あらすじ
行き過ぎた市場原理主義、国民を過酷な競争に駆り立てるグローバル化の波、
排外的なナショナリストたちの跋扈、改憲派の危険な動き……
未曾有の国難に対し、わたしたちはどう処すべきなのか?
脱グローバリズム、贈与経済への回帰、
連帯の作法から「廃県置藩」論まで、
日本の未来を憂うウチダ先生が説く、国を揺るがす危機への備え方。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
久しぶりに本を読んだ。このところサーフィンに俺の知的リソースを注ぎ込んでいたから…そこに六十過ぎて自称プロサーファーの大学教授が出てきたのには笑ったけど。
内田先生の街場シリーズは居酒屋でちょっと知的ぶった話がしたい俺みたいな底の浅い手合には格好の書物である。でもまぁ…居酒屋でこんな話をできる人が増えれば、それはそれで市民社会の成熟なのかもしれない。
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「国民国家は国民全員が愉快に暮らしていくことを継続していくことのみを目的とする」という一行の信念の元、あらゆる論旨が展開される。全くブレがない。ゆえにTTPには反対、護憲という立場を貫く。この一点において蒙が啓く。賛同するかしないかは別で、真摯に伝えることを心得る筆者の文章は他の評論家には出来ない芸当だ。
Posted by ブクログ
2011年から2013年ごろに書かれたブログや新聞雑誌などへの寄稿文を加筆したエッセイ集。
教育がなぜ営利主義になっていはいけないか、他書で示されたことへのさらなる掘り下げがある。論じているだけで、改善すべき方向性は与えてはいないのだろうが。
数年後に再読したい本。
ここで懸念されたことから状況がよくなっていることを信じつつ。
Posted by ブクログ
先日読んだ『呪いの時代』はどうもいまいちな感じを多く受けたのだが、この本はとても面白かった。
いろいろな短い文章を集めたもので、時期的には、震災以後・野田政権から安倍政権、維新の会の台頭といった期間にわたっている。
安倍政権に関して触れているのは最初の方に収められた 数編だけで、まだ特定秘密保護法案も出てきていない。アベノミクスにさえ触れていないから、せいぜい政権成立直後までの文章群かもしれない。ただ、自民党の「憲法改正案」については批判的に解読している。
内田氏によると、こういった民主政権後に復活した自民党政権の路線は、一見「復古調」に見えるものの、実は「新しい」ものだということだ。
グローバル企業が経済界を支配し肥大化していくことに伴い、何よりも短期的に利益を上げることが優先され、「国民国家」の解体が目指される。この「国民国家の解体」という思想の登場に、内田氏は驚愕している。もちろん、危機感を持って。
その後の安倍政権の動向についてはこの本ではもちろん語られていないが、内田さんの指摘をふまえて振り返ってみると、確かに、安倍政権は絶え間なく「短期的な経済的利益の追求」だけをやっている。当然、経済格差はぐんぐん広がる。しかしグローバル企業にとって、経済弱者のことなど関係ないのである。貧窮した国民が増えれば、安い労働力を買うことができるようになるわけだから、貧者はどんどん貧しくなってもらった方が都合がよい。
このような「ビジネスマインド」で利益を優先するのは企業にあっては当たり前かも知れないが、それで国の統治をやってもらっては困る、というのが内田さんの主張だ。
円安によってガソリンなどの輸入品を高騰させ、同時に消費税を上げ、さらに「能力給」を徹底し超過勤務手当も扶養控除も廃止する、と重なれば、一般的「庶民」(国民の大多数)はどんどん貧しくなるのが当たり前である。
福島原発事故による賠償や核廃棄物の処理の問題などを考えると、長期的には原発はコストがかかりすぎるので廃止した方がよい、ということになるはずだが、ビジネスマン的に見ると短期的には原発を稼働した方がもうかるんだから、そうするべきなのである。万一また原発事故が起きて取り返しの付かないことが起きても、グローバル企業はさっさと日本を出て行くから大丈夫なのだ。
英語もできず引っ越しのための資本もない庶民のことや、先々の子孫のことなんか、彼らはどうでも良いのだ。
・・・こうした内田氏の批判にはほぼ全面的に共感できた。
著者のいう「国民国家」とは、その国の土地に住む全住民が、きちんと職にありつけて、過度な不自由を被ることなく、そこそこ幸せに暮らしていけるような条件を作っていく国家の施策のことだ。いま、それが、利益優先=「経済的強者」優先のビジネスマインドの絶対化によって、解体されようとしている。
原発推進派、安倍政権支持派が意外にも多いことに私は驚いているのだが、内田氏は彼らは主にビジネスマインドをもった人びとだろう、と推測している。
