あらすじ
テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調……、未曽有の危機の原因はどこにあるのか? 「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、危機の本質を見極める。内田樹が贈る、マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な「知」のレッスン。神戸女学院大学の人気講義を書籍化。【光文社新書】
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この本が刊行されて早15年が経ち、当時は黎明期だったSNSも今や立派なメディアである。さて、この本を通じて、マスメディアの構造や、内部にはらむ慢性的な問題について認識できた。この廃れた内部構造も知らずに、のうのうとテレビを見ていた私は今思えば、無垢っぷりも甚だしいこと。では、SNSが出てきた現在、メディアを取り巻く問題はどのように変化したのか?SNSは、著者の述べる「ミドルメディア」に該当し、半分は著者の希望通りの変化だ。しかし、私たちは、よりメディアリテラシーを求められるようになっただろう。
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まえがきがあまり堅苦しさもなかったので、何となく読み進めていたらどんどんのめり込んで、気がついたら読み終えた一冊。教育論から本筋のメディア論等一冊で取り扱うテーマは多岐に渡っていたように感じます。基本的に目の前にあるものがこの世の正義として疑わないスタイルのため、はっとする言葉によく巡り会うことができました。
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医療と教育は市場原理にのせてはいけないものなのに、その路線でメディアが論じてきてしまったこと、学生や患者が、最上の努力で最大の効果を得ようとしていること、批判をすることが権利であり貢献していると錯覚していること、そしてそれを善意に基づいて行っているという刷り込まれた無自覚な意識と行為が、医療と教育を崩壊させている…。
もやっとすることを、内田先生は論理的にわかりやすく整理してくれています。
12年経ってますが、全く色褪せてないです。
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本好きが本棚に並べているのは、いま読む必要がある本ではなく、いつか読めるようになることを希望している本である。という内容が印象に残った。たしかに私やお父さんを見ても、本棚にある本をすべて読んでいるわけではない。「この人は、こんな難しそうな本も読んでいるんだ」と思われたい、とまでは、私はまだ思っていないが、その考え方も面白かった。
著作権についての話も、長く書いてあった。本そのものに価値が内在しているのではなく、受け取った人が「これには価値がある」と思ったときに初めて価値が生まれる、という話。本に限らずコミュニケーションや経済活動の根本はそのような様相らしい。よって、内田さんは本をタダ読みすることも否定しない。むしろ、それを否定する人たちを否定する。本を商品として、読者を消費者としてしか見ていないからこそ、そんな発想になるのだ、と。
本が売れないようになったからと言って、本を読みたい人が減ったわけではないともある。これは、紙の本を守りたい私からしても、心強い言葉だ。しかし私も本をタダ読みすることへの抵抗感が若干あった。読ませてもらっておいて、払わないなんて、と。しかし無料で読書する人を、もう責めまい、と思った。払う必要があるかどうかは彼ら自身が決めて良いことなのだ、きっと。
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本を書くことは、贈り物をすること。
本を読むことは、贈り物を受け取ること。
その交換を円滑化するために、貨幣が発明された。
上記は、コミュニケーション全般に当てはまる。
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メディアについて、内田先生の鋭い見方を学ぶことができる本。
消費者的なモデルを何にでも適用しようとしたのが日本の崩れる原因なのね・・・。
メディアの特性についても、勉強になった。
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それほどたいして期待はせずに読んだが、とてもとてもおもしろかった。著作権原理主義を嫌がる姿勢には同感。著作をビジネスではなく、贈り物として考える視点、そしてその視点の大本を語るのに「沈黙交易」を持ってきたのには驚いた。内田樹は、9条の話になるとえらく現実的になるのに、こういう話だととたんに理想論になる。魅力的ともずるいとも言える。""
