内田樹のレビュー一覧
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市場経済の原理を適用すべきでない分野(本書いうところの社会的共通資本)、例えば教育とか地域コミュニティとかについての内田節は共感できるところが多い。これらの分野では、等価交換ではなく、敢えてオーバーアチーブする人が一定程度の割合で存在することで社会が維持されるというのはおっしゃるとおりかと。
クレーマーになって相手に頭を下げされて一時的に快感を得ても、その代償に周りから次第に遠ざけられ、社会的評価を失い、下層社会に落ちていく、だから、いい人でなければ階層の上位には行けないんだという構図は、岡田斗司夫や佐々木俊尚の主張にも通じるものがあるね。
政治的なイシューでは共感できない部分もあるが、こうしたテーマを語らせれば、面白く読めますね。(まあ、言ってることはいつも同じなんですけど) -
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本書では、主に日本の共同体が戦前と戦後でどう変化したかについて述べられており、現代に求められるものについての内田さんの考えが示されている。資本主義経済システムの要請からくる反家父長制によって旧式のあらゆる共同体が解体され、個々人に分割されてしまったこと。親子関係しかり、学校教育しかり。経済学科で学ぶ身としては、簡単なミクロ経済モデルを扱う際に登場する「合理的経済人」、つまり「経済活動を行うにあたり完全に合理的であり、自己の利益を最大化するために行動する」と仮定された存在を思わず考えてしまった。この考え方には、人は「この商品は同種の商品の中で最もすばらしい」とか、「このスーパーよりもあのスーパーで買うほうが安い」などといったすべての情報(完全情報)を知っているという仮定が存在する、と習っている。が、それよりも根っこの部分にある重要な仮定として、「すべての人が同じ価値観を持ち、同じものを求める」ことがある。当たり前のことかもしれないが、今日の経済学というものは資本主義経済上に成り立っているのだな、と感じた。
資本主義経済が影響を及ぼしたのは、人々の労働形態のみではなく様々な価値観に対してでもあったことは、今まであまりしっかりと考えたことがないことだった。新たな見方を知ることができたので、この本と出会えてよかったと思った。言われてみればいたるところで「消費者マインド」に支配されているな、とは思う。ただ、家族間の関係やご近所づきあいの希薄化にも一枚かんでいるとは考えていなかった。確かに、共同体が解体すれば、商品の需要者は増える。内田さんが指摘されているように、みなが同じものを求める状態のほうが、企業にとっては生産活動をしやすいし利益を上げることはできるだろう。それでも、私にはそういうシステムが少しさびしく感じられた。実際に以前の時代を生きたわけではないが、なんとなくそう感じてしまった。とはいえ、私が古き良き日本として語られる昔の日本像を知るのは、もっぱらイデオロギー操作に加担したとされるマスメディアからなのだから、皮肉なことである。
読み終わって、内田さんはただただ現在に悲観し文句をつける人物ではないのだと改めて感じた。一見古くさいと思われるようなやり方の中にこそ、日本の今後の生存条件があるのではないか、という主張は、まえがきにあった「『当たり前のこと』に帰着します」という言葉通りだった。やはり、読みやすい文章ではありながらも言葉に重みがあると感じた。ただ、「最近少年犯罪が増加しているとコメンテイターたちがコメントしているが、実際はそうではなく個人の印象である」と批判しているのに対し、内田さん自身も「おとな」比率が5%というのを感覚で語っていることが少し気になってしまった。
今後求められていくのは、親子関係の再編と個人のリテラシー向上ではないだろうか。お互いが助け合うことができるコミュニティや「おとな」を生み出すためには、幼少期に親から受けた印象が大きな力を持つだろうから、まずは親子関係から変えていく必要がある。個人のリテラシー向上というのは、メディアの情報をただ受容するのではなく、疑ってみたり、検証したりすることができる能力を身につけることである。本書の中でも述べられていた、「自分らしさにこだわれ」「集団に帰属するな」という個人主義的イデオロギーのアナウンスに対しても、それを社会的必然性と捉えるのか、他者の考えの押し付けと捉えるのかは個人次第である。流れてくる情報を、はいそうですかと鵜呑みにするのではなく、一度立ち止まって考えてみる。ただ、ともすると「自分らしさにこだわる」ことと紙一重ではあるので、「師匠」を見つけ師事できることが一番の近道なのかもしれない。 -
