【感想・ネタバレ】寝ながら学べる構造主義のレビュー

あらすじ

構造主義という思想がどれほど難解とはいえ、それを構築した思想家たちだって「人間はどういうふうにものを考え、感じ、行動するのか」という問いに答えようとしていることに変わりはありません。ただ、その問いへの踏み込み方が、常人より強く、深い、というだけのことです。ですから、じっくり耳を傾ければ、「ああ、なるほどなるほど、そういうことって、たしかにあるよね」と得心がゆくはずなのです。(「まえがき」より)

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Posted by ブクログ

入門書としてすばらしく、非常に分かりやすい。
ただし、詳しいところまでは扱われていない。
まあ、入門書だし。

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2026年01月28日

Posted by ブクログ

十数年ぶりに再読。
自分、自分の思索の独立性や独自性を根本から問い直す契機となる本です。

「自分こそが正しい」という感覚が少しでもある方、健全なバランスを己のうちに取り戻す処方箋は、この本かもしれません。

いろんな思想家の考え方が紹介されていますが、自分が今回最も引き寄せて理解しやすかったのは、ラカンに関する説明にあった下記の記述でした。人間の赤ちゃんが自己を認識する過程についての分析で、自分の子どもを見ていても首肯できる部分が大いにありました。

―人間は「私ではないもの」を「私」と「見立てる」ことによって「私」を形成したという「つけ」を抱え込むところから人生を始めることになります。「私」の起源は「私ならざるもの」によって担保されており、「私」の原点は「私の内部」にはないのです。(p.172)

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2026年01月24日

Posted by ブクログ

まえがきに、専門書のしくみを簡単に書いてくれていて、構造主義云々の前に、新書ビギナーにも易しい
このような新書を、体感を持って読めるようになっているのは、社会との交わりや普段の思考において、「考えたことのある」事柄が非常に増えているから
言説→本の中に出てくる例示(→自らの体験)まで思考ながら読めている
村上龍のインタビュー、読んだ本が繋がっていく感覚
なんらかの、誰かの、症候の寛解をめざした現実の再現でも想起でも真実の開示でもない、「創造行為」
ラカンは、鏡像のところは難しかったが、精神分析のところはすっと理解できた気がする
鏡像の部分を乗り越えると、自分の在り方やコミュニケーションに不調を抱えている人に対するカウンセリングともなりうる、非常に面白いラカンの解説が待っている
この部分はいつまでも読み返す文章になるのでは
あとがきにあるように、落語『千早ふる』のようなスタイルで、というのが内田樹のやわらかい語り口をわかりやすく表している


メモ

まえがき

よい専門書は「私たちが知らないこと」から出発して、「専門家がいいそうもないこと」を拾い集めながら進む
根源的な問い(人はなぜ死ぬのかとか)に出会う可能性が高い
その根源的な省察に基づいて、知識や情報がもたられる


第一章 構造主義前史

構造主義とは、私たちはある時代、ある環境のもとで生きていて、その条件が考え方やものの見方を決定している
自分が思うほど自由に主体的にものを見ていない
この事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義の功績

・構造主義の源流にあるのはマルクス
マルクスは、存在することに軸足を置いた伝統的な人間観から、行動することに軸足を置いた人間の見方を考えた
大切なのは「自分のありのままにある」に満足することではなく、「命懸けの跳躍」を試みて、「自分がそうありたいと願うものになること」である
人間は行動しものをつくり、その「作られたもの」が人間に向かって、自分が「何ものであるか」教えてくれる
マルクスはこれをヘーゲルから受け継いだ 動物は「自己意識」をもたない(=「私の意識」から出られない
天動説的人間観から地動説的人間観

・フロイト
無意識の部屋 抑圧のメカニズム
人間は、見たくないものから構造的に(無意識の部屋、番人)目を逸らし続けている
マルクスは、人間は自由に思考しているようでいて、実は階級的に思考しているといった
フロイトは、自分がどういうふうに思考しているか知らないで思考している、といった

・ニーチェ
われわれはわれわれ自身が何者であるかを知らない
その身になってみないとわからない 理想的な観客は「コーラス」
ギリシヤ悲劇の中でコーラスは物語を現実のものとして捉えている

なぜ現代人はこんなにバカになったのか?を問い続けていた
大衆社会の人々は畜群 他の人同じように振る舞う
みんなと同じであることに幸福な快楽を見出すものが奴隷
貴族はそれを助け出す、自由で無垢で気高い存在とした
これを極限まで突き詰めたのは超人
ただし、それには畜群のような罵倒される存在が必要となるという欠陥があった
内田樹はこれが反ユダヤ主義的思想に繋がったとしている

第二章 始祖登場

ソシュール
ことばとはものの名前ではない
聖書では、人間がいろんなものに名前をつけたというが
それ以前からそれらは存在していて、ことばによって世界を切り分けているに過ぎない
私たちの心や内面や意識は、ことば(主に母国語)にのよって事後的に得られた言語記号の効果 日本語の「肩を凝る」と英語の「背中を折る」
また、持論というものも、その多くは誰かから聞いたことの繰り返し
私のアイデンティティは、「そのほとんどが外来から到来したもので構成された私」が語ったことばを通じて事後的に知らされる
このことが、根強く西欧にあった(いまもある)自我中心主義に致命的なダメージを与える

