【感想・ネタバレ】こんな日本でよかったね 構造主義的日本論のレビュー

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Posted by ブクログ 2013年05月05日

内田樹の本は結構読んでいるけど、どれもクオリティのアベレージが高い。

前々から思ってたことだけど、この人の本は読みやすい。結構難解なことを言ってたりすることもあるんだけど、それでも読みやすい。

その答えがこの本に書いてあった。というのも、結局この内田樹という人が心地の良い文章を書いているからだ。...続きを読む

もちろん自分が作文の名手であるというような自画自賛はしていないんだけど、そういったことが暗に示されている。

この人は語彙力も豊富で、硬軟多彩な語を使い分けている。それでいて、その語彙の選択が間違いないのである。これはこの人の読書量の豊富さと共に、センスのよさを物語っている。

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Posted by ブクログ 2012年09月09日

サブタイトルにあるとおり「構造主義」的な観点から日本の問題(とされている)格差社会、少子化問題、言葉の力、社保庁問題などを考察している。

少子化問題については本当にその通りだと思う。
減っても全然問題ない。

少子化は「問題」ではなく一種の「解答」である。

格差社会についてもすごくすっきりとした...続きを読む良い捕らえ方を知ることが出来た。

「格差社会というのは、格差が拡大し、固定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないか。」

あとは「親族の基本構造」が面白かった。
フェミニストと男女の「価値」にまで言及できる。
レヴィ=ストロース読もう。

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Posted by ブクログ 2012年06月19日

いつものように、内田さんのおもしろい視点で家族、教育、日本などの話題について語られている。
むずかしい部分と読みやすい部分がある。前半一〇〇ページくらいはかなりむずかしかった。
内田さんの著書の内容は多岐に渡るので、一冊読んで文字通りぜんぶ頭に入れるということはなかなかできないのですが、自分はこの人...続きを読むの考えにかなり影響されているんやろうなあとめちゃくちゃ感じます。

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Posted by ブクログ 2012年01月15日

あーおもしろかった。

○人間は機嫌よく仕事をしている人の隣にいると自分も機嫌よく何かをしたくなるものである。
○人生はミスマッチである。…それでも結構幸福に生きることができる。
○こだわらない、よく笑う、いじけない
○夢を達成できるかは、自分の将来の こうなったらいいな状態 についてどれだ...続きを読むけ多くの可能性を列挙できたかにかかっている。

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Posted by ブクログ 2010年07月01日

本書を読んでも、決して構造主義の知識はつきません。
でも知識よりもっと大切な 構造主義的な考え方を知る事ができると思います。

現在は、物事を単純化して断定的に語る人が指示される時代かも知れません。

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Posted by ブクログ 2009年10月17日

内田樹氏のエッセー集。どれを読んでも「外れ」が無いのが内田氏の書籍だと信じているが、本書はそのほとんどのエッセイが内田氏本人のブログ「内田樹の研究室」からの抜粋。どこからでも読み始めることができる・・・

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Posted by ブクログ 2023年08月30日

pp.24-5
発話の起点は、発話の起点にあるのではなく、発話が終わった後に訴求的に定位される以外には存在しないものなのである。
……
発話主体がまず存在して、それが何かを発語するわけではない。発話主体は発話という行為の事後的効果なのである。
……
「言いたいこと」は「言葉」のあと存在し始める。...続きを読む「私」は、「私が発した言葉」の事後的効果として存在し始める。

p.155
人生はミスマッチである。
私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。
それでも結構幸福に生きることができる。

pp272
愚かしい幻想が合理的な分析よりも強い力を持つことがある。そして、「本当のリアリスト」は、この「愚かしい幻想」の持つ政治的なポテンシャルを決して過小評価しない。「愚かしい幻想」を鼻で笑うのは「三流のリアリスト」 だけである。
例えば、マルクスはそういう意味で「本当のリアリスト」だったと私は思う。マルクスは「幻想」の力について、次のようなみごとな文章を書き起こしている。
(以下『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』からの引用)

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年01月15日

普段頭を使わないので、フル回転できた。
書かれたのは少し前なので、今とは違うこともあるけれど、今にも通じることが多々。
リセットしたくなるのは分かるけど、現実的じゃない。でも、何もかも捨ててそうしたくなるよなあー。