また、「アメリカを怒らせるようなことをしたらダメだ」というのが強迫観念となって日本人にひろく取り憑いている、という指摘にもなるほどと思った。実際にアメリカが何も要求していないのに、アメリカの機嫌をとるような外交政策をとらなきゃダメだ、というのが、実のところ、政治家やマスコミだけでなく、右派左派含めた国民にまんべんなく広まっている。
ここで恐れられている「アメリカ」というのは現実のアメリカではなくて、日本人がいだいているアメリカのイメージだ。
アメリカの機嫌を損ねた(ように日本人に思われた)政治家は、確かにこれまでもみんな失脚していった。
内田さんはいっそのこと、日本をアメリカの州の一つにしてみれば、とちらっと書いていたが、確かにそうだ。政治手腕もマスコミの仁義も、国民の法意識も人権感覚もいつまでたっても二流以下で、国内でぜんぜんうまく立ち行かないのだったら、いっそのこと、完全にアメリカになってしまえばいいのである。
共感するところが多く、また「そういうふうに切り込むのか」という新鮮な知の喜びも与えてくれた本書だが、もちろん、私は全面的に内田氏に賛成なのではない。
「共同体はダウンサイジングする」「すでに市場を捨てた人びとのあいだで贈与経済が始まっている」といった言説については、理想的には思うけれども、どうも現実的ではないような気がしてならない。
日本のメディアに対する批判の仕方なども、どうも私とは考えが少しちがう。
しかしちがうのはむしろ当たり前だ。内田さんが解き明かし得ていないことがまだたくさんあるのだが、それは私自身が考えていかなければならない。
考えを深めるためのひとつの参考図書として、この本を私は高く評価する。
そして、その後の安倍政権の恐るべき展開についての、著者のより新しい著書を是非読みたいと思っている。
Posted by ブクログ
今の日本はどこへ向かって行くのか、を考えていた時に出会った一冊。
タイトル通り、憂う一冊ではあるが要所要所に希望も見出せる。
頼るべきものはお金ではなくて、という最終章?の文章をよんで胸にストンと落ちた。
2014.07.17
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行政において費用削減のみを追求するなら、究極アメリカの五十一番目の州になれば良い、というぶつけ方から公民意識の在り方を模索し、神託と憲法のあり方、大阪市の市長のこと、教育のあり方など、まさに「そんなこと書いたら干されちゃうんじゃないの」を書くところから始めることに徹するタッツン渾身のストロングスタイル。
2013年の一冊。
Posted by ブクログ
吉田兼好さんって人は
きっと こんな風に 世の中を
見たり 聞いたり 感じたり 考えたり
していたのだろうなぁ
と (内田樹さんの本を読むたびに、前々から思っていたいたことですが)
今回 更に 強く思いました。
ここに取り上げられた「お題」は
どれもこれも「今」のことであり
「これまで」のことが「今」に
つながり、「今」のことが「これから」
をつくっていくのだなぁ
を 無理なく語られているのもさすがだなぁ
と 思いました。
すてきな「考える」時間を共有できました。
Posted by ブクログ
久々発見、内田さんの本。
ちょっと大きめの本屋さんでじっくり本棚漁る時間は至高ですが、収穫があるとなおよしですね。
「憂国論」というタイトルそのままに、現代日本の様々な問題を独特の視点から掘り下げて意見を述べている本です。
特に強い口調で何度も述べられているのが以下の3点。
・国家のことを考える際にグローバリストの言うことを信じてはならない
・市場開放・自由主義を行政に適用するべきではない
・国の役目は、国民全員をいかに食わしていくか、である(下村 治著『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』参考)
ざっくりといえば、フランスの特徴的な思想のひとつである「自然権」の影響を大きく受けた(と私は感じる)考え方+福祉国家(国民国家)思想がその根幹にあります。
他にも日米関係の特殊性や贈与経済への転換への展望などが書かれています。
著者自身も述べていますが、書籍に書かれた内容は決して一般的な意見ではないでしょう。
しかし逆に言えば、タイムリーで今風でないのに、こうして人が「なるほど」と思える文章を書くことができるということは、読者の視野を広げ、新しい考え方や行動のきっかけとなる可能性を秘めているのではないでしょうか。
個人的には、行政への自由主義的思想の介入度合がここ数年顕著である点は同感ですが、グローバル企業の意見に傾聴するか否かについては自分の知識が浅いゆえに一概に信じられないとも言えません。
