ラディカル・フェミニストは「市場」の外部に、「家族」という社会領域を発見した。
「市場」が社会の全域をおおっているという前提は誤りで、「市場」には限界とその<外部>が存在することが明らかになる。「市場」の限界は、同時に市場についての理論であったマルクス主義理論の限界でもある。マルクス主義者の誤りは、「市場」の支配が社会全域的に及ぶと考えたところにあった。
ラディカル・フェミニズムが、六〇年代末の対抗文化運動counterculture movementsの中から生まれてきたという事実は、示唆に富んでいる。「市場」の限界は同時に「近代」の限界でもあった。近代批判として登場した対抗文化運動は「市場」の外側にあるものを次々に明らかにすることで「市場」の行き詰まりを告発していった。
彼らが「市場」の外部に発見した二つの領域とは「自然」と「家族」であった。「市場」は閉鎖系ではなくその実、開放系だったにもかかわらず、たとえば近代経済学は、「市場」内部を閉鎖系としてその中の交換ゲームを扱うというやり方をとってきた。だが、システムには必ずそれに関与する外部「環境」がある。「市場」というシステムもまた「自然」「家族」という二つの「環境」から、ヒトとモノとをそれぞれインプット・アウトプットしていたのである。「自然」という環境からは、「市場」はエネルギーと資源をインプットし、代わりに産業廃棄物をアウトプットする。この「自然(という)環境」は、ブラックボックスのように見えない存在だった。長い間「自然環境」にとってはエネルギー・資源も無尽蔵なら、汚水やガスのような廃棄物の環境自浄力も無限と思われてきた。
だが、六〇年代高度成長期を通じての日本の産業化の完成は、環境から市場へのインプットにもアウトプットにも、限界があることをあらわにした。インプットの側では、資源・エネルギー危機が七三年のオイルショックとなって成長の夢を壊したし、アウトプットの側では、水俣病の悪夢が、産業廃棄物公害の恐ろしさを通じて自然の自浄力の限界を私たちに示した。
フェミニストが「市場」の外側に発見した「家族」という環境も、「自然」と驚くべき類似性を持っている。「自然」と「市場」との関係および「家族」と「市場」との関係の間には、論理的なパラレリズムがある。「家族」は第一に、性という「人間の自然」にもとづいている。「家族」という領域から「市場」は、ヒトという資源を労働力としてインプットし、逆に労働力として使い物にならなくなった老人、病人、障害者を「産業廃棄物」としてアウトプットする。ヒトが、「市場」にとっての労働力資源としか見なされないところでは、「市場」にとって意味のあるヒトとは、健康で一人前の成人男子のことだけとなる。成人男子が産業軍事型社会の「現役兵」だとしたら、社会の他のメンバー、たとえば子供はその「予備軍」だし、「老人」は「退役兵」、病人や障害者は「廃兵」である。そして女は、これら「ヒトでないヒト」たちを世話する補佐役、二流紙民として、彼らと共に「市場」の外、「家族」という領域に置き去りにされる。健康な成人男子だけを「人間man」見なす近代思想のもとでは、その実、子供は「人間以前」の存在だったのだし、他方で老人は「人間以後」の存在、女性は「人間以外」の存在なのである。近代主義的な「人間」の概念は、必然的に「人間ではない」人々を生み出し排除することによって成り立っていた。
しかし六〇年代末から七〇年代にかけて噴出してきた「家族」問題は、この家族が、インプットの側ではヒトという資源の供給源として無償でかつ自動的に働くわけではなく、またアウトプットの側では「廃棄物」となったヒトを受け容れるキャパシティが無尽蔵だというわけでもない、という事実を示した。女たちは、「家族」という「市場」の外部を支えるコストが、もっぱら女たちの方にのみかかっている重圧に対して、悲鳴を上げ、抗議をしたのである。
解放の理論を欠いた解放の思想は、啓蒙もしくは運動論に帰着するほかない。女性解放運動家にとっては、この世の中は「性差別」という「社会的不公正」がはびこる野蛮な社会であり、この「不正義」を許しているのは「男性の横暴」と「女性の蒙昧」だということになる。「すすんだ理想」と「おくれた現実」――これが近代主義フェミニストがしばしば陥る「フェミニスト進歩史観」である。そして「すすんだ理想」と「おくれた現実」のあいだを埋めるのは、「啓蒙」という名の、徒労に似た「シジフォスの労働」だけになる。
