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ためらい逡巡することに意味がある。戦後責任、愛国心、有事法制をどう考えるか。フェミニズムや男らしさの呪縛をどう克服するか。原理主義や二元論と決別する「正しい」おじさん道を提案する知的エッセイ。
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Posted by ブクログ
カミュについて語ったタイトルになってる論考を読みたくて買う。 反抗、を、ためらい、と読み替えるとこにやっと納得。 カミュとかそのことを読んでていつも違和感のある、反抗とかの厳しい言葉と内容のあいまいさ。 ためらい、だ。 感情を失った理念を批判するペストはまさにこれだろう。人間らしいためらいを忘...続きを読むれた人間の恐ろしさ。 SNSには、ためらいを感じるための「顔」がない。 ムルソーの状態だ。 そうではなく、顔と顔を向き合わせて発言すること。 そのときにためらいがうまれるだろう。 それは弱さではない、抗いだ。 自分の中にある正義への抗いだ。 スピノザは、道徳的な絶対的な善悪を否定し、倫理的なよいわるいを関係性のなかで解いた。 まさにこれではないか。道徳的な善をなそうとしたときに、それをためらわせる倫理観。 場面ごとの関係がうむ倫理によって、「ためらうことをためらうな」とでも言えばいいのか。 自分のなかの勝手な道徳観による自動的な、論理的な結論を自動的に遂行することに抗え、ためらわずにためらえ! そういうことかと思う。
著者のデビュー作です。「なぜ私は戦争について語らないか」「なぜ私は性について語らないか」「なぜ私は審問の語法で語らないか」「それではいかに物語るのか―ためらいの倫理学」という4つのテーマのもとに、著者が雑誌などに発表した論考が収録されています。 「あとがき」で述べられている、「自分自身の正しさを雄...続きを読む弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」ということばに、本書の中心的な思想は集約されているように思います。著者はこのようなスタンスに立って、愛国心、戦争責任、女性の解放、そして「他者」といった主題について審問の文法で語ることのパフォーマティヴな水準における問題を、鋭くえぐり出しています。 著者の基本的な思考の構えが、すでにこの本で明瞭に示されていますが、あえていえば近年の著者の文章に見られる、武術など「身体の知」への傾倒はまだはっきりとは語られていません。そのぶんクリアカットな批評になっているような印象を受けました。
今までの内田さんの著作の中で1番時間をかけて読んだ。「戦争論」についてに共感というか、ああだから私はこういうことに言及するのが嫌いだし言及してる人間をテレビやTwitterやらで見るのが大嫌いだったのかとすっきりした。まぁデビュー作から首尾一貫してるから最早感想書くのが難しいんだけど、嫌いな人の好み...続きを読むが合う人の著作は楽しいなあってのと、カミュについての考察に紙幅をかなり割いてくれていたのが嬉しかった。
内田先生のデビュー作。内田作品はこれまでちょうど10冊読んだが、なぜかデビュー作だけはスルーしていた。内田先生自身が述べているが、先生は専門外(たとえば本作品では性)の問題も積極的に俎上に載せ、それを私のような素人にも実に分かりやすく捌いて提供してくれる。その手並みは理路こそ入り組んでいるものの実に...続きを読む鮮やかで胸にストンと落ち、落ちない場合でも読者を思想に駆り立てる。その理由は数多いる専門家と呼ばれる人たちが自分の専門性や知性の高さをひけらかすのに専心するあまり、結果として読者を置いてけぼりにしているのに対し、内田先生にはそういう厭らしさがなく(あっても周到に隠されている)、専ら読者との間に架橋することに意を注いでいるからではないかと思う。「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」(349ページ)。内田先生のこのスタンスを100%支持する。
前に読んだ2冊とも内田樹さんの名前が出てきた為,読んでみた。内田さんの発する言葉にただうなずいた。自分が思っていたり悩んでいるようなことを言葉にしてくれたような。 20代残りわずかな期間に出会えたことに幸運を感じた。