また、天からの授かり物である先天的な資源(etc. 身体的特徴、才能)は他の誰かと分けあい、共有すべき、との意見について、後天的な資源(etc. 知識、能力)はどう考えていらっしゃるのか気になりました。
「この本で述べられていることはすばらしい!著者の言うとおりだ!」
というレビューばかりの本よりも、
「著者はこんな風に言っているけど他にはどんな意見があるんだろう or わたしは〇〇についてはこうだと思うなぁ」
といった「その先」につながる感想が持てる本が見つかるとうれしいですね。
こういった、手にとってよかったなぁ、と思える本に出会えるのはしあわせなことです。
Posted by ブクログ
面白い。著者のブログから『政治ネタ』を拾って
本にした内容なのですが。
行き過ぎた市場主義。グローバル化。贈与経済。廃県置藩
橋下・維新の会批判。教育行政批判等々。
いいようによっては屁理屈とそん色がないほどの論理と
本質によるキレッキレの批判論評。憂国からくる提案もそれも秀逸。
アンサングヒーローを目指し。『自己利益よりも公共的な利益を優先させることの必要性を理解できる程度に知的であること』を目指したいと思う内容です。私よりも若い人たちに読んでほしい内容です。秀逸です。
Posted by ブクログ
内田センセイ経済人にきもちよくケンカ売りまくりでやべえー!!となる一冊でした(笑)そんな軽々なテンションではしゃいでいる場合ではないと思いますが(笑)
日経を読んでると、内田センセイの言っていること全てが正しい訳ではないのだと思えますし(経済人は自己の利益のために仕事をするという前提があるようですが、実際には世のため人のためと思ってやっている方も確かにいるし、お題目ではなくそれが規範とされている、と信じたい)、しかし人文学者としてこの視点から熱く警鐘を鳴らし続ける人が必要な事態だというのも強く感じます。まえがきに「もう二度と依頼が来なくなるくらい過激に」(笑)とあるので、そのくらいのラディカルさ(この言葉聞くとウチダ節って感じがします)でもって語っているのだと思います。言いすぎなくらいで。
問題の内容は、政治が経済に肩入れしすぎている、グローバル企業の言いなりになっているので危険だ、というような主題かと思います。国家の寿命を考えた場合、政治は百年先を見据えるべきなのに、寿命が5年ほどの株式会社の考え方に同調してしまっている。国民国家というシステムが崩壊に向かっている。(下村治の「国民経済」の概念も崩壊している)ということに内田センセイ警鐘鳴らしまくりでした。
まだ半分、贈与経済のはじまりの辺りまでしか読んでいません。
同じことを簡単な言葉で何度も言ってくれるので、あいかわらずバカにもよくわかってありがたいです。
情理を尽くしてリーダブルな文章で伝える。その書く技術が、なにより素晴らしいなあと改めて思いました。
Posted by ブクログ
街場シリーズではありますが、今作は講義録ではなくウチダ先生が各メディアに発信した文章のアンソロジー。共通するのは2013年当時の日本のこれからへの憂慮と提言ということです。日本の「株式会社化」や、「パサー」としての生き方についてなど、2013年以降の著作に見える先生の政治的な主張がはじめて登場するのは本書であることが多いように思います。現在まで通ずるウチダ先生の政治的文脈での論説の、はじまるとなる一冊として位置づけられるでしょう。
Posted by ブクログ
内田樹という人物を知らずに読んだ。
ビジネス本ばかり読んでいたので、すごく新鮮。
国という大きな視点で見たとき、ビジネスのロジックを
あてはめるのはあまりに短期的、局所的になってしまう
のだなと感じた。
マーケットからの退場というのは、リンダクラットンの
ワークシフトにも繋がる気がする。そこでは仕事に
押しつぶされるのではなく積極的に社会と関わる選択肢
が描かれていた
今の自分の仕事をより広く、長期に見たときに
どういった意味を持つか。考えてみたくなった
◆メモ
・普通は様子見するが、人々はその時間を蛇蝎のように忌み嫌う
・企業の長期はすごく短い。短期的な視点で判断してしまう
・国が滅びても困らない人たちが国政の舵を担っている
・日本以外でも暮らせる人に権力と財が集中、彼らにとって日本でしか暮らせない人は低賃金、高品質な労働者、汎用な欲望をもつ消費者でしかない
・「うんざり」「やれやれ」という言葉には不機嫌の裏にひそやかな安心を感じている
・スピードと効率に重きを置きすぎている
・アメリカは国家としての統合軸を失いつつある
白人が少数民族になりつつある
文化の多様ではなく、分裂に近い
・我々が手したのは働き方の自由ではなく、同一労働、最低賃金だ