フェミニスト啓蒙主義にとって、問題になるのは人々のおくれた意識だけである。「おくれた意識」を変えるのは、啓蒙の力である。啓蒙と教育によっても変わらない頑迷固陋な人々に対しては、パワーポリティクスしかない――つまり運動の力で政治の場において彼らを少数派に転落させることである。
啓蒙主義者にとって真理はつねに単純である。「男女平等」というこの単純な心理を受け容れることのできない人々は、啓蒙主義者の眼には、まったくの「不可解」と映る。この「度しがたい人々」は、心理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない――この考え方は、強姦に反対するあまり、治安警察国家を招きよせてしまいかねない女性運動の背理に通じている。フェミニスト啓蒙主義者の陥っているワナは、「男女平等」というこの「単純な論理」に、なぜこの社会が到達しないか、についての構造的な分析を欠いていることにある。その上で啓蒙家でありつづけるためには、疲れを知らない精神の持ち主である必要がある。
「愛」と「母性」が、それに象徴的な価値を与えて祭り上げることを通じて、女性の労働を搾取してきたイデオロギー装置であることは、フェミニストによる「母性とイデオロギー」批判の中で次々に明らかにされてきた[Badinter 1980,服部 1986]。「愛」とは夫の目的を自分の目的として女性が自分のエネルギーを動員するための、「母性」とは子供の成長を自分の幸福とみなして献身と自己犠牲を女性に慫慂することを通じて女性が自分自身に対してはより控えめな要求しかしないようにするための、イデオロギー的装置であった。女性が「愛」に高い価値を置く限り、女性の労働は「家族の理解」や「夫のねぎらい」よって容易に報われる。女性は「愛」を供給する専門家なのであり、この関係は一方的なものである。女の領分とされる「配慮」や「世話」が「愛という名の労働 a labor of love」に他ならないことを、アメリカの社会学者フィンチとグローヴズは的確に指摘している[Finch & Groves 1983]。
女性が家の中で行っている活動がどんなイデオロギー的粉飾によって表現されているにせよ、女性は彼女がそれをやらないならば誰かによって代行されるほかないような「労働」をたしかに行なっている。主婦はただ、それを「愛」の名のもとに行っているのである。
家族を支配-被支配を含む再生産関係とみなして分析対象とするむずかしさは、家族が分析にとって一種のブラックボックスであり、かつ歴史貫通的に「自然」なものと見なされてきたことにある。とりわけ近代産業社会が、家族を公的で競争的な社会からの避難所、慰めと平安を供給する最後の私的な砦と見なして「近代家族」を構築して以来、家族は打算や功利の入り込まない無私の共同体――その中では成員の誰もが苦楽を分かちあう、真に平等で超個人的な単位――と考えられてきた。だから、フェミニストの分析がこの「聖域」に及んだ時、そしてこの見かけの「共同性」のもとに歴然として抑圧と支配があることを暴露した時、多くの人々は、男も女も、自分たちの信じていた神話が壊れたことにうろたえて逆にフェミニズムを功利主義や経済主義の名のもとに攻撃するに至ったのである。
事実、「家族」というブラックボックスにフェミニストの分析が及んで、性と年齢による支配を明らかにした時、多くの人々はそれに拒絶的な反応を示した。彼らはフェミニストが資本制下に残された最後のわずかな共同性の聖域を解体して、バラバラの個人に還元するのではないかとおそれた。
だが、家族の中にはっきりとした男性支配や、あからさまに経済的搾取があることを指摘することが、どうしてそれ自体功利主義や経済主義になるだろうか。
愛の共同性の神話は、性支配の現実によって、とっくにくつがえされてしまっている。人々はただそれを認めたがらないだけである。たしかにフェミニストの家族分析は、家族を「一枚岩の構造 monolithic structure[Macleod & Saraga 1987:13]と見るのをやめた時に、はじめて可能になった。それどころか、いったん「愛の共同体」の神話から離れてみれば、この私的な「聖域」の中でどのような暴力と抑圧が行使されているかが、いよいよ明らかになる。
