内田樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
こういった子供の問いに、大人として最適なふるまいとは『絶句』してそのような問いは「ありえない」と斥けることだと著者は主張しています。
なぜなら、その答えを教師から引き出すという体験によって、子どもがあるゆることにおいて自分に有益そうならやるし、気に入らなければやらないという採否の基準を身体化した『等価交換する子ども』になってしまうからだと言います。
それは子どもたちが「家で労働する」という体験から自己形成をする機会がなくなり、その代わり早い時期から消費活動への参加を促されていることに原因があるとのことで、その説明は納得するところもあるのですが、平和で -
Posted by ブクログ
内田樹は、本書を「人と人との結びつきのありかたについて、あれこれと論じ」たものと説明している。その具体的な対象は、家族・学校・地域などの、いわゆる「共同体」である。。
私が「なるほど」と思ったのは、「第4講 格差社会の実相」だ(他の話ももちろん面白いのだが、特に興味をひかれたという意味)。
「格差社会というのは、成員たちが単一の度量衡で格付けされる社会のこと」であり、現代の日本で用いられている、その単一の度量衡は「年収」であると内田樹は述べている。
そして、高い収入を得ている人間と低い収入に甘んじている人間は、同じ条件で競争して、その才能と勤労努力の差によって差別化されている、すなわち、年収 -
Posted by ブクログ
親はたいへんなんだぞ、なんて話はよく聞くものだ。子育ての困難というのは、少子化をいわれる世の中にあっては、考えざるを得ない問題だろう。でも、子どもの立場に立って見たらどうか。自分の存在が親にとっての困難だといわれたら?そのあたり、不倫関係になぞらえて考えさせる冒頭のやりとりは、なかなか楽しく、同時にとても考えさせられる。
ナナメの関係、失われるものへの哀惜、親を許すということ、没入する体験、必ずしも子育ての話に限らないけど、どこかでつながりも感じられる。なにか答えを与えられるというよりも、問題提起されて自分なりに考えを進めたくなる本だった。
親が成熟していると、子どもはイノセントになれ -
Posted by ブクログ
pp.24-5
発話の起点は、発話の起点にあるのではなく、発話が終わった後に訴求的に定位される以外には存在しないものなのである。
……
発話主体がまず存在して、それが何かを発語するわけではない。発話主体は発話という行為の事後的効果なのである。
……
「言いたいこと」は「言葉」のあと存在し始める。「私」は、「私が発した言葉」の事後的効果として存在し始める。
p.155
人生はミスマッチである。
私たちは学校の選択を間違え、就職先を間違え、配偶者の選択を間違う。
それでも結構幸福に生きることができる。
pp272
愚かしい幻想が合理的な分析よりも強い力を持つことがある。そして、「本当のリ -
Posted by ブクログ
感想が長くなりすぎないように、最も印象的だった記事をひとつだけ取り上げる。その名も「日本語壊滅」。2007年5月のブログを元にしている。
携帯メールのコミュニケーションでは、早く返信することを重視するため、丁寧な言い回しや配慮表現が絵文字や記号に取って代わられ、語彙力の低下や「短文化」が加速しているという。
ある研究によると、「メール送受信の回数が多い学生ほど日本語テストの点数が低いという結果が出た」そうだ。
このブログから15年。今や、メールは長すぎるツールであり、LINEやTwitterが主流、いや、もはや写真や動画がメインで言葉は「添える」だけのものになっている。いずれ、「複文以上の -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書は、筆者の娘の中学校での学級崩壊の様子から、話が始まります。
学ぶという行為をなぜ子供たちはやめ、あまつさえ努力してまで学ぶ・働くことから遠ざかるのか、という疑問です。
その原因を端的に言えば、幼年期からの消費者としての商取引の蔓延、と解しました。
・・・
筆者は労働と消費の二項を導入します。
かつては子どもは労働に従事させられた。それは家庭内の小さな手伝いであったり、兄弟の面倒などの家族のサポートであったりした。その結果、家庭内がよりうまく回ったり、時に小遣いがもらえることがあったりもしたと。その労働の世界では搾取されるのが当然の世界で、子どもはその世界で自らの社会化を始めた(そ