【感想・ネタバレ】最終講義 生き延びるための七講のレビュー

あらすじ

学びの本質をとく、感動の講演集

神戸女学院大学退官のさいの「最終講義」を含む、著者初の講演集。学校という場のもつ意味、学びの真の意味が立ち上がる感動の書

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

2008~2014年に行なわれた講演のなかから7つを収める。テーマは、教育、学びの本質、これからの大学のミッションなど。内容の重複はほとんどない。
21年間勤めた神戸女学院大学を去るにあたっての「最終講義」(2011.1.22)が印象深い。1990年、「生き馬の目を抜くような」忙しい東京の生活から、「秘密の花園のような穏やかな大学」に赴任。内田がそこで身につけたのは「寛容さ」だったという。
95年にはあの大震災。神戸女学院も、ヴォーリズが設計した建物群が損壊。復旧工事に際して、建物を見てまわるなかで、ヴォーリズの「仕掛け」に気づく。音響効果や採光の効果はもちろんだが、隠し屋上、隠し廊下や隠し扉、そして隠し部屋があることを発見する。「扉を開けてみなければ、その向こうに何があるかわからない」。建物のそこかしこがに「教育」のメタファー。

0
2025年08月31日

Posted by ブクログ

すっごく面白かった。脳がバシバシ刺激された。あとがきで赤坂真理さんが書かれているように、内田先生の倍音の効果かな??

以下、気になった箇所。
P63
「あなたは間違っている」とかは言わないんです。だって、僕が彼の前にいて、現にその言葉を発したという事実がある以上、それには何か意味があるはずだし、僕が間違ったことを言っていたとしても、「間違ったことを言っている男がここに存在する」という事実は否定できない。

P77
福沢諭吉の狂気じみた勉強法について。
「知性が最高速で運転しているときの、全身を貫く震えるような快感。」
「僕はこれはほとんど「知性の身体性」と呼んでよいものだと思います。お腹がすいたらご飯を食べる、眠くなったら眠る。それと同じように、何が何でも勉強せずにはいられない、勉強せずにはいられない、勉強しないと自分が苦しくて耐えられないという精神状態にまでどうやったら自分を追い込めるか。その手立てを具体的に考えるのが「知の現場」にいる人間のいわば「芸」ではないんですか。」

P84
僕は学校教育に市場原理を持ち込むことにずっと反対してきました。けれども、それは自分の中に、何か理想的な学校像や教育像があるから言っているのではありません。市場原理なんか持ち込まれたら、学校という場が全然「わくわくどきどき」しなくなるから、そういうのはやめてくれとお願いしているんです。「アカデミア」って、本質的に、そこに足を踏み入れたら胸が「わくわくどきどき」する場所でしょう。

P171~173
太宰治と村上春樹のこと。倍音のこと。面白い!

P199
日本の知的未来を豊かなものにするためには、どうしたって、学生たちひとりひとりが、私はこの場所にいていいのだ、いなければいけないのだ、ここで学ぶのは自分の宿命なのだという自覚がなければ立ちゆかない。大学は無数のピースで出来上がっている構造物で、そこに自分が「かちり」と収まらない限り、構造物は完成しない。そういう種類の帰属感と責任感がなければ、学びの場というのは機能しないのです。ここで自分が学ぶことによって、この学校は完全なものになるのだというふうに、自分がここにいることの必然性を強く感じられるような学生たちを一人でも増やしてゆくこと、それが学校の責務なんです。

P291
その頃の僕はひたすら「かっこいい欧米のインテリ」を追い求めておりました。その人が「欧米の文化なんて、全部ゴミだぜ」というのを聴きたかったからです。なにしろこちらは敗戦国民ですから。マッカーサーに「精神年齢は一二歳」の「四等国民」とレッテルを貼られた人間ですから、文化的には心底いじけ切っている。だから、この屈辱感を晴らすために、欧米の先進文化なんか「ゴミだぜ」ということを誰かに言って欲しかった。そういう「破壊者」探しの旅の果てに、ブランショ経由でエマニュエル・レヴィナスにたどりついた。そして、レヴィナスの本を読んだ瞬間、電撃に撃たれたように「これだ!」と。「これこそ私が師事すべき人だ!」と直感したわけです。

