内田樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
内田の依頼に応じた識者たちが人口減少の日本の撤退論を語る。
それぞれある意味好き勝手に持論を書いている。
これをここでまとめても意味はなかろう。
自分の思う「撤退論」を書くことにする。
識者の意見に影響を受けつつ。
人口減少は先進国共通の現象であり、これを避けることはできない。
異次元の少子化で児童手当増額などといいながら、
扶養控除を廃止したり、社会保険料を増やそうとする政府の愚には呆れる。
彼らにこそ撤退論が必要なのだ。
高度成長時代の、人口増加時代の仕組を変えようとせずに小手先だけの政策を行う。
前例に倣うことしかできない。
更に省益優先、OBの天下り先優先で国有財産を財団法人に抱え込む。
違う仕組みが必要なのだ。1年で50万人が減る国には。
それができないのは、今の仕組のままの方が都合がいい輩が政府、財界の多数派を
占めるから。何年か何十年かは持つかもしれないが、その多数派はどんどん減る。
そして皆が貧しくなる。このままの仕組みでは。それは見えている。
だって確実に人口は減るのだから。増やすには移民しかないのに、それは拒否するのだから。
絶望しかない。
撤退論、必要だ。 -
Posted by ブクログ
学ばない働かないを自己選択する若者たちの気質を読みといた一冊。示唆に富んでいて非常に興味深い。
背景として、日本社会が集団主義の護送船団社会から個人主義の自己責任社会に移行したこと、子どもであっても経済合理性(コスパ・タイパ)を判断軸にしていることがありそうだ。
教育のジレンマとして、ある程度修了しないとその効果を実感できないところがあり、即時的な効果を求めづらい。
「なんの役に立つの?なんのために学ぶの?」の質問はここから来ている。
学校教育を経済合理性で考えた場合、じっと座って授業を聴く苦役および時間を差し出すことで、教師から教育サービスを受けるモデルと考えられるが、現在の社会は学歴が将来の雇用や収入を保証しない。
周りが勉強しないなら、全体の没落により偏差値は下がらない。
結果として、学力の二極化が起こる。
高偏差値層の医歯薬系の人気も、高校生が投資回収の早さを理解しているからだろう。
労働についても、労働は本質的に等価交換ではない。利潤を得るためには賃金以上の働きが必要。その点が理解されていない。労働による承認は賃金や周囲からの評価だが、賃金は労働対価以下であり、承認は送れてやってくる。
即時的な効果を得られないことに対して、結果が不利だと分かっていても低い自己決定をする流れがありそうだ。 -
Posted by ブクログ
相変わらず学びがあり、相変わらず溜飲が下がり、相変わらず少しだけ希望が湧いた。日本や世界の、現状が現状だけに少しだけだが(笑)
【親切】
帚木蓬生の「ネガティヴケイパビリティ」で、「親切」ということがこれからのキーワードだと思ったが、内田樹もまた、親切という美徳をアカデミアの世界でも重んじるべきだと言う。「正直」「親切」「愉快」!
「学校教育で1番大事なことは『歓待する』ということだと思います。教室に入ってきた人たちに対して『ようこそ、あなたの席はここにあります。あなたの存在は固有名において承認されています。あなたはここに座って学ぶ権利があります。私はあなたがここで学ぶことを望んでいます。』そう告げることだと思います。歓待すること、承認すること、祝福すること。教育の本務はそれに尽くされると思います。」p97
強く同意。
【人口減】
人口減は全世界的な現象だが、キャリング・キャパシティ(環境収容力)を考えたらこれ以上人口が無限に増え続けることは無理。この自然の摂理をどう受け入れるか。
中国政府が親たち教師たちに「宿題を出すな、塾に行かせるな、家庭教師を雇うな、予備校のオンライン講義を受けさせるな」という圧力は、受験戦争の「勝ち組」にリソースを集中させて、階層が固定化される社会では危機の時代に対応できないと指導部が気づいているせいだと言う。本当に中国政府が気づいているかどうかは別として、この内田の指摘は、なるほどと思った。
それに反して日本の人口減対策は都市一極集中シナリオと地方の過疎化・無住地化政策をりだらだらと続けている。内田樹はこの選択は必ず失敗すると言う。
【ホスピタリティ】
この人口減から今後、日本、韓国、中国で生産年齢人口の移民労働者の争奪戦が起きるだろう。
「賃金が安い日本へアジアの若い人たちに来てもらうとしたら、日本にはもうホスピタリティしか売り物がないと思うんです。ご飯が美味しくて、治安がよくて、気候が温和で、風景の美しい国であることは世界中が知ってますから、あとは人心が穏やかで、海外からの人を常に歓迎しますというオープンマインドな気持ちさせ示せれば、それてわ十分に日本より高い賃金が出せる韓国や中国とも渡り合えると思うんです。けれども、それをしようとしない。それどころか、レイシストがネットで暴言を吐き散らし、外国人技能実習生が差別され、入管では非人道的な暴力がふるわれている。」p202
人種も言語も宗教も生活文化も異なる人たちと生活空間を共有するには