一般に子供数は、子供が将来親にもたらす経済価値(プロフィット)と、子供を育てあげるのにかかる費用(コスト)とのバランスで決まる、という前提からフォルバーは出発する。もちろんこれは、「無私の献身」を子供に捧げているはずのおおかたの親の感情を逆なでするような、経済還元主義である。しかしデルフィも言うように、「そこに現に経済的要因がることを無視して、経済基盤について語ることをすべて経済主義と非難する[Delphy 1980]のは当たらない。いましばらく、「不愉快」を我慢してフォルバーの議論をフォローしてみよう。
子供の成長に時間がかからず、かつ子供が経済価値を持っているところでは、家父長制は「大家族」に価値を見出す。だが、義務教育と工場法が子供を労働の場から追い出して以来、子供の経済価値は減少する一方であり、その上母親にとっては子供は家事労働や子育ての手助けにもならない無益な「穀つぶし」になり下がる。他方、社会化の期間と教育の費用は増大するが、これは最終的には、より高度に産業化した社会の中で、より高い収益を上げる質のよい労働者としての成人した子供に対する将来の期待を高める。教育は、今日では「富の世代間移転」の主要な形態である。
物理的な財の移転は、子供の教育に対する「投資」のかたちをとった「人的資本 human capital]の移転に比べて、はるかに重要性を失った。[Folbre 1983:274]
フォルバーは、世帯の収入が上昇するにつれて、それとは「ふつりあい」に教育支出が急上昇することを指摘する。こうして両親は、自分よりも学歴の高い子供の成人としてのちの将来の経済的貢献に、より大きな期待をかける。
産業化によって「小さな子供」および「未婚の同居子」の経済的貢献が低くなった代わり、「成人した子供」の経済的価値は、くらべものにならないほど高まった、とフォルバーは指摘する。とくに、老後が延長した親にとっては、自分の老後に対する「成人した子供」の経済的貢献が、大きな期待値を持つ。したがって、家父長制にとって、子供がもたらすコストとベネフィットのバランスは、
(1)生涯にわたって子供が両親に貢献する程度
(2)子供を育てるのにかかる費用の、家族の中における夫と妻の不均等な分配
によって決まる。(1)は「世代間の不平等 generational inequality」に、(2)は「両性間の不平等 gender inequality」につながる。その両者をつうじて「年長の・男性が、利益を得る」[Folbre 1983:278]のが家父長制のしくみである。ここには二つの問題――(1)誰が利益を得るか、と(2)誰がコストを支払うか――が含まれている。
ブルジョア家族の理想形が貴族的な家庭生活に置かれたことには、いくつかの根拠がある。第一に、アンシャンレジーム期のブルジョアジーには、貴族に反発しながらその生活様式に憧れる階層上昇願望があった。女性にとっても「家に居る妻」になることは――たとえ召使いを失って家事労働の一切を自分の手でしなければならないハメになっても――「階層上昇願望」と根強く結びついている。第二に、生産の場から隔離された「家内領域domestic sphere」の成立は、女性からも歓迎された。女性は「女部屋」のあるじとなり、「家内領域」に君臨した[Cott 1977]。のちにそれが「幽閉」と呼ばれるようになったとしても、それは家父長制支配下の生産労働のうちに向きだされて、直接に労働の搾取を受けるような状態よりは、はるかに「女性の地位向上」として歓迎されたのである。こうして女性は、公的世界からの避難所である私生活の中で、保護された子どもとともに「女・子どもの世界」を作り上げる。「母性愛」「子どもの時代」など私たちに親しい概念が、「家庭性」の概念同様、ほぼこの時期に形成されたことを、アリエス[Aries 1960]やバダンテール[Badinter 1980]らは証言する。