・タイプの違う二つのロールモデルがいないと人間は成熟できない。(p.62)
・「誰...続きを読むの責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方途はないと私は思う。(p.178)
・「強い個体」とは「礼儀正しい個体」である。(p.183)

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Posted by ブクログ 2020年01月02日

内田樹のエッセイをまとめた本。日本の様々な問題点について独自の視点で意見を述べていますが、いろんなメディアに書いたエッセイであるため、一貫性があまりない。読んでいるととても面白いし、分かりやすいけれども、あまり記憶に残らない感じ。

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Posted by ブクログ 2018年07月12日

買い置きしていたが、濡れかかっていたので急きょ読み通す。この人の本、やはり面白い。 2000年代の空気感がよくわかる。

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Posted by ブクログ 2017年10月25日

仕事の合間時間にたまに手に取って読み進めたから、正直内容はあまり覚えていないのです(苦笑)。でもいつも通りの論調だったと思うし、何といっても最後にまんまそのもの、その後一冊の新書に発展する「日本辺境論」の章が収録されているのがその証左。定期的にコンスタントにその著作を読んで、その度に襟を正される作家...続きを読むです。

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Posted by ブクログ 2015年06月26日

戦後の言論空間は「自由」については論じられたが、遂に「責任の所在」については論じられることはなかった。
蟻の穴を塞ぎ、洪水を防ぐローカルな責任論は良い。

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Posted by ブクログ 2015年04月07日

皮肉で付けられたであろうタイトルだけれど、こんな日本でよかったかもしれないと思ってしまった。
何年も前の文章であるのに、全く古く感じない。
知的な人間として生きたいな。

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Posted by ブクログ 2014年03月15日

2003〜2008年にかけて起こった出来事に対して、内田先生がどう捉えたかブログに掲載した内容を編集したもの。当時こんなことがあったな〜と振り返りながら教育や家族の在り方について考えさせられました。少し前のトピックとはいえ、現在にも繋がる問題ばかりで興味深かったです。

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Posted by ブクログ 2013年01月14日

おむつとコミュニケーションの話や教育の問題は責任の所在が曖昧になったことにあるといった話や思考と言葉の関係など、興味深い内容も多かった。

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Posted by ブクログ 2012年07月16日

働かないことが「労働」である根拠として、他人が存在する不快に耐えることを「貨幣」としているという洞察がしっくりきた。ゆとり世代の自分にも経済的価値観の一つとして体内に流れていることは間違いない。

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Posted by ブクログ 2012年05月01日

例によって、なるほどと納得する快感を味わった。線を引いた箇所の抜き書きだけ読み返すと、普通のことしか言っていないみたいですが、そこにもっていく展開に説得力があり、エンタメ的サービス精神にもあふれています。以下、ページ数はすべてバジリコ刊の単行本のページ数。

「格差社会」というのは、格差が拡大し、固...続きを読む定化した社会というよりはむしろ、金の全能性が過大評価されたせいで人間を序列化する基準として金以外のものさしがなくなった社会のことではないのか。(111ページ)

法規と現実のあいだに齟齬があるときには、「事情のわかった大人」が弾力的に法規を解釈することは決して悪いことではない(中略)
 だが、「超法規的措置」とか「弾力的運用」ということがぎりぎり成り立つのは、それが事件化した場合には、「言い出したのは私ですから、私が責任を取ります」と固有名において引き受ける人間がいる限りにおいてである。 (157-9ページ)

 誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方法はないと思う。(176ページ)

 社会をよくするには「一気」と「ぼちぼち」の二つしか方法がない。
 私はあらゆる「一気に社会をよくする」プランの倫理性についても、そのようなプランを軽々に口にする人の知的能力に対しても懐疑的である。(256ページ)

人は「愛国心」という言葉を口にした瞬間に、自分と「愛国」の定義を異にする同国人に対する激しい憎しみにとらえられる。
(中略)
そういうお前は愛国者なのか、と訊かれるかもしれないから、もう一度お答えしておく。
そういう話を人前でするのはやめましょう。
現に、愛国心をテーマに書き始めたら、私もまた「愛国心」のありようを私とは異にする同国人に対する罵倒の言葉をつい書き並べ始めているではないか。
愛国心についてぺらぺら語ることは結果的に同国人を愛する動機を損なう。(259-62ページ)

