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Posted by ブクログ
「フェミニストではない」と言う人は、「私はセクシストです(性差別主義者)」と言っているに等しいとある。それでも、父親は、自分はセクシストである、それの何が悪い、と開き直るそういう人だ。
私にとって、父親は、一番身近にいるセクシストである。セクシストが家族にいて、その人の女性蔑視的な言動を身体に受け止めて、毎日何事もないように生きなければいけない日々。これが、どれほど、23歳の私の人生を憂鬱にさせるものか。今日はいい日にしよう、という前向きな気持ちを踏みにじるものか、彼には分からないのだろう。
この家でフェミニズムの本を読むこと。それは、父親への挑発である。この家の女性たちは、荒波を立てないように我慢してきた。そういう意味で、女性の家族を危険に晒す行為かもしれない。
それでも、私は読むことをやめない。学んだことは誰も奪えない、と言う。それに、一度フェミニストになってしまえば、フェミニストをやめることはほぼ無理なのである。フェミニズムの本を読み始めたことで、読む前より、この父親に、家族に、男性に、社会に失望する数は明らかに増えている。希望を心から信じて生きること、また人生を楽しいと思えること、それはさらに難しくなった。ただ平穏に生きたいだけなのに、家が自分を守ってくれる場所ではない。いつ、この家に、この家族に希望を信じられるようになるのだろう。
私の中に、二つの種類の思いがせめぎ合っている。女性蔑視的な父親を変えて、自分をこの苦しみから解放したい。でも、父親とは険悪な仲になりたくない。
父親が家にいると、空気が重くなる。五十代の男性が変わることは不可能に近いことなのか。母親は、父親が変わることを諦めている。でも、諦めてしまったら、それは父親が死ぬまで、私たちが我慢することになる。
この本や私のコメントを読んだ男性に伝えたい。女性と同様、性差別的な社会で声をあげるには、相当の覚悟がいります。そういう社会に生きている。けれども、言葉は強いですが、やはり傍観していることは、加害者と同じであることに変わらないのです。男性が変わるには、男性の力が不可欠で、男性も声をあげなければならないことを理解していただきたい。こういうフェミニズムの本を読む男性は貴重ですごい、と持ち上げたくはない。当たり前であると思う。でも、同時に、一緒に戦ってくれることに感謝したいです。
この本や私のコメントを読んだ女性に伝えたい。私は、女子大でフェミニズムの詩を読んだり、本を読んだりするまで、フェミニズムなんて関係ない話、今の時代男女平等よ、と考える能天気な、女性としての生きづらさなんて感じたことがない人でした。
今の時代でも、女性として生きるのは相当辛い。それでも、今、私に選挙権があり、大学院まで進学でき、少しずつですが女性の生き方が自由になりつつある社会で生きられているのは、女性の先輩方のおかげです。感謝してもしきれません。年齢は関係なく、家で学校で職場でどこかで同じように戦っている方々に感謝します。我慢するしかない自分をどうか責めないように。たった一人でも、あなたがその場所にいて、女性差別的な周りの人々との関係で試行錯誤をしていること。立派です。一人一人、社会にメスを入れられていますよ。
希望を信じること、闘い続けることには体力も気力も要ります。休み休み、頑張っていきましょう。
Posted by ブクログ
我々の生活のあらゆる場面は女性嫌悪に基づいた文化の鋳型で成形されているのだと気付かされます。
自分の話し方からコミュニケーションの様式、性的な欲求まで様々な場面で女性嫌悪で溢れていると著者は指摘しますが、男性である自分にとっては思い当たる節がたくさんあり、常に居心地の悪い読書となりました。
女性嫌悪的な行動をとることで周囲の女性に負荷をかけているのだと著者は指摘するのですが、一方で女性嫌悪という文化から抜け出すことはいままでの生活原理を根本から覆すことになるとも指摘しています。自分ですら変えることは難しいのかもしれないという事実に上野千鶴子氏の強くみえる方が言及するのには驚きました。
ただし、最後の最後に著者から男性宛の具体的なエールが過書かれています。女性の向けの本だと思って読んでいたところに急に自分への目線がありとても驚きました。男性にもミソジニーに基づく自己嫌悪がありそれを乗り越えるにはどうすればいいか著者の考えが記載されており、この問題が男性側の意識変革がなければ解決しない問題だと改めて示されています。
困難ではあるが自分が変わらなければとなにも変わらないのだと思わされる本でした。
Posted by ブクログ
この本で、あらゆる場面でのミソジニーをこれでもかと考察されて、好きで見ていたアベマの番組や、女性誌に載っているエッセイが、完全にミソジニーの文脈で読み解けてしまうことに気づいて嫌な気持ちになった。
そういうものを楽しく見れてしまうこと自体、私が「自分を女の例外として扱い、自分以外の女を他者化することで、ミソジニーを転嫁」していて、それでもあわよくば女としての評価を得たいがために、男を立てよう、と潜在的に思っている証拠なのかなと思う。
不用意に他者を傷つけたり自分を貶めたりしないように、自分の中のミソジニーに気づくアンテナを持っていたい。
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