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学びの本質をとく、感動の講演集 神戸女学院大学退官のさいの「最終講義」を含む、著者初の講演集。学校という場のもつ意味、学びの真の意味が立ち上がる感動の書
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Posted by ブクログ
すっごく面白かった。脳がバシバシ刺激された。あとがきで赤坂真理さんが書かれているように、内田先生の倍音の効果かな?? 以下、気になった箇所。 P63 「あなたは間違っている」とかは言わないんです。だって、僕が彼の前にいて、現にその言葉を発したという事実がある以上、それには何か意味があるはずだし、僕...続きを読むが間違ったことを言っていたとしても、「間違ったことを言っている男がここに存在する」という事実は否定できない。 P77 福沢諭吉の狂気じみた勉強法について。 「知性が最高速で運転しているときの、全身を貫く震えるような快感。」 「僕はこれはほとんど「知性の身体性」と呼んでよいものだと思います。お腹がすいたらご飯を食べる、眠くなったら眠る。それと同じように、何が何でも勉強せずにはいられない、勉強せずにはいられない、勉強しないと自分が苦しくて耐えられないという精神状態にまでどうやったら自分を追い込めるか。その手立てを具体的に考えるのが「知の現場」にいる人間のいわば「芸」ではないんですか。」 P84 僕は学校教育に市場原理を持ち込むことにずっと反対してきました。けれども、それは自分の中に、何か理想的な学校像や教育像があるから言っているのではありません。市場原理なんか持ち込まれたら、学校という場が全然「わくわくどきどき」しなくなるから、そういうのはやめてくれとお願いしているんです。「アカデミア」って、本質的に、そこに足を踏み入れたら胸が「わくわくどきどき」する場所でしょう。 P171~173 太宰治と村上春樹のこと。倍音のこと。面白い! P199 日本の知的未来を豊かなものにするためには、どうしたって、学生たちひとりひとりが、私はこの場所にいていいのだ、いなければいけないのだ、ここで学ぶのは自分の宿命なのだという自覚がなければ立ちゆかない。大学は無数のピースで出来上がっている構造物で、そこに自分が「かちり」と収まらない限り、構造物は完成しない。そういう種類の帰属感と責任感がなければ、学びの場というのは機能しないのです。ここで自分が学ぶことによって、この学校は完全なものになるのだというふうに、自分がここにいることの必然性を強く感じられるような学生たちを一人でも増やしてゆくこと、それが学校の責務なんです。 P291 その頃の僕はひたすら「かっこいい欧米のインテリ」を追い求めておりました。その人が「欧米の文化なんて、全部ゴミだぜ」というのを聴きたかったからです。なにしろこちらは敗戦国民ですから。マッカーサーに「精神年齢は一二歳」の「四等国民」とレッテルを貼られた人間ですから、文化的には心底いじけ切っている。だから、この屈辱感を晴らすために、欧米の先進文化なんか「ゴミだぜ」ということを誰かに言って欲しかった。そういう「破壊者」探しの旅の果てに、ブランショ経由でエマニュエル・レヴィナスにたどりついた。そして、レヴィナスの本を読んだ瞬間、電撃に撃たれたように「これだ!」と。「これこそ私が師事すべき人だ!」と直感したわけです。 P337 僕たちが営んでいるすべての社会的活動は、つきつめてみれば、個人のものではありません。集団が主体となって行っているものです。そして、その集団は成員として、今ここで同時代に同じ集団を形成しているメンバーだけではなく、もういなくなってしまった人も、まだ加わっていない人も含んでいる。でも、そういうふうに社会制度や組織について考える習慣を僕たちは久しく忘れ去っていたのでした。 P341 アメリカは手つかずの自然と原住民を収奪して国家の基礎を築き、ただ同然の豊かなエネルギーを発見したことによって、今日の石油基盤社会の覇権国家になりました。別に国民たちの例外的な能力や努力のみによったのではなく、いくつかの歴史的偶然の連なりによって、今あるような国になった。世界の表面はいくつかの偶然によって変わるものです。けれども、アメリカ人たちは、自分たちの成功の理由を誰の支援も受けずに刻苦勉励した事実に求めました。