あらすじ
日本人とは辺境人である――「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。
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内田樹さんの著作の多くは、私たちが感じる「生きづらさの正体」を探ることをテーマにしていると思っています。この本もそうです。
『辺境人(日本人)』とはどんな気質を備えた人間か、著者の分析から私たちはきっと人生を良く生きるためのヒントを導き出すことが出来ます。
15年近く前に出た本ですが今でも読む価値のある一冊です。
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地政学的辺境性が日本人の思考と行動を規定している、という論旨。中華と辺境の対比から始まり、辺境ならではの学び方、時間的遅行を超越する考え方、日本語の特殊性まで、興味深く読める。日本論、日本人論においてマクロ的視点を提供する一冊であり、是非お薦めしたい。
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2025/04/12
p.5
私が「お部屋をきちんとしておく方がいい」と申し上げているのは、要するに、いつでも「お客さん」を迎え入れることができるようにしておくことがたいせつだと思っているからです。<中略>本書は「お客さん」を家に迎え入れるために「お掃除」するということを目的とした本です。
お掃除ですから、それほど組織的に行わるわけではありません。というか、お掃除というのはもともと組織的にやるものではないんです。組織的かつ徹底的にやろうと思うと、思っただけでうんざりして、いつ先延ばしにしてしまいますから。お掃除の要諦は「徹底的にやってはいけない」ということです。「足元のゴミを拾う」ことで満足する。
意図せず、お掃除の要諦が説かれている本にめぐりあってしまった!僕の毎日のお片付け習慣の設計がおおよそ正しいことが証明されました!!
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日本人とはどのような民族かを語った一冊。2010年の本だが、15年近く経った今読んでも納得できることばかり。日本人は元々中華思想の辺境にいた民族であり、自らの国はこういう国であるという、アメリカをはじめとする他国が基本的に持っている独立宣言的なものがない。故に、他国との比較においてしかその存在を主張できないという説。これはなるほどと思ったし、最近のコミュニケーションにも同じことが言えるのではと感じた。フェミニズムも同じ文脈で語れるような気もする。たびたび読み返したい一冊。
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日本人 =辺境人
分かりづらい分かったような感じ もするが難しい
新たな視点が得られた
内田先生の理論の詰め方が巧妙である
本を読み進めていくと納得せざるを得ない
今回はまさに目が洗われた
自分の立ち位置に関心がある方は是非読んでおくべき 一冊である
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村上春樹と並んで、うちの本棚の占有面積1位、内田樹先生。
その出会いとなった1冊。
日本論や日本人論は、国内にとても多くある。
自国の文化や国民性についてこれほど多くの知的資源を割く国は、他にない。
そもそもなぜ、僕たち日本人は、こんなに日本論が好きなのか。
日本人は、他国を参照し、比較して、常に自分が何者であるかを確認しなければ、不安だからである。
日本人はいつの時代も、外の世界に向けてキョロキョロと目を向けてきた。
キョロキョロ目を向ける先は、中国だったりアメリカだったり北欧だったり、時代によって変わる。
けれど、この「キョロキョロしかた」だけは、いつの時代も変わらない。
これが日本人の持つ普遍的な「辺境性」である。
明解な論理。
突飛な論理の飛躍はない。
しかし、その論理の向かう先は、他の誰とも違うオリジナリティ。
これぞ、知識ではない、知性。教養。
僕は、知識ではなく、この知性に憧れて、今日も本を読むのだ。
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辺境の認識がガラリとかわった。
日本独特の、曖昧な感じ、ふわふわして実体ない感じ、戦争責任とか歴史認識とか、モリカケサクラでもなんもアクションも責任追求もない、このおかしさの根源なよくわかりました。
真名と、仮名。
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冒頭の「はじめに」にある説明の分かりやすさだけですっかりファンになってしまった。
もちろん本編も、そしてあとがきまでも、掛け値なしに面白い。
「まったく、どうしてニホンジンってこうなんだろう」なーんて、他の国のことを大して知りもしないくせについ、口にしてしまう前に、この本のことを思い出そう、これからは。
過去の伝統をアッサリ全部切り捨てて、過去の上に構築するんではなしに、新しいものに飛びついてしまう(ように見える)ことが多いんじゃないか、とか、諸外国のようなススんだ考え方にならないのはどうしてだろう、とか、ホントに交渉事が下手だよね!とか。
