上野千鶴子の作品一覧
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Posted by ブクログ
とても興味深く読んだ。
p265 名郷医師は「上り坂のケア」と「下り坂のケア」を比較する。
「乳児に意識があるとして、おむつ替えに罪悪感を抱くことがあるだろうか。あるいは、おむつを交換してもらっている乳児を見て、乳児が罪悪感を持つべきだと考える大人がいるだろうか。」
この想像力にまず驚く。そして乳児のケアを「上り坂のケア」、高齢者のケアを「下り坂のケア」と区別して、「上り坂のケア」に罪悪感がなく、「下り坂のケア」に罪悪感があるとしたら、それはケアに対する罪悪感ではなく、下ることに対する罪悪感だと考えるのが妥当だろう」と指摘する。
「しかし、このくだりは万人にとって共通のものである。老いることは下ることである。すべての人に共通する下りに、罪悪感を抱く必要はない。みんな無用の罪悪感を抱かされているのだ。」
「なぜこのような無用の罪悪感を抱くことになる」かの理由は、「年老いても健康でなくてはならない、自立していなければならないという社会の圧力がある」からだと名郷医師はいう。「自己決定できない者は生存する価値がないという優勢思想」もこれを後押しする。したがって「自立」へと成長しない、できない、障がいを持った子供たちへのケアも、社会から迷惑がられる。
ほんとそうだなと。
誰だって老いるのにね。とはもちろん思う。思うけれど、乳児には未来(死ぬまでの長い時間)があって、何よりもピカピカで可愛い。そこが老い先短く古びた身体の下り坂のケアとはどうしたって違うところなのだよね。難しい。
わたしがはっとしたのは次の部分。
p268「大井医師は認知症高齢者を「精神疾患を持つ患者」とか「理解不可能な訳のわからない精神状態にある病者」と見なすのではなく、「老化に伴う認知と生活障害」を持つ「普通の人」と解釈することを提唱する。したがって認知症高齢者に必要なのは、治療ではなく「その人の認知能力と身体能力に応じた適切なケア、すなわち生活支援」であるとする。それによって、このひとびとも最期までひとりの「生活者」として過ごすことが可能になる。わたしたちに必要なのは、「認知症を治療する社会」ではなく、「認知症と共に暮らせる社会」なのである。」
2,3年前だったかな、親しい友人だと思っていた人と会って話していて、わたしが認知症の母のことを「精神疾患のある人が家族にいると大変よね」と言ったとき、「精神疾患に対して偏見があるわけじゃないけど、お母さんに対してそういう言い方はないと思うよ」とかなり強い調子で言って、わたしは驚いてしまった。
えええ…と思って、当時わたしは本当に大変な思いをしていて彼女も同じく認知症母がいて、わかりあえると思って何気なく発しただけだった。彼女は立腹し、その後少し口論のような感じになり(それまでもちろん喧嘩などしたことなかった)、わたしは悲しくて悔しくて泣きながら家路につき、以来ぱったり、メールをしても返事が返ってこなくなった。何がどんなに彼女を怒らせたのかと以来ずっと考えてきたけど、ここに答えのようなものを見つけた。
彼女はきっと、認知症の母親を、精神疾患ではなく「老化に伴う認知と生活障害」を持つ「普通の人」として見るべきだと強く思っていたに違いない。そこにわたしの上記発言。我慢ならなかったのだろう。連絡を絶つほどに…
それがわかっただけでも読んだ甲斐のある本だった。
Posted by ブクログ
なんとなく批判的に使っている「家父長制」「資本制」という言葉を一度しっかり勉強してみたいと思って読む。かなり難しい箇所もあったが、考えさせられる箇所もいくつもあり、結果的に読んでよかったと思える読書だった。
以下、特に印象に残った部分。
・家庭外労働というものは、労働時間も定まらない、際限なくおそいかかる家事労働からの防衛手段としてある
・家事労働サーヴィスを自分の賃金より安いコストで買うことのできる女たちは労働者化し、自分の労働賃金が家事労働購入価格と同等かそれ以下の女たちは家庭にとどまるだろう。
それより経済階層の低い「働かざるをえない」女たちは、家事労働者なみの賃金で、自分じしんの家庭の家事労働負担をかかえたその上に賃労働にも従事するだろう。
・いずれにしても、家事労働があらゆる労働の中でもっとも低く位置づけられている事実は変わらない。市場が家事労働の価格を最低限におさえる限り、女たちは家事労働をより劣悪な条件の下におかれた労働者に代行させて、自らの労働力を売りに市場へ出ていくことだろう。
・進行しているのは、労働市場全域におけるグローバルな家父長制の再編である。かつて女が家庭で行っていたことを、今は女性や高齢者や移民が周辺労働として行う。家事労働の外部化や福祉労働の現場で、すでにその事態はすすんでいる。ここでは、性に加えて、年齢、階級、人種、国籍のような経済外の変数が、新たな政治的な差異として「辺境」をつくり出しつつある。国民国家という利益共同体のメンバーであり、階級集団の成員でもある女性は、いまや、多国籍化した資本制の受益者にして加害者でもある。
・ありとあらゆる変数を問わず、労働の編成に内在する格差の問題が残るーそれは、なぜ人間の生命を産み育て、その死をみとるという労働(再生産労働)が、その他のすべての労働の下位におかれるのか、という根源的な問題である。
家事や育児、介護といった仕事は、明らかに大変で価値ある仕事なのに、なぜその他の仕事をする方が優れているとされるのだろう、というのはわたしも思っていた問題だった。
今この本が書かれた当時より女性の社会進出が進んでいるとしても、結局誰もやりたくない家事や福祉を弱い立場の女性や移民になすりつけているようでは、根本的な差別の解決にはなっていない。
再生産労働を見直し、評価する動きが必要になってくるのではないだろうか。さもなくば「市場」をダウンサイズするほかない。
そして私が生まれる前からこの問題を提示していた上野先生はすごい。今はもう少し疑問を解き明かしているのだろうか。最近の上野先生の著作も読んでみたい。