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構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」という問いに答えようとしていることに変わりはありません。ただ、その問いへの踏み込み方が、常人より強く、深い、というだけのことです。ですから、じっくり耳を傾ければ、「ああ、なるほどなるほど、そういうことって、たしかにあるよね」と得心がゆくはずなのです。(「まえがき」より)
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Posted by ブクログ
"いい入門書は私たちが何を知らないかを問う。" "答えることのできない問い、一般解のない問いを示し、それを読者一人ひとりが自分ごととして引き受けて、ゆっくりと噛み締めることができるように差し出すことが入門書の最良の知的サービスである。" この導入から一気に...続きを読む引き込まれました。
……うーん,いやあ,凄い本だった。 2002年(23年前)に初版発行か。 ちょうど大学に入りたての頃だっただろうから,その頃に読んでおきたかった。 少なくともその後,別の大学に再入学した際には,哲学を中心として,文化人類学でレヴィ=ストロースを学んでいたし,発達心理学ではラカンも学んでいたから,そ...続きを読むの頃に読めていれば,さらに理解は深まっただろうなと思うと,少し口惜しい気さえする(笑) さて,本書は構造主義という,20世紀フランスから発祥した現代哲学の思想をおおまかに,わかりやすく解説した本である。 主な内容としては,構造主義前夜として,簡単にマルクスとフロイトとニーチェの思想に触れた後,構造主義の始祖とされる言語学者ソシュールを紹介し,さらには中核を成している4人の思想家を四銃士(今風に表したら「四天王」になりそうだが)として,少し詳しく掘り下げて紹介している。 その四銃士の思想家とは,フーコー,バルト,レヴィ=ストロース,ラカンである。 構造主義とは何か?というのを,簡単に説明するならば,西洋の哲学史において,(特にデカルト以降)延々と語られてきたことである「わたしとは何者か?」「人間とは何か?」というものの見方を,"人間中心主義","自我中心主義"とみなして、徹底的に批判する考え方のことだと思う。 そして,世界の中心は人間にあるのではなくて,様々に形作られてきた結果として,偶然こうなっている世界の方にあるという捉え方をもとにして,世界や人間について新たに考え直す思想なのではないかなと思う。 本書最大の良い点としては,小難しい元理論の専門用語での説明に,とても馴染みやすいたとえ話をふんだんに用いることによって,やたらと記憶に残りやすい内容になっているところがあると思う。 例えばフロイトの無意識への抑圧は,狂言の『附子』に登場する太郎冠者の心の動きに合わせて説明されるし,レヴィ=ストロースの家族集団における法則は,映画『男はつらいよ』の,寅さんとさくら,寅さんと満男の関係に照らし合わせて説明されるというような具合である。 昨年に文芸評論家の三宅香帆さんがお書きになった,『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』において,今の社会では,読書は余計なノイズになる情報が多すぎるが故に敬遠され,ピンポイントで必要な情報だけが手に入りやすいSNSや,動画や,同じ本でもビジネス書のような本に,可処分時間をあてがわれやすいという話がなされていると,著者ご本人が説明されているのを見たが,(残念ながら現状では未読) 読書の醍醐味は,むしろ余計な情報の方にこそあるという,三宅香帆さんが主張したいことは,この本を読むだけでも,多くの人が痛切に感じとれるのではないかと思う。 それくらい,"授業中に先生がする脱線話"がもたらす面白さの威力は絶大で,その魅力には抗いがたい。 そしてこの感覚とそれがもたらしている事実,結果こそが,実は構造主義そのものを如実に表しているとも言える。 つまり,人は大元にあるものごとの原理自体を,そのままの形で理解したり,説明したりできている"つもりになっている"けれども,そうではなくて,そこには話者(著者,話し手)の解釈(あるいは妄想と言い換えても良い)が,絶対にある程度含まれてしまっている。 