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内田樹さんと、ムスリムでイスラム学者の中田考さんの対談本。
イスラーム文化圏のことは高校・大学でも習ったし、すでに聞き覚えのあることも少しはあったけど、中田さんご自身がムスリムというのがよかったのだろうな、新鮮でした。
相手の人格や内面云々じゃなく、砂漠で飢えている人がいたらとにかく食べ物あげるでしょ、という感覚が面白かった。すごく生命と直結してる、生きていくための法なんだなぁ、イスラームの教えって。この人たちは政治も学問も経済も、全部神様との約束がベースなんだから、政教分離や国民国家なんてのは押しつけても仕方ないように思う。それにしても、現地の人にしてみればタリバンのが米軍よりはよかったかもしれないなんて、ただニュース見てるだけじゃ思いつきもしなかった(もちろん、どちらも見方のひとつでしかないけれど)。
お金に利子がつかないとか、ケチ(吝嗇)と強欲は違うとか、いろいろと目から鱗でした。砂漠の遊牧民の感覚っていうのは、我々日本人にはなかなか知りがたきもの。 -
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内田樹さんと鷲田清一さんの対談が最初と最後にあり、そのあいだに、両者それぞれ2,3編の短い文章が収められている。
正直に言うと鷲田さんの論説はさほど面白くなかった。やはり内田さんの方が冴えているように見える。
同胞愛と同義であるような愛国心は不可能である、という前提をまず受け入れなければならないとする「愛国心論」ともいうべき『大人の「愛国論」』、ネットに飛び交う他者攻撃の言葉の鋒を「呪い」と定義する『呪いと幻論』が非常に良かった。かなり共感できた。特に後者は、ネットを覆う憎しみの嵐を適切に分析して、『呪いの時代』なんかよりも短い文章できっちりと論じている。すべてのネット民にこの文章を読んでもらいたい。 -
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(以下引用)
豊かさと親しみは食い合せが悪いんです。金ができるとみんながだんだん排他的になる。でも、まだ日本全体が貧しくなってきて、共和的な貧しさの知恵の必要性を感じ始めている。いつの時代がいいとか悪いとか、一概には言えないと思います。個人が原子化して、親族や地域社会が崩壊したのは、日本が安全で豊かになって、一人でも暮らせるようになったことの代償なんですから。それ自体は言祝ぐ成果なのです。(P.89)
この三種類の社会制度資本(自然資源、社会的インフラ、制度資本)は、専門家によってクールかつリアルな専門的知見によって管理運営されなかればならない。私念や私欲が介在してはならない。当たり前のことです。ですから、社会的共通資本の運営は、政治イデオロギーと市場経済は関与してはならないとされています。政治イデオロギーはどれほど賛同者が多くても、それを駆動しているのは私念です。市場はどれほど規模が大きくても、それを駆動しているのは私欲です。私念と私欲を動機に行動することが「悪い」からではありません。私念は常に誤り、私欲は常に邪悪であるからではありません。そうではなく、私念は私欲は「ころころ変わる」からです。(P.136)
コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときに、そこから抜け出すための能力だということです。(P.166)
我が国のエリート層を形成する受験秀才たちは、あらかじめ問いと答えがセットになっているものを丸暗記して、それを出力する仕事には長けていますが、正解が示されていない問いの前で「臨機応変に、自己責任で判断する」訓練は受けていません。むしろ誤答を病的に恐れるあまり、「想定外の事態」に遭遇すると、「何もしないでフリーズする」ほうを選ぶ。彼らにとって「回答留保」は「誤答」よりましなのです。でもライオンが襲ってきたときに「どちらに逃げてもよいか、正解が予示されていないから」という理由でその場で立ち尽くすシマウマは、たいてい最初に捕食されます。ですから秀才たちに制度設計を委ねると、その社会が危機を生き延びる可能性は必然的に逓減することになります。(P.170) -
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内田樹さんの名前は最近ネットでよく見かけるのだが、著書を読むのは初めだ。しかも、初めての電子書籍。
内田さんは学術論文も書かれているようだが、このようなごく分かりやすい一般向けの書物を、徹底的にわかりやすく書いている。そのへんのタコ兄ちゃんにでもわかるような文章なので、普段学術書を読んでいる私にしてはちょっと「あまりにも簡単すぎる」という感じを否めない。