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大学の講義を本にした書物。こんな授業を受ける機会があれば今でも受講したい。大学生の早い段階で出会えれば、その後の学び方を大きく変える可能性がありそな一冊。
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メディア凋落の原因を巷に溢れるインターネット台頭論で終わらせず、むしろ本質的なメディアの質の低下にあると看破する。情報を評価するときの最優先の基準は「その情報を得ることによって世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか」に尽きるという。だとすればこの国のメディアは90%以上評価に値しないだろう。さらにメディアにせよ、個人にせよ、口を開く以上は「自分が言わなくても他の誰かが言いそうなこと」よりは「今ここで自分が言わないと、たぶん誰も言わないこと」を選んで話した方がいい、という。確かにその気概がないのなら、メディアを名乗る資格などないと思う。また、読書のあり方についても興味深い考察をしている。僕らは「今読みたい本」を買うのではなく、「いずれ読まねばならぬ本」を買うのだと。従って電子書籍にはなしえない、「書棚」の物理的な存在が人間を知的に成長させるのだと主張する。他にも贈与と返礼に例えた書き手と読み手の関係など、新たな視点を与えてくれる好書。たまにこういう一冊があるから読書はやめられない。
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キャリア教育について
現在の支配的な教育観は、「自分ひとりのため」に努力する人間のほうが、競争的環境では勝ち抜くチャンスが高い。しかし人間が才能を開花させるのは「他人のため」に働くとき。自分のしたいことや適性はどうでもよくて、任された仕事に対して「私がやるしかない」という状況が人間の覚醒を導く。自分が果たすべき仕事を見出すのは、本質的に受動的に経験によるものだ。
メディアについて
昨今のメディアの劣化について様々な角度から論じている。メディア独自の個性的でかつ射程のひろい見識に触れて、一気に世界の見通しが良くなった、というようなことを筆者は久しく経験していない。それが無理ならせめて、複雑な事象を複雑なまま提示するというくらいの気概はしめしてもよいのではないか。
メディアの危機に際会して
資本主義社会の商品とサービスが行き交う市場経済の中で、「なんだかわからないもの」の価値と有用性を先駆的に感知する感受性はすり減っていく。どのような「わけのわからない状況」も、そこから最大限の価値を引き出そうとする人間的努力が必要であり、今遭遇している事態を「自分宛ての贈り物」として好奇心を持って迎入れる人間だけが危機を生き延びることができる。
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贈与で社会は成り立っているということと、"紙媒体の"本とを絡めた話が好きだった。
(読んだか読んでないかは別として、そしてそれは必ずしも重要ではなく)自分の本棚が、自分や他人にどう思われたいか、どういう人間になりたいか、という主観ありきで作っていけるところ。買って、積んで、並べて見ること。が紙の本を買うことの醍醐味だなと思いました
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ビジネスマインドに頭から爪先まで浸かった結果、何事にも適用可能なマインドと勘違いしてしまう。
ビジネスマインドで考えてはいけないことがあることを気付くという意味で非常に有益な一冊。
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内田樹の考え方すごいなぁって感じ
武道やってるから思いつくのかな
根本に相手との対話でしかなりたたん、相手がいるから成り立つみたいな話。
他人をみーんな先生にして、自分より偉いから、なんでも吸収したろ!的な
俺宛ではなくても俺宛なんだと勘違いする能力。
責任はぜーんぶ自分が持ってて、色んな人が俺にプレゼントくれてる。
みんなもらって大事にしてこう
人によくわからんものを、自分にしか言えないであろうことをプレゼントして行こう
Posted by ブクログ
・情報を評価するときに最優先の基準は「その情報を得ることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか」ということです。
この本の主題には直接関係ありませんが、私は、第一講「キャリアは他人のためのもの」が好きです。
《人間がその才能を開花させるのは、「他人のため」に働くときだからです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。とにかく「これ、やってください」と懇願されて、他にやってくれそうな人がいないという状態で、「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以ては代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。》