ひいては「超右翼的!」な考えの人と、超リベラルな人の言ってることって一周して、なんか似てない?!と思えてしまったり、、、。
こうしたことへの、沢山の謎の答えが全部、分かりやすーく解説されてる。
で、こういう本をすごーく気に入って有難く、付箋貼って座右の書にしよう、なんて思ってるところがまた、いかにも日本人!!ってことなんだよなー、と思うのでした。
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日本は他国との比較でしか自国のことを語り得ない、という、「中華思想」との対義としての「辺境思想」を持つという命題。それによって何を体得したのかをめぐる考察が書かれている。前半の「なぜ日本はオリジナルな国家ビジョンを提示できないのか」「場の空気の支配とは何か」などはいちいち得心することが多く面白い。「絶対的な正しい価値は常に外側にあって、われわれはその周縁に位置する存在だ」という地政学的な状況に端を発するこの辺境人思想が、良い悪いではなく、先の物事の思考方向や、日本人の信教論や師と学びの在り方における知の吸収の姿勢に結び付き、また、外国語である漢語を「真名」として土着語である母国語を「仮名」と位置づけた世界でも類をみないハイブリッド言語である日本語を生み出し、その日本語で物を考えることで得られる知見の有意義さに注目する。平易にざっくりと書かれているが、大変奥深い考察集だった。
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初版2009年。著者内田樹はこの本の要約を梅棹忠夫の「文明の生態史観」の次のような文章を引用して述べています。
「日本人にも自尊心はあるけれども、その反面、ある種の文化的劣等感がつねにつきまとっている。それは、現に保有している文化水準の客観的な評価とは無関係に、なんとなく国民全体の心理を支配している、一種のかげのようなものだ。ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであって、自分のところのは、なんとなくおとっているという意識である。
おそらくこれは、はじめから自分自身を中心にしてひとつの文明を展開することのできた民族と、その一大文明の辺境諸民族のひとつとしてスタートした民族とのちがいであろうとおもう。」
そして結論として、
『日本文化というのはどこかに原点や祖型があるわけではなく、「日本文化とは何か」というエンドレスの問いのかたちでしか存在しません。』
と述べている。
日本人とはどんな民族なのか。人類の発生源はアフリカだから、地図上で言うと日本は遠い所の一つだし、アラスカ通ってアメリカ大陸に行ったのはさらに遠いような気がする。
地理的にみると日本は中華思想の辺境にいて元々貧しい国であったようだし、現在は地政学的にみると端にあって魅力に乏しく、アメリカと中国の2強に挟まれていて落ち着かない。しかし、2000年代に中国に国力を追い越された時、実は日本はお得なポジションに陥ったと考えた方が良い。法則として、1番と2番が競う形になるのだ。漁夫の利のような現在の状況が良く、3番以下位の方が余計な摩擦がない。
人生についての考察も無限に続くように、国家についての考察も無限に続くんだから、日本はよく考える人の国と言えるだろう。
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日本には根底に流れる「美意識」がない事が西欧との違いである。ここに立脚して、太平洋戦争や日本の右翼左翼の矛盾や国際社会での日本人の問題点を炙り出す。メッセージの中身よりメタメッセージを重視するとか。それを地政学的辺境性に起因して論じているところが面白い。
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【日本人とは何ぞや?】
・日本は歴史的に、常に「中心(中国・西洋)」を意識しながら自らを位置づけてきた“辺境”の文化である。
・そのため日本人は、外来の思想・制度を受け入れつつ独自に再編し、適応することを得意としてきた。
・この“辺境性”こそが日本文化の特徴であり、現代の日本社会を理解する鍵になる。
※辺境=中心から離れた端っこ、を意味する。
ここでは文明の中心地から「地理的」に離れた周縁地域という意味。
●日本の「師弟関係」や「道」は優れた学習装置だと述べている。「〇〇道」(武道、茶道、華道…)という教育プログラムの中で、弟子は師から何もかもをオープンマインドに学びとろうとする伝統的学習システムは、世界的にも珍しく、学びの効率が良い。
●また、武道や禅家に通ずる『機』という思想を辺境人として哲学的な概念キーとして明示している(が、爆速で読者を置き去りにする難読さで、「なんか言ってる」が結果「なにも言ってない」状態である…もうちょっと修行します…)
●最後に、日本人を「日本人」たらしめてるのは日本語で、その特殊性について語っている。
日本語は「表意文字(漢字)」と「表音文字(かな)」を併用するハイブリッド言語で、「図像」と「音声」の並列処理(脳の処理部位がそれぞれ異なる)に長けているから、絵とセリフの表現手法であるマンガ分野を世界でリードするようになった。
◆世界における、日本人の立ち位置を考える契機を与えてくれた良本でした!