第三章
いま ここ 私 を最高到達点とみなすこと = 人間主義
しかし、フーコーは、歴史は一直線ではなく、選ばれなかったたくさんのファクターがあるといった
コロンブスの卵の例 たまたまいま、車は車の形をしていて、電車は電車の形をしているが、語られていない抑圧されている歴史や物語がある

狂人は市民と別枠だったので役割があったが、
市民の枠に入れられたことで、監禁された  狂人とか「をんなものぐるひ」とか
司法から医療が判断を下すように

体も社会制度 ナンバから矯正された歩行
軍隊の体操、体育座り(手足の自由がなく、浅い呼吸しかできず、前しか向けない)子供に対する暴力虐待
道徳の向上、近代的国家体制
森有礼が体操を教育に導入
山縣有朋が徴兵制を導入

王には二つの体がある
市民と同じ身体と、政治的身体
大逆罪に対して車裂きや火刑があるのは、王の政治的身体を犯す、弑逆者の政治的身体を殺すため

性に関する言説を含めて、
権力はあらゆる人間的活動を分類し命名し標準化しカタログ化する
ストック趨向性 その営みが権力的 

皮肉なことに、人文学者はまずフーコーを読まなければいけない、という権力=知、標準なの圧力・趨勢が生まれている
(フーコーも予知していたはず)

第四章

バルトは記号学の大家
将棋中に歩がなくなった
「蜜柑の皮」を「歩」に見立てよう これが記号
自然的、社会的な結びつきがない
トイレの入口にあるシルエットと紳士用トイレは、現実的な連想で結ばれているので、記号ではなく象徴である

ラング(≒国語 完全にイコールではない) 日本人にとっては日本語
スティル = その人がもつリズム感や速度や比喩などの好み

私たちは自由に発想し書き物をしていると思っていても、この二つの不可視な規則に従っている
ラングは外側から、スティルは内側から

第三の規則がエクリチュール = ことばづかい 
書き手がおのれの語法の自然を位置付けるべき社会的な場を選び取ること
少年がいつしか一人称を「ぼく」から「おれ」に変えるように
スティルはあくまで個人的な好みであるが、エクリチュールは集団的に選択され実践される好み
営業マンの・・・、医者の・・・、政治家の・・・ など様々
無徴候的な言葉遣いは危険 一見中立的で客観的だから 覇権を握った語法
また、再読すると見方や解釈が変わるのは、読み手が変化するから テキストと読者は双方向的

また、文学において作者の意図を読み取ることは徒労に終わることもある
なぜなら作者が何もかも理解し意図して書いているわけではないから(例:村上龍のインタビュー つい最近読んだ河合隼雄の本にも同じ話が出ていた)
テクストという概念 織り物
様々なファクターが混ぜ合わせられており、「純粋なことば」は幻想である
Linuxがオープンソースにしたことと、このバルトの考え方は共通するところがある

バルトはエクリチュールの零度として、日本の俳句を挙げた
「無根拠に耐えうる」「どこにも着地できないで宙吊りでいられること」を保存しているとバルトは考えたから
西洋の言語はどこまでも解釈をもとめる

第五章

サルトルの実存主義に志望宣告を下したレヴィ=ストロース 構造主義が名実共に始まった
サルトルは、ハイデガー、ヤスパース、キルケゴールらの実存の哲学に、マルクス主義の歴史理論を接合したもの
生産=労働などを通じて自分を知る、と通ずる
実存は本質に先行する
我々は戦後生まれでも、南京虐殺のを追及されることがある
これがアンガージュマン(≒参加、拘束されること)
参加する主体は、決断を迫られるが、正解を知らないはず
サルトルは、主体は状況に応じて、政治的に正しい選択をおこなうべきであり、その正当性はマルクス主義的な歴史認識が保証するとかんがえた
神の視点 → 歴史
未開から文明へ、停滞から革命へ これが正しいと考えた

レヴィ=ストロースはフィールドワークを経て、文明人と未開人においてその客観性や思考に優劣はないとした
未開人は歴史をもたないものもある 参加も決断もない
世界を自分たちの暮らしに合わせて思考するのは人間として当たり前であり、文明のあるなしや実存主義の歴史は正しいという考え方には誤りがある

音韻論と親族関係
世界中の言語の音は12ビットで表現できる 0/1の二項対立
親族関係も同じで、兄弟姉妹・親と子・夫婦の3種類 親族の基本単位
父と子が仲良ければ叔父とは仲が悪いなど、構造的に表現できるとした
そしてその構造は、近親相姦(贈与)を避けるために成り立っている
(贈与には反対給付が発生する)

人間社会は同じ状態であり続けることはできない
私たちが欲するものはまず他者に与えなければいけない

人間が社会構造を作り上げてきたのではなく、社会構造が人間を作り出す
人間は生まれた時から人間であるのではなく、ある社会的規範を受け入れることで人間になる 

反対給付、負い目、義務感に見られるように、隣人愛や自己犠牲を否定するものではない  レヴィ=ストロースは、隣人愛や自己犠牲を人間の余剰ではなく「起源」とみているのだから

第六章

幼児は鏡を見て私を認識する
しかし鏡に映る自分を私と認識する=自分の内部にない私が原点となるため、この鏡像段階を通過することは、人間が私の誕生と共にある種の狂気をやむことを示している