第六講「読者はどこにいるのか」も私にとって興味深い内容です。
《電子書籍が読者に提供するメリットの最大のものは 「紙ベースの出版ビジネスでは利益が出ない本」を再び リーズナブルな状態に甦らせたことです。「読者が読みたかったけど、読むことが難しかった本」への アクセシビリティを飛躍的に高めたえたことです。
つまり、電子書籍の登場により、紙ベースの出版ビジネスが おびやかされることを危惧するよりも、紙ベースでは利益が 出ない本に注目が集まることによって、出版に繋がるなど、ポジティブな展開を促進するように動くべきだ。》
これからは編集者がネタを探すのではなく、電子媒体で 読む読者が、ネタを探してくれる時代になる。
2010年6月中旬に書いたという「あとがき」の中で”好んで「腐りやすい」イシューを扱うというのは、たぶん僕の悪癖の一つなのでしょう。
さて、今回のメディア論の賞味期限はどこまで保つのでしょうか。”と仰っていた内田樹先生でしたが、2018年7月中旬の時点では、”メディアが集中的に論じる論件については、僕たちも選択的に詳しい。
けれども、メディアが扱わないトピックについてはほとんど何も知らない。”という状態は、ネットというメディアのシェア拡大をスマフォの普及が加速させたために、ある意味予言通りになっているような…
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2010年出版で、終わり頃に10年後どうなっているだろうという感じのことが書いてあった。今が10年後……内田先生の危惧がそのままという印象を私は受けています。
市場化してはいけないもの、教育や医療もかなり変化を求められているように感じる。
そしてこの本を読むとマスメディアの変化への貪欲さがすごく目につくように……。
贈与経済のあたりが少し難しく感じたのでまた何度か読み返すことになりそう。
良い刺激を受けました、ありがとうございます。
Posted by ブクログ
同時に岸田秀・山本七平さんの"日本人と「日本病」について"と、群ようこさんの"ヒヨコの猫またぎ"を美味しいお菓子を少しずつ食べるみたいに、味わってます。
というか、酒の肴にして、晩酌してます。いずれも、それぞれ、お酒をおいしくしてくれます。
Posted by ブクログ
面白い考え方に出会える。
メディア論というだけあり、マスコミのあり方、テレビの衰退、知的生産力の低下、教育と医療の消費活動化、本の電子化と本棚の有意義性など、今の社会の考え方の根幹を述べていく本。
古い本だけど、メディア全体の違和感の正体をうまく言い当てていると思う。マスコミが自己のあり方を考えなかった、という点はあまり実感がわかなかったけど。
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「メディア論」とあるけれど、内田センセイの
ことだから、ただの「メディア論」ではない
だろう…と想像はしていたけれど、果たして
その内容は想像以上!
こんな切り口があったのかと驚愕しながらも、
言われてみればその通り!というご指摘の
オンパレード。
例えば、電子書籍で「本棚」について論じられて
いる部分。自分が毎日本棚を眺めている事実に
改めて気づかされ、眺めることを力いっぱい肯定
された。驚愕、納得、歓喜!
そんな中でも圧巻だったのは「第六講 読者は
どこにいるのか」と「第七講 贈与経済と読書」
のニ講。
贈与経済については、最近のネット本やツイッター
本でも頻繁に取り上げられている概念だけれども、
内田センセイの指摘する贈与経済は、もっと根源的
なもの。
ここまで掘り下げられると、一読者としてはもう
降伏するしかない。でも、この降伏はかなり幸福だ。
Posted by ブクログ
・「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する
・「自分が言わなくても誰かが代わりに言いそうなこと」よりも、「自分がここで言わないと、多分誰も言わない」ことを選んで語る
・「命があやうくなると知るやたちまちそれを否認する」ような言葉が自分にどれくらい含まれているか点検する
・「変える必要がないもの」「惰性が効いているほうがよいもの」−医療、教育などの社会的共通資本
・本棚−「ほんとうはなにものであるか」よりもむしろその人が「どんな人間であると思われたがっているか」
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オーディオブックにて視聴完了。
面白すぎて3回聴き直した。
内田樹の他の街場シリーズ、はよ。
のっけのキャリア論の話が本当に秀逸で、自分の才能に適した職業があるのではなくて、社会からの要請が才能を開花させるって話はほんとそうだと100回は頷いた。
紙の本も買ったので、改めて読書メモを書こう!
