内田樹のレビュー一覧
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初めて読む人でも改めてとなることをあえて書いてくれてわかりやすいが、この本の趣旨は、主にアメリカと、中国の趨向性(戦略)の予測である。
情報の偏在によりアメリカの分析が手厚くなるのはいつものこと。
個人的には、アメリカの民主政ゆえのアドバンテージになるほどと思った。
これまでのところ科学的発見では圧倒的にアメリカが中国を凌いでおり、2021年までのノーベル賞受賞者国別ランキングでアメリカは394人で1位。中国は8人で23位。
科学は、イノベーティブなアイデアがあったとしてそれを中国において育てる環境がない。
科学者のコミュニティが生存に不可欠であり科学的客観性とも呼ばれるものである。
そのほかは抜粋
井戸に落ちかけた子どもに手を伸ばせるか
「惻隠の心」という人間性の奥底から自然発生的に生まれ出るものです。個人に内在する、「人として当然」という行動規範のことです。
(略)
目の前に危険な状態にある人がいて、自分が手を差し出せば助けられるという時に「つい身体が動いてしまう」というのが人間性の基本であり、「仁の端」であると孟子は述べています。「惻隠の心」にはオルタナティブがありません。「こういう場合には子どもが溺れ死ぬのを黙って見ているのが人として正しいふるまいである」というような行為を正当化する「オルタナティブ」が存在しない。
また面白かったのはアメリカの憲法だった。
『合衆国憲法第八条は連邦議会の権限を規定した条項ですが、その第十二項は次のような権限を連邦議会に与えています。「陸軍を編成し、これを維持する権限。ただし、この目的のための歳出の承認は2年を超える期間にわたってはならない」(to raise and support Armies, but no Appropriation of Money to that Use shall be for a longer Term than two Years)。』
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今の日本に足りないものは『勇気』から始まる知的大喜利。勇気は孤立を耐える力がなぜ後退したのか?少年ジャンプのせい、少年ジャンプが物語の基本を『友情・努力・勝利』を流布させたせい。『勇気・正直・親切』から展開する九つ話を展開する。日本だけでなく、世界中で暴力が猖獗をきわめてるのは理解も共感もできない他者を前にした時の不快に耐えられない弱さが蔓延してある。それこそ他者の他者性に耐えられないとは孤立に耐えられないのと同じ。他者との断絶を初期設定としてコミュニケーションの橋を架ける、孤立に耐えられるのはいつか他者との連帯できると信じて行くこと。それが成就する日まで生き延びため『勇気』が必要だと言う事。
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ネタバレ勇気論!
勇気に関して、はじめに定義してから話し始めるのではなく、
思いつくことを内田さんに共有するスタイル。
子どもの頃のことでなぜか思い出したこととか、
最近ふと気になったこととか。
私も参加したーい!と思いながら、
回収の仕方がすばらしかったです。
これに関連して、
内田樹さんは、
人類は誕生してからずっと「どうやったら知性の活動はもっとも活性化するか」ということを生存戦略上の最優先課題にしてきた、と思う、とおっしゃられています。
「どうしていいかわからない時にもどうしていいかわかる」「答えを知らない問いについてもだいたいの当たりをつけられる」のパフォーマンスを高めて生き延びる…
さすがすぎる!
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人間はどのように欲望を覚えるのか、どうやって絶望するのか、どうやってそこから立ち直り、どうやって愛し合うのか…。自身の最後に行われた授業をはじめとする講演を収録した内田樹氏による、初めての講演集です。
僕は内田氏の著作をあまり読んだことはないのですが、本書は著者初の講演集だそうです。
古今東西、大学教授の最終講義といえば、印象的な授業が多く、僕は不幸にして、そういった授業にはナマで出会ったことはないのですが、インターネットが発達した昨今、言語的な障害さえクリアーできればそういう授業には簡単にアクセスできるので、そういったところにはとても感謝しております。
ここに収録されているのは内田氏が所属している神戸時女学院大学で行われた最終講義を始め賭する講演が収録されております。
タイトルもそれぞれ刺激的で、『日本の人文科学に明日はあるか(あるといいけど)』や、『ミッションスクールのミッション』果ては自らの専門領域であるユダヤの研究に関連した『日本人はなぜユダヤ人に関心を持つのか』まで教育のありようや、昨今の人文科学の様子まで、本当に多岐に渡るお話を伺えて、久しぶりにこういう手の話を聞いたような気がいたします。
僕も大学は人文科学系でしたが、別な方向にそれてしまって以来、ずいぶんと離れてしまったので…。
それはさておき、僕は縁のないであろう女子大学という教育機関。それも神戸女学院大学の建物から、女子の教育という命題について、キャンパスの建物についてから、『旗を掲げる』ということの「意味」など、読んでいて本当に面白い話が散見されておりました。
特に、『教育に等価交換はいらない』という演題で話された講演では、「市場原理主義」が教育について語るときに、感じた反発が縦横無尽に語られていて、『市場は常に間違えない』という考え方も何でもかんでも用いてはいけない、ということを切々と訴えていて、それがとても印象に残っております。
繰り返しになりますが、僕は内田氏の著作をあまり読んだことがないので、人によっては同じことの繰り返しかと思われるのでしょうが、僕個人にとっては楽しく拝読ができました。
※追記
本書は2015年6月10日、文藝春秋より『最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫 う 19-19)』として改題、文庫化されました。 -
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勇気とは孤立を恐れないことである。
それは自らに理がない時には敗けを認めることである。
まごまごしながらもテンプレに頼らずに自分の思考と言葉で表現し、平場の会話をしながらもそれをどう解釈すべきかの本音を見せることである。
そして、勇気を持つために、つまり、孤立に耐えて事を進める土台となるべき自分の本性や天職を見つけるために、自分を呼ぶ僅かな声を聞き取る感性を磨かなければならない。それは全身で、五感をひとつなぎの情報とみなして受け入れることで磨かれる。それが磨かれれば、自分がいるべきでない時と場所を感じ、そこを避けることができるようになり、天下無敵の存在となれる。その結果、自分のいるべき時と場所を見つけられれば、そこでなら孤立に耐えることができるだろう。それが勇気である。
と、ここまで強く共感。
ただ、所々で説教臭く決めつけが強すぎる。
与党に国民が制裁を加えないのは勇気がないからではなく野党がだらしなさ過ぎることを感じ取っているからでは?