精神分析は自我ではなくことばをたよりに進めていく
記憶を語ってもらうが、それは真実は違うことを認識しなければならない
満たされなさなどによって生まれることばをたよりに物語を紡ぎあげ、抑圧されたものを移転したり翻訳したり取り替えたりすることが治療
内部にわだかまる「何か」が「別のもの」に姿を変えて身体の表層に露出した、一つの「作品」
精神分析の使命は「真相の究明」ではなく「症状の寛解」
これは物語の使命でもあるのでは

自我と私の違い
自我は、ことばでなかなか言い表せられないが、あることはわかる
言葉を呼び寄せる自我のようなもの
フロイトは自我を「ことばの核」とよんだ
私は、対話の中で自己同一化を果たす主体
自我と私の距離をできるだけ縮小するのが精神分析家の仕事
---
分析家と被分析者のあいだの即興的で一回的なことばのやりとり、それは音楽の比喩を続けるなら、むしろジャズのインプロヴィゼーションに近いのかもしれません。
代替不可能の「コラボレーション」

私が自分の過去の出来事を「思い出す」のは、いま私の回想に耳を傾けている聞き手に、「私はこのような人間である」と思って欲しいからです。私は「これから起きて欲しいこと」、つまり他者による承認をめざして、過去を思い出すのです。私たちは未来に向けて過去を思い出すのです。

分析者と非分析者のやりとりは、一つの物語世界を構築してゆきます。
その物語がめざしているのは、楽曲がどのような意味でも「現実の再現」ではないのと同じように、現実の再現でも想起でも真実の開示でもありません。それは一つの象徴化作用にほかなりませんし、極言すれば、一つの「創造行為」なのです。
---
他者とことばを共有し、物語を共有すること それが人間の人間性の根本的条件

ラカンが言う社会化=エディプス
父の否ー父の名
母親との癒着を切り離し、ものには名があることを伝える
切れ目を入れることと名前をつけることは、言語学的に言えば記号による世界の文節であり、人類学的に言えば、近親相姦の禁止

古くから伝わる物語は基本的に不条理なもので、「努力は報われる」ような話は誰かがリライトしたもの
瘤とりじいさんの不条理  そして鬼がどんなものであるかは問題ではない 世界の文節は私たちの到来以前に終わっている 
カインとアベルの話と似た説話構造
(追記:聖書のヨブ的な?)

我々は、理不尽な決定を下すものに恐怖を抱く
だからいくら権力の座にあっても、アメリカ国民はアメリカ大統領を畏れない
ヤクザの恫喝や昔ながらの警察の取り調べのようなものに恐怖を抱くように、我々は社会化される(それが社会化の教育的効果)
神話、民話、宗教、社会理論、政治的イデオロギー、科学

人間は人生で二度、詐術にあう
鏡像段階で、私ではないものを私と思い込むこと
エディプスにおいて、おのれの無能と無力を、(精神分析でいう)父による威嚇的介入の結果だ、と「説明」すること(自己実現がうまくいかないことを理不尽が理由だと考えること、そしてそれを成熟だと思うこと)

ことばそれ自体に価値がある 理解ではなく「返事」に意味がある
贈与と嘉納・返礼の往復に意味があり、それによってコミュニケーションの不調に陥っている非分析者をコミュニケーションの回路に立ち戻らせる
これこそが、精神分析に限らず、私たちが他者との人間的「共生」の可能性を求めるとき、常に採用している戦略

「治る」というのは贈与と返礼の往還運動のうちにもどるということ

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2026年01月01日

Posted by ブクログ

繰り返し読みたい本だった!
難しいなとハードル高く感じてしまいがちな哲学(構造主義)について、例も多用しながら分かりやすく書かれていた。
エクリチュールの話で、語り口の変更によって無意識的に外見、生活習慣までも変化していくという話がとても興味深かった。

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2025年12月28日

Posted by ブクログ

おそらく高校生の倫理の授業で、初めて出会った構造主義。それ以来、なんだかずいぶんと小難しく捉えて、道具として仕舞い込んでいた。
大人になったからなのか、この本が簡潔に使い方を説明してくれているからなのか。
やっと使える自分の思考ツールのひとつになった感はある。

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2025年12月22日

Posted by ブクログ

「現代思想入門」からこちらへ。寝ながら読めるほど自分には優しくないが(むしろ頭が冴える?)、「現代思想入門」にもあったトピックをもう少し掘り下げてくれる。教科書的にというより面白いところを紹介してくれる感じで。

構造主義とは、人間は自分で判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は自律性はかなり限定的で人や世界の構造的な事実(時代、地域、社会集団の歴史や常識等の無意識なところ)に基づいて成り立っていると。その切り口として権力論のフーコーや言葉遣いのバルトや文化人類学のレヴィ=ストロースや精神分析のラカンを取り上げて説明している。特に後の二人の話はへーと刺激的。

歴史は文化によって違う。文明社会の常識だけが真理でないことをフィールドワークで導いた文化人類学に興味。人間が社会構造(家族を含めた人間関係含め)を作るのではなく、社会構造が人間を作る。贈与と反対給付(お返し)の義務感の連鎖が変化を引き起こし親族的構造が維持される。変化ないものは滅びる。振り子でも螺旋でもよい変化するものが生き残る。なぜ?の根本は分からなかったけど。へー。