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学ぶ構えについて、機(敵について)の考え方は非常に興味深い。
それ以外にもなるほどそういうことか。と理解が後から追いつくことが多く、例えばの話を論じるところから、自分の理解できる範疇までのタイムラグが多い本だった。
日本人とは?という一つのトピックに対して、向き合い方、分析の仕方は斬新で刺激的だった。
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近頃はコロナも明けて、訪日外国人数が再び鰻登りである。さて、訪日で言えば、文化も左様であろう。元々日本という国は中国に属する国であった。この本によれば、「日本人の特性」により、メキメキ成長を遂げ、今では世界に名だたるトップ7(G7)の一員でもある。日本人は努力気質の国だと言われるが、それも引っくるめたぼんやりとした日本人の「辺境性」、隅っこ暮らしのテクニックたるものを、本当にぼんやりであるが(後半は殆ど見えない程にぼんやりで)、理解できたと思う。
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内田樹(1950年~)氏は、東大文学部卒、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了、東京都立大学人文学部助手、神戸女学院大学文学部助教授等を経て、神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学人文学部客員教授。専門はフランス現代思想。武道家でもあり、合気道凱風館館長、合気道七段、居合道三段、杖道三段。現代思想、身体論ほか、幅広いジャンルでの著書多数。
本書は、「日本人固有の思考や行動はその辺境性によって説明できる」ことを説いた、いわゆる内田版・日本文化論で、2010年の新書大賞を受賞した。
私の理解をラフにまとめると以下である。
◆日本人は、歴史的に自らを中華思想コスモロジーの中の「辺境」と位置付けてきたため、ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」があり、それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのかという、その距離の意識に基づいて思考と行動を決めるというメンタリティが染みついている。従って、「日本文化」とは、制度や文物そのものにあるのではなく、制度や文物が新しい別のそれらに取って代わられるときの「変化の仕方」にあると言える。それ故、日本人のふるまいの基本パターンは、「きょろきょろして新しいものを外なる世界に求める」態度に成らざるを得ないし、日本とはどのような国であるべきか、というような問いに対しては思考停止に陥る。
◆上記の「起源からの遅れ」という構造特性は、悪く出ると「虎の威を借る狐」(狐は、自分の言葉で語る意見を持てない)になるが、良く出ると「学びの効率の良さ」を生む。「学び」の基本は、学ぶことの理由やメリットを予め問うことなく、まず学ぶことであるが、日本人は、その構造特性ゆえに、そうした問いを一時的に留保して学ぶことができ、最高の効率で学ぶ技術を身に付けている。それは、武道・茶道・華道などの「道」を究めるためにも、宗教的成熟を果たすためにも有効性を発揮した。
◆また、日本の宗教や武道では、その構造特性に内包される時間的な受け身の姿勢(私たちは常に、「呼びかける者」ではなく「呼びかけられる者」として存在する)を克服するため、「機」という概念を生み出した。「機」とは、時間の先後、どちらが先手でどちらが後手か、どちらが能動者でどちらが受動者か、のような二項対立を消してしまうもので、これにより、「学ぶが、遅れない」「受け入れるが、後手に回らない」というような、「時間意識の再編」を形式的に実現した。(この、「機」について書かれた部分は少々難解である)
◆日本語は、もともとは音声しかなかったものを、大陸から入ってきた漢字と漢字から発明されたひらがな・カタカナで表記するようになったが、その際、外来の文字を「真名」(=正統な文字)、土着の音声言語を表記した文字を「仮名」(=暫定の文字)と呼んだ。この二項対立的な発想は、漢語とやまとことば、文語と口語、建前と本音、男性語と女性語など、あらゆる言語的な層において見られるが、これは、外来の概念を「正嫡」として歓待し、土着の概念を「庶子」として冷遇するというふるまいから生じた、辺境語的構造である。