P337
僕たちが営んでいるすべての社会的活動は、つきつめてみれば、個人のものではありません。集団が主体となって行っているものです。そして、その集団は成員として、今ここで同時代に同じ集団を形成しているメンバーだけではなく、もういなくなってしまった人も、まだ加わっていない人も含んでいる。でも、そういうふうに社会制度や組織について考える習慣を僕たちは久しく忘れ去っていたのでした。

P341
アメリカは手つかずの自然と原住民を収奪して国家の基礎を築き、ただ同然の豊かなエネルギーを発見したことによって、今日の石油基盤社会の覇権国家になりました。別に国民たちの例外的な能力や努力のみによったのではなく、いくつかの歴史的偶然の連なりによって、今あるような国になった。世界の表面はいくつかの偶然によって変わるものです。けれども、アメリカ人たちは、自分たちの成功の理由を誰の支援も受けずに刻苦勉励した事実に求めました。その国民的幻想である「セルフメイドマン」という特殊アメリカ的なロールモデルが今やグローバルスタンダードとなり、全世界に強要されている。日本にはやはり日本固有の風土があり、日本固有のあるべき人物像があると思うんです。自然と親しみ、その恩恵を豊かに享受できることを感謝し、自然や他者たちによって生かされていることをデフォルトにするような人間の方が、この風土、この社会にはなじみがいいと僕は思っています。でも、それを捨てて、できあいの「グローバル人材」なる鋳型に自分たちをはめ込もうとしている。これがいかに愚かしいことかということを、僕は言葉を尽くして言っているのです。

P343~原発のこと。興味深い。

0
2016年11月11日

Posted by ブクログ

内田樹による 最終講義。
イタチの最後っぺ みたいに濃厚な臭さである。
長くニオイが残るような問題提起。
内田樹はエライ!

内田樹は アメリカ嫌いである。
アメリカは日本を属国にして、
その属国に迎合している日本。
アメリカのなすことに金魚の糞よろしく、
自衛隊まで海外に派兵する日本。
そのことに、怒っているのだ。
国家を株式会社にする。教育を株式会社的にする。
アメリカのグローバルスタンダードは、
とんでもないとおもっているのだ。
役所は 営利を追求するところでない。
学びの場は 教育を商品としてあつかうことではない。
効率的であること、目先の利益しか考えないこと
そのような 刹那主義に 怒っているのだ。
もっと、継続するための、
生き延びるための思想がいると言っているのだ。
いろんな先生がいて、いろんな価値観があって、
それを学ぶことで子供から 大人に変わる 
その殻を破る瞬間を提供できることが、
教育のすばらしさなのだ。

アタマがいい人たちが アタマがいいとおもうのは、
問題はないが
そのアタマのいい人たちが、自分のためにしか 
そのアタマをつかわないことに、嘆いているのだ。

なぜ フランスの現代思想をまなび 研究し、
なぜ ユダヤを学ぼうとするのか、
そのなかには アメリカに対抗できる何かが 
あるかもしれないという
徹底した 一人の研究者のレジスタンスなのである。
そして、なぜ 武道に のめり込むのかは?
言葉の身体性 をつかみ取るためだ。
地に 足をつけて、闘うために。

0
2016年09月27日

Posted by ブクログ

言葉にできない、単純な言葉で表したくないけど心から沸いてくる、高揚感に似た気持ちがとても心地よい本。

0
2015年09月14日

Posted by ブクログ

内田さんの教育論は、理想的に過ぎるとか抽象的だと言われかねないなぁ、今の社会では。でも、教育が人を育てる営みである以上は理想がなければいけないし、カタチのないものを作る営みである以上はそれを語る言葉も抽象的なものを選ばざるを得ない。
いまの世の中、特に抽象的なものって嫌われがちな気がする。なんでも具体的でないと相手にされない。でも内田さんの話を読む時は、教育というものの性質に鑑みて、揚げ足取りせずに読んでほしいです。