精神分析でいくら語っても真実(自我)には辿り着けない可能性がある。記憶は確かではない。被分析者は自分ではない誰かについて語り虚構を作り上げる。本当の中心には触れられないから。でも治療(?)としてはそれでいいらしい。真相を究明することが目的ではなく、被分析者との対話を通じて抑圧された記憶の別のものへのすり替えて症候の寛解ができればよいと。へー。

フーコーの権力による統御の話は、心療医療も、刑罰も、ナンバ歩きも、体育座り、体操も怖い話である。当たり前だったことが、そういうことだったのと。へー。

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2025年12月13日

Posted by ブクログ

"いい入門書は私たちが何を知らないかを問う。"

"答えることのできない問い、一般解のない問いを示し、それを読者一人ひとりが自分ごととして引き受けて、ゆっくりと噛み締めることができるように差し出すことが入門書の最良の知的サービスである。"

この導入から一気に引き込まれました。

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2025年10月17日

Posted by ブクログ

……うーん,いやあ,凄い本だった。
2002年(23年前)に初版発行か。
ちょうど大学に入りたての頃だっただろうから,その頃に読んでおきたかった。

少なくともその後,別の大学に再入学した際には,哲学を中心として,文化人類学でレヴィ=ストロースを学んでいたし,発達心理学ではラカンも学んでいたから,その頃に読めていれば,さらに理解は深まっただろうなと思うと,少し口惜しい気さえする(笑)


さて,本書は構造主義という,20世紀フランスから発祥した現代哲学の思想をおおまかに,わかりやすく解説した本である。

主な内容としては,構造主義前夜として,簡単にマルクスとフロイトとニーチェの思想に触れた後,構造主義の始祖とされる言語学者ソシュールを紹介し,さらには中核を成している4人の思想家を四銃士(今風に表したら「四天王」になりそうだが)として,少し詳しく掘り下げて紹介している。
その四銃士の思想家とは,フーコー,バルト,レヴィ=ストロース,ラカンである。


構造主義とは何か?というのを,簡単に説明するならば,西洋の哲学史において,(特にデカルト以降)延々と語られてきたことである「わたしとは何者か?」「人間とは何か?」というものの見方を,"人間中心主義","自我中心主義"とみなして、徹底的に批判する考え方のことだと思う。

そして,世界の中心は人間にあるのではなくて,様々に形作られてきた結果として,偶然こうなっている世界の方にあるという捉え方をもとにして,世界や人間について新たに考え直す思想なのではないかなと思う。


本書最大の良い点としては,小難しい元理論の専門用語での説明に,とても馴染みやすいたとえ話をふんだんに用いることによって,やたらと記憶に残りやすい内容になっているところがあると思う。

例えばフロイトの無意識への抑圧は,狂言の『附子』に登場する太郎冠者の心の動きに合わせて説明されるし,レヴィ=ストロースの家族集団における法則は,映画『男はつらいよ』の,寅さんとさくら,寅さんと満男の関係に照らし合わせて説明されるというような具合である。


昨年に文芸評論家の三宅香帆さんがお書きになった,『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』において,今の社会では,読書は余計なノイズになる情報が多すぎるが故に敬遠され,ピンポイントで必要な情報だけが手に入りやすいSNSや,動画や,同じ本でもビジネス書のような本に,可処分時間をあてがわれやすいという話がなされていると,著者ご本人が説明されているのを見たが,(残念ながら現状では未読)

読書の醍醐味は,むしろ余計な情報の方にこそあるという,三宅香帆さんが主張したいことは,この本を読むだけでも,多くの人が痛切に感じとれるのではないかと思う。


それくらい,"授業中に先生がする脱線話"がもたらす面白さの威力は絶大で,その魅力には抗いがたい。
そしてこの感覚とそれがもたらしている事実,結果こそが,実は構造主義そのものを如実に表しているとも言える。

つまり,人は大元にあるものごとの原理自体を,そのままの形で理解したり,説明したりできている"つもりになっている"けれども,そうではなくて,そこには話者(著者,話し手)の解釈(あるいは妄想と言い換えても良い)が,絶対にある程度含まれてしまっている。

だからこそ,世界の根幹にある本質や真理(プラトン的に言うならば,それが「イデア」になるのだろう)には,絶対に到達できない。

何かを直観したところで,言葉を発して説明しようとした瞬間に,それはそのもの自体の本質や真理ではなく,その言葉を発する人の解釈になってしまうからである。


構造主義を学ぶと,ただ純粋に憧れ,希求し,信じていたかった,「世界の真実を知りたい!」という,哲学的な(知を愛する精神の)原点にある,"心のときめき"を否定されて,踏み躙られたような気持ちになり,心が重く,沈んでいくような気さえするかもしれない。

事実,私は読み進めていくうちに,だいぶ辟易させられてしまったので,途中からはだいぶ本書を開くのに気合いが必要になってしんどかった。
(内容と筆致は文句なく面白いのだけど。むしろ面白いにもかかわらず,だ。)

だが,ラカンが言うには,

”大人になるというのは,この世のそうした不条理さを受け入れて,「自分は無力・無能である」という事実を味わうこと。そしてそのことを,「私以外の,私よりも強大ななにがしかの存在が,私の十全な自己認識や自己実現を妨害している」と説明する能力を身につけること”