そして、著者は、このような日本の国民的特性が「いい」ものか「悪い」ものかという発想自体に意味はなく、まずは、日本人がそうした特性を持っていることを認識することが大事なのだ、として結んでいる。
私はこれまで、本書の冒頭で引用されている梅棹忠夫『文明の生態史観』ほか、いくつかの日本人論・日本文化論などを読んできたが、それでもなお、著者が「新味があろうとなかろうと、繰り返し確認しておくことが必要な命題」という本テーマは、興味を惹くし(それ自体が「辺境人」的性向なのだそうだが。。。)、面白いものであった。
まずは認識すること、そして次には、それを活かすため、或いは補うために、どのような言動をするべきなのかを、自ら考える必要があるのだろう。
(2022年7月了)
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日本人は辺境人である。そのアイデンティティは負の側面で語られることが多いが、コスモロジーを持たないそんな日本人だからこそ、他のどの国よりも開放的に無垢に何からでも学ぶことが上手いという風に論が進む。初めて読んだ見解で面白かった。「わからないけど、わかる」の論は、わかるようでよくわからなかったですが(笑)
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これが内田樹先生との出会いの一冊だったような。。読破当時は大学生で、台詞回しがとにかくかっこよくて、何もかもわかった気になって気持ち良くなっていた(実際は未だに何もわかっていないw)。思考の枠組みを広げてくれた。
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著者の本を初めて読んだ。
頭が良い人って、難しいことを雑談のごとくユーモアを交えて語ってしまうから凄い。
著者の雰囲気は、養老孟司に似ているなぁ。
そうそう、本書の冒頭でこの本には目新しいことは何も書いてない、偉い先人の方々がすでに書いたことをまとめただけです、って言っているのが面白い。
とは言え、内容は非常に勉強になるものだった。日本て、カメレオンみたいな国だなぁというのが感想。良く言えば柔軟性に長けている。悪く言えば、自分の軸がない。他国と比較することでしか自国を語れないという解釈は、なるほどと思った。
そもそも中国ありきで誕生した国、日本。今も他国が作った憲法の下、他国に言われて作った国歌を呑気に歌って暮らしている。私たちに愛国心が乏しいのは、この辺の事情が関係しているのかな。
そして、自分の思想や行動の一貫性よりも、場の親密性を優先させる国民性という指摘もごもっとも。空気に流されて太平洋戦争などという大事を始めてしまう国は日本くらいだろう。
けれど、著者はこうした日本の在り方がダメだと言っている訳ではない。こんな国の私たちだからこそ出来ることは何かを考えよう、というのが著者の考え。実際、日本はどこの国の植民地になることもなく、経済発展を遂げ、世界的に見れば平和で豊かな国になっている。処世術に長けているのだろう。
さて、日本が大好きなアメリカは政権交代となりそうだし、これから我が国はどう駒を進めていくのか…。
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思想家、武闘家、映画評論家で立憲民主党サポーター兼山本太郎氏支持内田樹名誉教授著。新書大賞2010第1位
中華思想では辺境だし、欧米から見れば極東なので世界の端っこ。構造言語論的からすると日本人は日本語で思考することが辺境な心を育んでいるのかも。秋に総選挙もありそうですが、先生が大嫌いな維新に勝ち、本が出た2009年夏再来になりますようお祈りしてます。(笑)
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日本人のアイデンティティは、辺境民としての『きょろきょろ』するところに見出せるという主張はすとんと腑に落ちた。
常に辺境民として追いつき追い越すべき相手がおり、ある種の解決すべき課題が豊富にある状態というのは恵まれた環境にあったのではないだろうか。
矛盾を包含し、そのまま飲み込むというのはとても強かな国民性であり、生き延びる知恵だと感じる。
佯狂戦略をとる日本の特殊性という観点からとても面白い本であった。
とはいえ全てを理解できてはいないのでまた時間をおいて読み返したいと思う。
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日本人は、主体的にビジョンを生み出すことができない。そのため、リーダーにもなれない。キョロキョロし、周囲が何をやっているかを観察、日本人がやるべきことを探るタイプ。文明が遅れて発達し、辺境人としての位置付けのためか。常に歴史上、中国が、中心であった。