内田さんの主張することはいつも一貫していますが、この本は講演の書き起こしということで、話し言葉で語られているためとても分かりやすく読みやすいです。
「教育に等価交換はいらない」という主張はいつも通り、他にも「知性の身体性」「アカデミック・ハイ」など、キャッチーなフレーズが出てきて面白いです。
内田さんの入門編にいいかも。

0
2015年07月16日

Posted by ブクログ

人間はどのように欲望を覚えるのか、どうやって絶望するのか、どうやってそこから立ち直り、どうやって愛し合うのか…。自身の最後に行われた授業をはじめとする講演を収録した内田樹氏による、初めての講演集です。




僕は内田氏の著作をあまり読んだことはないのですが、本書は著者初の講演集だそうです。

古今東西、大学教授の最終講義といえば、印象的な授業が多く、僕は不幸にして、そういった授業にはナマで出会ったことはないのですが、インターネットが発達した昨今、言語的な障害さえクリアーできればそういう授業には簡単にアクセスできるので、そういったところにはとても感謝しております。

ここに収録されているのは内田氏が所属している神戸時女学院大学で行われた最終講義を始め賭する講演が収録されております。

タイトルもそれぞれ刺激的で、『日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)』や、『ミッションスクールのミッション』果ては自らの専門領域であるユダヤの研究に関連した『日本人はなぜユダヤ人に関心を持つのか』まで教育のありようや、昨今の人文科学の様子まで、本当に多岐に渡るお話を伺えて、久しぶりにこういう手の話を聞いたような気がいたします。

僕も大学は人文科学系でしたが、別な方向にそれてしまって以来、ずいぶんと離れてしまったので…。

それはさておき、僕は縁のないであろう女子大学という教育機関。それも神戸女学院大学の建物から、女子の教育という命題について、キャンパスの建物についてから、『旗を掲げる』ということの「意味」など、読んでいて本当に面白い話が散見されておりました。

特に、『教育に等価交換はいらない』という演題で話された講演では、「市場原理主義」が教育について語るときに、感じた反発が縦横無尽に語られていて、『市場は常に間違えない』という考え方も何でもかんでも用いてはいけない、ということを切々と訴えていて、それがとても印象に残っております。

繰り返しになりますが、僕は内田氏の著作をあまり読んだことがないので、人によっては同じことの繰り返しかと思われるのでしょうが、僕個人にとっては楽しく拝読ができました。

※追記
本書は2015年6月10日、文藝春秋より『最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)』として改題、文庫化されました。

0
2025年01月24日

Posted by ブクログ

歯に衣着せぬ話とは、この事かと思う講演! 脱線あり、個人史ありで彼らしい話でした。神戸女学院だった人たちが羨ましい。

0
2024年12月29日

Posted by ブクログ

内田樹 最終講義 教育、大学、組織、日本が生き延びるための処方箋を語った講義録。良書だと思う


結論としては、共生原理による社会、直観の重要性とそれを引き出す組織づくり、ブリコラージュ(ありものの使い回しで急場をしのぐ)に生き延びる術を見出している。教育の市場原理を批判し、人文学の意味、教育者が負うリスク、子どもの成熟プロセスなどを論じている


一番強く否定していたのは 教育投資(教育にかかった費用より、その教育により得た賃金や地位が高ければ、教育は成功とする考え方)。教育を投資と考えるのは、教育の自殺であり、使用禁止用語にすべきという主張。その通りと思うが、親がお金を、子が時間を 投入して、その見返りを子が受ける行動を投資とされると 親が子にすることの大半が投資となってしまうのでは?



