内田樹のレビュー一覧
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やっぱり面白い。内容もそうだが、内田さんも
白井聡さんの文書(文書ではなく発言だと思いますが)
がとてもひかれる言葉の組み合わせというか綴り方です。
内容的には、以前からの主張や書いてあった内容と
ほぼ一緒ですが。
自己破滅を望んでいるのではないかと思われる風潮。
もしかしたら本当に破滅を望む民意があるような気も
します。『敗戦の否認』の考え方に至るロジック。
フランスでの状況など。これらは内容的にも面白い
と思います。
ひとつだけ追加しておくと。現政権安部首相のこき
下ろし方がどんどんひどくなっていること。
内容や著者たちが主張していることについては
同意することが多いのですが。
そういう政権だからこそ、あまりにこき下ろすと
大丈夫なのかなと心配してしまいます。 -
Posted by ブクログ
現在の日本が事実上アメリカの属国であることは客観的な事実としてある。沖縄をはじめとする米軍基地や、領空内の空域支配、内政干渉とも言える年次改革要望書の存在など、他の同盟諸国と比べても圧倒的に服属させられている。本来、それこそが戦後レジームであり、安倍政権が真にそこからの脱却を望むのであれば、まず対米関係を見直す事が先決のはずである。しかし実際には中韓との敵愾心を煽ることで、ますます対米従属の必要性を強めている。こうした政治によって国民はなにか虚無感にとらわれて政治的無関心に陥るわけだ。
平和で豊かな時代が続くと、やはり政治は堕落するのだろうか。そうでない世界を切り拓いていきたいものだ。 -
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【2015年11冊目】
久しぶりに知的好奇心を揺さぶられる新書でした!
「構造主義」がなんなのかは結局まだよく分かりませんが、内田樹さんの読みやすい文体のおかげで、構造主義に影響を与えた思想家たちの考え方のほんの一部くらいは理解できました(^^)
難しいことを噛み砕くってなかなかできないので、著者の頭の良さに脱帽です!
2020.25th
5年ぶりの再読。☆×3
とにかく難しかった。5年前より頭が固くなったか、それとも5年前には分かったフリして感想書いたかどちらかでしょう(笑)。
2026.10th
6年ぶり再読。☆×3.5
やっぱり寝ながらでは学べないw
難しい…汗
各章ごとの言いたいことは何となく分かるんだけど、そこから演繹的に「じゃあ構造主義とはなんぞ?」と説明できるかというとフワッとしてるw
こういう考え方もあるんだーっていう頭の体操的な読み方をする分には楽しい(それでも難しいけど。)。 -
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ネタバレいつもながら教育論に通ずる気づきが非常に多い。
龍馬の修行について、そこにフォーカスしない司馬遼太郎の考え方ではなく、そこ自体に興味がわいたので深堀って欲しかった。
〈問い〉
①合気道って?
②鍛えるとは何か?
〈敵とはパフォーマンスを低下させるもの全て。無敵は、それが敵だと思う自分を消すこと〉
①
合気道の世界には「これでもうよい」という終着点はなく、常に上がある。だから、常住坐臥、日々の生き方そのものを稽古にしていく。
②
・師匠が弟子を殴って何かをさせると、「殴られたくないからやる」という弟子側の合理性基準に合わせていることになる。そうすると、弟子は自分の合理性判断の客観性を過大評価になる。だからあまり採用しない方が良い。言葉で殴るのも同様だろう。
・批判によって強化される「減点法」のマインドセットそのものが「負の力」をはらむ。減点法は、作り出すものより、損なうものの方が多い。減点するには、満点の状態を知っていないとできない。しかし、満点の状態を知っているという事実が、単一の度量衡に居着いていることになる。それ自体が致命的。 -
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著者はかなり風変わりだとは思うが大学の教授ではあるので、書いてることの半分ぐらいは良く分からないし、4分の一ぐらいはまったく分からない。のこり4分の一はまあ、納得できる話である。
結論として「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」ということを手を換え品を買え、執拗に繰り返し主張しているとのことなので、よく分からないところにも、まあ解ったところに書いてあることが書いてあるのでありましょう。
正しい日本のおじさんの生き方をいかに綱領化するか、それが現在の思想的急務であるそうである。正しい日本のおじさんの生き方とはいかなるものか。
とほほ主義というのがキータームか。『「とほほ」とは自分は「局外」にあるかのような発言はしないという強い覚悟であり、同時に「局内」というのが「檻の中」でしかないという寒々しい断念である』
自分が正しいという前提で、審問者として議論するのではなく、自分が間違っているということも含めて吟味していくことであると思うと、やはり冒頭に書いた(本では最後に書いてある)結論に帰結するのである。 -
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最近(2014年の暮れ)本屋で「マルクス」や「資本論」という言葉がタイトルにつく本が増えている。
世界中の人が資本主義に対してうっすらと違和感を持ち始めているからだろうか。トマ・ピケティの「21世紀の資本論」が世界的に売れているらしいが、これも経済格差について論じている。
社会主義とか共産主義というのは歴史上、成功している例がないためにネガティブな印象を持ちがちだが、対義語である資本主義が必ずしも正義かというとそれは盲目的すぎる。
内田樹さんと石川康宏さんの往復書簡という形で交互に書かれている。
正直言って石川さんのほうはちょっと固くて難しい。(正確な説明なのだろうと思うが)
一方内田さんのほうは軽くて読みやすい。(薄っぺらいのかも知れないが)
