内田樹のレビュー一覧
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今年初の「ウチダ本」。
社会にうごめく「邪悪なもの」とどう対峙するかを縦横に語り尽くしています。
何の異論があるものか。
例によって蒙を啓かれました。
時間がないのでひとつだけご紹介。
「被害者の呪い」についてです。
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「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型でしかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。(P93)
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ドキッとした方は要注意。
私は「戒め」と受け取りました。
ね? 面白いでしょ? -
Posted by ブクログ
邪悪なもの=震災、コピーキャット犯罪、暴力とか。それまでの自分の知識やスキルじゃ立ち向かえないものに遭遇した時にどのような考え方をすれば生存率が上がるか。大雑把にいえばそういう知恵が詰め込まれている本。
「呪いのナラティブ」は本当にそうだよ。他人の足を引っ張って相対的に自分の地位を上げようという、そういうことが自分の幸福の指数にカウントされているような世の中は本当にいやだなあと感じていました。
「内向きで何か問題でも?」の章もそうだよなぁと。
別に悪くないっていうかむしろそのほうがいいし。
ひとつこの本で一番印象に残った文章を書いておく。
「妥協」において他者と「妥協」しているのは、「存在していない私」である。「(すべてが100%うまくいった場合に)そうなるはずであった私」「そうなるといいなと思っていた私」を「それこそが現実の私」であると強弁することではじめて「妥協」という考えは成立する。 -
Posted by ブクログ
著者の本は、これまでにも何冊か読み、ときおり
ブログなども追っていた…新刊を見たくて、書店へゆくと
ビニルがかかっていて、特定秘密保護法に関する
号外冊子がついてる! 単行本では珍しいこと!
本書は、2011年から2013年にかけての政治関連の
論説を編集したもの…内容は多岐にわたり、
「ほぉ!」と思ったところに付箋を入れていたら、
数十枚に及んでしまった…まさに…目からうろこの一冊。
たとえば、2012年8月の消費増税法案に関して
次のように語る…要旨がわかるように抜粋すると…
―法人税を下げ、賃金を下げ、公害規制を緩和し、
原発を稼働させ、インフラを整備すべしというのが
当今の「リアリスト」たちの言い分である。
―「『選択と集中』だよ。国際競争力のないやつらは
マーケットから退場する。それがフェアネスだ」と
豪語するであろう。
―(しかし)自主的にマーケットから撤収する人々が
出てくる可能性を彼らは勘定に入れていない。
こうした言説からボクは、自らを浅薄卑小と思いつつ、
生活者として、お金にかえられない喜びは、
お金をかけなくても得られるもの…と再認識したのです。
生活の喜びにつながる営為は不断に続けてゆきたい…と。 -
Posted by ブクログ
へえ〜、マルクスを誤解(=誤理解)していたなぁ、と思うことと、何かを分析し理解しようとすることそのものの意味を誤解(=理解不足)していたなぁ、というのが感想。
一番驚いたのは、共産主義社会という理想像があり、そこを目指すのが革命ではない、という指摘。
確かに、マルクスは「空想的社会主義」とは異なる「科学的社会主義」と言っていたんだった。
「つまり共産主義は、理想の国(ユートピア)の手前勝手な設計図から生まれるものではなく、資本主義がもつ問題をひとつひとつ解決していったその先に、結果として形をさだめるものとなる」(p.179)
著者の一人が内田樹氏なので、正統なマルクス研究者は眉をひそめるかもしれないけど、以下のくだりは一顧に値すると思う。
(引用者注:共著者の石川氏と必ずしも同じ意見ではない、と述べて)「ぼくはここまで書いてきてわかったんですけれど、ぼくたちは若い人に『政治について礼儀正しく語る』という、今の日本ではたぶん誰も推奨していないことのたいせつさを知ってほしいと思って書いているんじゃないですかね。対話におけるディセンシー(礼儀正しさ)はしばしばそこで交わされている意見の当否や命題の真偽よりも重要である、と。」(p.142) -