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内田先生の文章は、思考のジャンプ力(ある事実を推考して結論を導く力)の素晴らし生の文章は、思考のジャンプ力(ある事実を推考して結論を導く力)の素晴らしくいつも感銘を受けます。そして文章を読んでいるこちらも頭が良くなったような気分させてくれます。今回も推考が光っています。日本は中国(中華)から見れば辺境なので辺境論ということですが、それを拗ねたり畏縮しているわけではなく、辺境人だからこその日本人論を展開しています。
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「ここではないどころか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。」
本書を読んでいて、自分が、著者の言う辺境人の思考方法になっているのだと度々思い返された。
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「日本人とは?」の大好きな日本人。人の目が気になる。常に自分より優れたものを外から探し出して、それに自分を合わせていく。思考停止も得意。そんな日本人だから良いことも、それがマイナスに働くこともある。色々、自分の考えと重なるところがありました。
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お掃除の要諦は「徹底的にやってはいけない」ということです。とりあえず「足元のゴミを拾う」ことで満足する。手のつけられないほど散乱した場所を片付けるという経験をされた方はおわかりでしょうけれど、足元のゴミを拾うところからしかカオスの補正は始まらない。(p.5)
右の端には「あの国」があり、左の端には「この国」があり、その間のどこかにわが国のポジションがある。そういう言い方でしか自国の立ち位置を言うことができない。それは毅然としていない、とかポリシーがないとか、そういうことではなくて、日本は本態的にそういう国だということです。(p.38)
「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。ですから、知識人のマジョリティは「日本の悪口」しか言わないようになる。政治がダメで、官僚がダメで、財界がダメで、メディアがダメで、教育がダメで・・要するに日本の制度文物はすべて、世界標準とは比べものにならないと彼らは力説する。そして、「だから、世界標準にキャッチアップ」というおなじみの結論に帰着してしまう。フィンランドの教育制度はすぐれている、ではフィンランドに倣おう、フランスの少子化政策は成功した、ではフランスに倣おう、ブラジルのサッカーは強い。ではブラジルに倣おう。北朝鮮は核ミサイルを準備している、では北朝鮮に倣おう・・このリストは無限に長いものにできます。学ぶべき見本が外部にあり、それと比べて相対的に劣位にあるわが国の諸制度を改善せねばならない。そういう語法でしか、右翼も左翼も中道も知識人も非知識人も語ることができない。そして、そういう語法でしか語ることができないということに気づいていない。(p.98)
人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いた方がいい。これは私の経験的確信です。というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです。
自分の固有の意見を言おうとするとき、それが固有の経験的厚みや実感を伴う限り、それはめったなことでは「すっきり」したものにはなりません。途中まで言ってから言い淀んだり、一度言っておいてから、「なんか違う」と撤回してみたり、同じところをちょっとずつ言葉を変えてぐるぐる回ったり・・そういう語り方は「ほんとうに自分が思っていること」を言おうとじたばたしている人の特徴です。(p.120)
私は日本人が漢字を読むときに示す身体反応と、中国人が漢字を読むときに示す身体反応は違うだろうと思います。中国人にとって、漢字は表意文字であると同時に表音文字でもあるからです。だから、外来語をそのまま漢字に音訳して表記することができる。日本語は外来語はカタカナ表記で処理しますから、漢字は表意に特化されている。だから、漢字の表意性は中国語においてよりも純粋であり、それだけ強烈であるはずです。
(p.229)
文字がざくりと身体に刻み込まれ、切り込んでくるという感覚の鋭さは、日本語話者と英語話者では明らかに違う。「curse」という文字が英語話者にもたらす不安と「咒」が漢字読者にもたらす不安は質が違うはずです。(p.230)
