内田樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ノルマに責められる会社勤めに限界を感じて、
3/11をきっかけにして、
人混みの中の都会での暮らしに嫌気が指して、
さまざまな理由はあれど
とにかく
他者に追われる「暮らし」を辞めて
自分の力で、
自分の頭と、
自分の足と、
自分の手と、
自分のリズムで、
田舎で「暮らし」始めた
若者たち(30代~40代)と
知り合うことが
ここ数年多くなった
夫婦で、子供たちは
まだ幼いけれども
空の下で
土に向き合った
暮らしをしている人が多い
彼らと
話をしていると
本書で話されている
さまざまなことが
暮らしの中で
もうすでに
実践しているのだなぁ
と感じてしまうことに
結構気付かされる
日本に未来が
あるとするならば
そんな人たちが
機嫌よく暮らせる「今」
が持続していくことだろう
そんな人たちが
少しづつ増えていくことだろう
と 思う -
Posted by ブクログ
対談の面子がすごい
最初あたりの全共闘のところはあんまり面白くないなあとおもったけど、ポツポツと気になるところが出てくる。2人の思想のポイントが垣間見えるところが面白い。体系的にはわからないのが対談の限度か。2人の本を読みたくなる。
以下面白いと思ったところ
●どんなことがあっても「こういう人いるよね」と思ったほうがいい
「床族」の結婚の話も面白かった
●貧困をゼロにしようとすることが社会として不健康
リスクをゼロにするのはコストがすごい
●貨幣を呼び込むコツは贈与すること
貨幣は予想外の使い方を喜ぶ、とか目からウロコ
●合意形成は全員が同じくらい不満なところに持って行く
三方1両損
●考えごとなんかせず他人の頭で考える
人に言って、そのリアクションで考えを進めていく
●オンリーワンにならなくていい。家庭内において僕しかできない、そういった形で社会的な存在価値を持っていく時代 203ページ
何かの本で読んだ、チーターより速い必要はない、いっしょに逃げるシマウマより速ければ生きて行ける、みたいな話を思い出した。
●就活では自己アピールしろと言われる。そんな自己規定は、自己を呪縛することにしかならない。210ページ
僕が何者であるかはその都度、関係でしか決まらないこと
●師を見るな、師を見ているものを見よ
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Posted by ブクログ
「人と人の結びつき」をテーマとして、家族、格差社会、教育、コミュニケーション、師弟関係について日本の状況を考察する。著者の身の回りの出来事から、世界の趨勢まで幅広く問題提起し、どうあるべきか自身の考えを提示する。
これまでこのシリーズを何冊も読んできたが、この本はテーマ別によくまとまっていて、とても判りやすかった。例えば近年、日本の社会が経済優先の思想に重点が置かれたため、家族制度が崩壊し、格差社会を生み、教育制度の歪みを生んでいる。特に学校教育については学生が「自身の学力を高めること」ではなく、「少ない努力でいかに学歴を手に入れるか」を競っている状況を指摘する。そしてそれが彼らにとって当たり前であることを、著者は危機的な状況と感じている。
自分も著者の指摘はよく判る。数年前、新入社員に業務の背景を説明していたら「無駄な知識は要らないので、何をやるかを早く教えて欲しい」と言われたことがある。曰く、「最小限の努力で最大のパフォーマンスを発揮するのが自分のポリシーだ」と。彼は能力はありそうだったが、周りと上手く行かなかったのか、結局5年ほどで退職してしまった。
内田樹の本を読むと彼の思想に感化されてしまい、世の中の出来事にいろいろ意見したくなる。でも誰も聞いてくれるわけではなく、何も行動できず、テレビで放送される事件や事故の報道に向かって文句を言うだけの自分が何だか情けない。。。 -
Posted by ブクログ
内田先生の著作は難しいがこれは新聞の連載をまとめたものだったのでいささか読みやすかった。以下付箋貼った箇所。グローバル化世界における「勝者」たち個人の自己利益追求という観点から見ることの二つは全く無矛盾的である。グローバル企業はいかなる国民国家の国益も配慮しない。人件費コストの最も安い国で雇用し、環境税制の最も緩い国で操業し、収益は租税回避地に流し込む。グローバル企業の目的は個人資産の最大化である。「グローバル」と呼ぶが、実質は「無国籍的個人主義」に他ならない。この競走の勝者たちは、自分たちは才能と努力によってその地位に達し、財産を築いたと考えている。だから、努力せず、才能に乏しいものが彼らの納めた税金の「フリーライダー」となることを忌み嫌う。それはアンフェアだと彼らは言う。/でも、なぜ人々はスポーツに惹きつけられるのか、それぞれの競技はどのような人間的資質の開花をめざしているのかという話はメディアで誰一人口にしなかった。