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Posted by ブクログ 2012年01月14日

読み始めてから、この本は読んだことがあったということに気がつく。そんなに多くはないけれども、これまでもない訳ではないという類のことだし、前に読んだこと自体を忘れてしまっているわけなので、内容についても覚えていることは少なく、初めて読むのと別に変わらない。

最初の方に出てくる「言葉の力」というコラム...続きを読むは面白かった。題材は「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」という朝日新聞のコマーシャルコピーだ。日本のテレビを見る機会がほとんどないので、今でもやっているのかどうか知らないけれども、僕が日本にいた時には、テレビコマーシャルでもこのコピーが流れていたと思う。
僕自身は、このコピーに対して、何となく、変な感じ・違和感を持っていたのだけれども、何故、違和感を持つのか分からないでいた。
その違和感の正体を、内田樹が、小田嶋隆のブログからの引用を紹介しながら、あるいは、内田樹自体の言葉で説明してくれている。

小田嶋隆は、このコピーは「微妙に恥ずかしい」と評した上で、その理由を下記のように考えていることを紹介している。
■朝日新聞自体が、言葉の力を信じていないのではないか。「力」を「チカラ」等としているのは、その表れ。
■「感情的で、残酷で、ときに無力」なものを、簡単に信じちゃって良いの?
■言葉を信じることよりも、言葉のうさんくささを自覚して、常に自らを戒めることがジャーナリストの心構えの第一条じゃないの?言葉の「チカラ」を安易に信じるジャーナリストは包丁の切れ味に疑いを持たない板前と同じで、ダメな職人。要するに素人。

更に内田樹は、"「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める"という自説(というか、ラカンの教え)を引いて、朝日新聞のコピーに違和感をとなえている。
朝日新聞のコピーは、「言葉は道具である」という大前提に基づいて出来ているが、本当にそんなこと言っちゃって良いの?ということだ。言語以前にすでに感情があり、他社への害意があり、「言葉」はそれを現実に示すための「道具」に過ぎない。そして、言語の価値は、それが「無力」であるか「有力」であるかの、現実変成の結果によって計量される、ということを朝日新聞は言いたいのですね、それは本当でしょうか?というような異議申立だ。
「私は私が書いている言葉の主人ではない。むしろ言葉が私の主人なの」であり、「言葉の力」とはそれを思い知る経験のことのはずなのに。

たぶん、僕自身の違和感は、朝日新聞のコピーは、「自分達の言葉で世の中を変成し得るし、それをするのがジャーナリストだ」と言っているように感じて、それに対する違和感だったと思う。
だから、小田嶋隆や内田樹の違和感とは中身が微妙に違うのだと思うけれども、でも、小田嶋隆や内田樹が言っていることを、無意識に感じていたのかもしれない。

そういうところが「面白い」と感じた次第。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年08月28日

ブログの内容をテーマごとに編集・加筆されたものだけあって、いろんなテーマが散らばっていて読みづらい部分もあった。しかし、言葉が先にあって意味は後からついてくることやなぜ葬礼を行うかなど、最近自分の中でもやもやしている悩みに対してヒントを与えてくれる箇所がいくつかあって良かったです。

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Posted by ブクログ 2011年03月25日

「こんな日本でよかったね」
このタイトルは小泉首相が構造改革を旗印に
日本を変えようとしている際
それに違和感を覚えてつけたという。
今となってみれば、
小泉構造改革がすべて悪だとは言わないが
ゆり戻しや破たんがあちこちで起きている。
それよりも何よりも日本の赤字問題は
またまた棚上げにされている。...続きを読む
でも、そういった不安感を持ちながらも
「こんな日本でよかったね」という言葉は
今の日本に安堵感をもたらす。
内田先生は構造主義を分かりやすく語る大学の先生。
さてさて、構造主義とは何かを簡単には語れないが
(理解できてないので)
本書からひたすら抜粋。