・マーケットからの退場よりも自主的な撤収が増える
・本当の意味の国民経済とは「12千万人がどうやって雇用を得て、所得水準をあげ、生活の安定を享受するか」下村治
・生産性の高い人間が「おれに金と権力をあつめろ。お前らの雇用をなんとかするから」という人間は、さっさと外国に逃げ出すタイプ
・ケネディがしたのはチキンレースでブレーキを踏まなかっただけ
・欧米では「政策は謝る可能性が高い」という考えから「どうなったら大失敗になるか」というシミュレーションに時間を費やす
・カリフォルニアで地元紙がなくなると、市の行政官は徐々に給与を上げ12倍にまで引き上げた。もし住民が記者を雇っていればわかっただろう
Posted by ブクログ
現在67歳以下のすべての日本国民は、自分たちが安全保障についても、国防構想についても、「アメリカの許諾抜きで」政策を起案できないということが常識とされる環境に生まれてからずっと暮らしている。
属領に生まれた属領の子たちである。
それが「自然」だと思っている。それ以外の「国のかたち」がありうるということを想像したことがない。というか、想像することを制度的に禁じられている。(p.209)
匿名であることによって得られた発言の自由は、それがどのような個人によって担われているのかが公開されていないことによって、信頼性を損なわれる。
この「言論の自由と信頼性のゼロサム関係」について、匿名の発信者はあまりに楽観的だと私は思う。
私自身は、匿名で発信された情報は基本的に信用しない。たぶん、同じようなプリンシプルを持っている人は多いと思う。
私が情報の信頼性の判定基準にしているのは、発信者の「生身の人間としての、ほんとうらしさ」であって、「コンテンツのほんとうらしさ」ではないからである。(p.340)
Posted by ブクログ
内田氏の筆は私にとって心地よい。成程と納得してしまいます。いっぽう、今の日本人の多くが(私も例外ではありません)、権力を持っているものに立ち向かったり、異を唱えることをしなくなり、ただひたすら眼前の利益・金を稼ぐことだけを優先し、様々な問題や欠陥を後の世代に先送りしている。こんな無責任があって良いものかと反省もさせられました。何のために生きるのかを考えさせてくれる哲学の本でもありました。引き続き、氏の作品を読み続けようと思います。
Posted by ブクログ
日本の未来を憂う内田氏の歯に衣着せぬ分析と思考。
確かな知識と見識に裏打ちされた言説はまさに目から鱗的
思考が目白押し。
今後の論説にも期待。
Posted by ブクログ
「とりあえず、みなさんと一緒に、手に小さな石を一つずつもって、手近の「蟻の穴」を塞ぐところから初めてゆこうと思います。
ご健闘を祈ります。」
あとがきの最後、私の手にも「蟻の穴」を塞ぐことの出来る小さな石が一つくらいならあるだろうか?と自問した。
この本に書かれている文章は恐怖心を煽るようなものではく、時にくすりと笑ってしまうほどに冷静で丁寧で、そして優しい。
心配事はたくさんある。
内田さんが指摘する歪みが私の中にもあると感じるし、自分のことも周りのことも全く見えてない。
というよりも見ようとしていないんだな。
「あきらめ」に浸ってしまっている気がする。
危機的状況になった時に私に生き残ろうとする気力が果たしてあるのだろうか?と真剣に問いかけてしまう。
答えは見つからない。
でも、私も「アンサング・ヒーロー」になれたらいいな、とは思った。
「蟻の穴」を一つでも塞ぐことが出来れば嬉しいな。
そんな目標が出来ました。
Posted by ブクログ
「人間は自己利益を排他的に追求できるときではなく、自分が人のために役立っていると思えた時にその潜在能力を爆発的に開花させる。…今の日本社会に致命的に欠けているのは、他者への気づかいが、隣人への愛が人間のパフォーマンスを最大化するという人類と同じだけ古い知見です。
Posted by ブクログ
素材は2011〜13年のブログから選出された政治・教育アンソロジー。内容は繰り返しになっているが、根底にあるのは全体を貫く深い危機感。ぜつぼう的状況のなか複雑に絡まった呪いを解毒するうえで必要なことが幾つか。先天的な能力のシェア、身近な人との連帯、「蟻の穴を塞ぐこと」、など。「能力主義的な思想が内面化した世代は、世代間の不公平に『怒り』を感じ、同世代間の不公平に『あきらめ』を、社会的不備の原因を質し、解決策を講ずることについて『無関心』を感じている」。実感としてあるだけに、指摘の一つひとつが重い。
Posted by ブクログ
著者の本は、これまでにも何冊か読み、ときおり
ブログなども追っていた…新刊を見たくて、書店へゆくと
ビニルがかかっていて、特定秘密保護法に関する
号外冊子がついてる! 単行本では珍しいこと!