ただひたすらメダルの数と国威発揚と経済効果(そしてバックステージの家族愛・師弟愛の「物語」)というチープでシンプルな話だけが執拗に語られていた。/whataboutism日本語で言うと「どの口が言うか」である。西側諸国がソ連国内の人権抑圧を非難すると「そっちだって過去に奴隷制度があっただろう」と切り返して、批判を無効化しようとしたのである。「真に潔白な者だけが他人の非を咎めることができる」というルールを採択すれば、誰も他者の罪を問うことができなくなる/けれども、この論法を突き詰めると、最終的には、最も抑圧され、最も収奪され、すべての人権を剥奪された「究極のプロレタリア/サバルタン」以外には人権について語る資格がないという極論に至る。この論法の本質的な欠陥は、正義や人道について語る資格を厳密にすればするほど、正義や人道が棲息できる場所がこの世から失われてゆくという逆説にある。/けれども、歴史が教えているのは「すべての長期政権は必ず腐敗する」ということである。これに例外はない。/やがて独裁的権力者の周囲には、恥ずかしげもなくお追従を言う者たちだけが残り、直諌するひとは残らず立ち去るか、排除されるかして姿を消すのである。長期政権の没落を呼び込むのは為政者自身の無能や失政ではない。彼を喜ばせる以外に取り立てて能力のない人たちがいつの間にか統治機構の中枢ポストを占有することがもたらすのである。/権力とは平たく言えば「いかなる理不尽を働いても罰されない立場にいること」である。問題を起こした政治家たちはここしばらく身近に「権力」の匂いを嗅いだ。そして、どこまでの理不尽や横暴が自分にも許されるのか、その限度を試みたくなったのである。/「それでも処罰されない」という事実が、それだけの権力が自分にはあることを確信させてくれるのだ。子どもが親の愛情を確かめるために「どこで怒り始めるか」の限界を試したり、DV夫が妻の忍耐を自分への愛情表現と解釈したりするのと同一の心理規制である。/内閣を支持する人たちの支持理由の第一は「代わる人がいない」というものです。「一強体制を覆す対抗馬が出ないような精密な仕組みを作った政治力を評価する」というふうに読み替えれば、それなりに合理的な解なのかも知れません。/人間はひとりひとり特異な個性と才能に恵まれている。それを生かして「余人を以って代え難い」タスクを引き受けることが人しての生き甲斐じゃないかということです。/全員が「他の人ができないことができる」ようにばらけている集団では、たしかにメンバーの格付けはむずかしい(というか不可能)でしょう。ですから、集団内部的な格付けを容易にするために成員を規格化することにつよく反対します。集団が弱くなるからです。でも、僕のように考える人は今の日本では圧倒的な少数意見です。ほとんどの人は「誰でもできることを他の人よりうまくできる」という相対的な優劣の競争で上位にランクされることに熱中している。んんん難しい。
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Posted by ブクログ
20年間、地元の区民プールで泳いでいます。
定点観測すると、ずいぶん変わったなと思います。
施設は、割ときれいに保っています。
管理会社が、区から契約を
切られないために、
サービスレベルをよくし
、低賃金で、従業員を雇い、
膨大な数のチェックリストを作り、業務を行っているからです。
以前は、よくプール内で、知らぬ人と、世間話をしていましたが、
今はなくなりました。
一心不乱に、そう何かにとりつかれたように、
ぐるぐると泳いでいる人が増えました。
きっと「決められたメニュー」があるんだと思います。
そうすると、「カラダに良い」のだと思います。
ただ、以前は、「そのように、考える人」は、あまりいませんでした。
プールの場に、社交が必ずありました。
今、かつてあって、「最近、どうですか?」的な、たわいのない話しをする機会は、
ありません。どうしちゃったんでしょうか。
1985年の時と、2017年の人口動態を調べてみました。
バブルから、最近までです。
個人的に社会の変化と、人口動態というのは、どういう教育を施しているかとか、
GDP・経済成長、鉱業生産指数うんぬんか同じぐらい質量、定量関わらず、
重要な指標だと思っています。
1985年時、15歳から39歳の人口は4476万(全人口の37%)
2017年時だと、3260万(30.5%)です。たった30年で、
全人口に占める若い人が6.5%減っています。
なんだ、6.5%かと思うかもしれませんが、
人数にしたら東京都と約同じ規模です。
では、高齢者(65歳以上)はというと、
1985年時で1247万(10.3%)、2017年時では3515万(27.7%)です。
全人口に占める高齢者の割合は3倍になっています。
