【感想・ネタバレ】アンチ・アンチエイジングの思想――ボーヴォワール『老い』を読むのレビュー

あらすじ

老いには誰も抗えない。それなのに、私たちはなぜ老いを恐れるのだろう。平均寿命が延び、老人としての生が長くなったことで、誰もが老いに直面すると同時に不安も高まっている。自分が老いたことを認めたくないのは、社会が老いを認めないからだ。それを惨めにしているのは文明のほうなのだ。「老いは文明のスキャンダルである」――この言葉に導かれて、ボーヴォワール『老い』への探究がはじまる。さらに日本の介護の現場を考察し、ボーヴォワールのみた景色の先へと進む。認知症への恐怖、ピンピンコロリという理想、安楽死という死の権利。その裏側にある老いへの否定から見えてくるのは、弱いまま尊厳をもって生ききるための思想がぜひとも必要だということだ。ひとが最後の最後まで人間らしく生きるには、徹底的な社会の変革が必要なのだ。老いて弱くなることを否定する「アンチエイジング」にアンチをとなえ、老い衰え、自立を失った人間が生きる社会を構想する。

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Posted by ブクログ

とても興味深く読んだ。
p265 名郷医師は「上り坂のケア」と「下り坂のケア」を比較する。
「乳児に意識があるとして、おむつ替えに罪悪感を抱くことがあるだろうか。あるいは、おむつを交換してもらっている乳児を見て、乳児が罪悪感を持つべきだと考える大人がいるだろうか。」
この想像力にまず驚く。そして乳児のケアを「上り坂のケア」、高齢者のケアを「下り坂のケア」と区別して、「上り坂のケア」に罪悪感がなく、「下り坂のケア」に罪悪感があるとしたら、それはケアに対する罪悪感ではなく、下ることに対する罪悪感だと考えるのが妥当だろう」と指摘する。
「しかし、このくだりは万人にとって共通のものである。老いることは下ることである。すべての人に共通する下りに、罪悪感を抱く必要はない。みんな無用の罪悪感を抱かされているのだ。」
「なぜこのような無用の罪悪感を抱くことになる」かの理由は、「年老いても健康でなくてはならない、自立していなければならないという社会の圧力がある」からだと名郷医師はいう。「自己決定できない者は生存する価値がないという優勢思想」もこれを後押しする。したがって「自立」へと成長しない、できない、障がいを持った子供たちへのケアも、社会から迷惑がられる。

ほんとそうだなと。
誰だって老いるのにね。とはもちろん思う。思うけれど、乳児には未来(死ぬまでの長い時間)があって、何よりもピカピカで可愛い。そこが老い先短く古びた身体の下り坂のケアとはどうしたって違うところなのだよね。難しい。

わたしがはっとしたのは次の部分。
p268「大井医師は認知症高齢者を「精神疾患を持つ患者」とか「理解不可能な訳のわからない精神状態にある病者」と見なすのではなく、「老化に伴う認知と生活障害」を持つ「普通の人」と解釈することを提唱する。したがって認知症高齢者に必要なのは、治療ではなく「その人の認知能力と身体能力に応じた適切なケア、すなわち生活支援」であるとする。それによって、このひとびとも最期までひとりの「生活者」として過ごすことが可能になる。わたしたちに必要なのは、「認知症を治療する社会」ではなく、「認知症と共に暮らせる社会」なのである。」

2,3年前だったかな、親しい友人だと思っていた人と会って話していて、わたしが認知症の母のことを「精神疾患のある人が家族にいると大変よね」と言ったとき、「精神疾患に対して偏見があるわけじゃないけど、お母さんに対してそういう言い方はないと思うよ」とかなり強い調子で言って、わたしは驚いてしまった。
えええ…と思って、当時わたしは本当に大変な思いをしていて彼女も同じく認知症母がいて、わかりあえると思って何気なく発しただけだった。彼女は立腹し、その後少し口論のような感じになり(それまでもちろん喧嘩などしたことなかった)、わたしは悲しくて悔しくて泣きながら家路につき、以来ぱったり、メールをしても返事が返ってこなくなった。何がどんなに彼女を怒らせたのかと以来ずっと考えてきたけど、ここに答えのようなものを見つけた。

彼女はきっと、認知症の母親を、精神疾患ではなく「老化に伴う認知と生活障害」を持つ「普通の人」として見るべきだと強く思っていたに違いない。そこにわたしの上記発言。我慢ならなかったのだろう。連絡を絶つほどに…
それがわかっただけでも読んだ甲斐のある本だった。

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2026年07月12日

Posted by ブクログ

ボーヴォワールの「老い」を今の
上野先生の頭で読む
いつか忘れたが若い頃に読んだ「老い」
人間は老いて死ぬ
そんなことを考えて読んだな
体力も知力も減退した時どう生きるか

上野先生の分析は素晴らしい
そしてボーヴォワールの時代とは
福祉も高齢者も変わった

しかし終末期の医療が死ぬことを強いる あるいは生きることを強いる場合もあるという考えには はっとさせられた

結論としてどんな状況にあろうと
生きることの大切さだった

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2025年06月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

健康診断のリストを見て若い人に「年齢がばれるから嫌ですね」と言われました(年齢によって検査項目が増えるから)。当たり障りなくかわすためには「ね、ほんと嫌だー」というようなことをひとこと言っておくと良いみたい。「(その年齢に)見えないから大丈夫ですよ」というフォローにはとりあえず自分を下げ気味に表現しておきます。挨拶みたいなものだから、こちらも世渡り的に必要な範囲のリアクションを返します。しかしエイジズムについて学んだ経験を無視できないし、サラッとかわすにしても少しだけ労力が要る。というわけで読み始めた本。

「わたしたちは「若い(あるいは年齢より若く見える)ことが価値であるような社会に住んでいる。若い者ももはや若くない者も、その価値を内面化している。だからこそ「お若いですね」が高齢者に対する「ほめ言葉」になり、高齢者もそれを嬉しがる。」


人は老いるもの、衰えるもの。医療や公衆衛生などが発展し長寿を手に入れた社会で、長寿を憂うしかないのか?生産的でなくても、生きているだけでいいじゃないか、という後半の部分は上野千鶴子氏のよく話されている内容で、頭の中で拍手しながら読んでました。

第8章ではサルトルとボーヴォワールの恋愛関係、三角関係やそれをモデルとした小説の解説があって、話題のyoutuberのオープンマリッジを連想。笑

【第8章:女性の老い】

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2026年03月15日

Posted by ブクログ

老いについて深く考察してある。
誰もが経験するのに語られてこなかったあれこれを
正面から書いてある。思ったより読みやすい。
自分が出来ていたことが出来なくなっていく自信喪失。認知症。死について。それらをいろんな方面からみている。
今までそれらに対して抱いていたぼんやりイメージするだけだったものがちょっと分かった気になる。実際に経験してみないと本当にはわからないだろうがいろいろ考えさせられた。

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2026年04月18日

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