論理国語を反知性主義のたまものだとボロクソに批判しているが、これまでの「文学」(著者が必要とする)を用いた教育が規約もルールも解読できない若者を作ってしまったことが論理国語を必要とすることの前提に存在しているものであって、批判すべきはこれまでの文学教育の情けなさでは?
とか。
あと、最後に、勇気は永遠の孤独に耐えることを前提とするものではなく、他者から手を差しのべられるまでの当面の間を耐えるためのものですよ、って、結局最後は承認欲求が満たされないとダメであると結論付けているあたりは脱力❗
まあ、途中の話が面白かったから星4つ。 -
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様々な媒体で書いた文章がより集まった内田節だらけの本。
2024年の選挙が終わったところであるので、2022年の少し古い選挙の話とのずれもまた興味深い。相変わらずのキレの良い話ばかりなので、気持ちよく読むことができた。
いくつか印象に残ったところ。
論争上手の人が「憲法23条をご存知ですか」とか、「ロシアのGDPを知ってますか」とか、「資本主義の定義ってなんですか」とか、自分が採点する側で相手が受験生であるという非対称的関係のうちに一気に持ち込むための技巧的な問いをする。
(いわゆる「ひろゆき論法」「石丸論法」と言うものだと、入院される直前の講演会で内田さんが話していた。感じが悪いから真似しないでくださいねと笑っていた)確かに相手をやり込める、イヤな論法である。
こういう話し方を日常ですると友人を失うことになるだろうに、権力を持つ人がこの論法で話すと喝采されるのは何故だろう。
「組織マネジメント原理主義」について。
トップの指示が遅滞なく末端まで視察されるのが最良の組織だと言う思い込みのこと。これもまた今の世の中に蔓延しているイヤな風潮である。
国語教育について。
母語運用能力を高めること。豊かな語彙と響きの良い音韻を駆使できること、カラフルな比喩や味わいの深い、故事成語や刺激的な術語を織り込んで、奥行きのある複雑な信念や感情を表現できるようになること。
相変わらずうまいことおっしゃります。
「複雑な現実は、複雑なまま扱い単純化してはならない。」
これも内田さんがよく語っていることであるが、これについての例え話がよくできている。
ギリシャ神話にプロクルステスと言う盗賊が出てくる。彼は、街道沿いで待ち構えて、通りがかりの旅人に彼の寝台で休息するように声をかける。そして寝台で寝かせて、旅人の体が寝台からはみ出したら、そこを切断し、逆に寝台の長さに足りなかったら、体を無理矢理、寝台の長さまで引き伸ばした。
話を簡単にする方法の中で、最も簡単なのは問題を消すことである。問題があるのにそこには問題などないと言い立てる。ナチスがユダヤ人問題の最終的解決は、「ユダヤ人を消すことだ」というアイディア思いついたこと。陰謀論で社会的不調が起きると、「それは邪悪でかつ強大なものの悪意の干渉」として説明される。
内田さんの病気の快癒を願うばかりだ。 -
Posted by ブクログ
選挙前に3〜4日かけて読んだというのもあり、毎日が凄い勢いで過ぎて行き、私や家族もちろん、タクシーの運転手までもが「最近日付がわからなくなり…」という有様だ。
その中で数日に分けて読み、その瞬間は理解しても、まあ読み終わる頃には忘れていた。
個人的にその方が良いくらいだと思う。
次に似たシチュエーションに遭った時に「思い出すように」動ければそれで良い。
ただ終盤に行けば行くほど「ああ他人の他人性、これが分かり合えないということだな」と感じる事が多かったですが、後書きにある通り、他者とは他者である、然し両者の間に橋をかけることは可能である。
それくらいで良いのだと思います。
私はある時誰かが冗談で言った『神は死んだ!』という言葉がいまだに頭から抜けない。
別段神という概念に深く傾倒しているわけではないが、そういうことではないのだ。
気軽にそんなことを冗談にすべきではないと、ふと思い出し…いや、ずっと思い出し続けているのだ。