人数にして約東京都2つ分の高齢者が生まれています(正確には、
かつての生産人口が、高齢者人口へと移行しています)。
そして、労働生産人口(15歳~64歳)は、この30年で657万人減っています。
一年当たり20万人以上です。
この数字は、現在から将来へは、毎年、倍以上、確実に増加します。
たった30年で、ここまで人口構造が激変している国(高齢者と若い人の割合変化)は、
。だって、高齢者が3倍になっていますから。この変化は、特筆すべきものがあります。
2040年の人口推移をみると(仮に出生数を1.25とすると)、
高齢者は3912万(36.2%)になります。
労働生産人口を見ると、1985年時の7割になり、2400万減ります。
100人の村に表すと、70人が働いていたのに、いつしか50人になったということです。
どう考えても、社会に活力が失われます。
毎年、毎年政令指定都市レベルの労働者数が、減っていっています。
労働者が減っていき、高齢者が多くなると、社会は必然と保守的になります。
イノベーションと呼ばれる考え方、技術も生まれにくくなります。
また、それを受け入れる融通さが、社会になくなります。
ためしにノーベル賞受賞者の受賞時の年齢ではなく、
成果としての研究発表時の年齢を見ても、それは明らかです。
株式会社化する日本とは、言ってみれば、こういった激変している日本社会の一つの兆候だと思います。
一言でいえば、組織の存続を優先して、個人の自由、尊厳を犠牲にする社会への
回帰です。回帰というのは、たぶん、徳川時代の藩体制の社会に戻るんじゃないかというのは、
自分の予測です。主君のために全てをささげるじゃありませんが、
組織のために、、、云々になります。また、それに属さない、属せない人は、
ゴミとして扱われます(今も、その傾向は強い)。
それは、高度経済成長時の、昭和と同じじゃない
かといわれますが、決定的な違いは、
その当時は、組織は、拡大していきました。
今後は、拡大ではなく、維持と存続です。
そのために、個人は、あらゆる犠牲を被るようになると思います。
今、この社会から生きる力を失い脱落していっている人が、たくさん出現していっています。
また、精神を病み、他人を蹴落とすしか、組織に残れないと思っている人が、多くなってきています。
なぜなら、組織を維持するにも、組織を維持するための、利益が必要だからです。
つまり、膨大なコストがかかるので、誰かが犠牲にならないといけません。
株式会社というのは、半永久的に存続するには、利益を出し続けないと、死んでしまうものです。
ただ、利益を出すのは、どんどん難しくなっています。
こういった社会に誰がしたんだ!と嘆いても、始まりません。
ただ、自分達自身が、株式会社のような思考をするようになってきています。
生活の隅々まで、やれコスパや、メリット、デメリット、利益になるか、ならないか
です。
こういった思考法というのは、かなり独特です。
百害あって一利なしです。
それなのに、一番合理的だと思ってしまうなぜでしょう。
不思議で仕方ありません。 -
Posted by ブクログ
7/10点。
難しい部分があるので8点はあげられない。
特にフェミニストの言説を引用するなら丁寧に翻訳して。
傷つくという体験を共有し、その傷を被害者という特権的な地位を獲得した根拠にするということはよくわかった。
でもその構図を採用し続ける限り、フェミの方々ひたすら男社会から傷つけられ続けないとフェミの立場を維持できないという構図になっているのは不幸と思う。
俺は、女は、男性の性的な側面を適切にかつ暴力的に消費できるだけの能力を持っていると思う。男なんか、商品にしちまえばいいじゃんと思う。経済的な理由で女がそれをできないのならそうできるような社会を作るべきだと思う。
他方で、誰も対象化され消費されない社会なんてありえないので、性の対象化や商品化そのものをネガティブに評価することに意味はないと思う。男女差を埋めるだけにしとけよ、と。
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Posted by ブクログ
自分自身となんとなくよく似ている部分というか、
経験したことや、思っていたことが若干
共通感が多少なりとも感じました、
なので、この人の本がすきなのだろうともいました。
大阪の北野高校の周りの雰囲気が、著者が書かれている
日比谷高校にあったものとも同じような気がします。
また、道筋の選びかた。人生の苦悩の選択なんてものは
なくて、なんとなく行きたい方向に行く。どちらかを
選ぶ苦悩があった場合は、その時点ですでに間違った
ということ。というのは非常によくわかる。
人を批判するのではなくほめる。
いいサービスを受けようと思うと、いいものを享受しようと
思うと、その人をほめるのが一倍いいというのは
”はっ”とさせられた思いがしました。