だからこそ,世界の根幹にある本質や真理(プラトン的に言うならば,それが「イデア」になるのだろう)には,絶対に到達できない。 何かを直観したところで,言葉を発して説明しようとした瞬間に,それはそのもの自体の本質や真理ではなく,その言葉を発する人の解釈になってしまうからである。 構造主義を学ぶと,ただ純粋に憧れ,希求し,信じていたかった,「世界の真実を知りたい!」という,哲学的な(知を愛する精神の)原点にある,"心のときめき"を否定されて,踏み躙られたような気持ちになり,心が重く,沈んでいくような気さえするかもしれない。 事実,私は読み進めていくうちに,だいぶ辟易させられてしまったので,途中からはだいぶ本書を開くのに気合いが必要になってしんどかった。 (内容と筆致は文句なく面白いのだけど。むしろ面白いにもかかわらず,だ。) だが,ラカンが言うには, ”大人になるというのは,この世のそうした不条理さを受け入れて,「自分は無力・無能である」という事実を味わうこと。そしてそのことを,「私以外の,私よりも強大ななにがしかの存在が,私の十全な自己認識や自己実現を妨害している」と説明する能力を身につけること” らしいので,こうして20世紀の偉大な思想家たちと,世界そのものと,それを私のような,無知・無学な人間に対してでさえも,わかりやすく伝えてくださっている内田樹先生という,"強大な存在たち"によって,むしろ,またひとつ私が大人になれたことをこそ,喜ぶべきなのではないかなと思う。 ……でも,ラカン先生さー,知に対する子どものような純粋さや,ワクワクするような"心のときめき"も,失いたくないし,大事だと思うよ?(笑)
構造主義とはなんだろうか。あまりにも現代人の思考に根付いているがゆえによくよく説明が難しい概念をわかりやすく流れに沿って解説されている。マルクス、フロイト、ニーチェを下敷きにソシュールへと繋がり、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンと言ったら構造主義の思想家たちを鮮やかに描く。常に変わりゆく...続きを読む価値観の速度が加速し続ける現代において、その態度がより重要になってゆくと言うことが実感できた。
気軽に読めば分かるような内容ではなく、ちゃんと読んで考えれば何となくそういうことかと理解できるような本となっており、それがいい塩梅にもなって読みごたえがあった。また、話題を無駄に下手に広げなく絞っていて論理的に説明しているのも伝わりやすく読みごたえがある。
人はどうしても自分目線で物事を考えがちだが、一旦冷静になって第三者目線で状況を判断することが大事だと感じた。
人がいかに環境の影響を受けているかをすっきり整理できて、とてもよかったです。 自分自身の発言や考え方を見つめ直すよい機会になりました。
実に興味深い(福山雅治風)本でした。 理系の私からしたら現代思想や哲学なんて『自明の現象に名前をつけるだけの退屈な学問』と思ってました。少し違いました。 構造主義が自明となる(覇権を握る)までの成り立ちを整理することと、その過程で生まれた負の遺産(超人主義→ナチス、マルクス主義→ソ連崩壊etc......続きを読む)を学ぶことは実に興味深い体験でした。 本を読むということは自明の真実に対して読書という体験を通して説得力を持たせる作業でもあるのかもしれません。
「構造」とは?の私的例え ジャンケンの構造は世界中にある。三つどもえである事が超重要であり、ニつや四つではダメ。 人間が、できるだけ平和的に解決したい生き物である以上、この構造は各地で愛用される。 物事を争いだけで解決する生き物や、意思疎通が完璧な生き物(アリとか)なら、無用の長物。 もし、もう一度...続きを読む、人類史を繰り返しても、人間である限り、ジャンケンの構造は生み出されるだろう。そのくらい、「構造」は強力。 第一章 前提の話が、極めておもしろい。 「構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方に浸透してしまったために… その発想方法そのものが私たちにとって自明なものになってしまった時代」 構造主義的な思考方法が常識になった時代を我々は生きている。 ウクライナ戦争の報道で、ロシアから見た侵攻の理屈と、ウクライナから見た理屈と、両面を伝えるのは、現代のスタンダードだが、そのような態度が構造主義以降のものの考え方なのだろう。 