第三に、女性の生産労働からの隔離を通じて、家族かかつてないほど性的な存在になったということが挙げられる。ミシェル・フーコーは『性の歴史』[Foucault 1976=1986]の中で、近代的な性道徳は「家族」の中に<性>を押しこめたと指摘するが、その裏面は、「家族」が歴史上かつてないほど<性化 sexualize>されたことでもあった。近代家族のもとでは、人々は性交し生殖するために家族をつくる。家族の<性>的な側面への一元化は、結婚に際しておおいようもなくあらわになる。結婚する男女に向かって周囲が聞く最初の家庭生活への「抱負」は「子どもは何人つくりますか」というものだが、このあからさまに<性>的な質問に対して、新郎新婦は頬を赤らめる。しかし<性化>された家族にとって、それ以外の目的はほんらいありえない。家族が同時に生業の基盤でもある前近代家族であったならこうはならないだろう。若夫婦は結婚生活の「抱負」を聞かれて、「先祖代々受け継いでいた家業を発展させ、子々孫々に盤石のいしずえを築きます」と胸を張って答えるかもしれない。家族の<性化>を通じて、女性が「再生産者」に限局されたこと――その裏側に男性が「生産者」に限局されたことがともなう――が、近代家族を、他のすべての前近代的な家族から区別する。
この近代家族を、ほんらい成立ちえない自給自足的な田園生活の基盤の上に描いてみせたのはルソーだけではない。十八~十九世紀の「家庭小説 family roman」は、つねに都会に対する嫌悪と自然への賛美と結びついている。また同じ時期に多く描かれた「家族の肖像」はどれも田園風景を背景としていた。十八~十九世紀の「家族」の理想化は、迫りくる工業化の波を受けて進行しつつあった「家族の危機」の産物であった。現代同様、近代の形成期にも、「家族の解体」の危機は叫ばれていた。だが「解体」したのはせいぜい「前近代家族」にすぎない。家族はその「解体」をつうじて「近代家族」へと「再編」されたのである[落合 1989、上野 1985]。
ブルジョア的な近代家族の理念が前近代的な家族=経営体を解体する以前に工業化が急速に進行してしまったところでは、家族=経営体の理念はただ「ハタケを変えて」実現される傾向がある。もっとやさしく言いかえると、おくれて工業化したところほど、女性の職場進出は容易だという逆説が生じる。日本でも都市部より農村部の方が、女性の就業率は一般に高いし、女性の就労に対する抵抗も少ない。「家族労働団」の伝統が強く残っているところほど、女も子どもも、働ける者は誰でも、就労の機会さえあれば労働に従事することは「あたりまえ」と見なされている。鶴見良行氏はアジアを旅して、子どもも女の年寄りも果ては家長さえも、自分一人を支えるに足りないわずかな年金収入を求めて働き、それを持ち寄って世帯を支えている現実を見て、それを「悲惨」と感じるかもしれない日本人の見方に反省を促している[鶴見1986]。「考えてみれば前近代社会の暮らしとは、老いも若きもそれぞれの労働を持ち寄って一家を支える、というものではなかったか」と鶴見氏は注意を喚起する。「家族労働団」の意識を分かちもつ人々にとっては、近代化とは、ただこの労働の場面が、非貨幣セクターから貨幣セクターに移ったことを意味するにすぎない。
家族という自律的な単位が、伝統社会の遺制どころか近代の産物であることは、すでに多くの研究者によって指摘されている。日本ではそれは、「家」制度という明治政府の発明品のかたちをとった。「家」制度を封建遺制と呼ぶのは正しくない。それは確かに封建制下の武家の伝統に端を発しているが、身分制社会においては武家の伝統は「常民(柳田国男)の伝統と同じではなかった。「常民」の世界に武家の伝統を持ちこみ、「家」の概念を確立したのは、明治三一年の帝国民法である。伊藤幹治氏は『家族国家観の人類学』[伊藤 1962]の中で、民法制定に至る過程で「常民」的な家族習俗が武家の家父長的な家族法に敗退していくプロセスを描いている。日本では儒教的な「家」制度が、ヴィクトリアン・モラルにもとづく西欧的な近代家族のカウンターパートであったことを、青木やよひ氏は明治国家の成立の過程に即して論証している[青木 1983b]。これらの労作のおかげで「家」が前近代的なものどころかきわめて近代的な発明品であるという驚くべき発見はようやく「常識」になりつつあるが、その詳しい展開はこれらの著者にまかせよう。