古典文学など 人文学の意味や効果(直観力〜存在しないものから何かを感じとる能力)をわかりやすく伝えた文章は素晴らしい。大学サイドの人たちも 学生や一般の人たちに文学の意味を積極的に伝えるべきだと思う


子どもを成熟させるために、大人たちの異なる価値観をわからせ、矛盾を経験させるという考えは 学校の先生では難しい。親が中心になると思う



組織力
*人間は自分のためでは力がでない〜自分の成功を共に喜び、自分の失敗を共に苦しむ人たちが多いほど〜知性のパフォーマンスは向上する
*人を見る目とは その人がその組織に置いた時、どのような働きをするか想像する力
*組織には メンバーが標準化しないように異物(違う視点、違う基準で良否を判断する人間)が必要


共生原理の社会
*ずらして、かぶらないようにする
*競争相手を押しのけて奪い取る生き方をしない


教育者が負うリスク
こちらが 人に教えたいと言って始めた以上〜誰かが扉を開けるまで、待っていなければならない



0
2021年06月14日

Posted by ブクログ

自分がいかに歴史的な文脈の中に生きているか、ある思想に囚われているかについて考えさせられました。
その考えはおかしい、という主張は、それが正しいかは置いておいて、自身を客観的に見つめ直すのに有用です。

0
2021年03月05日

Posted by ブクログ

2008年、2010年、2011年に行われた講演を収録したもの。
神戸女学院大学を退官するときの講義で、ヴォーリズ建築の特徴、自らの手でドアノブを回したものに贈り物は届けられる。世界内部的に存在しないものと関わることを主務としているのは文学部だけ。
対米従属を通じての対米自立というねじれた戦略。アメリカから見て日本は属国、衛星国、国際社会に対して発信すべき政治的メッセージを何ももっていない国。

0
2020年07月26日

Posted by ブクログ

ニチユ同祖論と安保闘争のところがとても面白い。
メンタリティは、敗戦国としてのルサンチマンだったのですね。

0
2019年01月24日

Posted by ブクログ

相変わらずの内田節で読んでいて面白い。大学建築の話とか、異質な人が居た方が全体として生存確率が上がるとか、いずれもどこかで読んだことがある話な気もするけど、同じ話を色んな例えを入れつつアップデートしていくのがこの方の流儀だとは思う。
ただ、読んだことない話もあって、その部分は非常に興味深く読めた。誰が読んでも自分の話だと感じるという、複数の立場を同時に盛り込む文章(倍音)の話は、なるほどな、と思ったりした。個人的にも倍音のある文章を書いてみたいな、とそんなことを思った。