らしいので,こうして20世紀の偉大な思想家たちと,世界そのものと,それを私のような,無知・無学な人間に対してでさえも,わかりやすく伝えてくださっている内田樹先生という,"強大な存在たち"によって,むしろ,またひとつ私が大人になれたことをこそ,喜ぶべきなのではないかなと思う。

……でも,ラカン先生さー,知に対する子どものような純粋さや,ワクワクするような"心のときめき"も,失いたくないし,大事だと思うよ?(笑)

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2025年10月16日

Posted by ブクログ

構造主義とはなんだろうか。あまりにも現代人の思考に根付いているがゆえによくよく説明が難しい概念をわかりやすく流れに沿って解説されている。マルクス、フロイト、ニーチェを下敷きにソシュールへと繋がり、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンと言ったら構造主義の思想家たちを鮮やかに描く。常に変わりゆく価値観の速度が加速し続ける現代において、その態度がより重要になってゆくと言うことが実感できた。

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2025年10月15日

Posted by ブクログ

気軽に読めば分かるような内容ではなく、ちゃんと読んで考えれば何となくそういうことかと理解できるような本となっており、それがいい塩梅にもなって読みごたえがあった。また、話題を無駄に下手に広げなく絞っていて論理的に説明しているのも伝わりやすく読みごたえがある。

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2025年09月21日

Posted by ブクログ

人はどうしても自分目線で物事を考えがちだが、一旦冷静になって第三者目線で状況を判断することが大事だと感じた。

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2025年09月03日

Posted by ブクログ

人がいかに環境の影響を受けているかをすっきり整理できて、とてもよかったです。
自分自身の発言や考え方を見つめ直すよい機会になりました。

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2025年07月11日

Posted by ブクログ

実に興味深い(福山雅治風)本でした。
理系の私からしたら現代思想や哲学なんて『自明の現象に名前をつけるだけの退屈な学問』と思ってました。少し違いました。
構造主義が自明となる(覇権を握る)までの成り立ちを整理することと、その過程で生まれた負の遺産(超人主義→ナチス、マルクス主義→ソ連崩壊etc...)を学ぶことは実に興味深い体験でした。

本を読むということは自明の真実に対して読書という体験を通して説得力を持たせる作業でもあるのかもしれません。

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2025年03月21日

Posted by ブクログ

「構造」とは?の私的例え
ジャンケンの構造は世界中にある。三つどもえである事が超重要であり、ニつや四つではダメ。
人間が、できるだけ平和的に解決したい生き物である以上、この構造は各地で愛用される。
物事を争いだけで解決する生き物や、意思疎通が完璧な生き物(アリとか)なら、無用の長物。
もし、もう一度、人類史を繰り返しても、人間である限り、ジャンケンの構造は生み出されるだろう。そのくらい、「構造」は強力。

第一章
前提の話が、極めておもしろい。

「構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方に浸透してしまったために…
その発想方法そのものが私たちにとって自明なものになってしまった時代」

構造主義的な思考方法が常識になった時代を我々は生きている。
ウクライナ戦争の報道で、ロシアから見た侵攻の理屈と、ウクライナから見た理屈と、両面を伝えるのは、現代のスタンダードだが、そのような態度が構造主義以降のものの考え方なのだろう。

ニーチェは「人間がいかに堕落しており、いかに愚鈍であるかについてだけ、火を吐くような雄弁をふるっているのです」
これ、めっちゃおもろい。ニーチェの入門書を読もう。
大衆は畜群、奴隷。「みんなと同じであることそれ自体のうちに幸福と快楽を見出すようになった」
対極にある「貴族」、それをつきつめたのが「超人」。

第二章
ソシュールについて
「自分たちの心の中にある思いというようなものは、実はことばによって表現されると同時に生じたのです」
本当に人間はことばでしか、考えることが出来ないのか??
ことば=意識という考え方は、教養人のおごりではないのか??
むしろ、意識(言語化されたとみなされるもの)と無意識の境界線にこそ、探究すべき本質的な問いがあると思う。

第三章 フーコー 社会史

フーコーは、社会史を用いて、私たちの思い込みを粉砕する。
知と権力は近代において人間の標準化を目指してきた。
「狂人は理解され、命名され、分類され、そして排除されたのです」
このような力を、フーコーは権力と呼ぶ。
その権力は身体にもおよぶ。江戸時代までのナンバ歩きを禁止し、軍隊行進。農民を徴兵、国民皆兵化。体操。体育座り。
「精神を統御しようとすれば、まず身体を統御せよ」
逆に考えれば、心を自由にするには、まず身体を自由にせよ。セックスと暴力が、政治運動に重要な理由だろう。

抑圧からの性の解放を称号する言説も、フーコーは疑う。それは、あらゆる人間活動を、分類し、命名し、公共の文化財とする、標準化・カタログ化であり、それこそが、権力=知が生み出す圧力である。

第四章 バルト 記号学

ソシュール曰く「言語学は、記号学の一部分」

「記号」とは、ある社会集団が取り決めた「意味するもの」と「意味されるもの」のセット。人為的な取り決め。機能的関係のみ。
結びつきがある「象徴」とは別。

記号学は、文学・映画・宗教儀式・ファッションなど、あらゆる分野に展開できる。

ラング(国語)と、スティル(自分の文体)は、見えざる規制として、我々の言葉使い(思考)を統御している。

さらに、エクリチュール(帰属集団の言葉使い)が、思考を規制する。
ビジネスシーンの言葉使い、ヤクザの言葉使い…。
ボクから、オレへの変化…。

一見、価値中立的な語法にこそ、社会集団が無意識に共有しているイデオロギーが潜んでおり、要注意。
社会的・公共的な「自然な語法」とは、「男性中心主義の語法」ではないのか。
歴史上、為政者の半数がずっと女性だったら、我々は、現状とまったく違う語法で話しているだろう。

