Posted by ブクログ
2012年12月23日
とても奥が深い対談本。
内田さんの『疲れすぎて眠れぬ夜のために』のなかで既に光岡英稔さんの名前が出ていた。
光岡さんは1972年生まれとお若いのに、この空間からはもはや超越されている。
私は数値や目で見えるものでは説明できないような、
感覚的、時間的な話題に対しては感受性が高いので
光岡さんが仰っ...続きを読むているような
「輪廻とは『そうなってるね』と言われたら、『うん、そうだね』と言えるくらいのもの」
というのに腑に落ちて、この本に対して
「うん、そうだね」と言いたい。
印象的な場面をいくつか。
内田さんが「『何となくそう思う』とか・・・どうしてそう判断したのかわからないけれどそう判断したという直感が本来は社会制度の基盤になっていたはず・・・。知識はその土台の上に、『どうしてそう判断したのか』を説明するために展開したもの・・・」とした後で、光岡さんが
「感覚しか一寸先を読むものはないわけです。」と未来の抽象性について語られているところ。
韓氏意挙の稽古について、光岡さん
「自分の在り方をいかに把握するか、・・・現実にそうであるところを『なぜそうなっているのか』と問うてみる。」
「人間は基本的に寂しがり屋で、その寂しさと向きあったときに、他者との関係を求め始め、そこで社会性が出てきます。・・・一方で・・・自分がこの世に生を享け、またこの世から去っていくときは、ひとりだということです。・・・他者との共有は『自分が何者であるか』を知っていくためのもの。・・・唯我独尊であることを学んでいく。そのためのひとり稽古も大事です。対人稽古との双方が必要だと思います。」
「自分をよりよく知っていくことです。」
光岡さんの「おわりに」より
「人間は自分たちでつくった社会という枠組みの中で共同幻想を生きている。だから国土を広げ、利権を得ようとし、・・・それは幻想の中での利権、拡張、発達、進化に過ぎない。・・・私たちが世を去るとき、それらを何ひとつとして持って行けないことが、その幻想性を物語っているだろう。自然から提示される避けて通れない現実はシビアである。」
対談のなかで内田さんが
「うーん、むずかしいなあ。」と仰っているところ。
内田さんの器の大きさを感じ、ますます好印象を受けた。