あらすじ
無差別暴力、コピーキャット型犯罪、震災――。「邪悪なもの」「人間的尺度を超えるもの」に対峙したとき、私たちが培ってきた常識的判断や生活者としての論理は瞬時にして無効化されてしまいます。そんな「どうしていいかわからない」状況に置かれた場合、人はどうすれば適切にふるまえるのでしょうか。霊的体験とのつきあい方から記号的殺人の呪い、災厄の芽を摘む仕事法まで、内田さんの智恵の詰まった1冊です。
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ちょっとオカルト?というタイトルですが、著者は内田樹先生なので、決してそちら側に行きすぎることはありません。「邪悪なもの」とは良くも悪くも『人間的な尺度を越えた』存在。それに対峙した時にどうふるまうか、というのが「鎮め方」という事。過激派、裁判員制度、1Q84、シリアルキラー、幽体離脱等々様々なキーワードでの切り口は、あい変わらず冴えてます。
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内田さんのブログの記事の再録本。今回もいろいろ考えさせられました。
「清水の舞台から飛び降りる」ような切羽詰った状況で下を見ずに飛び降りても、ちゃんとセーフティネットに引っかかるような直感の働き。「どうふるまってよいのかわからない場面で適切にふるまうことができる」こと。内田さんは人間の知性とはそういうものだといいます。なるほど~。
『1Q84読書中』にある、「おそらく読者は物語を読んだあとに、物語のフィルターを通して個人的記憶を再構築して、『既視感』を自前で作り上げているのである」という記述は目からウロコ。小説を読んで、その中のエピソードや空気を自分の経験や感性と重ね合わせるとき、確かに脳内でそんなことしてるのかも。
『記号的殺人の呪い』では、秋葉原の無差別殺傷事件を例に、無差別に命を奪われた「記号的殺人」の被害者たちは「誰でもよかった」と言われることで「死んだ後にもう一度殺される」、という表現にハッとさせられます。そして、こういう事件の容疑者が以前にあった無差別殺傷事件に言及することを「歌枕」の構造に喩えて論じる部分は、私にとってまったく新しい視点からの話だったけれど、本当にそうだと深く深く納得。
『妥協と共生』の、ご飯を食べるときに忙しく箸を使う「右手」が「口」に対して「おれはただ筋肉疲労がたまるだけなのに口のヤローは美味しい思いしやがって」と不満に思うことだってあるかもしれないけど、身体全体としてはうまくいってる、という「共生」の喩え話には笑えました。
次から次に面白い話が出てくる一冊。頭の中をガラガラと引っ掻き回される感じで楽しめました。
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内田樹の邪悪なものの鎮め方を読みました。
内田樹の主張が記述されているエッセイ本でした。
「子ども」から大人になれない人が増えすぎた社会、習慣としての「読字」の重要性、偏差値教育の弊害、記号的殺人の邪悪性、モラルハザードの構造、「常識」とは、現在の科学では証明出来ないものもあるかも知れないという柔軟性が大事、など面白い話題が満載でした。
それぞれの主張は面白いだけではなく、自分の生き方に組み込んでみたいな、と思うものもたくさんありました。
最後の章は内田樹が学生に向かって語りかける形で書かれていて、こんな先生に指導される学生たちは幸せだなあと思ったのでした。
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内田先生の霊性本
といってもオカルトではない。いくつも、読み返したい項目があるが最後の小学生向けの文章は秀逸だと思う。学ぶとは未知に備える想像力を鍛えることだ。
人を見る目もしかり。答えのわからないことへの直感が霊性なのだと解釈する。
自分を愛すること、機嫌よくいること、なぜかこの人の言説は説教臭くない。
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センセイのブログをまとめたもの。
まえがきにもあるが、「どうふるまっていいかわからないとき」に適切に振る舞うことができるようになるには?