批評の変遷。
作者=創造主の真意を探る。

意図せず作者から漏れ出た動機(起源・背景環境)を探る。
だが、創作物はあらゆる無数のファクターの絡まりであり、それが収斂する場所は、作者ではない。読者である。
作者の死・読者の誕生。そしてオープンソースへ。

バルトの俳句への偏愛、日本文化へのあこがれ。
「ただそこに屹立する純粋な言葉」という夢をみる。意味にまみれた思想から解放されたかったのか。「意味が剥落する瞬間」へのあこがれ。

第五章 レヴィ=ストロース 文化人類学

実存主義を粉砕→構造主義の時代へ

サルトルの実存主義
西洋哲学がそれまで積み上げてきた知見の到達点・結節点。
「ハイデガー・ヤスパース・キルケゴールらの実像の哲学に、マルクス主義の歴史理論を接合したものです」
ありありとした現実存在に、積極的・主体的にコミットする・参加(アンガージュマン)する。決断と責任を引き受けることにより、自己の本質を構築してゆく。人間の営みの成否は、歴史によって判定される。

歴史をおって成長していく・進歩していく人間観・社会観を前提にしている。

しかし、実際には、歴史観など持たない民族がたくさんおり、哲学・数学・科学などは用いずとも、西洋文明と比肩する社会構造を生み出している。というより、比べるものでさえない。単に、違う思考様式があるだけ。
この事実を突きつけられたことで、実存主義は幕を下ろす。

「親族の基本構造」
なぜ人間は近親相姦を禁止するのか?
それは、女を贈与する・されることを通じての無限に続くコミュニケーションのため。

反対給付→贈り物を受け取った者は、心理的な負債感を持ち、お返しをしないと気が済まない、という人間に固有の気分に動機付けられた行為。
知られる限りのすべての人間集団に観察される。

たしかに、この感覚がなければ、取り引きや交渉が成り立たず、協力するということができないのではないか?

贈与と返礼の往還が、絶えず不均衡を再生産し、同一状態にはとどまらない。変化をし続ける。動的な平衡。
社会集団ごとに感覚や価値観は驚くほど多様であるが、それらが社会の中で機能している仕方はただ一つ。祖先たちは、無意識のうちに暗黙のルールに則って親族制度や言語を構築してきた。

人間的な感性・感情が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が(ふだん自然にそう思い込んでいる)人気的な感性・感情を作り出す。
構造こそが優位→構造主義


第六章 ラカン 精神分析

「フロイトに還れ」と言ったラカンは、フロイトの理論を掘り下げた。

「鏡像段階」
幼児が鏡像を見て、自分を発見すること。
しかし、鏡像は、私そのものではない。
「私ならざるもの」によって担保された「私」。
これが、根本的な狂気、ずっと付きまとう人間の勘違いの原因になる。

私そのものは、直視出来ない。

精神分析とは、
自我を治療の拠点にしない。言葉・対話・物語の水準を足場にする。
いわゆる「本当の自分」を追い求めない。偽造記憶はありふれている。
「本当の自分」でなく、対話の中から生まれた・語り直された自分にフォーカスする。

症状を治すのでなく、別の軽症に変える。

「本当の自分」でなく、分析家とのJAZZセッション的な対話によって、両者間に橋渡しされ、生まれた自分像にする。それは、事実・真実の過去でなくて良い。

「言語化」による「見える化」で、(ウソでもいいから)扱いやすくする。

例えば、突然の発作・パニックが、本当はそうでなくても、幼少期の虐待によるフラッシュバックだとすることで、暗中模索の状態から、対処法を考えられるようになれば良い。

それまでの、いかにも哲学的な、自分の内側にある自我の探究を、ポンと外側(他者との架け橋)に出してしまう発想が、後々の哲学に大きな影響を与えたのだろう。

エディプスとは
人間の社会化プロセス。
子供が言語を使用するようになること、母親との癒着を父親によって断ち切られること。
父性の威嚇的介入のふたつの形、実は同じ機能のふたつのあらわれ。

私の知らないところで、すでに世界は分節されているが、私はそれを受け入れる他ない。

この世界に、人間として参加するためには、抗えないもの、不条理であっても従うしかないもの、がある事を解らせる機能が「父」。
それは、弱さも含めた私を説明し、根拠づける機能でもある。

世界に人間として参加しないのであれば、このような機能は必要ないだろう。例えばアリの社会には無いだろう。

ラカンによれば、人間は二度大きな詐術を経験して、正常な大人になる。
一度目は、鏡像段階において、私ではないものを私と思い込み、私を基礎づけること。
二度目は、エディプスにおいて、おのれの無力と無能を、父による威嚇的介入の結果として、説明すること。

そして、贈与と返礼の往還運動を続ける(コミュニケーションする)のが、人間社会。

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2025年03月18日

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読みやすい箇所とわかりにくい箇所があった。あとがきにもあるように歳を重ねるとわかるようになるだろうか。

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2026年01月09日

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大学生以来の再読。
当時は理解できていなかったことが、分かる嬉しさ。

『「入門書がおもしろい」のは、「誰も答えを知らない問い」をめぐって思考し、その問いの下に繰り返し繰り返しアンダーラインを引いてくれるからです。』

構造主義というのは・・・
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。

構造主義について代表的な思想家の考えをぎゅぎゅっと濃縮して解説してくれる。
フーコーとレヴィ・ストロースを読みたい!