Posted by ブクログ
よく「ポストが人を作る」といいますけれど、ほんとうにそうなんです。…「自分が何をしたいか」「自分には何ができると思っているか」には副次的な意味しかありません。
→自分探し若者に対して、日ごろから思っていることで、全く同感。
社会的共通資本というのは、原理的に言えば、個人の恣意にも政治イデオロギーにも市場の需給関係にもかかわりなく保全されなければならないものです。
→医療や教育は社会的共通資本であり、メディアによる正義の暴走がそれを危機にさらしていると言う主張であったと思うが、個人的には、それは医療・教育にかかわらず、すべての産業に当てはまる事項ではないかと思う。社会的共通資本そのものが重要なのではなく、広義のソーシャルキャピタルというか、人的つながりの関係性の希薄自体が問題なのではないかと思った。
Posted by ブクログ
テレビ、出版、新聞、音楽…。
そういったマスメディアが衰退していっている昨今、
その意味をときあかしていくのが本書です。
大学のメディア論の講義をまとめたものなので、
語りかける感じで進んでいきます。
第一回の「キャリア教育」では、
これこそ、メディアの世界で生きていこうとしている大学生を対象に、
まず、その前段階である、仕事というもの、適性というもの、の説明から入ります。
仕事が適性に合っていない、自分の能力がここでは発揮できないというようなことで
仕事を変えていくのは間違っている、仕事とはそういうものではないと著者は述べます。
そしてびしっと彼なりの答えと理路を教えてくれます。
そんな感じで、著者はメディアについて深く考えて、
かつ時間をかけて頭の中で熟成したものをある程度咀嚼して
述べてくれているのが本書です。
医療問題や教育問題の原因もメディアにあるだとか、
そういった、「え、どうして?」と思うところでその理由を正々堂々とストライクゾーンに放ってくれる。
メディアと聴いて連想するものは、僕を含む凡人にはすごく狭い範囲のものでしょうから、
本書の内容をタイトルだけから推測するのは難しいものだと思いましたので、
キーワードをいくつか書いて、そこからこの本の中身を想像してもらうことにします。
メディア、キャリア教育、医療問題、教育問題、クレーマー、正義、著作権などなど。
最後の方で、書架の話になるのですけれど、
そこでの内田さんの書架に対する自分自身の心理や、
書架を見せた相手の心理の説明を読むと、
けっこう人間全般というものを業が深いものだととらえているフシがありました。
内田さんの周囲にそういう人が多いだけの気がしないでもないのです。
大体、本を読まずして人ではないなんて、きっと酔っ払ったらいいそうにも感じましたから。
僕の周囲なんて、本を読まない人だらけです。
そういう人の方が断然多い。
世界の違いがいろいろあるだろうに、
僕の住んでいるような世界は切り捨てられているなぁと少しく残念に思いました。
Posted by ブクログ
もう、内田樹さんの本をどれだけの数読んだだろう。相変わらず、視点が独特で、かつ、その話しの展開が論理的で面白い。著者独自のこの書き方にも、だんだんと慣れてきて、初めて出会った時ほどの衝撃はないけれども、文体が体に馴染んで、内容がスッと入ってくる心地よさも感じられるようになってきた。
よく「ポストが人を作る」と言いますけど、ほんとうにそうなんです。「ポスト」というのは言い換えれば「他者からの期待」ということです。こういう能力を持つ人が、こういうクオリティの仕事を完遂してくれたら「ありがたいな」という周囲の人々の期待がポストに就いた人の潜在能力を賦活する。(p.25)
「患者さま」という呼称を採用するようになってから、病院の中でいくつか際立った変化が起きたそうです。一つは、入院患者が院内規則を守らなくなったこと(飲酒喫煙とか無断外出とか)、一つはナースに暴言を吐くようになったこと、一つは入院費を払わずに退院する患者が出てきたこと。以上三点が、「患者さま」導入の「成果」ですと、笑っていました。
当然だろうと僕は思いました。というのは、「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引モデルで考える人間が思いついたものだからです。
「消費者的にふるまう」というのは、ひとことで言えば、「最低の代価で、最高の商品を手に入れること」をめざして行動するということです。医療現場では、それは「患者としての義務を最低限にまで切り下げ、医療サービスを最大限まで要求する」ふるまいというかたちをとります。(p.77)