しかも、全体の構成もちょっと甘いようだ。「呪いの時代」というタイトルどおりの内容なのは最初の方だけで、あとはまったく違う方向に話が展開していく。書かれた言葉=エクリチュールというよりパロール。博識なおじさんが若者に、多少酔っ払いながらうんちくをたれているような話しっぷりである。
最初の方の、ネットにはびこる憎しみの応酬について指摘している部分が最も共感できた。
「ネット上では相手を傷つける能力、相手を沈黙に追い込む能力が、ほとんどそれだけが競われています。もっとも少ない言葉で、もっとも効果的に相手を傷つけることのできる人間がネット論壇では英雄視される。」
このへんは2ちゃんねるの類の掲示板や、Twitterでのやりとりをそのまま表していると思う。
そして『ほんとうの私』という幻想のイメージが「肥大した自尊感情」として現代人の心に巣くっている、という第1章の指摘は優れている。
しかしその後、話は散漫に広がっていく。福島原発事故に関する話もなかなか面白かった(賛同できる部分が多かった)けれども、全体としては、少し賛同できるが他の多くの部分は首肯できない、という感想だった。
たとえば「これからは間違いなく贈与経済の時代になる」という確信は何に根拠があるのか。人類学の知のひとつの結晶として「贈与経済」という主題があることは私も理解しているが、「これから、近い将来」そんな経済体制の時代になるなどということは全く考えられない。中沢新一氏でさえ、理想として贈与経済を語ったものの、それが現代社会に復活するとまでは、明確には断言できなかったと思う。
私としては、資本主義経済を経て贈与経済に移行するなどということは絶対に起こりえないし、夢想しても意味はないという気がしている。
ともあれ、意見は部分的にしか一致しないとはいえ、わかりやすく書かれ、かつ、読者にいろいろと考えさせる本だし、総合評価としては良質な本だと思った。 -
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今のじぶんに必要な本だった。
全体的にすごく感覚的な話で、そこがいい。読みながら腑に落ちたり、ときどき人生観というほど大袈裟なものではないにせよ、考え方を180度変えてしまう出合いがあるけれど、これもそのひとつだった。たまに360度変えるものもあるけれど。
なるほどかわいげ。言葉になる前のものをセンサーとして感じ取れることも、その場その場で選びとる(センス?穂村弘言う所の)も、心身の健康と、パフォーマンスをいちばんいい状態に維持するには、じぶんが機嫌良くいられる環境に身を置くことが何よりも大事だと痛感。逆にそれさえあれば、あとはどうとでもなる場合が多。これはもう、感覚としてわかっている。 -
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この本を読んでの感想…じゃないかも。
この本は読んでよかったけど。
私は、大人かなぁってよく思う。
自分でもびっくりするような小さなことにイライラしてしまったり、八つ当たりではないけれど、人に冷たくするような態度をとってしまったり
心に余裕がないときに、
自分の行動、今のは正しかったのかなぁなんて、
よく考える。わたしは、プライドが高いのかなぁ。
それで、とても悲しい気持ちになる。
「あんたはさ、そこにいるだけで目立つわけ。だからやっかみの対象にもなるし、あんたがいくら目立たないようにしようとしたって、そうすればそうするほど目立つのよ。人に気を使うとかそんなことしても無駄って言うかさ、ちょっとでも尻尾見せたら叩かれて大変なことになるのよ。ほら、学校時代にクラスでもいたじゃない?ちょっと浮いた感じの子でさ、『わたしなんかが○○さんに話しかけちゃ悪いかなって思って』みたいに勝手に線引きされちゃうような子。あんたはそのタイプなのよ。自分を持ってるって言うのかもしれない。そういう人とさ、面と向き合うと、自分がいかに何もないかってことを思い知らされるのが怖くて近寄りがたくなっちゃうのよ。」
っていうようなことを言われたことがある。
「怖い」とかさ、「オーラあってキャラ立ってるよね。」とかさ、
なんとなく違う感じを、あたかも私が何かしたかのように被害者のような口ぶりで言われたりさ、
もう、そういうの、うんざりなんだよって思うんだけど
自分が何にもないことを思い知らされるような存在って、
身近にいたら、きっと傷つく。
わたしは、自分がまるでモンスターのようだと思うことがあるんだけれど(それは自意識過剰という意味で、自意識にとらわれたモンスターという意味だ。)
わたしはきっと、存在するだけで人を傷つけるような、モンスターなんだろう。