本書は、2011年から2013年にかけての政治関連の
論説を編集したもの…内容は多岐にわたり、
「ほぉ!」と思ったところに付箋を入れていたら、
数十枚に及んでしまった…まさに…目からうろこの一冊。
たとえば、2012年8月の消費増税法案に関して
次のように語る…要旨がわかるように抜粋すると…
―法人税を下げ、賃金を下げ、公害規制を緩和し、
原発を稼働させ、インフラを整備すべしというのが
当今の「リアリスト」たちの言い分である。
―「『選択と集中』だよ。国際競争力のないやつらは
マーケットから退場する。それがフェアネスだ」と
豪語するであろう。
―(しかし)自主的にマーケットから撤収する人々が
出てくる可能性を彼らは勘定に入れていない。
こうした言説からボクは、自らを浅薄卑小と思いつつ、
生活者として、お金にかえられない喜びは、
お金をかけなくても得られるもの…と再認識したのです。
生活の喜びにつながる営為は不断に続けてゆきたい…と。
Posted by ブクログ
著者内田樹氏の日本憂国論。
2013年現在日本で起こっている様々な社会問題に対して著者独自の視点から考察が加えられている。
「他人のあまり言わないこと」を書き綴ったと著者が豪語するように、大手メディアから発信される情報とは大きく異なる知見に出会浮ことが出来た。
Posted by ブクログ
本書で著者が何度も言及している、政治の責務は「国民全員を食わせること」であるという国民経済という考え方はシンプルでわかりやすい。これは今の政治に置き去りにされている考え方だ。
(以下引用)
議会制民主主義というのは、さまざまな政党政治勢力がそれぞれ異なる主義主張を訴え合い、それをすりあわせて「落としどころ」に収めるという調整システムのことである。「落としどころ」というのは、言い換えると、全員が同じように不満であるソリューション(結論)のことである。誰も満足しない解を得るためにながながと議論する政体、それが民主制である、(P.48)
行政官に対しては「税金を無駄使いしている」という批判はありうるが、「稼ぎが悪い」という批判はありえない。(中略)管理部門は価値あるものを創りだすプロセスを支援するのが仕事であって、自分たちではなにも価値あるものを創りださない。行政とはそのような管理部門である。そして、そういうものでよろしいいのである。(P.73)
ひとわたり欲しいものは手に入ったら、購買力が落ち、経済成長は鈍化する。欲望が身体を基準にしている限り、欲しい物には限界があるからである。1日に三食以上食べるのはむずかしい(してもいいが体を壊す)。洋服だって一着しか着られない。(中略)かように身体が欲望の基本であるときには、「身体という限界」がある。ある程度以上の商品を「享受する」ことを身体が許してくれない。そのとき経済成長が鈍化する。(P.111)
今の日本における若年層の雇用環境の悪化は「多くの人に就業機会を与えるために、生産性は低いが人手を多く要する産業分野が国民経済的には存在しなければならない」という常識が統治者からも、経営者からも失われたからではないのか。(P.122)
外交についての経験則のひとつは「ステークホルダーの数が多ければ多いほど、問題解決も破局もいずれも実現する確立が減る」ということである。(P.165)
ロビンソン・クルーソー的単独者は、無人島でそれほど厳密な手続きで、それほど精密な実験を行っても、科学的心理に到達することはできない。それは彼が実験によって到達した命題が科学的に間違っているからではない。命題の当否を吟味するための「集合的な知」の場が存在しないからである。科学者たちが集まって、ある命題の真偽について議論するための「公共的な場」が存在しないからである。「反証不能」とはそのことである。命題そのものがどれほど正しくても、他の専門家達による「反証機会」が奪われている限り、それは「科学的」とは言われない。(P.238)
「オレがここで死んでも困るのはオレだけだ」と思う人間と、「彼らのためにも、オレはこんなとこで死ぬわけにはいかない」と思う人間では、ぎりぎり局面での踏ん張り方がまるで違う。それは社会的能力の開発においても変わりません。自分のために、自分ひとりの立身出世や快楽のために生きている人間は自分の社会的能力の開発をすぐに止めてしまう。「まぁ、こんなもんでいいよ」と思ったら、そこで止まる。でも他の人生を背負っている人間はそうもゆくまい。(P.331)
