内田樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
昔は下水工事の土管が置かれ、"原っぱ"と呼ばれた"共有の土地"は沢山あった。
こうした「コモン」な土地は、地価が上がると資本主義的な考えで「私有地」になった。
資本家たちの土地買収で、"原っぱ"は柵で囲まれ、「私有地につき立ち入り禁止」の看板が立った。
だが今、高齢化や過疎化が進んだ地方では、土地を私有財産として維持し難くなり「コモンの再生」が始まっている。
都心でも空き家問題が進んでいるが、私有財産ということで行政が手を出せなくて困っている。
土地の私的所有はやめた方がいい時代が来ていると感じる。
世の中の出来事にモヤモヤを感じた時「この人の見解を知りたい」と思う人は、池上彰さん、佐藤優さん、養老孟司さんくらいだったが、内田樹さんが加わった。
内田樹さんを気に入った点は、自分の考えをはっきりと言い切る事。
あとで間違いと分かったら、言い分けせずに誤りを認める事。
誰も正解を知らない未来予測は難しいですからね。
内田樹さんの基本的な考えや価値観は自分と重なる部分が多いと感じた。
受け入れがたい意見がほとんどないので、反論できないと言うのが正しいかもしれない。
例えば、こんな意見。
・人にして欲しいことは、自分が率先して楽しそうにやればいい。
・「目先の損得にこだわって巨大なリスクを看過する」傾向が強まっている。
・今の日本は、「希望を語れば噓になり、不安を語ればなじられる。」だからしかたなく昭和懐古の過去を語っている。
・健康な人は健康のことをあまり気にしない。健康に対する不安を煽る社会は不健康だ。「健康」の範囲を狭めて「不健康」な人を増やしている。
・「選択と集中」がもてはやされた結果の「○○ファースト」は、集中先を狭め、集中先に属する人の私利私欲を増長させることになっている。
・「自由」と「平等」は相反するので共存しない。自由は強者の思想で、平等は弱者に手を差し伸べる思想。
天皇制や憲法については、
・今の制度で起きている具体的な被害事実がどれだけあるのか列挙せよ。
・学術的に原理的に誤っているとかいう話には興味がない。
・修正することでどれだけ住みやすい社会になるのかを定量的に示してくれ。
というスタンス。
何を議論するのかも定まっていないので、改正自体に切迫感を感じていないようだ。
その他、
「グローバル資本主義」と「新自由主義」は、パンデミックのせいで大幅な軌道修正が図られることになった。
コロナ禍ではっきりしたのは、生活に必要なエネルギーや食糧を輸入に頼っているだけでなく、マスクや消毒液も自給できない国になっていたという事実。
でも皆精一杯働いているではないか。
安価なものは海外で作らせて、日本の国民は何で生活費を稼いでいるのか。
何をしてるかと言うと、富裕層に金を使わせる(つまり富裕層の満足度向上の)ために働いている人が増えている。
世の中の仕組みを変えていく時期にきていると感じる。
そのためには、政治の力が必要なんだけど、、、 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書に収められている文が書かれていたのは2022年11月のものまで。
そしてタイトルは日本社会が明るくなる希望を持って付けられたのだそうです。
しかし本書から1年半刊行から一年過ぎた今も夜明けの兆しが感じられるとは私には思えず。夜明けまでまだ遠い、というかまだ真夜中?と思ってしまいます。
コロナは終息したとは全然まだ言えないし、教育はイエスマン製造システムとなり、政治は開き直った権力者ばかりでボロボロ。マスコミも批判精神などなく忖度した記事ばかり書いてるし。(と段々腹立ちを通り越し悲観)
この先本書の内容を振り返った時、笑い飛ばせるような未来になっていれば良いけれど…うーん。
ちょっと楽しい本を読んで毒出ししなければ(苦笑)
でも内田先生の本をこれからも手に取りたいと思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書が安倍元首相暗殺(の一年)に前書かれたものなんだよなと言うことを思いつつ読み。内田先生はよく「これからの日本」を予測してそれがその通りになったかならなかったを検証するということをされるようです。(別の著作に書かれてました)
2024年春現在、米国でトランプ元大統領が再選される可能性が出てきたことを踏まえて読むと、三年前に出版された本書も一段と興味深く読める気がしました。
政治や世界情勢に疎いので果たしてちゃんとついていけるのか、と思いましたがやっぱりそれほど理解できた気はしなかった(笑)
