あらすじ
イマドキの暮らしに霊なんて関係ない? いいえ、人間の営みと“スピリチュアル”は切っても切れないものなんです。タブー、占い、カルトと霊のつながりとは。新宗教から靖國まで現代における宗教の役割とは何か。霊的であることは、畏れを知ること――内田氏と釈氏の掛け合いがグルービーな面白すぎる宗教漫談! (講談社文庫)
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Posted by ブクログ
現代の「霊性」について語る対談集。
既存の宗教から、新宗教、カルトまで、かなり幅広く網羅されていて、かなり面白かった。
現代の「スピリチュアル」は自己変容や神秘主義を重んじ、なおかつ「メタ宗教・宗教の源泉」として宗教よりも上位に位置づけることが多い、等、興味深い指摘が多かった。
Posted by ブクログ
面白かった。
真に宗教的な人間は宗教団体から勧誘は受けないそうである。
宗教的であっても宗教団体に属せない人間がスピリチュアルに行くというのは本当だと思う。
村上春樹氏が世界中で読まれていることにちょっと触れて、世界文学になるような作品は「どうすればいいかわからないときに、どうすればいいか」という難問を扱っている・・とのこと。
へーそうなの!と単純に驚いたが、そういえばそうかな?
御二方の闊達な考察に刺激を受ける。
靖国神社の問題も、もう少し自分の中で整理してみたい。
(本当は日本のマスコミが、毎年騒ぎたてるからややこしいことになっただけだと思うけど。)
Posted by ブクログ
いや~面白かった。
今まで対談の類はたくさん読んできたけど、これほど対談の素晴らしさを伝えている本はないような気がする。
内田氏に関してはすごいことは知っている。ただ、今回の発見は相手役の釈氏である。ここまで内田氏相手に話せる人はいないんじゃないか。
だいたい内田氏がらみの対談を読むと、ほぼみんな相手の人は内田氏のフィールドに引き込まれていく。相手の専門について話をしていても内田氏のロジックとマジックにつられてしまうのである。
しかしこの釈氏は違った。もちろんこの対談のテーマが釈氏にとってはど真ん中ストライクのテーマだということもあろうが、内田ワールドにひきづられながらも、釈ワールドをしっかり提示しているのである。
内田氏相手に「言ってること全然わかんないな~」みたいなことを言ってるところがあったけど、そんなこといえるのもこの人くらいなんじゃないかな~。
Posted by ブクログ
題名とはやや違ったニュアンスの内容となっており、宗教の本質とは何かということが対談によって議論がなされている。
本書においては、特に内田氏の議論においては、論理的であることが非常に強調されている。私自身論理的であろうと心がけている積りではあるが、まだまだ甘いということを思い知らせる、大変参考になる内容であった。
政治家の靖国神社参拝論については、大筋は私の考えてとほぼ同じであったが、論理構成の鋭さに感心した。
Posted by ブクログ
ところで名前を付けることは、ある意味呪いをかけるのと同じだそうです。人名も襲名も役職も地名も。
名付けはその名の意味に縛られることでもあり、実際それに悩まされるケースは少なくない。そういえば名前を書かれた人間が死ぬというデスノートってマンガがあったな。あれはだんだんルールが追加されてきて、それはそれで面白かったが、複雑になりすぎて理解するのにとても苦労した記憶があります。えっとなんの話だっけ。
内田樹もそうだけどこういう思想家の話や哲学の本でいつも思うのは、ものごとの初期設定を疑ってかかるところに快感を覚える。
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大学の授業の書籍化とあって、二人の熱いトークのドライブ感が気持ちよい。
人の営みや政治・経済、歴史と深く関わる宗教の存在感が目の前に広がってくる。
Posted by ブクログ
現代霊性論
内田樹25冊目
霊性というものが科学的なものかどうかは一旦“判断を停止”して、人々に現象として与えている影響等を分析する現象学的なアプローチから、宗教や共同体の慣習について論議している。死に対する態度というものは往々にして世界でも普遍的な要素が多く、面白い。