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2026年01月02日

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構造主義について、レヴィストロースだけでなく、様々な観点で概要を知ることができた
寝ながら学べる、とある通りページ数も少なく読みやすかった
反対に言えばあくまでカジュアルな内容なのだ、本格的に学ぶためには他の本が必須であろう

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2025年12月28日

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この本の印象に残った内容に、フーコーの歴史について考える際の問いである(以下引用)「これらの出来事はどのように語られてきたか?」ではなく、「これらの出来事は、どのように語られずにきたか」(引用終わり)

という視点には成程と気づかされた。

哲学書は分かりにくい本が多い印象ですが、世に出てる本の中では読みやすい本だと思います。細かく読めば分からない部分はたくさんありますが。。。
構造主義と言うものの考え方、概要の理解はできたと思います。

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2025年12月25日

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構造主義とは何か?ということを考えるにあたり、我々の中に常識としてインストールされているが故にもはや何かわからないんだなと。ある物事について、多様な視点から物事を考えるというのは、そもそも常識ではなかったんだなと。

構造主義の代表的な思想家として、フーコーが紹介されており、個人的に印象深かったのでメモする。

> 狂人は「別世界」からの「客人」であるときには共同体に歓待され、「この世界の市民」に数え入れられると同時に、共同体から排除されたのです。つまり、狂人の排除はそれが「なんだかよく分からないもの」であるからなされたのではなく、「なんであるかが分かった」からなされたのです。

なるほど。今でも精神病を抱えている人は、きちんと病名をつけられて常人とは違うものであると判断できるが故に、排除の対象になるのかと。

あくまでフーコーの視点であるものの、狂気は分かってしまうとそれは狂気ではなく、排除すべき対象に成り下がってしまうというのは鋭いなと思った。

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2025年12月04日

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作者の言うとおり、人生を積み上げるにつれ、深く納得していくような話なのかもしれない。

それでも若いうちに、大まかな道筋のようなものを提示してくれた先人とわかりやすく解説してくれる著者に出会えてよかった。

レヴィ=ストロースとラカンの解釈が特に腑に落ちた。

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2025年11月30日

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構造主義という単語自体聞いたことくらいしかなかったのですが、なんとなーくふわーっとすこーし輪郭くらいは分かった気になれました。
1年に1回くらい読み返してみて、自分の成長具合を確かめてみたいと思います。

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2025年09月16日

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そもそも構造主義とは何なのか、どの世界、分野、学問の話なのか、全く知らないまま、単に評判の良さから手に取った本。

冒頭の入門書に関する記述からして期待か高まる。

確かに易しい本ではないが、豊富な具体例のおかげで、なんとなくこんなことかなというイメージは湧く。そして、そのおかげで読み終えるのが寂しくなった。

もっと勉強してみたいが、まずは再読か。



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2025年09月12日

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この類の本を読んだのは初めて
時折、読みながらウトウト(笑)
「寝ながら読む」みたいになってた。

けど、読み切ったのは
「うわ、確かに、そうかも」ってこの語彙だけをもって、読めるくらい例え話をしてくれてるからかな。


尊敬する人とか、逆に苦手意識のある相手...世の中は自分とピッタリ合う人は居ないから、色んな感情になって人疲れすると思う。
でも、構造主義の中で捉えると、「そんなもんか」と広い視野で見ることができるなと思った。

だから印象に残ったところは↓
物事の考え方の幅を広げてくれたところだと思う。


そんな印象深いところは
① バルト
「語法」→「エクリチュール」
「教師のエクリチュール」は説教臭く、高飛車な人間になる。言葉づかいは、その人の生き方全体を密かに統御している

② 言語を語るとき、私たちは必ず、記号を「使いすぎるか」「使い足りない」のどちらか。「言おうとしたこと」が声にならず、「言うつもりなかったこと」な漏れ出てしまう。それが人間が言語を用いるときの宿命

③ 過去の思い出を話すのは、聞き手に自分が何者か、知ってもらい理解してもらい、承認してもらうことができそうだと、希望が点火したから。その文脈で語られた「自分が何ものであるか」の告白は、「自分が何ものであると思って欲しいか」のバイアスが強くかかっている

④ フロイト
精神分析の使命は「真相の究明」ではなく「症候の寛解」

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2025年07月29日

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構造主義が出てくるまでの流れとフーコー、ロラン、レヴィストロース、ラカンを個別に。全体的な流れ抑えるだけかと思ったら、案外いい塩梅で1人1人の研究も俯瞰していくので、取り上げられてる構造主義者の学びはじめとしてもいいかもしれない。あと、存外まえがきが面白い。