裁判では「推定無罪」という法理があります。同じように、メディアは弱者と強者の利害対立に際しては、弱者に「推定正義」を適用する。これがメディアのルールです。「同じ負荷をかけた場合に先に壊れるほう」を、ことの理非が決するまでは、優先的に保護する。これはごく常識的な判断です。個人が大企業を訴えたりする場合には、「理非の裁定がつくまで、メディアがとりあえず個人の側をサポートする」というのは社会的フェアネスを担保する上では絶対的に必要なことです。でも、「推定無罪」が無罪そのものではないように、「推定正義」も正義そのものではありません。弱者に「推定正義」を認めるのは、あくまで「とりあえず」という限定を付けての話です。(p.81)
ネット上に氾濫する口汚い罵倒の言葉はその典型です。僕はそういう剣呑なところにはできるだけ足を踏み入れないようにしているのですけれど、たまに調べ物の関係で、不用意に入り込んでしまうことがあります。そこで行き交う言葉の特徴は、「個体識別できない」ということです。「名無し」というのが、2ちゃんねるでよく用いられる名乗りですけど、これは「固有名を持たない人間」という意味です。ですから、「名無し」が語っている言葉とは「その発言に最終的に責任を取る個人がいない言葉」ということになる。
僕はそれはたいへん危険なことだと思います。攻撃的な言葉が標的にされた人を傷つけるからだけではなく、そのような言葉は、発信している人自身を損なうからです。だって、その人は「私が存在しなくなっても誰も困らない」ということを堂々と公言しているからです。「私は個体識別できない人間であり、いくらでも代替者がいる人間である」というのは「だから、私は存在する必要のない人間である」という結論をコロラリーとして導いてしまう。
そのような名乗りを繰り返しているうちに、その「呪い」は弱い酸のようにその発信者の存在根拠を溶かしてゆきます。自分に向けた「呪い」の毒性を現代人はあまりに軽んじていますけれど、そのような呪詛を自分に向けているうちに、人間の生命力は確実に衰微してゆくのです。「呪い」の力を侮ってはいけません。(p.95)
僕の書きものは、入学試験問題に採用されることが少なくありません。予備校では毎年「現代文頻出作家リスト」を発表しますけれど、そこには数年前からチャートインしています。なぜ僕の書きものは入試に使われるのか。それは(あまり知られていないことですが)「ウチダの書きものはいくら切り貼りしても著作権者から文句が出ない」ということが広く受験関係者に周知されているからです。(p.136)
中国のような海賊版の横行する国と、アメリカのようなコピーライトが株券のように取引される国は、著作権についてまったく反対の構えを取っているように見えますけれど、どちらもオリジネイターに対する「ありがとう」というイノセントな感謝の言葉を忘れているという点では相似的です。(p.147)
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内田樹氏の著作、初体験。
非常に読み易く、刺激的な内容。自分にとっては、『メディア』に対するあらたな視点、考え方を与えてくれた。
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・与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の潜在能力を選択的に開花させること。それがキャリア教育のめざす目標だと僕は考えています。
・人間が大きく変化して、その才能を発揮するのは、いつだって「他者の懇願」によってなのです。
・あまりにも多くの要素が関与しているという事実が、テレビをビッグビジネスたらしめており、同時にそれがテレビの本態的な脆弱性をかたちづくってもいる。
・それ以上に「たちが悪い」と思ったのは、この「知ってるくせに知らないふりをして、イノセントに驚愕してみせる」ということ自体がきわめてテレビ的な手法だったということです。
・自分が市民的に享受している利益は「当然の権利」であり、それについては少しも「負債感」を持っていない。しかし、自分の利益が侵害された場合にはうるさく言い立てる。
・大人というのは、最低限の条件として「世の中の仕組みがわかっている」ことを要求されます。ここでいう「世の中の仕組み」というのは、市民社会の基礎的なサービスのほとんどは、もとから自然物のようにそこにあるのではなく、市民たちの集団的な努力の成果として維持されているという、ごくごく当たり前のことです。