「隣人同士できちんとした社会契約を結び、それを守ること。『それは契約違反である』というかたちでクレームをつけることはできますけれど、『理解できない』とか『共感できない』と言うことを理由に他者を排除すべきでなはない」「もうひとつは歓待の気持ちです。人口減・高齢化で危機に瀕した日本を助けにきてくれて『ありがとう』という気持ちをもって海外から来る人に接することです」p206
これもまたキーワードは「親切」だ。
【「自由」と「平等」そして「親切」】
「今世界で最も裕福な8人の個人資産は、それ以外の36億人の資産と同額」であるのは、「自由の過剰」の帰結だが、どう考えても自由の方が見た目もいいし、勢いもある。「自由」と「平等」との匙加減が大事だが、民主主義はその拮抗する二つの原理を二枚看板として掲げている。なんとか折り合いをつけ続けなければならないという点で、優れている。
両立させるために必要なものは、「自由」を抑圧せずに中和させるもの。それが「友愛」=「親切」
「だから、「僕が集団に求めるのは『自由・平等・親切』なんです」
ここら辺は内田樹らしい論理展開だ。
【公共の再構築】
これからの世界に必要なのは、「ゲノッセンシャフト」(英語の「アソシエーション」)
生まれた瞬間から縛られる地縁血縁結合共同体とは違い、非常に親密でありながら個人の自由で任意に参加できる共同体のことだ。
上下関係を先に明確にして組織を作る旧来のやり方ではなく、リーダーのよくわからない公共の場を「私」の側から作っていくこと。
日本の将来に不安を抱える若者に「日本を捨てなさい」と平然と言うリアリストぶった識者を内田樹は断罪する。そんな生き方はほとんどの日本人には不可能だと。例外的な「強者」以外の99%の日本人はこの泥船に乗り続けるしかない。なのにそういう生き方自体が「敗者の生き方」だと言い放つなんて、と。
そして、この泥船が沈むまでの時間を先送りにして、できるだけ多くのものを救い出すという泥臭い仕事を誰かが担うべきだと。
その公共の再構築のために、自分にできる範囲で自分に何ができるか、若者の中からすでにそういうことのできる人は出てきているとウスビ・サコと内田樹は言う。
そうなのか、とほんの少しの希望をもらう。
-
Posted by ブクログ
いつもの内田樹節。
Twitter(TikTok)の炎上ネタや政治の体たらくをみていると、何でこんなに下品な話が世の中に蔓延しているのかと思ってしまうし、それなりに稼ぎがある層はふるさと納税で上手くやることに精を出してして、なんでこんなにセコい人が多いんだと思ってしまうわけだけど、そんな状況をいつもの内田節で解説してくれる。
あとは野となれ山となれと、思えてしまうのは、自分はその共同体と関係がなくいつでも離脱可能だと思えるからであって(それはいわゆるトロッコ問題に象徴される)、その意味でもコミュニティの再生は急務なんだと思う。内田樹は戦後の経験からコミュニティは簡単になくなるけど、簡単に作れるとも言っていて、その点では楽観的なんだけれど、昔ながらのコミュニティは不条理で問題がたくさんあったことも事実で、新しい形のコミュニティが必要なんだと思うけれど、この議論はかれこれ数十年されていていて、いかんせん解がみえないのも事実。ぼやぼやしていると、根こそぎこれまで培ってきた日本がもつ自然や文化が貨幣化されてなくなってしまうけれど、いまいち解き方はわからない。
内田樹はそんな簡単な解はないのだから、あれやこれや議論することが大切と言いそうではあるけど。 -
Posted by ブクログ
キャリア教育について
現在の支配的な教育観は、「自分ひとりのため」に努力する人間のほうが、競争的環境では勝ち抜くチャンスが高い。しかし人間が才能を開花させるのは「他人のため」に働くとき。自分のしたいことや適性はどうでもよくて、任された仕事に対して「私がやるしかない」という状況が人間の覚醒を導く。自分が果たすべき仕事を見出すのは、本質的に受動的に経験によるものだ。
メディアについて
昨今のメディアの劣化について様々な角度から論じている。メディア独自の個性的でかつ射程のひろい見識に触れて、一気に世界の見通しが良くなった、というようなことを筆者は久しく経験していない。それが無理ならせめて、複雑な事象を複雑なまま提示するというくらいの気概はしめしてもよいのではないか。
メディアの危機に際会して
資本主義社会の商品とサービスが行き交う市場経済の中で、「なんだかわからないもの」の価値と有用性を先駆的に感知する感受性はすり減っていく。どのような「わけのわからない状況」も、そこから最大限の価値を引き出そうとする人間的努力が必要であり、今遭遇している事態を「自分宛ての贈り物」として好奇心を持って迎入れる人間だけが危機を生き延びることができる。 -
Posted by ブクログ
サンデー毎日の政治に関する連載のまとめ。政治に関するコラムなので、時事的には少し古いものもあるし、情勢予想として外しているものもあるのだけれど、根本にある日本政治の問題点に関する指摘は今でも通じる。