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かつて盲信的なハードロック少年だった私にとって、アメリカの原初的なイメージは「ハードロック王国」です。
私がハマったのはモトリー・クルー、ガンズアンドローゼズ、メタリカ、ハードロックではないですがレニー・クラヴィッツほかいろいろ。
日本人が逆立ちしたってかなわないハードロック王国。
もちろん、軍事力も経済力も超一流。こんなことは自明過ぎて、誰も言わないほどに強大な国、アメリカ。特に冷戦終結後は、史上に冠絶する超大国として世界に君臨しました。
「しました」と過去形で書いたのは、近年の凋落ぶりが著しいからですね。
自動車の都・デトロイトの財政破綻に象徴されるように自動車産業の衰退は著しいですし、財政面でも機能不全が目立っています。良くも悪くも中国の存在感が増すことで相対的に国際的地位は低下しているのが現状ではないでしょうか。
国力が減退してくると、それまで目立たなかった負の部分が露わになってくるもの。
「この国、本当に大丈夫か?」と私が割と真剣に心配し始めたのは、堤未果著「ルポ貧困大国アメリカ」(岩波新書)を読んで以降ですから、5年前ですか。
それまでわが国の「宗主国」であるアメリカの病的な実相を正面から取り上げた著作は珍しかったですから(だからこそあれだけ売れたのでしょう)、注目して読みました。
こういう本が出版されて受け入れられること自体、アメリカという国の没落を物語っているような気がします。日本人にアメリカに対する疑念が芽生えていたのでしょう。
読後の私の率直な感想は「あ、やっぱり、おかしい、この国」でした。
でも、アメリカって、そもそもどんな国なのだろう。私は今まで真剣に考えたことはありませんでした。
その疑問に明快に答えてくれるのが本書です(前置きが長くなりました)。
大著「アメリカにおけるデモクラシーについて」を170年前に著したアレクシス・ド・トクヴィルを援用しながら、アメリカという国の本質をむき出しにします。
アメリカがかくも好戦的なのは何ゆえか。内田先生はアメリカの歴史を紐解きながら、「戦争しないことよりも戦争に勝つことの方が同盟者を増やすうえでは効率的である」(P130)というアメリカ人が採用しているロジックを摘出してみせます。
アンドリュー・ジャクソンやジョージ・W・ブッシュなど、しばしば無能な大統領を選んでしまうのは、「アメリカの建国の父たちは、『アメリカが今よりよい国になる』ための制度を整備することより、『アメリカが今より悪い国にならない』ための制度を整備することに腐心したからです。(中略)建国の父たちは『多数の愚者が支配するシステム』の方が『少数の賢者が支配するシステム』よりもアメリカ建国時の初期条件を保持し続けるためには有効であろうと判断したのです」(P117~118)などという指摘には膝を打ちました。
アメリカ人が、「指を切り落とすとか、角を生やすとか、猫になってひげを生やすとか、蛇になって舌を真ん中からスプリットタンにしちゃう」(P198)など、常識的な日本人には理解できない奇行に及ぶのは、「身体を道具」だと考えているから。ワークアウトに熱心なのも、ドーピングへの抵抗が希薄なのも「身体を道具」だと信じて疑わないからでしょう。
困ったものです。
アメリカの政治、文化、社会構造に対して全編、辛辣な批判を加えていますが、どれも説得力に富んでいて頷けます。
しかも、どうして私がこれまでアメリカという国の本質について考えてこなかったのか、その理由まで明らかにしてくれます。最後の最後、「文庫版のためのあとがき」にはこう書かれています。
「その理由はやはり先の大戦での敗戦経験があまりに壊滅的だったからでしょう。あまりに徹底的に敗北したために、日本人は眼を上げて相手を見つめることさえできなくなってしまった」(P271)
アメリカを理解しようとしなかったのは、どうやら私だけではなさそうで安心しました。
本邦の指導層にもぜひ読んでほしい1冊です。そして問うてみたい。「本当にこの国についていって大丈夫ですか?」と。