内田樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
最近本当に「大人」が減ってしまったように思う。
そんなことを考えていたら、本書に出会った。
大人について考えるところから始まって、どんどん派生していく。
本当に大人のいない国になってしまっては、困る。
今の日本は、システムが優れているため大人でなくても上手く回ってしまうというような記述があったが、確かにハードがしっかりしている分、ソフトはいまいちでもやっていけるところがあるのかもしれない。
社会環境に左右されないように、家庭や地域など小さなコミュニティで大人を育む必要があるのだろう。
成熟するためには、どうしたらいいのだろうか。
まず、自分が未成熟であることに気付くこと、そして成熟を目指して努力すること。
その努力には読書も含まれる。
様々な本を読むことで、知性が磨かれていくと思う。
少し雑に読んでしまったので、再読したいと思う。 -
Posted by ブクログ
著者が1990年から21年間勤めた神戸女学院大学における伝説の「最終講義」はじめ、7つの講演を収めたのが本書。
私は割と熱心な内田樹ファンで著書もかなり持っていますが、調べると「ウチダ本」を読むのは実に1年2か月ぶりでした。
しばらく追い掛けていましたが、発刊ペースが速すぎてついていけなくなったのですね笑。
それだけ多作な方です。
私がウチダ本を読む理由はただ一つ。
知的に負荷をかけたいからです。
自説を補強するような読書には興味がありません。
どこかで聞いたような話をわざわざ本で読みたいとも思いません。
極端なことを云うと、そこに書かれていることが正しいか正しくないかにも然したる関心はないのです。
私は、一部の方たちがどうしてそこまで書物の内容の「正しさ」に過剰にこだわるのか、実は理解できないのです。
読書の愉しみのそのぎりぎりの勘所を述べよと云われれば、やはり心が揺さぶられることではないでしょうか。
せっかく読書をするのだから、こちらの先入観を見事に覆し、期待を大胆に裏切って、新たな地平へと運び去って欲しい。
そんな欲求を満たしてくれる数少ない書き手の一人が内田先生です。
えーと、前置きが長くなりました。
本書の読みどころのひとつは、「教育論」でしょう。
ご存知の通り、1984年の臨教審以降、教育改革が叫ばれて久しいわけですが、近年は特に経済界の要請が教育現場に色濃く反映されるようになりました。
経済界の要請とは何か。
端的に云えば、「集客力のあるクライアントに魅力ある教育プログラムを提出するのが学校の責務でしょ」ということです。
これに対して、内田先生は明快に「否」と云います。
「市場のニーズに追随して大学が次々と教育プログラムを変えてゆくと何が起こるか。簡単ですね。日本中の学校が全部同じになるということです」
市場のニーズに対応する大学は一見、アクティビティ(能動性)が高く見えますが、実は「市場のニーズに対してつねに遅れている」。
つまり、アクティビティが高いわけではなく、パッシビティ(受動性)が高いと著者は喝破します。
教育はニーズがあって提供されるものではなく、まず教える側が旗印を高く掲げ、そこで学びたいという者を創り出すものであるべきというのですね。
ほら、凡百の評論家とはひと味もふた味も違うでしょう?
第5稿「教育に等価交換はいらない」は、ビジネスマインドがいかに教育分野に馴染まないかを情理を尽くして教えてくれます。
長いですが引用します。
「日本人が教育をビジネスのタームで考えるようになった病的な兆候の最たるものは『教育投資』という言葉ですね。(中略)では、教育が投資だとしたら、いったいその投資がもたらす利潤とは何でしょう。みなさんが、ご自分の子どもに教育投資を行う。高い教育を受けさせる。すると、子どもたちの労働市場における流通価値、付加価値が高まる。子どもたちが学校で身につけた知識や技術がやがて労働市場に評価され、高い賃金や地位や威信をもたらした。その総額が投下した教育投資総額を超えた場合に『投資は成功だった』とみなされる。要するに、教育投資の総額と子どもの生涯賃金を比較して、投資額よりも回収額の方が多ければよい、と」
こう読むと、いかに「病的」かが分かろうというものですが、残念ながら私たちにはあまり病識がありません。
教育の最終的なアウトカムは軽量不能であるという著者の言葉を、私たちは虚心に返って噛み締めるべきではないでしょうか。 -
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内田樹著「修行論」
「修行」について書かれた内容ですが、武道のような身体的なことだけでなく、内田先生らしい思想的な面も多く書かれています。
●努力と成果の相関
「努力と成果の相関」を信じて修行すると、人間の身体をシンプルなメカニズムとしてとらえてしまう。
そして「強化」ということを優先的に考えると、どうしても努力と成果の相関を数値的に現認したいという欲望に取り憑かれてしまう。
その例が「ダイエット」である。
「私は私の身体を支配している」という全能感は、きわめて強烈である。
●他者の成長を阻害する理由
相手の成長を阻害したくなる理由として、勝負において「私が強い」ということと「相手が弱い」ということは、実践的には同義であることがあげられる。
そして「私を強める」努力よりも「相手を弱める」ための努力の方が、効果的なのである。
なぜなら「ものを創る」のは難しいし、手間暇がかかるが、「ものを壊す」のは容易であり、かつ一瞬の仕事である。
だから相対的な優劣、強弱、勝敗に固執すると、人は無意識のうちに、同じ道を進む修行者たちの成長を阻害するようになる。
●「生きる力」を中心に
生命活動の中心にあるのは自我ではなく、「生きる力」である。
自我も実存も直観もテオリアも超越的主観性も、生命活動の中心に座することはできない。
内田先生の文章は痛快ながらも、日々感じる「モヤッ」とした現象を、明確で分かりやすい言葉で表現してくれるなあと思います。
時々自分に刺さる痛い言葉もあるのですが、それで目から鱗がボロっと落ちることも多く、これからも読み続けたい作家さんです。 -
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神戸女学院大学を退官した内田樹教授の講演録である。
なかなか面白い評論をする人なので本屋で見かけた際に購入した。
7つの講演録が載っておりどれも独特な視点で興味深い内容だった。
教育の考え方についてはとくに考えさせられる。教える方はいつも与えているように思えるが、実は受け身で、教えを請いに来る人がいなければ教育は成り立たない。
そして学ぶ側が求めなければ知識を得る以外の何も起こらず、本当の教育にはならないというわけで、教育とは決して知識の商品ではないと言うことがよくわかる。
また、北方領土の問題でアメリカがロシアに干渉しないのは、北方領土をロシアが返せばロシアはアメリカが沖縄から撤退するように要求しアメリカにとっては不利になるからだなど、なるほどと思われる視点もあって、7つの講演内容は多岐にわたり面白かった。ちなみに、専門がフランス現代思想だというのだから面白い。 -
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内田先生の舌鋒鋭いのには慣れているが、白井さんも「はじめに」から鋭く、ワクワクしながら読み始めた。
”上は内閣総理大臣から下はヘイトスピーチの市民活動家に至るまで、郷土への愛着は何ら感じられない一方、幼稚な戦争趣味と他国民への攻撃性だけが突出した悪性のナショナリストたちが、愛国主義の旗印を独占しています。” 7ページ
”シェイクスピアの『リヤ王』の中の台詞に「今は末世だ、キチガイが目くらの手を引く」(福田恒存訳)という言葉があります。” 9ページ
『リヤ王』にこんなセリフあったんだ。
『永続敗戦論』は衝撃的だった。白井さんの今後のお仕事、研究に注目していきたい。きっと、目を開かせてくれるだろう、何度でも。