・墓について:西洋では身心二元論が一般的であるが、アジアでも儒教では身心二元論的な考え方をしていて、死後も魂のよりどころとして位牌が作られる文化があった。それが日本に通じて、墓が作られる。場が持つエネルギーについても面白い。繁華街というものはもともと霊的なエネルギーが強すぎる為、人が住まないことを理由に市場としての役割を与えられたところ。また、河原も元は死体の集積所であったために霊的エネルギーは強い。
・名づけることは呪うこと。これは面白い。名前を付けるという行為が、縛りをもたらす効果について。確かに「何々病」とつけると途端にそのような症状が出てくることはよくある。寝ながら学べる構造主義でのソシュールの項では、西洋には「肩がこる」という言葉が存在しないため、肩がこらないという話があったが、その話もこの類だろう。また、明治時代に苗字帯刀というムーブメントがあったが、これは今まで個人としての名前が重要視されなかった村社会から、国家と一対一対応の紐帯(ある種の呪い)が結ばれた瞬間であるという。さらな、かつて名前を他人に知られることを忌む文化があり、官職や地名で呼ぶことが多かったのも、名前を知られると呪いをかけられるという通念からである。漫画デスノートも「名前を書かれたら死ぬ」ノートであり、本質的には呪いである。
・宗教ブームの構造分析だが、オウム真理教は内部に整然としたヒエラルキーを作ったことによって、「表」の社会で思うように昇進できない人々を包摂した。信者は徐々に上がっていくランクに満足感を抱き、そちらに嵌まっていく。ラーメン二郎を愛好する人々には宗教的なまでに厳格なルール(早く、無言で食べることや残さないこと)があるが、「表」の世界ではデブ等の罵声を浴びる人が、ジロリアン内で共有される価値観では奨励され、二郎の世界に嵌まっていくのかもしれない(単純にうまいというのも理由だが)
Posted by ブクログ
宗教だとか霊性だとかっていうのはよくわからないけど、どっかでいろんな大切なこととつながっているんやろうなぁ、ということを思った。
このお二人が本書のなかでしゃべっていることも、人間にとってとても大切な作法のはず、なんやと思う。
Posted by ブクログ
むらいさんにお借りしました。内田先生と浄土真宗のお坊さん・釈徹宗さんが大学で行った講義を本にしたもの。
霊性、スピリチュアリティというのをキーワードに、現代の各宗教について、日常にある占いや「いただきます」といった行為が持つ宗教的(霊的?)意味について考察。靖国とか、オウムとか、話題が幅広。現代宗教の体系図も。おもしろいです。
印象に残ったのは・・・
・「賢しらに」宗教性を否定することの憎たらしさ(「無宗教葬」の傲慢さ、六曜入りカレンダーと安息日としての日曜日、女人禁制の山と性同一性障害)
・「自分」「自己」が確立するほど幸せを感じづらくなる
・いったん自己を潰す方法
・イヤホンは都会で暮らしていく上であえて感覚を鈍らせるツール
(さわ)
Posted by ブクログ
宗教のことをリラックスして語った本。占いも宗教なんだな〜。自然豊かな学内寮で暮らす学生は感覚回路が全開になる→自分が山登りしてる時の感覚と同じだと思った。名歯科医の話も、現在自分が歯科通いなので、なるほどな〜と感心。
Posted by ブクログ
おもに、宗教現象を社会学的観点から、分かりやすく論じている。科学の進歩に合わせて、宗教をあらためて問い直す行為が求められているのでは。膨大な論及の歴史の見直し。
Posted by ブクログ
WHOが霊性を憲章に盛り込んだ的な話は良く目にしてたけど、結局欧米の反対で否決されたっていう後日談は知らなかった。
あとポリティカルコレクトネス的な葬儀場でのお清め塩配布無しの配慮に内田が怒ってたのに対して、浄土真宗の釈がむしろ、浄土真宗も死は穢れではないという本来の仏教の立場から塩はやめましょうとな立場という話を持ち出した所が面白かった。
Posted by ブクログ
全体的に興味深く読めました。
従来の宗教と新興宗教の考え方の違いやら、スピリチュアル系列の思想団体とか、わかりやすく話されていますね。
思想家の方がちょっと自分の意見を押しつけ気味なところがありますが、ま、それが思想家ってことでしょうか。
住職さんの方の話とバランスをとりながら読んで、何とか中立って感じ。
新興宗教とかにはしるぐらいなら、こっちを読んだ方がずっと宗教的に考えられるようになるんじゃないかな。