ニーチェは「人間がいかに堕落しており、いかに愚鈍であるかについてだけ、火を吐くような雄弁をふるっているのです」 これ、めっちゃおもろい。ニーチェの入門書を読もう。 大衆は畜群、奴隷。「みんなと同じであることそれ自体のうちに幸福と快楽を見出すようになった」 対極にある「貴族」、それをつきつめたのが「超人」。 第二章 ソシュールについて 「自分たちの心の中にある思いというようなものは、実はことばによって表現されると同時に生じたのです」 本当に人間はことばでしか、考えることが出来ないのか?? ことば=意識という考え方は、教養人のおごりではないのか?? むしろ、意識(言語化されたとみなされるもの)と無意識の境界線にこそ、探究すべき本質的な問いがあると思う。 第三章 フーコー 社会史 フーコーは、社会史を用いて、私たちの思い込みを粉砕する。 知と権力は近代において人間の標準化を目指してきた。 「狂人は理解され、命名され、分類され、そして排除されたのです」 このような力を、フーコーは権力と呼ぶ。 その権力は身体にもおよぶ。江戸時代までのナンバ歩きを禁止し、軍隊行進。農民を徴兵、国民皆兵化。体操。体育座り。 「精神を統御しようとすれば、まず身体を統御せよ」 逆に考えれば、心を自由にするには、まず身体を自由にせよ。セックスと暴力が、政治運動に重要な理由だろう。 抑圧からの性の解放を称号する言説も、フーコーは疑う。それは、あらゆる人間活動を、分類し、命名し、公共の文化財とする、標準化・カタログ化であり、それこそが、権力=知が生み出す圧力である。 第四章 バルト 記号学 ソシュール曰く「言語学は、記号学の一部分」 「記号」とは、ある社会集団が取り決めた「意味するもの」と「意味されるもの」のセット。人為的な取り決め。機能的関係のみ。 結びつきがある「象徴」とは別。 記号学は、文学・映画・宗教儀式・ファッションなど、あらゆる分野に展開できる。 ラング(国語)と、スティル(自分の文体)は、見えざる規制として、我々の言葉使い(思考)を統御している。 さらに、エクリチュール(帰属集団の言葉使い)が、思考を規制する。 ビジネスシーンの言葉使い、ヤクザの言葉使い…。 ボクから、オレへの変化…。 一見、価値中立的な語法にこそ、社会集団が無意識に共有しているイデオロギーが潜んでおり、要注意。 社会的・公共的な「自然な語法」とは、「男性中心主義の語法」ではないのか。 歴史上、為政者の半数がずっと女性だったら、我々は、現状とまったく違う語法で話しているだろう。 批評の変遷。 作者=創造主の真意を探る。 ↓ 意図せず作者から漏れ出た動機(起源・背景環境)を探る。 だが、創作物はあらゆる無数のファクターの絡まりであり、それが収斂する場所は、作者ではない。読者である。 作者の死・読者の誕生。そしてオープンソースへ。 バルトの俳句への偏愛、日本文化へのあこがれ。 「ただそこに屹立する純粋な言葉」という夢をみる。意味にまみれた思想から解放されたかったのか。「意味が剥落する瞬間」へのあこがれ。 第五章 レヴィ=ストロース 文化人類学 実存主義を粉砕→構造主義の時代へ サルトルの実存主義 西洋哲学がそれまで積み上げてきた知見の到達点・結節点。 「ハイデガー・ヤスパース・キルケゴールらの実像の哲学に、マルクス主義の歴史理論を接合したものです」 ありありとした現実存在に、積極的・主体的にコミットする・参加(アンガージュマン)する。決断と責任を引き受けることにより、自己の本質を構築してゆく。人間の営みの成否は、歴史によって判定される。 歴史をおって成長していく・進歩していく人間観・社会観を前提にしている。 しかし、実際には、歴史観など持たない民族がたくさんおり、哲学・数学・科学などは用いずとも、西洋文明と比肩する社会構造を生み出している。というより、比べるものでさえない。単に、違う思考様式があるだけ。 この事実を突きつけられたことで、実存主義は幕を下ろす。 「親族の基本構造」 なぜ人間は近親相姦を禁止するのか? それは、女を贈与する・されることを通じての無限に続くコミュニケーションのため。 反対給付→贈り物を受け取った者は、心理的な負債感を持ち、お返しをしないと気が済まない、という人間に固有の気分に動機付けられた行為。 知られる限りのすべての人間集団に観察される。 ↓ たしかに、この感覚がなければ、取り引きや交渉が成り立たず、協力するということができないのではないか? 贈与と返礼の往還が、絶えず不均衡を再生産し、同一状態にはとどまらない。変化をし続ける。