しかし読み通せたのは対談形式だったからでしょう。
それにしても内田先生はすごい。専門家じゃないのに(とあとがきにご本人も書いてらっしゃるけれど)これだけよく語れるなとその博識ぶりに(好奇心に?)心から感嘆。それを引き出す姜先生も、専門家だけれどもちゃんと読者を置いてかないよう取り回しているのがわかりました。(あちこちついて行けないのは自分の浅学さゆえであります)
ポストコロナとはまだ言えないと思いますが、トンネルを抜けつつある今読まれる価値ある一冊だと思います。 -
Posted by ブクログ
”新しい戦前”と言う言葉は、昨年末「徹子の部屋」でゲスト出演したタモリが、2023年について問われ「新しい戦前になるんじゃないですかね」と発言したことから話題になったとのこと。ただ本人からその言葉の背景はなかったし、黒柳さんからの質問もなかったので、受け止め方は様々だ。
安倍元首相の頃から、かなり戦争に対するハードルが低くなってきたと感じるのは、私だけではないはずだ。岸首相になって、所属する宏池会は、政策面では保守リベラル派に属し、特に安全保障では日米関係を重視しながらもハト派的傾向という認識だったので、少しはブレーキがかかると思っていたが、しらっと異次元の防衛費増額を指示している。
これは派閥の理論で、タカ派の安倍派のサポートを受けるための対応かもしれないが、そうだとしたらポリシーがないと思うし、自発的だとしたら、ハードルをより低くするような危険を秘めた首相だろうと感じる。
そこで、この本の内容。
タイトルの”新しい戦前”は、タモリの発言を意識しているのか分からないが、さすが内田さんと白井さんの対談らしく、現状への批判は胸がすく。
政治的内容に軸足を置くが、教育、会社の取るべきスタンス、ジャーナリズムなど、日本に存在する閉塞感の原因みたいのをあぶりだしているのには、共感する内容が多い。
2022年12月に岸田政権が閣議決定した新しい安保関連3文書(国家安全保障戦略、国家防衛戦略[現防衛計画の大綱]、防衛力整備計画[現中期防衛力整備計画])はアメリカとの綿密な打ち合わせ、調整、擦り合わせのもとに出たもの。新しい安保関連3文書を出したかのは、日本政府は中国から核攻撃されるかもしれない可能性を視野に入れている。しかし米国は本気で日本を守るのだろうか。
不安ゆえ米国の言うことをただ聞き、聞いてさえいれば自民党の長期政権は保証される。自国の国益よりも米国の国益を優先的に配慮する政権なので、米国としては未来永劫自民党政権が続いて欲しいと願っている。
日本には自前の国防戦略がない。日本の政治家が自分の頭で考えて、自分の言葉で日本の安全をどう守るか真剣に語るということを、もう国民は誰も期待していないと言われるが、その通りだろうな。
今の日本の指導層はあらゆる領域で世襲が幅を利かせるようになったが、それが日本の衰退の一つの理由だろう。
政治には勝ち負けしかなく、勝った方が正しく、敗けた方が間違っていたという底の浅い政治理解がこの10年間急速に進行した。それは維新だけでなく、自公政権与党にも、野党にまで浸透している。自民党の政治家たちは「安倍政権の間、6回の国政選挙に勝った。ということはアベノミクスは成功だったという意味だ」という没論理的なことを平然と言い放つ。獲得議席の多寡と、政策の正否というまったく次元の違うものを混同している。
憲法99条には公務員の「憲法尊重擁護義務」が定められているにもかかわらず、議員たちは平然と改憲を口にする。「護憲集会」を開こうとすると「偏った政治的主張をするな」と言って、公的支援を拒否する役所さえある。「憲法なんかいくら違反したって構わない」ということを現に実践している連中が「憲法を変えることが重要だ」と言っていることの矛盾。それ以上に、日米安保や日米地位協定ですら憲法より上位にあると言う矛盾。
学校教育の目的は、子どもたちの市民的な成熟を支援することに尽きるが、「学力」というのを、ほとんどの人はこどもの頭の中に貯蔵されている知識やデータが量的に増えることが「学力が向上すること」だと思っている。「学力」というのは「学ぶ力」のことで、生きる力」と同じ。数値的に計測できるものではないし、他人と比べるものでもない。「学ぶ力」というのは、「自学自習」できる力のことで、乾いたスポンジが水を吸うように、触れるすべてのものから知的滋養を摂取できる能力のことだ。そして学校教育の仕事は、「学ぶ力」を起動させることだ。学校教育の成否は、それから数十年経った後に、日本社会にまっとうな大人の頭数が十分に揃っていて、おかげで国運が衰えていないという事実によってしか検証できない。