センセイの答えは、ディセンシー(礼儀ただしさ)身体感度の高さ、オープンマインド。
数年前、立命館での姜尚中氏や平田オリザ氏と佐野元春の講演で、佐野さんが他の人への温かいまなざし、ユーモア、あとなんだったか、と言ってたなあ。と思う。
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“いつもの”ブログ記事の再録本なのですが、今回は「邪悪なものの鎮め方」という切り口がドンピシャ決まった感じで最後まで(知的)興奮が続きます。
(前作の「昭和のエートス」にはまったくアンテナが反応しませんでした)
多くの記事が書かれたのは今から5年ほど前の2008年前後。本書に書かれている問題意識は当時よりさらに重要性を増していると感じました。曰く、
「どうしてよいかわからないとき、つまり、既知の解決策が当てはまらないとき、どうふるまったらよいかを知っていることが大切」
「呪いの力を馬鹿にしてはいけない。いつの間にか自縄自縛になっていないかもよーく考えよう」
「一気に社会をよくする政治は、歴史上、必ず粛清と強制収容所を伴っていたことに注意しよう。私たちの住んでいる社会には問題もたくさんあるが、身近なところから少しづつよくするしかない」
「科学的ではない、証明されていない、という時、それが単に私たちの手持ちの計測器の精度不足にすぎない可能性に留意しよう。」
など。
智慧なり。
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「三島由紀夫vs東大全共闘」を観ていて、内田樹先生面白いなぁ…と思い、そういえばずっと読みたい本登録してた本あった!と思って読みました。
面白かったです。
軽やかな感じの文体で思考を刺激される本でした。すごいバランス…
即効薬ではなく、「これ、そのうち役に立つんじゃないかな」なのがよかった。
どこかに納めておきたい、となる本でした。
「被害者の呪い」の章を読めたのがよかった。「貧乏シフト」も。
突然の麻生太郎話に笑いました。そういえば麻生さんカトリックだな……(石破さんはプロテスタント)
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いつもの内田樹コンピレーション本です。10年以上前のものですが、古びない。いつも同じようなことを言っている気がするのに、どういう話の展開が来るのか読めない。それが内田樹が癖になってしまう理由だろうな、と思いました。
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内田樹20冊目
邪悪なものの鎮めかた
内田樹はマルクスを読む理由について、「マルクスを読むと何かが書きたくなる」というような知性を刺激する文体と論理をマルクスが持っているからと話しているが、自分にとっての内田樹についてもそうだなあと思う。この本においても、考え方のフレームであったり、陥りやすい思考の落とし穴だったり、自分が身の回りの人と生きていく上で「そうだよなあ」とうなずけることが書いてある。3年半前に、行く大学が決まり、入学前の暇つぶしに「寝ながら学べる構造主義」を読んでしまってから、3か月ほど読んでいないと、なんだか不調だなあと思うほどこの人の文章やいうことは中毒的である。読者が本を選ぶのではなく、本が人を読む―その本を読むことのできる主体に作りかえる―という内田樹の言葉は本当に深い。
・年齢や地位にかかわらず、システムに対して被害者・受苦者のポジションを先取するものを子供と呼ぶ。「父」を殺してヒエラルキーの頂点に立った「子供」は「この世の価値あるモノ全てを独占し、子供たちを無能と無力のうちにとどめておくような全能者」がそもそも存在しなかったことに気づく。そして「こども」は「父」を名乗り、思いつく限りの抑圧と無慈悲を人々に与えることによって、自分を殺しに来るものの到来を準備するのである。
・今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」-革命を目指す政治党派はその組織自体がやがて実現されるべき未来社会の先駆的形態でなければならない。
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解説にある、処方箋という言葉が響く。まさにその通りかも。少し気楽?になった。氏の著書を数冊読んで、少しずつ考え方が理解できるようにもなり、最近は特に面白く感じるようになった。いましばらく継続して読みたい。また既読本も再読し、さらに理解を深めたい(氏の考え方だけでなく、世の中一般的な視点で物事を)。
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なるほどと思うことが多いのは価値観を共有できることなのか,その価値観への憧れなのか。内田さんの本はネタの仕入れ先として自分なりの価値がある。別に覚えようとするわけではないけど,話のネタになることが多いから。
努力と成果の関係→正の線形関係を描くのは学習の初期だけ
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『おせっかいな人の孤独』が特に印象に残った。仕事には、自分の仕事と、あなたの仕事と、誰の仕事でもない仕事がある。《誰の仕事でもない仕事は自分の仕事である》という人のことをモチベーションが高いという。この一説がめちゃくちゃ納得できた。
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内田先生の主張は今や数多く活字化されており、ものごとの見方や生きる術についてなど読む度に納得。もやもやしていたものがすっきりと霧散します。もちろん、構造主義などの思想に裏打ちされた文章は一読して分かるというものではないのですが、それでも何故かそうだそうだ!あっなるほどあのことだ!なんて思うこともしばしばです。
今回もせんせいは、せんせい自身が見つけた答えを私たちに教えて下さっています。「礼儀正しさ」「身体感度の高さ」「オープンマインド」この3つが邪悪なものとの対峙する術のようです。呪術とか呪い・・の類も散見するので思想家というせんせいの肩書とどう繋がるのかと思う方もいらしゃるかもしれないのですが、古来人間は畏れなど目に見えないものとお付き合いしてきたのですから、武道家でもあるせんせいにとっては身体感覚に根差すことは根本であります。私の座右の銘でもある「まず隗より始めよ」をテーマとした文章があったので、尚満足でした。
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邪悪なものと対峙した時、人はどう対応したらよいのだろうか?そんなとっかかりから話が進んでいきますが、かなり幅広いテーマを扱っていて、全然飽きない。確かにそうだとか、あぁそうか!とか。気がつかされることが多くて刺激的な本でした。
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「邪悪なもの」を怒ったり闘ったり、恐れたり避けたりするのではなく、「鎮める」というタイトル。「適切に振る舞う」ことへの示唆に富む内容。
「秩序のようなもの」は「隗より始めよ」。「子ども」の数が増え過ぎた現代日本。「被害者である私」による呪い。シリアルキラーの凡庸さに呆れてみせること。なぜアメリカが日本にかけた呪いが解けないのか。「そのうち役に立つ」と合切袋へ放り込む。「内向き」内需を極めて何が悪い。レッツ、ダウンサイジング。
文庫版あとがきの「うめきた大仏と人間的尺度」の話がまたステキ。
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今年初の「ウチダ本」。
社会にうごめく「邪悪なもの」とどう対峙するかを縦横に語り尽くしています。
何の異論があるものか。
例によって蒙を啓かれました。
時間がないのでひとつだけご紹介。
「被害者の呪い」についてです。
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「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型でしかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。(P93)
□□□
ドキッとした方は要注意。
私は「戒め」と受け取りました。
ね? 面白いでしょ?