シザーハンズみたいに、泣いた赤鬼の、赤鬼みたいに、
人間と仲良くしたいのに、その存在ゆえに、人の心は離れていく。
どうしたら、人を傷つけずに生きることができるのだろう。
知らぬ間に人を傷つけていることに傷ついているなんて、人は嗤うだろうか。
「そんなにいい人で、いたいわけ?」
わたしは、最近そんなことを言われた。
「いい人で、いたいわけではないです。ただ、率先して人から嫌われる必要も、ないんじゃないですか?」なんてことを答えたのだけど、
心の中で、「あぁ、今私の言葉は、吐き出した途端に、上滑りしていった。」と思った。
「いい人で、いたいのだ。わたしは。」と思った。
わたしは、嫌われることが、怖いのだと思った。
それは、「人並み以上にそう思っているのかどうか」は、私には分からない。
おかしいなぁ。
「愛されファッション、愛されメイク。」
いったい誰に愛されたいんだよ
心の中で突っ込みを入れる私が、
一番、不特定の誰かに、愛されたいのだ。
とかなんとかつぶやくほど、私は今、心に澱が溜まっている。
自分の時間が保てないと、決まってそうなる。
自分の時間なんてものがなくても、その澱を、見ない振りするか、どこかに捨て去ることのできる人が、
社会に求められる人なのだろうと、最近よく思う。
だったら私は、社会にいらない存在なのだと、最近よく思う。
悲しくて。
何の話かは忘れちゃったのだけど、家の中にいて、誰かの帰りを待っている、でも外にはモンスターがいるらしくて、誰も家に帰ってこない。次第に、家で待っている人は、誰も帰ってこないので、実は自分がそのモンスターなのではないかと思い始めるというような話が、どっかであった気がする。
わたしは、人の顔をかぶった、人が近寄りたくもないと思ってしまう、モンスターなんだろう。でも、自分は、人間だと思い込んでいる。人間の振りをすることができていると思い込んでいる。
わたしは、いったいどこで、道を踏み誤ったのだろう。
人を傷つけることは、仕方のないことなんだろうか。
できるだけ、うまくやりたいと思うことは、罪なことなんだろうか。
それを悲しいことだと思うのは、私の自由だ。
傷つくことは、自由なのだ。
でも、他人が、自分のせいで傷つくことは、
「傷つくことなんてあんたの勝手でしょ。」なんて、思えない。
できるだけ、謙虚に。
できるだけ、人を傷つけないように。
できるだけ、そのことで、自分も傷つかないように。
そう思いながら、私は今日も、
人の皮をかぶって、
人間社会を生きる。
「終わりなき安穏を受け入れることは、死に等しい」
そう思い生きるだけで、重たい罪を私は抱えているという自覚を、忘れてはいけないのだ。
罪を自覚しているにもかかわらず、その軌道修正をする選択を選ばない。
おそらく私の最大の罪は、そこにある。 -
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歴史的大敗となった自民党→民主党の政権交代について。渋谷陽一さんの雑誌SIGHTでの内田樹と高橋源一郎の対談。自民党について語ってくださいから始まり小沢一郎はナロードニキだとか「金で買えないものはない」とかいう絶頂期に出てきた言葉は田吾作だとか。政治について自分はどちらよりだからどちらが正しいと思うとかいうありきたりな対談ではなく(そんなもの苦痛で300ページも読めない)日本の政治、システムについてを「言葉」の側面から口語的に語られた対談。
いや、かなり笑いました。笑い事じゃないんだろうけど。最初は笑い事でいいのかな。
これ、ちょうど2011年の3月11日の直前までの対談。あの大地震で、それまで政治で何が起こっていたかすっかり忘れちゃってたけどようやく思い出せました。 -
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5/10うてなの先生が貸してくださった。
内田せんせいが光岡先生の話を聞いて「分かりません」と言うところが2カ所くらいある。
分かりませんと言えるせんせいを見習いたい。
さて、前半はあまり印象に残らなかったのだが、後半、引き込まれる。
日本は「知識基盤社会」を提唱しているが、数値化されパッケージされた知識や情報を社会活動のベースにするのは危険だと。知識や情報が重んじられ過ぎると、潜在的な感覚で「これはまずい」と感じたことがだんだんぼやかされてしまう。と内田せんせい。
この流れで、光岡先生が知識や情報は過去知だから、未来の確定にはつながらない、感覚のみが一寸先を読むものだ、という話をされる。おっしゃりたいことは分かるが、この意見にはちょっと同意できない。
これはまずいんじゃない、と感じたときに、過去知をどう使うか、だと思うのだ。
まあ、この対談の主眼ではない部分。