その国民的幻想である「セルフメイドマン」という特殊アメリカ的なロールモデルが今やグローバルスタンダードとなり、全世界に強要されている。日本にはやはり日本固有の風土があり、日本固有のあるべき人物像があると思うんです。自然と親しみ、その恩恵を豊かに享受できることを感謝し、自然や他者たちによって生かされていることをデフォルトにするような人間の方が、この風土、この社会にはなじみがいいと僕は思っています。でも、それを捨てて、できあいの「グローバル人材」なる鋳型に自分たちをはめ込もうとしている。これがいかに愚かしいことかということを、僕は言葉を尽くして言っているのです。 P343~原発のこと。興味深い。
内田樹による 最終講義。 イタチの最後っぺ みたいに濃厚な臭さである。 長くニオイが残るような問題提起。 内田樹はエライ! 内田樹は アメリカ嫌いである。 アメリカは日本を属国にして、 その属国に迎合している日本。 アメリカのなすことに金魚の糞よろしく、 自衛隊まで海外に派兵する日本。 そのことに...続きを読む、怒っているのだ。 国家を株式会社にする。教育を株式会社的にする。 アメリカのグローバルスタンダードは、 とんでもないとおもっているのだ。 役所は 営利を追求するところでない。 学びの場は 教育を商品としてあつかうことではない。 効率的であること、目先の利益しか考えないこと そのような 刹那主義に 怒っているのだ。 もっと、継続するための、 生き延びるための思想がいると言っているのだ。 いろんな先生がいて、いろんな価値観があって、 それを学ぶことで子供から 大人に変わる その殻を破る瞬間を提供できることが、 教育のすばらしさなのだ。 アタマがいい人たちが アタマがいいとおもうのは、 問題はないが そのアタマのいい人たちが、自分のためにしか そのアタマをつかわないことに、嘆いているのだ。 なぜ フランスの現代思想をまなび 研究し、 なぜ ユダヤを学ぼうとするのか、 そのなかには アメリカに対抗できる何かが あるかもしれないという 徹底した 一人の研究者のレジスタンスなのである。 そして、なぜ 武道に のめり込むのかは? 言葉の身体性 をつかみ取るためだ。 地に 足をつけて、闘うために。
言葉にできない、単純な言葉で表したくないけど心から沸いてくる、高揚感に似た気持ちがとても心地よい本。
内田さんの教育論は、理想的に過ぎるとか抽象的だと言われかねないなぁ、今の社会では。でも、教育が人を育てる営みである以上は理想がなければいけないし、カタチのないものを作る営みである以上はそれを語る言葉も抽象的なものを選ばざるを得ない。 いまの世の中、特に抽象的なものって嫌われがちな気がする。なんでも具...続きを読む体的でないと相手にされない。でも内田さんの話を読む時は、教育というものの性質に鑑みて、揚げ足取りせずに読んでほしいです。 内田さんの主張することはいつも一貫していますが、この本は講演の書き起こしということで、話し言葉で語られているためとても分かりやすく読みやすいです。 「教育に等価交換はいらない」という主張はいつも通り、他にも「知性の身体性」「アカデミック・ハイ」など、キャッチーなフレーズが出てきて面白いです。 内田さんの入門編にいいかも。
人間はどのように欲望を覚えるのか、どうやって絶望するのか、どうやってそこから立ち直り、どうやって愛し合うのか…。自身の最後に行われた授業をはじめとする講演を収録した内田樹氏による、初めての講演集です。 僕は内田氏の著作をあまり読んだことはないのですが、本書は著者初の講演集だそうです。 古今...続きを読む東西、大学教授の最終講義といえば、印象的な授業が多く、僕は不幸にして、そういった授業にはナマで出会ったことはないのですが、インターネットが発達した昨今、言語的な障害さえクリアーできればそういう授業には簡単にアクセスできるので、そういったところにはとても感謝しております。 ここに収録されているのは内田氏が所属している神戸時女学院大学で行われた最終講義を始め賭する講演が収録されております。 タイトルもそれぞれ刺激的で、『日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)』や、『ミッションスクールのミッション』果ては自らの専門領域であるユダヤの研究に関連した『日本人はなぜユダヤ人に関心を持つのか』まで教育のありようや、昨今の人文科学の様子まで、本当に多岐に渡るお話を伺えて、久しぶりにこういう手の話を聞いたような気がいたします。 