ためらいの美学がここにある。 二つの価値観の間で揺らぎ続けることは耐え難いけれど、 一つの考えに着地して安心するよりもずっと誠実で知的だと思う。 常にわが身を省みる姿勢。 それがぼくの理想だ。
よし、、カミュを読もう。となりました。 内田さんの文章を読むと、次に何を読もうか(何について自分は知らず、何について知っている人になりたいのか)という視点が得られるという効能があるように思います。 早速書店でカミュの「異邦人」「ペスト」を手に取りました。楽しみです。
ためらいの倫理学―戦争・性・物語― 内田樹21冊目 初期の本ということもあり、やや難しい感じがした。特にレヴィナスについては、難しいと思うことが多かった。印象に残ったところは“私は知性というものを「自分が誤りうること」(そのレンジとリスク)についての査定能力に基づいて判断することにしている。平たく...続きを読む言えば、「自分のバカさ加減」についてどれくらいリアルでクールな自己評価が出来るかを基準にして、私は知性を判定している―p145”という文章。本の後半で表れる「とほほ主義」というもののこれに近い。誰かを断罪したり、自説の正しさを懸命に主張するのではなく、自分が犯しうる失敗や他人にかけるうる迷惑についてクリアに予想し、それをしないように努めるということをしようじゃないかという風に解釈した。物語についてという節の「徹底的に知的な人は徹底的に具体的な生活者になる」という言葉も、自己認識を突き詰めたところ、それは哲学書などではなく日常にその成果が表れるということを言ってるんじゃないかと思う。自分の邪悪さを認識している人は、自分の邪悪さを認識していない人よりも邪悪なことをなしえないというパラドキシカルな言葉はまさに名言だ。つまるところ「汝自身を知れ」ということなのかな。最近の自分のお気に入りの「脚下照顧」という言葉も、なんだか近いものを感じる。特に戦争や性について声高に相手の責任や社会システムを批判するひとは、内田的に言えば知性的ではないのである。まずは自分の周りを出来るだけ幸せにしてから、その輪を広げていこうという内田の経験則的教訓が本書にもにじみ出ている。 他者論は正直よくわからなかったが、自分なりの解釈では、他者というものはよくわからないということが全体にある。最大公約数もなければ最小公倍数もない、同じパラダイムで語ることが出来ないものである。どうにも解釈できないものは、同時にどうにも解釈できる。トランプでいうジョーカーのような、まったくもって異質のものである。貨幣論でいえば、徹底的に価値のない紙切れが徹底的に価値を持つ紙幣となるように(ビットコインとかに至ってはもはや記号でありデータ、使用価値は全くない)、他者はどうにもこうにも分からない存在である。だから、他者を「愛する」必要がある。畏怖し、歓待し、聞き従い、慰める必要性がある。愛するという感情程複雑で、両義的な感情はない。それは言語におけるジョーカーである。他者というジョーカーに充てられるものは、やはり言語におけるジョーカー「愛」なのだろう。わからないものに対してわからないものを充てるということは、あんまりないようでよくある。明治時代の日本が外来語が、漢語に訳されて輸入されたように、よくわかんねえからよくわかんねえままとりあえず使ってみるかという具合に。他者はよくわからない。でもそのわからなさ具合がより人を引き付ける。こんな感じかな。 本書にもある通り、物語ろうとすることは、知ろうとすることである。なんだかレビュー書いてるうちに、わからなかった本のわからない箇所について読んでる時よりも知ることができた(気がする)。
著者はかなり風変わりだとは思うが大学の教授ではあるので、書いてることの半分ぐらいは良く分からないし、4分の一ぐらいはまったく分からない。のこり4分の一はまあ、納得できる話である。 結論として「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」という...続きを読むことを手を換え品を買え、執拗に繰り返し主張しているとのことなので、よく分からないところにも、まあ解ったところに書いてあることが書いてあるのでありましょう。 正しい日本のおじさんの生き方をいかに綱領化するか、それが現在の思想的急務であるそうである。正しい日本のおじさんの生き方とはいかなるものか。 とほほ主義というのがキータームか。『「とほほ」とは自分は「局外」にあるかのような発言はしないという強い覚悟であり、同時に「局内」というのが「檻の中」でしかないという寒々しい断念である』 自分が正しいという前提で、審問者として議論するのではなく、自分が間違っているということも含めて吟味していくことであると思うと、やはり冒頭に書いた(本では最後に書いてある)結論に帰結するのである。