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内田センセイの、例によってあちこちのブログやネットや雑誌などに寄稿された文章から編まれた憂国論。政治、経済、教育、マスメディアなどあらゆるところでコンフリクトを起こしているように見える我が国を、どのように論じることができるのか。いったいその処方箋は存在するのか。
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「憂国論」なので、全体的に暗い話が多いのですが、その中で「こうしたらいいのかもしれない、ちょっとはよくなるかもしれない」という「希望のとっかかり」のようなものを掴むことはできます。
”事故を未然に防いだ人たちの功績は決して顕彰されることがありません。事故は起きていないのですから。そういう人たちのちょっとした警戒心とささやかな配慮のおかげで大きな災禍を回避できた場合があったということが日本にもあったはずです。…そういう顕彰されることのない英雄のことを「アンサング・ヒーロー」と呼びます。「歌われざる英雄」です。”(「あとがき」より)
何か問題が発生してからそれを解決した方が、見た目には貢献したことが分かりやすいし、報われやすいのかもしれない。だけど、もう少し「アンサング・ヒーロー」な生き方を見直してもいいのかもしれない、見知らぬ誰かのために、未来の自分や自分たちの子供たちのために。
そんな気持ちでいっぱいになりながら、本を閉じました。
Posted by ブクログ
歴史が教えているように、競争的なマインドの人間は危機を生き抜くことができない。危機とは定義上「1人では生きてゆけない」状況のことだからである。だからそれを生き延びるためには、他の人々とある種の「共生体」を形成できる能力が必要である。p344
Posted by ブクログ
民主主義における意見の多様性を担保し,それぞれの考えを聞く力の大切さを実感した。
自分から遠いことは理解も判断も難しく,大切な理解と判断は大きな流れに身を任せがちである。大きな流れも瞬間瞬間の判断と決定によって形成されていくことを考えると,自分の芯の部分に価値観の軸の確立は大切なことだなぁ。
近視眼的,経済的な視点に陥りがちな世間や自分の目をメタレベルで認識し直すためにはメタレベルの意見に触れる,オルタナティブな意見に触れることが第一歩だろう。
Posted by ブクログ
毎度同じことを書いているような気がするが、内田本はまえがきをよく噛んで味わうのがよい。本書もまた、朝日新聞に二度と頼まれたくないと思って書いただとか、仕事を減らしたかったなどの説明がついているが、僕の気持ちを汲んだかのように、『では、また「あとがき」でお会いしましょう』とある。
さて、あとがきには、堤防の蟻の一穴に小石を詰めて塞いでいこう、ということが述べられています。本文中に繰り返し出てくる企業の恫喝による人件費低下へのプレッシャーと、互恵社会の形成のこと。マーケットから転落するのではなく、自発的で静かな「市場からの撤収」のこと。
世論じみたことは言わないほうがいい、それが「呪い」からの身のそらし方だ、と。内田本で結局僕がいつも反省するのは自ら振りまく呪いのことだ…。
Posted by ブクログ
著者が日本の現状に思うところを、エッセイの形で論じていく。
明快な語り口で、滑らかに問題点を論じていくので楽しく読めた。
中身のない発言であったとしても、その発言をせざるを得ない背景から読み取れることはある、という考え方のアプローチは面白かった。
一方で、各論を行うときに、極論ではなく中庸を目指す必要性を訴えておきながら、橋本市長の行動や原発論を行うときには極端な事例を引き出し、それがさも全体全てに当てはまるような論じ方はずるいと思う。
TPPや脱グローバル論、「廃県置藩」といった具体論は納得できなかった。
小さい単位で経済を営み、コンテンツではなく贈与の過程こそに価値があるというが、そのシステムなら必要最低限の生産しかできず、非効率なものになってしまうだろう。
「自然に成熟した公民たりうろうとする環境をつくれ」という、まず内面を成長させる発想自体は必要だと思った。
もちろん、だからといって教員が起立させることが、その内面成長を阻害させるという発想は納得出来ないが。