動的な平衡。 社会集団ごとに感覚や価値観は驚くほど多様であるが、それらが社会の中で機能している仕方はただ一つ。祖先たちは、無意識のうちに暗黙のルールに則って親族制度や言語を構築してきた。 人間的な感性・感情が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が(ふだん自然にそう思い込んでいる)人気的な感性・感情を作り出す。 構造こそが優位→構造主義 第六章 ラカン 精神分析 「フロイトに還れ」と言ったラカンは、フロイトの理論を掘り下げた。 「鏡像段階」 幼児が鏡像を見て、自分を発見すること。 しかし、鏡像は、私そのものではない。 「私ならざるもの」によって担保された「私」。 これが、根本的な狂気、ずっと付きまとう人間の勘違いの原因になる。 私そのものは、直視出来ない。 精神分析とは、 自我を治療の拠点にしない。言葉・対話・物語の水準を足場にする。 いわゆる「本当の自分」を追い求めない。偽造記憶はありふれている。 「本当の自分」でなく、対話の中から生まれた・語り直された自分にフォーカスする。 症状を治すのでなく、別の軽症に変える。 「本当の自分」でなく、分析家とのJAZZセッション的な対話によって、両者間に橋渡しされ、生まれた自分像にする。それは、事実・真実の過去でなくて良い。 「言語化」による「見える化」で、(ウソでもいいから)扱いやすくする。 例えば、突然の発作・パニックが、本当はそうでなくても、幼少期の虐待によるフラッシュバックだとすることで、暗中模索の状態から、対処法を考えられるようになれば良い。 それまでの、いかにも哲学的な、自分の内側にある自我の探究を、ポンと外側(他者との架け橋)に出してしまう発想が、後々の哲学に大きな影響を与えたのだろう。 エディプスとは 人間の社会化プロセス。 子供が言語を使用するようになること、母親との癒着を父親によって断ち切られること。 父性の威嚇的介入のふたつの形、実は同じ機能のふたつのあらわれ。 私の知らないところで、すでに世界は分節されているが、私はそれを受け入れる他ない。 この世界に、人間として参加するためには、抗えないもの、不条理であっても従うしかないもの、がある事を解らせる機能が「父」。 それは、弱さも含めた私を説明し、根拠づける機能でもある。 世界に人間として参加しないのであれば、このような機能は必要ないだろう。例えばアリの社会には無いだろう。 ラカンによれば、人間は二度大きな詐術を経験して、正常な大人になる。 一度目は、鏡像段階において、私ではないものを私と思い込み、私を基礎づけること。 二度目は、エディプスにおいて、おのれの無力と無能を、父による威嚇的介入の結果として、説明すること。 そして、贈与と返礼の往還運動を続ける(コミュニケーションする)のが、人間社会。
内田樹さんが、昔の自分が解読するのに大変苦労した「構造主義」をそのときにあったらいいなと願った読みやすい「構造主義についての入門」を記した本。 その名の通り、ちょこちょこ寝ながらだったが、「構造主義」を学ぶことができた笑 現代人がもはやその主義に染まっているとも意識できないくらいに普遍化した思考方式...続きを読むである「構造主義」を、構造主義以前の世界観から、ソシュールの言語論へ、そして、構造主義の4銃士、ミシェル・フーコー、ロラン・バルト、レヴィ・ストロース、ジャック・ラカンへと暗闇にゆっくりと光が指すように構造主義のベールを剥がしていく。 「あらゆる知の営みは、それが世界の成り立ちや人間のあり方についての情報を取りまとめて「ストック」しようという欲望によって駆動されている限り、必ず「権力」的に機能する」(本書から抜粋) →すべての言説に権力が存すること が導かれる ここは目から鱗であった。
「構造主義」が何であるかをまるで知らないまま、知人の勧めで読み始めました。ニーチェやマルクスなど、名前はよく聞くけど、どんな考えを持っていたのかは知らないという人から、フーコーやフロイトなど、こちらも名前は知っているけどの人たちまで、構造主義という軸で面白く読むことができました。地動説的な自我論を盲...続きを読む目的に信奉していたのを自覚したら、自分の気持ちや考えに対する疑惑を持てるようになったことも興味深いです。また時間が経ったら読みたい本なのでした。
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