身してしまったかのように見えるが、本人からしてみれば日々着実に学んでいった結果に過ぎない。
えらいてんちょう氏はそういう人なのだろうという印象を受けた。