0
2018年03月23日

Posted by ブクログ

2017/09/22

学術的な活動を通じて、公共的な利益をどう積み増しするか。
自分以外の「何か」を背負った方が効率的であるに決まっている

0
2017年09月22日

Posted by ブクログ

著者が1990年から21年間勤めた神戸女学院大学における伝説の「最終講義」はじめ、7つの講演を収めたのが本書。
私は割と熱心な内田樹ファンで著書もかなり持っていますが、調べると「ウチダ本」を読むのは実に1年2か月ぶりでした。
しばらく追い掛けていましたが、発刊ペースが速すぎてついていけなくなったのですね笑。
それだけ多作な方です。
私がウチダ本を読む理由はただ一つ。
知的に負荷をかけたいからです。
自説を補強するような読書には興味がありません。
どこかで聞いたような話をわざわざ本で読みたいとも思いません。
極端なことを云うと、そこに書かれていることが正しいか正しくないかにも然したる関心はないのです。
私は、一部の方たちがどうしてそこまで書物の内容の「正しさ」に過剰にこだわるのか、実は理解できないのです。
読書の愉しみのそのぎりぎりの勘所を述べよと云われれば、やはり心が揺さぶられることではないでしょうか。
せっかく読書をするのだから、こちらの先入観を見事に覆し、期待を大胆に裏切って、新たな地平へと運び去って欲しい。
そんな欲求を満たしてくれる数少ない書き手の一人が内田先生です。
えーと、前置きが長くなりました。
本書の読みどころのひとつは、「教育論」でしょう。
ご存知の通り、1984年の臨教審以降、教育改革が叫ばれて久しいわけですが、近年は特に経済界の要請が教育現場に色濃く反映されるようになりました。
経済界の要請とは何か。
端的に云えば、「集客力のあるクライアントに魅力ある教育プログラムを提出するのが学校の責務でしょ」ということです。
これに対して、内田先生は明快に「否」と云います。
「市場のニーズに追随して大学が次々と教育プログラムを変えてゆくと何が起こるか。簡単ですね。日本中の学校が全部同じになるということです」
市場のニーズに対応する大学は一見、アクティビティ(能動性)が高く見えますが、実は「市場のニーズに対してつねに遅れている」。
つまり、アクティビティが高いわけではなく、パッシビティ(受動性)が高いと著者は喝破します。
教育はニーズがあって提供されるものではなく、まず教える側が旗印を高く掲げ、そこで学びたいという者を創り出すものであるべきというのですね。
ほら、凡百の評論家とはひと味もふた味も違うでしょう?
第5稿「教育に等価交換はいらない」は、ビジネスマインドがいかに教育分野に馴染まないかを情理を尽くして教えてくれます。
長いですが引用します。
「日本人が教育をビジネスのタームで考えるようになった病的な兆候の最たるものは『教育投資』という言葉ですね。(中略)では、教育が投資だとしたら、いったいその投資がもたらす利潤とは何でしょう。みなさんが、ご自分の子どもに教育投資を行う。高い教育を受けさせる。すると、子どもたちの労働市場における流通価値、付加価値が高まる。子どもたちが学校で身につけた知識や技術がやがて労働市場に評価され、高い賃金や地位や威信をもたらした。その総額が投下した教育投資総額を超えた場合に『投資は成功だった』とみなされる。要するに、教育投資の総額と子どもの生涯賃金を比較して、投資額よりも回収額の方が多ければよい、と」
こう読むと、いかに「病的」かが分かろうというものですが、残念ながら私たちにはあまり病識がありません。
教育の最終的なアウトカムは軽量不能であるという著者の言葉を、私たちは虚心に返って噛み締めるべきではないでしょうか。

0
2016年04月17日

Posted by ブクログ

内田樹さんの本は、読みながら深くうなずいてしまう。
まず、現場の人と評論の人のくだり。自分自身に照らすと典型的な現場の人。工場経験が長いからでしょう。
次は、つぎは、次へ、つぎへ・・・。読み進んでしまう。

0
2016年02月14日

Posted by ブクログ

神戸女学院大学を退官した内田樹教授の講演録である。
なかなか面白い評論をする人なので本屋で見かけた際に購入した。
7つの講演録が載っておりどれも独特な視点で興味深い内容だった。
教育の考え方についてはとくに考えさせられる。教える方はいつも与えているように思えるが、実は受け身で、教えを請いに来る人がいなければ教育は成り立たない。
そして学ぶ側が求めなければ知識を得る以外の何も起こらず、本当の教育にはならないというわけで、教育とは決して知識の商品ではないと言うことがよくわかる。
また、北方領土の問題でアメリカがロシアに干渉しないのは、北方領土をロシアが返せばロシアはアメリカが沖縄から撤退するように要求しアメリカにとっては不利になるからだなど、なるほどと思われる視点もあって、7つの講演内容は多岐にわたり面白かった。ちなみに、専門がフランス現代思想だというのだから面白い。

0
2015年11月10日

Posted by ブクログ

ウチダ先生、タイトル通り大学教授としての最終講義を収録。教育の現場が歪められていることを痛切に感じる。何のために勉強するのかという問いに対して明確な答えを出すことを学校に強い、その学びがすぐさま投資回収できるかどうかで学生が学校を選ぶという風潮が、この国に瀰漫している。それに気が付かない大人たちは、将来に責任を持たないという点において重罪であると思う。

0
2015年10月15日

Posted by ブクログ

講演録。内田樹の著書は結構読んでるから耳たこな話も多かったんだけど、私がここ数年で最も衝撃を受けたアメリカのある都市の話に対しての見解が知れたことが一番大きな収穫だった。サンディ・スプリングス市は本当に狂気の産物だと思う。