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2025年06月30日

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例えばなにか、くよくよと考えている事があったとき。
自分ではうまく言葉にできていない「こういうこと」を、とっくに昔の人は、言葉にして名前をつけて、うまく説明しているのだろうな、と思うことが、しばしばあるのですが。自分にとってこの本はその、とっくに昔の人は~ をだいぶんまとめて解説してくれる一冊でありました。
構造主義と言う現代思想について、その代表的な論者の説を、平易、と言うか、まるめておおらかに「だいたいこんなかんじ」と言うような語り口で説明していく一冊。この「だいたいこんなかんじ」感が大変な持ち味で、あとがきで三行くらいで全部まとめてたのにはひっくり返りそうになりました。
二十年くらい前に出た本ですが、二十年くらい前に読みたかった本であります。

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2025年06月17日

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極力分かりやすく説明しようとされていますが「寝ながら」は学べないですね(笑)
そんな簡単ではない。なんとなく分かった気になるには便利な本だと思います。

ちなみに構造主義者としてフーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンが登場してきますが、フーコーとラカンは構造主義なのか?
フーコーは違うと思う。ポスト構造主義じゃないの?ラカンは前期だと構造主義的なところがあるけど後期は否定しているんじゃなかったっけ?

ちょっとこの本ではフーコーの部分が特に分かりにくかったし私自身ほとんど理解出来ていないので別の本で改めて勉強しようと思います。

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2026年01月26日

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正直全然寝ながら学べませんでした!笑
各論?は理解できるけれど、その上でつまり?が分からなかった。常に今のこの話はどう繋がっているのだろう?という疑問のもとにあり。。
わたしの理解力のせいな気もします。読みやすいのですが、構造主義とは、を理解できたとは言えない気がします…。ただ、読みやすいのと入門書であることは間違いないです。うーん、あと2,3周すれば掴めるのだろうか。

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2025年12月27日

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・山形浩生の「翻訳者の全技術」を読んで、そういえば構造主義ってたまに聞くけどなんだろう…と思って買ってみた。人生初の内田樹。(たつるって読むんですね…人文系学生だったのにずっと勘違いしてた)
市民講座の講義ノートが元。

・文章がわかりやすく無駄がなく、若干ユーモラスな箇所もあって読みやすい。

ある程度の知識は必要。マルクスやニーチェは高校で名前だけ、ソシュールは大学で少しだけやったから何となく分かってるけど、何も知らない状態で読んだら挫折するかも。

・ある考え方を伝え、そのあと歴史その他のエピソードを例にして説明するというスタイルだが、それはあくまで作者の理解であって、例の正当性は担保されてなくないか。(後書きを読んだら編集者の意向らしい)
後書きに「各思想家の専門の研究者ではないのでご了承ください」とあって横転。謙遜と思っておく。

・後半、各思想家の説明に終始し、構造主義とは結局なんなのか?に対する疑問に答えていない気がする。だいぶ失速した感。

・家族構造や精神の成長を「父」で説明しようとするレヴィ・ストロースやラカンの思想に全く共感できない。21世紀の日本で「贈与」とか「女のコミュニケーション」という考え方はぴんとこない。

構造主義的に考えれば、「私はイエに囚われずに自由に結婚して生きている」という感性自体、今の時代のイデオロギーに影響されているだけで、本当は人間社会はずっと「贈与」の仕組みに沿っているし、人は精神において父的な存在を意識することで大人になってきたのか。

ここのところに疑問を覚える人はいないのか。その辺書いた本があれば読んでみたい。

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2025年10月25日

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各章ごとに具体例が書いてあって
素人の私でも感覚的に掴める感じ。

三宅香帆さんが評論の時の参考書籍として
紹介していた本。

個人的に気になったのは
エディプスコンプレックスと言われる
父性との葛藤ってやつは、
人が社会に出てからもあるのかもと思った。
仕事はできるようになっても、
人の育成とか人間関係の悩みとかで
鼻をくじかれてこんな感じになる。

引用するとラカンについて述べた文章で
「おのれの無力と無能を「父」による威嚇的介入の結果として説明することです」

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2025年10月07日

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本書の冒頭に書かれていますが、
現代は「ポスト構造主義」なんだそうです。
それは、構造主義の次に来た時代という意味ではありますが、
構造主義が終わった時代ではないと内田さんは言います。
構造主義の物の見方や考え方があまりに深く我々の生活に浸透した時代のことを
言っているんじゃないのか、と言います。
しかし、そう言われても、構造主義と聞いてピンときません。
というわけで、構造主義を平易な文章で説明してくれているのがこの本です。

まず、構造主義を支えた前史的なものとして、マルクス、フロイト、ニーチェについて。
それから、構造主義の始祖とも言われる、言語学者のソシュールについて。
最後に、構造主義の四銃士として、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンについて
見ていくことで、構造主義を学ぶ形になっています。

マルクスとラカンのところが、ちょっと集中力が切れたせいか、あるいは難しかったせいか、
よくわかりませんでしたが、その他のところは興味深かったです。
また、ニーチェのいう、大衆を罵倒した言い方、
「畜群」という蔑んだいいかたが印象に残りました。
そこまでバカが嫌いなのかという。
確かに、僕も畜群にはなりたくないですが。
で、現代において畜群はなくなったかというと、実はある意味で畜群だらけじゃないですか…、
特にネット上なんかは…。

やっぱりね、こういう勉強はした方が良いんだよなぁと思いましたね。
大学の講義を受けているような感覚で読める本です。

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2025年06月22日

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