教師の一番大事な仕事は、歓待と承認と祝福。「ここは君のための場所だ」と言って子どもたちを歓待し、「君にはここにいる権利がある」と言って子どもたち一人一人を固有名において承認、そして「君たちがここにいることを私は願っている」という祝福を贈る。この三つができたら、それだけで学校教育の一番大切な仕事は終わっている。
よく政治家が失言をした後に「発言の一部を切り取られた」「真意はそこにはない」「誤解を招いたとすれば遺憾である」というような言い訳をするが、「失言」というのは、まさに「誤解の余地なき剥き出しのメタメッセージ」の部分を聴き取られたということなわけだ。その失敗を糊塗するために「いくらでも解釈の余地のあるメッセージレベル」に問題を移すことで話をごちゃごちゃにして責任を逃れるということが常套化している。これは日本語のためによくないことだと思う。
大阪維新がまずやったのは公務員叩き、それから公共交通機関の民営化、医療拠点の統廃合、そして学校の統廃合だが、みごとに社会的共通資本だけを標的にしてきているのがわかる。人間が集団的に生きてゆくときの安定的な土台を崩して、住民を流動化する。目端の利いた人間ならこの機会に乗じて公共財で私腹を肥やして個人資産を積み上げることができる。うすぼんやりした市民はその食い物にされる。安定性・継続性が命であるところの社会的共通資本を政治的・経済的変化によって激変する複雑系に作り替えた。
立民の泉さんは「提案型」ということを言っているが、日本の政治的な文脈においてな提案」をするということは、対米従属スキームの中で政治をするということ。このスキームの中にいると「リアリスト」と呼ばれ、そこから出ようとすると「夢想家」扱いされる。しかし、日本の政党の掲げるべき第一の政治的課題は「国家主権の奪還」だと思う。日本は部分主権国家であるという痛苦な自覚がない政治家には日本を次のフェーズに引き上げることは出来ない。
「能力主義・成果主義」ということがうるさく言われるようになったのは、経済成長が止まってから。能力の発揮のしようがなく、成果の上げようがなくなってから、そういう言葉がうるさく口にされるようになった。査定主義は結局減点主義になるので、思い切ったことをやって失敗して大減点されるよりも、何もしない方がよいという判断になる。
今のジャーナリストたちはたぶん子どもの頃から「勇気を持て」と教えられたことが一度もないんだと思う。マジョリティの中での相対的な優劣を競うことには熱心に取り組んで来たけれど、マジョリティを向こうに回して孤立を恐れずに自分の所信を言い切ったという経験のあるような人間はまず今の大手メディアにはいない。有名大学を出て高い倍率を勝ち残って、エリートのつもりでテレビ局に入ってきた人たち。権力に抗う動機がそもそもない。マスコミ全般そうなってしまっている。そういう価値観や生き方がつまらないものだという意識がない。だから一度更地に戻すしかない。 -
Posted by ブクログ
「どうして勉強しなくちゃいけないの?」
こういった子供の問いに、大人として最適なふるまいとは『絶句』してそのような問いは「ありえない」と斥けることだと著者は主張しています。
なぜなら、その答えを教師から引き出すという体験によって、子どもがあるゆることにおいて自分に有益そうならやるし、気に入らなければやらないという採否の基準を身体化した『等価交換する子ども』になってしまうからだと言います。
それは子どもたちが「家で労働する」という体験から自己形成をする機会がなくなり、その代わり早い時期から消費活動への参加を促されていることに原因があるとのことで、その説明は納得するところもあるのですが、平和で豊かな生活を送る日本の子どもが、勉強の意義を考えることがそんなに悪なのでしょうか?とも考えてしまいます。私もなんとなく考えたことあったと思うし。
そんな質問に教師として「答えがない問いに答える必要はない」と斥けるのは、「つべこべ言わずにやれ」という昭和の感覚をよっぽど引きずっているのではとも思ってしまいます。
「君は歴史で習った、戦時中の子どもの話を聞いてどう思った?これがその質問の答えになると思うから、一度自分で考えて、あとで先生に教えて」
みたいな子どもに気付きや考える力をサポートするのが最適なのでは。
ちょっと自分と意見が違うけど、子供をとりまく教育、家庭の構造がわかって面白かったし、色々考えるきっかけになりました。また読みたいです。
ちなみにこのあと『ドラゴン桜2』を読むと、なかなか味わい深くなります。「考えるな!動け!」