青年期マルクスの代表作を取り上げている本作。若いエネルギーと、世界を変えなければいけないという使命感をひしひしと感じる。
取り上げられている著作
『共産党宣言』
『ユダヤ人問題によせて』
『ヘーゲル法哲学批判序説』
『経済学・哲学草稿』
『ドイツ・イデオロギー』
自分もマルクスについて誰かと語らえるくらいになりたい・・・と思いました。というのが現時点での感想。
続編も文庫化された時にもう一度読み返してみようと思う。
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memo:
44
「共産主義者は、これまでの一切の社会秩序を強力的に顚覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。(中略)万国のプロレタリア団結せよ!」※『共産党宣言』より
79
反ユダヤ的な感情はヨーロッパ世界においてはごく自然なものでした。それは、キリスト教がユダヤ教から「分派」した宗教として登場してきたから当然のことです。(中略)彼らがもともと足していた「母体」が腐りきっていて、使い物にならないものであることを主張しなければなりません。
179
つまり共産主義は、理想の国(ユートピア)の手前勝手な設計図から生まれるものではなく、資本主義がもつ問題をひとつひとつ解決していったその先に、結果として形をさだめるものとなる
202
「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈しただけである。肝要なのは、世界を変えることである。」
211
「かれらがなんであるかは、かれらの生産と、すなわちかれらがなにを生産し、またいかに生産するかということと一致する」※『新訳 ドイツ・イデオロギー』より
『ドイツ・イデオロギー』史的唯物論を「ひとこと」で言えば、これに尽くされる。 -
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1.内田樹さんが言いたいこと。
相手を理解するには、相手の体温を感じるところまで近づくこと
賢い男は「家庭内序列2位」を選ぶ
格差社会とは、子供が持ち物で大人を値踏みすることが存在する社会。
社会的に要請された「身の程知らず」
お金の管理がルーズすぎる。収入に生活レベルを上げる工夫が出来ない。
身の程知らずの消費行動は、広告代理店が作り出した幻想。ちょっと無理をする生活はマーケットが要請しているから。
家族の解体 (消費を促進するため)
現代の親子関係は商取引に準拠する。
子供を成熟させるために、教育を受けさせるのではなく、出来の良い「製品」を出荷し、家族=「ファクトリー」としての格付けをあげたい、と言う親の自己都合。
「この人についていっても大丈夫」いう確信は、
人生が楽しくなる、目の前が広がるような感覚があるんじゃないかなと、想像する。「わからなさ」について話し合うのがたのしい。師の近くにいると、なんとなく、ぽかぽか、気持ちが暖かくなって、心身がリラックスする。それがわかると、「ああ、この人についていっても、大丈夫だ」と。
2.あなたを決めるのは、消費の仕方であるという国策。
消費単位は家族だったのが、国策「家族の解体」を進めることにより、個別の消費が進む時代になった。
消費は家族の合意が必要であって、ほしいものにも合意が得られず、購入できない事態があった。
しかし、その場合は、貨幣は市場に投じられずに、貯蓄に回される。それでは、市場が活性化しない。「あなたがどのような商品を購入したかによってあなたが決められる。」という消費者哲学に基づき、現代人のアイデンティティが構築されている。
自分の消費活動について、「身の程」と引き比べて、適切であるかどうかについては誰にも口を挟ませないことが日本人の緊急の課題となった。家族解体はその必然の帰結であった。
どのように消費するかは自分が決めること、そして、消費が増えることを、国も、マスメディアもこぞって煽り立てていた結末が、家族の崩壊につながった。
3.日本人の「無教養」と「反知性主義的傾向」について。
消費者行動が変化し、人間の価値が、「何を作るか」ではなく、「何を買うか」になってしまった。また、わずかな労働時間で、巨額の収入をもたらす形態が、最も賢い働き方になり、一方、額に汗して働き、使用価値の高い商品を生みだしても、高額の収入をもたらさない労働は、社会的劣位に位置づけられた。こうやって労働者のモチベーションは傷つけられていった。
子供たちが学ばなくなったのも、この労働間の変質と同じ理由で説明できる。少ない学習努力で、価値の高い大学に入るかが、学生たちの目標になり、意味のあることである。学力を高めることは、もはや学校教育の目的ではない。「努力の少なさ」が競われているので、絶対学力が底なしに低下するのは、論理的に自明なことである。
また、会話の中に、相手の試験の点数が上がるようなトピックは入らないように努力し、そんな日常の努力の積み重ねの上に、「無教養」と「反知性主義的傾向」が構築される。
4.男女雇用均等法がもたらしたもの。
私が近頃思っていること、どうして女性が、出世をしたがるのか、男に負けるのがいやなのかということ、負けるが勝ち、という言葉もあるように、勝ち負けなど決めなくてもいいのに、と思う。
しかし、今の女性は、子供を生んでも、パートナー、夫との仕事にかける時間を競い、自分が不利だと嘆く。時短をもらったら、喜んで子供といる時間を選べばいいのに、仕事ができないとイラつく。私には良くわからない。
しかし、内田先生の言葉を借りると良くわかる。「男女雇用均等法」により、それまでの伝統的な性役割を解体したものだから。
男女の性差をなくし、労働単位としても、消費単位としても差別をしないということになった。それは資本主義にとっても、フェミニストにとっても都合がいいので、すんなりと受け入れられた。
その結果、雇用される者の数はかわらないのに、女性が仕事を継続するので、男性にも非正規雇用が拡がった。
以上が読後のまとめだが、内田樹先生の現代を読む鋭い視線と、判断力がとても痛快だ。
これからも、内田先生の本を読んで、現代の現象を紐解きたいとおもう。