僕も大学は人文科学系でしたが、別な方向にそれてしまって以来、ずいぶんと離れてしまったので…。 それはさておき、僕は縁のないであろう女子大学という教育機関。それも神戸女学院大学の建物から、女子の教育という命題について、キャンパスの建物についてから、『旗を掲げる』ということの「意味」など、読んでいて本当に面白い話が散見されておりました。 特に、『教育に等価交換はいらない』という演題で話された講演では、「市場原理主義」が教育について語るときに、感じた反発が縦横無尽に語られていて、『市場は常に間違えない』という考え方も何でもかんでも用いてはいけない、ということを切々と訴えていて、それがとても印象に残っております。 繰り返しになりますが、僕は内田氏の著作をあまり読んだことがないので、人によっては同じことの繰り返しかと思われるのでしょうが、僕個人にとっては楽しく拝読ができました。 ※追記 本書は2015年6月10日、文藝春秋より『最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)』として改題、文庫化されました。
歯に衣着せぬ話とは、この事かと思う講演! 脱線あり、個人史ありで彼らしい話でした。神戸女学院だった人たちが羨ましい。
内田樹 最終講義 教育、大学、組織、日本が生き延びるための処方箋を語った講義録。良書だと思う 結論としては、共生原理による社会、直観の重要性とそれを引き出す組織づくり、ブリコラージュ(ありものの使い回しで急場をしのぐ)に生き延びる術を見出している。教育の市場原理を批判し、人文学の意味、教育者が負...続きを読むうリスク、子どもの成熟プロセスなどを論じている 一番強く否定していたのは 教育投資(教育にかかった費用より、その教育により得た賃金や地位が高ければ、教育は成功とする考え方)。教育を投資と考えるのは、教育の自殺であり、使用禁止用語にすべきという主張。その通りと思うが、親がお金を、子が時間を 投入して、その見返りを子が受ける行動を投資とされると 親が子にすることの大半が投資となってしまうのでは? 古典文学など 人文学の意味や効果(直観力〜存在しないものから何かを感じとる能力)をわかりやすく伝えた文章は素晴らしい。大学サイドの人たちも 学生や一般の人たちに文学の意味を積極的に伝えるべきだと思う 子どもを成熟させるために、大人たちの異なる価値観をわからせ、矛盾を経験させるという考えは 学校の先生では難しい。親が中心になると思う 組織力 *人間は自分のためでは力がでない〜自分の成功を共に喜び、自分の失敗を共に苦しむ人たちが多いほど〜知性のパフォーマンスは向上する *人を見る目とは その人がその組織に置いた時、どのような働きをするか想像する力 *組織には メンバーが標準化しないように異物(違う視点、違う基準で良否を判断する人間)が必要 共生原理の社会 *ずらして、かぶらないようにする *競争相手を押しのけて奪い取る生き方をしない 教育者が負うリスク こちらが 人に教えたいと言って始めた以上〜誰かが扉を開けるまで、待っていなければならない
自分がいかに歴史的な文脈の中に生きているか、ある思想に囚われているかについて考えさせられました。 その考えはおかしい、という主張は、それが正しいかは置いておいて、自身を客観的に見つめ直すのに有用です。
2008年、2010年、2011年に行われた講演を収録したもの。 神戸女学院大学を退官するときの講義で、ヴォーリズ建築の特徴、自らの手でドアノブを回したものに贈り物は届けられる。世界内部的に存在しないものと関わることを主務としているのは文学部だけ。 対米従属を通じての対米自立というねじれた戦略。アメ...続きを読むリカから見て日本は属国、衛星国、国際社会に対して発信すべき政治的メッセージを何ももっていない国。
ニチユ同祖論と安保闘争のところがとても面白い。 メンタリティは、敗戦国としてのルサンチマンだったのですね。
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最終講義 生き延びるための七講
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