「私は知っている」ではなく、「私にはよくわからない」から
始まる知性の活動、私はそれが構造主義だと理解しています。

作家は作品のあとにはじめて存在し始めるのである。
モーリス・ブランショ

「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める。

リアルなのは言葉だけである。
言葉の向こうには何もない。
けれども言葉は「言葉の向こう」があるという
仮像をつくりだすことができる。

古代中国社会に濃密に漂い、
リアルに人を撃ち殺すだけの力をもっていた祝能と
それを統率するダイナミックな力をもつ文字についての
物語を読んでいると、私は胸がどきどきしてくるのを感じる。

子どもには先行世代に
「対立する態度を取る同性の成人」が
最低二人は必要だということである。

なぜ、葬礼を行うのか?
理由はひとつしかない。
それは葬礼をしないと死者が
「死なない」からだ。

人生はミスマッチ。
平川克美

レヴィナス老師が私たちに求めたのは
目が覚めるたびに「私は誰でしょう?」と
問いかけるような「知性の次数」の繰り上げである。

コミュニケーション感度の向上を妨げる要因は、
「こだわり・プライド・被害妄想」。
春日武彦

「強い個体」とは「礼儀正しい個体」。

世界を一気に救おうと考えは人間の人間性を損なう。
レヴィナス

「女性的なもの」の本質は「無償の贈与」。

できるだけ今の自分と縁の遠い人間の書いた本を読むこと。

すべての世界史的な大事件や大人物は二度あらわれるものだ。
ヘーゲル

「リセット」の誘惑に日本人は抵抗力がない。

泣くべきときに正しい仕方で泣けること。

構造主義的なものの見方とは、私たちの日常的な現象のうち
類的水準にあるものと、民族誌的水準にあるものを
識別する知的習慣のことである。

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Posted by ブクログ 2013年09月15日

人生はミスマッチ(p151)より
学校の先生がすること:「心身がアクティブであることは、気持ちがいい」とういことを自分自身を素材にして子どもたちに伝えること。
⇒先生ではないけど、職場、家庭でも部下や子供や周囲の人に対して心がけるといい思う。

⇒朝会や日常業務、部内会議でメッセージを発信しよう。

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Posted by ブクログ 2009年12月06日

 この人の「考え方の構造」を考える。

 考え方のテンプレートがある気がする。
 対外考え方を量産できる人は、それなりの、自分なりのテンプレートを持っているもんだ、と考えるからだ。

 気にかかることを、なぜ気にかかるか徹底的に考える。

 ヒントになるフレーズがあったな。

 「親密圏について」の...続きを読む
 私は骨の髄までビジネスマインデッドな人間なので、どのような社会制度についても、「この制度は、いかなる人類学的起源を有するものか、これまでどのような歴史的使命を果たしてきたのか、現状では、どのような点で制度疲労や機能不全を起こしているか、どのへんを補正すれば使いの延ばせるか、どのあたりのタイミングで修理を断念して『新品』に乗り換えるか」というふうな機能主義的な問いのたて方をする

 というところ。

 あ、以降のところは、自分のテンプレートの作り方への考えのまとめなので、「内田樹さんのものの見方はこうだ」というものとはズレがあります。

 気になることに対する問いへのアプローチの仕方がすごくたくさんある。
そのアプローチひとつひとつに、また細かい解決への道への考えたたくさんあるのだろうけれど、きっと、「相手」に合わせて、そのアプローチにテーマを持ってより集めて編纂していく。対象は無数(ではないかもだけどかなり多くいる)ので、量産が可能になる。という構造。「問題解決」へのこれでもかというくらい能率的な思考構造のモデル。