十年ちょっと前に発刊された、 内田樹さん初の単著作がこの本でした。 おもに、ご自身のサイトで発表されていた エッセイや論考などを集めたものだそうで、 内容は単純化されていない難しいままのものではありますが、 語り口が柔らかなので、念入りに読むと ちゃんと読解できるものが多いと思います。 それでも、僕...続きを読むなんかは「前景化」なんてわからない言葉でしたし、 「プラグマティック」や「パセティック」なんかは、 意味を忘れてしまっていてWEB検索しました。 そういう労をいとわないで、時間をかけて読むことができる人には、 とても質の高いリターンがあるでしょう。 戦争、性、審問の語法、物語、という四部構成ですが、 なにかしら一貫しているようなものがあります。 思想や事象を咀嚼する、その借り物ではない知性が語り手です。 単純化もしません。 たぶん師匠であるフランスの思想家・エマニュエル・レヴィナスの哲学を 頻繁に引用はしますが、それは著者の血となり肉となったもので、 彼なりの深い洞察と混然一体となっていて、 彼とレヴィナスの間に段差のような、階層の差のようなものはほぼ感じられない。 だからこそ、自身の知に対してフェアな人なんだろうなという印象を 読み手は持つことになるのです。 そして、そんな印象を持った著者の本ですから、 それじゃ、その語るところを拝読しようじゃないかという気概にも 繋がるんだと思うところです。 著者によると、知というものは、自分のことをいかに疑えるかという ところにある、というようなことだそうです。 わからないことや知らないことを隠さず、目をそらさずにいられることが 知性が高いか低いかの条件になるということです。 知識が多かろうが、知恵に富んでいようが、 前掲の条件にそわなければ、知性が高いとはいえない。 それほど、自分の弱いところや愚かなところや邪悪なところを見つめる ことは大事ですよ、ということなんですね。 ところどころに冗談だとか、言い回しの面白さが出てきます。 そういうところも魅力の一つですが、フロイトの弟子にあたる ラカンという構造主義の主要人物の人の書くものの わけのわからなさを、わからないでしょ、と書いてのける素直さと、 その本当にわけのわからないような難しい引用文には苦笑してしまいました。 また、本書のタイトルと同じ題名の「ためらいの倫理学」の章が最後にありますが、 それこそ、この本のまとめ的な、カギとなる章なので、読む人は そこは飛ばさずにいてほしいですね。 ここで言われる「ためらい」は、僕の考え方にも通じるものがあって、 僕の場合は「ゆらぎ」という言葉で表すことが多いです。 ある種の重要な判断には、ブレないことよりも、ブレブレなほうがいいんじゃないか っていう考えですが、本書の「ためらい」、これはアルベール・カミュ論から カミュのものとして飛び出した言葉を元にしていて、 それとほぼ同じだなと思っています。 個人的にカミュは昔『異邦人』を読んだことがありますが、 そのときは、「太陽のまぶしさ」ばかりが印象に残るという、 あまり深い読書ではなかったような気がします。 今でも、そんなものかもしれないですけどね、読解力。 まとめていえば、けっこう難しい本です。 よくわからないなぁ、とフェミニストの章の部分はとくに感じました。 それでも、本書のところどころから得られるものは、 有用であったり、なぐさめであったり、「それでよかったんだ!」っていう 気付きだったりもします。 現代思想のセントバーナードという喩えで、 著者を語る章がありますけれども、 たしかに、本書は、現代思想に遭難した人に、元気になるブランデーを 飲ませてくれるような本かもしれないです。 そうやって、ブランデーだけ飲ませて、 「あとはがんばりな」と去っていきます。 まぁ、それでいいんじゃないでしょうか。
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