韓国でもベトナムでも母語しかできない人にはしだいに大学のポストがなくなりつつあります。その中で、日本だけが例外的に、土着語だけしか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれます。これは世界的にはきわめて例外的なことなのです。
それは英語やフランス語で論じられることは、ほぼ全部日本語でも論じることができるからです。どうして論じられるかといえば、外来の概念や術後をそのつど「真名」として「正統の地位」に置いてきて、それをコロキアるな土着語のうちに引き取って、圭角を削って、手触りの悪いところに緩衝材を塗り込んで、生活者に届く言葉として、人の肌に直に触れても大丈夫な言葉に「翻訳」する努力を営々と続けてきたからです。(p.240)
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日出る処の・・。聖徳太子は、中国は属国から朝貢を受け、それに恩賞を渡す形でしか周辺国と交流しないことを熟知した上で、知らないふりをした。相手のルールは無視した上で、実だけ取る。かなり高度な外交術。p.61
憲法9条。アメリカの属国である事実を回避し、アメリカの同盟国として出兵もせず、利益(安全)だけを得る。面従腹背のしたたかさ。p.68, p.248
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「スケールの吟味」、「変化の仕方が変化しない」、「先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る」、「人間が過剰に断定的になるのは、他人の意見を受け売りしているとき」、「自説を形成するに至った自己史的経緯を語れないとネゴシエーションできない」、「清水の舞台を飛び降りる覚悟の例外的な才能」、「弟子は師が教えたことのないことを学ぶことができる」、「未熟さの内に安住する傾向」、「学ぶ力とは先駆的に知る力」
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1章 日本人は辺境人
・日本人には、世界標準の制定力がない。それは、自分の行動を裏付けする価値観を自分の中に持ち合わせておらず、外部にしか求めることだできないからである。これ自体は、国の誕生物語を持たないこと、そして古来から「中華」に対して「辺境」の立場として、相対的な価値観に準じて国を発展させてきたからである。よって、日本は何かを目標としてそれにキャッチアップすること、模倣することには類いまれなる才能を発揮するが、主体的に価値観を生み出し他国をリードしていくことはやったこともなく出来もしない。だからこそ、主体性を発揮する訓練をしよう!ではなく、特異的な「日本人の辺境性」を生かす方策を考えるべき、と筆者は主張している。
2章 辺境人の「学び」は効率がいい
・人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いたほうがいい。人間が過剰に断定的になるのは、大抵の場合、他人の意見を受け売りしている時。自説を形成するに至った自己史的経緯を語れる人とだけしか私たちはネゴシエーションできない。
3章 「機」の思想
4章 辺境人は日本語とともに
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日本は辺境であり、日本人固有の思考や行動はその辺境性により説明できる。
中心でなくて、比較をベースに物事を捉える。著者の示唆は、ポジティブな辺境性が失われつつあること。
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非常に知的刺激をそそる本でした。ユダヤ・キリスト教にも詳しく、また日本語学、武士道、梅棹忠夫、丸山眞男、マンガ、TVドラマと幅広い分野から論じています。水戸黄門でなぜ悪者共が権威を信じてひれ伏し、庶民には普通の爺さんなのか、悪者達こそ「根拠のない権威」を振り翳していたからだという指摘は目から鱗の心境です。日本語の優秀さが逆に日本人の英語力を弱め、韓国・ベトナム・フィリピンなどでは母国語が知的な語彙を増やすことを放棄したため、知識人が英語を使わざるを得なくなったという指摘は大変興味深いところです。高度な知的会話が出来る言葉は世界でも限られている!?これは世界でも例外的な現象!かつての比較文化論のように大上段に構えるわけではなく、シニカルに語っていく語り口は大変親しみやすく痛快です。