※実際頭の良い人は男女問わずこの思考モデルが良く機能しているのだろうと思うけれど、私レベルだと「男性的な思考のモデル」のように思われる。実際自分は漠としたテーマを、一種の不定形な粘土のように捉えていて、その感触から粘土の中にある(であろう)核に迫るような気がする。「わたしは何が気になってんだ?」と。確かめようとしてるうちに、いつのまにか粘土の外形が気になっちゃって、いつの間にか粘土で像を造ってみました。でもそれはそれで面白くていいじゃない?みたいな。私の思考回路っていつもそんな感じだ。あれ、それって「女性的」だと思ってたんだけどただの「頭の悪い人の考え方?」
 それだといつまでも「真理」にたどり着けない。いや、そもそも「真理」があるのか、とか聞かれたら「分からない」んだけどさ。ただ、外から内か、内から外か(広がる形か、閉じられた中のものか)という違いはある。そこを飛び出せば、私の思考回路って大きく飛躍するんじゃないか?ひとまず「問い」を立てること(その立て方)か。「核」を追求しようとしすぎて漠然としすぎてるんじゃないか。日常レベルにまで落としてみる努力か。いや、この発言自体ひどく漠然としてるんだけど。「問いを具体的に置き換えてみる。」ことを気にして置いてみよう。あ、あとオチだな。「立てた疑問にはそれなりの答えを見つけること」違っても明日変わってもなんでもいい。とりあえずの答えを見つける。まずはそこからだ。



 で、話は変わって。ちょっと外形が見えてきた「内田樹」さん。テンプレートを察してみたところで、彼の根幹をなすものはまだつかみきれてない。色んな相手を想定したアプローチが多すぎて、見えてきにくい。あぁ、この思考こそが外から内なんじゃないか・・・。もういまさらこれは変わらないんだろうか。

 次の本で、「気になるところ」を取り上げ、なぜ気になるのか考えてみる。
 その訓練をする。

 余裕があったら、内田樹さんの思考の枝葉を逆に辿ってみることを、ちょっとしてみよう。これで7冊目を読んでしまった(ちなみにネットの研究室もよくみている)そろそろ本質にたどり着き「思考の賞味期限」を感じてもいいころではないか。

 

 

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Posted by ブクログ 2009年12月17日

違う角度から物を見ることが出来て刺激的。
たまにすごく、まっとうな指摘も。
小学校の英語教育についての不安、白川静先生追悼、親族の基本構造、ひとはなぜ葬礼を行うか、少子化問題は存在しない、日本辺境論、など。
少子化について、行政がそれを問題だと思うのは納税者が少なくなるから。日本は狭い国で社会的資源...続きを読むが不足しているから、人口が減るのは自然な現象。少なくなった方がむしろ住みよい??もう一つ、家族単位で消費していた人たちが個人の好みで生きるようになった。他人を我慢しなければ共同体は成り立たない。う~ん、なるほど…
「不快という紙幣」は、両親の不機嫌さを見て、子供達は自分も嫌なことをしている、それが仕事だと受け止めているという…!
戦後日本がアメリカに憧れて学んで成長したが、それは伝統的に外国から学ぶことは習慣づいていたから。その性質は生かすべき。80年代に入って日本がバカにされるようになったのはもう辺境ではないと思い上がったため。そういう面はありますね~。
哲学の話になると、まったく要約できないが…
人を挑発するような書き方をすると自分でも書いているとおり。
部分的には極論だったり、言葉の遊びに思えるので、反論したくなるが~全体通してみて引っかき回すのが好きなんだなあという書き方なので、いちいち反論するほどでもない…?
2008年7月発行。

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Posted by ブクログ 2017年02月19日

日本辺境論がでた頃衝撃を受け、内田先生の著作物は全部読んでやろうというくらいの勢いで読んでいた。が、余りにその出版数が多く、中身が薄くなってないか心配になり、最近ご無沙汰していた。

本書を読み、改めて先生の感性、物の考え方には同意するところも多かった。日本の政治状況に対する捉え方など秀逸で、十年一...続きを読む日の如く、改革、改革と叫んでいる人が多いが、本当に必要な改革なのか考えたほうがいい。先生もおしゃっているように、三等国でも暖かい社会の方が絶対にいいと思う。今の状況は、本書が書かれている時点よりもっと悪くなっていて、不寛容な社会が進行している気がする。弱いものいじめや、正論を押し通すのは、もうやめにしませんか。

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Posted by ブクログ 2015年06月09日

著者がブログに掲載した文章をまとめた本です。

著者のブログは、コピー・フリー、転載フリー、盗用フリーを謳っています。それは、ブログに発表された考えを一人の主体性を持ったパーソンに帰することはできないという立場を、著者が採っているためです。そしてこうした立場の基礎は、「人間が語るときにその中で語って...続きを読むいるのは他者であり、人間が何かをしているときその行動を律しているのは主体性ではなく構造である」という、フランス現代思想の構造主義の考え方があります。