幕末から明治にかけては、伝統的な村落共同体の解体期であった。「家」の独立性・自律性は、共同体の規制と逆相関の関係にある。共同体のサンクションが弱まるのに応じて、「家」は経営体としての自律性をかくとくし、そのことによって「家」相互の隔壁も厚く移行していく。「家」が公的性格を失ったことに比例して、「私事」の秘匿性(「身ウチの恥」意識)は高まっていく。共同体の解体を促したのは、「個人主義」ではなく「家エゴイズム」であった。
「家」制度を封建遺制と見なす考えは、第一に近代百年(正確には明治三十年からせいぜい半世紀あまり)の「伝統」を、不変の歴史的伝統と錯覚するあやまちに陥っていることから、第二に、武家的な「伝統」を日本社会全体の「伝統」ととりちがえることから、来ている。第三に、近代を「個人主義」の時代と額面通りにとらえる近代主義者の思いこみがある。「家」を前近代、「個人」を近代の産物と信じて疑わない人々は、「家と近代的衣自我との葛藤」を好んで近代人の心理的な主題にする。日本の近代小説が「私小説」の名のもとにくり返し描いてきたのはこの主題だった。だが、ここでもフェミニスト文芸批評は、視点をみごとにくつがえして見せた。駒沢善美氏は、日本近代文学史をフェミニスト視点からまるごと読みかえるという野心的な試みの中で[駒沢 1978,1982]、「私小説の主人公は、ほんとうに「家」制度の抑圧の犠牲になった被害者なのだろうか?」というしごくもっともな、しかしコロンブスの卵のような問いを立てた。島崎藤村といい、太宰治といい、私小説作家たちはいずれも例外なく彼じしん家父長の立場にいる男性であって、その家父長の支配下で呻吟する女や子どもではない。彼らが主題にした「家」制度の葛藤とは、「家と近代的自我との葛藤」などではなく、実のところ「家長責任を背負いきれない弱い自我の悩みや課題」であった。そしてこの「家長責任から逃避する未成熟な自我」は、そのことによって家長支配のもとに置かれた妻や子どもをたっぷり傷つけており、かえって自分の加害性に無知かつ無恥であるという「目からウロコが落ちるような」(五木寛之氏の表現)発見に導かれる。
近代はしたがって逆説的ながら、「個人の時代」というより「家族の時代」というべきであろう。この家族は、かつてないほど脆弱で孤立した小家族ではあるが、またかつてないほど鈍化され特化した「家族以外の何ものでもないような家族」でもあったのである。
女性の戦争参加は、その国が総力戦になるほど強力に推しすすめられる。男子成員をどんどん戦場に駆り立てなければならないところでは、もはや平時の性分業を維持し続けることはむずかしい。日本でも、十五年戦争のあいだ、戸主およびその後継者には初期の頃は赤紙が来なかったが、やがて敗戦の色濃くなると、世帯主にまで召集令状が及ぶようになった。母子家庭になった「銃後の妻」もしくは戦争未亡人にとっては、自らが家長となって家族を支えるほかなかった。
戦争をつうじてかくとくした女性の実績と自信は、戦争が終わって平和が回復しても容易にはもとへ戻らない。とりわけ敗戦国ではそうである。たんに戦勝国より戦敗国の方が男子人口の損失が大きいというばかりではない。戦争はたんに物量の争いである以上に、国家のあいだのイデオロギー(理念)の争いだから、国が負けたとき、その国民の理念が負けたのである。理念を掲げて戦った兵士たちは、復員して戻ったときウチに対しても権威を失墜する。戦後の混乱期は、どこの国でもウチとソトの「性別役割分担」を平時の状態に回復するための移行期だが、女たちを「家庭に帰す」のは戦勝国の男性より戦敗国の男性にとって、よりむずかしい。
第一次世界大戦後、欧米諸国ではつぎつぎに婦人参政権が認められた。イギリスでは一九一八年、ドイツでは一九年、アメリカでは二〇年とあいついで婦人参政権運動は勝利するが、この背景には、戦争中の女性の国策協力への貢献を認めよという要求があった。もちろん女性の政治的権利を、国家への貢献を取引材料にしてかくとくするというのはすこぶる危険なことである。日本人の婦人参政権運動は、第一次大戦後のⅠ期フェミニズムの波にのり遅れ、そのために十五年戦争中の国策協力の中に巻き込まれていった。その事情は、鈴木裕子氏の『フェミニズムと戦争』[鈴木 1986]の中に如実に描かれている。