・それは医療と教育という、人間が育ち、生きてゆく上でもっとも重要な精度について、市民の側に「身銭を切って、それを支える責任が自分たちにはある」という意識がなくなったからです。
・「とりあえず『弱者』の味方」をする、というのはメディアの態度としては正しいからです。
・人間はなかなかそんなに悪くはなれない。人間が悪いことを平然とできるのは「そうすることがいいことだ」というアナウンスを聞きつけたからです。
・そこで語られることについて、最終的な責任を引き受ける生身の個人がいない、「自立した個人による制御が及んでいない」ことの帰結だと僕は思います。
・「市場経済が始まるより前に存在したもの」は商取引のスキームにはなじまない。
・「社会的共通資本は決して国家の統治機構の一部として官僚的に管理されたり、また利潤追求の対象として市場的な条件によって左右されてはならない」
・社会制度の変化はよいことであるということはメディアにとって譲ることのできぬ根本命題だかです。
考えれば当たり前のことですけれども、社会が変化しないとメディアに対するニーズがなくなるからです。
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メディアの問題に関して、「ビジネス」としての商取引モデルをもとに考えるのではなく、価値の贈与返礼モデルをもとに考察した内容。
メディアの問題点に関してはおおよそ同意できた。医療や教育の崩壊も、商取引モデルに当てはめると説明されるという著者の指摘は非常に興味深いものだった。
優れた内容の本だが2010年に出版されたものであり、(マスメディアが変化したかどうかはともかく)新興メディアの出現や新たなデバイス・サービスの出現により、当時とは環境は大きく変化した。著者も指摘しているが、この点に関しては注意して読む必要がある。
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【気になった場所】
メディアの不調=視聴者の知性の不調
仕事と適性の順番
◯仕事を通して自分の適性を見つける
×自分の適性に合った仕事を探す
→能力は開発するもの
人間の才能を開花させるのは、他人のために働くとき
情報を評価する最優先の基準
→その情報を得ることで世界の成り立ちについて理解が深まるかどうか
各メディアの不調の原因
・テレビ→ジャーナリストの知的な劣化
・新聞→テレビの不調を指摘できない点
ジャーナリストの知的な劣化の背景
→なぜ弱者の味方をするかを自問してない
→その思考停止が知的な劣化を招く
テレビのシステムにも欠陥がある
→ミスをしないことを優先し、何を放送するかは二の次になる結果、番組のクオリティが下がる
ラジオは番組の制作コストが低い
→挑戦的な番組を作っていける
新聞は今のテレビメディアを批判すべき?
・言論の自由と営業妨害の観点でしていない
・強い影響力を持つテレビに対し、その構造の利点と欠点について言及すべき
出版業界も思考停止している
→出版業界の伸び悩みを、本を読みたい人が減っている、という外的要因だと思っている
例)
入学試験の現代文に採用されやすい要素
→切り貼りしても著作権者から文句が出ないこと
著作物は商品ではない
→書き手から読み手への贈り物
→贈与に対する感謝の気持ちが印税であり、貨幣を用いているだけ
Posted by ブクログ
キャリア→自分の好きなこと、やりたいことを仕事にすることが正しいことではない。
まずは縁があって始めた仕事の中で自分のよさをどれだけ出せるかということ。
本棚→その人がどういう人かがわかる。読んだ本もあれば、いつかは読みたいけどまだ読んでない本、その人が選んでいるということから「自分はこういう人間です」と思われたい表現も含まれている。
Posted by ブクログ
内容自体は面白いし、また同感できる部分も多数あるが、若干話が飛躍しすぎている・強引な所もちらほらと見かけられる。
内田氏の他の本を読んだことがないので、ちょっと判断しようがないのだが、こういうテイストで書かれている方なのかも知れない。
メディアというものについて、今まで語られてこなかった軸を知る材料うえでは有用な一冊だろう。ただし、それらの事柄については自分自身で考え、判断し、予想しなければならない。
「価値」と「ありがとう」の関係性については深く考えてみる必要があるだろう。それはミドルメディアあるいはソーシャルのコミュニティーの中心的な軸になってくるはずである。