0
2015年09月14日

Posted by ブクログ

内田先生の講演集。現代社会を分かりやすく、ちょっと過激に、ユーモアを交えて解説してくれる。大学人としてはやはり教育について多くメモった。「ゆっくりと活気のない国」になっていく日本での「教育立国は手遅れ」なのかもしれないが、大局観をもって生きていきたいと思った。と、最後に副題の「生き延びるための七講」の意味が分かった。

0
2015年07月25日

Posted by ブクログ

 人間を人間たらしめるものは何か。朝四暮三の故事からそれを「夕方の自分も朝方の自分も同じ自分だ」と思える能力ではないかと導き出す。

 過去、現在、未来、すべて自分であり過去の行いが未来を創る。それを、本当に考えているのか。現在だけを見て未来を見ていないのではないか、と政治に対して警告する。


 内田樹の神戸女学院大学退官前の7つの講演録。

 ある大学で「先生、現代思想を勉強するとどんないいことがあるのですか?」という質問を受けた。

 学費を払ってその授業を聞くのだから、何かリターンが無くてはならないという、教育をサービスと捉えた資本主義の考え方に染まっている。

 筆者は教育への資本主義の導入に警鐘を鳴らしてきた。この学生に対する答えが印象に残った。

「悪いけど、僕がこれから教える話は、君にはまだその価値が計量できないものなんだよ。喩えて言えば、君には君自身の価値判断のモノサシがある。そして、そのモノサシを持ってきて『先生がこれから話すことの価値は何センチですか?』と訊いていた。でもさ、もし僕がこれからする話が、ものの重さや時間や光度にかかわることだったら、そのモノサシじゃ計れないでしょ。世の中には、度量衡そのものを新しく手に入れなければ、何の話かわからないこともあるんだよ」

 教育は未来への投資と良く言われるが、投資ではない。投資はリターンを求める。投資であってはならない。

 それでも何故勉強するのかを、うまく言い表している。新しい価値を計るためのモノサシを手に入れるためなのだ。そのモノサシは、将来に役に立つか立たないかわからない。しかし、そのモノサシが無ければわからないこともある。

 実学のみを教育に求めようとする今の世論は、極端に精密な一つのモノサシを作ろうとしているように思う。そのモノサシに適した価値を計るには、より精密なモノサシが優位だろう。しかし、計るべき価値は時代によって異なる。精密に作ったモノサシが、いつでも求められるとは限らない。


 また、卒業間際に必修単位を落として留年しそうな学生に対して、普通なら許可されない単位を許した先生がいた。

 そのことから、「評価というのはふつう過去のことについてなされますが、そうではなく、もう一度チャンスを与え未来に谷を達成するかを見る」とう教育のあり方に筆者が気づく。

 過去と現在だけではなく、その人物の未来にチャンスを与えている。


 人、外患なければ必ず近憂あり。

 未来を見据えた生き方でありたい。

0
2015年07月18日

Posted by ブクログ

25歳の選択について60歳で語ってる

それが
痛いほど正直なとこが
強いなあ!

学ぶ意味
教える立場
わたしは新しい学びの後
これ程強くあれるかどうか
強くあれない理由を知るために
また本を読もう!

0
2019年11月11日

Posted by ブクログ

2011年に長年勤めてきた神戸女学院大学を去った著者が、そのころにおこなった講演のうち、6本をまとめた本です。

最終講義ということもあって、著者がとくに力を入れて取り組んできた問題のひとつである教育問題について率直な議論が展開されています。講演がもとになっているということもあって、他の著書よりも若干「前のめり」で議論がなされているような印象を受けました。そのぶん、著者のエネルギーを感じます。

また、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)について著者みずから解説をおこなった、日本ユダヤ学会での講演も収録されています。こちらでは、レヴィナスと武道に打ち込んできた著者がみずからの内なる「反米」というモティーフをえぐり出す試みがなされており、もちろん講演ということで単純化して語っているところもあるのでしょうが、著者の思想を振り返って考えてみるうえで大事な視点を著者みずからが示しているように感じました。

0
2019年08月19日

「エッセイ・紀行」ランキング