雇用者・核家族の中で、女ははじめて「結婚したら主婦」になることができる。第一に、彼女は家内(生産)労働に従事しない家事専従者になる。第二に彼女以外に成人女子(姑や小姑)のいない核家族の中では、競争者がいないために彼女は自動的に「主(なる)婦」になる。ただしこの「主婦」は采配を振るうべき下働きの女性たちを失って、自ら家事・育児に手を下さざるをえない家事労働者である。
高度成長期は、男にとってはいわば「一億総サラリーマン化」の完成、女にとっては「サラリーマンの妻」=「奥さん」に成り上がる夢の完成であった。しかし誰もが「サラリーマンの妻」になった時、この成り上がりはその実、女性の「家事専従者」への転落を意味していた。六〇年代の高度成長期をつうじて、日本の社会は、滅私奉公をする企業戦士とそれを銃後で支える家事・育児に専念する妻、という最も近代的な性別役割分担を完成し、これを大衆規模で確立した。フェミニストはこれを「家父長制」と呼ぶが、この「家父長制」はまったく近代的なものであり、封建遺制の家父長制とは質を異にしている。
現状分析にとっては、とりあえず、家父長制と資本制のふたつの変数の存在を認めておきさえすればそれでよい。両者のあいだの関係は変わるから、それを記述すればじゅうぶんであり、どちらが決定因であるかを争う必要はない。だが、理論家には理論の整合性と説明力をめぐるメタレベルの問いが残る。理論は循環的で内閉的な完結性へと向かう、それ自体の内在的な運動原理を持っている。また「オッカムの剃刀」」のたとえのとおり、より説明変数の少ない、簡潔で説明力の高いモデルへ向かう傾向も持っている。とりあえずマルクス主義者にとっては、マルクス理論の全域性(なにもかも説明しつくすことができる)についての信念は冒してはならないものだったから、かれらはつねに統一理論へと傾斜する傾向があった。その点から考えれば、統一理論がつねに優位に立つ事情も理解できる。
わたしだけに限られないが、リブとそれにつづく第二波フェミニストのリベラル・フェミニズムに対する一種の冷淡さは、第二波フェミニズムが、女性の法的平等を獲得したあとに成立したことと深い関係がある。女性に人権があることを疑うものはもはやだれもいない。だが、形式平等が達成されたあとにも、根強く残る実質的な不平等の原因は何か? この問いにリベラル・フェミニズムが答えるための理論装置は、存在しなかった。そればかりか、「自由で自律的な個人、しかも自己決定できる個人」からなる契約社会である市民社会の外側に、それとは不可侵な私領域を指定することで、このリベラリズムの公私の分離規範そのものを性差別の根拠として問い、私的領域に囲い込まれた者が「自律的個人」となりえないメカニズムを暴くことで、リベラリズムの人間観そのものに挑戦したのである。
たしかにリベラリズムの「人権」思想は、それを人種や階級、ジェンダーを超えて拡張することで「平等化」する傾向がある。アメリカの公民権運動はそのような「平等化」の成果である。だが、「人権」を主張するには、すでに人権を認められた者たちと「同じ人間」であることを証明しなければならない。リベラル・フェミニズムはそこで隘路に陥る。「同じ」であることを証明するためには「差異」を否認しなければならず、「差異」を認めれば「同じ」であることを断念しなければならない、というあのおなじみの「平等か、差異か」のディレンマに立たされるからである。近代フェミニズムはその成立の初めから、この「平等か、差異か」のディレンマを孕んでおり、したがってフェミニズムにとっては近代とどのような関係を結ぶかはつねに逃れることのできない踏み絵となってきた。この問いとまともに格闘したひとり、江原さん[1995]は、「平等か、差異か」は近代が女におしつけた「疑似問題」だと喝破する。同じことをジョアン・スコット[Scott 1996]は、「フェミニズムのパラドックス」と呼ぶ。オランプ・ド・グージュ以来のフランス・フェミニズムの足跡を追いながら、彼女はフェミニズムは近代に対して「パラドックスを提示するOnly Paradoxes to Offer」のために登場したのだと、深いため息をつく。近代にとってフェミニズムがそのようなパラドックスだとしたら、逆にフェミニストにとって近代とは、自分が股割きになるほかない解くに解けない問い、支持を与えることも不支持を与えることもできないダブルバインドな問いだったのである。