大して変革もせずに古い制度にしがみつき、かつジリ貧になるなかで、少しでも得しようという感覚に溢れた現代社会。株式会社化が社会の全面に渡って展開され、学校、大学、行政、地域社会が効率を重視して運営されている。結果として日本の基礎体力を奪い続けている。日本はストックで食べているところが大きいと思うけど、そろそろそのストックも尽きてしまう。
何とかしなければいけないのだけれど、簡単な解決策に飛びつかず、一歩ずつやっていくしかないんだけど。
最後にミス・マープルが家から出ずに自分の記憶や周囲の人間関係からのアナロジーから行う推理方法こそが新たな発見のためのキーという話は面白い。一見関係ないところに関係をつくることで知的衝撃が走る。意識して考えてみたいと思う。 -
Posted by ブクログ
内田樹と京都精華大元学長のウスビ・サコさんの対談集。サコさんの話は初めて聞いたけれど、マリから中国を経て日本に来て大学の学長にまでなられている日本では異色のキャリア。でもこういう外の視点を持った方が日本の中枢にもっと入ってこないと日本はいまの旧態依然とした価値観の中での椅子取りゲームに興じて、全体の椅子は減り続けるということになってしまうだろう。
内田さんもサコさんも極めて真っ当なことしか言っているとは思えないんだけれど、悲しいかなそれができないのがいまの日本で狭い価値観のなかで汲々としているという感じ。
いよいよ日本に働きに来てくれるような外国人がいなくなり、外国に出稼ぎに行かなきゃいけない日本人が増えてきたとき、ついに日本人も絶望して変わり始めるのかもしれないと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ今から3年前2019年、当時の首相による日本学術会議の会員任命拒否問題は、政府による自由・学術・教育に対する介入であると大変な危機感をつのらせることになった出来事でしたが、自分の周りでこの件について同じようなことを考えていたり意見を交換したりということがあったのは、小学校教員である友人ただ一人との間でした。
そこにあるものの不穏さを感じ取った人が自分の周りにはあまりにも少なかった、と思います。
それから現在までを振り返ってみるとたった3年の間に自由というものがとても堅苦しく緊張の伴うものになってしまっており今なお進行形であると感じます。
気づいたら周りから固められてて自分は奇特な意見を述べる少数派になってる…という状況がたまに起きるようになり、うかうかと思ってることを言いづらくなりました。(例えばマイナンバーカードを持つことについてとか…)
組織の中でできる活動として、教育に関するおかしな介入や締め付けに抵抗している友人の姿を目の当たりにすると、自分も黙っていてはいけないと思うものの一個人でどんな風に「おかしいぞ!」とか「ふざけたことしてんじゃないよ」と世の中に問えばいいのか、問えるのかと無力感が正直あります。
大きな声を発することができなくても、周りがみんな朱くなっても自分が白だと思ったら白という意見を曲げない強さをせめて維持し続けたいと思います。
本書は、これからまた数年過ぎたところから本書が著された当時を振り返る、そしてその時の現実・現状を見直すという、考え続けるための一つの標となる一冊だと思います。
編集部によるあとがきにも勇気をもらいました。今後もこのような良書を出版し続けてほしいです。 -
Posted by ブクログ
哲学を論じたりしていると同時に合気道の稽古を40年も続けているとは尊敬に値します。継続とは力なりで私も長く稽古を続けられるものを身につけたかったと思います。
さて、内田先生が合気道を始めたきっかけは自身の弱さを自覚していたから。身体的に虚弱であるために普通は強くなりたいと考えるのですが、先生の場合、自身の弱さの構造と機能について研究することだというのですから、いかにも哲学者らしい。
修業とは「いいから黙って言われた通りのことをしなさい」という理屈抜きのもの。努力すれば報われる、とか結果がこうなるとかではない予測不能、始める前は意味不明であくまで事後的、回顧的なもの。「努力とは一種の商取引である」という風潮からすると理解できないだろうと言います。
そして、稽古で身につけるべきもっとも大切な能力は、「トラブルの可能性を事前に察知して危険を回避する力」すなわち「生き延びるため重要な力」だと言います、稽古での力を発揮する場は現代では、生業の現場となります。ここでは集団をひとつにまとめる力が必要になります。非常時には「自我」がリスクになる。とは象徴的な言葉です。
昨今の雑踏での死傷事故や安易なsns利用で巻き込まれる事件などが思いあたります。
遥か昔に人類が身につけていた危険回避や集団で動く習性は生き延びるために必然でした。他者と共生する技術、同化する技術が、一見便利で安全と思われる現代では、より養わなければならない力なのでしょう。
この他にも、弱さと無知は同一の構造で変化することへのつよい抑制だと述べています。「無知」とは学び変化することを妨げる力である。学校教育がなすべきことは、学生の頭にぎっしり詰まって、どろどろに絡みついて、ダイナミックな「学び」の運動を妨げているジャンクな情報を「抜く」ことだというのは流石です。今の世の中、情報はネットの海に溢れそれに溺れている者を救うのは容易なことではありません。