本書で取り上げられているさまざまなテーマも、こうした構造主義の立場から現代の世相を見たとき、どのような光景が映るのか、というものになっています。とくに、「未来の自分は他者である」ということに気づかず、この広い世界のどこかに自分の適性にぴったり合ったたった一つの仕事があるはずと信じ込んだために苦境に陥った若者たちや、至上のものを求めてばかりで、現在のリソースで何とか折り合いをつけようとするブリコラージュの発想を持たない原理主義への批判などに、著者の基本的な発想のスタイルが明瞭に示されているように思います。

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Posted by ブクログ 2012年05月08日

(以下引用)
人生はミスマッチである。私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。それでも結構幸福に生きることができる。チェーホフの『可愛い女』はどんな配偶者とでもそこそこ幸福になることができる「可愛い女」のキュートな生涯を描いている。チェーホフが看破したとおり、私たちは誰でも...続きを読むどのような環境でもけっこう楽しく暮らせる能力が備わっている。「自分のオリジナルにしてユニークな適性」や「その適性にジャストフィットした仕事」の探求に時間とエネルギーをすり減らす暇があったら「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とでも楽しく暮らせる」汎用性の高い能力の開発に資源を投入する方がはるかに有益であると私は思う。(P.155)

たしかに「予防」は仕事をふやす。場合によっては「自分のミスではないミスの責任者」というかたちでネガティブな評価を受けることもある。けれども、それがいちばん
効率の良いシステム防御策である。「いいよ、これはオレがやっとくよ」という言葉で未来のカタストロフを未然に防ぐことができる。けれでもカタストロフは「未然に防がれて」しまったので、誰も「オレ」の功績を知らない(本人も知らない)。そういうものである。成果主義は、この「成果にはカウントされないが、システムの崩壊をあらかじめ救ったふるまい」をゼロ査定しする。だから、完全な成果主義社会では、システム崩壊を未然に防ぐ「匿名で行われ、報酬の期待できない行為」には誰も興味を示さない。私たちの社会システムはそんなふうにして次第に危険水域に近づいている。(P.177)

政策の幅が狭いというのは、悪いことではない。それは社会が成熟して、大きな変化を受け付けなくなったということであり、言い換えれば「誰がリーダーになってもあまり変わらない」ようになったということである。(P.267)

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Posted by ブクログ 2011年06月03日

なんでこれが本棚にあったのかはわからないけど、読んでみたら面白かった。思考の感覚が似ているんだろうな、内田せんせと。
ま、こちらは商売として、エッセイではなくて結果やデータをださなアカンのが辛いところや。

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Posted by ブクログ 2010年03月07日

読んでいて、思わずふむふむと納得してしまう論の進め方が見事だと思った。
本当に気をつけてないと、本当にそうか?という視点を持てず、「読まれて」しまう。

しかし、我が意を得たりと思った部分があった。
みんな古典を読もうぜ。
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(読書上のアドバイスを聞かれて)
できるだけ今の自分と生きた時代...続きを読むも生きた場所も縁の遠い人間の書いた本を読むこと。
世界観も宗教も感受性も身体感覚も、まるで違う人のものを読んで、それにぶるぶるっと共振するものが自分の中に見出せたら、その震えは「人間にとってかなり汎通性の高いもの」だということである。
ある種の書物が歴史の風雪に耐えて何百年、何千年と生き残ってきたものは、そのような共振力が他に比して圧倒的に多いからである。
古典的名作と言うのは「とっつきにくく」て、同時代の同じような年齢で同じような立場で似たような趣味好尚の書き手が書いたものは「わかりやすい」というのは嘘である。
同時代的な意味で「わかりやすい」書物は構造的に読者を排他的に限定している。
その「敷居の低さ」は、時代を異にし、場所を異にし、立場を異にする読者にとっての「わかりにくさ」を際限なく高めることを代償にして得られた幻影に過ぎない。
古典を読むことで学ぶことができるのは、数百年の時間と数千キロの距離を隔ててなおリーダブルであるようなものを書いた人間の「リーダーフレンドリーネス」である。
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