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最近、こうした知的な本を全く読んでいなかったので、最初は取っ付きにくかっただが、第二章から俄然、面白くなって来る。
『人工臓器とコピーキャット』『記号的殺人の呪い』なんかは、どうだろうか。普段、不思議だなと思いながらも、それ以上は考えもしなかった事の答えが書いてある。
『「内向き」で何か問題でも?』『Let's downsize』は、思わず、そうだ!そうだ!と相槌を打ちたくなるような話。
知的でありながら、普通の人の日常に関連するテーマが多く、面白い。
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自分がかけた呪いとか、反復強迫とか、人が変わるってことは結構奥深いことなんだなと本書を読むと思うばかり。
人の微細な言葉に出来ない感覚に挑むようなそんな、語り。
著者の独特的な言葉とペースでかかれている。
まだ読んでる途中。
気になるフレーズがたくさん。
読み終わって感想更新しますが、この本はおもしろい視点がたくさん。
語り口調からカタルシスな感じかと思いきや、点を抑えてる、そんな感じの本です。
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久しぶりに内田樹さんの文春文庫を読んだ。それなりにボリュームがある。
邪悪なもの、未知なるものにどのように対するか、そのことについて書かれています。
例のごとく、内容は多岐にわたりますが、文庫版あとがきのなかにあった人間的尺度を超えるもの、の時間についての話がいちばん頷けた。短いスパンでしか考えられなくなってきているということに共感。
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邪悪なもの=震災、コピーキャット犯罪、暴力とか。それまでの自分の知識やスキルじゃ立ち向かえないものに遭遇した時にどのような考え方をすれば生存率が上がるか。大雑把にいえばそういう知恵が詰め込まれている本。
「呪いのナラティブ」は本当にそうだよ。他人の足を引っ張って相対的に自分の地位を上げようという、そういうことが自分の幸福の指数にカウントされているような世の中は本当にいやだなあと感じていました。
「内向きで何か問題でも?」の章もそうだよなぁと。
別に悪くないっていうかむしろそのほうがいいし。
ひとつこの本で一番印象に残った文章を書いておく。
「妥協」において他者と「妥協」しているのは、「存在していない私」である。「(すべてが100%うまくいった場合に)そうなるはずであった私」「そうなるといいなと思っていた私」を「それこそが現実の私」であると強弁することではじめて「妥協」という考えは成立する。
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現代を生きるわれわれが、ついつい取り憑かれてしまう「邪悪なもの」に、どのように対処すればよいのかというテーマを中心に、著者のエッセイを集めた本です。
身体や暗黙知にかんする著者の議論のなかでも、とくに著者の柔軟性が発揮されている本だという印象を受けました。オカルトから脳生理学まで、多少危うさを感じさせる議論の運びがときおり見られて、結論には深く納得させられることが多いものの、そこへいたる途中ではハラハラさせられてしまいました。ある意味で、スリリングな読書体験だったのかもしれません。
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一部しか読んでいないが…「学ぶこと」について素敵な考え方があったので、紹介。
「なぜ学ぶのか?」
▶「何の役に立つのか今は言えないが、いずれ役に立ちそうな気がするもの」に反応する能力の有無が生死にかかわることがある。
▶知的パフォーマンスが爆発的に向上するのは、「その有用性が理解できないものについて、これまで誰もが気づかなかった、それが蔵している潜在的な有用性」を見出そうとして作動するときである。学ぶことで自分が何を探しているかわからないときに、自分が要るものを探し当てる能力を養う。
▶「これはそのうち何かの役に立つかもしれない」というのは、「これ」の側の問題ではなく、実は「私」の側の問題だったのである。「これ」の潜在可能性が発見されたのは、「私」の世界の見方が変わったからである。
キーワード:数学や古典に代表されるよう、何の役に立つか分からないけれど学ぶ、ということも立派な学び方の1つ
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まえがきに「どうふるまっていいかわからないときに適切にふるまうためにはどうすればいいか」を書いたとあり、第一章、第二章まではワクワクしながら面白く読んだ。が、後半、テーマが微妙にずれてしまったような気がして、ちょっとガッカリ。